●リプレイ本文
●お風呂は、いと静か
「あー、確か、あそこだった気が‥‥」
冒険者ギルドの親父さんに連れられた冒険者達は、大きいお屋敷まで案内された。
どうやら、ここが近所の金持ちの家らしい。
屋敷の裏にまわったところに、その『大きい風呂』はあった。
離れというよりは、大きい家の隣の小さい家といった感じのところに設置されたそれは、聞いていた通り『泳げる』ぐらいの広さの様だ。
ぷかぷか。
湯船に蜜柑が浮いていた。‥‥たくさん浮いていた。
湯気でよく見えないはずなのに、確実にそこにあるとわかる。
まさに『蜜柑風呂』としか言い様が無い光景である。面倒くさかったので、親父さんは、貰った蜜柑のほとんどをお湯に入れてしまったらしい。
蜜柑の香りが、一面に漂っていた。‥‥きっと身体にも良いはずである。
とりあえず、少し離れたところで服は脱いだが、手拭(てぬぐ)いで隠すところは隠す一行。うっかり見えそうな気がしないでもないが、湯気で隠れたという事にしておこう。
ぴちょん‥‥。
手拭いをぎゅっと腰に巻きつけた親父さんは、とりあえず湯桶を持って『かけ湯』をしようとしたが、『何か』が浮かんでいるのを見て、その動きを止めた。
「‥‥むむむ‥‥」
潤美夏(ea8214)が袋に『炭(すみ)』を入れて、お湯に浮かばせている。
「‥‥ふぃっくしょん!」
突然、彼女がクシャミをした。それに、お風呂に入る前なのに、顔が火照っている様に見える。‥‥風邪をひいている様だ。
ドワーフである彼女の髭が、クシャミするたびに少しだけ揺れて、何となく可愛らしかった。
親父さんの視線に気づいた美夏は、よくわからない様子の親父さんに、その行動を意味を説明し始めた。
「炭によってお湯が柔らかくなり、私の様にお肌がすべすべに‥‥って、どこいったのよ!」
話が長くなりそうなので、湯気に紛れて親父さんは逃げていった。
彼女の『炭』のおかげで、『あったかさ』が上昇したはずだ。‥‥たぶん。
ばしゃー。
『かけ湯』を済ませて、早速お湯に入ってみる一行。一行が作った波紋に、蜜柑が、ぷかぷかと揺れる。
蜜柑と炭のおかげか、何時ものお風呂より温かい気がした。
「きゃっ!」
リラ・サファト(ea3900)が、ぬるぬるしてもいない場所なのに、なぜだか風呂の縁(ふち)で転んだ。
湯船に飛び込むかと思いきや‥‥
「‥‥!」
先に湯に入っていた藤野羽月(ea0348)が受け止めてあげた。
「‥‥怪我はないか」
「はい。‥‥大丈夫です」
リラは羽月に両手で抱きかかえられながら、少し顔を赤らめた。
「何時もの事だが‥‥気をつけた方がいい」
リラをそっと下に降ろし、湯船に肩まで入る羽月。リラもその隣に腰を下ろす。
隣りに座るリラの白い肌が、羽月にはやけに冴えて映った。
そんな二人の近くに、なんだか形のおかしい蜜柑が流れてきた。‥‥何かが突き刺さっている。
よく見ると、リラが持ってきていた木彫りの家鴨(あひる)が、口から蜜柑に突き刺さっていた。リラが湯船に浮かべようと持ってきたものだが、転んだ時に飛んでいってしまったらしい。ちなみに、羽月に買ってもらったらしい。
「この家鴨さんも、蜜柑が食べたかったのでしょうか?」
家鴨を蜜柑から救出するリラ。
(「‥‥相変わらずだな」)
家鴨を不思議そうに見つめるリラを見て、なんとなく微笑んでしまう羽月であった。
リラと同じく、木彫りの人形を持ってきた人物がいる。
菊川響(ea0639)だ。彼が持ってきたのは、『鴨(かも)』である。
「‥‥はぁ〜」
ふと漏れるため息。
ぼんやりと、木彫りの鴨を見つめ、なんだかやる気を無さそうにしている。湯船に浮かぶ鴨は、ぷかぷかと襲い来る蜜柑軍団との戦いの真っ最中だ。
寒さが厳しくなってから見かける機会が多くなった『干し柿』が、その原因らしい。彼の故郷では、干し柿が軒下で吊るされている光景が、よく見られるのかもしれない。
「‥‥疲れているみたいだなあ、お前さん」
親父さんは、そんな響の様子が心配になったのか、鴨を襲っていた蜜柑を押しのけ、声をかけてきた。
響は流れてきた鴨を手に取り、親父さんと至極普通の会話をした後、気になっている事を聞いてみた。
「親父さんて江戸の人じゃないよな‥‥やっぱ冒険者だったのか?」
親父さんは、昔を思い出すのが照れくさいのか、湯で顔を隠しながら語った。
「‥‥俺の生まれはもっと西だなあ。それに、冒険者だったというわけでもないんだ。若い頃は、適当に旅をしていた。あー、まあ‥‥随分と前の事だ」
響は、家族の事も聞こうと思っていたが、なんとなく口を噤(つぐ)んだ。顔を湯をかける親父さんの横顔が、どこか寂しそうだったからだ。
(「親父さんも、色々あるのかもな‥‥」)
そんな真顔の親父さんを
「背中を流してあげるよ」
と言って洗い場まで引っ張っていったのは、羽鳥助(ea8078)。
言葉通り、親父さんの背中を流してあげたいらしいが、
(「‥‥怪しい‥‥」)
‥‥好意的な態度を疑ってかかる親父さん。冒険者達にされてきた『悪戯(いたずら)』を根に持っているのだろうか。
そんな事はお構いなしに、羽鳥は親父さんの背中をごしごし。
ごしごし。
ごしごし。
警戒していた親父さんも、特に何かされるわけでもないので、そんなに悪い気はしなくなってきた。
「‥‥ふむ」
背中を洗われながら、頷(うなず)く親父さん。
(「ふ〜、これぐらいかな? なんか、赤くなっちゃったけど‥‥まあ、いいや♪」)
『丹念』に洗ってあげた結果、真っ赤になった親父さんの背中を見て満足げな羽鳥。
その後、親父さんが湯をかける瞬間に少し顔を歪めたのは内緒にしておこう。
羽鳥は、ちらっと湯船に目を向けた。二人の女性の姿が見えるが、湯気で身体の線はよくわからないし、男勝りな彼女達に殴られたくない羽鳥にそれを見続ける気もない。
彼女達とは、空漸司影華(ea4183)と氷雨鳳(ea1057)の二人の事だ。
その湯気が晴れていれば、皆はきっと驚いたに違いない。二人が、何時もより随分と女らしかったからだ。
「蜜柑の入ったお風呂‥‥はじめてだわ」
影華は長い髪を束ねていた紐(ひも)を解いて、湯船に漬かっていた。髪型の変化からか、自らの髪に手を触れる彼女の仕草が『色気』とやらを感じさせる。
赤い髪が、湯の中で一層色を強めていた。
湯船に浮かんだ蜜柑を指でコロコロと回転させながら、『のほほん』している姿も、また別の魅力があるのかもしれない。
隣にいる氷雨には、もっとわかりやすい女性としての特徴がある。その豊かな胸だ。
手拭いで隠しても隠しきれぬその特徴は、親友の影華にとっても少し羨ましい点ではある。
‥‥意外にしっかりと肌を隠しているところが、氷雨の持つ艶を更に際立たせているかの様だった。
「蜜柑というものは、風邪や心臓の病の予防に良いらしい。私も、詳しくはわからんが」
言われてみても自分ではピンと来ないが、風邪気味の美夏がクシャミをしなくなっている。
もしかすると、効果があったのかもしれない。
影華は、湯桶の中にお酒を持ってきていた。近くに浮かんでいた湯桶の中から、お銚子を取り出す。
「こんなのを持ってきたけど‥‥飲む?」
だが、氷雨はお酒が苦手である。
彼女は、影華にからかわれているのがわかると、逆に彼女をからかう事にした。
「影華‥‥一度恋をしてみるのも修行だぞ?」
その言葉を聞いた途端、なぜだか慌ててしまう影華だった。
夜枝月奏(ea4319)は、のんびりしていた。
特に何をするわけでもなく、蜜柑風呂を楽しんでいる。前の依頼の疲れもあるのかもしれない。
たくさんの蜜柑に囲まれながら、
「蜜柑風呂というのも、なかなか面白いな」
などという言葉を口にする夜枝月。
(「それに、悪くない」)
蜜柑の香りも、なぜだか心が落ち着く気がする。
蜜柑風呂で、一番癒されているのは彼かもしれない。
まったりと、お風呂を楽しむ夜枝月であった。
こうして、体を洗ったり、髪を洗ったり、蜜柑風呂を味わっている間に、思った以上の静かさで『お風呂時間』は過ぎていったのである。
●蜜柑はどうする
さて。
ここで問題がある。
浮かんでいる『たくさんの蜜柑』をどうするか、だ。
なんとなく蜜柑がもったいないので、蜜柑風呂を楽しむだけで終われるはずもない。
そこで‥‥羽月がとった行動は、とても単純だった。
『食べる』。
ぱくっ‥‥。
あったかくて、なんだか酸味が増していて‥‥
(「‥‥あまり美味いものではないな」)
という感想。
食べられないわけでもないので、とりあえず口に入れていく羽月。
リラが、その横で蜜柑を見つめている。
その視線に気づいた羽月が、『あーん』という感じで蜜柑を口に運んであげる。
そして、同じく
「美味しくないです」
という感想。
教えてくれなかったのを不満に思って、リラが自らの頬を膨らませると、羽月が彼女の頬を突付く。
ぷにっ。
そんな感じの二人だが、しばらく経った頃には蜜柑の事など忘れて、寄り添っている。
‥‥どちらも、一緒にいれるのが幸せそうだ。
「そういえば‥‥氷雨さんは恋人とか‥‥居るんですか? その‥‥体格も大人っぽいですし‥‥」
おずおずと氷雨にそんな事を聞いているのは、酒がまわってほろ酔い気分の影華であった。なんだか、恋愛相談の様でもある。
氷雨は、
「恋人の一人ぐらいはいる」
と返した後に、助言をするのも忘れなかった。
「暗殺剣とやらを磨くのもいいが‥‥女性を磨くことも忘れずにな?」
何となく返答に困って、蜜柑を口に入れる影華。
(「‥‥すっぱい‥‥」)
青春の味がした。
そんなこんなで、氷雨にいろいろと教えられる影華。
おそらく、これから先もお世話になる事であろう。
「何はともあれ‥‥これからも宜しくね!」
という影華の言葉に、氷雨も微笑み返す。
「うむ、腐れ縁というやつも悪くないな」
影華と氷雨が友情を誓い合っている頃、二人から少しばかり離れたところでは、謎の行動をする人達が見られた。
美夏も、その一人である。
彼女は、なぜか蜜柑でお手玉をしていた。
「いきますわよ」
ぽんっ。一個。
ぽんっ。二個。
ぽんっ。三個。
ぽんっ。四個‥‥ぼちゃんっ!
(「やはり、数が多すぎると駄目なのですわね」)
お手玉をする意味はよくわからないが、揺れる『お髭』が可愛かったという点だけは強調しておこう。
菊川は、ぼんやりと蜜柑を積み重ねていた。
(「ひー、ふー、みー」)
ごろんごろん。
三つめで失敗だ。
彼がしているのも、かなり意味不明の行動である。
それでも、何回も繰り返している内に‥‥
「また、がんばろ‥‥」
と言いだした菊川。木彫りの鴨も、彼をはげますかの様に、ちゃぷちゃぷと彼の周りを漂っている。
沈んだ気分も、少しは蜜柑風呂に癒されたのかもしれない。
夜枝月は、蜜柑に囲まれながら、以前いたイギリスの事を思い出していた。
(「今頃、イギリスの皆、どうしているかな‥‥」)
彼も菊川同様、少し寂しく思うところがある様だ。
しかし、今日は誰も騒ぐ人がいなかったし、彼にとっても休む良い機会になったはずである。
「今日は、ゆっくりのんびり出来てよかったですね」
彼に話しかけられた親父さんは、真顔で
「まったくだ」
と答えた。親父さんも、今日は、落ち着いて過ごせたらしい。
手拭いを頭にのせた羽鳥は、風呂の縁の上に頭を置きながら、
「はぁ〜、極楽だぁ‥‥」
と、呟いていた。本当に、気持ちよさそうだ。
そんな彼の下に流れてくる、蜜柑。
彼も、また蜜柑が食べたくなったらしい。周りの失敗は知っていたはずだが、食い意地のはっている彼は、とりあえず食ってみたかった。
ぱくんっ。
「う〜ん、やっぱり‥‥美味しくない‥‥」
がっくりと肩を落とし、しょぼーんとする羽鳥であった。
しかし、彼は『口直し』を用意している。
『山葡萄の絞り汁』である。
ごくごく。
「うはぁ〜、さいこぅ‥‥」
酸味の効いたその味にうっとりしながら、極楽気分を味わう羽鳥であった。
長風呂といえる様になってきた頃、親父さんは氷雨に
「親父さん、あなたもいい歳なんだ‥‥隅で腐ってないで、女の一人や二人作ったほうがいい」
などと言われてしまった。片眉をあげて、特に何も言わない親父さん。‥‥もしかすると、そういう人がいるのかもしれない。
さて、長く蜜柑風呂を楽しんだし、そろそろお風呂から上がる時間だ。
「はぁ〜、良いお風呂でした」
夜枝月の言葉を合図に、お風呂から出る一行。
‥‥と思ったら、最後まで入ってた美夏がのぼせている。
ぱたぱたぱた。
皆で扇(あお)いで冷ましてやる。
「のぼせはしましたけれど‥‥風邪はとんでいったみたいですわよ」
彼女の風邪も、治っている様である。蜜柑風呂の効能だろうか。
そこに、蜜柑が一つ二つと放り投げられてきた。
見ると、冒険者ギルドの親父さんが蜜柑を抱えている。
一足はやく冒険者ギルドに戻った親父さんが、冒険者達のために蜜柑を取ってきてくれたらしい。
「んー‥‥皆が蜜柑食べたそうだったから」
親父さんは余っていた蜜柑を冒険者達に渡すと、欠伸をしながら冒険者ギルドに再び戻っていった。
はじめから出せばよかったのだが、わざわざ持ってくるのが面倒くさかった様だ。
『温蜜柑』になっていない蜜柑は、甘酸っぱくって、とても美味しかった。
蜜柑は、いまだにたくさん浮いてるけれど、金持ちの家には使用人がいるから何とかなる‥‥はず。
‥‥なにはともあれ。
『蜜柑風呂』、お疲れ様。
●ぶらぶらする親父さん
後日。親父さんは、適当に町をぶらついていた。
「おじさん、冒険者ギルドの人?」
子犬を抱えた少女に、突然声をかけられた親父さん。
なんとなく、見覚えがある気もする。
「んー、そうだけど‥‥」
「‥‥お出掛けするの?」
「今は違うけど‥‥その内、遠くに行ってみようかと思ってるんだ」
少女の言葉に、‥‥大きく頷く親父さんであった。