●リプレイ本文
●始まりは冒険者酒場シャンゼリゼ
イェン・エスタナトレーヒ(eb0416)がその噂を耳にしたのは、パリの冒険者酒場でだった。
酒場の片隅で、初老のエルフの男性が『宝の山を見てみないかね?』と冒険者に呼びかけていたのだ。
話を聞いてみるとなんでも図書館の雨漏りで大切な書物が濡れ、その本の写本の依頼が冒険者ギルドに出ていたらしいのだが、人手がとにかく足りないらしい。
「ふぅん? 本の写本ねえ。面白そうじゃない。いいわ、呼びかけに答えましょう」
「行くダか?」
楽しげなイェンに独特な口調が印象的な風部笑鬼(eb2703)が尋ねる。
写本の必要な破損した本に書かれているらしいゲルマン語もラテン語もあまり得意ではなかったが、イェンが行きたいのなら自分もついて行こう。
風部はいつものようにイェンを肩に乗せて、問題の図書館へと赴くのだった。
●図書館で〜雨漏りとお天気と〜
「皆様、よく来てくださいました。お待ちしておりましたのよ」
図書館に着くなり、依頼人のマルグリットがあたふたとしながら玄関から飛び出してきた。
手には羊皮紙が握られている事から、きっと写本の途中であったのだろう。
「はじめまして。白のクレリックのウェルス・サルヴィウスと申します。どうぞよろしくお願いします」
「初めまして、皆さん。僕は火のウィザードでヴィクター・ノルトと言います。やっぱり本は大切だよね」
イェンや風部と同じくやはり酒場で図書館の噂を聞きつけてきたウェルス・サルヴィウス(ea1787)とヴィクター・ノルト(eb2440)も集まり、冒険者達はマルグリットに図書館の中に案内される。
問題の本達は、図書館の奥のさらに奥、まだ整理されていない本を一時的に保管する書庫に移されていた。
(「随分ありますね‥‥」)
思ったよりも多く雨に濡れて傷んだ本を前に、ウェルスは心を痛める。
庶民には到底手の届かない高級な書物がこのように悲惨な状態になっているのは見るに忍びない。
今でこそ修道院で本に触れる機会が増えたとはいえ、孤児院育ちのウェルスにとって本は高嶺の花だったのだから。
「ねえ? 雨漏りはどうなったの。もう修復済みかしら?」
ウェザーフォーノリッヂで6時間前後の天候を調べていたイェンが柳眉を顰めてマルグリットに尋ねる。
「いいえ。そちらもまだなんです。これ以上大切な本が濡れる事の無いように雨漏りのある場所の本は全て移動させたのですけれど」
「‥‥不味いわね。雨、来るわよ?」
窓から空を見上げて碧の髪を気だるげにかきあげる。
今は青空でも、6時間後には雨になる。
「まぁ、どうしましょう?」
「おいらが行くダ。大工仕事はしたこたねぇだガ、雨漏りを防ぐ程度なら見よう見真似でなんとかなるべ」
「あなた、大工道具は図書館においてあるかしら?」
「えぇ、こちらです。大分古い物ですけれどまだ使えるはずですわ」
「かまわねぇダ。んだば、ちょっくら借りて行くべ」
マルグリットから大工道具一式を借りて、窓からひょいひょいと壁を伝って屋根に飛び移る風部。
軽業師ならではの身軽さだ。
「雨漏りの方は風部さんに任せておけば大丈夫そうだね。僕達は早く写本に取り掛かりましょう」
「そうですね。量も多い事ですし、一冊でも多く書き写しましょう」
●写本開始
「こちらとこちらは聖書ですね。1、2‥‥5冊ですか。ラテン語なら任せて下さい」
テーブルの上に移した濡れた本の中から常日頃より見慣れた聖書を手に取り数えて、ウェルスは微笑む。
予想よりも傷んだ本が多かった為に依頼期間中に全ての本を書き写す事は困難に感じられたのだが、聖書であればかなりの速度で書き写す事が出きる。
(『天地を造りあげた創造の神が去り、現世には三神とその眷族が残された――』)
聖書の一文を思い浮かべ、マルグリットから借り受けたペンで羊皮紙に慣れた手付きで写本する。
「普段は余り見ることの無いような本にこうして出会えることは、やっぱり役得だよね」
ウェルスの隣では、ヴィクターが前々から興味のあった美術や商業関係の本を選んで写本をしだす。
濡れて傷んでいるとはいえ、貴重な本が読めるというのはヴィクターの知識欲を刺激して止まない。
自然と写本する手にも力が入る。
静かな図書館にカリカリと写本する音が響き渡る。
そうしてほどほどに時間が過ぎた頃、
「うーん。シフール用のペンは無いのかしら? これじゃ書きづらくって仕方ないわ」
人間サイズのペンを半ば抱えるようにしながら写本していたイェンが肩で息をしながらぼやく。
当然の事ながら写本はマルグリットやウェルス、そしてヴィクターに比べて遅々として進んでいない。
「ごめんなさい。当図書館ではシフールの方は勤務されていなくて、いまイェンさんが使われているペンが一番軽くて小さいんです」
「仕方ないわね。まぁなんとでもなるでしょ。このペンで我慢するわ。でも少し疲れたから休憩にしない?」
言われてみればそろそろお昼時だ。
休憩を入れても良い頃合だろう。
「そうですわね。そろそろお昼にしましょうか」
マルグリットがそういって立ち上がると、丁度タイミング良く雨が降る前に屋根の修復を終えて風部が戻ってきた。
「なんとか修理できたダよ。ん? イェンはまたサボっているダか? ほれ、ちゃっちゃとやってしまうべ」
テーブルの上でペンにもたれかかるようにして休んでいるイェンをみると、やんわりと急かす。
「またってなによ? 人聞きが悪いわね。少し休んでいただけよ」
「丁度今から昼食にしようとしていたところですよ」
「そうだったか、すまなかったべ。そんだば昼食の用意を手伝うべさ」
「僕も手伝うよ」
大工道具をちゃきちゃきと片付ける風部に、ヴィクターも賛同する。
「じゃあ私の保存食も上手く加工してもらえないかしら? 街中にいるというのに保存食ばかりでは味気ないわ‥‥」
「自分で作るべきダべ?」
「いやあねぇ。たとえ自分に技術があっても作って貰ったほうがステキじゃないの食事は。誰かに作ってもらえた食事は愛情がこもる分美味しくなるんだから」
「確かにそうですわね。では皆様のお食事を愛情込めて作らさせて頂きますわ」
マルグリットが微笑みながら全員分の保存食を受け取り、風部とヴィクターを連れて厨房へと消えて行く。
ウェルスも手伝おうとしたのだが、厨房がそれほど広くはない為に断わられ、料理が出来るまでの間に聖務であるセーラ神への祈りを捧げることにした。
聖書を見ずに朗読するウェルスを興味深々に見つめるイェン。
目線に気づいて祈りを中断するウェルス。
「どうしたの?」
「‥‥あの、恥ずかしいんですが‥‥」
ウェルスの勤める修道院は女人禁制である。幼少期を過ごした孤児院では女の子もいたのだから女性にまったく免疫が無いわけではなかったが、それでもイェンのように魅力的な少女に間近でじっと見つめられると恥ずかしい。
「あら、私のことは気にしないで祈りを続けてよ」
「しかし‥‥」
頬を赤らめて言い淀むウェルス。
フフッと小悪魔的に笑うイェン。
そうこうしているうちにマルグリットの手作り料理が出来上がり、保存食とは思えない美味しい食事を済ませて再び写本を進める一同。
イェンの提案で程々に休憩をいれながらの作業は疲れが溜まり辛く、集中力も維持しやすい為にとても作業がはかどった。
休憩時間では、「本の内容を教えて貰えねえダか? 単純に本とか興味あるダが、オイラは複雑な文章とか読めないダでこういう機会に読んでみたいダよ」という風部に、ウェルスがラテン語を、ヴィクターがゲルマン語の本を読み聞かせる。
すぐに言葉を覚える事は出来なかったが、それでも風部は楽しそうだ。
●エピローグ〜本の守り神〜
最終日。
予定よりも早く写本が終わりそうだと判断したヴィクターは、写本する必要の無い本までこっそりと書き写し、写した本はマルグリットに寄付をする。
本当は持ち帰りたい所だったが、ぐっと我慢した。
なぜならヴィクターは予備の羊皮紙などは持ってきておらず、マルグリットが用意した羊皮紙に書き写したからだ。
本ほど高価ではないが、羊皮紙代も馬鹿にならない。
こっそり持ち帰ったら犯罪だ。
貴重な本に収められた知識を垣間見る事が出来ただけでもまあよしとしよう。
全ての写本が終わり、マルグリットの手によって羊皮紙は本へと纏め上げられる。
その新しい本を本棚に移しながら、ウェルスは尋ねる。
「こちらの濡れてしまった本は、どうなさるのでしょうか? もし処分されるのであれば、買い取らせては頂けませんか?」
「まぁ、こんなに傷んでしまった本をどうなさるのですか?」
「勉強をしたくても本を買ったり図書館に行ったりする余裕のない方や、孤児院などにお届けたいと思います」
傷んでいるとはいえ、まだ読むことは十分に出来る。もしこの本達を孤児院に届ける事が出来たなら、孤児院の子供達はどれほど喜ぶ事だろう?
「素敵ですわね。えぇ、こちらの本は処分する予定でしたから、ウェルス様に差し上げますわ。それと、先ほどヴィクター様に書き写して頂いた本も随分ありますから、古い方の本は皆様に差し上げますわ」
濡れた本と、ヴィクターの書き写した数冊を冒険者に手渡すマルグリット。
風部はイェンの分の本を受け取りながら、
「そういえば、酒場で見たあの老人はどうしたんダべ。てっきり、図書館にいると思っていたダ」
酒場で見たきり、依頼期間中一度も会うことの無かったエルフの老人を思い浮かべる。
「『宝の山を見てみないかね?』って言葉はとても魅力的だったわね。もしかしたら本の妖精だったのかもしれなくてよ?」
冗談めかして笑うイェンに、ウェルスは真面目に頷く。
もし酒場であの老人に声をかけられなかったら、ウェルスはきっと図書館の危機に気づかずにいたであろうから。
宝の山、人類の英知。それは知識に他ならない。
膨大な知識の欠片を収めた本達を、ウェルスは大切に抱きしめた。