●リプレイ本文
静かな森の中にひっそりと佇む、古びた井戸。
爽やかに木々を揺らす風が、カオル・ヴァールハイト(ea3548)の髪をなぶっていく。腰のロングソードの柄に手を掛け、鋭い目つきを井戸に寄越す。
井戸の中には悪魔が潜む。それを斬り捨てるが彼女の役割だ。
暗き奥底の悪魔の気配を辿るように、静かに集中を続ける彼女は物語の中の英雄のようにも見え――しかしそんな彼女の周囲には、緊張感のない穴ぼこがいくつも開いていた。
「ああ、労働は楽しいな。フィア、これを頼むぞ!」
「‥‥ずいぶん張り切ってるのね」
フィル・フラット(ea1703)は掘った土を布にくるむと、喜々として穴の上にいる妹、フィア・フラット(ea1708)に呼びかけた。木漏れ日を浴びて兄のうきうきした笑顔は殊更に輝いて見える。対するフィアの心は優れない。
「いつもこういう仕事は面倒臭がるくせに」
「穴を掘る。逃げ出した悪魔が引っ掛かる。俺の素晴らしい罠ににっちもさっちも行かなくなって命ごいする。すると1Gなくして願いが叶う。こんなにお得なら張り切るのも当然だ」
「で、何をお願いする気」
「そりゃ勿論、美人でナイスバディな恋人を‥‥」
フィアの言葉は最後まで紡がれなかった。無表情のフィアがロープを握っていた手を放したのだ。先に結ばれていた布から土が溢れ、フィルに降りかかる。
「‥‥そんな事だと思った」
「待て! フィア、冗談! ほんの冗談だって! これ以上は‥‥俺、生き埋められるから! 頼む、お願い、止め‥‥わぶっ!?」
「冗談を言う前に真面目にやりなさい!」
「あんた達、何遊んでるの。アルフレッドを見習いなさいよ」
二人から少し離れた茂みの中で、レオンスート・ヴィルジナ(ea2206)とアルフレッド・アーツ(ea2100)は作業していた。レオンスートが購入してきたトリモチなどの罠を仕掛けているのだが、あいにく詳しい人間がいなかったので一つ取り付けるにも試行錯誤しなくてはならなかった。それでもアルフレッドは文句一つ零さず、やれる事を一生懸命やる。
「もうちょっと‥‥ロープ、引っ張れる?」
「ああ、御免なさいね」
レオンスートが手前に引っ張ると、低木と低木の間に渡したロープはたるみなく張られる。と、アルフレッドが結んだはずの結び目が、するりと抜けてしまった。
「あ、あれ‥‥?」
アルフレッドは両手でロープの先を持って首を傾げる。もう一度結ぼうとするが、慌てているのか、どんどん変な形にこんがらがっていく。
「いいのいいの。落ち着いてやんなさい」
低木の周りをちょこまか飛び回るシフールの動きは、なんとも言えず愛らしい。本人にはちょっと悪いかしら、と呟きつつ、可愛いもの好きのレオンスートはその姿を楽しそうに眺めていた。
ルシエラ・ドリス(ea3270)は近くに落ちている石を拾い集めてきていた。つぶて大から拳大まで、あらゆる大きさの物が転がっている。土地勘が利くお陰で効率よく運んでくる事が出来、石は小山をいくつか作っていた。
「ふぅ。集めるだけでも結構大変ね」
力仕事に慣れないルシエラの手は、土で汚れてひりひりと痛んだ。しかし、なるべく早くこの傍迷惑な井戸を何とかしたい。休むのもそこそこに石を探しにいこうとしたルシエラの目に、『岩』とも言えそうな重そうな石を持ってノリア・カサンドラ(ea1558)が帰ってきた。
「これなら流石にびっくりして、悪魔だって出て来るよね〜」
ノリアが手を離すと、小さな振動と鈍い音を響かせ、岩が井戸の脇に落ちる。ルシエラの石の山の一部が音を立てて崩れた。
「平気?」
「ふっふっふー。クレリックだからって甘く見てもらっちゃ困る!」
ノリアは常の冒険でもメイス片手に率先して前へ出る。目指せ『殴りクレリック』な女性だ。
「ふふ、私も負けない様に、頑張らなくちゃ」
健康的に笑って見せるノリアにルシエラは屈託の無い笑みを返し、二人は再び森に足を向ける。
冒険者達がそんな地道な作業を続けて半日少し。日が傾きかけた時、やっと全ての準備が整った。少々疲労の色も伺わせる冒険者達だったが、いよいよ作戦実行の時を前に、気力は回復しつつある様だった。井戸をぐるりと取り巻くと――手に手に石を持った。
そしてめいめいに頷きあってどこか意地の悪い笑みを浮べ、一斉に石を井戸へと投げ落とした。
「人に害なす悪魔の井戸なんか、埋めちゃえっ! そりゃー」
こうして井戸を埋める振りをして、まずはアガチオンを外へおびき出すのだ。ノリアは喜々として大きい岩を投げ入れる横で、分相応の石をルシエラは落としていく。
「悪魔に叶えてもらうより、私の占いに頼った方が確実に実現するしね」
石が空を切る音が次々に遠ざかり、土に当たる音が返って来る。
「枯れ井戸なのですね。水があったら後で綺麗にしなればと思っていたのですが‥‥思う存分壊して良さそうですね」
フィアは幸運を神に感謝し、小石を両手ですくっては落とす。
「ならどうせ油まいて火に掛けちゃいましょ。そのほうが手っ取り早いわ」
本気とも冗談とも付かない提案をしつつ、レオンスートもノリアに負けじと岩を投げていく。
「えい面倒だ。これも入れてしまえ!」
フィルは落とし穴の残り土をわき目も振らずにぶち込んでいる。
カオルは午前と同じように、ずっと柄を握り締めているが、肝心の悪魔はまだ現れる気配はなかった。
もしかして底で潰れたか? 冒険者達が微妙に気にしたその時。
「ぎゃぴぃぃぃぃぃっ!」
鼓膜に障る甲高い悲鳴と共に、小さな影が飛び出した。網の目が大きすぎてすり抜けてしまった。丁度アルフレッドと同じぐらいの背丈で、頭にダーツが突き立っている。
「あ」
当たるとは思っていなかったのか、石を投げ落とす皆の上からこっそりダーツを落としたアルフレッドは驚いたように目を瞬かせていた。
「逃がさんぞ」
影を確認すると同時にカオルは動く。鋭い一薙ぎがアガチオンの背後を捉え、赤い一文字を刻み付ける。
「いたいいたいいたい」
肉を裂く手応えを、確かにカオルは感じる。アガチオンはよろめきながら、冒険者達の仕掛けた罠の方へ近づいていく。
(「今だ‥‥!」)
フィルは低く身構える格好から勢い良く剣を振り上げた。剣圧は鋭い真空の刃となり、アガチオンを狙う。後ろを振り向かないままにアガチオンはひらりとそれを避ける。だがこれはフィルの目論見の内だった。
どうせ避けられるなら無理には当てない。ソニックブームで逃げ場をなくして罠に誘い込むつもりなのだ。
しかし、アガチオンは落とし穴を綺麗に跳び越して、向こう側に着地する。
「ここ土のイロ違う。マル分かり、マル分かり」
「俺の最高傑作なのに!」
アガチオンのお世辞にも可愛いと言えない顔が、フィルを嘲って歪む。
「だからもっと真面目にやりなさいって言ったのよ!」
フィアが兄をたしなめる僅か前、彼女は神に魔滅を祈った。聖なる祈りが神の力を顕現する。聖なる十字架の首飾りを中心にフィアの身体が白く輝き、光に驚いたアガチオンはぴょんと飛び跳ね森の奥へ逃げ去ろうとする。
そして光は、何事もなくそのまま収束する。
「‥‥神よ!」
「ちゃんと真面目に祈ったのか!?」
口では軽口を叩きつつ、しかしアガチオンを逃がすまいとフィルは退路に回りこもうとしている。同時にルシエラの詠唱が力に変わる。
「行かせない!」
ルシエラが手をかざした、その向こう。アガチオンの鼻の先に巨大な石壁がそそり立った。良くよく見れば、それが揺らめく蜃気楼である事は分かるのだが、突然の事にアガチオンは驚き、急停止しようとする。しかし今まで走っていた勢いを殺す事が出来ずに後ろによろける。
「大人しくなさい!」
回りこんだレオンスートが大きく剣を振るう。切っ先はバランスを崩したアガチオンの腕先をえぐり、剣の勢いに押されるまま、悪魔はさっき飛び越したばかりの落とし穴に落ちていった。
「あちゃー、終わっちゃったよ」
メイスを肩で遊ばせながら、レオンスートの後についてきていたノリアは少し不満げに呟き、穴を覗き込む。アガチオンは、穴の底に仕掛けられていたトリモチを全身にくっつけてもがいていた。しかしノリアと視線が合うや、大きな瞳を潤ませて媚びるような仕草をする。
「あんたがそんな事したって、ぜんっぜん! 可愛くないのよ!」
「そんなコト言わないで。おネガイ、一つだけ叶えるから。助けて」
今にも止めを刺しかねないようなレオンスートの殺気が、その言葉を聴いた途端嘘のように溶け消えた。
「‥‥そーねぇ‥‥丁度この間見たクマのマスコット‥‥柄に下げるとカワイイかもーって思ってたんだけど」
などと真剣に考え始める。隣で沈黙を保っていたカオルが、『マスコット』の単語にわずかに反応を見せたのは気のせいだろう。
「でも‥‥本物のクマが来たり、使えないくらい重たいのだったり‥‥するかも」
レオンスートの肩に止まって、アルフレッドが考え込むように首を傾げる。
「そんな事ないヨー、ボッチャン!!」
「そもそも願い事は他人に叶えてもらう魔法じゃなくて、努力した人に起こる奇跡な訳だし」
ルシエラはにっこりと微笑みながら、右手に陽魔法の印を形作る。
「キミはいらないかな」
「まあ待てよ。折角の機会をみすみす潰してしまうこともないじゃないか」
ルシエラと落とし穴の間に入り、フィルはアガチオンを庇うように両手を広げた。フィアはその瞬間、準備中の兄の楽しそうな姿を思い出す。
「まさかこの期に及んで美人のナイスバディを‥‥」
「だからあれは冗談だって。そうだな、お前さんが今まで旅人を騙くらかして集めた金を渡してもらうってのはどうだ」
「いいかも知れないわね。それで持ち主に返せれば良いし、駄目でも教会や修道院に寄付するって手もあるわ」
「石とか一杯あって‥‥もう拾えないもんね」
「俺は1G悪魔に払う様なダメ人間より、人の為になりそうな後者を推すがね‥‥どうだ?」
レオンスートとアルフレッドの賛同を得て、フィルはアガチオンを覗き込む。アガチオンは必死の顔で何度も何度も頷いた。
「でもそれじゃ、コイツ願いを叶えた後また悪さするかも知れないよ? ここはビシッと、二度と人前に現れるな! って言っといた方がいいんじゃない」
鬼のような形相で、ノリアは穴を見下ろした。アガチオンは竦みあがって、おずおずと言い返してきた。
「ネガイは一つだけ。どっちもダメ」
「ではこうしてはいかがでしょう?」
フィアは懐から羊皮紙を取り出す。見ると一行目に『誓約書』と書かれており、アガチオンは二度とこの様な悪さをしない事なる旨の文章がしたためられている。
「悪魔に願い事をするなんて、聖なる母に仕える身としてあってはならない事ですから‥‥こういう形にしてギルドに渡せば依頼達成の証にもなりますし」
フィアは自分の荷物から筆記用具を取り出し、空いている所にフィルとノリアの『願い』を書き足して、『以上を誓約する。一つでも破った場合は、冒険者に滅ぼされても文句は言えない』と締めくくった。これなら『誓約書を守る』と言う願いが『全ての願い』を叶える事になる。
「そんなァ!」
哀れなアガチオンは抗議の声をあげる。だがその瞬間、その首筋に鋭い切っ先が当てられた。いつの間に降りて来たのか、カオルがアガチオンの横に立っている。
「この『誓約』を受け入れぬならば、お前はここで果てるのみだ‥‥」
結局生き残る術は一つしかないのだ。アガチオンはカオルに切っ先を当てられながらトリモチを取り除いて穴から這い出た。そして冒険者全員の前で、むせび泣きながらインク壷に手を浸すと、サインの代わりに手形を捺した。
すると井戸がぱっと輝いて、中から十数枚の金貨が飛び出した。‥‥岩が当たったせいか、ことごとくひしゃげているが。
「うーん‥‥まあ‥‥使えないことはない‥‥よな」
「妙な術をかけたのではあるまいな?」
カオルが睨みつけると、滅相もないと悪魔は首を振る。信用は出来かねるが、証拠もない。アガチオンは無言の追求から逃れるように慌てて立ち上がった。
「んじゃっ、オレ消える! 二度と人前でこんな悪さしないヨ!」
早口でそう告げて、まだトリモチのべたつく身体で森の奥へと走り去っていった。
その後、井戸は念の為、二度とアガチオンが潜めない様に壊して埋めてしまったのだが、それでも消えない一抹の不安を感じつつ、冒険者達はひしゃげた金貨と共に、一路パリへと向かうのであった。