●リプレイ本文
ゲヘナの丘。荒涼とした丘には無数の杭が打ち込まれ、どす黒い色で染まっている。そのひとつひとつに体を貫かれ焼かれて死んだ幼子の絶叫が染みついているのがありありと分かり、悔しさのあまりアクエリア・ルティス(eb7789)の目から涙が溢れる。しかし、今は立ち止まっている事はできない。
「今よ」
リュシエンヌ・アルビレオ(ea6320)の澄んだ声は小声でも響く。作戦に合わせてムーンフィールドを展開した。継続時間は6分。デビルの注意がムーンフィールドに向かっている間にどれだけ進む事ができるかが勝負である。
「ロスヴァイセ、行きますわよ」
リリー・ストーム(ea9927)は槍は構えると天馬・ロスヴィセと一体になり突進を開始する。大天使の槍を構え天馬に騎乗するその姿はまさに戦乙女・ヴァルキューレに見紛うものがあるのだが、今はその身を目立たせぬようぼろ布で包み込んでいる。
「なるべく目立たぬように、と言っても地の利は敵にありますからね。どこかで見つかるでしょうが、そのとき有利な状態に持っていけるように」
リリーと共に先陣として進むフォン・イエツェラー(eb7693)。片手で魔剣「ストームレイン」を握り締めながら愛馬・アドの手綱を引く。
天馬・アテナに騎乗し天空より索敵を行っているディアルト・ヘレス(ea2181)が早速デビルの集団がリュシエンヌの展開したムーンフィールドに向かい移動を始めたのを見止める。飛行する蝿の群れの中に巨大なインプのようなデビルの姿を見つけた。
「指揮しているのはネルガルですか。蝿はともかく、ネルガルはある程度知恵が回るようですから見破られるのは時間の問題かもしれませんね」
「だとしたら尚の事急がないとな」
天空を騎行するディアルトのすぐ下を遅れることなく移動する影。セブンリーグブーツを装備したイグニス・ヴァリアント(ea4202)である。リュシエンヌを中心にして先陣、右翼、左翼に分かれて進軍をしている。ディアルト、イグニスは右翼に位置しており、一方反対の左翼にはアクアの愛称ことアクエリアとイリーナ・ベーラヤ(ec0038)の姿がある。
「どの道見つかる訳ですし、それがお仕事ですから」
冒険者ギルドに来たという依頼主が一体何者でどれ程の力量があるかはイリーナには判らない。判らない以上は当てにもできない。が、求められた仕事をこなすのが冒険者の務めであろう。忍犬、そして騎乗する戦闘馬にもオーラパワーを付与する。初級の力だが今まで戦ってきた経験で下級デビルが相手であれば十分効果を得る事ができる。
「やっぱり、いたわね。私、あのデビルって大が付くほど嫌いなの」
アクアが露骨に嫌悪感を示す。視線の先には蠅の集団を率いてこちらに向かってくる黒いデビル、ネルガルがいた。あのデビルを見る度に思い出す事があり、そして気合いが入る。そこに騎馬が到着する。鞍上にいるのはキュアン・ウィンデル(eb7017)である。
「ディアルト卿より報告があった。近辺の敵の集団は三つ。うち二つがこちらに向かって来るようだ」
一瞬で構えを取ると寧ろ迎撃に討って出る。ムーンフィールドに向かった集団と同じ構成、ネルガルを中心にしたベルゼビュートフライの隊と、やや遅れ気味に浮遊する剣に鎧、デビルソードにデビルアーマーが現れた。そして、空中には蝙蝠の羽を広げ滑空する暗黒の騎馬とそれに騎乗する騎士の姿がある。
「行きましょう」
ディアルトの声が響く。皆はその声と同時に散開し襲い掛かる敵を迎え撃った。
「スズナ、お願い!」
リュシエンヌは風精霊のスズナに願い、共に魔法を詠唱する。高速で詠唱したイリュージョンに囚われたベルゼビュートフライが同士討ちを始め、次いでベルゼビュートフライが吐き出す酸の息もスズナが詠唱したストームにより拡散して行く。
「デビルの中でもあんた達って大っ嫌いなのよ!」
燃える刃・ティソーンが炎の色に染まる。お約束のようにカオスフィールドを展開したネルガル目掛けてアクアが突撃を敢行する。何もなかった空間に黒い炎の壁が現れる事も承知。中に入る時身を焼かれる事も承知。アクアの一撃は、ネルガルを負傷させる事に成功した。この乱戦において先手を打つ事こそ大事である。
「二撃目を受ける。つまりエヴォリューションの詠唱に失敗したようね」
崩れ落ちるネルガルにアクアの剣が突き刺さる。ぼろぼろと崩れ落ちる体は灰となり、暗黒の土壌へと急襲されていく。
そこに新たに現れたデビル、グザフォンが現れる。手にするふいごから炎が吐き出されアクアに襲い掛かろうとした。
その時、一陣の風が舞った。剣の切っ先を鋭くして舞った風はグザフォンを貫く。
「がは‥‥」
呼吸をしないデビルが絶命の息を吐き出す。その頭上で風に舞う薄布の衣からは長い脚が顕わになる。一撃で粉となり霧となるデビルを見下ろしているのはイリーナであった。
「気味が悪いわね。まるで、地面から手が伸びてくるように見えるわ」
暗黒の大地に吸収されるデビルの灰を見ながらイリーナは顔をしかめた。
イグニスとフォン、それにキュアンが進む先にはデビルソードとデビルアーマーがその行く手を塞ぎに掛かってきた。数は共に3体。
「雑兵に構っている暇なんてないんだ。悪魔をボコボコ生まれても困るからな」
堅い鎧の中に飛びこんだイグニスが手数で鎧を押し返していく。さすがに防御力は堅いデビルアーマーも、相手が悪かった。動きの遅いデビルアーマーに攻撃を当てる事など造作もない。
「当てた所で我々を貫けるものか!」
数多の戦士を誘惑し悲劇へと導いた悪魔の鎧が嘲笑する。しかし普通なら通らない剣戟もイグニスの剣は的確に急所を突き、鎧の繋ぎ目を尽く破壊するのを見て動揺が走った。モンスターへの造詣が深く急所を狙う事ができるイグニスの前に、機動力のない鎧など玩具と同然であった、
次々と破壊されて行く鎧の横で、フォンとキュアンがデビルソードと対峙していた。身軽ではないキュアンを目掛けデビルソードが襲い掛かる。
「まずお前からゲヘナの丘の新たな生け贄にしてやろう」
敗色を感じ取った剣は攻撃を一点に集中する事で活路を見出そうとした。あるいは悪魔としての矜持であろうか。だが、デビルソードの攻撃はキュアンの鎧に傷一つも付ける事ができなかった。
「なんだと‥‥」
「私もいるというのに。隙だらけですよ」
キュアンの前で呆然としているように見える剣へ、フォンが構える魔剣・ストームレインが振り下ろされた。そしてキュアンの槍・ゲイボルクが突き刺さる。キュアンが攻撃を受けフォンが攻撃を与える。一体、また一体とデビルソードは灰燼へと貸した。
「ヒトの造る鎧は、化け物か‥‥」
末期の声にキュアンは苦笑する。傷一つ付かない鎧を見る度、エチゴヤの技術力とは何事なのかと思う時は、確かにある。
一方、天空で繰り広げられた激闘はひとつの変化が生じた。ディアルトとリリーが攻撃を繰り返す。だが悪魔の騎士、アビゴールはさすがに手強かった。迂闊に踏み込むと反撃のカウンターが襲い掛かってくる。ディアルトの盾が火花を上げ、リリーの纏っていたボロ布は次第に切り取られ剥がれ落ちる。しかし、リリーが纏っていたボロ布の下から現れるは大天使の鎧。
「ヴァルキューレが侵攻してきたと聞いたが貴様だったか」
幾度攻撃を加えても傷を負わないリリーとディアルトに霊的な物を感じたアビゴールが詰問する。
「応えよ!」
「我らが槍と剣が全て。応える必要はありません」
リリーが宣言し、ディアルトが剣を構える。地を見れば囲いを突破しエキドナの仔に向かい駆けていく冒険者の姿が見える。
「おのれ、アビゴールの名をここで汚す訳に行かぬ」
ディアルトに向かいアビゴールは突進を行った。速度を抱いた攻撃は、だがディアルトの盾を貫く事が能わなかった。
「ここまでです」
リリーの槍がアビゴールを貫いた。
「なに、あれ‥‥」
リュシエンヌがその光景に絶句する。エキドナ、全ての魔物の母と言われるその由縁がそこにあった。ゲヘナの丘の瘴気を吸い込む度、暗黒の塊がエキドナから産み落とされるのが見える。
「酷い‥‥」
この地にあるのは身を切られ貫かれ焼かれた子供の嘆き。それを力としたモレクに代わり、エキドナは子を産むための精にしている。なんという呪われた光景であろうか。
「いい加減にして欲しいわね‥‥」
イリーナとアクアの激高は頂点に達し、手当たり次第黒い塊を破壊して回った。ディアルトが、リリーが、キュアンが、イグニスが、フォンが、子どもたちの嘆きを天へと還すために暗黒の球を破壊して回った。
だが、幾分であるが戦いに要した時間が冒険者を追い詰めていた事に皆は気が付かなかった。また自分の仔が消されるのを容認するエキドナでもなかった。
大群を擁したアビゴールが現れ、丘の上から冷たい視線を投げつけて来た。負ける気はしない。だがエキドナは今も仔を生み続けていた。無限に闘う訳にも行かない以上いつか囲まれ倒されてしまう。だが、時は既に遅く冒険者は踏み込みすぎてしまったのかも知れない。背中を冷たい汗が流れた。その時。
血塗られたような天と暗黒の風を突き破り、雷鳴と共に紫電が疾走した。放たれた一撃は今まさに産まれようとしているアビゴールの急所を捉え大きく穿つと、雷を放った者へ帰還する。そこにその者はいた。帰って来た槍を受け取ると再びそれを構える。
「‥‥わたくしがもう一人いるのかと思いました」
リリーの姿を遠目で捉えた彼女は、共に戦うジニールに微笑みながら話しかける。身の丈4mほどの巨大なジニールに比して2mに満たない彼女の体格差は明確なのだが、圧倒的な威圧感が彼女から発せられている。鎧、兜ともに白銀に輝く装備は、地獄の中にあって一段と輝いて見えた。
「‥‥ヴァルキューレか。おのれまでが参戦するとはな」
「エキドナ。あなたの思惑を精霊が許すと思っていたの? デビルは相応に地下から出なければ良かったものを」
「戯言を。アルテイラの封印が解けた今、世界を閉ざす壁は既にない。現世だけではない。アトランティスさえ我が物にできる好機に動かぬのは痴れ者よ」
白銀の鎧に身を包んだ彼女は、ひとつ息を吐き再び槍を構える。
「地上は生きとし生ける者とわたくし達精霊が住む場所。神と悪魔が地表で対決するような事を起こさぬためにも!」
言い放つと槍を投じた。遠距離にも関わらず正鵠を射貫き、雷鳴が鼓動となり響き渡る。
「壮大な歌曲の中にいるようね」
リュシエンヌが感嘆の声をあげる。時間があるなら律詩として書き上げてみたい光景だ。だが、今はまだその時ではない。
アビゴールという指揮官を失った敵の増援はどちらに向かうか、俄に対応はできないようだった。この隙を活かさない訳にはいかない。目の前にあるエキドナの産んだ嬰児、黒い塊を可能な限り破壊していく。
「諸侯の活躍に感謝を申し上げます。次は共に轡を並べましょう。ただ、目的を達した今は帰還するのみ」
一息で口上を述べる彼女が踵を返すと、風が道を開いて行った。
「‥‥派手ね」
イリーナは呆気に取られた顔を一度して、大げさに首を振る。巨大な風と真空の刃、紫電が戦場を切り裂き、撤収する道を開いていった。まるで、吟遊詩人が語る神話の光景のように。
「折角の舞台を整えて貰ったのですから、英雄として帰還しましょう」
リリーが槍を振りあげる。
「ヴァルキューレがまだいるぞ!」
インプやアガチオンのような本当の下層のデビルが霧散するのが見える。この手でエキドナのとどめを刺せなかったのは残念ではあったが良い気分だ。
「凱旋だ」
「凱旋よ」
皆は腹の底から声を出し、地獄を駆け抜けていく。そう、まさに地獄を貫く一本の槍の如く。