人と、悪魔と。
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■ショートシナリオ
担当:STANZA
対応レベル:11〜lv
難易度:難しい
成功報酬:10 G 85 C
参加人数:10人
サポート参加人数:-人
冒険期間:01月07日〜01月12日
リプレイ公開日:2010年01月22日
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●オープニング
『‥‥戻って来い‥‥』
声が、聞こえた気がする。呼ばれた、気が。
『いつまで油を売っているつもりだ』
笑いを含んだ様な、冷たい声。いや、そんな気がするだけだ――テレパシーに、感情は籠らない。
それに、彼がここに来る筈もない。
シャドウドラゴン――彼の愛騎。使いとして寄越されたそれが、何処かテレパシーの届く範囲に潜んでいるのだろう。
『‥‥それとも、居心地が良くなったか。この、私の許よりも‥‥』
「あの方が‥‥そんな事まで伝えろと?」
言う筈がない。あの、彼が。
『くくく‥‥お前、情が移ったんじゃないのか? あの、人間に』
ドラゴンは、嗤う。
『それなら、それで構わんとさ。だが、戻るなら‥‥背を貸してやる』
――あのシャドウドラゴンは、彼以外にその背を許す事はない筈だが‥‥
『あの方のご命令だ。仕方あるまい。お前は余程、気に入られていると見える』
「‥‥怒っては、おられないの? 失望されているのでは‥‥」
『何故?』
「あの方の命令を、何ひとつ‥‥上手くこなせなかったわ。全て、失敗した。‥‥戻るのが、怖い」
『今、吾がここにいる事が、答えだ。来るのか、来ないのか。さっさと決めろ』
――来るのか、来ないのか‥‥そんなこと、訊かれるまでもない。
「行くわよ」
と、答えた‥‥その時。
「――メリンダさん?」
背後から、声がした。いつの間にか耳に馴染んでしまった、人間‥‥男の、声。
ドラゴンの気配を察したのだろうか。
――普段はぼんやりしているくせに、こんな時ばかり鼻が利く。まったく、面倒な男だ。
「‥‥ボールス、様」
努めて冷静を装い、振り返る。大丈夫、シャドウドラゴンも彼に気付いて気配を消している。
気付かれはしない――私はメリンダ・エルフィンストーン。
まだ、今は。
「あの‥‥何か?」
振り返った途端、周囲に風景が戻って来た。まるで、現実に引き戻された様に。
今は夜。そしてここは、タンブリッジウェルズの城――その、中庭。
聖夜を祝う祭の時、この庭の木々は様々に飾り付けられ、色とりどりの輝きを放っていた。
けれど、それも既に片付けられ、今はただ雪に埋もれ、静かに微睡んでいる。微睡みながら‥‥春を待っているのだろうか。
――いや、違う。私は‥‥何も感じない。この世界を美しいなどと、思ってはいけない。
――もう少しここに居たいなどと‥‥語りかけて来る男の声が耳に心地良いなどと、思ってはいけないのだ。
「メリンダさん、外は冷えますよ? それに‥‥安全とは言い難い」
その男、ボールス・ド・ガニスは自分のマントを私の背に羽織らせた。
闇に紛れてしまいそうな、漆黒のマント。
「‥‥戻りたくないなら、暫くお付き合いしますが」
微笑んでいる。まったく‥‥どこまでお人好しなのか。
「そうね。じゃあ‥‥付き合ってもらいましょうか」
――地獄の、底まで。
付き合ってもらいましょうか――そう言った時、メリンダの様子が変わった。
いや、もはやメリンダではない。それは――
「‥‥我が名はムールムール‥‥地獄の王アスタロトが寵愛を受けし者」
ゲヘナに眠る死者を弄び、冒険者達を翻弄した、女デビル。
主であるアスタロトからデビルとしての本性を隠す「ソロモンの指輪」を借り受け、そうと気付かれずに人間界――しかもキャメロットの王宮に堂々と潜入していたのだ。
あの、夏に行われた園遊会でデビルを手引きし、ラーンスを陥れたのも、勿論この女だ。
「アスタロト様への手土産に、その魂‥‥貰い受けるわ」
「それは‥‥流石に、どうぞとは言えないな」
メリンダ、いやムールムールに剣の切っ先を向けられても、ボールスは微動だにしない。
それどころか、相変わらず柔和な微笑みを浮かべていた。
ムールムールの眉が、ぴくりと動く。その下から覗く琥珀の瞳に怪訝そうな色が浮かんだ。
「驚かないのね」
「予想は、していましたから」
ボールスはさらりと答える。状況から考えて、手引きをしたのはメリンダに間違いはないと、そう確信を持っていた‥‥殆ど、最初から。
「流石に、その正体がムールムールとは気付きませんでしたが」
まだ、微笑んでいる。
こいつは馬鹿なのかと、ムールムールは琥珀の瞳を細めて、ボールスを仔細に観察し始めた。
――この男も円卓の騎士、デビルに関してはそれなりの知識はあるだろう。ムールムールの名と、その力も知っている筈だ。なのに‥‥何故、こうも泰然と構えていられるのだ?
ボールスは丸腰だ。ホーリーシンボルである十字架さえ身に付けていない。
「‥‥何を、考えてるの?」
ムールムールは、思わずそう訪ねてしまった。
「犯罪者を、それと知りながら匿っていた罪は大きいわ。その正体がデビルなら尚の事‥‥」
「でも、あなたははっきり、自分ではないと言いました。私はそれを信じただけです」
「アナタ‥‥本物の馬鹿?」
「そうかも、しれませんね」
ボールスはまだ、にこにこと微笑んでいる。
「でも、信じなかった事を後悔するよりは、信じて裏切られた方が良い。それに‥‥私はまだ、あなたを信じていますから」
「‥‥?」
「あなたの正体が何であろうと、あなたが‥‥このまま、ここに居たいと望むなら。私は全力でそれを支えましょう。勿論、受けるべき罰は受け、きちんと償いをして頂く必要はありますが‥‥」
「――ふざけないで!」
ムールムールの剣が一閃した。ボールスの右肩から胸にかけて深紅の飛沫が散る。だが、それでも彼は動かなかった。
「‥‥人も、デビルも‥‥そう、大した違いはない。デビルは絶対悪だと、そう言われますが‥‥世の中に、絶対、などというものは、ない」
ぽたり。ぽたり。だらりと下げた右腕の指先から、赤い雫が滴り落ちる。
「‥‥人も、そう‥‥美しいばかりのものでは、ありませんから。憎み合い、傷付け合い、奪い合い‥‥裏切り、騙し、そして、闇に葬る‥‥。だからこそ、デビルに付け込まれ、利用される‥‥」
結局は、同じだ。利用する方も、される方も。
しかし、人はそうした暗い面ばかりを持つ訳ではない。同じ人が、他人を愛し、慈しみ、暖かく包み込む事も出来る。
ならば、デビルにも同じ二面性があっても‥‥おかしくは、ない。
「あなたは‥‥メリンダとして、人の中に溶け込んでいた。それが偽りの姿だとしても‥‥偽りを、真実にする事は、出来ます。私は、あなたを‥‥いや、他の誰であっても。デビルだからという理由だけで、倒したくは、ない」
必ず倒さなければならない、絶対悪。
そんなものは、存在しない。存在、させない。
同じヒト同士でさえ、平和共存は難しい。現実に、種族間の差別は厳然として存在する。
だが、それでも。
「もしかしたら‥‥デビルとさえ、平和に共存が、出来る‥‥かも、しれない、なんて。‥‥やっぱり、馬鹿‥‥、かな」
がくり。
ボールスは自分が作った血溜りの中に膝をついた。
その時――
「‥‥師匠〜? どーこほっつき歩いてんのさ〜?」
ウォル‥‥ウォルフリード・マクファーレンだ。姿の見えないボールスを心配して探しに来たのだろう。
「夜の散歩もほどほどにしないと、風邪ひくってば‥‥」
ふと、夜の闇が一層その濃さを増した気がして、ウォルは思わず目をこずる。
その目の前を漆黒のドラゴンが掠め――何処へかと、飛び去って行った。
後に、赤黒い血溜りだけを残して。
●リプレイ本文
赤黒い、大地と空。全てが血の色に染まったそこは、地獄。
そのねっとりとした大気に、ムールムールの死者を呼ぶ声が絡み付く様に流れる。
声に応えて集まったものは、数知れず。少し離れた場所に身を潜めた冒険者達の目には一続きの壁にしか見えない。
生き物の様に蠢く肉色の壁。元は、人間だったもの。
しかし、あれを蹴散らし、突破しない事には、その向こうで待ち構える彼女の許へ辿り着く事は出来ない。
「ゲヘナの丘より長らく姿を見せなかったムールムールが、メリンダとして、王宮に潜入していたとは‥‥、な」
ファング・ダイモス(ea7482)が悔しげに拳を握る。
「怪しい怪しいとは思っていたが、正体はデビルであったとは」
忌々しそうに鼻を鳴らしたアリオス・エルスリード(ea0439)に、エスリン・マッカレル(ea9669)が応えた。
「魔具で本性を隠し、伯爵家を惑わして実在しない令嬢を捏造したか。或いは‥‥本物の伯爵令嬢メリンダを殺害し、その存在を乗っ取ったか」
だとしたら、本物のメリンダ嬢への冒涜に他ならない。
「得体の知れぬ者を王妃の側に置くはずもないからな」
だが、本物がどうなったかなど‥‥考えるだけ詮無い事。
「せめて仇を討つことで手向けとしよう」
「メリンダ‥‥まさか、ムールムール程の大物デビルだとはな‥‥」
七神蒼汰(ea7244)が腰の刀を抜き放つ。
「だが、ボールス卿は返して貰うぞ‥‥!」
作戦は、単純と言えば単純なものだ。正面突破と見せつつの少数による強襲。
「もはや冒険者のお家芸、ですね」
と、シャロン・シェフィールド(ec4984)。それだけにムールムールは読んでくる可能性が高そうだが‥‥
「助けるべきボールス卿が敵中にいる以上は選択肢は多くありませんし、仕方ありません」
警戒されていても「その可能性は低い」と思わせるか、或いは分かっていても止められないよう、正面側の皆様に頑張って貰い、引き付けて貰うしかない。
「ふあははははは!」
地獄の空にヤングヴラド・ツェペシュ(ea1274)の魔王の如き高笑いが響く。
「陽動こそ余の得意とするところなのだ。目立てと言うなら地獄の隅々まで通る声で呼ばわって見せようぞ」
その前に、まず状況の確認が必要だった。
ヴァンアーブル・ムージョ(eb4646)が空に舞い上がる。この距離なら、小さなシフールの姿が敵の目に留まる事もないだろう。そして、ムージョからは敵の様子が良く見える。今こそ、そのやたらと良すぎる視力を活かす時だった。
分厚い肉壁の幅は100メートルほども続いているだろうか。半円状に囲んだその後ろに、地上に蹲るシャドウドラゴンの背に乗った緑色の甲冑を身に纏った女騎士――ムールムールの姿が見える。その後ろに横たわる何か黒っぽいもの‥‥あれがボールスだろうか。
「黒ずくめで、よく見えないのだわ」
もっと目立つ色の服を着てくれれば良いのに。‥‥と、それは置いといて。
ムージョはテレパシーで呼びかけてみる。
『ボールスさん、無事なら返事して欲しいのだわ』
『‥‥誰、ですか?』
通じた。意識はある‥‥という事は、魂もまだ無事という事か。
ムージョは助けに来た事を告げると、敵の配置をこっそりと訊ねる。どうやら、アンデッドの他にも多数の中級デビルがいる様だ。冒険者達を殺る気満々の顔ぶれと配置。
しかし、人質に取るつもりなら魂を抜いてしまった方が楽ではないのか。いや、そもそも体ごと連れて来る必要もない。ましてやここに網を張って、わざわざ冒険者達の救援を待ち受ける必要も。
それに、どうやらボールスの傷は回復している様だ。それでも逃げようとしないボールスも大概だが、メリンダも人質が回復魔法を使うのを黙って見ていたという事だろうか。
「メリンダちゃん‥‥」
もしかしたら。
「説得の余地があるかもしれないのだわ」
やってみる価値は、ある。
「しかし、ボールスどのもある意味詰めが甘いであるな! いったい、女を篭絡してるのかされてるのか‥‥」
無事を聞いたヴラドが苦笑混じりに言う。
「ま、そこらへんがボールスどのらしいというかであるな。無事に戻ってきたらまたお説教タイムであるかなぁ」
『‥‥お説教は勘弁して下さい‥‥』
ムージョの通訳を介して筒抜けだったらしい。ボールスの答えが返って来た。
そんな呑気な返答に、シャロンは苛立ちを隠しきれない様子だったが‥‥全てはその身柄を確保してからだ。
「私は強襲班を担当します。ジュノーを置いていきますので、必要とあればお使い下さい」
シャロンはムーンドラゴンに指示を与える。正面班の戦力を少しでも充足させる為の策だ。
「あ、オレが借りても良いかな」
ウォルが声をかける。正面班は全員が空から攻撃を仕掛ける手筈になっていたが、ウォルだけは飛行手段を持っていなかった。
「ええ、どうぞ」
身長が伸びたとは言え、まだまだ体重は軽いウォルのこと。その背を借りるくらいなら、ジュノーも嫌がりはしないだろう。
「ありがとう、よろしく」
ウォルはドラゴンとその相棒の両方に礼を言い、金色の体をそっと撫でる。動物達にも礼儀を欠かさないのは師匠譲りか。
「私もボールス卿の救出を優先したいと思いますので、強襲班を希望します」
僧侶の雀尾嵐淡(ec0843)が申し出た。
「では、私は二人の壁として同行しよう」
ナイトのファングが進み出る。全部で3人。数としては心許ないが、バランスは良い。それに、元より奇襲作戦だ。人数は少なく、目立たない方が良い。
その体格ゆえに嫌でも目立ってしまうファングは、光を放つレミエラ製品を皮で隠し、透明人間の飴を口に含む。これで忍び歩きでもすれば多少は気配も隠せるか。
嵐淡が自らにデティクトアンデッドをかけ、仲間達にはレジストデビルの恩恵を与える。
月があればムーンシャドウで強襲班を一気に敵前まで送り込める所だが、ないものは仕方がない。代わりに、ムージョは上空から比較的目立ち難いルートを選び、伝えた。
「俺も本当なら強襲の方に行きたかったんだがな」
蒼汰が残念そうに呟く。だが、ボールスの部下である自分の姿が見えないのは不自然だ。ムールムールがあのメリンダなら、しっかりと顔を覚えられてもいる筈だし。
「ムールムール‥‥ですか。メリンダさんが」
サクラ・フリューゲル(eb8317)はまだ信じられない様子だったが、いつの間にか自分より大きくなったウォルに心配そうな視線を向けられて、大丈夫だと頷く。
「感傷に浸っている場合では、ないですわね」
「‥‥あんま前出るなよ。オレひとりじゃ回復の手、足りないかもしれないし」
「――はい」
‥‥そう応えはしたものの、なりふり構っている場合ではない。サクラはペガサスに飛び乗ると、赤黒い空に舞い上がった。
「では、これより正面よりムールムールのもとへ向かいます。皆様は私を壁としてうまくご利用頂ければ幸いです」
本隊の仲間達にアンデッド除けと、目立たせる為の照明効果も兼ねたホーリーライトを手渡し、鉄壁メグレズ・ファウンテン(eb5451)が先頭に立つ。
手にしたウィングシールドの魔力を解放すると、大きな体が宙に舞い上がった。
アリオス、ヴラド、蒼汰はペガサスに、エスリンはヒポグリフに跨がり空を駆ける。
「頼むぞティターニア!」
戦闘、開始だ。
「やあやあ我こそは教皇庁直下テンプルナイト! 慈愛神の地上代行者である!」
とにかく派手に、敵の目を引き付ける様に。ヴラドは上空から大声で呼ばわる。
「我らが同胞ボールス・ド・ガニスの肉体と精神を返済催促に参上したのだ! 大人しく返すならよし。抵抗するなら利息を体で払ってもらうのだ!」
さあ、いつもの様にテンプルナイト奥義の出番だ。いっつしょーたいむ!
ボールスを対象に誓いを立てたボウ、そしてディバインプロテクションにて己を強化! ブレッシングにて武器を強化! ついでに蒼汰も強化! そしておなじみ! 皆さんお待ちかね(?)カリスマティックオーラ!
「ふあははははは! 今日以上これが有利な戦況はあるまいて!」
気分は無敵。デビルやアンデッドが相手なら、負ける気がしない。ただ優先すべきはボールスの身柄を確保する事。無理に撃破はしない――非情に残念ではあるが。
冒険者達の前進と共に、敵の背後から真っ黒な雲がせり上がって来る。翼を持つデビルの大群だ。殆どが下級デビルだが、それに混じって他とは違う威圧感を感じさせるものが少なからず存在する。しかし――
「俺の役割は前衛の露払いといったところか‥‥存分に、仕事をさせて貰おう」
中級デビルでさえ、熟練の冒険者にはただ行く手を塞ぐ邪魔な存在というだけのものに過ぎなかった。
アリオスは二本同時に番えた矢を次々と放ち、敵に矢の雨を降らせる。一応中級デビルが優先ではあるが、そればかりに構ってはいない。一撃で堕ちない相手には前衛陣の刃が襲いかかった。
ヴラドのブレッシングを受け、更にオーラエリベイションで強化した蒼汰が斬り込んで行く。反撃を喰らっても、対デビルの結界とレジストデビルの魔法のお陰で殆ど何のダメージも受けなかった。
思っていたよりも、敵の抵抗は激しくない様に感じる。寧ろ楽な戦い。だが、わかっている。これも相手の策略のうちだ。
「ボールス卿、どこだ‥‥っ!?」
オーラセンサーでその姿を探す。だが、反応のあった地点にその姿は――まだ、見えない。
「だったら、見える所まで‥‥手が届く所まで、切り開くだけだ!」
魔法での強化と愛刀の威力を頼みに、敵陣へ突っ込んで行く。切り刻み、薙ぎ払い、しかし、そうして出来た空間はすぐさま他のデビルに塞がれる。
「それでも、止まる事なく進めば‥‥いつかは道が切り開ける筈です」
蒼汰の後に続いたサクラも手を止める事なく剣を振り続ける。
「こちらは囮を兼ねた本隊ですし‥‥敵の目を引き付ける為にも存分に力を振るいましょう」
いや、寧ろこちらが中央を突破する程の勢いで。
サクラは味方が苦戦と見ればコアギュレイトで周囲の敵を束縛し、動きを止めたものにも容赦なく斬りかかる。とにかく、数を減らす為に。前線を抜けてきた魔物に対しても、全力で打ち払う。それが正しい選択か否か、考えている余裕は、今はなかった。
そしてやはり、頼りになるのは武装した動く壁、メグレズだ。
「飛刃、散華!」
装甲にものを言わせて押し通り、力任せに繰り出す真空の刃で敵の壁に風穴を開ける。相手から攻撃を受けてもビクともしないが、反撃は容赦ない。
「妙刃、破軍!」
返す刀で攻撃を弾くと、周囲の敵まで纏めて吹っ飛ばした。
飛行魔法の効果が切れればアンデッド達を吹き飛ばしつつ、その真ん中に堂々と降り立ち再び魔法を使う。もう誰にも止められない。
楔の先端がメグレズなら、殿はエスリンだ。自らにオーラエリベイションをかけ、後方からの追撃を防ぐと共に前衛が斬り込む隙を穿つ為の援護射撃を行う。
元より防御など考えてはいない。速度と突破力を重視した隊列の効果を、より高める事が目的だ。そして、別働隊の動きを悟られない為にも、本隊のみでムールムールを討ち果すつもりで――
「‥‥ボールス卿のお考えは正直私には理解出来ぬ。だがトリスタン卿の友の魂を悪魔に渡すなど出来ぬし‥‥」
それに、何よりも。
「彼の魔王の配下ならば卿の心臓への糸口。逃がすものか!」
必ず、討ち取る。逃がしはしない。
一方、別働隊の3人はムージョの指示に従い慎重に進む。嵐淡とシャロンはペガサスに乗っているが、空を駆けさせる事はしない。あくまで、目立たない様に。
向かう目標は肉壁が途切れた先だ。背後から回り込む様な形で、静かに進む。しかし――
「いつ見ても、変わり映えのない‥‥」
ムールムールは呟き、何事かを命じる。途端、配下のアンデッド達が動いた。半円状だった肉壁が、ぐるりと周囲を取り囲む。
「そんな単純で幼稚な作戦で、どうにか出来ると思った? ‥‥ほんと、つまらない生き物ね」
気怠そうに溜息をつく。せっかく待っていてやったのに、面白くない。
「でも、せっかくだから付き合ってあげるわ。さあ、いらっしゃい」
くすくすくす。馬鹿にした様な含み笑いが漏れる。
「‥‥余裕、だな」
その姿を見上げ、ファングが悔しげに拳を握る。
「でも、見破られているのは承知の上です」
それでも敢えてこの作戦を取ると決めたからには、勝算はあるとシャロン。いや、必ず成功させる。
「そうだな。では、私はお二人の援護に回る」
シャロンと嵐淡はそれぞれ別方向に分かれ、ファングは中央へ。ムールムールの注意が正面班に向いている隙を狙う手筈だったが、気付かれている以上は小細工をしても意味がないだろう。
ファングは自身にオーラエリベイションをかけ、デビルスレイヤー効果の付いた剣にはオーラパワーを。先程、嵐淡にかけて貰ったレジストデビルの効果で防御面でも強化してある。
「‥‥行くか」
真っ直ぐに、アンデッドの肉壁に向けて突っ込む。近づく敵はソードボンバーで纏めて薙ぎ払い、距離が遠ければソニックブームを叩き込む。「それ」が元は何だったかは、気にしない。気にしても、始まらない。
その側面から、嵐淡がコアギュレイトを放ちつつ接近を試みる。ムージョはムーンアローで敵の指揮官級のデビルの位置を把握しつつ、スリープで援護。シャドゥフィールドで敵の分断をとも思ったが、こちらからも中の様子が見えなくなるその魔法は、使いどころが難しい‥‥特に、反対側からシャロンが長射程の弓でムールムールを狙っている今は、その周囲に使うのは厳禁だった。
ムールムールをめがけて、シャロンのホーリーアローが飛ぶ。とにかく、当たらなければ話にならない。威力よりも、確実に命中させる事を狙う。
その狙いは違わず、矢はまっすぐに標的の体に吸い込まれて行った‥‥かに、見えた。しかし――
ムールムールの盾となる様に、周囲に散開していたデビル達が割って入る。以前と、同じだ。やはり、攻撃は届かない。
「やはり、そうか‥‥」
援護射撃を行いつつ、強襲班の動きを注視していたエスリンが唇を噛む。
ムールムールは徹底的に配下を盾として使っていた。いや、使うというよりも、配下のデビル達が当たり前の様にその身を投げうっている。彼等なりの忠節心、だろうか。
しかし、それを美しいとは――思わない。
「全て討つのは困難でも、その連なりを一瞬でも途切れさせれば前衛の刃は届く」
――彼奴を護ろうとする盾の足・翼を狙い、動きを妨げよう。
それに、デビルとて無限に湧く訳でもあるまい。
「待っているがいい。貴様は必ず倒す。そして貴様の主も必ずや後を追わせてくれる!」
奪われた、大切なものを取り返す為。その為ならば、どんな犠牲も厭わぬ覚悟だった。
上空のデビル達は一向に減る気配さえ見せない。そして地上に蠢くアンデッド達も、殆ど数を減らしてはいないが‥‥それでも。
前衛の攻撃の間を埋めるようにして、アリオスが射撃攻撃を仕掛ける。相手を休ませないように、そして敵の注意を少しでも引き付ける為に。強襲班の作戦は、まだ終わった訳ではない。隙さえ出来れば再び奪還を試みる事も出来るだろう。
その間にも鉄壁メグレズは強引に仲間達の進路を切り開く。
「妙刃、水月!」
手強い相手にも、お構いなし。渾身の力を込めた反撃を叩き込み、押し返す。
だが、やはり多勢に無勢。冒険者達の表情に、次第に疲れの色が見え始める。受けた傷は薬は魔法で癒せても、溜まった疲労はどうする事も出来なかった。
それでも、彼等は諦めない。
「今は‥‥ボールス様、貴方をお救いする事を誓います!」
サクラは手にした短剣の魔力を解放し、守護の誓いを立てる。仲間達の攻撃によって出来た僅かな隙間をにペガサスを飛び込ませ、ムールムールの前へ躍り出た。
「‥‥その方を‥‥返して頂けませんか? メリンダさん」
懐に忍ばせた、祈りの結晶を包んだサクラ色のリボンと、泰山府君の呪符を握り締める。
「‥‥もう、飽きたわ」
返事の代わりに、ムールムールが呟いた。
「たったこれだけの数で向かって来るからには、もう少しマシな戦いを見せてくれると思ったのに‥‥結局は力押し? 勝てる訳、ないじゃない」
言っているそばから、ムールムールの周囲にはデビル達が集まって来る。元より相討ちも覚悟の上だったが、これでは標的に近付く前に返り討ちにされてしまう。
「お嬢ちゃんには、無理ね」
くすりと笑みを漏らし、ムールムールはサクラに背を向ける。
「遊びは終わり。もう、帰るわ」
主人の、アスタロトの許に。シャドウドラゴンに飛翔を命じようとした、その時。
『メリンダちゃん』
頭の中に声が響いた。ムージョのテレパシーだ。
『少し、話を聞いて欲しいのだわ』
どこかから、楽の音が聞こえる。戦場には‥‥ましてや地獄には相応しくない、ゆったりとした、静かで美しい音色が耳をくすぐった。
『たとえ始めは偽りだとしても過ごした日々は真実で、たとえ二度と戻れない道だとしても、貴女が得た温もりは本物で‥‥』
楽の音が、近付いて来る。
『だから、気付いて欲しい』
気が付けば、ムージョが目の前にいた。
「人とか悪魔とかとゆう、誰かが決めた枠組みでではなくもっと大切なものがあるってことに」
「――うるさいっ!」
ムールムールの剣が抜かれ、ムージョの小さな体を両断――したかと思われた。しかし。
「く‥‥っ」
その腕にシャロンが放った矢が当たり、狙いが逸れる。
「ボールス卿!」
その一瞬の隙にムージョは距離を取り、ペガサスを駆った嵐淡がボールスの目の前に飛び込んだ。しかし、デビル達に阻まれ近付く事も――ホーリーフィールドを張る事も出来なかった。
だが、彼等の周囲にデビルが集まる事で、他の冒険者達に対する壁が薄くなる。そこを突破し、蒼汰がムールムールに迫る。
「メリンダ、いやムールムール‥‥」
群がるデビル達を薙ぎ払いつつ、話しかける。
「ボールス卿の事だ、このままメリンダとして人の中で生きたいなら受け入れるくらいの事は言ってんだろ。お前はそれを受け入れる気は無いのか?」
聞こえている筈だ。しかし、ムールムールは表情を変えない。返事も、ない。
「ボールス卿‥‥本当に、そんな事を? あのデビルを‥‥メリンダさんを、信じているのですか?」
コアギュレイトで周囲のデビルを封じつつ、嵐淡が訊ねる。その問いに、ボールスは頷いた。馬鹿だと言われても、やはり信条を曲げる事は出来なかった。
「では、私も信じてみますか」
しかし、嵐淡がムールムールに向き直ろうとした、その時。
シャドウドラゴンが動いた。漆黒の翼を広げ、赤黒い空へ舞い上がる。その風圧で、周囲を飛んでいた者達は吹き飛ばされ、或いはバランスを崩して落ちかかる。
「逃げるつもりか!?」
体勢を立て直し、追いすがった蒼汰の目に、白く巨大な光が飛び込んで来た。それはホーリーの魔法――今まで大人しくしていたボールスが動いたのだ。
「流石に、このまま連れ去られる訳にはいきませんからね」
だが、攻撃の対象はシャドウドラゴン。あくまで「メリンダ」を傷付けるつもりはないらしい。
「人の魂を奪い、死者の魂を冒涜し‥‥それこそがデビルたり得る本質であり、人が生きる為に他者を傷つけるのと本質的に変わらないとしても」
傷を負ったドラゴンに追い打ちをかけて足止めをするべく、矢を放ちながら飛来したシャロンが言った。
「それでも、人がデビルのなす事を『絶対悪ではない』と受け入れてしまっては、誰がデビルに脅かされる人々を救い、守れるのでしょうか。寛大と無頓着は違うと、私はそう思います」
――無頓着、か。
デビルのやる事なす事、全てを無条件で受け入れると言ったつもりはないのだが‥‥そう思われるなら、それでも良い。元より、理解されるとは考えていない――ボールスは、小さく首を振った。
メリンダがこの機を自ら手放し、再びデビルとして生きるつもりなら、ここで倒す。だが、戻りたいと願うなら‥‥
「‥‥帰りましょう」
ボールスは手を差し出した。それこそ無頓着に、小さな子供にでもする様に。
だが、メリンダは動かない。舞い戻った嵐淡が、その背に語りかけた。
「私はかつて地獄で貴方がたと戦いました。しかし地上の別の国ではデビルやアンデッド達と協力し共通の敵と戦いました。人がデビル達と平和に共存する村にも行きました」
善悪は、その生まれで決まるものではない。自らが選び取るものだ。絶対悪と呼ばれる存在として生まれながら、善であることを選んだ者は現実に存在する。
「ですから私は貴方を否定しません。私達人間と違い貴方がたには無限の時間があります。その一時だけでも人と共に生を楽しむ事はできませんか?」
「ムールムール! ボールスどのの慈悲に免じてやるのだ! 感謝いたせ!」
無防備にその姿を晒し続けるボールスを守りつつ、ヴラドもムールムールには手を出さない。
サクラも、この場で手出しをするつもりはなかった。
他の仲間達も周囲の邪魔なデビルを排除しつつ、とりあえずは静かに成り行きを見守っている。
しかし――
「‥‥お断り、ね」
メリンダは、差し出された手をその剣で振り払う。赤い飛沫が散った――至近距離で斬り付けたにしては、余りに小さな飛沫。
「我が名はムールムール‥‥30の軍団を指揮する地獄の大公にして、アスタロト様の寵愛を受けし者。ヒトと馴れ合う事は――ない」
かつては天使だったこの身は、地獄に堕とされ悪魔となった。その恨みは決して忘れない。神を崇める人間達も、赦さない。復讐心だけが、自分を支えて来た――筈、だった。
認めない。認められない。認めてしまったら‥‥これまでの全てが否定されてしまう。「メリンダ」である自分には「ムールムール」を赦す事は出来ないだろう。
だから――
ムールムールは配下のデビルに命令を下す。冒険者達を徹底的に殲滅せよ、と。
「‥‥そうか」
蒼汰はちらりとボールスを見る。悲しげな瞳が、その視線を捉えた。しかし、想いを断ち切る様に、ボールスは頷く。
仕方がない。蒼汰は祈りの聖矢を仲間に手渡すと、覚悟を決めた。
「ならば‥‥全力でお前を滅するのみだ!」
自身の持てる力全てをもって、ムールムールに挑みかかる。
「俺にも、かける言葉はない。逃がすつもりもない」
アリオスが弓を引き絞る。王妃やエクスカリバーが奪われたことで責任を取らされた者が、どれだけいるかもわからない。その罪は、償わせる‥‥その、命をもって。
まずは、漆黒のドラゴンがその翼を折った。
戦いは地上へと移る。ファングは敵の退路を断つ様に動きながら、邪魔な配下を蹴散らしつつムールムールに迫る。攻撃を受ける事は、覚悟の上。受けた上で、渾身のカウンターアタックを叩き込んだ。
その攻撃の合間を縫って、エスリンとシャロンが矢を射ち込む。二人共、見逃すつもりも、赦すつもりもなかった。
「妙刃、破軍!」
メグレズは相変わらず壁として、戦いの邪魔になる他のデビルや死者達を防ぎ続ける。
そして、ムールムールとの戦いに手を出すつもりのない仲間達も、また。
何が正しいのか、わからない。ここでムールムールを倒す事‥‥常識を考えれば、それが「正しい事」なのだろう。
だが、常識の一言で片付けられたが故に、傷付き、悲しみ、痛みを抱え、そして「悪」に堕ちる。そんな存在も、多いのではないか。
だからといって、悪を見逃す事もまた、悪。
そうして、負の連鎖は続く――果てしなく。願った幸福が訪れる事は、ない。
わかっていても、戦いをやめればそれ以上の不幸が多くの者に降り掛かる。
どちらを選んでも、何も変わらないのかもしれない。それが正しい事か否か、それは恐らく、誰にもわからない。
だから、ただ――それぞれが、望む事を。
そして今、ひとつの「悪」がその存在を失おうとしていた。
それがデビルとして再び地上の生き物を恐怖と混乱に陥れようとするなら、見逃す事は出来ない。それはボールスにもわかっていた。
しかし‥‥
その体が地獄の赤黒い大気に溶け込み、消える――その刹那。
「‥‥メリンダさん」
ボールスは消え行く存在を、その全身で抱き締めた。
「もし、次があるなら‥‥今度は、人として」
その言葉は届いただろうか。
天から堕とされ悪魔となった存在は、最期の瞬間に何を想ったのだろう。
その光景を見守る冒険者達の頬を、地獄には似つかわしくない、優しく穏やかな微風が撫でていった。
まるで、天使の羽根の様に――
指揮官を失った敵の軍勢は統制を失い、何処ともなく逃げ去って行く。
それを追う余力は、もうなかった。
ただ。
「ボールス卿」
エスリンが強張った表情のまま、声をかける。
「暫しの間、この周辺を調べさせて貰っても構わないだろうか」
この地には、魔王の許へ至る手掛りがある筈。徹底的に周辺を捜索したい。
「長居は無用ですが‥‥」
気の済むまで、やればいい。ボールスとて、このままアスタロトを‥‥奪われた友の心臓を放置するするつもりはなかった。
必ず、取り返す。
その機会は必ず訪れる。訪れなければ、自ら作る。
その時にはまた、彼等冒険者達の力を借りる事になるだろう。
「――これからも、共に」
撤退の間際、ボールスは仲間達にそう語りかけた。
常識外れで夢や理想ばかりを追い求める自分に、どれだけの者が従ってくれるのか‥‥それは、わからないが。
見つめる先には光があると、そう信じたい。
信じて、歩く。これからも――どこまでも。