言葉の檻を開く鍵
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■ショートシナリオ
担当:龍河流
対応レベル:フリーlv
難易度:難しい
成功報酬:0 G 93 C
参加人数:6人
サポート参加人数:1人
冒険期間:01月17日〜01月24日
リプレイ公開日:2007年01月26日
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●オープニング
依頼人は、見たところ三十代前半のハーフエルフの女性だった。貴族の家柄のお嬢様だから、まず身なりがよかった。顔立ちも美人だったが、この辺は生活疲れもなく、綺麗に着飾れば誰でも美人に見えるから、貴族の中ではまあまあの部類かもしれない。
いずれにせよ、その依頼人は人間だったら十六、七の娘盛りで、今すぐにでも何処かに嫁いで不思議のなさそうな、綺麗なお嬢様だったのである。
このご令嬢が、こう言っていた。
『ソフィアは私より何倍か美しいし、頭も悪くはありませんわ。どんな難しい書物だって、大抵読みこなしますもの。馬‥‥動物はなんでも怖いようですけれど、乗馬が出来ないわけではありませんし、刺繍など下絵がなくともそれは素晴らしい模様を刺します。歌は歌いませんけれど、楽器も幾つかこなしますものね。なにより人の顔と名前を、三十人一度に紹介しても一度で覚えられます』
ソフィアというのは、依頼人と同種族、同年代の従姉妹である。聞くだけなら非の打ち所のない完璧に近い貴族令嬢だろうが、性格に大問題があるのだそうだ。別に底意地が悪いとか、美貌を鼻にかけているとかではない。
『父親が悪いのでしょうけれど、それはもう内向的で、自分に自信がなくて、この世から消えてしまいたいと毎日毎晩考えているような状態ですのよ。自分はハーフエルフで女だから、使い道がないのですって』
このソフィア嬢の父親はエルフの貴族だったが、昨年末の嵐のような粛清の中で公金横領やら色々と不正を行なっていたことが判明し、跡継ぎの長男共々、依頼人の父親とその手勢に討ち取られた。他にも不正に関わっていた臣下や商人なども捕らえられたが、その際にソフィアはまったく無関係だと誰もが証言したので、依頼人宅に引き取られてきたのである。ソフィアの母親は数年前に他界している。
依頼人は父親から同年代なのでこまめに相談に乗ってやるようにと命じられ、親身に世話をしていたらしい。最初は家族が謀反の罪で粛清されたことに動揺して、萎縮しているのだと思ったそうだ。そのくらいに、ソフィアは才覚はあるが、おどおどして、他人の顔色を窺う言動が目立つ‥‥というより、部屋の隅で人目に触れないように息を潜めている有様だとか。
それで依頼人は、父親にも相談した後に正直に状況を知らせてやった。
ソフィアの父親の所領は小さいが、依頼人の実家の隣だ。他に子供はおらず、状況次第ではソフィアなりその婿が再度領有することも可能かもしれない。あくまでソフィアが謀反と無関係で、国から相続の許可が下りればだが。
また、ソフィアと国が承知すれば、彼女を養女として依頼人の実家がまるごと所領を増やすこともありえる。もちろん依頼人の父親はこれを狙ってソフィアを引き取っていた。
だから、自分達と友好的でいてさえくれれば、ソフィアを害するどころか、今後の保護は不足なくするつもりだと依頼人は端的に説明した。ソフィアもその説明はきちんと理解したが、そこで判明したのが。
『どうしようもなく、ソフィアは自分に自信がありませんのよ。父親にずっとハーフエルフの女は跡継ぎを産む役に立たないから、嫁ぎ先もないし、役立たずだと言われていたようですわね。父親のためにならない、どうしようもない子供だと』
自身もハーフエルフの女性である依頼人は、その言い分にたいそう腹を立てていた。
ハーフエルフ至上主義で、跡継ぎにハーフエルフを望む貴族が多いのは確かだ。それには人間とエルフの組み合わせが確実で、ハーフエルフ同士でも生まれる子供の半分は親と種族が異なると言われる。それにしたってハーフエルフが子供に同族を望む場合には、伴侶も同族である必要があるのだから『役立たず』は暴言だ。でも、そういう父親だったらしい。
おかげで、大変な美女で、学もあり、芸事や手仕事にも才能があり、記憶力も抜群の申し分ないはずのお嬢様が、ものすごく卑屈で内向的で、社交など欠片も出来ない困った性格になっているのである。立場と家にもよろうが、貴族の女性が社交の場に出られないのでは不都合は多い。
『あれでは結婚しても、相手と想い想われるなんてことはありえません。貴族の縁組とはいえ、せめても互いに尊敬しあえるようでなければ、結婚する甲斐がありませんわ』
依頼人も色々語り聞かせてみたのだが、ソフィアにしてみれば立場の強い身内からの言動である。どう諭しても、ただ従順に頷くだけなので、まったくの他人に入ってもらおうと思ったらしい。冒険者ギルドを訪ねたのは、他国の騎士等が修行のために籍を置いていると聞いたからだ。
『自分が十分尊敬に値する貴婦人だと、気付かせてあげてくださいませ。ああ、必要なものは出来るだけこちらで準備しますし、滞在中の生活はこちらでお世話いたしますわ』
依頼人は簡単に言うが、三十何年掛けて培われた性格を変えるのは、なかなか大変なことだろう。
でも、依頼人やその家族よりは、赤の他人のほうがソフィアも緊張しないのかもしれない。
●リプレイ本文
淑女教育というには、あまりにも毛色が違う依頼に集まった冒険者は六名。そのうちの三人、リュンヌ・シャンス(ea4104)とイリーナ・リピンスキー(ea9740)、シシルフィアリス・ウィゼア(ea2970)が依頼人タチアナの指定した屋敷に以前に訪れたことがあり、ディアルト・ヘレス(ea2181)はタチアナの兄からの依頼を受けたことがあった。
ケリー・レッドフォレスト(eb5286)は長くケンブリッジの闘技場で腕を磨いていたので、今回がギルドを通して仕事をするのが初めて。ヴェロニカ・クラーリア(ea9345)はキエフに来て五ヶ月ほどだが、このアルドスキー家とはこれまで縁がなかった。
「あのさ‥‥依頼人って、気取った人とかじゃないよね?」
目的地の門が見えた頃合になって、ケリーが言葉もまだ覚束ないことがあるので、お高く留まっている人が依頼人だと困ると今までに縁があった者に尋ねている。縁があった四人とてタチアナとは初対面だが、兄弟や親の様子から考えて。
「さほど気難しいことも、作法に拘泥することもないだろう。話に聞く限り、お若い女性ながら自分の考えがしっかりとおありのようだがな」
それが従姉妹で今回の教育対象とも言うべきソフィアに合うかどうかは別だが、ディアルトの返答にイリーナとシシルも異論はないようだった。リュンヌは元より必要最小限しか口を開かない。
「こちらが別邸か。親戚筋がこれだけの権勢であれば、実家も相当のものであったろうに」
食べるにも事欠く庶民から見れば、衣食住に何の心配もない貴族の生まれでありながら、こうして自分達が集められることになるとは‥‥とヴェロニカが外套の襟を掻き寄せた。
「あったかそうなお家ですね〜。お庭も広いし。番犬さんはいませんね」
この庭なら、連れてきたペットの巨大鳥類パガーニを預かってもらえるに違いないと期待したシシルが、寒さにも耐えかねて自分達の来訪を告げに門へと小走りに近付いた。彼女は毛皮の外套を羽織っているのだが、出発直前に荷物からそれを出すのに苦労して、一度芯から冷えてしまったのだ。
この点はロシアの気候に不慣れなディアルトやヴェロニカも多少ましな状態とはいえ、寒さが身に染みている。リュンヌは最初から絶対に狩りや戦闘には向かない防寒重装備で出向いて来ていた。シフールのケリーはある程度の防寒に加えて、馬にしっかり掴まっていれば結構暖まるので顔色はまあまあである。
イリーナはロシア生まれらしく、神聖騎士らしい装備ながらも防寒を兼ねる身なりを整えていた。手馴れたものだ。とはいえ、シシルもロシアの生まれのはずだが。
依頼初日、引き合わされたソフィアの顔を誰一人きちんと確認できなかった。金髪で、目の色は不明。ものすごく俯きがちで、でも六人の顔は一瞬盗み見るようにして確かめていたようだ。それで三十人覚えるのだとしたら。
「素晴らしい記憶力だが、四六時中あの調子では」
「付き合うのも疲れましてよ。私がせっかちなのでしょうけれど」
イリーナが実際に何を言いたかったのかは不明だが、タチアナの言い分にシシルとケリーはすっかり頷いてしまっている。ソフィア本人は逃げるように自室として与えられた部屋に籠もってしまったのだ。
それで、一同は計画を今のうちに話し合った。
ケリーは当人の才能を大絶賛して、少しでも自信をつけてもらう方向性。あいにくとソフィアはゲルマン語しか話せないので、イギリス語が出来れば大絶賛しやすいという彼の目論見は叶わないが、何とかするしかない。
イリーナは本人が得意の刺繍を習いつつ、環境の激変で精神的に疲弊しているのを和らげるように寄り添うつもりだ。そのためにわざわざ刺繍糸や布地を買い込んできたが、習ったものは異母妹の誕生祝のドレスに仕立てる予定だそうだ。
シシルとリュンヌはそこまで明確に何をするという予定は立てていないが、ソフィアが一人きりで籠もらないように会話をしたり、得意なことを尋ねたりするつもりでいる。ただどちらも相手の気持ちを汲み取るのは苦手だとはっきり言うので、ごり押しになりそうだったら気付いた者が止めることになった。
ヴェロニカは『幾つか尋ねてみたいことがある』と、青い目にいささか暗い気分を滲ませた物言いをし、ディアルトは皆のやることでもどうにもならなかったらと前置きして、思い切り精神的に揺さぶる内容を告げた。ケリー以外は若いといって差し支えがない女性達が相手なので、あまり気は進まないようだがまずは提案のみ。
それを聞いて、シシルは真っ赤になって頬に両手を添え、イリーナはなんとも言い難い顔になり、ケリーは『荒技だね』と口にし、リュンヌは無表情になった。
「父親から、跡継ぎの子供を産む役に立たないと言われていたのであれば、それでも相手に望まれるというのは認識を一変するのにふさわしい出来事だな」
唯一ヴェロニカは理解を示したが、もちろんディアルトも承知している一点にちゃんと気付いていた。
「単なる芝居ではより深みに突き落とすゆえに、よほど嫌がられるようにやらねば」
「承知している。だから本当に最後の手段だと」
いきなり『子供を産んでくれ』と言われたら、大抵の女性は嫌がる。だが勢いに負けて頷かれたら困るので、ディアルトが言う通りにそれは最後の手段だろう。
そうして、刺繍やその他の準備がある他の者を置いて、ヴェロニカは最初にソフィアの私室を訪れた。
幾らロシアに生まれても、貴族としての教養があるなら他国でのハーフエルフの扱いが如何様なものかは知っているはずだ。ヴェロニカはノルマンの生まれで、ハーフエルフを排斥する社会の中で生きてきた。日頃は依頼で一緒になった者にもそんな話はしないのだが、
「生まれた環境は違うが、少し自分の昔を思い起こさせたのでな」
ハーフエルフがそれと知れるのは、耳の形からが多い。それでヴェロニカは自らの耳を削いで形を変え、更に人目を避けて生きてきた。すでに娘盛りと言われる年頃は過ぎ、ロシアでも農村なら一人身でいることがおかしいと思われる年齢にもなった。それでも人に馴染む気にはならない。
ただ彼女には詩人としての天賦の才があった。歌と楽器の才もあり、それで暮らしてきた年数も長い。誰かに歌えと求められて始めたことではなく、今も大衆から拍手喝采されるような詩を作るわけでもないが、
「人の役に立つかどうかなど、興味はない。世界の役に立つようなことはこの先もないだろう。それでも、私は私だ。時間は掛かったが、自分が自分を愛して応援できるなら、何を為そうと価値がないということはなかろう」
ヴェロニカは生まれた国のほとんどの人から忌まれ、ソフィアは父親と兄の二人に。忌まれた相手の数の多少は関係ないが、多分自分の価値を見出せない心の有り様は似ているのだろうとヴェロニカは思っている。
「それでも、この寒い中で着るものにも困らないのだから、それは幸いではないかな」
「‥‥タチアナ様がお譲り下さったのです」
随分長い時間向かい合っていたはずだが、ヴェロニカがソフィアの声を聞いたのはようやくこれだけだった。
初日は、他の五人はほとんどソフィアと会話が成立しなかった。
二日目以降、それでもイリーナの要望に従ってソフィアは刺繍に取り組んでいた。イリーナと、その気になったシシル、三人で草花の模様を刺している。
「三人ともすごいなー。ソフィアさんのこの花なんか、本物を貼り付けたみたいだよ。これは自慢出来るよ」
ソフィアの私室では何人も入ると狭いので、居間にいる彼女達の周りを飛びながら、ケリーが感心しきりの様子だ。実際にイリーナとソフィアの刺繍はとても見事だったし、シシルは下絵を描かせるとそのまま飾ってもいいような出来栄えである。あいにくとシシルの場合、刺繍をするとうまくない具合に陥るのだが。イリーナとソフィアの刺繍の腕はどちらが上とも言い難いが、それはイリーナがソフィアの真似をしようとするからだ。ソフィアの刺繍はとにかく細かい。
そのソフィアに教えを乞うているイリーナとシシルだが、相手は誰かに教えるどころではない。刺繍の腕は褒められても、教え方云々言う前に会話が成立しなかった。傍らで刺繍を眺めて楽しんでいるリュンヌとは、また違った性質だ。リュンヌは単純に無口なだけで、人の声掛けにはちゃんと反応する。
ディアルトは女性の手仕事を眺めるのはぶしつけだと、さほど刺繍に興味のないヴェロニカと共にタチアナと別室で話し込んでいる。この三人はこまめに顔を覗かせては、お茶にしようとか何か手伝ってくれとか言って、気分を変えてくれる。ケリーは時々双方の様子の確認で、まさに飛び回っていた。
しかし、色とりどりの糸を見てなにやら考え込んでいるリュンヌに、ちくちくと刺繍をしているイリーナ、とうとう手は休む一方でおしゃべりに熱中し始めたシシルの三人ともが、同じ事を考えていた。
「ソフィアさん、ユーリーさんにはお会いになりました? あの人、このくらいのお人形持っているんですよー。イリーナさんが作ったのが欲しいって言って」
アルドスキー家にはユーリーという代官見習いがいるのだが、これがまた見事にソフィアのような性質の持ち主だ。結構才能があるのに、自己評価がたいそう低い。シシルはユーリーの他、タチアナの兄達にも会ったかどうかと尋ねていたが、ソフィアは返事をしそうでしない。
これでも初日に比べたら、少しは反応が出てきたなとシシルが一人で幸せに浸っていると、イリーナとソフィアの刺繍を見比べていたリュンヌが何色かの糸を選んで、ソフィアの横に座り込んだ。
「これでね、夜明けの空を布に描くことができる?」
リュンヌ本人は糸や紐を使うと言ったら、猟師として罠を仕掛けたりする時だ。特定の方向に引っ張らないと解けない方法などは知っているが、刺繍をしようとは思わない。そもそも実の親がよく分からず、養い親とも死別した上に、言葉の濁し方からして事故か何かを窺わせる別れ方のようだ。それでかどうか、珍しく饒舌に描いてほしい景色を口にしたリュンヌは、不意にまったく違うことを口にした。
「私もあまり、自分がこの世にいることを納得できないでいるのだけれど。‥‥でも、いつか自分の森を探して、そこに住むわ」
もしかすると口にした光景は、リュンヌが将来住みたいと思う森の景色なのかもしれない。聞いていたシシルは涙目で、作ってあげられないかしらとソフィアに尋ねている。
すると。
「‥‥見たことがないので、お役に立てそうにありません」
主語がどこかに消し飛んでいるが、ソフィアは申し訳なさそうに、でも一応ちゃんと返答した。背筋が曲がるので、イリーナが押して直している。その上で。
「見たことがなければ、早起きすればよいことだ。少し歩けば、よい景色が見られる」
「明日の天気がよさそうか、ちょっと外を見てくるよ」
「下絵なら描きますから。もう任せてくださいな。でも刺繍は出来ませんっ」
イリーナの提案にケリーとシシルが飛びついて、さっそく翌朝早朝の予定が決まってしまった。ケリーが空の様子を見に行きがてら、ディアルトとヴェロニカにもその旨を伝えている。すると、言いだしっぺのリュンヌが。
「この寒いのに?」
ロシアの人達はこんな寒い場所でも元気だと、妙な感心をしていた。
そうして翌早朝。
「失礼。こちらの腕をしっかり掴んで」
ほとんどの行程をディアルトに抱えられるか、背負われるかしているソフィアの姿があった。ロシア生まれながら、雪道を歩いたことがないようで、転ぶ、雪に埋もれる、氷に滑る。よって、ディアルトが予定外の過度の接触をしているのだが‥‥この外出の理由を作ったリュンヌが流石に哀れに思ったらしい。
「帰る?」
背後でシシルが『そんなぁ』と残念がっているのは、多分『薄幸の深窓の令嬢を庇って進む神聖騎士の姿』が彼女の好みに合致しているから。時々口の中で何か呟いたり、含み笑ってはイリーナにたしなめられていた。でも無理をして怪我でもしたらと、それは全員が心配なところでもある。
けれども。
「刺繍‥‥します」
自力で歩いた距離は僅かだが、すでに疲れ果てている様子のソフィアが、初めてしっかりと口をきいた。その返答に、聞いた全員が少し考え、すぐに灯りを掲げていたヴェロニカとケリー、イリーナが道の先を示す。
「それなら急がないと、夜が明けちゃうよ。今日は絶対に快晴だからね」
移動するのは主にディアルトなものだから、ケリーが急かす。ディアルトもそれには愚痴も零さずに、ソフィアを抱え直した。
「配慮はするが、弾みで力が入りすぎたりして不愉快だったら、すぐに言ってくれ。そうでないと、私が失礼な輩になってしまうからな。そういう『嫌』は、言ってくれたほうが助かる」
強い願いというには相変わらず声に力がないし、皆の様子を窺う気配が濃厚だが、何か尋ねて『はい』以外の返事は初めてだ。何が切っ掛けかはディアルトにはよく分からないが、この調子で意思表示が少しずつでも出来るようになれば、下手な芝居を打つ必要もない。ちゃんと自身で何かしようと考えたのだから、その望みはしっかりと叶えてやらねばならなかった。
そこからもう少し進んだところが、ちょうど夜明けの平原と森とが見渡せる場所で、ヴェロニカが呟いた。
「この景色を私は言葉にするが、他のもので表すことは出来ないな」
「私も絵は描けるけど、刺繍は向いてないみたいです」
「イギリス語でなら、何か気の利いたことが言えるかも」
「こういう空を刺繍するほど、根気が続くか分からぬ」
それに呼応して皆が思ったことを口にしているのを、ディアルトとリュンヌ、ソフィアは聞いていた。リュンヌは皆がいることなど忘れたように、目を細めて強くなってくる陽光を眺めている。
この後、シシルが下絵を布に描いて、イリーナが刺繍の刺し方の相談に乗り、他の四人も色合いに色々と知恵を出した一枚はほとんど進まないうちに依頼期間の方が尽きてしまった。イリーナの刺繍は何とか完成して、ソフィアが最初に手掛けていた布地と共にタチアナが日頃使っている仕立て屋に引き渡されている。
「こちらは色合いが素晴らしいし、こちらの緻密なこと、宮中に着ていくものが仕立てられます」
仕立て屋が、引き渡された布地を見て賞賛する。布地を見慣れた者にもよい品物と映ったようだ。少なくとも、口調や表情におべっかの気配はない。
「こちらも完成したら、ぜひ引き取らせていただきたいものです」
まだまだ完成には程遠い、でも下絵の素晴らしさが見て取れる布地を掴んで、ソフィアが首を横に振ったのを見たタチアナは人前だというのに涙ぐんでいる。
それを見た六人は、ゆったりした気持ちで帰り支度を整えることが出来た。