【黙示録】三ッ首に捧げる歌

■ショートシナリオ


担当:たかおかとしや

対応レベル:11〜lv

難易度:やや難

成功報酬:9 G 63 C

参加人数:6人

サポート参加人数:-人

冒険期間:01月25日〜01月31日

リプレイ公開日:2009年02月02日

●オープニング

『この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ』

 簡潔な言葉。
 地獄の門には、そんな言葉が刻まれていると、生きて地獄より帰還した冒険者達が噂をする‥‥




 獅子の大公を倒し、アケロン河の岸辺に拠点を確保した冒険者達。
 下級、中級の並み居るデビルらを次々と打ち倒して進撃する冒険者達の前に、敢然と立ちはだかったのが地獄の深部へと繋がる巨大な門であり、そして、三頭の首を持つ地獄の門番、魔獣ケルベロスである。
 ケルベロスは、全く不死身の怪物であった!
 冒険者達の振るう幾刃もの魔剣。魔獣の身体を貫く幾筋もの魔法の電光。突き立つ剣と槍、無数に放たれる矢によって、魔獣を針山と化しめた事さえ一度や二度ではない。
 それにも関わらず、ケルベロスは哄笑する。

「図に乗るな人間! 貴様らに、絶望を味あわせてやろう‥‥!」

 三ッ首の炎は人を炭と焦がし、巨大な爪牙は易々と鉄の鎧を引き裂く。
 幾度にも渡る冒険者達の攻勢は、決まって、死んだ仲間の遺体を持ち帰る事で結末を迎えた。
 荒ぶる巨大なデビルを前に、冒険者達の顔には、疲労と、絶望の色が濃い。

 ‥‥奴は、本当に不死身なのではないか?
 ‥‥地獄の門を破るなど、所詮不可能事だったのではないか?

 地獄での戦いは、未だ続いている。
 しかし、戦況は完全に膠着状態に陥っていた。




「歌を歌って、ケルベロスを眠らせる? そんな事が本当に可能なの?」
 ギルドマスターのウルスラ・マクシモアが、報告に来た学者の一人に言葉を返す。
「‥‥確かとは申しません。ただ、そう言う神話、伝説が残っている事は、事実です」
 初老の学者は答え、古いラテン語の書物をウルスラに手渡した。
 それは、死んだ妻を取り戻す為、竪琴を手に地獄へと赴く詩人の話。
 アケロン河の渡し守も、ケルベロスも、みなその竪琴の音色に道を譲るという、素朴な神話だった。

 ―――冒険者ギルドでも、ケルベロスの強さは頭が痛い問題であった。‥‥いや、冒険者ギルドこそ、地獄の番犬に最も手を焼いている組織であると言えよう。特にキエフでは、上級デビルの存在は切実な危機の対象として認識されていた。
 ラスプーチンや憤怒の魔王などという存在だけでも、十二分に手に余る。その上、更に地獄の番犬ときては!

「この伝説が真実であるなら、少なくとも問題の一つは、武力に頼る事無しに片付くわけね‥‥」
 ウルスラは呟く。
 デビルらに包囲された感さえあるキエフに於いて、僅かな兵力と言えども、今は貴重である。地獄に対して王宮が積極的に動き出さない、いや、動けない理由の一つがそれだった。
「‥‥いいでしょう。道中の護衛程度でいいというなら、軍からの人員の融通も期待できます。我々ばかりではなく、少しはあちらにも苦労をして貰わなければ」
 ウルスラは書物を置き、顔を上げた。
 上級デビルに歌を聴かせて眠らせる。もしも成功するなら、それに越した事はない。

 ‥‥ただ。
 ウルスラは思う。
 地獄の門が開く。それをして、問題が片付くという事はないだろう、と。
 開いた門の向こうにどれ程の闇が広がっているのか。彼女でさえ、想像することも出来なかった。




 数日後、王宮よりの依頼として、ある依頼文が公開された。
 掲示された依頼を読んだ冒険者達は、それぞれに当惑を露わにする。
「ケルベロスに歌を聴かせるだって? それも直接? あの魔獣を目の前にしてか?!」
 馬鹿げている。
 正気の沙汰とは思えない。
 それでもそれは、王家の紋章の元に発行され、『鋼鉄の鎚』戦士団の護衛まで付く、正式な依頼であった。


 『依頼内容:地獄の門番ケルベロスに対して、相手を眠らせ、心穏やかにさせる音曲を披露する事』


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●場所
 地獄の底、魔獣ケルベロスの鎮座するその目の前です。
 道中の食事、野営設備などは同行者である『鋼鉄の槌』戦士団から提供されます(ただし、防寒着は各自必須の事)。

●『鋼鉄の槌』戦士団
 ドワーフの隊長が率いる、専門後半クラスのファイターを中心に構成された戦士団です。
 全十二名。冒険者達を護衛して地獄へと赴き、また生きて冒険者達を連れ帰るのがその任務となります。
 対デビル対策として、全員一振りずつ、+1相当の魔法の武器を装備。
 数頭の戦馬、物資運搬用の馬車なども別途用意しています。

●今回の参加者

 ea6320 リュシエンヌ・アルビレオ(38歳・♀・バード・エルフ・ノルマン王国)
 ea8785 エルンスト・ヴェディゲン(32歳・♂・ウィザード・ハーフエルフ・フランク王国)
 eb2554 セラフィマ・レオーノフ(23歳・♀・ナイト・ハーフエルフ・ロシア王国)
 eb3084 アリスティド・メシアン(28歳・♂・バード・エルフ・ノルマン王国)
 eb3991 フローライト・フィール(27歳・♂・ファイター・ハーフエルフ・イギリス王国)
 eb4341 シュテルケ・フェストゥング(22歳・♂・ナイト・人間・フランク王国)

●リプレイ本文


 大斧を軽々と操る、巨漢のジャイアント戦士は言った。
「ねーわ」

 騎士崩れだという、サンマ傷の男は言った。
「いや、ねーわ」

 鋼鉄の槌、地獄行き分遣隊分隊長。百戦錬磨の猛者共を統括する、髭もじゃの古強者。地獄行きの任務に、自ら志願した鋼鉄の男。雷声のドワーフ戦士。誇り高きグラッヅォ・ブッヘンバルトは、冒険者達に対してこう言った。
「はあ? 冗談はよしてくれ。そんな事するくらいなら、犬っころの三ッ首、フォークで捻じ切ってくる方がまだマシだあな」

 けんもほろろ、まるで話にならないというドワーフ隊長の態度に、リュシエンヌ・アルビレオ(ea6320)にっこり笑顔を浮かべつつ、肩を怒らせて詰め寄った。
「あ〜ら〜? 髭もじゃの、タフガイ気取りのドワーフさん。まさか鋼鉄の槌戦士団分隊長ともあろうお方が、前言をあっさり翻すなんて事はないわよねっ?」
 ね、の部分に力を込めつつ、リュシエンヌは細い指先をドワーフの髭面にぴたりと突きつける。彼女の背後では、セラフィマ・レオーノフ(eb2554)ら、他の冒険者達が揃って頷き、うんうんと同意の意を示していた。
「私も、確かに聞きましたわ♪」
「聞いた」
「俺も聞いたぞ!」
「‥‥く、ギ、ガググ‥‥ッ!!」
 バキバキと、岩でも砕けそうな程の歯噛みの音が、ドワーフの口元から盛大に漏れる。

 歌う?
 踊る?
 鋼鉄の槌の俺達が、地獄で、ケルベロス相手に、歌って踊る?!
 そんな馬鹿な!



 ドワーフ隊長は『前言』で何を言ったのか?
 言ったのだ。
 「何でも言ってくれ。イリア総隊長から、今回は冒険者達の命令を聞けと言われとるのだ」と、はっきりと。

 『地獄の門番ケルベロスに対して、相手を眠らせ、心穏やかにさせる音曲を披露する事』。
 そんな荒唐無稽な依頼に対して、集まった冒険者は総勢六名。ただ音曲を披露する。たったそれだけの依頼だが、相手が名にし負う伝説の魔獣、地獄の猛犬ケルベロスとなると話は別だ。名だたる冒険者を山程殺した大悪魔に、直接相対して歌を歌うとなれば、これは掛け値無しの決死的任務である。
 冒険者達の道中の警護を請け負った鋼鉄の槌戦士団の面々も、そのことはよく理解していた。その為か、グラッヅォ分隊長麾下、総勢十二名の戦士達からの冒険者達への評判も上々である。

「いやぁ、バードなんてな、口ばっかりの野郎ばかりだと思っていたが、なかなかどうして、大した糞度胸だ!」
 戦士達は口々にそう言っては、リュシエンヌやアリスティド・メシアン(eb3084)の勇気を褒め称える。
 俺達は、剣一本あれば地獄の底まで降りてみせる。しかし、世の中には竪琴一つ、喉一つで地獄の底まで降りていく奴らが居る。大したものだ、とても真似は出来ないと。

 ‥‥そんな風向きが変わったのは、てっきり警護役で参加しているとばかり思われていた、専業ファイターのシュテルケ・フェストゥング(eb4341)までもが歌の練習をしている事に、ドワーフ隊長が気が付いた辺りからだった。
「ん? 坊主、お前まで唄を歌うつもりなのか?」
「そうだよ。今回はみんなで合唱するんだから、俺もせめて歌詞くらいちゃんと覚えとかないとな」
 けろりと返答をしたシュテルケの言葉。みんなで合唱、の部分に嫌な予感がする。
 気が付けば、バード連中だけではなく、全ての冒険者達が歌の練習を始めていた。音を合わせ、歌詞を合わせ。シュテルケの歌に、エルンスト・ヴェディゲン(ea8785)が声を重ねる。バード連中を軸に、合唱の準備は着々と進められていた。
 ‥‥へー、ボウケンシャはたいへんダネ。
 極力関係ないフリを通そうとそんな事を呟いてみたものの、当然誤魔化せるはずもなく。
「お待たせ。さあ次は、キミ達の番よ!」と。笑顔のリュシエンヌが、歌詞を書き記した羊皮紙片手に、戦士団の前に立ちはだかったのは、それから僅か二分後の事であった。
 ―――そして、冒頭の事態と相成る次第。

 嫌がる戦士団の面々を、リュシエンヌやセラフィマらが説得する。
 大事なのは愛と勇気、人の想いと盛り上がり!
 盛り上がりには人数と根性が大事。戦士団のみんななら、きっとそれができるはず!

 等と、随分と乱暴な理論もあったものだが、「何でも言ってくれ」と始めに言ってしまった戦士団の面々に、はなから勝ち目は有りゃしない。挙げ句に、セラフィマとの社交ダンスの相手役にと、ドワーフ隊長が指名される事態を受けて、遂に隊長は腹を括る。
「ふっふっふ、いいだろう。やってやろうじゃねーか。歌でも踊りでも、まとめて来いや!」
「‥‥隊長、目が据わってやすぜ?」




 地獄の底で戦う冒険者連合軍。
 アケロン河の岸辺に橋頭堡を築いたものの、デビル達の抵抗は未だ根強く、ケルベロスを中心に一進一退の攻防が繰り広げられていた。
 そんな冒険者達の元に、不思議な噂が舞い込んでくる。
 曰く、歌う戦士団。
 この世ならぬ美声、天上の琴の音、そして雷の如き胴間声のコーラスと共に、歌いながら地獄を進軍する謎の集団の噂。
 まさか、そんなものが居るわけがない。
 地獄に歌? 有り得ない。
 だが、そんな大方の予想を覆し、戦士団は歌いながらアケロン河を越え、遂にケルベロスの元へと辿り着く。
 総勢十八名。一人も欠けることなく、曲と歌詞を何とか覚えたまでは上出来だ。
 見上げんばかりの巨獣を前に、冒険者達は進み出る。
 これまでの道中、戦士団はよくやってくれた。ここから先は、彼らの出番だ。

「次の相手はお前達か? さあ、得物はどうした。お定まりの塩か、坊主の数珠か。多少は奢って、デビルスレイヤーの一本でも携えてきたか?!」
 炎の吐息と共に、ケルベロスは眼前の冒険者達に問いかけた。
 その圧倒的な威圧感を前にして、然れど、冒険者は恐れない。

 つかつかと、ライトスピア片手のフローライト・フィール(eb3991)がケルベロスの足下へと歩み寄る。
 途中でくるりと反転、手中のスピアをケルベロスとは反対側、後ろの戦士達の方へ放り捨てた。
「今日の目的は、こっちじゃないんだよね」
 そう言って、フローライトは空の両手を広げてみせる。
「今日は、君に、歌を聴かせに来たんだよ」と。



 ‥‥静かな。
 数瞬の、間が空いた。
 フローライトを始め、冒険者達はみな、寸鉄帯びぬ無防備な態勢にある。この瞬間にでもケルベロスに襲われれば、破滅的な結果を迎える事は想像に難くない。
 ゴクリと、誰かの唾を飲み込む音。
 そして―――ケルベロスは三ッ首でもって哄笑する。

「はっはっはっは! 成る程、なかなかに面白い冗談だ。塩や聖水を遠間から投げつけるだけが持ち芸の、猿の如き輩ばかりかと思っていたが、どうして、猿より芸は多いわけだ!」
 ケルベロスの無礼な言葉に、リュシエンヌやセラフィマがまぁ、と声を上げて憤るが、しかし、フローライトはニコニコと笑顔のまま。
 その表情に、ケルベロスは牙を剥き出し、激しい怒りの咆吼を上げる。

「愚か者がっっっ!!!」

 怒りの咆吼と共に、三ッ首より吐き出されし三条の劫火が、赤い地獄の空を更に真っ赤に染め上げる!!
「歌を聴かせる!? 馬鹿な。さあどうした、剣を取れ! 槍を構えよ! 炎を放ち、雷光を撃て! 精霊を使役し、神の奇跡とやら見せてみよっ!!
 さあ、さあ、さあ! 早く、早く、早く! 血と鉄を、我とこの扉にぶつけるがいい!!」
 獣の言葉が、炎そのものと化して冒険者達を圧しようとする。
 アケロン河の水面が沸騰する程の、灼熱の息吹。
 ガチガチと、槍の穂先程もある牙が打ち鳴らされ、狂乱の意思を溢れさせる六つの瞳が、六人の冒険者達を正面から見据えた。
 リュシエンヌを、エルンストを、セラフィマを、アリスティドを、フローライトを、シュテルケを。
 熱い吐息。大悪魔の視線。
 練達の冒険者である彼らだからこそ、自分達が今、荒ぶる『死』そのもののホンの鼻先に立っている事がよく判っていた。

「やべぇっ!」
 後方で控えていた戦士団の一人が、ケルベロスのあまりの剣幕に、慌てて魔剣を片手に躍り込もうとする。それを片手で止めたのは、ドワーフ隊長のグラッヅォであった。
「分隊長?」
「判らねーか? 今があいつら、唄歌い共の正念場なのさ。剣なぞ仕舞って、お前らは合唱の準備でもしてな。俺は‥‥精々、ダンスのステップでも復習しとくとするかな」

 そう、まさに正念場。
 猛り狂う死を前にして、唄謳いは何を思うのか?
 フローライトはにこやかに、ケルベロスに変わらぬ笑顔を送る。
「血と鉄は、また今度。ゲップが出る程やり合おうよ。‥‥でも、今は唄の番。君も、俺も、たまにはこんな事があってもいいだろう?」

 ケルベロスが、その笑顔に呆気にとられた瞬間。
 アリスティドは、柔らかに黄金の竪琴を爪弾いた。
 セラフィマが紅絹のドレスを翻し、くるくると踊り始める。まるで、赤い、美しい一輪の花のよう。それは草も生えぬ地獄の岸辺で、確かに、可憐に咲き誇って見せた。

 ―――ケルベロスを前に、フローライトは歌い出す。




  父と母の庇護の下 今日もまた目を覚ます

  厳しき父の声を聞こう
  彼の声は この身に挫けぬ心を芽生えさせる

  優しき母の声を聞こう
  彼の声は この身へ注がれる愛を教えてくれる♪

 それは目覚めの唄。
 希望と共に目を覚まし、愛と共に一日の始まりを迎える健やかな唄。

  今日の私は 昨日よりも強くなれる
  今日の私は 昨日よりも優しくなれる
  そう信じ 今日もまたおはようと声をあげよう♪

 歌の終わりに、シュテルケの声が重なった。
 希望に満ち満ちた、伸びやかな少年の歌声。

  父と母に見守られ また新しい一日が始まる♪

 フローライトの声が、余韻を紡ぐ。
 リュシエンヌと、アリスティドが奏でる間奏。
 戦士団が足を前に踏み出した。
 セラフィマと手を繋いだグラッヅォが、へっぴり腰で前に連れ出されるのを見て、リュシエンヌはにっこり笑い、二曲目の歌を優しく歌う。




  金の日が沈むよ 今日も一日が終わる
  最後の一吹きのように 風が通り過ぎれば
  ざわめきの後 森も山も眠る♪

 細い身体の、一体何処から発せられるものか?
 戦士団の歌う大音量の低音パートに全く負けぬ、リュシエンヌの輝くようなメゾソプラノ。

  泉のせせらぎが 子守唄を歌う
  炎のぬくもりに包まれて おやすみなさい♪

 シュテルケに代わって、エルンストが歌い出す。
 花の精のようにくるくると回るセラフィマに、意外や意外、グラッヅォが結構ついていけているのは日頃の鍛錬の賜物か?

  銀の月が空にかかる 夢を見守りながら‥‥♪

 リュシエンヌの柔らかな歌声が、ゆっくりと結末を迎える。
 アリスティドの竪琴の音色のみが耳朶を打つ、静かな時。
 伝承に謳われた、只一人、竪琴のみを手に地獄へ赴いたという詩人は、一体ケルベロスにどんな唄を贈ったのだろうと、アリスティドはちらりと思う。
 死と炎を日常とする、地獄の魔犬に聴かせる歌。
 願わくば、ケルベロスが、その時に感じた安らぎを少しでも感じてくれればと、アリスティドは歌う。




  火の粉の息は、やわらかに
  ふかき怒りは、まどろみに

  みっつの頭、それぞれが
  よき日の思い出、抱くよに♪

 追憶の歌。安らぎの歌。懐かしの歌。
 いつの間にか、一行の周囲を、沢山の冒険者達が取り巻いていた。
 戦士達の足踏みに、周囲の冒険者達が手を叩いて拍子を合わせる。
 一体何人が参加しているのか? 冒険者達の手拍子の音が、高らかに地獄の空に鳴り響いた。

  いつしか胸に、懐かしい 優しき旧歌、時を越え
  めぐる時節のその何処か 失くした旋律、今、ここに♪

 アリスティドは歌い終わり、竪琴の音色が思い出の残滓を微かに留める。
 有り得ぬもの。
 それを奇跡と呼ぶなら、つまり、今ここにある歌こそが奇跡なのだろう。
 やがて、曲は終わる。




「‥‥ねえ、ここからどうするのよ?」
「さあ‥‥僕にそう言われましても‥‥」
 リュシエンヌが肘でアリスティドを突くが、突かれたアリスティドの方も困り顔。

 全ての唄を、歌い終わった。
 短かったのか、長かったのか。
 ケルベロスが思いの外、静かに聞いていたようであるのは確かなのだが、そう言えば、歌い終わった後の事はノープランだ。踊り終わったままの態勢で、セラフィマとグラッヅォも抱き合ったままである。何というか、こう、ズギャーとか、バターンとか、そう言う判りやすいリアクションが有ればいいのだが、どうもそう言うわけでもなさそうで。

 ざわざわと、周囲の冒険者達もざわめき始める。
 静かに一行を見据えていたケルベロスが、ようやく、その三つの口を開く。
「今ので全部か? 面白い見せ物だったぞ! 俺がこの扉を守り初めてより幾星霜。このような素っ頓狂な歌を聴かされたのはこれが初めてだ‥‥!」
 一行は、思わず照れ笑い。
 が。
「消え失せろ! その糞度胸に免じて、今この瞬間に食い殺す事だけは勘弁してやろう! さあ、遊びは終わりだ。もたもたしてると、その身と心を、炭も残らぬまでに燃え焦がしてやろうぞ!!」

 ゴボォアアァァアァァァ――――――ッッ!!!

 爆発したかのような、圧倒的な火勢が一行の足下に炸裂した。
 事こうなれば長居は無用。唄さえ歌えば用はない。周囲の冒険者達は当然、十八名のご一行も、蜘蛛の子を散らすようにスタコラサッサと逃げ出した!




 ‥‥人間達の去ったその場所で。
 いつのまにか、ケルベロスに負けぬ体格を持った巨大な獣が、河の岸辺に佇んでいた。鷲の翼と大蛇の尾を持つ魔狼。地獄の侯爵、マルコシアス。
「くっくっ。珍しい事もある物よな、三ッ首殿。歌声を耳にするなど、アケロン河の岸辺では絶えて久しい事だ」
「お前か。砦の方はいいのか?」
「何、退屈なものよ。御陰で、モレク殿が暇だ暇だと、全く五月蠅くて敵わん」
「‥‥なら、モレクに伝えるがいい。人間共が地獄の扉を開けるのも、もうすぐだろうとな」
 その意外な言葉に、魔狼はほんの少し、目を見開いた。
「ほう‥‥? 今の見せ物に、何か思うところでもあったかな。‥‥いや、結構。モレク殿は喜ぶ事だろう。かく言う私も、多少は興味がある。地獄で唄を歌おうという、人間達の心の底に―――」
 目を細め、魔狼はくっくと声を漏らす。

 人は去り、やがて魔狼もいなくなる。
 誰もいなくなったアケロン河の岸辺で、ケルベロスは一人、立ち尽くしていた。
 数千年の長きにわたりしてきたように、ずっと。




 子守歌で眠った? ダメージを受けた? 改心した?
 まさか!
 しかし、たった一つだけ確かな事がある。
 この刻より二日後、ケルベロスは打倒され、地獄への扉は開かれた。

 三ッ首の魔獣が、自らに歌を披露する人間達に何を感じたのか。
 それは永遠の謎である。