『男が欲しい』
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■ショートシナリオ
担当:龍河流
対応レベル:1〜5lv
難易度:普通
成功報酬:2 G 10 C
参加人数:8人
サポート参加人数:1人
冒険期間:10月04日〜10月12日
リプレイ公開日:2004年10月12日
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●オープニング
扉をくぐり、右を見て、左を見て、また右、ついで天井と床を眺めて、とうとう入口から離れた依頼を張り出す掲示板を注視していたエルフの女性の開口一番の台詞に、冒険者ギルドの若手係員はカウンターへつんのめりそうになった。
「あのですね、ここは冒険者ギルドですが」
「ええ、承知してますけど」
人間で言うなら三十歳前後、よって実際は九十年くらいは生きているはずの女性の言葉に、係員は続く言葉を探した。冒険者ギルドで斡旋するのは、もちろん冒険者限定だ。そりゃあエルフの男性は冒険者にもたくさんいるが、こんな要望にお応えしたらギルドマスターから怒られる程度ではすまないだろう。
かといって、他所へ行けとも言い難く。だいたいどこへ行けばいいのかと問われたら、返す言葉がない。仮に知っていても、口にしたらやっぱりギルドマスターから‥‥
これはもしや、子供達が泣き喚きかけたあの日や『男にしてほしい!』なんて依頼のあったこの日の話に、後で笑い転げていたことへの、セーラ様の罰だろうか。
「あのぅ、知人の知人のお孫さんが、こちらでご紹介いただけたと聞いてるんですけれど」
誰だ、その孫って言うのは。いやいや、伝聞が変な風に捻じ曲がって訳の分からない話になったのか。それともこの人がその問題で思い悩むあまりに‥‥ああ、どうしよう。
自称『若手随一の将来有望係員』の彼は、愛想笑い全開のままに頭の中で色々と考えを巡らせていたのだが、ここでようやく口を開いた。
「お客様、どなたがどんな依頼で、どういった冒険者の紹介を受けたのかはお分かりになりますか?」
「あら、なにしろお会いしたことのない方なので、お名前はちょっと。紹介状が必要でしたら、わたし、細工職人ですからギルドで一筆もらってきましょうか?」
話が進まねぇ、とカウンターの下でこぶしを握り締めた係員の苦労など露知らずといった表情で、しかし女性も困っている。
でもだけど、突然『男が欲しい』と言われた自分のほうが大変なんだと、係員は相手への遠慮を捨てた。ギルドから一筆もらうより先に、その細工職人のギルドマスターのお連れ合いにでも、誰か紹介してもらえばいいのだ。そう言おうと、彼が意気込んだとき。
話は急展開した。
「父が使っていた仕事場の、お掃除をして欲しいだけなんだけど‥‥ここだと、男手も紹介してくれるって聞いたのに」
よそゆきの言葉遣いを忘れた様子で、女性がほうっと溜息をついた。それを耳にして、若手係員は握っていた拳を何度か開閉した。
「お客様、御用の向きをもう一度お聞かせ願えますか?」
「三年前に亡くなった父の仕事場、父は家具職人でしたけれど、その仕事場のお掃除をお願いしたいんです。急に倒れた上に、わたしもあんまり悲しくて、全然手をつけていなかったものですから、わたし一人ではどうにもならなくて」
「そうでしたかぁ! お任せください。そのくらいのことでしたら、力が有り余っている男性陣を送り込みましょう!」
「よかったぁ。あ、でも、殿方ばかりだとわたしも居心地が悪いので、女性も何人かお願いできますか」
「わかりました! じゃあ、力の有り余っている女性も御所望ですね!」
最初の『男が欲しい』発言は、まず絶対に聞き間違いではないが、きっと言い間違えただけなんだと思い直して、係員はすっかり気が楽になった。いくらなんでも、冒険者ギルドでお金持ちに愛人斡旋などと噂を立てられたら、死活問題である。そうでないなら、たかが掃除だし、いくらでも安請け合いしようというものだ。
ところが、話はまだ終わらない。
「何人ほど向かわせればいいでしょうね。その仕事場の広さはいかほどで?」
「ええと、一部屋はそれほど広くないですけど、全部で十二部屋。一つは父の寝室で、もう一つは図面を引いていたところ。残りの十部屋に木材やらこまごました道具がありまして、わたしも整理しようと思ったんですけれど‥‥」
なんでもこの仕事場、以前は誰かが住んでいた屋敷を買い取って、贅沢にも仕事場にしていたものらしい。台所も散らかっているが、もちろんある。十二部屋とは別に、だ。
しかも広い庭付きで、近くの村から少し離れているので専用の井戸も掘ってある。挙げ句に木材の加工に必要だからと、徒歩で百歩離れた屋敷の裏手の池から用水路をすぐ裏まで引いてあるらしい。台所の裏なので、もちろん野菜を洗ったりも出来るだろう。依頼人の父親がやっていたかは別として。
「三年も手入れをしてませんから、その裏の用水路が壊れていて、水たまりが建物にまで迫ってまして、台所の壁にカビが出ましたの。お恥ずかしい」
家財というか木材の片付け以外に、どうやらカビ落としも仕事になるようだ。
「それと、みっともない話ですけど、ネズミが随分といるみたいで。それが結構大きいんです」
ネズミ退治、追加。
「あと、個人的なことで申し訳ありませんけど、裏の池に大きなカエルがいましたの。わたし、カエルは大嫌いなので、もし都合がよければそれも」
カエル退治、追加。
「そうそう。わたしが十日前から仕事場の片付けに行ってますけど、井戸の近くの大木にカラスがいましてね。カラスって、近くで見ると、あんなに大きいんですね。追っ払っていただけるとって、お願い事ばかりで見苦しくてすみません」
カラス撃退、追加。
「これが一番重要なんですけど」
「まだあったんですかっ! いえいえ、すみません。今度は猫ですか、それとも犬?」
「あっ、野犬が出ます。そうでした。わたしがこちらに来ようとした日に、野犬がネズミを咥えて走っていきました。ごめんなさい、気持ちの悪い話で」
野犬退治、それと?
「一番大事な話ですけど、話が前後して恐縮です。箱を見付けて欲しいんです。父がわたしに作ってくれた家具で、椅子にもなる物入れ。蓋が上に開く、あれです。壊れたのを、父が最後に直してくれたはずなんですけど、部屋も多くてまだ見付からなくて。横の面には父が花の模様を彫ってくれてあります」
椅子探し。
「えー、じゃあ、その椅子を探して、ネズミとカエルとカラスと野犬を退治して、家の中を全部掃除すればいいでしょうか?」
「あ、用水路は直していただけるのかしら」
「もちろんです。ご安心ください」
係員が安請け合いしたので、依頼受付終了である。
さあっ。
「お屋敷掃除と害獣退治、それからちょっくら土木工事に行ってみよー!」
言うだけは容易いんだ、言うだけは。
●リプレイ本文
●予感的中?
「悪い予感って、けっこう当たるのよね‥‥」
華国生まれというが、髪も瞳も肌の色も珍しい取り合わせのファイター、藍星花(ea4071)が、ぽつりと呟いた。
依頼を受けた冒険者は八名。それに依頼人のイザベラとその許可を得て追加した一人の十名が、問題の仕事場に辿り着いた一行だった。
なお、男女比は二:八。これで男性二人がジャイアントで僧兵の五所川原雷光(ea2868)と、ドワーフでナイトのヘラクレイオス・ニケフォロス(ea7256)でなかったら、イザベラも困惑しきりであったろう。
しかし、たった今困惑しているのは、冒険者達だった。
「うち、そないにモンスターは詳しくないんやけどな〜」
そう、ここまでの道中に魔法談義をしていたウィザードのティファル・ゲフェーリッヒ(ea6109)が口にする。
「あはは、あたしもだけど」
用水路補修のために友人を引っ張ってきたパラのレンジャー、ガレット・ヴィルルノア(ea5804)が、連れのドワーフ、ナオミ・ファラーノの袖を掴んだまま、力なく笑っている。
「あれはもう、モンスターに関する知識が云々ではないでしょう」
穏やかな物言いは、白クレリックのエルフ、サラフィル・ローズィット(ea3776)である。口調に、そこはかとなく諦念が漂っていたりするが‥‥
もう笑うしかないといった様子のジャパン人で忍者との触れ込みの逢莉笛鈴那(ea6065)と、反対に少し投げやりな感じのナイト、アミ・バ(ea5765)よりは、優しいと言えよう。
「勉強云々じゃないよ」
「どう見ても、ジャイアントラットよね」
男性二人も、頷くしかない。
「ジャイアントラットって‥‥あのネズミって、実はモンスターなのっ!」
ここまでの道程ですっかり打ち解けたイザベラの叫びに、彼らの前を話題の『ジャイアントラット』が仕事場と呼ばれる屋敷に逃げていく。
げぽっ、げふっ、ごんごん、げっげっ‥‥
あばら骨が浮き、通常の同族より明らかに一回り以上小さく、力ないよろよろとした足取りで、建物の中に消えるまでに二度ばかり転び、嫌ぁな感じの咳をし続けながら。
そうして日も暮れようかという頃合でありながら、近くの木からは何かに取り憑かれでもしたような鳴き声で、全長一メートルは超える『大きなカラス』が騒いでいた。
「化物屋敷‥‥」
誰かの呟きを否定する者は、一人としていなかった。
まったく、悪い予感ほど的中するものである。
●お掃除開始!
翌朝。
「よろしいですか。イザベラさんは、ここで食料の見張りをしていてください」
後でじっくり洗うことにした鍋を傍らに置き、大きな木切れを持たせた依頼人を前に、サラが繰り返し言い聞かせている。イザベラも神妙な面持ちで頷いていた。もしもの時は、鍋を叩いて誰かを呼べと念入りに告げてから、サラは台所に取って返していた。
本日、冒険者一行は井戸上空でまた憑かれたように鳴き叫んでいるジャイアントクロウ退治と、寝室と図面室の掃除、それから台所探検を試みることにしていた。イザベラははっきり言って邪魔なので、見張り番と称して足止めを食らわせている。
前夜のことについては、もはや誰も語りたがらなかった。思い出したくもない。
そして、まずは井戸周辺。
「報酬は悪くないけど、えげつない依頼よね」
「まあ‥‥一般の方はモンスターなんて見たことないのが普通だけどねぇ」
「まさか、本当にモンスターだなんて」
担当になったアミと星花とガレットは、ジャイアントクロウが巣を掛けている木から離れて、様子を伺っていた。つがいでいられたら面倒だったが、幸い一匹だけのようだ。昨日は遅くまで狂ったように鳴かれて、まあうるさかったのなんの。
理由はたった一つ。
『今でも近所の悪ガキにも負けないから』
意気揚々とイザベラがやってみせた石投げ。自慢するだけあってよく当たるそれは、屋敷のモンスター達にも発揮されたことがあるらしい。よく逆襲されなかったものだが。
そんなわけで、石を投げられた挙げ句に、それで片目の具合が悪い『大きなカラス』と戦う羽目になった彼女達は、もちろんご機嫌が麗しいはずもない。
ジャイアントクロウの鳴き声は、非常に神経に触るものだった。早朝からも鳴いていたから、本当に耳障り。
「ま、やるしかないわね」
どちらからともなく口にした言葉の通りに、星花とアミはそれぞれの得物を抜き放った。その脇で、ガレットが銅鏡を取り出している。
最初にジャイアントクロウのいる木を蹴り飛ばしたのは星花、それに合わせてガレットが銅鏡を煌めかせると、そちらに顔を振り向けた大きなカラスにソニックブームをぶちかますアミ。目標が大きいと、やはり当たりやすくてよいものだ。もちろん三人の協力態勢もたいしたものである。
しばらくは滑空してくるジャイアントクロウの爪をアミが盾で避けたり、星花がダガーで払ったりしていた彼女達だったが、いったん下がったガレットが羽根に矢を食らわせてからは優勢に立った。
そうして、昼前にはジャイアントクロウが一匹、ぴくりとも動かなくなっている。
「わたくしは、カエルを見に行くつもりよ」
「私は、台所の人手がたりなそうだから」
「あたし、寝室を人外魔境から‥‥」
アミは裏手の池に、星花は台所に、ガレットは寝室の片付けに行くことで別れる前に‥‥
「埋めないと、ネズミか野犬が来るわね」
問題は、まだ色々とあった。
仕事場と称される屋敷の裏手は、確かに用水路が壊れているので、かなり湿っぽかった。用水路の縁に埋め込まれていた板が何か弾みで曲がり、屋敷の方向に水が一部流れ出しているからだ。
これは修理に必要な木材を屋敷の中から探し出して、上手い具合に板を取り替え、ついでに全体の補修を少しすれば改善するとガレットの連れのナオミが請け負ったので、現在ヘラクレイオスとナオミは別の場所に穴を掘っていた。
なんのことはない、色々と埋めなくては具合が悪いものを入れておくためだ。あらかた作業が終わったところで、いったん火を付けてから土を戻すことになっている。
「しかしなんだ。貴女のような髭の美しい方にご助力いただけて光栄だが、穴掘りまで付き合わせて申し訳ない」
ドワーフ同士、もちろん相手を誉めるときに髭も重要な着目点である。他種族が聞くと、なかなか納得いかないことだとしても。
ただ、そんなことを言いながら、ヘラクレイオスが最初に穴に突っ込んだのが黒い大きな塊だったのは、あまりいただけないだろう。
これも致し方ないことなのだが。
さて、本日中になんとか改善を見たい場所の台所。そこでは朝も早くから鈴那とティファル、それに用を済ませたサラが三人で一心不乱に働いていた。
「大丈夫や、この中にはジャイアントラットはおらんで」
まだ恐くて見ていない屋根裏に五匹もいるのは分かったが、ティファルはとりあえず目の前の台所に集中した。
「今夜は、ここで料理が出来るように〜」
その隣で唸るように呟いているのは鈴那だ。昨夜は近くの村で食材と酒を大量に仕入れ、ついでに夕飯になるような調理済みのものも色々買い込んでいたので、食堂店員の鈴那が腕を振るう機会はなかった。仮にあっても、外で焚火を囲むことになったのは間違いがない。
北側の壁は下半分が真っ黒。不幸中の幸いは、それがただのカビであることだ。でも多分、床板もひどいことになっているだろう。
イザベラの話はまったく要領を得ず、ついでにモンスターというものに一度も遭遇したことがないだけに要点がずれていたが、ことカビについてはまともな話をしていたらしい。
ものすごく、台所が散らかっていることは話してくれていなかったけれど。
「さ、イザベラさんが来ないうちに、始めましょう!」
サラが二人に告げて始まった台所掃除だが‥‥カビを落とす前に、なんだか分からない様々なものを片付けることが必要だった。どちらにしても、顔の半分と頭を覆う布、それから首回りに押し込むスカーフの類は必需品だ。埃っぽいったらない。
ここまでの僅かな道中で、冒険者一行はあることを知った。それはイザベラに物を片付ける能力が著しく欠如していることだ。荷物から何か一つ出したときはいい。きちんと元に戻す。けれど一度に二つ出すと、戻せなくて悩んだ挙げ句に、二つとも傍らに置いてしまう。そして周囲はどんどん散らかる。
「お父さまも同じ様な方だったご様子で」
ここは台所だというのに、何かを彫りかけの板や、仕事の工具らしいもの、それから男性用と思しき上着などが次々とサラによって発掘された。
ティファルはいつのものだか分からないワイン樽を見付け、中身が入っている音に顔を引き釣らせている。見れば栓も傷んで、ちょっと酸っぱい臭いがしているかも‥‥
「酸っぱい? それ、カビ落としに使えないかしら。お酢が効くのよね」
「外で開けよう、外で、ね?」
酸っぱい臭いと聞いて、鈴那が両手に埃まみれの桶を二つ抱えながら、顔を跳ね上げた。もちろんティファルの言い分に否はない。こんなところで開けて、ひどい目には遭いたくないものだ。
ところで、鈴那が桶を四つばかり発掘したので、ようやく彼女達は水汲みをすることが出来た。今までは、桶の場所一つ明らかでなかったのだから恐ろしい。
「イザベラさん、ここでどうやって十日も暮らしていたんでしょう」
持ち込んだ皮袋に水を汲んで、食べるのはパンとチーズと干し果物で十日間。水を汲むときは、カラスが恐いので石で散々に追い払ってから。そんな話を後日聞いて、全員が頭を抱えるのだが‥‥今聞いたら、昨夜の屋根裏部屋からずーっと聞こえたジャイアントラットの嫌ぁな咳で寝不足でもある彼女達は、めまいの一つも起こして倒れていただろう。ただし、埃まみれの台所以外の場所を選んで。
桶を発掘し、見事ジャイアントクロウが退治されて、井戸で気兼ねなく水を汲んだところで、太陽はすでに真上に昇っていた。
ジャイアントラット、ジャイアントクロウと来て、まだ野犬とカエルにはお目に掛かっていなかった一同だが、朝一番で様子の確認に出向いた五所川原は安堵の溜め息を漏らしていた。
確かに、カエルはいた。かなり大きかった。しかし五所川原が広げた掌よりは小さい。つまりはモンスターとは呼ばれない普通のカエルの中で、もっとも大きな種類だっただけのことだ。
「いやはや、いくらなんでも三年かそこらでトコトン化物屋敷になるとは思えぬ」
カエルはさておいても、部屋の惨状がすでに化物屋敷の様相を呈していたことに、五所川原は敢えて触れなかった。カビが普通の黒カビで、カエルも普通のカエルだったから、モンスターは二種類で良かったと考えたらしい。
けれども問題は‥‥
「卵だけで四つでござるか」
カエルが見付けただけで十匹、卵の塊が四つもあったことだ。イザベラの行かない水場に運んでやるには、ちょいとばかり大変かも知れない。まあ、それは後日のこと。
ジャイアントクロウを倒してからやってきたアミは、五所川原が卵を目に付かないところに移動させているのを目にすることになった。
お掃除初日。
井戸の近くのジャイアントクロウは退治され、裏の池のカエルはただのカエルであることが確認され、台所は乱雑だった物品の片付けが完了した。図面室と寝室からも、当座使用しない物品を運び出してある。
それで、日が暮れる。鈴那が屋外で作ってくれた夕飯を食べ、イザベラ以外で交代の不寝番の順番を決めて、残りは自前の寝袋や毛布の中に突っ込んだ。
昨夜は寝室と図面室を女性陣に明け渡し、廊下で寝ていた男性二人が、無事に図面室で眠っていることが、本日の大収穫である。
●お掃除は続くよ、いつまでも
屋敷のお片付け二日目。
本日の目標は、夕飯を台所で作ること。並びに屋敷内で昨夜もうるさかった、でも疲れの余りに気にならなかったジャイアントラットの駆逐である。イザベラはやはり邪魔なので、本日も食料見張り番をさせている。
さて、まずは台所。
「カラスの巣の中、覗いてみたいなぁ」
そんなことを呟きつつ、ガレットは藁の束を短く切ったもので、床を擦っていた。壁真っ黒に引き続き、床にまだら模様カビが発見されたのだ。今回の滞在中、ここで料理をすることが出来るのかは、非常に危ぶまれるところだろう。しかし外で炊事もいい加減寒いので、なんとか綺麗にしなくてはならない。ナオミも加わって、床担当は二人である。
そして壁担当も同じく二人だった。サラと星花が、同じく藁束を持って、壁をがしがしと擦っている。ちなみにしゃがみこんだ姿を後ろから見ても、どちらがどちらだかはさっぱり分からない。本来は種族も身長も体格も違うのだが、なにせ二人ともに外から見えるのは目のところだけという用心深さで壁に向かっている。
昨日、台所掃除を担当した女性達は、一日くしゃみが止まらなくて散々な目に遭っている。用心もしようというもの。鼻の頭が真赤になるなんて、うら若い女性には嬉しくないことだ。
でも結論として、床板は早期に張り替え、壁はよく消毒してから塗り直したほうがいいとなった。
昼頃、ガレットとナオミ、サラと星花の四人は、あんなに用心したのに鼻水に悩みながら、外で休憩をしていた。
ところで、もう一人の鈴那はといえば。
「あんなに素敵な材料があるのにっ」
この世にはどうしてカビを一発で消してくれる魔法がないのだろうと思いつつ、発掘した調理道具や食器を洗っていた。あまりに埃っぽいので、まずは用水路でだ。足場は悪いが、水はふんだんに使えるから井戸より都合が良い。どちらにせよ、寒いけれど。
一日中、昼にちょっと休憩して、またも焚火でパンと炙った肉と午前中に磨き終えた鍋で野菜スープを作って皆に食べさせ、また延々と洗い物をし続けて、夕方には発掘品は日用品に姿を変えていた。
「まだ落ちないんです‥‥」
「だから、塗り替えだわよ、これは」
残念ながら、星花とサラからは敗北宣言が出されている。ガレットは腕が上がらないらしい。
台所は、まだ使うのには、かなりためらいがある状態だった‥‥
「いっそ、暖炉のある別の部屋を狙ってみるのはどうかしら」
鈴那のこの言葉は、非常に前向きな提案として、台所復活に闘志を注いだ他の四人にも受け入れられた。
カビが入っているかも知れない食事なんて、誰だってごめんなのである。
そうして、ジャイアントラット駆逐担当の四人だが‥‥
「この部屋に、三匹おるけど‥‥どないしはる?」
ティファルがブレスセンサーで感知したジャイアントラットのいる部屋の前で、アミと五所川原、ヘラクレイオスは渋い表情だった。
開け放った扉の向こうは、他と違わず混沌としていた。材木なのか作り掛けの家具なのか、埃を被った物体が散乱したり、積み上がったりしている。
そして、その山の向こうから‥‥
げふっ、がっ、がっ、げっ。
また咳が聞こえていた。ジャイアントラットの咳。理由はなんであれ、耳に心地良いものではない。
「なんでも屋にしても、予想外だわ」
アミが憮然と言い放つ。依頼人が不正直だとは言わないが、この状況はまさに予想外だった。報酬分の仕事を全うしようにも、これはなかなか難しい。
「外に誘き出さんと、姿を見付ける前に逃げられてしまうな」
ヘラクレイオスが髭をしごきながら言うことは、非常にもっともである。先程ガレットがチーズでも撒いて、おびき寄せたらいいのではないかと口にしていたので、それを採用してジャイアントラットを外に出そうと、四人は計画した。チーズは食料買い出しの際に、大量に買い込んである。
食事の量が十分で、味がこの状況では文句の付けようがないくらいに美味しいのでなかったら、冒険者は皆、体力回復など望めなかっただろう。
ところが。
「何をしていらっしゃるのかな‥‥?」
五所川原がチーズを貰いにイザベラのいる屋外に向かったところ、彼女は昨日見付けた彫刻用の小刀を使って‥‥
「退屈だから、模様を付けてみたの」
チーズの塊に花模様の彫刻を施していた。もちろん周囲はチーズの欠片だらけ。よく見ると人参には顔が彫り込まれていて、やはり欠片が周囲に散っている。
そこに、ティファルのブレスセンサーでジャイアントラットの居場所を確認して歩いていた残る三名がやってきて‥‥一番近い部屋の壁から出てきたジャイアントラットを一匹、速やかに倒してしまった。
「あらやだ、壁に穴が空いてる。モンスターって恐いわねぇ」
そのモンスターをぼこぼこにした直後ながら、誰かが思った。冒険者も依頼人をぼこぼこにしたくなることがあるんだ、と。
この後、集めた食べ物の欠片を撒くと、ジャイアントラットが咳き込みながらやってきて、あっという間に倒されることが三回続いた。
実はジャイアントラット退治に加わった四人は冒険経験豊富とは言えないが、よろよろしているモンスターは、さすがに敵ではなかったのである。
「まだ、明日もこれなのね」
ただし、彼らの気分は依頼の達成感とは程遠い。使った武器の手入れは、ものすごく念入りに行なっていた。
また日が暮れて、夜になる。
本日はとても綺麗な食器を使い、熱い汁ものが食べられてとても幸せだった。まだ屋外なのが難点だが。
そうして、交代の見張り番を残して、また死んだように眠る。
翌日。朝食の席で、ちょっとした失言があった。失言したのは星花である。
「もうちょっとで取り落とすところでしたわ」
サラが怒っているとは思えないが、力なくそう口にした。今まさに食べようとした肉を、『それは昨日倒したジャイアントラット‥‥』と言われたら、びっくりもするだろう。後に続くのが『ではないから安心して』であっても、一瞬全員の手が止まった。
思わず元気を出すために、朝からイザベラが気前よく買ってくれたベルモットをそれぞれあおって、お仕事開始だ。ヘラクレイオスだけは、朝から晩までごく普通に、あらゆる酒類を幸せそうに飲んでいるけれど。
そして。
本日、鈴那はジャイアントクロウの巣を落とすのに、木登りを敢行している。ついでに何か変わったものがないか、中を確認してみた。すると。
「あら、これは父の使っていた銅鏡だわ。寝室にないから、どこかと思っていたけど」
「‥‥そう。良かったね。んじゃ、私は他の掃除するから」
落とした巣は掘っておいた穴に捨てて、鈴那は深ぁく溜め息を吐いた。やがて気を取り直して、屋敷の中に向かっていく。
彼女の本日の目的は、なんとかして屋内で煮炊きの出来る部屋を得ることだった。
同じ目的のために、ある一室を片付けているサラと星花は、朝食後から一心不乱に働いていた。今度の部屋は埃っぽいだけなので、窓を開けて、埃を叩き落とし、せっせと室内のものを外に運び出せばよい。
「本当は、お父様の仕事部屋を掃除して、椅子を探すべきでしょうけれど」
「だってあの部屋、一番訳が分からないんだから」
ちっとも主要な目的が果たされないことを、サラが残念がるものの、まず真っ当な生活が営めない屋敷の状況改善が大事と星花は諦観している。ただ、どちらも問題に思っているのが‥‥
「もう依頼された期間も半分になりますけれど、終わりますかしら」
「‥‥無理だと思うわ。どうしよう」
どちらも、これについては意見が一致している。他の冒険者も同様だ。体は休まず動かしつつ、二人は色々と考えたが‥‥やはり妙案は浮かばなかった。
この依頼、達成するのはどう考えても無理なのである。だって、あまりにも家の中の物が多すぎるから。
同じ頃、ヘラクレイオスとアミ、ナオミは用水路の補修に向かっていた。仕事部屋から無理矢理に大小様々な板を持ち出して、まずは埃を払っている。
それからナオミが棒で地面に補修方法を書き始め、それを確認したヘラクレイオスが壊れた部分を取り除く。その間にアミは板から使えそうなものを選んで、今度はこれも仕事場から持ち出してきた大工道具の汚れを落としていた。
「言われてみると、そんなに難しい話でもないのね」
「いやいや。アミ殿は理解が早いからであろう」
用水路の土留めをしていた板が壊れているのを、新しいものにすげ替える。もちろん板の材質と大きさ、それから土に埋め込む深さを決めるにはそれなりの知識などが必要だが、理屈がわかれば作業は早く進んだ。アミもヘラクレイシオスも力があるし、かなり器用な質だ。
「毎日、こんなに働くなんてね‥‥」
それでも、そんな二人でも用水路補修で使い慣れない筋肉を使うのは後が辛かった。ナオミは多少経験があるから、一人けろりとしている。
ともかくも、用水路補修は完了した。
そして、ティファルとガレット、それに五所川原は屋敷内のジャイアントラット捜しに本日も勤しんでいた。結果辿り着いたのが、問題の仕事部屋だ。木材のみならず、仕事道具と思しき刃物類があちこち無造作に置かれているのに、ジャイアントラットは中にいるらしい。しかも、彼らが入り口付近の木材を動かしても逃げる気配がない。弱々しい咳が聞こえてくるだけだ。
非常に、悪い予感がする。そして悪い予感は当たると、彼らはこの依頼で経験したばかりだった。
「ああ、やっぱり‥‥」
「いややわぁ」
部屋の奥まで雑多なものを掻き分けて進み、そこで目にした光景から目を逸らして、どこか遠くを眺めやった。彼女達の足下に倒れ伏しているのは、息も絶え絶えのジャイアントラットだ。おそらくこのままでも儚くなるだろう。
「これはもう、手出しはせずともよいでござろう。殺生はせずに済むならそれがよい」
五所川原が後を引き受けて、今まで倒したジャイアントラットと同じ穴に入れに行く。ついでにあたりの様子を確認するが、野犬が現れた形跡はなかった。彼らがここに来てからは、野犬は一度も姿を見せていない。
現れないなら退治せずともよいだろうかと、五所川原が首をひねっていると、屋敷のほうからかなりの物音が届いた。あわてて振り返れば、仕事部屋の窓を開けるのに成功したティファルが、その窓から身を乗り出している。窓際に置いてあった何かを外に落としたものらしい。脇から顔を覗かせたガレットが、ひょいと窓枠を乗り越えて出てくるのも見えた。
「うーむ、この調子ではどう頑張っても終わらないでござる」
もしかすると初日から思っていたかもしれないことを、五所川原は改めて口にしていたりする。そして、ちょうどティファルとガレットも同じことを会話していた‥‥
それでもこの日から、椅子があるだろう仕事部屋の混沌を探検する仕事に順次手が空いたものから取りかかって‥‥
この晩は、暖炉のある綺麗になった部屋で食事が取れたことを、全員がそれぞれの信仰する神に感謝したのだった。
そして翌日。またも仕事部屋に突撃して、埃で目を真っ赤にさせたりしている彼らがいる‥‥
●依頼人は、かく語れり
『依頼を出してから、五日ほどでご紹介いただいた冒険者の皆さんは大事な椅子を見付けてくださいました。仕事場にいた恐ろしいモンスターも、今はすっかり見えません。
掃除もとても丁寧にやっていただき、おかげさまで仕事場の半分が綺麗になりました。しかも残っていた木材を吟味して、今後も使えるものとそうでないものにも分けていただいて、非常にありがたく思っています。
それなのに、皆さんは依頼されたことが半分しか出来なかったとおっしゃるのですが、幸い仕事場はしばらく使用する予定もありませんので、今回は椅子が見付かったところで依頼は完了したことにさせてくださいとお願いしました。またこちらの仕事の休みが取れたら、続きをお願いしようと思います。
その際には、またギルドの皆様にもお世話になりますので、よろしくお願いいたします。
今回は、お世話になりました。ありがとうございます』
皆でセーヌ川の適当なところにカエルとその卵を離して、冒険者ギルドに依頼完了報告を出していいものか迷いつつも顔を出した一行は、イザベラからの手紙を係員に差し出した。ついでに自分達も読み聞かせてもらい、例外なく目が細くなる。
そう。彼らは懸命に働いたが、とんでもなく散らかった屋敷の掃除は半分が済んだところで契約期間満了となってしまった。イザベラも自分の仕事の都合があるから、そこで一行は帰されてしまったのである。依頼人は満足しているようだが、受けた側の心情はかなり不明だ。
「今度料理が出来る人って依頼の時は、どこで作るのかを確認しないとね」
「神の与える試練とは言え、しばらくカビは目にしたくなりません‥‥」
「‥‥報酬以上に扱き使われた気がするのは、気のせいじゃないわよね」
「うち、家事は得意やないけど‥‥少なくとも荷物はきちんとまとめられとるはずやわ」
「中途半端で帰らざる得ないのが、なんとも心残りでござったが‥‥」
「悪い予感が当たりすぎたから、今度はいい運が巡ってくるかしら」
「女性がお困りなら、ご助力するのが騎士の勤め。喜んでいただければ光栄であろう」
皆が口々にあれこれと言うので、調子よく依頼を勧めたギルド係員は興味津々の表情で尋ねてきた。
「なに、どんなお屋敷だったわけ?」
直後から、皆が一斉に感想を語り始めた。共通するのは『ものすごく散らかっていた』で、その描写は様々だ。
そんな中、ガレットの感想は異彩を放っていただろう。
「最初の晩、部屋が狭くて困ったけど‥‥ナオミ姐さんと一緒に寝れたのは嬉しかったなぁ。子供の時に添い寝してもらったのは覚えてないし」
そんな彼女も、もう一度依頼が来たら受けるかどうかの問いには、『考えておく』とだけしか応えなかったけれど。