君の瞳に映る世界は

■ショートシナリオ


担当:STANZA

対応レベル:フリーlv

難易度:普通

成功報酬:0 G 65 C

参加人数:6人

サポート参加人数:3人

冒険期間:06月04日〜06月09日

リプレイ公開日:2009年06月15日

●オープニング

 君には、争いのない世界を遺したいと思っていました。
 誰も傷付けあう事のない、穏やかで優しい世界を。

 その為に出来る事は何か‥‥
 血の巡りの悪い頭で一生懸命に考えて、出来る限りの事をしてきたつもりです。

 でも‥‥

 君の澄んだ瞳に、世界は今、どんな風に見えているのでしょうか。

 優しいですか?
 暖かいですか?

 それとも‥‥
 そこには冷たい風が吹いているのでしょうか‥‥

 守りたい。
 守りたかった‥‥君だけは。



 木漏れ日の差す小さな畑で、円卓の騎士ボールス・ド・ガニスは懸命に戦っていた。
 相手は野菜に付いた毛虫‥‥強敵だ。
 それを器用に箸でつまみ、背後の森に投げ捨てる。
 殺す事はしない。彼等もただ、自らの生を全うしようと必死に戦っているだけなのだから。

 甘いと言われる事はわかっていた。
 畑の作物から、森の木々へ。被害に遭う対象が変わっただけで、被害がなくなる訳ではないのだ。
 自分の不幸を他人に押し付ける様なもの、か。
 それでも‥‥出来る事なら命を奪いたくはなかった。

 どうしても奪わねばならない、そんな時もある。
 だからせめて、こんな小さな命くらいは生かしておいてやりたいのだ。
 例え害虫と呼ばれるものでも。

 ボールスは箸の先でつまんだそれを、なるべく見ない様にしながら背後に投げる。
 ジャパン渡来のこの道具も、随分上手く使える様になってきた。
 元々あまり器用ではない彼だが、毎日の様に使っていれば流石に上手くもなる。
 ‥‥そう、剣の腕も日々の地道な努力によって保たれていたのだが‥‥
 もう何日も、彼は剣を手にしていなかった。
 腕は確実に落ちているだろう。
 しかし、どんなに腕を上げたところで‥‥守れる気がしない。
 何も‥‥誰も。

 胸の奥に燃え残る熾火はある。
 だが‥‥風が吹かない。
 今はただ、待つしかない。
 新しい風が、この心を揺らす‥‥その時を。


「とーさま、おひるこれでいい?」
 パタパタと、息子のエルディンが駆けて来る。
 両手に持った籠には森で採った山菜や果実が満載されていた。
「ありがとう、エル。ずいぶん沢山とれましたね」
 ボールスは金色の頭をくしゃくしゃと撫でた。
 この隠れ家にこもってからどれくらい経っただろうか‥‥エルはもう、食糧の確保という点では充分にひとりで生活して行けるだけの知識を身に付けていた。
「作り置きの干し肉がありますから、それでスープでも作りましょうか」
「うん! じゃあエル、おなべにおみずくんでくるね!」
 エルは鍋を頭に被ると、川に向かって走り出した。
「おーなべーのぼうしはガランガラン〜おみずいれたらバシャンバシャン〜♪」
 ‥‥変な歌を大声で歌いながら。

「‥‥ねえ、エル」
 鍋に山菜と肉を入れて煮込むだけの、料理とも言えない料理を作りながら、ボールスはエルに話しかけた。
「そろそろ‥‥帰りませんか?」
 城での生活よりも遙かに不便で不自由なこの暮らしに、エルは一言の文句も言わない。
 大好きなお菓子も食べたいとは言わず、父親の作るレパートリーの貧弱なサバイバル料理も喜んで食べてくれる。
 それに、いつも上機嫌で‥‥本当に、楽しそうだった。
 しかし‥‥
 いつまでもこのままで、良い筈がない。
 エルはまだまだ、多くの人と触れ合い、様々な経験を積む必要がある。
 それが苦い経験だったとしても‥‥いつまでも自分と二人きりの世界に閉じ込めておく訳にはいかなかった。
「とーさまもかえる?」
 その言葉にボールスは首を振る。
「じゃあ、エルもかえんない」
 エルは、満面の笑顔でにこ〜っと微笑んだ。
「エル、ずっととーさまといっしょだもん。どこにもいかないもん」
「‥‥ありがとう。でも‥‥」
 そうだ、とボールスは言った。
「じゃあ、お手伝いしてくれますか?」
「おてつだい? いいよ。なに?」
「バラの花摘み。エル、得意でしょう?」
「うん、とくいー!」
 この時期にはローズティーやジャムを作る為の花びらを摘むのが毎年の恒例になっていた。
 今年は少し時期が遅れてしまったが‥‥
「じゃあ、後でウォルに迎えに来て貰いましょうね」
 そう言われて、エルは漸く気付いた様だ。花を摘むには城へ帰らなければならない事に。
「とーさまも、いっしょだよね?」
「私はここで待ってますから」
「じゃあ、エルもいかない!」
「でも、お手伝いしてくれるんでしょう?」
「‥‥うぅ‥‥っ」
 大人の悪知恵には敵わない。
「とーさまの、いじわる‥‥」
 エルのほっぺたが、ぷーっと膨らんだ。
「エル、お城に帰れば大好きなお菓子がお腹一杯食べられますよ?」
「おかしなんかいらない! エル、とーさまといっしょにいる!」
「エル‥‥」
「だって、エルがいなくなったら、とーさまないちゃうもん!」
「‥‥泣きませんよ」
 くすり、と微笑む。涙を溜めているのはエルの方だ。
「お土産、待ってますから‥‥ね?」
「‥‥ほんとに? まっててくれる?」
 エルは大粒の涙を溜めた目で父親を見上げた。
「エルがいないあいだに、どっかいっちゃったり、しない?」
「どこにも行きませんよ。約束‥‥しますから」
 約束という言葉に虚しさを感じつつ、ボールスは小指を差し出す。
 絡めた指が、ちくりと傷んだ。



 そして後日、冒険者ギルド。
「‥‥そう、表向きはバラの花摘みの手伝いなんだけどさ」
 お使いを頼まれたウォルフリード・マクファーレンが、依頼書に必要事項を書き込んで行く。
「それはエルを連れ出す為のタテマエだから。そこは適当にやっといて‥‥まあ、適当って言ってもちゃんとやって貰わないと困るんだけどね。後はエルと遊んでくれるだけで良いから」
 彼の瞳を悲しい色で染めないように。
 世界は暖かくて、優しいものだと思えるように。
「じゃ、よろしくおねがいします」
 ウォルはぺこりと頭を下げた。

●今回の参加者

 ea3502 ユリゼ・ファルアート(30歳・♀・ウィザード・人間・ノルマン王国)
 ea7244 七神 蒼汰(26歳・♂・ナイト・人間・ジャパン)
 eb2257 パラーリア・ゲラー(29歳・♀・レンジャー・パラ・フランク王国)
 eb4646 ヴァンアーブル・ムージョ(63歳・♀・バード・シフール・イギリス王国)
 eb8317 サクラ・フリューゲル(27歳・♀・神聖騎士・人間・ノルマン王国)
 ec4924 エレェナ・ヴルーベリ(26歳・♀・バード・エルフ・ロシア王国)

●サポート参加者

シェアト・レフロージュ(ea3869)/ カルル・ゲラー(eb3530)/ アイリス・リード(ec3876

●リプレイ本文

 城の庭に、早朝の冷たい湿気を含んだ穏やかな風が吹いていた。
「静かだな‥‥」
 今朝、誰よりも早く起きたユリゼ・ファルアート(ea3502)は、初めて訪れるその場所にひとり佇んでいた。
「でも、耳を澄ませたら木や花の揺れる音が聞こえるし‥‥風に乗ってくる薔薇の香りは果物に似ていて幸せな気持ちになれるわ」
 もうすぐ仲間達も起き出して来る。
「それまでは、少しの間独り占め‥‥かな」

 それは本当に少しの間だった。
「おはよーございまーす!」
 間もなく、庭に面した通用口から小さな男の子が元気に飛び出して来た。
 その後ろから、子守り役の少年と仲間達が続く。
「えっと、おてつだいよろしくおねがいしますっ」
 ぺこりと頭を下げる。
「にゃっす! あたしパラーリア☆ エルくんよろしくねっ」
 元気なエルに負けない勢いで、パラーリア・ゲラー(eb2257)が片手を上げた。
「えと‥‥にゃ?」
 聞いた事のない妙な挨拶に、エルは首を傾げる。
「にゃっす! は万国共通の挨拶なんだよ〜」
 万国とは言っても人間界ではなく、ネコ界での話らしいが。
「そっか〜。にゃっす! あとでとーさまにもおしえてあげるねっ」
 これで、お土産がひとつ。エルは小さな指を一本、ちょこんと突き出す。
「エルくんは大きくなったのだわ〜」
 ヴァンアーブル・ムージョ(eb4646)が、しみじみと呟いた。会うのは殆ど2年ぶりだろうか。
「ウォルくんはちょびっとは背がのびたのかしらなのだわ?」
「え? オレ?」
「背伸びがしたいお年頃だと、聞いたのだわ」
「ま‥‥少しはね」
 確かに以前は、身長を伸ばす事が最重要課題だったが‥‥今はもう、そんな事はどうでも良くなっていた。
 見た目などより、もっと大切なものがある事に気付いたから。
「ふぅん? ‥‥成程、ねぇ」
 その答えに、エレェナ・ヴルーベリ(ec4924)が意味ありげな笑みを漏らす。
「‥‥何だよ?」
「いや、何でもない」
 もう一度くすりと笑うと、エレェナは続けた。
「バードのエレェナだ。サクラ、改めて‥‥彼らを紹介してくれるかい?」
 乞われて、サクラ・フリューゲル(eb8317)は二人の少年に微笑む。
「私の大事な親友、ユリゼとレェナですわ」
「エル君、初めまして。私はユリゼ。サクラのお友達よ」
「エルディン・ド・ガニスです! 5さいです!」
 エレェナがエルの前にしゃがみ込み、金色の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「そう、君も‥‥エルディンというの。よろしくね、小さなエル」
 傍らのウォルにも「よろしく」と言葉をかけ、ちらりとサクラを見る。
「彼女はね、大切な友人なのだよ。半端な相手では、納得できないなぁ、私は」
 くすくすが、ニヤニヤに変わった。
「どういう意味だよ? そりゃ、オレは何もかも中途半端で役に立たないけど、女を虐めたりはしないぞ!」
 そういう意味では、ないのだが。
「‥‥ふふ、精進したまえよ?」
 色々とわかっていないお子様の頭を、くしゃり。
「うう‥‥っ!」
 いかにも「大人」の雰囲気を漂わせる彼女には、流石のウォルも撫でるなとは言えないらしかった。
「では、陽が高くならないうちに始めましょうか」
 昨年の花摘みを思い出しつつ、サクラが言った。
 確か早朝の、まだ朝露が付いている状態で摘むのが良いと教わった記憶がある。
「うん、イギリスの薔薇は素晴らしいと聞くけれど‥‥本当に」
 色も姿も、そして香りも素晴らしいとエレェナ。
「エル、上手な摘み方を教えてくれるかな?」
「うん、いいよー!」
 器用に棘を避けつつ、小さな手が花首を掴む。
「あのね、3まいのはっぱといっしょにとるんだよ。5まいのはっぱは、のこしておくの」
 花のすぐ下にある3枚の葉と一緒に、枝を斜めに切り落とす。ナイフの使い方もなかなか堂に入ったものだ。
「こうするとね、またここからおはながさいてくれるんだよ」
 エルは5枚の葉が付いた枝を指差す。
 花摘みは新しい花を咲かせる為の手入れも兼ねていた。
「花びらをほぐす作業は後で纏めてやるから、とりあえず咲きかけの奴をどんどん摘んでってよ」
 ウォルが各自に麻袋を渡す。
「これだけ沢山の種類があるなら‥‥」
 と、袋を受け取りながらユリゼが言った。
「色や種類毎に分けて摘んで、後でお好みでブレンドしたりしたら楽しいかも」
「そうだね、種類ごとに香りも違う様だし」
 エレェナが答える。
「では、私は先にお茶とお菓子の準備を‥‥」
「なんだよ、仕事サボる気か?」
 先に休憩の手筈を整えようと厨房へ行きかけたサクラを、ウォルが呼び止めた。
「いえ、そういう訳では‥‥」
「ああ、そっか。毛虫が怖いんだ?」
 そういう訳でも、ある様な、ない様な。
「大丈夫だよ、そんなもんオレが取ってやるから」
「あら、さすが騎士様ね。頼もしいわ」
 ユリゼが茶々を入れる。
「サクラ、お言葉に甘えたら? 私は大丈夫、毛虫位で逃げてたら薬草師なんて勤まらないし」
「‥‥え、あの、でも‥‥」
 さて、どうしよう。
 一緒にお茶の準備をするのと、花摘みと‥‥どちらがオイシイだろうか。
「両方、と欲張ってみても構わないと思うが?」
 エレェナが耳元で囁いた。
 それに花摘みは朝のうちに終わる。準備はそれからでも遅くないだろう。
「では‥‥よろしくお願いしますわね、騎士様」
 サクラがほんのりと頬を染めて微笑む。
 だが、お子様騎士は何故か不機嫌にぷいと横を向いた。
「オレが勝てるのは毛虫くらいのもんだしな」
「出来る事から始めれば良いのだわ〜」
 ムージョさんがふよふよと舞い上がり、手の届かない高さに咲いた薔薇を一輪、摘み取ってエルに手渡す。
「こんな風に、なのだわ」
「ありがとー!」
「じゃあ、エルくん。私達は向こうでお花摘みましょうか」
 ついでに、森の暮らしに役立つ様に虫除け効果のハーブ等の名前や使い方を少しずつ教えてあげる、とユリゼ。
「うん!」
 その誘いに、エルは元気に答えた。

 やがて朝の冷たい空気が温み、日差しがその強さを増し始める頃。
 庭のあちこちに咲いた薔薇は、まだ固い蕾を残すだけとなった。
「庭の眺めは少し寂しくなったが‥‥またすぐに、綺麗な花を咲かせてくれるのだろうな」
 花びらをほぐしながらエレェナが言った。
 後は風通しの良い日陰で何日か乾かせば、保存の効く材料が完成する。
 いくつか残した生の花は、サクラ達の手でお菓子やお茶に姿を変えている最中だった。
「じゃ、その間に‥‥ちょっとお庭を探検してこよ〜!」
 パラーリアがエルの袖を引っ張った。
「たんけん? エル、おにわのことならぜんぶしってるよ?」
「でも、お空から見た事ある?」
「んー‥‥」
 何度か、空を飛んだ記憶はあるが。
「ほらっ、まほーの絨毯だよっ☆ これで、いつもは見えない所からお庭を見てみよ〜」
 空高く飛ばなくても、いつもより少し視線が高くなるだけでも良い。
 それだけで、世界は案外違って見えるものだ。
 秘密の道具でネコ達に話を聞いて、とっておきの景色を教えて貰うのも良いかもしれない。
「じゃあ、行ってみよ〜☆ そんで、と〜さまにいっぱいお土産持って帰ろうねっ」
「うんっ!」
 エルが元気いっぱいになれば、きっとボールスも元気になれる。
 いや、エルは元から元気いっぱいに見えるが‥‥何となく、無理をして元気に振る舞っている様な、そんな気がするから。
「では、我々はここで留守番でもしていようか」
 エレェナが傍らのユリゼに微笑みかける。
 こちらも元気そうにはしているが、親友の目から見れば普段とは少し様子が違っている事が感じ取れた。
 何かを抱えているように見える。
 その助けにはなれなくても、せめて傍に在る時間を作れたら‥‥
「そうね。‥‥ありがとう」
 その想いが通じたのか、ユリゼは小さく微笑んだ。
 エレェナはリュートを取り出し、静かに奏で始める。
 それに合わせ、傍らの樹上からも柔らかな竪琴の音が零れ、絡み合う。
 静かな響きは蕾を抱えた薔薇達への子守歌の様に、庭を包み込んでいった。

 一方、こちらは城の厨房。
 薔薇の香りのお茶に、ノルマン風のお菓子‥‥それに、薔薇の花びらを乗せて焼いたクッキー。
「エルさんの喜びそうなお菓子‥‥後はどんなものがあるでしょう」
「‥‥さあね」
 サクラの呟きに答えるウォルの返事は素っ気ない。
「あいつ、最近は動物の形とか喜ばないんだよな‥‥なんか、変に大人びてるって言うか、さ」
 僅か5歳にして子供時代はもう終わったのだと、そう自分に言い聞かせている節もある。
 自分が父親を守るのだと‥‥
「それで‥‥ボールス様の今のご様子は?」
「‥‥こないだ‥‥色んなの、処分する様に頼まれた」
 ウォルはパンの生地を天板に叩き付ける様に置いた。
「いくら口ではもう関係ないって言っても、色々残ってたら足が付くからってさ。証拠隠滅ってヤツ?」
 流石に息子の物まで処分しろとは言わなかったが‥‥
「勿論、師匠にはバレない様にこっそり隠してあるけど」
 怒りをぶつける様に、力任せに生地をこねる。
「遠ざける事でしか守れないなんて‥‥そんなの間違ってる。そりゃ、オレだって自分が誰かに狙われてるなら、周りを巻き添えにしたくないって、そう思うけど」
「私も‥‥もっと強くならなければいけませんわね」
 遠ざける事などしなくても、全てを守れる様に‥‥とサクラ。
「‥‥強く‥‥か」
 必要なのは、強さなのだろうか。
 強いものは、弱いものを否定しがちだ‥‥力だけでなく、心も。
「強くなきゃ、何も守れないのは事実‥‥かもしれないけど。弱くて優しい人が割を食う様な世界‥‥オレは、嫌だ」
 ぽつりと呟き、ウォルは手荒に扱ったパン生地に向かって「ごめんな」と謝った。

「あははははっ!」
 エルの明るい笑い声が庭に響く。
 土産話の種にとユリゼが披露した水芸は、思わぬ所で観客の笑いを誘った様だ。
「あれ? おかしいわね‥‥綺麗な球になる筈なんだけど」
 ウォーターコントロールで操作した水に薔薇の花を閉じ込める。そこまでは良かったのだが‥‥
 予定では水晶玉の様な球体を作るつもりが、なかなか上手く行かない。
 両手の間に集めた水の塊はまるで生き物の様に、ぐにゃんぐにょんと形を変え、踊る。
 そこにムージョさんがコミカルな伴奏を付けたものだから、もう笑いが止まらない。
「おもしろーい!」
 ‥‥目指したのは「綺麗」なのだが‥‥まあ良いか。
 触ろうとする小さな手を、ユリゼは止めようとはしなかった。
「水遊びには少し早いから、服を濡らさない様に気をつけてね?」
「はーいっ!」
 やがて音楽は静かなものに変わり、お茶やお菓子が運ばれて来た。
「私も、これを提供させて貰おうかな」
 エレェナが取り出したのは、友人から託されたクッキー。
「形は少々アレだが、味は保証するよ」
 やがてお茶やお菓子があらかた片付いた頃‥‥
「そだ、エルくん大切な人いる?」
 突然、パラーリアが訊ねた。
「うん! とーさまと、か‥‥」
 出かかった言葉を、途中で飲み込む。
「なんでもないっ!」
「‥‥そっか。じゃ、大切な人のためにお護りつくろ〜よ」
「おまもり?」
「革をこ〜やって‥‥」
 パラーリアは持参した黒と茶色の皮をネコの形に切っていく。
「縫い合わせてネコちゃん型のお護りをつくろ〜。勿論あたしも手伝うし、エルくんは、大切な人のをつくるんだよ〜」
 パラーリアは手際よく皆の分を作っていく。
 エルが選んだのは耳が黒い茶色のネコだった。
「それでね、お護りができたら、メッセージを入れた羊皮紙片とか、今の季節だったら薔薇の花びらとかいれておくといいかも〜」
 いつでも想いがとどきますようにと、祈りをこめて。
 何が良いだろうかと賢明に考えるエルの耳を、柔らかな竪琴の音色がくすぐる。
 それは、どこかで聞き覚えがある様な‥‥
「エルくんは、覚えているかしらなのだわ」
 以前、エルの母親‥‥フェリシアの育ての親から聞いた子守歌。
「エルくんのお母さんや、そのまたお母さんそのまたお母さんも、ずっとずっと前から少しずつだけれど、伝えてきた優しい思い‥‥」
「エルのかーさまは、もういないよ?」
「でも、ずっと伝えられて来た歌は、こうして残るのだわ」
 歌と共に、想いも残るもの‥‥命を繋ぐ事と同じ様に、歌も繋いで行ければ。
 エルに伝えたい‥‥そしてエルにも伝えて貰いたい。優しい歌と、そこに込められた優しい想いを。

 やがて曲が変わり、ムージョとエレェナの伴奏に合わせてサクラが歌い出す。

 世界は優しさに満ちている
 貴方にも見えるでしょう?
 周りを見て、ほら、貴方を思う笑顔がそこに
 時には涙で曇る事はあるでしょう‥‥
 時には憤りで見失ってしまうでしょう‥‥
 でも辛くても思い出してこのぬくもりを。
 悲しい時辛い時、きっと誰かが貴方を想ってる‥‥

 静かな歌声に、ユリゼは芝生に座って耳を傾ける。
 素足を投げ出し、目を閉じて、じっくり羽を伸ばす気持ちで‥‥


 そして、仕事を終えて冒険者達が帰途に就く、その朝。
「ウォル君、ちょっと‥‥」
 再び花開き始めた薔薇の陰から、ユリゼが手招きをした。
「ほら。こうすると棘が綺麗に取れるのよ? 束にして贈るもよし、髪に飾るもよし‥‥ね?」
 しかし、リボンと共に渡された一輪の薔薇を、ウォルは訝しげに見つめる。
「‥‥誰に?」
 流石は野暮天師匠の弟子。
「誰って‥‥ほら、お守りのお返しとか」
「お守り?」
 ‥‥思い出した。額がちょっぴり熱くなる。でも‥‥
「べ、べつにっ、そんなの‥‥お返しとかっ」
 そんな洒落たお返しが似合う男になれるかどうか‥‥それは神のみぞ知る?
「ま、あいつが喜ぶなら渡してやっても良いけどさ」
 ‥‥素直じゃないなあ。
 その脇では、エレェナが手折った薔薇をエルに手渡す。
「父君へのお土産に、どうかな?」
「うん、ありがとー!」
 萎れない様小さな水筒に挿した花を、エルは嬉しそうに受け取った。
 これで、お土産は幾つになっただろう。
「花弁も美しいけれど、花はやはり咲いている姿が一番だから。吊るして乾燥させれば長く思い出の品にもなるよ」
 そして、エレェナは少し遠くを見つめ‥‥呟いた。
「詳しい事は知らないけれど、自己嫌悪に膝を着く時、というのは覚えががある」
 歌の枯れたバード。そんなものには何の価値も、意味もない。
 だが、ある人の言葉が標の光となり、歌となった。
 そして顔を上げ見回せば、友人達の姿。
「‥‥ねぇ、小さなエル。きっと、君は父君の光なのだろうよ。自ら立上がる日まで、道の先で待っていておあげ」
 エレェナは金色の頭を優しく撫でる。
「その眼が彼を想う人々を写し、差し伸べられている手を取る時が、いつか来る筈だから」
 無理に頑張る必要はない。
 そんな姿は、見ている方も辛いだろうから‥‥
「思いきり甘えて、我侭を言って困らせる‥‥それも大事な仕事だろうね」
 城の庭には、今日も優しい風が吹いていた。