●リプレイ本文
●依頼人はどんなひと?
「さて、いつぞやのお嬢さんからの依頼ですか。彼女にあう口紅を用意‥‥、前に作った着物を考えると今回も中々に大変そうな予感が」
依頼人のシャンリンと以前面識のあるモサド・モキャエリーヌ(eb3700)は依頼書を見て考え深げに頷く。
「それほど、難しいお人柄なのですか?」
モサドの呟きを聞き、アルフレッド・ラグナーソン(eb3526)は尋ねる。
その隣にはうにうにっと不思議な動きをする灰色の大福のような妙な塊が寄り添い、アルフレッドの腕に懐きまくっている。
一般人はその生き物を不思議そうに眺めながら通り過ぎてゆくのだが、一緒の依頼を受けた仲間達は冒険者。
不思議な生き物に見慣れているのか特に気にする様子もない。
そして不思議といえば、キルト・マーガッヅ(eb1118)のペットも凄い。
スモールシェルドラゴンだ。
リッカと名付けられたそのドラゴンは、青い鱗とそれよりも幾分か紫がかった深みのある色の甲羅を背負い、三メートルもある巨体でキルトの側に控えている。
「人柄‥‥いえ、お綺麗な方でしたよ」
モサドはそんな不思議な大福様と立派なリッカに絵心をくすぐられつつ、言及を避けて曖昧に笑う。
「シャンリンさまにはお会いできるのでしょうか? 一度お会いしてどの色がお似合いになるか考えたいと思いますの」
そしてラン・ウノハナ(ea1022)は楽しげに薄青色の羽根を羽ばたかせる。
「そうですね。私も彼女にお会いしたのは一度きりですし、お肌の色合いなどもよくよく見させて頂きたいですね」
ランの言葉に、モサドも頷く。
一度会った時の印象だと色白だったのだが、白さにも色々とある。
あれから時間も大分経っている事だし、一度シャンリンに会っておくのはよい事だろう。
‥‥例え、凄まじい香りで鼻が曲がろうとも。
●お馬鹿さま、じゃなくってお嬢様
依頼人に会うべく、冒険者達が訪れたシャンリンが借りているという屋敷で待ち構えていたのは、凄まじい香水の匂いだった。
「ってゆーかぁ、命令?」
ぷわわわわんっ。
なにをどうやったらここまで凄まじく匂わすことが出来るのか?
冒険者達が思わず依頼を忘れて問い詰めたくなるほどの凄まじい香水の香りを撒き散らし、シャンリンは真っ赤な唇をぷうっと尖らす。
彼女との対面が二度目のモサドはまだいい。
面識も免疫もあったから。
だが、初対面の冒険者達は唖然。
手馴れた手付きの侍女達がお茶を入れてくれるのに辛うじてお礼を言うのが精一杯。
「ぼ、僕、がんばりますっ!」
額に冷や汗を流している冒険者達に気づかずに、早く口紅を作ってと駄々をこねるシャンリンに、幼い糺空(eb3886)は一生懸命頷く。
そしてシャンリンはノルマン出身でジャパン語が話せないことから、今回の依頼を受けた中で唯一ゲルマン語を流暢に話せるキルトがそれを通訳する。
愛用の白い日傘を片手に下げ、おっとりと上品な大鳥春妃(eb3021)もある程度のゲルマン語は理解できるのだが、なんせ相手は一目でお馬鹿、いや、お嬢様とわかるシャンリン。
言葉を駆使して上手くオブラートに包んで物事を伝えないと、依頼中止にもなりかねない。
(「大好きな柳おねーちゃんへのプレゼントの為にも、僕は頑張らなくっちゃです」)
糺は香水の匂いに涙目になりながらぐぐっとちっこい拳を握る。
シャンリンの凄まじい香水に負けないのは、大切な人への気持ちかららしい。
「以前の好みのお色は赤と紫ってお聞きしたのですけど、今の好みのお色とかもお聞きしたいです♪」
屋敷に来る途中、モサドからシャンリンの事を色々と聞いていたランは、確認を込めて尋ねる。
以前好きだからといって、今も好きとは限らないのだから。
そしてやっぱり気まぐれで我が侭なシャンリンは赤も好きだけどオレンジもピンクも好きだとか言い出す始末。
「色々な色が好きなのね。あたしも綺麗な色はみんな好きよ」
隠密行動を得意とし、人よりも数倍鼻のいい空流馬ひのき(eb0981)はシャンリンの香水攻撃から引き起こされる偏頭痛から何とか復帰しつつ、持ち前の明るさで前向きに気を取り直す。
「理想の紅と紅入れ‥‥素敵ですわね。でも、贅の限りを尽くさせていただいて、御代の方は大丈夫ですの?」
大鳥はおっとりと尋ねる。
口紅は市販の既製品でもとても高価。
それをオリジナルで一から作るとなると‥‥費用は想像するのも恐ろしい。
「私もそれは心配していたのです。制作費や材料費、委託費、講習費等もシャンリンさんにお願いしてしまって大丈夫なのですわよね?」
キルトも同じように費用を心配していたらしい。
薬剤師として活躍している彼女だから、口紅の価値はわかっている。
幸い、友人の所所楽石榴が口紅に良く使われる紅花はもちろんのこと、薄荷などのハーブ、それに色取り取りの花びらを安価で入手できる店を探して来てくれていたから、材料費は多少抑えられるだろう。
だが、口紅を一から作るといっても今回の依頼を受けたメンバーで作り方をきちんと知っている者は一人もいなかったのだ。
だから口紅職人を探し、みんなで講習を受けるつもりでいるのだが、高価な口紅の作り方を赤の他人に無料で教える職人はまずいない。
それなりの理由と資金を用意しなければ。
しかし、心配げな大鳥とキルトの問いにシャンリンはぷうっとほっぺたを再び膨らまして皮袋をテーブルにどん!
「もーぅ、どーしてみんなしてお金の心配なんかするのかしらぁ? いっくらでもあるから好きなだけ使ってねぇん」
どんどんどん!
シャンリンが皮袋をさくさくとテーブルに並べてゆくと、じゃらじゃらと金貨の重たそうな音が響いた。
「うわわっ、金貨がいっぱい入っているです」
糺が皮袋から零れ落ちた金貨にわたわたと驚く。
「‥‥大丈夫ですわね」
大鳥はそれを見てふふっと微笑む。
「部屋とか必要ならぁ、この家の何処を使っても構わないしぃ、泊まっちゃってもいいわよぉん。だから、ね?」
早く口紅をとせがむシャンリンに、
「それなら、話は早そうですね。腕のよい職人さんを探しましょう」
アルフレッドは大きく頷いて、仲間達と職人を探しに出かけるのだった。
●海辺で貝拾い♪
「海!! 時期的にまだ早いけど‥‥海!!!」
江戸の近くの海で、糺は七色に輝くリボンを結んだ愛猫の白雪と一緒に浜辺を元気に駆け回る。
「子供は元気で愛らしいですね」
聖書をぱたりと閉じ、一緒に来ていたモサドは優しく目を細める。
「良い貝が見つかるといいのですが」
「今日中はきついか? まあいい、精一杯探すだけだ」
口紅職人を探しに出たアルフレッドに代わり、一日だけならと協力を申し出てくれたルーラス・エルミナスとマグナ・アドミラルは浜辺に目を凝らす。
「どうせなら楽しみながら作ろう♪ 何事も楽しまなくちゃ始まらないもの♪」
そろそろ春から夏に差し掛かり、日差しは暖かくなってきているものの水はまだまだ冷たい。
けれど空流馬は冷たい海の水をものともせずに浅瀬に足を入れ、腕まくりして綺麗な貝を探し出す。
「二枚合わせの貝で、できれば薄桃に光るものがいいですわ」
日傘を差しつつ、大鳥はうっとりと夢を膨らます。
友人の玄間北斗の提案で、紅入れに貝を使用することにしたのだ。
阿古屋貝や帆立貝などの二枚貝なら、紅入れにちょうど良いとアルフレッドも賛成し、時間も余りないことから冒険者達は紅職人や貝に加工の施せる蒔絵職人や彫り絵職人を探す班と、貝を探す班などいくつかに分かれたのだ。
「あ、そういえば。空様に玄間様からご伝言を預かっていますのよ」
大鳥は走り回っている糺に声をかける。
「なんでしょうか?」
「『柳さんへの贈り物がんばれなのだぁ〜』とのことですわ」
大鳥から伝言を伝えられたその瞬間、無邪気に笑っていた糺は耳まで真っ赤に。
「僕、貝を探すですっ!」
真っ赤になったまま、糺は海辺を全力ダッシュ!
「あなた、あんまり遠くへいってはいけませんよ。はぐれてしまっては大変です」
モサドがちょっぴり年寄りじみた声をかけた。
●職人さんを探そう!
「身寄りのない職人さん、ですか?」
アルフレッドは江戸の化粧品店を一軒一軒回り、やっと紅職人の手がかりを掴んでいた。
ちなみに不思議なペットの大福様はシャンリンが異常に気に入ったことと、江戸の街中をあの五十センチもある身体を隠してつれて回るのは難しいことから、お屋敷でお留守番させていたりする。
そして化粧品店は客商売。
そうそう簡単に見知らぬ冒険者に良い職人を紹介してくれるはずもなく、途方にくれかけたところ、街のはずれにあった小さな店の店主が教えてくれたのだった。
なんでも、とても腕の良い紅職人なのだが、数年前にモンスターにより家族を全てなくしてしまったらしい。
冒険者のお陰で職人は命を取り留めたのだが、以来めっきり老け込んで後継者を育てようにも当てがなく、ずっと家に引き篭もっているらしい。
彼の作る口紅は少々変わっていて、既存の物に捕らわれない大胆な色合いで人気があったのだが、残念でならないと店主はいう。
そして、出来れば彼にやる気を出させてもう一度納品してくれるように頼んでもらえないか、とも。
店をよくよく見れば、随分と寂れてはいるものの、少し前までは賑わっていたのがその品揃えから伺える。
つまり、店の店主がアルフレッドに紅職人を教えたのは、そういう下心付きであった。
(「ですが、そういう理由ならば情報は確かでしょう。皆と共に訪れて見ますか」)
「必ず紅を作って頂けるようにするとは約束出来ませんが、誠意を持って対応したいと思います」
と断りを入れ、アルフレッドは紅職人の住所を店主に尋ねるのだった。
●ちょみっとハプニング?
アルフレッドがやっと紅職人を探し出していた頃、海辺では色々な貝を発見していた。
「これは、珍しい貝殻ですね。薄い紫がかった表面の色艶がなんとも‥‥この貝に絵を描くなら、どんな絵が合うでしょうか?」
モサドはいくつか見つけたうちの貝殻の中から、光の加減によって紫が強くなる貝を見つめ、胸の中で絵筆を走らす。
(「紫の色味を生かすなら、藤でしょうか? ですが、逆に白い藤を描くことによって貝自体の色を引き立てるかもしれません」)
貝を見つめ、モサドは絵の構図を思案してばかりで貝探しは一向に進まない。
「ねえねぇ、おじさん? この辺に、綺麗な貝が落ちているところってありますか?」
糺は無邪気に遊びつつ、釣りに来ていた近所の猟師に尋ねたりしている。
そして貝を拾いながら、
「『我が背子に恋ふれば苦し暇あらば拾ひて行かむ恋忘貝』」
と最近はまっているという万葉集の一句を呟いて、大好きな柳おねーちゃんに思いを馳せる
「綺麗な貝を見つけたら、空さんにあげるわね」
空流馬は紅入れとしての貝だけでなく、糺の為の貝を探すことにも余念がない。
お宝大好きの彼女のお眼鏡に叶った貝ならば、きっと柳おねーちゃんも気に入るに違いない。
「よーし、もういっちょ頑張るわよー」と、空流馬が背伸びした瞬間、
「えっ、ちょっ、うわ?!」
「わわわっ、すみませんっ‥‥」
空流馬は叫び、モサドが鼻を押さえて詫びる。
「モサド様、大丈夫ですかっ?!」
騒ぎに気づき、猟師の教えてくれた場所へ向かおうとしていた糺も駆け寄ってくる。
ぽたぽたぽたっ。
モサドの整った鼻からは真っ赤な鼻血が滴っていた。
「ううん、謝るのはあたしよ。もしかして鼻に肘ぶつけちゃったかしら?」
突然の出来事に慌てながら、空流馬はハンカチをモサドに差し出す。
「いえ、違うんです‥‥何もなくとも良く出やすいんです。ご心配をお掛けしてすみません」
空流馬からハンカチを受け取って鼻に当て、モサドは困ったように苦笑する。
「今日は日差しが強めでしたから、日に上せてしまったのかもしれませんね。よかったら、これもお使いになると良いですわ」
日差しが苦手な大鳥も、予備の日傘をモサドに差し出す。
初夏というにはまだ寒く、けれど春というには少し暑い。
天気が良いのはよいことだけれど、浜辺の照り返しは結構きついものがあったようだ。
「‥‥? 空さん?」
空流馬が糺の異変に気づく。
糺は、胸を押さえてその場にうずくまった。
「僕、なんか気持ち悪い‥‥」
「少し、じっとしていて下さい‥‥リカバー!」
鼻血の止まったモサドが十字架を握り、糺にリカバーを唱えてみる。
「空さん、気分はどう?」
「うん‥‥大丈夫、かな?」
心配気に顔を覗きこむ空流馬に、糺は先ほどよりは幾分か顔色を取り戻し、微笑む。
「貝殻は大分集まりましたし、一旦お屋敷に戻りましょう」
「おぶりますよ」
モサドが背中を糺に向けて屈む。
「ありがとうです」
柳おねーちゃんへの大切な貝殻だけは布に包んでポケットにしまいこみ、糺はモサドにしがみ付く。
大鳥に促され、四人は集めた貝殻を大切にしまってシャンリンの屋敷へと歩き出した。
●花びらを加工します☆
屋敷では、キルトとランが楽しげに花びらを加工していた。
「摘んでそのままを使うと、生木臭さが加わってしまいますから、乾燥させていますの」
戻ってきた四人に、キルトはそう説明する。
屋敷の縁側に陣取り、色取り取りの花と花びらをランが麻布に仮縫いし、天日に干している。
「乾燥した状態で入手できれば良かったのですけれど、それは少し難しそうでしたの」
パタパタと借りた扇子で縫いつけられた花びらを仰ぎつつ、キルトはそう付け加える。
押し花としてなら何箇所か売っている場所もあったのだが、それだと押し花を作る工程上紅に使う色が大分落ちてしまっているのだ。
落ち着いた色合いでも、押し花には押し花の魅力があるのだが、今回の紅を作る作業に置いては不向き。
だからこうして太陽に晒し、生木臭さをとるべく多少なりとも乾燥させることにしたのだ。
ちなみに風の精霊魔法で一気に乾かせないかと思ったことは内緒だったりする。
うん、ウインドスラッシュなんて使ったら花びらはズタズタに切り裂かれちゃうし、ストームだと十五メートル空高く吹っ飛んで、ご近所に花吹雪を散らせかねないしね。
「花びらは軽いから、飛んでしまわないように仮縫いしましたの♪」
小さな針を杖のように振り、ランもご機嫌。
色鮮やかな花びらは見ているだけでも楽しいが、大好きな裁縫が出来たことがより一層嬉しいようだ。
「あたし達もいい貝殻を手に入れてきたわよ」
空流馬が海辺での戦利品を二人に見せる。
「まあ、とっても素敵な貝ですの♪」
「これだけ量があるなら、少しぐらい失敗しても大丈夫ですわね」
そういいながら、キルトは同じぐらいの大きさの貝を五枚ほど手にとって見る。
尖った先っぽを中心に、五枚を隣り合わせにくるっと丸く並べてみると、花の様に愛らしかった。
「気分は良くなりましたか?」
背負っていた糺をそっと下ろしながら、モサドは肩越しに糺に声をかける。
向き直ると、糺はもう元気いっぱいだった。
「うん、大丈夫です。ほんとにありがとうです」
ぺこりんと礼儀正しくお辞儀をする糺は、だが知らない。自分が不治の病を患っていることを。
えへへと無邪気に笑う糺は、本当に愛らしいのだった。
●素敵な口紅
噂の紅職人は、元々人柄が柔らかかったのだろう。
突然訪れた冒険者達に嫌な顔一つせず、「粗茶じゃが、飲んでおくれ」と持て成してくれた。
「あの、口紅の作り方を教わりたいのですが‥‥」
キルトはアルフレッドから事情を聞き、少々遠慮気味に尋ねる。
紅職人のこじんまりとした家には、亡くした家族の肖像画なのだろう、絵の中で黒髪の素朴な女性が緑色の紅を惹いて微笑んでいた。
「魅力的なお色ですね」
モサドが肖像画の女性の口元を見ながら呟く。
笹色紅といい、光の加減によって赤から緑に変わって見えるその口紅は、伊勢半島から伝わる秘伝だとか。
赤い紅を玉虫色に輝くまで厚く塗ることによりその色を出しているらしい。
「塗ると光の加減で色が次々に変わる‥‥あたしのイメージしていた口紅にぴったりだわ」
空流馬が期待に瞳を輝かす。
だが、やはり秘伝中の秘伝。
作り方は教えられないとの事。
はふーっと空流馬は肩を落とす。
ただ、紅職人は紅の在庫はまだあることから、その紅に何か手を加えて加工することと新しい紅を職人が作ることについては協力を惜しまないという。
本当は自らの手で紅を作りたかった冒険者達だったが、職人の協力を得られるのはありがたい。
「ジャパンの季節のお花を使って、その色と香りを用いることが出来ればと‥‥使うのは紫の藤、藍色の紫陽花、桃色の桜草、それに牡丹の四種類ですわ」
「沢山持ってまいりましたの。もし、お花で色をつける事ができるならば、お花で試してみたいです」
ランとキルトが屋敷で軽く乾燥させた花々を差し出して希望を伝える。
「僕の知識なんか足元にも及ばなくて‥‥足手まといかもしれないけど‥‥がんばる」
糺は紅作りよりも、主に雑用を志願。
「美しいだけでなく、変わった色も揃っているんですね」
アルフレッドは紅職人の出してきた数種類の口紅に感嘆の声を漏らす。
赤やピンク、オレンジは他の場所でも良く見かけるものだったが、紫に近い赤や殆ど黒く見えるもの、それに白い物まである。
化粧品店の店主が言うように、この紅職人は独創的な感覚の持ち主らしい。
「肌荒れのしないタイプの物も作れたら作りたいわ」
キルトとランが用意した花びらの内、薄荷を手にとって空流馬も頼み込む。
冒険者達の要望に一つ一つ頷き、紅職人は紅を加工してゆく。
「牡丹の花や蝶は、外せないでしょう」
キルトとアルフレッドのペットの面倒を見つつ、屋敷に残ったモサドは絵筆を走らせる。
みんなで拾った貝殻を数枚手に取り、その一つ一つに絵を描いてゆく。
紫がかった貝には白い藤の花を。
ほんのりとピンクがかった貝には赤く艶やかな大輪の牡丹と蝶を。
特に牡丹と蝶は、以前シャンリンからの依頼でデザインした着物とお揃いになるように同じデザインを施している。
最後に少しデフォルメした愛らしい白兎を描き始めた時、シャンリンが現れた。
「ペットちゃんたちしらなぁい?」
いつもどおり真っ赤な唇を尖らせてシャンリンは何かを尋ねているようなのだが、モサドにはノルマン語はわからない。
そしてシャンリンはノルマン語以外話せない。
通訳がいなければ二人での会話は不可能だった。
けれどシャンリンがふと、モサドの手元の貝に気づく。
目を見開き、まじまじと見つめる。
「とても綺麗だわ」
「ありがとうございます」
シャンリンがもらした一言に、モサドは礼を言う。
正確な言葉の意味はわからなくとも、美しいものを美しいと思う気持ちは同じで、なんとなくニュアンスがお互い伝わったのだ。
「出来る限り、良い物をお作りしますよ」
その言葉はわからずとも、シャンリンは良いことが起こりそうだと頷く。
モサドは再び貝に向き合った。
それぞれの思う理想の口紅は、意外と早く完成した。
「ああ、凄いわ。本当に薄荷の香りがするわよ」
紅職人が薄荷を混ぜて作った紅を受け取り、空流馬は薄荷の清々しい香りに大きく息を吸い込む。
「空が色々手伝ってくれたでな。作業がはかどったのじゃよ」
紅職人は糺の頭をわしわしと撫でた。
褒められて、糺はほっぺたをちょっぴり赤らませながら照れている。
「この色鮮やかな口紅たちを螺鈿細工の化粧箱に入れたら、どれほど素敵なことでしょう」
大鳥も紅の出来にうっとりとなる。
既に口紅や小物を入れるための化粧箱は発注済。
先日集めた貝殻の内、真珠質の強い貝を江戸でこの人ありといわれた螺鈿細工の職人の元へと持ってゆき、加工をお願いしておいたのだ。
値はもちろん張るのだが、そこはそれ、シャンリンに頼めばいくらでもお金の心配はなかったから、大鳥は安心して注文することが出来た。
「シャンリンさんにお似合いの一色だけでも良いかと思ったのですが、その日の気分で使い分けられるというのも良いと思うのですわ」
藤色に藍色、桃色に鮮やかな赤。
キルトとランが持ち込んだ花びらの色を見事に生かして作られた口紅に、キルトはどれか一つを選ぶよりも全部シャンリンにプレゼントしようと決める。
「これほどの素晴らしい技術をお持ちのあなたが、紅をおつくりにならないのは江戸の、いえ、世界の損失です。
もう一度、あなたの口紅を世の中に出しては見ませんか?」
口紅を手に取り、その独特の美しい色合いを確かめながら、紅職人を説得する。
「久しぶりに作ったのじゃが‥‥確かに、紅作りは楽しいものじゃからのう」
紅職人は冒険者達の案を取り入れながら作った紅をことのほか気に入ったらしい。
花の香りのする紅を手に取り、幸せそうに目を細めた。
近いうちに、彼の紅がまた、市場に出回るかもしれない。
店主との約束を守れお砂雰囲気と、紅職人が嬉しそうなのを見てアルフレッドはほっとするのだった。
●お土産はみんな一緒に
さてさて、依頼最終日。
「これはね、僕からなの」
シャンリンのお屋敷で、糺は一際綺麗な貝殻を差し出す。
柳おねーちゃんへはもちろんのこと、依頼主であるシャンリンへもちゃんとお土産として貝を拾っておいたのだ。
少女のように愛らしい糺に貝をもらい、目的の口紅とは違くともシャンリンはまんざらでもない様子。
「私はこちらです」
アルフレッドが、小さな風呂敷包みを二つ持って現れる。
シャンリンが紐解くと、中には美麗な七曜の絵が描かれた七つの丸い木箱が。
中には紅職人から受け取った口紅が納められている。
そして上蓋は下の入れ物に一部が付いており、蓋を開けると内側には磨き上げた銅鏡がはめ込まれて手に取るシャンリンの顔を映し出す。
この作りならば、鏡を見ながら外出先でも化粧を直すことが可能だった。
「もう一つあるんです」
きゃあきゃあと喜んでいるシャンリンに、アルフレッドはもう一つの包みを開く。
そこには、二枚貝を口紅を入れられるように加工し、さらに外装には金模様で黄昏の空を東洋の竜が泳ぐ様に飛ぶ様が描かれていた。
その豪華な絵を描いたのはモサド。
アルフレッドは蒔絵職人にお願いしようと思っていたのだが、ちょうどモサドが同じように貝に絵を描いているのを見て、その麗筆を見込んで頼んでみたのだ。
並みの蒔絵職人よりも良い出来に、シャンリンはもちろんのこと、アルフレッドも大満足。
「私も貝なんです。あなたのお着物に似合うように描かせていただきました」
先日、シャンリンの前で描いていた貝をモサドは差し出す。
「やっぱり、あたしへのプレゼントだったのね? いゃん、すっごく綺麗じゃなぁーい♪」
欲しいなあとは思っていたけれど、ほんとにもらえるなんて最高だと大はしゃぎ。
白い肌に馴染みあるピンク色の口紅も、シャンリンの満足度を刺激する。
「シャンリンさま、こちらも受け取ってくださいですの」
そしてランが作ったのは縮緬加工を施した入れ物だ。
「小さな巾着も作りましたの。シャンリンさまの気に入った紅などを入れてもらえたら嬉しいですわ♪」
花びらの加工や紅の注文、それに縮緬加工を施すのにちょうどいい入れ物探しなど、中々にハードスケジュールの合い間を縫って、ランはシャンリンへのプレゼントとして巾着を作っていたのだ。
よくよくみるとランの目元がちょっぴり赤かったりするのは、もしかしたら徹夜したのかもしれない。
「あたしのはこれ。光の加減によって色が変わるのよ。肌にもいいし、たっぷりと厚く塗るのが効果的よ」
空流馬は薄荷の香りのする笹色紅を差し出す。
薄荷はノルマンではミントと呼ばれ、料理にもよく使われるハーブでシャンリンにも馴染みやすかった。
もちろん、それを使うように勧めたのは薬剤師のキルトだ。
シャンリンと同じノルマン出身の彼女は、馴染みやすいハーブが何か、香りの良い物は何かをよく知っているのだ。
「紅は複数の小さい貝殻に分けて入れさせて頂きましたわ。持ち運びにも便利ですしね」
色取り取りの紅を、小さな貝殻に詰めたものをキルトはシャンリンに手渡す。
ランの作った縮緬の巾着とあわせて使うと、使いやすさがぐんとアップしそうだった。
そして最後は大鳥。
「開けて見て下さいませ」
青く輝く螺鈿細工を施した化粧箱を差し出し、それだけでもシャンリンは感動していたのに、促されるままに中を開いてさらに喜びの声を上げる。
中には、紅を抱いた麗しい小さな貝、中央には純白の紅猪口。
上から見るとジャパンの名花・桜のように見えるように貝を配置して置いたのだ。
「あなた達、最高じゃなぁい!」
豪華絢爛の口紅と紅入れに、シャンリンはご満悦。
「わたくしも、輿入れするならこんな素敵な物を持っていけたらいいですわ」
うっとりと大鳥はいつか自分が嫁入りする姿を想像するのだった。
●お・ま・け☆
「これを、皆様に」
依頼を無事終えて、帰路に着こうとする仲間達に、モサドは貝を差し出す。
一見何の変哲もないその貝殻は、中を開いてみてびっくり。
それぞれの顔が愛らしく描かれていたのだ。
きっと、今日の日の素敵な思い出の品となるだろう。