【海獣】大河に荒れ狂う一本角

■ショートシナリオ&プロモート


担当:たかおかとしや

対応レベル:11〜lv

難易度:やや難

成功報酬:10 G 51 C

参加人数:3人

サポート参加人数:-人

冒険期間:09月24日〜10月01日

リプレイ公開日:2008年10月02日

●オープニング

 男は釣り人だった。
 釣り人は、釣りをするから釣り人なのだ。
 だから彼は今、釣り糸を垂れている。この広い河で。

 先日のサメ騒ぎによって、釣り場の一部が閉鎖されたキエフ港。
 部分閉鎖と言うが、閉鎖された箇所のど真ん中が縄張りであった彼にとって、それは死活問題である。復旧、開放の目途はつかず、愛想がいい以外は全く無能な役人どもは、周辺の人の出入りを禁止したっきり、もうサメの事などすっかり忘れてしまったかのようであった。
 それならば。
 男は小舟に釣り道具を載せ、キエフを離れ、ドニエプル川を下る。
 ほんの半日程も下ればそこは別天地。対岸までゆうに数キロを越える、滔々と水の流れる広大な地点へと行き当たる。
 男は小舟を河のど真ん中に浮かべ、釣り糸を垂れつつ、内心で快哉を叫んだ。
 そうだ、そうだ! あんな人の生活臭と垢に混じったキエフ港などで釣りなどしているから、桶だ鍋だ手袋だ長靴だ錨だマントだ靴下だ釣り竿だと、ドブ攫いのようなガラクタばかりを引っかける羽目になる。ここを見ろ、大自然。大河。魚の天国。見渡す限り、人など見つけることさえ難しい!

 くいくい、と男の竿に当りが出た。
 当りはあっという間に強烈な引きとなって、男の竿を水中に引きずり込もうとする。だがなんの! 男の釣り竿は、ここで釣ると決めてからわざわざエチゴヤに発注した、高級竿の「松」なのだ。デカイ獲物を狙うには、やはりいい竿でないといけないというのが、男がサメ騒動で得た貴重な教訓の一つである。糸も針も、出来うる限り頑丈な高級品を使っている。次に出会えば、男はあの巨大サメだって釣り上げるつもりでいたのだから。
「ナマズか、チョウザメか? どっちにしろ、ここで俺のえさを食ったのが運の尽き、さあ観念しろぃ!」
 再び襲う、度外れた強烈な引き。
 あまりの引きの強さに、小舟自体がまるで馬に縄で引かれているかのように引きずられていく。
「な、なんだぁ? ちくしょうめ、負けねーぞ!!」
 頑丈な松の木の竿が、ギリギリとしなって今にもへし折れそうだった。船縁に足を踏ん張り、満身の力を腕に込めるが、男は竿を手放さないだけでも精一杯。引かれた小舟は、まるで橇のように水上を疾走する。
 猛烈に嫌な予感がする。
 その、男の予感は、黒々とした巨大な影となって水中から姿を現しつつあった。
「うそだろ‥‥‥‥?」
 そいつはデカイ、と言う簡単な言葉では言い表せない程に、デカイ。キエフ港で希に見かける、全長十メートルを超える外洋交易船に匹敵する巨大な図体。キエフ港の釣り場に現れた、五メートルにならんとする巨大鮫の三倍を超える超x3大物であった。
 水中から突き出た、枝を刮げ落とした大木の幹のような一本角。
 自他共に認める釣り馬鹿の彼が、噂にも見たことのない、角の生えた異形の巨大魚。呆然と男が竿を手放すと、巨大魚は更に勢いを増して水中を疾駆する。

 いつのまに現れたのだろう(それとも、男の小舟がそれだけ引きずられたのか?)、中規模の交易船らしき船が、一本角の進路上に差掛かっていた。男の小舟からも、まっしぐらに突進してくる巨大な角に肝を潰した船乗りの姿がはっきりと見える。
 交易船は帆を張り、オールを漕ぎ、何とか角を回避しようとするが、所詮は無駄な行為。
 水上に、その背鰭のない背を見せた巨大魚は、男の竿を引きずりながら、交易船の横っ腹にその巨大な角を突き立てる!

 ズッゴォォォォオオォオォォオォ―――――――――ンンンッッ!!!

 破城槌が壁を打ち崩したかのような、腹に響く轟音。
 交易船の後ろ半分が、積み荷とともに瞬時に沈没する。積み荷が腹からごっそり抜け落ちたお陰で、辛うじて瞬間的な沈没を免れた前半分も、どっちにしろ長いことはないだろう。
 男は生き残りの船員を救助しようと小舟の舳先を交易船の残骸に向けるが、周囲をでたらめに荒れ狂う角の為、男の小舟では近寄ることさえままならぬ。
 激突された拍子に、小舟に近い位置に弾き飛ばされた船員の一人を何とか助け上げ、男はとにかく手近な岸へと船を漕ぐ。舳先を天に向けた交易船の残骸と、その周囲をジグザグに巡る一本角を見ながら、男は一人、溜息をついた。
「‥‥俺、もう釣り辞めようかな‥‥‥‥」




 交易船が謎の巨大魚によって沈没させられたというニュースは、周辺の漁村の住人の手によって、その日の内にキエフへと知らせられた。場所はキエフから南に数十キロ、ドニエプル川の川幅が急拡大して、広大な湖のようになった丁度その真ん中。船を沈めた巨大魚はまだ周囲にいるらしく、そのせいで、地元漁民達の船もおいそれとは近づけない有様であった。

「‥‥生き残りの船員の救助と、船を沈めた巨大魚の討伐?」
「左様です。これは我がブラヴィノフ商会からの依頼として、お考え下さい」
 キエフでも有数の交易商の番頭を名乗る男は、冒険者ギルドの受付のカウンターに、ごとりと重い革袋を置く。
「積み荷は諦めましょう。沈んだ船も仕方ない。しかし、我々は船員の命に責任があり、また、例え相手が誰であろうとも、商人に損害を与えた者には相応の責任を取って頂く。何でも、相手は角の生えた異形の魚だとか? これは手付けです。もし、見事巨大魚の討伐に成功した場合は‥‥」
 男は、さらに同じ重さの革袋をもう一つカウンターの上へ。
 革袋の重量に、みしり、とカウンターの木材が軋む。
「更に倍。期待しておりますぞ、冒険者の皆さん」


 『依頼内容:沈没した船員の救助、及び角の生えた巨大魚の討伐』


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

●ブラヴィノフ商会の提示した条件
 ・冒険の全期間にわたる食料の提供
 ・多少の宿泊設備のある、交易船一艘の貸与
 (八メートルサイズ。大型船舶スキル所持者一人も、船長として同行。破壊は出来る限り避けるようにとの条件付き。
  馬サイズ以上の大型ペット類は、一体までなら乗船可能)
 ・四艘までの、小型手漕ぎボートの貸し出し(こちらは、場合によっては使い潰して貰って構わない)
 ・現在(システムから)提示されている成功報酬は、手付け金。船員の救助、及び巨大魚の駆除を成功させた場合は、さらにその倍額を支払うと約束(スリープやアイスコフィンなどの一時的に行動を止める術では、駆除したとは見なされない)

●今回の参加者

 ea2181 ディアルト・ヘレス(31歳・♂・テンプルナイト・人間・ノルマン王国)
 ea8087 楠木 麻(23歳・♀・僧兵・人間・ジャパン)
 ea9527 雨宮 零(27歳・♂・浪人・人間・ジャパン)

●リプレイ本文


 ズァザァッブゥゥゥウゥゥ―――ンンッッ!

 一本角の巨体が水面から高々と宙に舞い上がり、落下と同時に巨大な水柱が立ち上る。
 落下点から広がった津波のような波紋が川岸をザブリと洗うと、岸から、あるいは岸沿いの小舟から沈没船を見守っていた漁民達の間で、ワッと、怯えにも似た歓声が広がっていった。

 ―――交易船が沈没してから半日。
 救援に向かった二艘のボートが巨大魚の角にあっさり沈められてから、以後、周辺の漁民達による救助作業は、殆ど全て休止を余儀なくされていた。河に投げ出された船員の内、自力で岸に泳ぎ着いた者は極一部。大部分の者は、気まぐれに遊弋する一本角に阻まれ、ほんの数キロの距離を進むことさえままならずにいる‥‥




 巨大な角と、立ち上る水柱。
 大河と名高いドニエプル河といえども、ちょっとお目にかかれぬそのウォーターショーは、現場に向かうために河を下っている途中の冒険者達の船からでも、はっきりと見て取ることが出来た。
「大きい‥‥ですね。船長、随分近いようですが、あそこまではどれくらい距離があるんですか?」
「近いだなんて、とんでもねぇ! ようやくキエフを出たくらいで、まだたっぷり十キロ以上離れてるぜ。あの魚がでかすぎるんだ」
 雨宮零(ea9527)が甲板の上で船長に問いかけると、ベテランだと言うその船長は青くなって頭を振った。
「おお! 流石に、この船よりも大きそうだな! これはキラーホエールで間違いないね。たまに海から川の方に迷い込む奴もいるって話だけど、まさかあんな大物にキエフでお目に掛るとは」
 船縁から伸び上がって先の川面を見つめていた楠木麻(ea8087)も、やはり同様の感想を洩らす。
 依頼主のブラヴィノフ商会から借りたこの船も、決して小さな舟ではないのだが、あの水柱の主とは比べるべくもない。巨大魚に一撃で沈められたという交易船は、さらにこの船の倍の全長があったそうだ。

「‥‥だけどあんたら、三人ぽっちで大丈夫かね? 随分名のある冒険者達だって話だが、相手は船よりデカイ化け物だぜ? 商会から幾ら貰ったか知らんが、あんまり無理はせん方がいいぞ」
 船長は船を操りながら、冒険者達に心配げに問いかける。
 確かに今回、急ぎの依頼だったこともあり、同行の冒険者は僅か三人。一般の捕鯨に必要だとされる船と漁師の数から比べれば、三人が三隻でもまだ足りない。
「大丈夫ですよ、船長。相手のことも、我々の人数も、全て承知でここに来ました。船員達のことは心配ですが、巨大魚の如き、後れを取るつもりはありません」
 ディアルト・ヘレス(ea2181)は、そんな船長の言葉に、甲板上で古びた箒にロープを結びつけながら、穏やかに応えた。

 やがて河を下った船は、広大な水域が広がる地点へと差掛かる。
「さあ、どうやら着いたようだぞ。悪いが、これ以上はこの船だと危なくて近寄れねぇ。正直今も俺は不安だが、船員達の中には俺の知り合いもいるんだ。俺からも頼む、奴らを何とか助けてやってくれ」
 頭を下げる船長の言葉に、冒険者達は皆頷く。
 水、また水。
 冒険者達の視界を遮る物は、沈没船の舳先と、キラーホエールの長大な角が一本だけ。
 彼らの仕事は、ここからだ。




「さ、最初はボクらの出番だ。頼むよ、伐折羅、アテナ!」
 グリフォンに跨り、張り切って河の上空を飛ぶ楠木。
 キラーホエール退治を後回しに、まずは船員達の救出を優先させる事を決めた冒険者達にとって、彼女の仕事はとりわけ重要だ。グリフォンの伐折羅と、ディアルトの愛馬であるペガサスのアテナとともにキラーホエールをおびき寄せ、他のメンバー達の船員救助の手助けをするのである。付かず離れず、気まぐれな海獣を挑発し続ける難しい仕事だが、船員達を安全に救助するためには、どうしても必要な役割であった。

「まずは、この辺でいいかな? よっと」
 適当な場所を見定め、ぴょんと、グリフォンから川面に飛び降りる楠木。
 予め掛けていたウォーターウォークの魔法により、彼女の体はしっかりと水面に『着地』した。
 川面に立つ彼女の視線の遙か先に、天を突いた沈没船の舳先が見える。
 空から、また水上から船員達を捜索するディアルトと雨宮の姿。そしてほんの百メートル先に見える、水面を割る一本角。
「それじゃ、一丁派手にいくとしようか!」
 射程の都合上の、多少無理目な達人域のグラビティーキャノンも、幸い二回目の詠唱で効果を発揮。きっかり百メートル先の角の根本に命中した重力波は、一撃必殺とはいかぬまでも、巨大な海獣の注意を彼女に向けさせるのに十二分な効果を発揮した。
 巨大な角が、楠木目がけて突進をする。
「うは、来た来た! さあ、伐折羅、飛べ! ロープを引っ張るんだ!」
 楠木の指示に、忠実なグリフォンは首のロープを引いて飛翔する。
 ロープのもう一端は、川面に立つ楠木の手の内だ。ピンと張ったロープが、楠木の体をぐいぐいと引きつける。
「ふっふっふ。こうやってロープを引っ張って貰えれば、その様はあたかも雪上を滑るスキーの如し! ウォーターウォークを併用すれば水の抵抗もないだろうからスピードも落ちまい! ボクって賢い!」
 自らの企画立案した作戦に、楠木はご満悦。
 次第に飛翔速度を上げるグリフォンに対して、飛ぶ者と泳ぐ者の違いか、キラーホエールは巨体に似合わぬ速度で猛追するものの、その差は開く一方で‥‥‥‥




「さあ、今のうちです。助けに来ました、横板に掴まって下さい!」
 キラーホエールが楠木を追って河の中央から逸れた隙を突き、ディアルトと雨宮は船員達の救助を開始する。
 ディアルトは空飛ぶ箒にロープで吊り下げたブランコ状の横板を使い、水面を船の残骸にしがみついて漂っていた船員達を救助して回る。ブランコに掴まる事もできない程に衰弱した船員は、ボートを漕ぐ雨宮に位置を知らせて救助を依頼。二人は瞬く間に、数名の船員達を救出することに成功した。
「どうやら、上手くいきそうですね。雨宮殿、それではもう一回り、捜索を続けましょうか」
「‥‥あの、でもディアルトさん。楠木さんの方は、お一人で大丈夫でしょうか‥‥?」
 不安げな雨宮に、ディアルトは箒の上から笑顔で請け負う。
「心配しなくても大丈夫でしょう。ああ見えて彼女は、私たちよりも余程経験豊富なベテランですよ」
「でも、走って逃げてますよ? 楠木さん」
「―――え゛?」

 ‥‥雨宮は、二つの珍しい物を見た。
 何故か水面を全力疾走でキラーホエールから逃げ回る『世界最強の志士』の姿と、冷静沈着な白騎士『ロシア王国最強のテンプルナイト』が、目を点にして口をぽっかり開けっぱなしにした姿を。




 どうも、楠木の予想に反して、ウォーターウォークをかけた水面は、普通の地面並みに滑らない代物であるらしい。
 なかなか上手く滑らない水面上でモタモタしていた楠木に迫る一本角。‥‥結局彼女は、水面上での命懸けのマラソンを強いられることとなった。
 ああ、走ったともさ。全力でね!(楠木談)
 装備の身軽さも幸いした。散々っぱら追われて川面を駆けずり回った彼女は、最終的には、飛翔するグリフォンの下げたロープにぶら下がる『釣りの餌』となる事で、見事、日が沈むまでの間、キラーホエールを誘引し続けることに成功する。その間にディアルト、雨宮らが助け出した生存者は六名だった。

 現場への到着が夕刻だったこともあり、救援作業が終了する以前に日没を迎えた。
 有効な照明の魔法などを持たない冒険者達は、救助作業を一旦休止。沈没船の、残った舳先にいるらしい残りの生存者の救出と、キラーホエール退治は翌日に持ち越すこととなった。




 翌朝。
 日が昇るのと同時に、冒険者達は作業を続行。
 対キラーホエール戦も見越したディアルトが、乗り物を魔法の箒からペガサスに乗り換えた以外、冒険者側の態勢に前日との大きな違いはない。楠木は流石に前日のマラソンを繰り返すつもりはないらしく、グリフォンからぶら下げたロープをブランコ状に改造しており、『釣りの餌』としての準備は万全だ。

 まっしぐらにキラーホエールに向かうグリフォンと楠木。
 遅れて出発するペガサスのディアルトと、ボートを漕ぐ雨宮。
 予定通りキラーホエールが楠木に誘い込まれたのを確認して、ディアルトと雨宮は交易船の舳先へ近付いていく。
 船では、生き残りの船員が二人、助けを待っていた。
 一人はディアルトのペガサスの後ろに乗り込んだが、もう一人の衰弱は激しく、こちらは雨宮のボートでないと救出は無理だと思われた。疲労と恐怖によってぐったりとした船員に肩を貸し、雨宮はなんとか救助ボートへと男の体を運び終える。

「お、おい、冒険者の旦那。見てくれ、船が沈んでる!」
 ディアルトの背後でペガサスに跨った船員が、舳先の周囲に沸き立つ無数の泡に気が付いた。
 ボートを漕ぎ出したばかりの雨宮も、すぐに交易船の異常に気が付く。いや、むしろ、半分だけの船が、舳先だけで一昼夜浮いていられたことの方が奇跡であったのだろう。まるで自らの役目が終わったのを悟ったかのように、船は音を立てて急速に沈んでいった。
 それだけで済めば何も問題はない。

 ―――問題は、キラーホエールがその音に反応したことだった。




「‥‥あれ? どうした、追いかけてこないのか?」
 百メートルの距離を取って逃げ回っていた楠木の前で、キラーホエールは行き足を止めた。
 そのままくるりと、救助作業の続く沈没船の方向へ、突然向きを変えて突き進む!
「お? あ、おい! 待て、こら、そっちに行くんじゃない! デブ鯨、お化け角! もー、そっち行くなってば!」
 慌てて楠木はグラビティーキャノンで気を惹こうとするが、余裕を見た安全距離が祟り、専門域の術では射程が足りず、達人域の術だと今度はなかなか上手く発動しない。二度、三度。グラビティーキャノンの術は不発に終わる。
「やばい、やばい、やばい! 伐折羅、作戦変更だ、あの鯨を追っかけろ!!」

 一方のディアルト達も、船が沈み始めた途端、長大な一本角がこちらに向かってきたことに気が付いていた。
 逃げたいのは山々だが、ペガサスのディアルトはともかく、衰弱した船員を乗せた雨宮のボートには、とてもキラーホエールを振り切る機動力は期待できない。楠木の救援は間に合わず、また彼我の速度差が圧倒的であると見抜いたディアルトは、背後に乗っていた船員を雨宮のボートに急ぎ飛び移らせる。
「ディ、ディアルトさん、どうするつもりですか?」
「雨宮殿は何とかこのまま岸へ。キラーホエールは、私が止めます」
「ディアルトさん?!」
 雨宮の止める暇もあらばこそ。
 ディアルトは右手に銛を引っ提げ、ペガサスを駆り、引き絞られた矢の如き勢いで一本角の進路上にその身を晒け出す。
 波を蹴立てて、沈没船へと突進する一本角。
 沈没船と雨宮のボートは、まだ百メートルと離れてはいなかった。
「キラーホエールよ、お前をここから先へ進ませるわけにはいきません」
 失敗の恐れがあり、射程も短いコアギュレイトは使えない。頼りになるのは、片手に握った海神の銛が一丁だけだ。
 キラーホエールの角が、ディアルトを真正面から捉えた。
 一撃で船を沈めるその角の迫力と恐ろしさは、角を向けられた者にしか判るまい。

 ゴギィィィンンンッッッ―――!!!

 破城槌の如き大角の一撃を、ディアルトは辛うじて盾で受け流すことに成功する。
 腕ごと、そしてペガサスごと吹き飛ぶかと思うほどの衝撃に耐え、ディアルトは相手の勢いそのままに、キラーホエールの角の根本へ、体ごと叩き付けるようにして海神の銛を突き通す!
 痛み。驚き。海神の銛から伝わる、抗えぬ呪縛の魔力。
 キラーホエールの百トン近い巨体が、まるで壁にぶつかったかのように水中で激しく横転し、水飛沫を上げる。
 馬上から弾き飛ばされ、水面に投げ出されたディアルト。
 彼は水中で、確かに、キラーホエールの悲しげな叫びを聞いた。




 『彼』は混乱していた。
 群れは何処だ。海は何処だ。
 遮二無二暴れ、必死で道を探すが、その間にも、塩気のない水が『彼』の体力をゆっくりと蝕み、脳天に食い込んだ銛は尚一層、彼の生命力を奪い去っていく。

 苦しむ『彼』の目が、そのボートに惹き付けられる。
 『彼』を待ち受けるかのように水面に浮かぶ、たった一艘の小さなボート。そばに佇む、一人の人間。

 誰でもいい。
 『彼』は、その人間の赤い瞳に、吸い込まれるようにして突進する。
 誰か、俺を救ってくれ。




 海神の銛を失ったディアルトと、高レベルの術の乱発で精神力を浪費した楠木。そんな冒険者達にとって、雨宮の刀が最後の武器であった。
 生き残りの船員達を全て救助し終えた冒険者達は、たった一艘のボートを川面に浮かべ、楠木の唱えたウォーターウィークにより水面上に降り立った雨宮が一人、キラーホエールを待ち受ける。楠木、ディアルトは雨宮の邪魔にならぬよう、それぞれのペットに跨り、空中で待機をしている。

 待つ程のこともなく、キラーホエールは雨宮の前に姿を現した。
 その角に、当初の勢いは既にない。
 それでも、キラーホエールはまるで誘われるように、雨宮の刀に向かっていった。
 一度、そしてもう一度。
 角を躱し様に放った雨宮のカウンターは、出来のいい演舞のように、確実にキラーホエールの体に深手を負わせていく。

「流石。見事です、雨宮殿。二度目の時には、私のコアギュレイトも効いた筈。あとは‥‥」
 空中から声を掛けるディアルトに、雨宮は静かにその赤い瞳を向けた。
「‥‥いえ、ディアルトさん。もうキラーホエールは浮いては来ないと思います。帰りましょう。船長や依頼主、近在の漁民達を安心させてあげなければいけませんしね‥‥」
 刀を収め、雨宮はボートを漕ぎ、岸に向かう。

 彼の言葉通り。
 コアギュレイトの効果時間が切れた後になっても、キラーホエールが二度と再び、浮かび上がっては来なかった。




 「三英雄のホエール退治」の噂は、彼らがキエフに戻る以前に、既に依頼主に伝わっていたようだ。
 船員達に三分の一以上の生存者がいたことに、ブラヴィノフ商会の番頭であると言う依頼主は大いに喜んだ。本当は、全滅していてもおかしくはない相手であり、災害だったのだと依頼主は言う。
 約束通り、三名の冒険者は破格とも言える報酬金を受け取った。

 五日後、事故の起こった現場の遙か百キロの下流で、川岸に打ち上げられたキラーホエールの死骸が発見された。
 巨大な鮫のような歯形によって、あちこちを食い千切られたその死骸から取り出されたディアルトの銛は、事件の顛末を知る漁民達の手によって、丁重にキエフの冒険者ギルドへと返された。

 ―――キエフの鯨騒ぎは、ここに完結する。