【収穫祭】裏方・料理人の苦悩

■ショートシナリオ


担当:外村賊

対応レベル:1〜4lv

難易度:普通

成功報酬:1 G 20 C

参加人数:8人

サポート参加人数:-人

冒険期間:10月29日〜11月03日

リプレイ公開日:2004年11月07日

●オープニング

 受付のお姉さんはランチタイムを近くの酒場で過ごすべく、扉を元気良く押し開けた。いつも冒険者達で混み合う酒場、しかも昼時とあっては席を探すのも一苦労。
「花の乙女の至福のひとときがーっ、こんな忙しい物でいいのかーっ!」
 収穫祭が近付いてどことなくいつもと違う雰囲気が漂う。しかしギルドに休みはない。むしろイベント事の当日と言うのは、種々問題が増えるのがセオリーだ。今日も食事が終わったらすぐにでも仕事に戻らねばならないお姉さん、腹ペコも手伝って半ばキレ気味である。
「冒険者と代われる奴はいいわよねーっ! ホントに全くよー!」
 まだ酒は入っていないと思うが、空気にアルコールが染みているのか、既に酒乱の気が見える。
 そこに運良く、面積にして一テーブル分の空の空間が目に止まった。少しでも早く座って少しでも長く休憩を楽しみたいお姉さんは、並み居る冒険者の海を泳ぐが如く押し分けて、その空間まで近づいていく。
 良く見ると冒険者達は、迷惑千万なお姉さんよりも、空間の方に視線を向けているのだが――
「ああっ!?」
 たどり着いたお姉さんは無情な現実を見る事になる。
 一人の少女が死んだように突っ伏している事によって、そのテーブルは占拠されていたのだ。

間。

「じゃ、シルビにとっては初めての大仕事な訳だー」
「働いてる食堂の料理長に、収穫祭の最後の夜にある、さる貴族様の仮装夜会での料理案‥‥大地の旬と海の旬を使ったオリジナルのメインディッシュを任されたんですけど」
 料理人少女シルビはまだ幼さの残る顔にクマをくっきりと刻み込んで、朦朧とした口調で同席したお姉さんに答える。祭のお陰で忙しい同志が見つかって、お姉さんは少女に親近感と同情を覚えていた。
「研究の為に食堂の調理場を使わせてもらってるんですけど‥‥お昼は食堂開いてるから、夜の間だけ‥‥。でも夜は霧が出るんですよ‥‥全然前が見えなくて‥‥晴れたと思ったら水浸しで料理できないし‥‥それ片付けてたら朝になっちゃって、食堂始まるし‥‥いつのまにか収穫祭は目の前で、でも霧が出るから片付けないと‥‥」
「待って待って。それ、部屋の中よね?」
 秋ともなればパリは霧の街だ。朝夕に煙るような霧は日常茶飯事だが。
「そうです。見えないと料理できないし、小麦粉とか湿っちゃうし‥‥」
「明らかにおかしいでしょそれは!」
「そうですね‥‥でも、片付けないと料理長に怒られて‥‥」
「悪魔よ悪魔! 悪魔の仕業なの!」
 重いまぶたを八割閉めつつ、安定しない頭でシルビはお姉さんを見上げた。
 悪魔クルード。水の精霊魔法を操る悪魔で、ミストフィールドと同じ効果の息で霧を発生させる。霧の中ならば1フィート先も見えない状況でも視界を保てる能力を持ち、霧の死角から鞭のような尾を使って敵を絡め取ったりもする。
 シルビの証言からお姉さんは、その悪魔の名前を思い浮かべていた。
 シルビはシルビで、リンゴ、ブドウ、マッシュルーム、ムール貝、オマール、羊に牛に鴨‥‥と料理に使えそうな食材が頭を渦巻いている。時々それが口を付いて出、そうとう追い詰められているように見える。お姉さんは彼女の肩をしっかり支え、開いてない瞳を覗きこんだ。
「冒険者に依頼なさい。でないと料理を出せずに料理長にクビにされるか、寝不足で死ぬしかないわよ!?」
「クビ‥‥? クビは‥‥」
 切実な表現が効いたのか、シルビの目にようやく精気が戻ってくる。
「おまちどうさまでし‥‥あら、お客様?」
「ごめん、それキャンセル! ほかの人に押し付けといて!」
 ウェイトレスがワインとできたてのスープを載せた盆を持ったまま目を瞬かせる。お姉さんは忙しなく立ち上がると、ようやくしゃっきり起きたシルビの手を引きながら、昼休み返上で仕事場に戻った。

 現状説明としてお姉さんが語ったのはそんな風な事で。
「あんた達がお祭を楽しみたいのも分かるけどねー。女の子が一人でこうして頑張ってる訳よ。料理長に話し付けて依頼もぎ取ってきたわ。あたしもちょっと出すからさ、急ぎで何とかしてやってくれない?」
 お姉さんが直接出向いた時に見た現場は人が十人も入れば一杯になってしまうほど、余り広くはない調理場だ。毎日使う仕事場、水浸しだけでも片付けなければ大目玉を喰らうのだから、戦ってめちゃくちゃにする訳にも行かない。
「条件は出来るだけ早く、調理場に被害を出さずにクルードを追っ払うことよ。少なくともシルビの本番までね。悪魔の生死は問わないわ。資料によると、陽系の精霊魔法を嫌うようだから、ジプシーがいれば心強いわね。
 あと‥‥これは絶対条件ではないけど。こんな時期だから、街中で大暴れされても困るわ。戦闘するならそのヘン十分気をつけてやって頂戴」

●今回の参加者

 ea1803 ハルヒ・トコシエ(27歳・♀・ジプシー・人間・ノルマン王国)
 ea5380 マイ・グリン(22歳・♀・レンジャー・人間・イギリス王国)
 ea5506 シュヴァーン・ツァーン(25歳・♀・バード・エルフ・フランク王国)
 ea7256 ヘラクレイオス・ニケフォロス(40歳・♂・ナイト・ドワーフ・ビザンチン帝国)
 ea7579 アルクトゥルス・ハルベルト(27歳・♀・神聖騎士・エルフ・フランク王国)
 ea7643 ストルゲ・ヴィンドゥ(39歳・♀・クレリック・人間・神聖ローマ帝国)
 ea7814 サトリィン・オーナス(43歳・♀・クレリック・人間・ビザンチン帝国)
 ea7891 イコン・シュターライゼン(26歳・♂・ナイト・人間・ビザンチン帝国)

●リプレイ本文

 一匹の小鼠、足を忍ばせやってきた。
(「今日はやたらニンゲンが多い。コッソリ、コッソリ‥‥」)
 同じ所を行ったり来たり、うろつく少女の足の影、静かに鼠は通り過ぎる。

(「うーん。この前見た貴族さんの髪型はあんな感じだったですよ〜。それから化粧はこんな感じで〜。これを盛り付けに応用できないですかね〜?」)
 ハルヒ・トコシエ(ea1803)はおとがいに手を当てて、シルビの近くを歩き回っていた。料理の事は解らないが、自分の得意な分野から何かシルビの手助けが出来ないか、考えているのだが。
(「キャベツの断面って、良く見ると面白いですね〜。これを髪で再現するなら〜‥‥」)
 煮詰まって、思考は正反対の方向へ向かってしまう。
 シルビも随分前にキャベツを両断してから、それを見つめるばかりで動こうとしない。イコン・シュターライゼン(ea7891)もそんなシルビを見るに見かねて、そっと話しかける。
「僕が口を挟むのもなんですが‥‥あまり難しく考えずに、食べる人が喜んでくれるものを出せばいい、と思いますよ」
「うん、ありがとう。ちょっと休んで元気になったし、頭もスッキリしたから。今日こそはなんとしてでも形にするわ」
 シルビは小さく笑ってみせる。それは今朝対面した時からすればかなり回復したといえる。
「ホント、ごめんね。昼間の仕事は関係ないのに‥‥甘えちゃって」
「‥‥必要な作業も兼ねていますから、気にしないで下さい」
 疲れと睡眠不足で、ともすれば立ったまま寝そうな勢いだった彼女を救ったのは、若干十一歳のマイ・グリン(ea5380)だった。その年齢からは窺えない調理技術を持つ彼女は、シルビに代わり調理の仕事を引き受けたのだ。
「‥‥これぐらいの仕事、慣れていますから」
 使わない食料を戸棚にしまいながら、十一歳の少女とは思えぬ口ぶりでマイは答える。だが言葉とは裏腹に、マイの動きにはわずかに疲労が見える。収穫祭を目当てにイギリスからの客も増えるこの時期。レストランの混雑は予想以上に凄まじく、今までシルビに休みのなかったのも頷ける話だ。
「さて、これで綺麗になりましたわね。後はシルビ様に頑張って頂くだけですわ」
 箒を片手にストルゲ・ヴィンドゥ(ea7643)が、いつも印象的な微笑を浮かべる表情をさらにほころばせる。
 要するに物が沢山有るために、片付けが大変と云うことですわよね? という彼女の発案で、調理場は今までになく綺麗に片付いていた。心なしか今までより広くさえ感じる。満足げに見渡すストルゲの耳に、ミシリ、石床に小石が当たるような、かすかな音が入ってきた。
「あら‥‥鼠?」
 ストルゲは屈みこみ、音のした棚の下に箒を差し込んで浚ってみるが、掃きだされてくるものはない。

「残念。残念。もうこっち」
 ストルゲの頭を下に見て、棚の上の暗がりで、鼠の変身を解いたクルードはくつくつと笑う。鼠に似た顔の、耳まで裂けた口を大きく開けると喉の奥から冷え冷えとした白い霧が流れ出、ゆっくりと部屋の隅から浸していく。
「――霧」
 湿った冷気にまず気が付いたのは、サトリィン・オーナス(ea7814)。いくつか置かれたランプの明かりを元に、冷気の出所を探る。 
「あそこだわ!」
 サトリィンが指を指し示した先には、暗がりの中に薄く浮き上がるような灰色の身体をした影。
「クケケケケッ、みんな見えなくて困ってしまえ〜」
 そんないやらしい笑みもすぐに霧の中に消え入ってしまう。ハルヒもぎりぎり霧に浮かぶ影を見つけて、声を大に叫ぶ。
「クルードさん、どうしてそんな事するんですか〜!」
「クケケ、そりゃー楽しいからさ」
「駄目ですハルヒさん、悪魔は人に仇なす存在。説得などは通じません」
 ストルゲの言葉に、ハルヒはシルビを振り向いた。デビルが性根から悪なのは知っている。だが、殺伐とするのは好きではない。依頼人であるシルビが自分と同じくそう望んでくれれば、無益に命を奪うような事をせずにすむ。
 シルビに言葉はない。だが、その表情は如実に言葉を紡いでいた。
 恐怖、あるいは絶望。毎晩積み重なった悪魔の悪戯は、見るだけで拒絶反応を示すほど、シルビの精神を圧迫していた。マイとイコンが、震えるシルビの視界から悪魔を退けるように、間に立つ。
 ハルヒは、心を決めた。
「‥‥仕方ありません、苦手だというからあまり言いたくはなかったんですけど」
 今や霧は調理場を真っ白に埋め尽くしていた。1メートルほど先が、おぼろげに見えるだけ。唯一霧中で視野を有する悪魔は、高く手を掲げ、節をつけて踊りだすハルヒの姿を見た。その仕草が何を表すかを悟って、全身わななかせる。たちまち棚から飛び降りて、ハルヒ目掛けて走り出す。
「させるカーッ!」
 悪魔は机の上を駆け、蹴散らかされた野菜や器具が、霧の中で悲鳴をあげる。数秒もせず、ハルヒの眼に霧の向こうから迫る黒い影が揺らぐのが見えた。
「そこだ!」
 歯を剥いたクルードの姿が見えた刹那、イコンがハルヒの前に間に割り入る。狭い場所で立ち回るためか、鎧を置いてきたイコンの無防備な肩に、牙は深く食い込み赤いシミを衣服に作る。
 喰らわれたままイコンが片膝を付いた時、ハルヒの踊りは太陽を招いた。空を掴むような仕草の手の中から、夜の中で眠っているはずの陽光が溢れる。
「悪い子には、お仕置きです〜!」
 イコンの肩越しに覗いたクルードの顔に、ぐっと光を近づけると、悪魔は声を上げて飛びのく。
「どうなってるの!?」
 部屋のどこかでサトリィンの声がする。
「皆さん、こっちです。ハルヒさんの‥‥光のほうに」
「イコンさん!? 怪我されたのですか!?」
 サトリィンに答えたイコンの、絞るような声。ストルゲは一も二もなく近づこうと一歩ずつ、手探り、光を目印に歩いていく。昼間の間にある程度の間取りは覚えたが、濃い霧の中駆け寄る事は難しい。
「ただの光か、脅かしやがって〜!」
 光の正体に気付いたクルードは、再び強気を取り戻す。しかしマイは隙を逃さない。背負っていたショートボウに矢を番え、悪魔の鼻先に突きつける。鉄のそれとは違う輝きに、悪魔は目を剥いた。
「‥‥この位置では外しようありませんね」
「ッ、その鏃‥‥!」
「‥‥銀です」
 言い終わる前に弦は震える。ライトに照らされた一筋の銀光が悪魔を突き刺す。クルードはいやらしい悲鳴をあげ――
「イコンさん!」
 ようやっとイコンを視認できたストルゲが、その傷口を確かめるようにイコンに寄り添う。しかし、イコンの表情は不安げに周囲を窺っている。
「クルードは?」
「‥‥手応えは、ありました。恐らく、銀を嫌って逃げたものと」
 マイはわずかに眉をひそめた。光と矢は無闇な警戒心を植えつけたようだ。計画通り、食堂に追い出せたのならば良いが、厨房の霧の中に潜まれては、探し出すのが非常に困難になる。
「まずは、傷の手当てを」
 首に下げた十字架にそっと手を沿え、穏やかな祈りの言葉を紡ぐ。白き光が、ゆっくりとイコンの肩に並んだ歯形を消し去っていく。
(「クケケ‥‥怖い銀になんか近づいてやるもんか。遠くから尻尾ではたいてやる」)
 霧中に悪魔の影を探す冒険者を机の影で眺めつつ、クルードは長く細い尾を揺らめかせる。
 あの生意気なレンジャーの娘が、背中を向けたその隙に――
「ギャウ!?」
 予期もせぬ事。クルードは尻に突き刺さるような痛みを感じ、思わず声を上げてしまった。
「クルード?」
「まだ居るみたいですね〜」
「‥‥こっちから、声が」
 慌てて口を押さえたが時遅し、気付いた冒険者達は迷うことなくこちらに近づいてくる。彼らの足から距離を取りつつ、クルードの頭の中には疑問が渦巻く。
「(くそ、何で居場所がわかった? あいつらには見えないはずなのに。一体誰――)ウギャッ!」
「今度はこちらですね」
 今度は背中。クルードは痛みを覚えた瞬間、自分に銀の光が迫るのを見た。
 銀の光、ぎらぎらと嫌な光を放つ、銀の矢。クルードは突きつけられた鏃が思い出された。
 しかしマイは、二度とも弓を引き絞る事すらしていない。
 冒険者の仲間に、物凄い凄腕のレンジャーがいて、自分を狙い撃っているとでも言うのだろうか。
(「そんな奴、敵いっこない!」)
 想像が現状の謎を全て解決した時、クルードは一目散に逃げ出した。もはや足音を忍ばせるのも煩わしい。早くここから離れてしまわねば。
 悪魔は手近な出入り口から、自ら作った霧を抜ける。
 瞬間、場違いにも竪琴の爪弾きが聞こえてきた。
 ここは食堂。いつもならば客の憩うテーブルや椅子、それらは全て脇に寄せられ、今はがらんとそら寂しい空間になっている。寄せられた椅子の一つに座り、エルフの女性が一人、奏でているのだ。
 立ち止まったクルードに、シュヴァーン・ツァーン(ea5506)は微笑みかけた。
「初めまして。お会いしたかったですよ」
 音楽を解するまでの知能はないクルード、本当にそれだけなら無視してさっさと逃げ去っていただろう。
 しかしクルードは彫像になったかの様に、動く事が出来ないでいた。
「ずっとここで、万端唱えられるようにしてた甲斐があったわね」
 先程クルードが通ってきた、食堂と厨房の出入り口でコアギュレイトを唱えたサトリィンが、霧に湿ったきつい曲毛の茶髪を掻き上げる。マイ達が悪魔を見失った時、よほどその場を離れて悪魔探しを手伝いたかったが、自分が動いて悪魔に逃げられては元も子もない。自分を厳しく律し、出入り口を見張り続けたのだ。
「届く距離も少ない。一発が勝負だものね」
「お前の悪事も、ここまでじゃな」
「天におわす我が父が、高みを目指す者を挫く者に、相応しき天罰を与えることを、その身で知るがいい!」
 食堂で待機していた二人の騎士が進み出る。ヘラクレイオス・ニケフォロス(ea7256)は、馴染みの斧に比べて頼りない重さのロングソードを抜き、周囲に傷が付かぬよう、空気を薙いで手馴らしをする。神に仕えるアルクトゥルス・ハルベルト(ea7579)は怒りを赤い眼に宿し、十字架のネックレスを高く掲げる。
 そしてシュヴァーンも、再度竪琴に手を添える。
「私も、僭越ながらお手伝いを‥‥シルビさんの前途に光があるように」
「おおおおっ!」
 石床を強く蹴り、ヘラクレイオスは一気に距離を縮める。
 背後には聖なる祈り、そして月に捧げる清ら音。
 今まで気を高め、オーラエリベイションとオーラパワーを纏った騎士は、スピードと自身の重さを上乗せし、子供のような体型の悪魔を一気に突き下ろす。
 神と月を讃える音は、互いに混じりあい、神聖なる色を帯び。
「ブラックホーリー! ‥‥再現神よ、高みを目指さんとする者が試練を乗り越える為の一助の光を我が手に! そして向上を哂う者に鉄槌を!」
 白い衣に包まれたアルクトゥルスの体が、聖なる黒に染められ、神の怒れる光が道を外した魔に向かって突き進む。
 最後の言を爪弾いた時、その指先から銀光が漏れ、何かを問うようにシュヴァーンの周りを回る。
「ゆきなさい月の矢。クルードを射止めなさい」
 その時クルードは知った。その光こそ、凄腕レンジャーの矢と。
 黒と銀の光に苛まれ、クルードの意識は消失した。


「やれ、戦闘より何より、仕度と片づけが大仕事じゃったな」
 広い食堂と、物をあれこれ動かした調理場を元に戻す作業が終わる頃、辺りはすっかり白み始めていた。ヘラクレイオス同様、他の冒険者達も、悪魔退治の後よりももっと疲れた表情で、食堂の椅子に座ったり机に突っ伏したりしている。
「いい匂いがする」
 最初に気が付いたのは調理場に一番近い所に座っていたアルクトゥルスで。ほどなく、シルビが盆に人数分のスープを入れて食堂に現れた。
「みんなお疲れ様。暖かいの作ってきたから、飲んで」
 朝晩はめっきり冷え込むようになったこの頃。シルビの申し出は誰もが歓迎した。イコンは一口に含んで、思わず顔をほころばせる。
「‥‥どう?」
「うん‥‥母の言葉を、思い出しました」
「なんて?」
 促すシルビに、イコンは微笑んで返す。
「『料理は人を幸せにする』」
「良い言葉ですわね」
 料理を人に作るのが好きなストルゲが、ゆっくり味わいながら頷く。シルビは目を幾度か瞬かせ、俯き加減に呟いた。
「そう‥‥そうだね。何か‥‥うん。そうだったね!」
 笑って上げたシルビの顔、鼻の頭が少し赤くなっている。
「悪魔退治以上に、何か色んな事をしてもらった気がする。私頑張るから‥‥良かったら、皆、食べ来てね」
 雀の合唱が外に響く。太陽が街の隙間から、むっくり起き上がってくる。