【黙示録】地獄病

■ショートシナリオ


担当:たかおかとしや

対応レベル:11〜lv

難易度:普通

成功報酬:7 G 32 C

参加人数:8人

サポート参加人数:1人

冒険期間:04月25日〜05月01日

リプレイ公開日:2009年05月04日

●オープニング

 それは、随分がっしりした体躯の男だったと言う。
 着込んだローブから漂わせる、強い草の香りと微かな硫黄臭。男は自らの事をパリの冒険者で、薬草師のマルティムと名乗っていた。
 どうせ偽名だ。
 男は冒険者でもなければ‥‥‥‥男は、そもそも人ですらなかったのだから。




「地獄病に効く薬草が、ロシアにはあると聞いたのだが」
 ギルドのカウンターで発した男の第一声。
 地獄病に効くと言う、件の薬草を入手したい。その、マルティムなる男の用向きは、実のところキエフの冒険者ギルドにとって近頃あまり珍しいものでもなかった。遠くジャパンを初め、既に幾つかの組織から薬草の資料と、出来れば実物も合わせて送って欲しいという旨の打診が送られてきている。

 地獄の瘴気を吸う事によって感染すると言われている奇病、地獄病。二百年前、ロシアの一地域で猖獗を極め、その後時の彼方に忘れられていたはずのこの病は、地獄に大挙して冒険者が向かう今回の事態を受けて俄に注目を集めていた。
 噂されているように、病の原因が地獄の瘴気にあるとはっきり解明されたわけではない。
 ただ、最近ロシアで新たな患者と、同時にその特効薬が発見されたというニュースは、地獄で剣を振るう冒険者達にとって聞き逃す事の出来ぬ重大事であった。不衛生な環境や負傷から来る病は、既に何例も報告されている。この上、『罹れば地獄行きだから、地獄病』等という、ふざけた伝染病の流行を許すわけにはいかないのだ。
 男の求めに応じて、ギルドの受付嬢は特に疑問にも思うことなく、薬草の群生地である山の場所を伝えていた。別段秘密の話ではないし、薬を地獄の救護活動に生かしたいと語る男に対してなら、尚更である。親切な受付嬢から地図まで描いて貰い、男は直ぐに山に向かうと喜んでギルドを後にした。

 ‥‥その一時間後である。
 街中で、草と硫黄の香りのするローブ姿の男に石の中の蝶が反応したと、まだ若い冒険者がギルドに駆け込んできたのは。その冒険者の語るデビルらしき男の風体に、受付嬢ははっきりと覚えがあった。
 ある暗い予感と共に、受付嬢は慌ててカウンターの裏の書類を捜す。
 問い合わせを受け、明日にも発送をするつもりでまとめていた、地獄病と薬草に関する資料一式。男が来る以前、確かに揃えてそこに置かれていたはずの資料が、まるで霞に融けたかのように、どうしても、どうしても見付からない───




 その依頼は、珍しい事に冒険者ギルドマスター、ウルスラ・マクシモアの名義で発布されていた。
 事態の推移を鑑みれば、一刻の猶予も存在しない。
 致命の業病の資料を消し、その唯一の特効薬となる薬草の群生地を聞き出したデビルが、次に一体何をするだろう?
 最早、依頼の書面を作る手間さえ惜しまれた。
 依頼は受付嬢の口頭により、ギルド内の冒険者達に告げられる。


 『依頼内容:地獄病の特効薬となる薬草の保全、保護、確保。デビルによる妨害が入る事が予想される。
 一刻も早く、現場に辿り着く事を第一とする事』


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

●薬草の群生地
 キエフから東へ、徒歩で二日の位置にあるボリスピリの街。そこから更に二日東へ進んだ地点に存在します。現地は小高い雪原の一角にあり、未だ融け残った雪に覆われている模様。

●薬草と地獄病に関する資料
 キエフに存在していたこの病気に関する一時資料は全て失われています。ただし、既に他国に発送済みの二次資料が少部数存在している(筈)なので、情報が完全に失われてしまったわけではありません。ただし資料の送付先から改めてコピーを分けて貰う為には、一定の時間が必要でしょう。

●マルティムに渡った情報
・薬草の具体的な形状
・薬草の群生地の場所
・地獄病からの生還者が存在する事、及びその場所
・二百年前、ロシアを地獄病が襲った事。及びそれが薬草によって解決した事
・マルティム以外からも薬草に関する問い合わせがあり、それらに送付する為の資料を作っている事

●ラインヴァルト
 唯一の地獄病罹患者であり、同時に唯一の生存者でもあります。
 現在はボリスピリの街近くの山にある、雪の女王の洞穴にて静養中です。最近は山に吹雪も掛かっていないようで、街から徒歩半日程で辿り着く事が出来ます。

●今回の参加者

 ea3190 真幌葉 京士郎(36歳・♂・ナイト・人間・ジャパン)
 ea9311 エルマ・リジア(23歳・♀・ウィザード・ハーフエルフ・イギリス王国)
 eb7693 フォン・イエツェラー(20歳・♂・ナイト・ハーフエルフ・ロシア王国)
 ec0128 マグナス・ダイモス(29歳・♂・パラディン・ジャイアント・ビザンチン帝国)
 ec0129 アンドリー・フィルス(39歳・♂・パラディン・ジャイアント・イギリス王国)
 ec1783 空木 怜(37歳・♂・クレリック・人間・ジャパン)
 ec3237 馬 若飛(34歳・♂・ファイター・ハーフエルフ・華仙教大国)
 ec3272 ハロルド・ブックマン(34歳・♂・ウィザード・ハーフエルフ・イギリス王国)

●サポート参加者

九烏 飛鳥(ec3984

●リプレイ本文

 Time is money―――
 この言葉は誤りである。何故なら時は金よりも貴重なのだから。
 人にも神にも悪魔にも平等に流れるソレは何者にも不可侵。
 それでも思うのは仕方ない。嗚呼、時よ止まれと―――ハロルド書記




 先行したデビルから遅れる事数時間。その遅れを取り戻す為、冒険者達は駆けに駆けた。丸一昼夜、僅かな休憩と仮眠を差し挟みながら、各々の足と愛馬をせめ続ける。
 地獄病に唯一効くと言う薬草の群生地に向かった、デビルの意図はハッキリとは判らない。だが、それがハッキリする頃には何もかもが手遅れになる、そんな確信にも似た強い予感が一同の心を締め付ける。
 先を急ぐ冒険者達は計七名。
 彼らとは別に、パラスプリントによる瞬間移動で先行したマグナス・ダイモス(ec0128)が、既に生息地からある程度の株を安全な場所へと退避させている筈だった。ただそれは最悪の事態を辛うじて避ける以上の意味を持ってはいない。万が一にでも地獄病が発生した場合、薬草は直ぐに、そして大量に必要となるだろう。地獄で病に苦しむ者に、株を増やすから来年まで待ってくれとは言えないのだ。

「ファルファリーナのサンワードでは、『目的地に向かっているデビル』は東の方向、丘を三つ越えた先にいるそうです」
「‥‥これだけ駆け通しでも、殆ど距離は縮まってねーのか。間違った道に進む気配も無し。どうにも、ギルド受付の情報は相変わらず正確な様で安心したぜ‥‥!」
 エルマ・リジア(ea9311)の言葉に、馬若飛(ec3237)は馬上で眉をしかめて苦笑い。
 出発前、薬草の群生地までの最短経路は? と聞いた馬に対して、受付嬢は済まなさそうに応えたモノだ。同じ事をマルティムなるデビルにも聞かれたので、彼にもそれを教えてしまったのだと。‥‥しかも、ご丁寧にも地図付きで!
 出がけに、ギルドマスターのウルスラには是非とも対策をと頼んではみたものの、自由自在に姿を変える事の出来るデビルらがこのような手法の味を占めたとしたら、一体この先どんな事になるだろうか?

「全く、どこもかしこもデビルだらけで苦労させられるね。待ってられないんで、直接資料を受け取りに来たらこの有様だ。デビルが薬草の場所を聞いて、一体何しようってんだか?」
 低空を飛ぶペガサスの上で、空木怜(ec1783)もぼやく。
 医者としての立場から、地獄病の資料を求める者は多い。彼もそのうちの一人であり、その為今回の事態は他の誰にも増して腹立たしい。
「デビルが実際に何を企んでいるのかは判りませんが‥‥」
 戦馬に跨ったフォン・イエツェラー(eb7693)が、指輪の一つに視線を下ろしつつ、片手を高く掲げた。
「‥‥良くない事であることは確実そうですね」
 それは予め決めていた、デビルが迫っている事を皆に知らせる合図。
 指輪の『龍晶球』が輝きを増す。

 上空高くを先行するアンドリー・フィルス(ec0129)、真幌葉京士郎(ea3190)の二人はとうに気が付いていることだろう。地上を駆けるエルマ達からも、道の先に屯する数体の下級デビルらの姿がはっきりと見える。敵意を剥き出しにした、露骨なまでの足止め役。セブンリーグブーツによって進んでいたハロルド・ブックマン(ec3272)が、デビル達の姿に無言で鞭を構えた。
「これくらいあからさまに『良くない事』をやってくれれば、こっちも話は早いんだがな‥‥。エルマ、空木は無理すんな! 足は弛めん、突っ切るぞ!!」
 叫び様、馬の右手から放たれた投げ槍は、狙い過たず先頭のグレムリンの胸へ。
 デビルの洩らす苦鳴の叫びが戦闘開始の鐘代わり。馬、フォン、ハロルドの三人を前に、五名の冒険者達は一条の矢となってデビルらの群へと突っ込んでいく。

「―――どうやら、下でも始まったらしいな」
 馬達の上空を先行していた真幌葉、アンドリーの周囲を四匹のデビルが取り囲んでいた。
 偵察を兼ねて空を‥‥そう言う発想は、どうやら人とデビルに大きな違いはないらしい。遠くからはただの小鳥にしか見えなかったソレらは、二人が近付いた途端その周囲を取り囲み、デビルとしての醜い本性を顕わにしたのだ。
「こいつらは足止め兼偵察兼、あわよくばここで死んでくれれば面倒が無くていい‥‥そんなところだろう。真幌葉殿、割り当ては二匹ずつで問題はないか?」
「ああ、問題はないね。こいつらが偵察役だとしたら、生きて帰すわけにはいかないからな」
 グリフォンの背に跨った二人が、それぞれの得物を抜く。
 アンドリーは黄金に輝く聖剣カオススレイヤーを。真幌葉は片刃の潰れた、ひどく禍々しい剣を。

「悪魔ハルファスの剣だ。余り頼りたくはないんだが‥‥まあ運が悪かったと諦めてくれ」
「邪剣に因らず、聖剣にて天に還りたい者がいれば遠慮はするな。何、割り当てなら気にする事はない」




 キエフを出て二日目の夜、一行は広大な雪原へと辿り着いた。
 黒々とした土の見える箇所も多いが、低山地域であるここら一帯はまだその大部分を白い残雪に覆われている。
 暗い星明かりの元、雪の狭間から覗く薬草の小さな白い花を見つける事は、本来であれば不可能事であったに違いないが、一行に以前ここで薬草の採取を行ったアンドリーが同行していた事が幸いした。若干の捜索の末、アンドリーはその小さな花を再び見出す事に成功する。
「雪割草‥‥の一種のようだが、見た事のない花弁だな‥‥」
 小さく絞ったランタンの明かりの下で、空木がしげしげとその白い花を見つめた。医師として古今東西の薬草、医薬品に広く通じている空木ではあるが、このような種類の植物を目にするのは初めてである。残念ながら、それはあまりいい知らせではない。優れた植物知識を持つ空木が知らないという事は、この薬草の天然の生息地が非常に限られる可能性が高いからだ。

 薬草を見つめる空木の傍らで、ハロルドと馬の二人が動き出す。
 事前の打ち合わせ通り、ウォーターコントロールとアイスコフィンの併用により、薬草生息地の周囲を氷のドームで覆ってしまおうという作戦を実行に移す為である。デビルらに魔法でも撃ち込まれた場合、この何の障害もない雪原では防ぐ事は難しい。今のところ、夜の暗さと雪原の広さが味方をしたのか、先行していた筈のデビルも周辺にはまだ見当たらない。だが、日が昇ればそう言うわけにもいかなくなる事は明白だ。
 アイスコフィンを使うハロルド、エルマの二人を中心に、冒険者達は疲れた身体に鞭打って作業を開始する。水を汲む者、雪を溶かす者、雪でそのまま柱や壁を形作る者‥‥




 三日目の朝。
 朝日の中、冒険者達の一夜の努力の成果が、差し渡し十メートル程の土地を覆う透明なドームとなって姿を現していた。見た目に反して、魔法の氷によって形作られたそれらは頑丈である。氷らしく放っておけば溶けてしまうのが欠点だが、元より低温のこの雪原なら数日は楽に保つだろう。
「はふ〜‥‥、百回くらいはアイスコフィンを唱えましたよ。‥‥流石にグロッキーです‥‥」
 エルマが陽霊のファルファリーナとともに、敷きっぱなしのまま、結局全然使わなかった寝袋の上にへたり込む。精神力を回復させる魔力の杖が有ったからこそのこの成果であるが、呪文の度重なる使用が心身を疲弊させる事には変わりはない。同様に、普段は表情すら滅多に変えぬハロルドも今は流石に辛そうだ。

「そろそろ、マグナスと落ち合う予定の時刻なんだが‥‥ああ、あれかな?」
 黄色い朝日に手をかざして周囲を見やっていた真幌葉が、雪原の端からこちらへと歩み寄る人影に気が付く。
 どうやら馬に跨っているらしい。頭からすっぽりと被った黒に近い濃緑のローブが、雪原に浮かび上がるように鮮烈に目に入る。
「いや‥‥ありゃあ、お客さんの方だな。しかも団体さんだぜ‥‥」
 低い声でそう告げ、馬が破魔弓を構えた。
 濃緑のローブ姿の背後に付き従う、多数のインプ、グレムリンら下級デビル達。あれが話に聞くマルティムだろうか? 冒険者達の事前の予想に反して、上空から一気呵成に攻め寄せて来るという様子でもない。一行が見守る中、特に急ぐ様子もなく、ローブ姿と毛むくじゃらの奇怪な集団がゆっくりと歩み寄ってくる。
 後一歩。
 双方の弓矢、呪文による攻撃の射程圏内に入ると言うところで、男は足を止めた。

「それなりに急いだつもりだが、星明かりの下、この広い雪原で薬草を捜し歩くのは我々と言えども骨の折れる作業でな。‥‥噂の薬草とやらは、その大層な氷の家の下にあるのか?」




 冒険者達が応えないが、ローブ姿の男は気にする様子もない。
「ああ、成る程。我々の振る舞いに気を尖らせているのか。稀少な薬草に何か無体を働こうとしても、氷のドームがそれを許さないというわけだ。いいアイデアだ。雪原の建築において、雪と氷が材料だという点もポイントが高いな」
「‥‥褒めて貰って悪いんだが、てめぇらのセコいやり口はとうに割れてんだ。マルチンだかなんだか知らねーが、こちとら、デビルにはいい加減飽き飽きしてるところでな。今すぐ回れ右して、アケロン河の向こうに帰っちまう事をお勧めするぜ?!」
 弓を引き絞ったまま、馬はローブの男に声を投げつける。
 男の饒舌さが気に触った。
 馬の経験上、デビルは人間をはめようとしている時が、最も滑らかに口が回る。

「馬、油断するな。あいつは何かを狙っているぞ」
 真幌葉が剣を抜き、全身にオーラによる身体強化の呪法を付与する。フォン、アンドリー、ハロルドも真幌葉に続いた。赤やピンクの呪法の光が冒険者の身体を包み込む。
 冒険者達の好戦的な反応に、しかし、男に慌てた様子は見られない。
「これはまた剣呑な事だ。術の発動の様を見ただけでも、お前達の実力は想像が付く。どうも、真っ当な戦いではお前達を打ち破るのは相当な難行に違いない。真っ当であれば‥‥」
「‥‥何が言いたいのです?」
 油断なくデビルスレイヤーを構えつつ、フォンが口を開く。
 その言葉に、ローブ姿の男は我が意を得たりと腕を開いた。
「お前達は誤解をしているようだが、我々は何もこの群生地を荒らしに来たわけではないのだ。研究材料として、ほんの数株、生きた薬草が欲しい。ただそれだけだ。
 さあどうだ、取引をしようじゃないか? 薬草を少し渡して貰えれば、それで我々は大人しくこの地を去ろう。腕ずくなどと、お互い無駄な苦労をする必要はない。‥‥それに実際のところ、我々全てを相手に大事な土地を完全に守り切れる自信と保証もないだろう?」

 予想外の男の言葉に、冒険者達は言葉を詰まらせる。
 氷の防壁には自信があった。戦闘ともなれば、男の背後の木っ端デビルなど物の数にも入るまい。
 だが男の言葉も真実の一面を突いている。薬草の一株一株が、病に苦しむ者達の生命線となり得るのだ。ドームの中だけではない、雪の下にはどれ程の薬草が芽生えを待っている事だろう? 稀少な群生地を戦いで踏み荒らすくらいであれば、その数株を渡す事で争いを避けた方が賢明ではないのか?

 そう。冒険者達の誰かが、うんと言おうとした。
 薬草を渡す。だから大人しく引き下がれ、と。ほんの後一呼吸で、その言葉が口の端に―――

「みんな、デビルの甘言に乗ってはいけない!」




「マグナス殿!」
 アンドリーの声。
 パラスプリントによって突如男の背後に出現したマグナスが、カオススレイヤーを男の喉元に突きつける。いきり立った下級デビル達が駆け寄ろうとするのを、マグナスの大音声が押し止めた。
「来るな、お前達のボスの命はないぞ!」
「これはこれは、パラディンの伏兵がいたとは驚きだ‥‥」
 男の言葉を、マグナスは強く遮る。
「余計な事は言わなくていい。聞きたい事は一つだけです。お前達の主は誰です? マルコシアスの残党が報復戦にでも来ましたか?」
「‥‥くくくっ。マルコシアスなどと言う小物に、このマルティムが報復戦? 突然飛び込んできて一体何を聞くかと思えば‥‥」
「余計な口を開くなと言ったはずですよ!」
 カオススレイヤーの刀身が、男の喉元に触れる。聖剣の力は、ただそれだけで悪しき者に浅からぬ傷を負わせる事が出来るのだ。だが、男は、マルティムは口を閉じようとはしない。
「余計ついでに、一つだけ忠告させて貰おう。お前達パラディンの瞬間移動によく似た術を、実は俺も使えるのだ。ご自慢のドームの中を覗いてみろ。中で誰かが彷徨いているのが見えるかも知れんぞ?」

 マルティムの声に、ハロルドはハッと背後のドームを振り返る。
 同時に響くエルマの悲鳴。
「そんな! さっきまで、中には誰もいなかったはずなのに!」
 半透明の氷の壁の中を、一体いつの間にか、長身の黒い人影が彷徨いていた。炎をまとった黒い影が、にやにやと笑いながら、その手に小さな花を握って!
「カカカカカ! たかがネルガル、お前達に掛かれば斬り殺すのに造作もない相手だろう。だが、今そこにいるそいつがファイヤーボムを唱えるのを妨ぐ事が出来るか? 無理だ無理だ、ほんの瞬き程の間に、お前達の大事な薬草は全滅だよ! さあどうだ、パラディンよ。お前も取引をしたくなってきた頃合いじゃあないのか‥‥?」




「‥‥地獄の貴族階級の一人に、マルティムという名のデビルがいるという話を聞いた事があるよ」
 マグナスから遅れてやって来たラインヴァルトが、空木の診察を受けながらそう言った。

 ―――デビルはあの後、冒険者達の目の前から数株の薬草を手に、悠々と立ち去っていった。何とか薬草を取り戻せないかと隙を伺ったものの、薬草を手にしたネルガルは、再びマルティムの力により何処とも知れぬ空間へと転送され追跡は不可能だったのだ。

「薬草と宝石に詳しく、他者を自在に転送する事の出来る力を持つという‥‥気に病む必要はないよ。君達の作戦があったからこそ、向こうは薬草数株だけで退散せざるを得なかったんだから。ここの警備の話、引き受けさせて貰うよ。今の時代の冒険者達にはすっかりお世話になった。このくらいの事はさせてくれ」

 ラインヴァルトの言葉に、冒険者達は曖昧に頷いた。
 そう、彼らは確かに自分達の使命を全うしたのだ。貴重な薬草の群生地は元のまま、死人もいなければ、怪我人もいない。‥‥だが、暗い焦燥感がどうしても頭から離れない。

「あの、伺ってもいいですか?」
 薬草の生育環境、生息場所、数、花の様子。そのような情報を事細かに記していたエルマが、ふとラインヴァルトの方を振り返った。どうしても聞いてみたい事があったから。
「地獄病って、どんな病気なんですか?」
「死ぬんだ」
 ラインヴァルトの声に、暗い影が差す。
 それは、あまりにも、あまりにも単純な病の特徴。

「病気に罹った者はみんな死んでしまう。罹れば地獄行きだから、地獄病。本当なら、俺も二百年前に死んでいた筈なんだけどね」