●リプレイ本文
飛刀 狼(ea4278)の目の前で小さな枝が、どこからともなく吹くそよ風に揺られている。懐から細長いリボンを取り出し、その先端に折れないように、しかし外れない程度にはしっかりと結びつける。
「‥‥っし、こんなもんかな」
母国語で満足を現すと、今度はゲルマン語で呼びかける。
「エレア、目印に結んだリボンは見える?」
「ええ、右手の方に」
「東じゃな」
エレア・ファレノア(ea2229)がテレスコープを使って確認した事を、リサー・ムードルイ(ea3381)が地図と見比べてメモを取っていく。狼の言う『木』と言うのは、地図に目印として描かれた巨樹の事だ。
冒険者達が森に入って二日目になる。リサーらが危ぶんだように、森は鬱蒼と茂って道らしき道もなく、太陽はほとんど遮られて視界も悪い。下手に森の知識に頼ると迷う危険性を孕んでいた。
そんな場所に踏み入る冒険者達に与えられたのは、後にも先にも地図一枚。少しでも不安を除く事が出来ればと、森の事を知っていそうな人間に情報を求めたが、依頼人の修道士には詳しく知らないと言われ、以前依頼を受けた冒険者にはのらりくらりと質問をかわされてしまった。
警戒して進みすぎたのか、最初の目印が見つからずに出だしで躓いてしまったが、昨日の夕暮れ時にクリスが『村の近くに生えてる巨樹』を見つけてからは、現在地と木の方向を確認しながらようよう確実に進んでいた。エレアの遠視や、シフールのエル・カムラス(ea1559)が森の上まで飛んで見てきた報告が確実性を増していた。
周囲を見回していたエレアの表情がわずかに曇る。
「進行方向の茂みの動きがおかしい‥‥何かいるようです」
「どうする、戦うかい?」
ずっと周囲を警戒していたリースト・オーストラフ(ea4954)が、ダガーの柄に手をやるが、ウォルフガングは首を横に振った。
「あっちが気付いてないなら避けていけばいい。俺達から持ちかけて森がどうにかなってみろ、エルフ達の心象を悪くする‥‥ぞっと!」
「うわわわっ?」
目の前を横切ろうとしたエルの首根っこを捕まえて、ウォルフガング・ネベレスカ(ea4795)は後方へと投げ飛ばした。きりもみ旋回しながらも青い筋の入った羽を羽ばたかせて、何とか持ち直す。
「何々? 何があったの?」
自分の身に起こった事が分からず、きょとんとするエルに、ウォルフガングは手で茂みを掻き分けてみせる。エルが行こうとしていたその方向には、巧妙に隠されたトリモチ付きの竿があった。
「俺より前に出るなと何度言った? こんなモンにくっついてみろ、二度と飛べなくなるぞ!」
「ゴメン、でも、この匂いがどこから来てるのか、どうしても気になるんだよ〜」
エルは小さな鼻をひくひくと動かすと、蜜のような甘い匂いが感じられた。森に入って最初に気付いたのは、匂いを嗅ぐ癖のあるソフィア・ファーリーフ(ea3972)で、森林の爽やかな薫りと共にこの匂いが広がっているのだった。かと言ってどこかに花畑がある訳でもない。少なくとも、迷いながら進んだ行程では見つからなかった。
「ボクもこの匂いに、森の真実が秘められているような気がする」
エルに倣って匂いを嗅ぎながら、吟遊詩人のクリス・ラインハルト(ea2004)は腕を組んで考え込む。
「森の大体のイメージは沸いてきたけど‥‥この不思議な匂いの元を突き止めれば、もっといい詩が出来ると思うんだよね」
「そうそう!」
すかさず同意しつつ、エルが再びフラフラと匂いの元を探しに行こうとする。ウォルフガングはまた捕まえようと手を伸ばして、周りの空気に違和感を感じた。
ウォルフガングは違和感で済んだが、中にはそれだけに留まらぬ者もいた。狼やリースト、ソフィア、エレアは、森がぐにゃりと曲がって、その造りを瞬時に変えたような感覚に囚われた。
「その手は通じないぞ!」
フォレストラビリンス。森に入ってもう何度か掛けられている。狼は焦ることなく自らのオーラを高めると、気合一声、薄い桃色の光とともに、精神の迷いを弾き飛ばす。
「もう少しだって言うに‥‥だからこそ妨害の詰めと言う訳か」
落とし穴を見つけて、ウォルフガングがうんざりしたように呟く。
「おい小僧。確か狩りをした事があったとか言ってたな。魔法の範囲を出るまで、嬢さん達がはぐれないようにしてやれ。俺が罠を見つけるから、嬢さん達を引っ掛けさせるんじゃないぞ」
「‥‥小僧って呼ぶなよ」
ウォルフガングの物言いは荒々しく、狼はいらついたが、良く考えればいつも的確な判断を下している。それが森を抜ける最短の方法ならば、やり通すのみだ。狼はソフィア達の手を引きながら、ウォルフガングの広い背を追った。
ウォルフガングと狼の先導のお陰で罠と魔法の妨害を抜けきった冒険者達を迎えたのは、年老いた長老と呼ばれるエルフと村人達だった。長老はウォルフガングの持っていた、修道院製の工芸品を確かめてハーブとの交換を請け負うと、一晩宿泊するように勧めた。その間にハーブを取りに行くというので、代表としてリサーが同行することになった。
「そういえば‥‥森の中のあの甘い匂いの元って、一体何なんですか?」
村人達が村の広場を使って食事の用意をしてくれている間、その様子を見ていた長老に、ソフィアは問いかけてみた。実際の所、気付いてから正体が気になって仕方がなかったのだ。
うずうずと迫るソフィアに、長老が返した答えは意外なものだった。
「ハーブじゃよ。あんたらが修道院の方から頼まれておる」
「凄い‥‥あんな香りのハーブは初めてです。薬用と言うから、ミントのような物だとと思っていました」
「お詳しいようじゃな。我らはよう知らんのじゃが、煎じて薬湯にして飲むとか言うておったよ」
長老は客人に対する、穏やかな笑みを向ける。ハーブという共通の話題なら、お互い歩み寄れるかと思っていたソフィアだったが、エルフ達は系統立てた学問としての薬草の知識は持っていないようだ。いまいち縮まらない距離を気にしながら、ソフィアは次の言葉を選ぶ。
「そうなんですか。それにしても森中で匂いがしてましたけど‥‥どこで育てていらっしゃるんですか?」
これには長老は意外そうな顔をし、やがて得心したように頷いた。
「我々は緑の無い、切り開かれた場所でそうするように、草木に働きかけるようなことはせぬよ」
「‥‥なるほどねっ」
いつの間にいたのか、二人の間でじっと話を聞いていたクリスが立ち上がり、エルがひらひらと夜空に舞い上がる。そして二人で焚き火の近くまで駆けていくと、軽やかに一礼する。
「ボク達は旅の吟遊詩人。お近づきの印に、この森で出会った色んなものを歌にしてみました。いま、長老さんのお話を聞いて完成した詩です‥‥よろしければ、聞いてください!」
どちらともなく拍子をとって、二人は『森の詩』を歌いだした。たまたま二人とも笛しか楽器を持っていなかったので伴奏はない。しかし、時に草木の音を、時に鳥の囀りを表現する、調和の取れた二人の歌声は、さわさわと夜風に鳴る木々のざわめきに溶けていく。
(「だって、この村の人とも仲良くなって『また来てもいいぞ』って言ってもらいたいもん」)
クリスの思いはそのまま声となって、村に響き渡る。最初は不審気だった村人達も、耳を傾け、聞き入る仕草を見せ始める。
エレアは詩のテンポを図って焚き火の前に出ると、踊りを始める。それもまた、素朴ながらも森と木々の堂々たる大きさを語るような、見て心休まるものだ。遠くビザンチンに生まれた彼女は、心を伝えるべきこの地の言葉が拙い。
(「せめてこの踊りで、私の気持ちを伝えられれば――」)
エルフ達への友好の情を乗せた芸は、いつしか香草料理の良い香りと手拍子に包まれていった。
他方、焚き火から離れた村と森の境。明かりはなく、自分より数メートル先はほとんど見えない場所で、リーストはじっと佇んでいた。あまり動いてエルフたちを警戒させてもいけないと考えたこともあるが、何よりも帰りの為に必要な事だった。やがて足音が近づいてき、周囲を窺いながら鉢植えを抱えたりサーが現れた。
「エレアは、まだ踊っているみたいだけど?」
「うむ、エルフ達の気がエレア達に向いている間に、リーストにだけでも渡しておくのじゃ」
リサーは言って、鉢植えの片方をリーストに差し出した。みずみずしい、ほっそりとした草が、甘い香りを放っている。
「エレアにはまた折を見て渡せばいいか。分かった、預かろう」
その時リーストはかすかな異変を感じた。気付いた瞬間、刺さるほどに痛い空気となって膨れ上がっていく。
――殺気!
「動くな!」
反射的にダガーを抜こうとしたリーストに、鋭い声が掛かる。森の闇の向こうから、弓を番えたエルフ達が姿を現し、いつの間にか二人を取り囲んでいた。
「何をするつもりだった」
「済まない。それは‥‥」
リーストは言いよどんだ。まさか本当のことを言う訳には――
「おぬしらが儂等を帰した後、ハーブを持つ者を重点的に狙うのではないかと思うたからじゃ」
「リサー‥‥!」
「何も遠慮する必要はないのじゃ」
弦の絞られる音にも臆せず、リサーは声を上げたエルフを真正面から見据えた。
「本当ならもう少し綿に包んだ言い方をするつもりじゃったがのう。この際はっきり言わせて貰うのじゃ。儂等エルフは他の種族に比べ長く時を生きる者。それ故、外と言う新たな存在を受け入れる事への恐怖する。気持ちは分かるがの、それ故、逆に他の者達を教え、導ける立場にもなり得るとは思わぬかえ? かように警戒心を抱かせてばかりでは互いのためにならぬ。もう少し、外を受け入れてみてはどうじゃ」
リサーの声はエルフたちの沈黙の中、森に木霊せん程に響いた。殺気が冷ややかな空気に溶けていく。その余韻すらなくなった頃、エルフ達は静かに弓を下ろした。
「我々が外を嫌うのは、外の者が必ずと言っていい程、森を我が物にしようとするからじゃ。切り開き、道を作ろうとし、草木を持ち帰ろうとする。我等は森の恵みに育まれておる。我々はそのことを理解せぬ者に、森の恵みをつこうて欲しくないだけじゃ」
長老がリサーの背後で静かに語った。歌が終わったのか、他の冒険者やエルフも集っていた。
「あんた方は木を打たず、草を穢さず、森に敬意を払って下すった。そのような方に余計な警戒をさせていたのであれば、我々は謝罪せねばなるまい」
「いや、こちらも少し誤解があったようじゃ」
無闇やたらに森の外の者を嫌う訳ではないと知り、リサーは頭を下げる。ふいに気になって、リーストは長老に尋ねた。
「もし、外の皆が森へ注意したら、もう少し交流してくれるのかな」
長老は皺の刻まれた顔を、寂しく微笑ませて答えた。
「‥‥さあ、な」
日の出と共に、冒険者達はエルフの集落を後にした。長老は詫びの意味も込めて一人のエルフに近道を案内させることを申し出たが、狼が目印に使ったリボンを回収して帰りたいと言い、エルフの案内の下に行きの道を戻る事になった。罠などの場所は避けて通れたので行きよりは早く森を抜けられたものの、それでも修道院に帰り着くまでの時間は、平均よりも長くなってしまった。
はじめは心配そうだった修道士も、鉢植えを見るや驚いたような笑みを浮かべる。
「これは凄い。今までのどのハーブより元気がいい」
「ソフィアさんがグリーンワードでしょっちゅうこの子の機嫌を窺ってくれたし、エレアさんやリーストさんも、なるべく森と同じ環境になるように、一生懸命世話をしてくれたしね」
案内してきたエルフは、帰り道での冒険者がいかにハーブや森に気を遣ってくれたかを、嬉しそうに報告する。
「貴方達なら、何度でも森に来て欲しい所だけど‥‥長老の意向だからね。きっと来年も新米の方にお願いすることになる‥‥かな」
「どういう事?」
エルフの奇妙な言い回しが気になったクリスが説明を求めると、エルフは申し訳なさそうに首をすくめた。
「実はね、長老は昔冒険者をやってた事があってね。ハーブを貰いに来させるって名目で、ギルドに新人の育成の場を提供してるんだ。つまりこの依頼がそうだって訳」
「え‥‥」
「でも森を守る気持ちも、外の人をあんまり好きじゃない事も嘘じゃないよ。依頼を通して皆に森の大事さを分かって欲しいって言うのもあるんだ。だから、もしも来年担当する人に何か聞かれても‥‥このことは内緒にしておいてね?」
クリスは酒場で前回の冒険者にはぐらかされた事を思い出した。今思えば、何か隠し事があるような、微妙な表情を浮かべていたような気もする。
「君たちは立派に依頼を果たしてくれたよ。このハーブで、今までで最高の薬湯が作れそうだ」
真相を聞いた今では、修道士の喜びの言葉も嬉しいような、釈然としないような。
ともあれ、依頼は成功した。来年の冒険者達に胸をはれ、そして真相は隠し通せ、冒険者達!