籠の鳥に、穏やかな夢を

■ショートシナリオ


担当:STANZA

対応レベル:11〜lv

難易度:やや難

成功報酬:8 G 3 C

参加人数:9人

サポート参加人数:1人

冒険期間:05月22日〜05月28日

リプレイ公開日:2008年05月30日

●オープニング

「あー、しんどっ!」
 タンブリッジウェルズの招かれざる客フォルティナは、その大きくせり出した腹部を持て余すように歩きながら、時折立ち止まっては大きく溜息をつく。
 今や一日に数回、そうして城の中庭を散歩するのが彼女の日課となっていた。
「めんどくさいけど、動かないと余計にキツくなるって言われたし‥‥ああもう、さっさと出て来てくれないかしら、鬱陶しい」
 子供が生まれたら、こんな所さっさと出て行ってやる‥‥フォルティナは未だにそう言い続けていた。ただ、子供の父親、ロシュフォードの許へ戻るかどうか、それはまだ決めかねている様だ。
 ロシュフォードは以前、自分の役に立ったなら現在の妻と別れてフォルティナと結婚すると、そう言っていたらしい。別れるという事はつまり、妻を亡き者にするという事だ。
 だが‥‥流石のフォルティナにも、そんな事が出来る筈がないと‥‥今ではそう思える。愛され、頼られ、期待されていると素直に信じていたあの頃には、自分の為なら何でもしてくれると疑いもしなかったのだが。
 消されるとしたら、認めたくはないが‥‥周囲が言う通り、自分の方だろう。望まれもしない子を宿した、面倒な女として。
 しかし、子供が生まれてしまったら?
 ロシュフォードはどうするのだろう?
 彼と妻の間に、子供はいない筈だ‥‥少なくとも公表はされていない。いや、彼に妻がいる事さえ、知る者は殆どいない。それどころか、彼に妻がいるという情報すら、偽物かもしれない。
「そう言えば、私も見た事なかったわね‥‥本当に奥さんいるのかしら?」
 ライバルの姿なら、いくらでも見かけたが。
 そしてもし、本当は彼には妻などおらず、子供もいないとしたら‥‥チャンスだ。領主の跡取りを産んだ女として、彼の妻の座を射止める事が出来る。
 ただし、生まれた子供が男の子なら、だが。
 だが、そう考えても‥‥フォルティナの心は晴れなかった。
「赤ちゃんを抱っこしてるロシュ様とか、おむつを替えてるロシュ様とか‥‥ああ、ダメ。ぜんっぜん想像出来ないわ!」
 男としては最高だが、夫や父親としては‥‥多分、最低。
 それでも惚れてしまったものは仕方がないのだが‥‥
「‥‥やり直したい、な‥‥」
 幸い、もし望むなら子供は自分が引き取ると、ここのお人好し城主が言っている。全てなかった事にして再スタートを切る事も、不可能ではない‥‥と言うか、充分に可能だ。
「でも‥‥」
 出産を目前に控え、彼女の心は未だに揺れていた。


 丁度その頃‥‥
「お役に立てず、申し訳ありません。大した情報も得られずに、おめおめと逃げ帰るなど‥‥」
 ボールスの執務室で、ロシュフォードが治めるセブンオークスの地に情報を探りにやっていた部下が、がっくりと項垂れながら言った。
 彼の周囲は何につけガードが堅く、座して待っていては何の情報も得られない。だが、間諜を送り込んでも‥‥
「いいえ、とにかく無事で何よりです。生きて帰ってくれた事が一番の成果ですよ」
 報告を聞いたボールスが、穏やかに微笑む。
「ありがとう、ゆっくり休んで下さい」
 セブンオークスはキャメロットと南部を結ぶ交通の要衝にある‥‥にも関わらず、その体質は閉鎖的で、町の雰囲気もどことなく沈みがち。そのすぐ南にある明るく開放的なタンブリッジウェルズとは正反対の土地柄だった。
 そして、その領主であるロシュフォードの周辺も、町同様に閉鎖的‥‥と言うか部外者お断り、及び身許がバレた間諜は即抹殺の厳しい世界。
 今ではそんな暗く沈んだ土地も、10年以上前、ロシュフォードの兄が領主だった頃には随分と明るい町だった様だが‥‥。


「‥‥やはり、行って来ます」
「行くって‥‥どこに?」
 それまで黙って話を聞いていたルルの問いに、ボールスは事もなげに答える。
「勿論、ロシュフォードの所へ」
「ちょ‥‥正気っ!? あいつ、こないだボールス様を殺そうとした、バリバリ敵じゃない!」
 そう、ボールスを追い落とし、このタンブリッジウェルズの土地を奪う事を画策する、正真正銘の敵対勢力。今の所、表立って敵対するような真似はして来ないが‥‥
「大丈夫ですよ。正面から堂々と来られると、却って手出しは難しいものですし‥‥彼としても自分の縄張りで何か事件が起きるのは拙いという事くらいは承知しているでしょうから」
 子供の父親である彼をフォルティナに会わせたい。出産の時には勿論だが、どうしてもその前に一度。
 問題があるなら認知はしなくても構わない。だが、せめて一番大変な時くらいは傍にいてやって欲しい‥‥自戒の念も込めて、ボールスはそう考えていた。
 それに、恐らく相手もフォルティナの妊娠の事は知っているだろう。生まれる前に、彼女や子供の処遇ついて取り決めを交わしておく必要がある。
「女の子なら、さほど問題にはならないでしょうが‥‥」
 この時代、相続権は基本的に男子にある。男の子なら、跡取りとして迎えられるか、或いは‥‥既に跡取りがいるなら邪魔者として排除されるか。
「跡取りとして迎えられたとしても、果たしてそれが幸せかどうか」
 残念ながら、ロシュフォードの評判は良いとは言えない。彼は亡くなった前領主の弟だが、自分が領主になる為に兄を謀殺したという噂もあった。
 そして、その兄の忘れ形見がどこかで生き伸びて、復讐の機会を伺っているとも。
 そんな骨肉の争いの中に幼い命を放り込む訳にはいかない。相手の出方によっては、ボールスは有無を言わさず子供を引き取るつもりだった。
「彼の元を訪ねるのは、安全とは言い難い事はわかっています。でも、放っておく訳にはいきませんから」
 使者を立てても恐らく無駄だろう。ボールス本人が行くのが最も安全確実、かつ効果的だった。
「でも‥‥まさか一人で行くとか、そんな無茶なコト言わないわよね!?」
「ええ、ちゃんと護衛を頼みますよ」
 ただ、この場合は部下を連れて行くよりも、小回りと機転の利く冒険者達の方が何かと都合が良いだろう。
「とりあえず正面から行くつもりではいますが、正攻法だけでどうにかなるとも思えませんからね」
 まずは会って、話をする事。
 そして、フォルティナに会わせる為に、何が何でも城へ引っ張って来る事。
 二人が会っている最中の護衛も‥‥無粋な事ではあるが、必要だろう。
「出産まであと一月ほど、色々と大変な事も多いでしょう。それに、不安もあると思いますし‥‥」
 出来ればそのままずっと、子供が無事に生まれるまで二人で一緒に過ごせるようにしてやるのが理想なのだろうが、今、フォルティナをロシュフォードの手に渡す訳にはいかない。それに、彼がそんな事をするとも思えなかった。
 それに、会わせる事には不安もある。彼女が感じている、漠然とした不安や恐怖‥‥自分も子供も捨てられるのではないか、愛されてなどいないのではないか‥‥それが現実になる恐れもあった。
「余計な事は言わせないように、釘を刺しておく必要もある‥‥か」
 今はとにかく、見え透いた嘘でも良い。フォルティナが心穏やかに過ごせるならば。
「では、私はギルドに行って‥‥そのまま皆さんと合流しますから」
 そう言うと、ボールスはいつもの軽装備のまま、城を後にした。

●今回の参加者

 ea1364 ルーウィン・ルクレール(35歳・♂・ナイト・人間・イギリス王国)
 ea3888 リ・ル(36歳・♂・ファイター・人間・イギリス王国)
 ea5380 マイ・グリン(22歳・♀・レンジャー・人間・イギリス王国)
 ea7244 七神 蒼汰(26歳・♂・ナイト・人間・ジャパン)
 eb3630 メアリー・ペドリング(23歳・♀・ウィザード・シフール・イギリス王国)
 eb3862 クリステル・シャルダン(21歳・♀・クレリック・エルフ・イギリス王国)
 eb6596 グラン・ルフェ(24歳・♂・レンジャー・ハーフエルフ・イギリス王国)
 eb7208 陰守 森写歩朗(28歳・♂・レンジャー・人間・ジャパン)
 ec3138 マロース・フィリオネル(34歳・♀・神聖騎士・ハーフエルフ・イギリス王国)

●サポート参加者

桜葉 紫苑(eb2282

●リプレイ本文

「‥‥えーっとぉ‥‥誰だっけ?」
 猫屋敷の玄関前、自分の仕事に出かけようとした所を異国のサムライに呼び止められたウォルは首を傾げた。
 知っているような、いないような。見た事あるような、ないような。
「なあ、この人知ってる?」
 ウォルは集まった冒険者達に尋ねるが‥‥
「いや、知らんな」
「見た事ない顔ですねぃ」
「はて、どなたであろうか?」
 皆が口を揃える。
「お・ま・え・ら〜〜〜っ!」
 その見知らぬジャパン人は、わなわなと拳を震わせながら激しく後悔していた。
「くっそぉ‥‥どうして今日に限ってアレを持って来なかったんだっ」
 堅い仕事だと思って油断していた。せめてバックパックにでも入れておけば‥‥
 と、その時。
「これですか?」
 差し出されたのは梁染めのハリセン。
「そう、それです‥‥って、ボールス卿っ! 今回はそんな物持っていかないで下さいって、言ったじゃないですかっ!」
 ――すぱぁーん!
 奪い取ったハリセンで、見知らぬ‥‥いや、七神蒼汰(ea7244)は上司の後ろ頭を思い切りぶっ叩いた。
「つーかお前らもノリ良すぎだっ!」
 今ではすっかり洋装が板に付いた蒼汰だが、ここにいる殆ど全員が和装で通していた頃にも会った事がある筈だ。服装や髪型を少し変えた位でわからなくなるとは思えない。
「いや、結構わからんもんだよ。異国人は皆同じ顔に見えるって人もいるからな」
 リ・ル(ea3888)が冗談とも本気ともつかない口調で言った。
「‥‥そうか? じゃあ、もし向こうが俺の顔を知っていたとしても、バレないかな」
 元々今回は補佐役としての身分を伏せ、「雇われたジャパン人の冒険者」として同行するつもりで選んだ服装だが、どうやらその点は上手く行きそうだ。
「って事で、お前さんも自分の仕事、頑張れよ?」
 蒼汰はウォルに桜まんじゅうを二つ手渡すと、頭をぽふぽふと叩いた。
「妹分も居るんだろ? 持ってけ」
「お、ありがと! じゃ、行って来るね!」
 お菓子で誤魔化され、頭をぽふられた事は気にならなかった様だ‥‥ウォルは元気に駆け出して行った。
「いってやっしゃ〜い!」
 その後ろ姿に、エルが手を振る。流石に今回は城に置いておくのは危険かもしれないと、事前に呼び寄せておいたのだ。
「かーさまも、いってやっしゃい。おしごとおわったや、あそぼーね」
 エルは護衛兼遊び相手として預けられた忍犬、瑠璃の頭を撫でながらクリステル・シャルダン(eb3862)に手を振る。近頃は随分と聞き分けが良くなった様だ。
「ええ、帰って来たら一緒に遊びましょう。だから、良い子で待っていてね?」
 クリスに頭を撫でられ、エルはとびきりの笑顔を見せた。
「うん、えりゅ、いいこだよ。だって、もーすぐおにーちゃんだもん! おとーと、はやくうまれりゅといいね♪」
 ‥‥その認識は、色々な意味で間違っているような気がするが。
 ともあれ、今回の件を無事に終わらせなければ生まれて来る事さえ出来なくなる、かもしれないのだ。
「少しでも、明るい未来に近づけたいものだ。全力を尽くすのみであるな」
 その様子を眺めながら、メアリー・ペドリング(eb3630)が呟いた。それは勿論、ここにいる全員の願いでもある。
 一行はそれぞれに決意を新たにし、セブンオークスへと向かった。


「‥‥ああ、風呂に浸かりに来たんだ。ちょいと古傷を癒そうと思ってね。この辺りに良い温泉宿はあるかい?」
 一足先にセブンオークスの町に着いたリルは、手近な酒場に陣取って食事がてら店の主人に話しかける。だが‥‥
「温泉宿? 風呂とは何だ?」
 無愛想な主人はそっけなく答える。
「知らないかな、この近くに出来たとか、そのうち出来るとか聞いたんだが‥‥この辺りには温泉が湧いてるんだろ?」
「知らんね」
 タンブリッジウェルズとは目と鼻の先にあるこの町に源泉がないとは考えにくい。利用法を知らないのか、或いは‥‥領主に倣って町の人々までもが南の町を快く思っていないのか。
 そう言えばこの町は、その暗い雰囲気の故か旅人には敬遠される事が多いと聞いた。確かに、今も昼時だというのに店の中に客は殆どいない。
「ここは賑やかで明るい町だと聞いたんだが‥‥」
 リルは適当に話を振ってみた。
「いや、近所に旅好きな爺さんがいてね。南に行くなら是非寄ってみろと‥‥もっとも、情報が古い可能性はあるな。爺さんが旅したのは、もう15年も前の事らしいから」
「‥‥その頃なら、確かにね」
 主人は面白くなさそうに鼻を鳴らし、声を落とす。
「あの方が生きておいでなら、今でもこの町は活気に溢れていただろうさ」
「‥‥あの方?」
 前領主の事だろうか。
「あんたも噂くらいは聞いた事があるだろ」
「‥‥まあ、多少はな。その忘れ形見がどこかで生きてるって噂もある様だが」
「ここでは、その話はしない方が良い」
 主人は空になった皿を片付けながらそう呟くと、ことさら大きな声で続けた。
「食ったらさっさと出てってくれ。こんな辛気臭い町に長居は無用だ‥‥あと2、3時間も歩けば、あんたの好きな賑やかで明るい町がある。温泉とやらも飲み放題だ‥‥傷に効くかどうかは知らんがな」
「‥‥ああ、そうするよ。ありがとう」
 リルは少し多めの代金をテーブルに置くと、その寂れた店を後にした。

「そう言えば普通は飲む物だったな、温泉って奴は」
「そうですね、ジャパンだと風呂に利用するのが普通ですが」
 仲間達を待つ間、リルは同じく先行した陰守森写歩朗(eb7208)と情報交換をして暇を潰す。
「ああ、俺も普通に入る物だと思ってたが‥‥報告書を読んだせいかな」
 フォンテ村の、温泉保養地建設計画。未だ計画の途中という事もあり、まだまだ知名度は低い様だ。
「しかし有名になったらなったで、ますますセブンオークスからは反感を買いそうだな」
 今でも素通りされる事が多いのに、近くに有名な観光地などが出来たら‥‥旅人達は当然のように施設から最も近い場所、タンブリッジウェルズの町で宿をとるだろう。
「まして、運営するのはハーフエルフの方々ですからね。この町の人は彼等を余り良く思っていない様ですし、ボールス様の後押しがあるとなれば尚更‥‥」
 計画を成功させる為には、まず両者の関係改善が必要なのかもしれない。
 ‥‥まあ、それも難しそうではあるが。

 やがて合流した一行は、ここで二手に分かれる事になる。
「‥‥私は城に行って、フォルティナさんのお世話をしたいと思います」
 大人の陰謀話には全く興味のないマイ・グリン(ea5380)が申し出ると、マロース・フィリオネル(ec3138)もそれに続いた。
「フォルティナさんとは初対面ですが、何かしらお役に立てると思います」
 最初は頑なに自分の殻に閉じ籠もっていた彼女も、近頃は随分周囲の者に気を許す様になっていると聞く。初対面でも問題はないだろう。
「では、私も彼女の方に行かせて頂こう」
 メアリーが申し出て、女性四人のうち三人までがフォルティナの世話に向かう事になった。
「そうすると、女性は全員そちらになるのでしょうか」
 ルーウィン・ルクレール(ea1364)が最後の一人、クリスを見る。
 当然、そんな流れになる筈だと殆どの者が考えただろう。しかし本人は‥‥
「私はボールス様に同行させて頂きたいと思います」
 ええ!?
「それは‥‥危ないだろ、どう考えても」
「そうですよ、人質にでもされたらどうするんですか!?」
 仲間達が口を揃えて異議を唱える。
「でも、前回も目立つ行動はしていない筈ですし‥‥上手くいけばそれほど警戒されないかもしれません」
 確かに警戒はされないかもしれないが。
「人質にされないように、気を付けます。単独行動も避けますから。あの、それでも‥‥足手纏い、でしょうか?」
 クリスは不安げな表情でボールスを見上げた。
 さて、ボールスの判断や如何に?


 後刻。屋敷と言うより殆ど城、いや、要塞と言っても良さそうなセブンオークスの領主館を尋ねた彼等に、領主であるロシュフォード・デルフィネスは訝しげな視線を投げた。
「これは、どういうおつもりですかな、ボールス卿?」
 広間に通されたボールスの背後には蒼汰、グラン・ルフェ(eb6596)、森写歩朗の三人が控えている。まあ、その程度の人数なら供として常に連れ歩いても別段不思議はないだろう。しかし‥‥
「社交の場にパートナーを同伴するのは当然でしょう?」
 ボールスは平然と言い放った。
「しかし、それではまるで‥‥円卓の騎士ともあろう者が女性を盾にしている様にも見えますな」
 確かに、そう見えなくもない。何しろ今、彼はクリスを背中からしっかりと抱き締めているのだから。
 勿論、彼女を盾にするつもりは毛頭ないが、こうしていれば相手も手を出し辛いと踏んでの事だ。ロシュフォードとて、腐っても騎士。女性に危害を加える事はないだろう‥‥少なくとも直接は。そして、背中は後ろの三人が守ってくれている。
「すみません、見せつけるつもりはないのですが、今は片時も離れがたい想いで心が張り裂けそうで‥‥」
 ああ、またこの人は歯の浮くような台詞を恥ずかしげもなく。そして言葉とは裏腹に、周囲に見せつける様に更にしっかりと抱き締めた。普通、社交の場でそんな事はしない‥‥いや、出来ない。
 これでロシュフォードのボールスに対する印象は「色ボケ騎士」に確定間違いなしだろうが、寧ろそう思って油断してくれた方が有難い。
「あなたにも大切な方がいらっしゃるならご理解頂けると思いますが、どうかこのままで話をする事をお許し願えないでしょうか?」
「私如きの許しなど必要ないでしょう。どうぞ、好きにされればよろしい」
 ロシュフォードは呆れた様に肩をすくめ、首を軽く振った。
「それで‥‥そこまでしてわざわざ出向かれた、その御用向きとやらを伺いたいのですがな」
 さて、どう切り出すか。
 ボールスはここに来る前に仲間達と交わした会話を思い出す。
「騎士道論とか自分はわかりませんけど‥‥」
 森写歩朗が言った。
「フォルティナさんがこちらにいる事を正当化できて、なおかつ向こうに引き渡すことの無いように今後も保護できるような内容が当てはまると良いのですが。少し練習してみましょうか?」
 まずは理詰めで、色々な例題を提供してみる。
「情に訴えられて動くようなタイプではなさそうですよね‥‥」
 だが、どんな風に話を振ってみても、何かしら難癖を付けられる事は避けられない様だ。
「理詰めの方が説得力は有りそうなのですが‥‥お茶会やパーティなどへの誘いも有りかもしれませんね」
 思いつく限りのパターンを試した所で、諦めたように溜息をつく森写歩朗に、グランが言った。
「そうですねぃ、ボールス様にはガチガチの理論武装よりも、もっとこうユルい感じで接して頂く方が‥‥」
 ボケかツッコミかと問われれば、圧倒的にボケに属すると思われているらしい。
「ここはやはり得意分野で勝負する方が有利ではないかと」
 まあ、ボケ属性かどうかは置くとして、馬鹿正直が売りな事は確かだろう。
「素直に、臨月間近のフォルティナ嬢に対する声掛けのお願いという事にした方が良いかもしれませんね。その、出産には‥‥何かと危険が伴いますから」
 蒼汰が言った。確かにこの時代、出産時に妊婦が亡くなるケースは多い。ボールスの前でそんな話題は出したくなかったが‥‥。
 心配そうに顔色を窺う蒼汰に、ボールスは穏やかに微笑みを返した。大丈夫、もう二度と‥‥自分だけでなく、他の誰にも同じ轍を踏ませない為に、今こうして動いているのだから。
「では、手短に」
 ボールスは顔を上げ、ロシュフォードを真っ直ぐに見た。
「フォルティナさんが待っています。会いに来て下さい。私達と一緒に、今すぐ」
 何の説明も、理由もなし。それに、いきなり来て今すぐと言うのもかなり無茶な話だ。
 ところが、意外にもロシュフォードはあっさりと承知した。
「それは、有難いお申し出ですな。私としても、いつになったら返して頂けるのかと気を揉んでいた所です」
 嘘つけ。
「愛する者と引き裂かれる痛み、あなたならわかって頂けると信じていましたよ、ボールス卿」
 ますます嘘臭い。それに、似たような台詞でもロシュフォードが口にすると、やたらに薄ら寒く感じられるのは何故だろう。
「ああ、供は要りません。その方達が守って下さるでしょうから‥‥まさか、ご自分で招待しておきならがら客に怪我をさせる様な事はないでしょうからな」
 どこまでも嫌味な野郎だ。
 ともあれ‥‥そう言われては、例え背中からバッサリやりたくなる様な相手でも、しっかりと護衛しない訳にはいかない。いや、言われなくても護衛の任はしっかり果たすつもりだが。

「あの余裕ぶっこいた態度、気に入らないな‥‥」
 中庭でロシュフォードの支度を待つ間、近くに仲間以外の人間がいない事を確かめてから、蒼汰が呟いた。
「どこからか情報が漏れてるって事は考えられないか?」
 リルがボールスに尋ねる。
「ギルドに依頼を出した時点で情報は公になっていますから、ある程度は把握されていると思った方が良いでしょう」
「言いたくはないが‥‥城に内通者がいる可能性は?」
「あるでしょうね」
 ボールスは他人事の様に答える。
「今回はそれを確かめる好機でもあります」
 ロシュフォードも武力行使や暗殺といった手段は成功率が低い事はわかっているだろう。力で追い落とすよりも、社会的、政治的に抹殺する方が容易だと考える筈だ。
 ただ、それを確かめる為にフォルティナを危険に晒す訳にはいかない。ロシュフォードなら‥‥心情的にはどうなっても構わないが、それもやはり拙いだろう。
「この前の事件でも、結局は奴の評判が上がっただけ‥‥でしたっけ」
 蒼汰が言った。事の発端となった決闘騒ぎでは、そうなったと聞いている。
「内通者がいるなら準備の時間は充分にあるな。ボールス卿の城で事件を起こせば、評判を落とす事も容易いだろう‥‥道中で何かを仕掛けるよりも色々な手が仕えそうだしな」
 だが、そうではない場合の事も考えてまずは道中での警戒に当たろうと、リルは再び一行の先に立った。
「街道の脇で不埒者が先行しないかチェックしておくよ。何かあれば道端に合図の石積みをしておく。何もなければ、そのまま護衛につく予定だ」


 その頃、タンブリッジウェルズの城では‥‥
「はじめまして。マロース・フィリオネルと申します。よろしくお願いいたします」
 挨拶の後、マロースはけだるそうな様子のフォルティナに言った。
「よろしければ、面会の際に護衛を務めさせて頂きたいのですが」
「何よ護衛って。まるでロシュ様が私に何かするみたいじゃない」
 フォルティナはむくれてそっぽを向く。
「‥‥彼を信じたい気持ちはわからぬでもないが‥‥」
 メアリーが言った。
「私は、恋というのは、経験がないゆえによくわからぬが、自分の中から出てくる子供が自分以上に大事に感じると言うことは、わかるつもりだ。だが、ロシュ卿が果たして、父親として相応しいと言えるであろうか?」
「何よあんた、人の彼氏にケチ付けるつもり!? 経験がないなら余計な口出ししないで!」
 どうも、いつも以上に気が立っているらしい。おまけに不安定でもある様だ。
「ちょっと、失礼します」
 マロースはメアリーに双方とも妊娠中の女性に特有の精神状態なので気にしないように言うと、せめて少しでも楽になればとフォルティナにメンタルリカバーをかけた。
「体が動かないのも、自己嫌悪に陥るのも、苛々するのも、ぜんぶ妊娠が原因です」
「わかってるわよ、そんなの。だから早く出してスッキリしたいって言ってるんじゃない」
 先程よりは静まった様だが、それでもまだ不機嫌な様子でフォルティナは言った。
「‥‥お腹の中にいる子供は‥‥、大体水を一杯に張ったお鍋くらいですか。‥‥休み無しでずっと一緒なのですから、疲れないわけがないですよね」
 と、マイは自分がずっとお腹に重たい鍋を抱えて生活している様子を思い浮かべる。
「‥‥早く楽になりたいのは、わかります」
 それに早産の事も考えると、そろそろ準備だけは進めておきたい所だ。助産婦や、場合によっては乳母の手配など。それに名前も。本当は父親になる筈の人と一緒に考えるのが良いのだろうが‥‥
「‥‥それに、余り考えたくない事かもしれませんが‥‥生まれて来る子供をどうするか、それも考えておいた方が良いと思います」
「貴殿にとっては魅力的なのかもしれぬが、子供の父親としてはどうであろう? 貴殿と子供の為を第一に考えて、今後の希望を出して頂きたい。認知を求めるなら経済的にはかなりのメリットがあるだろうが、今後貴殿らは捨て駒とされかねない。既に貴殿は‥‥」
 捨て駒扱いされていた、と言いかけて、メアリーはマロースに止められた。
 ただでさえ様々な不安を抱える妊婦に、追い打ちをかける様な言葉は禁物だ‥‥例えそれが事実だとしても。
「いや‥‥申し訳ない。私はただ、幸せとは何かを考えて頂きたいと‥‥」
「今はこれくらいにしましょう。フォルティナさんも、お腹の赤ちゃんの為にも堂々と休んで下さい」
 落ち着かない様子でしきりに爪を噛んでいるフォルティナの両手をそっと握り、マロースは言った。
「もし会いたくないなら、今日は帰って貰いますから‥‥出産したらもの凄いハードな生活が待ってます。周りの言う事なんか気にしないで今の内に思う存分寝て、休んでください」
「何言ってんのよ、後の事なんか知ったこっちゃないわ。私は産むだけ。そしたらあのバカに押し付けて、さっさと逃げるんだから」
 ‥‥今はそう言うが、果たして一月後にはどうなっている事やら‥‥?


 ロシュフォードを乗せて、馬はゆっくりと歩いていた。
 少し離れて前を行くリルと森写歩朗に続き、クリスを前に乗せたボールス。ロシュフォードはその後ろ‥‥やろうと思えばボールスの背中を容易に狙える位置に付けている。その為、前方の警戒はクリスに任せ、自分は背中に神経を集中しているのだと本人は主張していた。まあ、実際には気楽に二人乗りを楽しんでいる様にしか見えないのだが。
 そして背後では蒼汰とルーウィンがロシュの両脇を固め、更にその後ろにはグランがぴったりと張り付くいている。一行が出発した後で後ろから尾行する者がいないかを見届け、安全を確認した彼は今や、前を行く護衛対象から片時も目を離すまいと睨み付ける様な視線を送っている。
「‥‥後ろの者、私の背中に穴を開けるつもりか?」
「いいえ、とんでもない!」
 視線に気付いて煩そうに言ったロシュに難癖を付けられては大変と、グランは慌てて話題を振る。
「ロシュ様は赤ちゃんの事はご存知なんですよね? ご自分がパパである事も」
「そうらしいな」
「それで‥‥どうなさるおつもりですか? その、父親として‥‥」
「無論、相応の愛情を持って接するつもりだが?」
 背中を向けている為、グランからその表情は見えない。だが、どうも‥‥
「本当に? 本当に本気でそう思ってますか? ポーズとかじゃないでしょうねっ!?」
「心外だな。私がそれほど愛情の薄い男だとでも? 現に今、彼女の為にこうして敵の巣に飛び込もうとしている、この私が?」
 やっぱり、嘘臭い。と言うか‥‥
「ボールス様は、あなたの敵だと?」
「当然だ、大切な女性を幽閉し人質に取る様な者を友とは呼べまい?」
「それは‥‥フォルティナさんの身を案じての事ですよ。ロシュ様が本当に、フォルティナさんと生まれてくる子供に情を持って接してくれるとわかれば、ボールス様だって‥‥」
「つまり、私は信頼されていないという事だ。ならばこちらも、彼を信じる訳にはいかん」
「いや、ですから‥‥それはロシュ様の態度と言うか心がけと言うか、それ次第で」
 一抹の虚しさを感じつつ、それでも彼の心の奥底にひとかけらでも良心があるなら、それに訴えて少しでも良い方向に向かわせる事が出来るかもしれないとグランは食い下がる。
「ロシュ様も本当は心の温かい愛情に溢れた方、なんですよね? ね?」
 嘘もつき通せば真実。ヨイショも繰り返せば暗示にかかり、嘘が誠になる‥‥かもしれない。
 期待を込めた見つめたその背中は‥‥
(「やっぱり、冷たく笑っている様にしか見えないんですよねぃ」)
 ボールスが調べた所によれば、ロシュフォードには確かに妻がいた。だが、公式発表はないが、彼女は既に死亡しているという。つまり、その気になればフォルティナを妻に迎える事も不可能ではないのだ‥‥本当にその気があるなら、だが。
 しかし先程、面会を待つ間にクリスが家臣達に尋ねた所では、まるで生きている者を話題にしているかの様な反応が返って来ていた。誰も姿を見た事はないが、その存在を信じて疑わない‥‥そんな様子。ただ、子供はいないという事だけは確かな様だが‥‥。
「‥‥しかし、気になるな‥‥」
 ロシュの脇を固めた蒼汰が上空を仰ぐ。そこには青い空を背景に、一羽の鳥が舞っていた。セブンオークスを発ってからずっと、まるで自分達を見張る様に。
 蒼汰は兜に取り付けたレミエラを使い、感覚を研ぎ澄ませてみた。
「どうも、見覚えがある様な‥‥」
 まさか‥‥と、蒼汰は喉元まで出かかった名前を腹に押し戻す。
「あいつ、まさか‥‥ロシュフォードと手を組んだ、なんて事は‥‥ない、よな?」


「本当に、会うのですね?」
 丁寧に化粧を施しながら尋ねるマロースに、フォルティナは固い表情で頷いた。とても今から恋人に会おうとする若い女性の顔とも思えないが、それを除けば美しく着飾った彼女は普段の二割増し程度は女が上がって見える。
「きっと、ロシュフォード卿も惚れ直しますよ」
 マロースは彼女の手をとり、客間に向かってゆっくりと歩き出した。そこでは、護衛の者と共にロシュフォードが待っている筈だ。
「‥‥壁の向こうには、とりあえず怪しい者はいない様です。‥‥何をもって怪しいとするのかは議論の余地があると思いますが」
 面会の場として設定された客間に通じる控えの間で、マイがエックスレイビジョンの結果を伝える。
「二人きりという訳には行かぬ事は、承知置き願おう。フォルティナ殿の護衛が第一なのでな」
「‥‥わかってるわ」
「ならば、私はここで任に当たらせて貰っても良いであろうか?」
 メアリーは彼女の肩に乗る。
「なに、少し大きめなフェアリーとでも思って頂ければ、さほど邪魔にもなるまい」
 外部からの突然の襲撃やロシュフォードに対する警戒は勿論、フォルティナ自身の動向にも注意を払う必要がある。気付かぬうちに何かの暗示にかけられていたり、催眠術などで操られる事も考えられる。勿論、彼女だけでなく仲間達も、だが。
「私達も充分に警戒はするつもりですが、それでも危険が全くないとは言い切れません。それに‥‥何かフォルティナさんにとっては聞きたくない様な事を、聞かされる事になるかもしれません」
 それでも会いたいと思うか‥‥客間に入る前に改めて尋ねたクリスに、フォルティナはしっかりと頷いた。どうやら覚悟は出来ている様だ。
「‥‥わかりました。どうかフォルティナさん自身と生まれてくる子にとって一番良い選択を。私達は何があっても味方ですから‥‥」

 それは、奇妙な面会だった。
 家具が全て片付けられた殺風景な部屋に、小さな椅子がひとつ。そこに座った女性と、目の前に立った男との間には5〜6歩以上の距離があるだろうか。そして、周囲を取り囲む冒険者達。事情を知らない者には、犯罪者に対する尋問の様に見えるかもしれない。
 フォルティナの足元にはボーダーコリーのラビが座り、両脇をクリスとマロースが固めている。すぐ後ろにはマイ。メアリーは肩の上だ。一方のロシュフォードの前では忍犬の瑪瑙がいつでも攻撃に移れる体制で身構え、脇には刀に手を掛けたままの蒼汰と、抜き身の剣を下げたルーウィン。そのすぐ後ろではボールスがぼんやりと突っ立っている‥‥様に見えるが、これでもちゃんと警戒はしているのだ、多分。そして、少し離れた所にはさりげなく武装した森写歩朗と、ダーツを構えたグランがいた。ドアの外には森写歩朗のぶる丸が、窓の下にはグランのにんたまくんが待機している筈だ。そして、城の外ではリルが‥‥そして勿論、城の騎士達も警戒に当たっている。
 これでは何か事を起こしたくても、そう簡単には動けないだろう‥‥ましてや、その責をボールスに負わせるような細工は難しそうだった。
 そして、そんな中‥‥久しぶりの逢瀬だというのに、恋人達は笑いかけるでもなく、話をする訳でもなく、ましてや駆け寄って抱き合う様な事もしない。ただ黙って、見つめ合っていた‥‥互いの腹の内を探る様に。
「‥‥元気そうで何よりだ、ティナ」
 漸く口を開いたロシュフォードの第一声。
「だが‥‥無事を喜んで抱き締めようにも、どうやら結界が張ってある様なのだがね。これは、お前の意志か?」
「‥‥そうよ」
 お茶会の形式を断りこんな殺風景なセッティングを希望したのも、自分の周囲に結界を張って欲しいとマロースに頼んだのもフォルティナ自身だった。彼女は本能的に、目の前の男に対して危険を感じているのかもしれない。
「そうか‥‥すまない、ティナ。お前が最も大変な思いをしている時に、傍で守ってやる事も出来ず‥‥私は男としても、子供の父親としても失格だ」
 ロシュフォードはフォルティナの前に膝を折った。
「だが、私にはお前が必要なのだ。どうすれば戻ってくれる? 勿論、その子供は私達の愛の証だ。わが子として大切に育てよう。お前の事も、正式に妻として迎える。だから‥‥戻ってはくれぬか?」
 だが、フォルティナは自分の大きな腹に手を当てたまま、微動だにしない。まるで、その子に聞けば彼の本心がわかるとでも言う様に。
「‥‥ティナ、何故、返事をしてくれないのだ? お前が望むなら、どんな事でも‥‥力を示せと言われれば、そこの円卓の騎士との決闘も厭わぬ事は、お前にもわかっている筈だ」
 以下、人目も憚らず「そこの円卓の騎士」顔負けの甘い台詞が延々と続く。だが、ギャラリーの‥‥そしてフォルティナの反応は冷たかった。ロシュフォードの瞳が宿す光の冷たさに負けない程に。
「‥‥調子の良い言葉はもうたくさん」
 フォルティナが言った。
「その言葉が本当なら、態度で示して。ただし、子供が無事に生まれてから。それまで私はここにいるわ」
「‥‥良かろう、その体で動くのは負担が大きいだろうからな」
「その代わり、約束して。どんな事があっても出産には立ち会うって」
「‥‥わかった、そうしよう」

「流石にこれでは、下手な手出しも出来ないか」
 井戸の中におかしな物が投げ込まれていないかと見て回ったリルは、ふと暮れかかった空を見上げる。
 そこにはもう、蒼汰が気にしていた鳥の姿は見えなかった。
「しかし、代わりに炙り出しも不発か‥‥こいつが禍根にならなきゃ良いが」
 ロシュの側に何の企みもなかったとは思えない。ましてや間諜の一人も放っていないと考えるのは浅慮に過ぎるだろう。
 まあ、疑心暗鬼を呼ぶ、とも言うが‥‥。
「お、ロシュ卿はお帰りか」
 城から出てきた仲間達が呼ぶ声に、リルは応える。どうやら面会は患禍なく済んだらしい。後は彼を無事に送り届ければ任務完了だ‥‥とりあえず、今の所は。


「‥‥それで、実際に会ってみて‥‥どうでしたか?」
 翌日、昨日は出来なかったお茶会を楽しもうと集まった席で、マイがフォルティナに尋ねた。
「どうって‥‥別に。ただ‥‥意外だったって言うか」
「‥‥意外‥‥ですか?」
「そ。自分の気持ちがね。あんなに冷めてるとは思わなかったわ」
 ずっと会いたいと思っていたのに。欲しかった言葉の数々を貰ったのに。
「では、彼の元へは帰らぬのか?」
 メアリーの問いに、それはまだわからないとフォルティナは答えた。
「前の私なら、何の疑いもなく信じてたわ。でも、今は‥‥わからない。もう少し様子を見て、本心を確かめないと」
 流石に、母は強し。
「もし万が一、ロシュ様がお二人を害するような方なら、スッパリ諦めてシングルマザーとして前向きに生きていくのも良いと思いますよ。赤ちゃんが健やかに育つ環境に身を置けるように、俺達も協力しますから」
 本人の気持ちも大事だが、選択権のない赤ん坊の未来を優先して考えたいと、グラン。ボールス様託児所のほうが健やかに育つような気がする‥‥とは口に出さないが‥‥顔には出てる、かも?
「‥‥子供を一番大事にするか、自分の気持ちを最優先にするかは人それぞれですし、止めようもありませんから。‥‥ただ、後悔しない結果になる事を願うだけです。‥‥ところで‥‥」
 母親の事を聞いても良いだろうかと、マイが尋ねた。
「‥‥母性的な部分は母親に似る事が多いように思いますので、それがわかればフォルティナさんがどんな母親になるのか、わかるかもしれないと‥‥」
「じゃあ、私は良い母親にはなれないわね」
 フォルティナは力なく微笑んだ。
「それに‥‥本名はティナよ。貴族でも名家でも何でもない、下町の貧乏人。見栄張って、なんかそれっぽく名乗ってみたけど‥‥ロシュ様には多分バレてるわね」
 礼儀作法も勉強したのだが、所詮は付け焼き刃だったかと肩をすくめる。全ては玉の輿に乗る為の方便。それも途中までは上手く行っていたのに。
「だから、あんた達ももう良いわ。ティナって呼んで」
 フォルティナなんて舌を噛みそうだし、と自分で言う。
「とにかく、もう暫く世話になるから‥‥よろしくね?」
 暫くって、いつまでなんだろう‥‥という若干の不安を残しつつ、騒動の火種はにっこりと微笑んだ。