【ローガンとモニカ】助けを求めるモニカ

■ショートシナリオ&プロモート


担当:たかおかとしや

対応レベル:1〜5lv

難易度:やや難

成功報酬:1 G 36 C

参加人数:6人

サポート参加人数:-人

冒険期間:10月09日〜10月13日

リプレイ公開日:2008年10月18日

●オープニング

 冒険者ギルドの扉を、モニカが開く。

 前回、一ヶ月前に来た時、彼女はローガンと一緒だった。
 彼女は幸せそうで、問題を抱えつつも、それが彼女の可憐な笑顔を曇らせることはなかった。
 ローガンとモニカ、そして可愛い赤ん坊。
 現役の冒険者時代よりも、尚充実して見える彼女の眩い表情に、受付嬢は淡い羨望さえ抱いたほどだ。

 ローガンとモニカが依頼したオーガ退治も、冒険者達の協力により、当初の狙い通りに完遂している。
 首領格の二匹のオーガを倒され、拠点としていた洞窟からも追い散らされたゴブリンらが戻ってくることは、二度と再びないだろう。オーガに怯えていた開拓村の村人達も、ローガンとモニカも、冒険者達も、そしてギルドの受付嬢でさえもが、そう思っていた。
 それなのに。

 彼女は、モニカは今、たった一人で冒険者ギルドにやって来た。
 余程急いだのだろう、泥だらけのローブの裾にも構わず、モニカは受付嬢の手を握り、涙さえこぼして訴えかける。
「お願い、助けて! 村が大変なの! 早く急がないと、ローガンが一人でオーガ達に‥‥!」

 ―――オーガ達が再来したそうだ。
 前回駆逐した連中を更に上回る規模で、装備も固い。
 新たなオーガ達は村への侵攻の姿勢をあからさまに示し、既に数匹の斥候と覚しきゴブリン達が村の周辺に出没している。本格的な攻勢は時間の問題であった。そうなれば、小さな開拓村の一つや二つ、ひとたまりもないだろう。

「今、ローガンが中心になって村の警護を固めているの。でも、元々小さな村だし、村には戦える人間はローガン以外誰もいない‥‥。お願い、助けを貸して! 村やあの人、子供に何かあったら、私‥‥‥‥!」
 モニカの頬を伝う大粒の涙。
 本当は、泣き崩れてしまいたいのだ。でも、助けを呼ぶため、只一人、馬を駆ってきた彼女が、ここで泣き崩れるわけには行かなかった。村のため、ローガンのため、愛する娘のため。
 モニカは叫ぶ。
「お願い、村を、私たちを助けて!」


 『依頼内容:オーガ退治、及び村の安全の確保』




 ローガンは剣を抜き、そいつと相対した。
 現役時代、何度も彼の命を救ってきた、使い古された魔剣。
 既に数匹のゴブリンどもの死体が、彼の足下で倒れ伏している。
 それなのに、そいつはローガンを恐れているようには見えなかった。
 長身のローガンを見下ろすような、巨体。身幅なら三倍以上だ。
 フゴフゴと鼻に掛る豚のような鳴き声。下顎から突き出た牙。
 豚だ。
 鎧を着た二本足の豚が、重い槌を手に、彼をニタニタと見下ろしている。

「オークめが。そんなにハムになりたいのなら、今すぐにでも解体してやろうか」
 ローガンは悪態をつきながら、間合いを計る。
 そいつが、ただのオークでないことは判る。しかし、まだ、敵の数はさまで多くない。
 斥候達のリーダー格であるらしいこのオークを切り伏せれば、救援がくるまで耐えることが出来るはずだ。
 彼の背後には、村へと通じる門がある。
 可愛い愛娘のいる村には、オークどもなど一匹たりとも近寄らせはしない。

「さあどうした?」
 ローガンは腰を落とし、姿勢低く魔剣を構える。
「守る者のある人間の力を、お前達に見せてやろう‥‥!」


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

●依頼目標
 ・オーガ達を退治すること。及び、開拓村の安全の確保

●オーガ達について
 ・突然、村を狙って森から現れた、オーク、ゴブリン、コボルトを含む混成部隊です。まるで軍隊のようで、総じて、武装度は高いようです
 ・前回冒険者達が倒したオーガ達に比べ、規模が上回っているという情報がありますが、詳細は不明です
 ・前回拠点としていた森の洞窟と、そこから数キロ程離れた、小川沿いにある開けた丘の上の二カ所に分かれて、部隊を駐屯させているようです

●現状について
 ・モニカは馬を駆り、四時間ほどでキエフにまでやってきました。
  その出発時点で、ゴブリンらの斥候が頻繁に村の近くに出没するようになり、既に軽い小競り合いさえ発生しています。
  村では、残ったローガンが警備の指揮を執っていますが、事実上、戦う能力のある者はローガン一人です

●ローガンとモニカ
 ・二人はともに冒険全般、戦闘まで参加するつもりでいます
 ・村までの道中は、モニカが馬で同行、案内をします
 ・何か作戦がある場合は、伝えて貰えれば基本的に二人はそれに従います。その他、協力は惜しみません

●今回の参加者

 ea4744 以心 伝助(34歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 ea9103 紅 流(39歳・♀・武道家・人間・華仙教大国)
 eb0655 ラザフォード・サークレット(27歳・♂・ウィザード・エルフ・イギリス王国)
 eb4341 シュテルケ・フェストゥング(22歳・♂・ナイト・人間・フランク王国)
 eb4721 セシリア・ティレット(26歳・♀・神聖騎士・人間・フランク王国)
 ec5023 ヴィタリー・チャイカ(36歳・♂・クレリック・人間・ロシア王国)

●リプレイ本文


 森沿いの道を一人の、美しい髪をした女性が歩いている。
 長髪が大きく後方にたなびく。速い。走っていると言ってもいい速度で、風のように進む。
 紅流(ea9103)である。
 セブンリーグブーツの生み出すその速度に、彼女の連れた驢馬は喘ぎ喘ぎ、遅れがちに何とかついて行くので精一杯であった。
「しまったわ、ちょっと皆から遅れちゃったかしら‥‥。ほら、瑪瑙、早く!」
 紅は驢馬を叱咤し、更に足を速める。
 先程通り過ぎた、村の名前を記した真新しい標識。出発時にモニカから聞いた話では、その標識を越えれば村はもうすぐの筈だった。
 近年、ようやく開拓が本格化した、若く小さな開拓村。それ故に森に潜む怪物達との抗争が絶えず、今まさにオーガ達の集団に飲み込まれんとしている村。その村の名前は、ロジャンカ村と言うのだそうだ。




 紅が村に入り口に辿り着いた時、心配していたような争乱の気配は感じられなかった。
 先行していた仲間達の一人、セシリア・ティレット(eb4721)が村の周囲を警戒しているのが見える。
 村の入り口となる門の近くでは、数体のゴブリンの死体が転がっていた。

 紅は息を切らしながら、セシリアに頭を下げる。
「ごめんなさい、遅れちゃって。オーガ達は? 村は大丈夫?」
「いえ、私たちもまだ来たばかりで‥‥。今、伝助さん達が村の周囲を見回りに行っている所なんですけど、特に村に被害が出た様子はないみたいですよ。あ、ほら、丁度戻ってこられました」
 紅に説明をしながらセシリアが手を振ると、二人に気が付いた以心伝助(ea4744)も片手を上げ、足早に近付いてくる。
「今、村の周囲をぐるっと一回りして来たんでやすけど、特に異常は見当たらないっすね。依頼人のローガンさんとやら、随分と腕利きな人のようでやす」
「こちらも、目下の所異常なし、だ」
 伝助の声に被さるようにして、上空から、三人に投げかけられる声。
 グリフォンに跨ったラビットバンドのウィザード、ラザフォード・サークレット(eb0655)である。
「村の上空から周囲を観察したが、数キロ圏内では特におかしな奴らは見当たらなかった。ただ、離れた丘に、確かにオーガ達が集まっている気配がある。油断は出来ん、むしろこれからが本番だろう」
 二人の報告に、紅は不敵な笑顔。
 右腕の龍叱爪と左拳とを、力強く叩き合わせる。
「よかった、どうやら開幕には間に合ったようね。と言うことは、予定通り、次は洞窟への襲撃ね? ふふ、腕が鳴るわ」

 今回の冒険者は、この四名に、依頼人のローガンとモニカ夫妻。現在、モニカについて村に入っているヴィタリー・チャイカ(ec5023)、シュテルケ・フェストゥング(eb4341)を合わせた計八名である。彼らが救援に来るまでの間、ローガン一人が守る村に攻め込まれた場合が最も危険であったが、何とかその危機は脱したらしい。
「そういえば、そのローガンさんは何処でやしょう? もしや怪我などされててはいけやせんし、一度洞窟に向かう前に、ご挨拶なりとしておきたいところでやすが‥‥」
 連れてきた二頭の忍犬に指示を出しながら、伝助が首を捻る。
 紅に先行して一行が村に辿り着いた時にも、ゴブリンらの死体が転がるばかりで、ローガンの姿は見かけなかった。村の現状確認を優先して、村人とのやり取りについては以前の依頼から面識のあるヴィタリーとシュテルケの二人に任せていたが、そういえば、二人が遅い。

「あ、じゃあ私がちょっと様子を伺って‥‥‥‥」
 セシリアがそう言って踵を返そうとしたその時、村の中からヴィタリーとシュテルケの二人が勢いよく走り出てくるのが目に映った。二人とも何やらひどく慌てている。
「みんな、大変だ! ローガンさん、いなくなったんだって!」
「なんだって?!」
 シュテルケの言葉に、一同がざわつく。
「ローガンさんは、どうやら逃げるオークを追って一人で洞窟の方へ向かったらしい。彼を一人にはしておけない、俺達も急いだ方がいいと思う」
 続くヴィタリーの説明に、一同はオーク襲撃の準備を急ぐ。
 太陽は既に大きく西に傾いている。元より、洞窟の襲撃を急ぐ事自体に異論はない。
 しかし、何故ローガンは冒険者達の応援を待たなかったのか? ローガンの人と為りを知るヴィタリーとシュテルケの二人にも、その疑問はあった。彼が愛娘のいる村を、例え一時的にでもがら空きにする理由が見当たらない。

(嫌な予感がするなぁ)
 シュテルケは、先程村で見た光景を思い出す。
 精神的な疲労とショックで倒れるモニカ。母親の様子を見て、火がついたように泣き出した娘、ティルラ。
 まだ何の被害も出ていないのに、こんなに嫌な予感がするのは何故だろう?
 薄暗いその思いを、慌ててシュテルケは頭を振って追い出した。
 他の面々がオーガ達の根城を襲撃する中で、村を守るのは彼一人の大役である。その彼が、不安に怯えるわけには行かないのだ。
 シュテルケは剣を構え、少し、天に祈る。
 ‥‥どうか、皆が無事に、この事態を乗り切れますよーに。




「確か、聞いた感じじゃこっちの方だと思うんすけど‥‥」
 伝助が、森深い丘の上を走っている。
 時に木の枝に飛びつき、時に沢を越え。疾走の術と、忍者として鍛えた勘を頼りに疾風の如く突き進む。
 この丘の真下が、オーガ達の屯する洞窟である。伝助は他の仲間に先んじて、丘の上から洞窟の出口側へと回り込むつもりだった。険しい道ではあるが、熟練の忍者である彼の足を阻む程ではない。程なく伝助は森を抜け、崖に面した洞窟の出口を真上から見下ろす地点へと辿り着く。
 崖の下で、複数のオーガ達が騒いでいるのが感じられる。
 何か不測の事態が起こったのだろうか? 用心をしながら、伝助は腹這いになって崖の上から真下の洞窟を覗き込んだ。

「‥‥な、なんすか、これは。一体何が?」
 ―――オーガ達が洞窟から、我先に逃げ出していた。
 ゴブリン、コボルド、オークと言ったオーガ族の混成部隊。
 一目で揃いの仕立てだと分かる武具を身につけたオーガ達が、手中の武器をかなぐり捨てて、洞窟から三々五々に逃げ出していく。皆、一様に恐怖の表情を浮かべ、規律などあったモノではない。
 一瞬、仲間の襲撃が予定よりも早まったかとも思ったが、それにしても早過ぎる。
 見ている間に、逃げ惑うオーガ達を追ってきたらしい、一人の人間が洞窟から姿を現した。
 長身で、両刃の剣を握った冒険者風の姿。
 伝助に直接の面識はないが、事前にモニカから聞いていたローガンの特徴とぴたり同じだ。
 だが。

 ‥‥十メートルもの高い崖を間に挟んでさえ、なお伝助の心胆を寒からしめるその様相はどういう事か。
 ローガンは、明らかに片足が折れていた。
 折れた骨の覗く足を無造作に踏み出し、彼はギクシャクと歩を進める。地に引き摺られた剣の切っ先、戦槌に穿たれたと覚しき風穴の開いた鎧。切り裂かれた腹部からは、真っ赤な血が今も滴り落ちていいるというのに、ローガンは痛がる素振りさえ見せずに、逃げるオーガ達を追いかけようとする。

「ローガンさん! ローガンさんっすよね!?」
 初めのショックから立ち直った伝助は、意を決して崖を滑り降りた。どのみち、オーガ達は殆どが逃げ散ってしまっては、隠れている意味もない。
「あっしはモニカさんに頼まれてきた、救援の冒険者でやす。ひどい怪我っすね、モニカさんも心配してるっす。後はあっし達に任せて、ここはひとまず村へ戻りやしょう」
 伝助は歩き続けるローガンの横から語りかけるが、相手はまるで伝助に気付いた様子もない。歩に合わせて、彼の腹の傷からドプリと血が溢れるのを見て、伝助は眉をしかめる。最早、一刻の猶予もない。‥‥いや、正直に言えば、今、ローガンが生きて歩いていることさえ目を疑うほどの傷だった。
「ローガンさん、失礼っす‥‥!」
 無防備のローガンの首筋に、伝助は手刀を打ち込む。
 スタンアタックで強引に気絶させてでも、伝助はローガンの歩みを止めるつもりだった。
 ‥‥しかし、止まらない。
 内心の驚きを押し隠し、伝助は再度手刀を振りかぶった。
 その手を、ローガンの左腕がそっと握る。
 思わず伝助は顔を上げ―――

 ―――有り得ぬ激痛が、ローガンに握られた手首から全身を巡った!
 青い。
 青い。
 青い。
 ローガンの全身から噴き出す、身と骨を、魂もろとも焼き尽くさんとする青い劫火。強靱な心身を備えた忍者である彼が、思わず漏れる苦鳴を抑えきれぬ程の激痛。実際に声を上げなかったのは、彼の忍者としての意地、ではない。
 伝助は只、驚いていたのだ。
 激痛さえ忘れる、醜く歪んだ、殺意に溢れたローガンの顔貌の凄まじさよ。
 口から、目から、傷口から。体中の血を燃え上がる蒼炎と化し、青い情念の塊と化したローガンのその姿。

 人は、ここまで人を捨てることが出来るのか。




 一行は残照の朱い光の中、オーク達の駐屯する丘を目指し、小川沿いの小道を進んでいた。
 皆、先程の洞窟の光景を思い浮かべているのだろう。足取りが重い。
「‥‥なあ、本当に、ローガンさん一人がやったんだろうか‥‥? あんな‥‥」
 誰ともなく呟いたヴィタリーは、しかし、己の言葉を最後まで続ける事が出来なかった。
 あんな『恐ろしい事を』と。

 村の警護に残るシュテルケを除いた一行は、伝助と合流後、全員が洞窟の内部の様子を目にしていた。
 洞窟の中いっぱいに転がっていた、無傷のまま、恐怖を浮かべて死んでいたオーガ達の死体。彼らの着込んだ真新しい重鎧は、彼らを襲った脅威の前に何の役にも立たなかったのだ。
「とにかく、あれがローガンさんだとしたら、普通の様子じゃありやせんでした。申し訳ないが、あっしだけじゃあ、どうにもなりやせん。急ぎやしょう。逃げたオーク達は、多分もう一つの丘へ向かったはずっす。今頃はローガンさんもそれを追って‥‥」
 暗い表情の伝助。
 彼は、青い炎のことも、不思議な痛みのことも仲間達には話していない。迂闊な先入観を仲間達に与えたくはなかったし、洞窟の死体を見た仲間達も、ローガンの身に起こった事について、あまり深くは伝助に聞こうとしなかった。
「それじゃあ、私は上から、こいつに乗って相手側のボスを狙う事にしよう。ローガンがいないか、そちらも注意することにする。‥‥嫌な予感がするな。みんな、あまり無理はするな」
 別働隊のラザフォードが、グリフォンに乗って舞い上がる。
 グリフォンの羽ばたきと共に、最後の残照が薄れて、消えた。




 冒険者達は、宵闇に紛れる形で、一気にオーガ達の軍勢に斬り込んだ。
 不意を突かれたオーガ達は、自慢の鎧を着込む間もなく、紅の龍叱爪によって、または伝助の両の二刀によって切り裂かれていく。
「みんな、離ればなれにならないようにね!」
 オークの頭蓋を蹴り潰しながら、紅が仲間に声を掛ける。元よりこの人数で、開けた丘に駐屯するオーガ達を全滅させようとは思っていない。狙うはボスの首一つ。こいつらが統率された部隊であるのなら、ボスの不在によって必ず足並みが乱れるはずだった。
「‥‥ところで、みんな気が付いた?」
「ええ、抵抗が薄い‥‥何か、別のところで浮き足立っている気配があります」
 紅の言葉に、セシリアが応える。
 宵闇に、手練れの冒険者に襲撃されたのだ。オーガ達が浮き足立つのは当然だ。しかし、何処か別の場所で、より多くのオーガ達が戦闘をしている気配がある。
「みんな、アレを見ろ! 青い炎!!」
 オーガ達にブラックホーリーを乱射しながら、ヴィタリーが離れた場所に光る、青い炎を指さした。近くには、ラザフォードのグリフォンの姿も見える。ラザフォードも、すぐ近くにいるのだろう。
「‥‥皆、いきやしょう。敵のボスも、ローガンも、あそこにいるはずっす‥‥」
 唇を舐める伝助。
 唾液が出ない。舌も、唇も、驚くほど乾いていた。




 青い。
 青い。
 青い。
 青い炎を噴き上げる、無残な肉塊がそこにあった。
 それはもう、人ではない。

 首領なのだろう。一際大きい、図抜けた巨体のオークが、雄叫びを上げながらソレに戦槌を振るう。
 ボギンと、鈍い音が辺りに響くと、紅は顔を背け、セシリアは口元を手で覆った。
 右手に最後まで握られていた魔剣が跳ね飛ばされる。
 左腕など、とうにない。
 それでもソレは、歪に傾いだ右腕で、オークの巨体に掴み掛かる。腕が二の腕に触れただけで、オークは豚にそっくりな悲鳴を上げた。

 跳ね飛ばされた剣を、ヴィタリーが拾う。
 ソレに声を掛けようとするヴィタリーを、ラザフォードが止めた。
「やめろ、ヴィタリー。アレはもう、人ではない」
「そんな、それじゃあ、だって‥‥‥‥!」
「‥‥ローガンは、俺達が来るまでに既に殺されたのだろう。村と、家族を守る強い思いが、死んだ彼を人でない別の代物へと変えたのだ‥‥」

 腕を焼かれたオークが、戦槌を放り出して背を向ける。
 死したローガンに、鋼の武器など何の役にも立ちはしない。悲鳴を上げて逃げようとするオークに、ローガンは、倒れかかるようにして全身でオークにのし掛かる。
 また悲鳴。
 全身を青に包まれたオークがゴロゴロと地を転げ回るが、背に張り付いた炎は離れない。

 いつのまにか、ローガンの体は青白い炎そのものと化していた。
 豚の悲鳴が潰える。
 傷一つないまま死んだ首領の傍らで、屹立する青い炎。
 炎は、とっくに逃げ散ったオーガ達を追い求め、ゆらりと、その歩を進める。
 暗い、暗い丘の上。
 散らばるオーガ達の死体の真ん中で、冒険者は青い炎が消え去るまで、誰一人、動くが出来なかった。




「‥‥そんな、そんなの、俺は信じないぞ!」
 真夜中。
 村に戻った皆の報告を聞き、シュテルケは声を荒げる。
 少年らしい温和な彼が、このように声を上げるなど珍しい事だ。
「それじゃあ、俺達は、モニカさんは間に合わなかったって言うのか? 死んでもローガンさんは村を守りましたなんて、いい話でも何でもないんだぞ!」
 シュテルケは力任せに、手近な分厚い樫のテーブルを殴りつける。
 鈍い衝撃が、家中を揺らした。
 結局、冒険者達は、ローガンの剣を持って帰る事しかできなかった。
 例えシュテルケがその場にいても、結果はやはり同じだったろう。
 それを知っている事が、少年のやりきれなさを尚一層強いものにする。

 ヴィタリーも、セシリアも、伝助も、紅も、ラザフォードも、皆、何も語らない。
 思いはシュテルケと同じであった。
「どうするんだよ、こんなの‥‥モニカさんに、ティルラちゃんに、なんて、なんて言えば‥‥‥‥。ティルラちゃんはまだ一歳にもなってないんだぞ‥‥?!」




 ローガンは死んだ。
 しかし、村へと迫るオーガの脅威は未だ消えず。
 そしてローガンの魂も、まだ消えてはいなかった。