●リプレイ本文
【桜の想い出】
「昔、ジャパンで、満開の夜桜を見たことがありましてね」
闇の中に広がる、色鮮やかな、春の彩。
白い花弁が風にたゆたい、幾つも幾つも舞い落ちる。黒く沈んだ地面を飾る、その輝きさえも、数多の星のようだと、ふと思った。
気が付けば、強引に、桜の苗を持ち帰っていた。月道を潜り抜け、海を渡り、彼方から連れて来た木に、まるで恋をするような日々。
「私はね、いつか、この村に、桜並木を作りたいのですよ」
嬉しそうな依頼人の口調とは裏腹に、だが、桜は、根付かない。
花を咲かせるのは、とうの昔に諦めた。
依頼人は、力無く笑う。
けれど、せめて、死なせたくない。ただ一度も咲くことなく命を終えるのは、あまりに不憫だと、彼は、冒険者達に訴える。
「彼女を初めて見た時、桜の精霊ではないかと、そう思ったのですよ」
依頼人の言葉に、マイ・レティシアス(ea0328)が、はっとする。彼女もまた、謎めいた女性が精霊であってくれればと、密かに願っている一人でもあった。
「精霊と思えるような女性だったのですか?」
マイが問う。同じく話を聞いていたアイラ・リーン(ea7618)が、奇妙に納得したように、頷いた。
「だから、警戒心もなく、近付いていったのね。帰ろうか、という、小さな呟きさえ聞こえるほど、近くに」
ねぇ、それは、何語だったの?
アイラが、窓越しに、桜を見つめる。そこに、彼女が居てくれないかと、あるいは思ったのだろうか。依頼人は、間髪入れずに答えた。
「ジャパン語です」
「ジャパン語‥‥東洋人なのか?」
レオン・ユーリー(ea3803)が首を捻る。実は、彼には思うところがあった。友人のトオヤ・サカキ(ea1706)と道中既に話し合ってきたことだが、彼らは、あえて、女が人間だったらと仮定してみたのだ。女が、ある魔法の使い手だったら、すんなりと辻褄が合うな、と。
「いえ‥‥東洋人、という感じは受けませんでした‥‥」
依頼人が、一生懸命、記憶を手繰る。質問を受ける間に、恐ろしい事でも思い出したのだろうか。ざわりと鳥肌立った二の腕を、しきりに擦った。
「地面に消えてしまう時、彼女の体が、ぼうっと銀色に光ったのですよ。その後、すっと地面に‥‥。驚いて腰が抜けそうになりましたよ」
「依頼人殿は、この桜を、ジャパンの何処で手に入れたでござるか? ぜひ、由来を聞かせていただきたいでござるよ」
沖鷹又三郎(ea5928)の故郷ジャパンにおいても、桜は、何かと伝説の多い木だ。
鮮やかに咲いたと思ったら、あっという間に散ってしまう、その儚さが、あるいは、ジャパン人の感性に通じるものがあるのかもしれない。それぞれの土地に逸話は数え切れないほどもあり、この桜もまた、何らかの曰くを抱えたものかもしれないと、沖鷹は考える。
「あの桜は、ある寺の境内に生えていた桜の大樹の、貴重な苗なのですよ」
依頼人が、懐かしそうに目を細める。
「その桜の大樹は、樹齢が軽く数百年は超えるそうです」
【立ち枯れの桜】
「心配なのはわかるけど、こんな風に壁で塞いでしまうのって、良くないと思うのよね‥‥何より私が見れないし」
特に最後の一言を強調しつつ、レティシア・シャンテヒルト(ea6215)が注意を促す。彼女の植物に関する知識は拙いものだが、その直感は間違っていない。白井蓮葉(ea4321)も同感のようで、剪定作業もまともにされていない絡んだ枝を、不安げに見上げていた。
「桜は、越冬にムシロを巻いたりとか、色々と手間のかかる木なのだけど‥‥何もしていないのかしら」
「虫食い発見!」
シフールの機動性を生かして、桜の周りをふわふわと飛んでいたアイラが、目敏く幹の虫食いに気付いた。さすがに病気の云々まではわからないが、素人目にも、虫食いの木がひどく弱っているのは判断できる。
「怨霊の類の仕業かとも思ったでござるが‥‥どうも、違うような気がするでござるよ」
沖鷹が、念のため、ピュアリファイを試してみたが、桜に何ら変化はない。
一行の中では最も植物知識に長けたマイが、ぽそりと、無表情に呟いた。
「私も、詳しいわけではありませんが‥。依頼人は、かなり、桜に関しては、無知みたいですね‥‥勉強の必要があるでしょう」
桜にとっては、根本深くに埋め込まれた柵囲いの杭も、悪影響を及ぼしているに違いなかった。
【桜の女性】
「あのお屋敷の木の過去ねぇ‥‥。聞いたこと無いけど」
カナタ・ディーズエル(ea0681)に尋ねられ、村人達は首を捻る。人伝に何か情報を得られれば、と思ったのだが、村人たちは、どうやら何も聞かされてはいないらしい。
「桜を見て、帰る場所を想う者‥‥私は、女性に、そんな印象を抱いたのですが」
白井の中の女性の像が、少しずつ、形を結ぶ。
帰ろうか、と、語りかける者。
帰りたい、と、望む者。
「桜に接触した人間がいるかと思ったのだが」
カナタの溜息混じりの呟きに、村人が、反応した。
「さくら? あの木は、さくらって言うのかい?」
「‥‥何か、心当たりが?」
カナタが慎重に問い返す。村人が頷いた。
「一ヶ月くらい前、村にえらい綺麗な女の人が来たんだよ。吟遊詩人だと言っていたねぇ。それが、ちょっと変わった名前で‥‥さくら、って、いうんだよ」
「人間?」
レオンは、その可能性を、ずっと考えていた。
「バード‥‥月の魔法の使い手、か」
トオヤが、頷く。
月魔法なら、全てが可能だ。いきなり消えることも、幻を見せることも、お手の物。夜に現れるという状況さえも、綺麗に説明が付いてしまう。
月の出る夜にこそ、かの術は、最大の効果を発揮する。
「‥‥でも、まだ、わからない」
あくまでも慎重に、レオンが答える。そうだな、と、トオヤが肩を竦めた。
「むしろ、精霊であって欲しいな。人の方が厄介だ。バードというのなら、なおのこと」
【桜の夜】
冒険者達の中に、女性が害のある存在と頭から決めてかかる者は、いなかった。
比較的冷静な人間が集まったことが、今回の命運をきっちり分けたと言えるだろう。
誰でも、問答無用で襲いかかられでもしたら、逃走したくなるものだ。まして魔法の使い手なら、実際に姿をくらますのは容易い。
昼の間は思い思いに行動し、夜は、全員で桜を見張ることになった。
仮眠を取ったり、眠気覚ましの飲み物を飲んだりして、体を気遣いながら警戒すれば、昼夜逆転の生活も、それほど苦痛ではない。運の良いことに、女性が現れたのも、早かった。
村に到着してから、二日目の夜、煌々と照る月明かりの下、問題の女が、再び桜の前に立った。
「音‥‥」
地面に落ちた小枝や砂利を踏み締める音を、カナタの耳が、確かに捉える。カナタの目配せを受けて、同じく素人よりは音に敏感なアイラが、頷いた。
「あれは‥‥」
視力に優れたマイは、物陰からじっと目を凝らす。月明かりを浴びて、女は、地面に濃く自らの影を落としていた。そして、霊などではあり得ない、明らかな生身の質感を伴って、歩き続ける。
「帰りたいのは、君なのか? それとも、桜なのか?」
何て声を掛ければよいのか‥‥判断が付かぬまま、それでも、レオンが語りかける。
女性は、黙って突っ立ったままだった。そこに冒険者がいても、警戒する様子もない。あるいは、いざとなれば、逃げ切れるという自信でもあるのだろうか。
「依頼人さんが、心配しています。貴女が、桜をどうにかしてしまうのではないかと」
余計な小細工は、要らない。ただ素直に、白井が、胸の内を伝える。
「心配‥‥していたわ。私も。だから、会いに来たのよ。桜に‥‥遠く、ジャパンから」
女が、小さく溜息を吐いた。
冒険者達の話に、耳を傾ける気になったらしい。無防備な背を、彼らに向けた。
【桜華】
「寺の境内にあった大切な神木の苗を、その男はね、断りもなく奪っていったのよ」
単純な、真相。
桜に魅せられた依頼人は、桜を、故国に持ち帰ろうとした。けれど、月道を利用したとしても、大樹をまるごと運び出すような技術は、この世界には無い。
ならば、せめて、と考える。
苗ならば、持ち出せる。移動も容易い。迷いはあったが、それを、桜に対する執着が上回った。何としても、この木を連れて帰りたい‥‥。
「桜が、元気に頑張っているのなら、許してやろうと思った。異国の地でも、生きられるなら‥‥。でも、来てみれば、桜は枯れかけている。所詮、浅はかな素人が、簡単に育てられるものではなかったのよ」
抑えた口調の中に、静かな怒りが感じられる。
まさかこういう事態が待ち構えているとは予想もせず、どうしたものかと困惑した冒険者達の中で、遠慮がちに口を開いたのは、カナタだった。
「事情は‥‥わかった。けれど‥‥俺としては、やはり、依頼人ときちんと話をしてもらいたい。いや、こういう事になっているからこそ、余計に‥‥」
レティシアが、カナタの隣で、言葉を添えた。
「依頼人さんは、悪い人じゃないよ。桜を根付かせたいって‥‥そう言っていた気持ちは、本物だと思う」
白井が、頷く。
「ここまで育って、葉も付いているのに、根付かないなんて言えるのかしら? 私は‥‥桜は、まだ頑張れると思うわ。いつか、ここで咲くことだって、出来るはず‥‥」
「確かに、まだ、咲いてはいないけど」
トオヤが、初めて見るはずなのに、奇妙な懐かしさを感じつつ、桜を見上げる。
「俺も、根付きつつあると思っている。出来る限り、守りたい‥‥依頼人のためにも‥‥いや、桜のためにも」
「咲いてくれれば、一番なのに」
アイラが、仄かな期待を口にする。幻なら、と、レティシアが呟いた。
「幻の、花なら」
ファンタズムの幻影が、時季外れの花を、その場に生み出す。
古い記憶をたぐり寄せ、想い出の色を、再現する。
彼女の未熟な魔法の技術では、本物にはほど遠い。風に揺れる輪郭も、散る花びらも、そこにはない。定められた時間は短く、幾度も幾度も魔法を唱え、付け足しながらの偽りの花。
けれど、咲き誇る姿は、確かに「桜」
沖鷹が、嬉しそうに目を細めた。
「故郷ジャパンを離れて、ここで、桜を見ることになるとは思わなかったでざるよ」
彼には、桜の想い出は、それこそ両手に余るほどもあるのだろう。友人達との宴の席を、あるいは思い出したのかも知れない。
「昔‥‥一度だけ、桜の絵を、見たことがある」
レオンが、呟く。異国人の子供が地面に描いた、拙い絵を思い出す。
それと比べれば、遙かに本物に近い残像が、色鮮やかに、目の前に広がる。
「初めて見た‥‥」
アイラは、リシーブメモリーで、桜の記憶をもらえないかと考えていた。
だが、その必要も無さそうだ。限りなく本物に近い幻が、彼女の中に、経験の一つとして刻まれる。
「本当に、何かが、住んでいそうですね。魔の者か。精霊か」
マイの言葉に、桜の名を持つ女が、そうかもしれないと、頷いた。
「私が、このイギリスに来たのは、何だか不思議な胸騒ぎがしたから‥‥もしかすると、桜が、私を呼んだのかも知れないわね」
桜を見上げる女の目から、既に、敵意は消えていた。
もう少しだけ、機会をあげるからと、女が身を翻す。
月の夜に、彼女の行く手を遮ることは難しい。女の姿は、一瞬のうちに、地面の影へと吸い込まれて消えた。
「月魔法‥‥ムーンシャドウか」
便利なものだ。
トオヤが、我知らず苦笑を漏らす。
「ある意味、厄介な人ね‥‥」
ひたすら感心したような白井の言葉を受けて、全員が、声を立てて笑った。
【桜とサクラ】
桜の苗の実家である寺の住職は、身よりのない子供達を、多数、引き取って育てていたという。
その中には、幾人か、異国人の子供もおり、一人だけ、抜きん出て魔法の力に秀でた少女がいた。
依頼人は、思い出す。
「その女の子の名前が、サクラ、でした。桜の神木の根本に、捨てられていたそうです」
彼女が再びこの地を訪れるまでに、為すべきことは、たくさんある。
手始めに、依頼人は、壁を壊し、柵を除いた。
桜が、咲くかどうかは、わからない。
このまま立ち枯れるかも知れないし、あの幻のごとく、いつか、艶やかに花開く時が来るかも知れない。
「でも、いつか‥‥きっと」