●リプレイ本文
●(ある人にとって)越えられない人
「お客様、会場内への長物とペットの持ち込みは禁止と‥‥」
「この子はペットじゃないわ! 私の大事なクリ‥‥ウマ子よ!」
馬は仮面をしていた。参加者なのだから当然だ。
しかし守衛は頑と譲らない。なので、下に敷く藁の厚さからブラッシングの時間、飼葉の配合まで全部指定してきた。
そんな彼女の仮面は白い駿馬。腰の部分につけ尻尾までして完璧扮装だ。
「この会終わったら、絶対モルニェに文句言ってやるわ! ‥‥ん」
たてがみ‥‥否、首筋を刺すような不快感。クリスティーヌのレンジャーとして培った勘が、会場内に殺気を捉える。
「クリスティーヌ」
「何!?」
その気配に集中しようとした瞬間声を掛けられ、警戒を解かぬまま振り向く。刈り込んだ髭にオールバックの、貴族然とした男が立っていた。
まだ誰にも名乗ってない偽名を、言い当てた。
「気にするな、勘だ。それより、どこか落ち着いた所に行こう。この場所は目立ちすぎる」
これが殺気の主かと言う憶測は誤りだった。聞き覚えのある声、分かってしまえばただの知り合いだ。そして彼に会った事で、殺気に一つ心当たりがあることに気付く。
(「この私にケンカ売ろうってのね。いいわ、高――く、買ってあげようじゃないの」)
被り物の中のクリスティーヌのくぐもった笑いを、遠くから眺める殺気の主は、気付くはずもなかった。
●月と星の踊り子
銀の髪、青い瞳に白い肌、そして雰囲気まで、二人の踊り子は似通っていた。顔つき以外で違うのは身長、それに見合った体つきくらいだろうか。
好きな星や月の事、踊りの事。話せばきりがなく、時間が過ぎていった。
「レイナさんに会えてよかった‥‥自分、こんな場所に来たの初めてで‥‥少し不安だったんです」
少女は安堵の息をつく。レイナは妹のような少女に微笑んだ。
「もうすぐ踊りが始まるようですし、一緒に踊りましょうか?」
「あの」
不意に耳に入った若い男の声。フェイスガードを被った青年が立っている。少女は息を呑む。開会のすぐ後に、話しかけてきてくれた青年だった。青年は静かに少女の前に行き、手を差し出す。
「俺と踊ってくれないか」
誘われているのが信じられず、少女は途惑ってレイナを見上げる。レイナは、励ますように微笑む。
笑みに押されるように、少女は青年の手を取り、既に幾組かが踊り始めている輪に加わっていった。
「‥‥さあ、次の所に行きましょうか‥‥」
姿が見えなくなるまで見送って、レイナはどこか寂しげに歩き出そうとする。その瞳に、一人の男性の影が映った。
彼は迷うことなく進んでくる。微笑を湛えた彼の碧の瞳は、どこまでも清らかで、澄んでいて。
目の前に立った時、彼の真っ直ぐな空気はレイナの心を少し揺らした。
「自分と、踊っていただけますか?」
「私で、よろしければ」
レイナは微笑み、彷徨いの月の手を取った。
●異国の月
ダーナ・ヨーコは、一人の男の影を追って中二階に足を踏み入れた。ダンスの音楽が階下から響いてくる。
探し人は、すぐ見つかった。
細い窓から空を見上げる、黒尽くめのイアソンはの大きな身体は、階下の明かりの届かぬその場所に溶け込んでしまいそうだった。
ダーナはどれだけ探してもらえるものか、人遁の術まで使って変装していた。その背がどこか寂しげで、焦らせ過ぎたかな、とやや反省する。
故郷では、屋根の上で二人で良く見上げたものだ。
「星を、見ているのですか?」
声を掛けるとのそりと体が動いて、黒いマスクと笑いの余韻を残したような口元が向けられた。
「私も、星を見るのは好きです。どの場所でも、好きな人と一緒に見られれば」
ジャパン語ならいくつでも言い回しが思いつくものだが、慣れないノルマン語となればどうしても平易になってしまう。イアソンの顔に微笑が浮かぶのを見て、ダーナは自分の正体が知れたのを悟った。
『どれだけ壁掛けで壁を覆っても、石の冷たさは凌げるものではない。熱い茶でも飲んで暖まって貰おうと配り歩いていたのだが、ここで休んでいる内に冷めてしまった』
そう言うイアソンの使った言葉はジャパン語だった。
「‥‥随分、お優しいのですね」
猫舌なのを利用して、自分を探すつもりだったのだ。嫌がる事で正体を探ろうだなんて、少しデリカシーがないのではないか。こちらに気付いて最初の言葉がそれで、期待していた分ダーナは少々いらだった。
非難を込めて睨みつける。だが、その視線は逆に真正面から見据えられてしまって、ダーナは引っ込みもつかず視線を逸らせないでいた。
黒いマスクの向こう、確かめるような、いとおしむような、黒い瞳。
『烽火の瞳だ』
思いがけなく本名を出され、ダーナの顔に熱がこみ上げた。
いつもそうだ。イアソンの目は、いつも正直な色を宿している。
ダーナを本気で怒らせる裏心など、全く持ち合わせていないかのような。
『‥‥飲むか?』
伏せてあった碗を差し出すイアソンに、ダーナは顔を火照らせながら小さくうなずいた。
●運命的出会い、または運命的境遇
「あーっ、もうダンス始まっちゃったよう!」
奏で出した楽団に焦燥感を書き立てられながら、メイドちゃんはお目当ての人を捜し歩いていた。
メイドちゃんは今年でやっと年齢が二桁になったお年頃である。顔を隠した男女が語らう、優雅な夜会というシチュエーションにいるだけで、すでに夢の中を漂っているかのようだった。
(「本物の王子様って言うのは、格好だけじゃ駄目。滲み出る気品と、溢れ出る優しさを併せ持った、儚いぐらい美しくて、愛する女性の為なら命を賭して戦う人じゃないと!」)
少女の夢見る心は誰にも止める事が出来ない。
そのときメイドちゃんは見た。物憂げに壁に寄りかかる、王子様の姿を。
ユエの眉間にはちょっとばかし皴が寄っていた。
「四分の一は恋人同士と見たね‥‥なんか知り合いも多いし」
「知り合いって、さっきロバとか鼻血とか騒いでた一団かい?」
「‥‥触れないどくれ。今日は目の保養に来たんだから」
冒険に異性との出会いを求めるユエ。しかしまだ素敵な出会いもない彼女に、この夜会は願ってもないイベントなのだ。
シリィにとってダンスのような面倒事は、テーブルの隅でぼんやり眺めるのがいつものスタンスだ。しかしユエに勧められ、なし崩し的に連れて来られたのだ。
いや、違う。何事も自分が気にならなければ、動きなんかしない。
「なあに? 私とは踊れないってーの? ああん?」
雰囲気をぶち壊す罵声が音楽を割って響いた。聞き覚えのある声に、ユエは苦笑する。
「やってるやってる」
見れば、馬の被り物をした女性が、王子スタイルの男性の胸倉を掴み上げていた。それだけ見れば道化師の芝居か何かだ。
「あの王子様はいつもああいう待遇なのかい?」
「そうだねぇ。狙われるような事ばっかりするもんだから、自業自得だね」
「‥‥ふうん」
ユエの説明を聞くなり、シリィは王子と馬の方へつかつかと近づいた。
知らず、口元に笑みを浮かべて。
「そんな無粋な誘い方じゃ、王子様に嫌われちまうよ?」
シリィがマントを掴んで引っ張ると、王子はあっけなく後方へと倒れこんだ。まさか邪魔が入るとは思っていなかったクリスティーヌも、急な事に思わず手を離してしまった。
「う、ぐ‥‥」
何が起きたかわかっていないのか、倒れたまま王子はシリィを訝しげに見る。
「お姫様は王子様に助けられるもんだけど。王子を助けた俺は‥‥さて、一体なんだろうね?」
誰の答えも求めない疑問を呟き、腰に手を当てて見下ろしてやる。と、王子はみるみる顔を真っ赤にし――そして。
「これでまた汚名伝説が一つ増えたねぇ」
ユエは一部始終を遠巻きに眺めていた。この夜会が仮装夜会でなかったら、彼の名は恥ずかしい二つ名と共にパリ中に知れ渡った事だろう。
(「一応、良かったと思っといてやるかね」)
顔見知りな分、長居して下手に巻き込まれても厄介だ。ユエはこっそり後ろへと下がっていこうとして、誰かにぶつかった。何か硬い物が散らばる音がする。
「す、すみませんっ!」
ぶつかった相手は画家の仮装か、絵の具塗れの服を着た青年だった。転がった筆記用具を、必死にかき集めている。
「ったく、何謝ってんだか。ぶつかったのはこっちだよ?」
ユエは持ち主の青年よりよほど手際よくそれらを拾い集める。全てきっちり箱に詰めると、最後にはユエの手際のよさをただ眺める事しか出来なくなっていた彼に、まとめて手渡した。
「すみません、申し訳ないです」
やたら頭を下げる青年の顔は前髪で隠している‥‥と言うよりは、不精で整えていない感じだ。仮装にしては、生活苦がにじみ出ている風にも見える。
「男だろ、しゃきっとしなよ、しゃきっと!」
檄のつもりで背を叩く。驚いた青年はまた盛大に筆記用具を落とすのであった。
スノウはただ、目の前の吸血鬼に翻弄されていた。
「慣れないか、こういう踊りは」
「え、ええ‥‥村祭の踊りなら、よく踊るのですけど‥‥」
体で覚えた知識があれば、ある程度対応できるものと踏んでいたが、社交ダンスは基本からして違う。それに、スノウにはダンスの基礎以上に闘わねばならないものがあった。
今夜の夜会のために揃えて買った衣装。ドレスに合わせた靴は、履き慣れないせいか踵を刺激する。
ふいに、ミストが足を止める。自分の事に必死だったスノウは、たたらを踏みながら何とかぶつからずにすんだ。
見上げると、ミストは改めて、スノウの手をとり、ダンスの姿勢をとる。
「右足を、こっちに持ってくるんだ」
スノウが言われた通りにすると、ミストは次の動きを示してみせる。
「曲は気にするな。今は、流れを覚えればいい」
「ミストさん‥‥」
胸の鼓動が自分の耳にまで聞こえてくる。ミストは愛想の良い方ではない。だが、その言葉や行動の端々に、気遣いが見える。――安心できる。彼の黒いアイマスクの上、黒髪の神聖騎士の面影が重なる。
その想像をスノウは首を振って打ち消した。
(「警備ならともかく、アリオスが参加してるはずないわ」)
「どうした?」
「あ‥‥なんでもないですわ」
思わず顔を見つめてしまっていたことに気づいて、スノウは慌てて微笑んだ。
「そうか。ステップが分からなくなったなら、いつでも止まって良いからな」
(「ごめんアリオス。私、ダメかも」)
うっすらと微笑んだミストの微笑みに胸が満たされるのを感じながら、ゆっくりステップを踏み出した。
●見護りの夜
ラムダが扉を開けると、覗いたのは満天の星空だった。思わず扉をくぐって外へ出る。そこは館の中の渡り廊下で、壁も天井もなく、澄んだ星空が広がっている。
「‥‥本当は外まで出ようと思ってたったんだけど。会場に向かう途中、偶然見つけてさ」
モルニェ伯の屋敷はパリの街から少し離れたところに建っている。パリからモルニェ伯の馬車で通ってきた道が、星と月の光に照らされ、まるのまま見渡せた。
しかし少女はこの絶景に行き着くまでの行程を思い出す。
「‥‥でも、会場はもう一つ下の階ですよね‥‥?」
「あ、はは。こういう雰囲気は慣れないもんで、実を言うと、迷ってた」
上手く行かないよな、とフェイスガードの上から頬を掻いて呟くラムダに、少女はくすりと笑った。何だか、とても安心したのだ。
(「月みたいな人‥‥」)
そう思い、少女は黒い大空に再び目を遣った。大きな星も、小さな星も、濡れた雫のように儚げに空を濡らし、時々その黒い天板から零れ落ちていく中、月だけは煌々と大地を照らしてくれる。
「空に冷やされて、今日は月も綺麗‥‥」
「月、好きなのか?」
「はい。月も、星も、太陽も、海も。自然は、好きです。皆が見守ってくれて、私は一人じゃなくなるから‥‥」
孤独に、苛まれてきた過去。一人になると、どうしてもその事が思い出される。自然が自分を見守ってくれていると思ったからこそ、それでも少女は踊り、生きてこられた。
少女はラムダに、自然と同じ温かみを感じた。
他愛のない雑談に、二人は花を咲かせ――そして、東の空にうっすらと、紫色が射しはじめる。
●それぞれの閉会
朝日が昇りきる時、それが閉会の印。夜会の約束が解ける時。
レイナ、サーラ・カトレア(ea4078)は一人、会場を後にする。
「この出会いが、人生に彩を与えますように――」
イアソン、我羅斑鮫が本当はプレゼントを買うつもりだったと聞かされて、ダーナ、城戸烽火(ea5601)は驚いた。だが、持ち合わせが少なくて断念した事実を聞くと、なんとなく彼らしいと思ってしまい、やはり怒る気になれない。
「次の祭には、何か買ってくださいね」
さりげないおねだりに、斑鮫は小さく頷く。
ミスト、アリオス・セディオンが、スノウ、リサ・セルヴァージュ(ea4771)の正体を知った時、開口一番怒られた。自分を棚に上げて、いつもリサを子ども扱い。ちょっと遊び心を出せば注意ばかり。
でもそれは、何よりもリサを思っているから。
リサはそう思うことで、納得してあげる事にした。
アリオスの背中の温もりの中、リサはまどろみ始める。
メイドちゃん、ティズ・ティン(ea7694)が意識を取り戻したのは、紫闇、ヒスイ・レイヤードが去ってからだった。
王子様を見つけ、その後はほとんど何も覚えていなかった。ただ、優しい笑みを浮かべる口元と、ほつれた僧服だけが思い出されるばかりだ。
「メイドちゃんが大人になったら、また、一緒に踊ってくれるか?」
その声がいつまでも耳に残って。
きっと素敵な女性になろう、パリへの馬車に揺られながら、ティズは一人頬を赤らめた。
ルーチェ・アルクシエル(ea7159)はフェイスガードの下のランサー・レガイアを見た。しっかりと交わした握手に、この邂逅が最後にならないよう、心で祈った。
「女性に触れるまでもなく鼻血なんて、最短新記録ね〜。きっと下から見上げた構図に不謹慎な妄想でもドカバカ膨らんだのね〜」
クリスティーヌ、アルテミシア・デュポア(ea3844)は上機嫌であった。愛馬ウマ子、クリスティと再会できたからだ。
「あれだけロバとか鼻血とか聞いといて、ポーちゃんに絡むなんて物好きだねぇ」
ユエ、ルーナ・フェーレース(ea5101)がシリィ、チュリック・エアリート(ea7819)の顔を窺うと、不敵な笑顔が返ってきた。
「どれだけウブなもんか、ちょっと実験してみたかっただけさ」
本当にそれだけだ。自分の気まぐれは、それ以外に説明しようがないし、それで十分だ。
「アルテュール・ポワロ。また会う事があれば、これをネタに遊んでやろうかね」