●リプレイ本文
●そして船は出航する
真夜中過ぎと言うのか、それとも夜明け前と言うのか。どちらともつかない微妙な時間帯に、ドレスタットの港を船が一隻出港した。
「うっ、うっかりしましたわ」
つい先程新年を迎えたばかりの夜のこと、海上は凍えるほどに寒い。マントの前を掻き合わせて、それでも足下から忍び寄ってくる寒さにカミーユ・ド・シェンバッハ(ea4238)はろれつが回らなくなりかかっている。他の者はたいてい防寒具を着込んでいるか、そうでなくてもなにかしらの手立てを高じていた。
「どこの子供だ。親はどうした」
そんな彼女を見兼ねたか、それとも単に目に入ったからか、ガイエル・サンドゥーラ(ea8088)が尋ねたが‥‥カミーユは小柄で童顔だろうと結婚歴のある女性だ。連れ合いとは死別して独り身ゆえ、本日は一人での参加である。
まあ、その辺の事情を聞くまでもなく、ガイエルは自分の荷物から『まるごとトナカイさん』と呼ばれる防寒具を取り出して、彼女に押しつけた。貸してくれると言うことのようだ。
しばらく後、半ば強制的に『着ろ』と言われたカミーユのトナカイ姿に、シルフィーナ・ベルンシュタイン(ea8216)が連れの大曽根萌葱、チェリー・インスパイアと歓声をあげていた。
「馬だったら、もっとかわいいのに」
シルフィーナの一言は、彼女の好みの問題だ。と、もちろん連れの二人は知っているだろう。
そうした賑やかな一行とは別に、独りで甲板をうろうろしている人々もいる。ものの見事に男性のみ。大抵は飲食物を手に、風を避ける場所を探しているらしい。
この中でシクル・ザーン(ea2350)と以心伝助(ea4744)は、互いの持ち物を目に留めて歩み寄った。釣竿片手の男同士、通じあうものがあるのだろうか。
「ジャパンでは、こういう新年最初の日の出を縁起ものとして拝むんっすよ」
「太陽は、陽の精霊の力ですが」
他の参加者の邪魔にはならない場所で、並んで釣り糸を垂れながら、二人はしばらくよもやま話をしていたが‥‥やがて、のんびりと波の様子を眺めて過ごし始めていた。
ワインの樽を抱えた二人が、釣り糸を垂れているところから大分離れて、ニコル・ヴァンネスト(ea0493)は料理の味見に精を出していた。せっかく銀貨三枚も払ったのだから、その分取り返さなくてはと、ある意味懸命だ。
それには知人を誘うつもりだったのが、一人で乗船せざるえなかった事情も関係している。仲間がいれば他の楽しみもあろうが、一人では飲み食いするしかないからだ。
けれども、ニコルは途中でまだ聖書を抱えたままのボルト・レイヴン(ea7906)を見付けて、ワインの入った水差しを抱えて近寄っていった。
「傷むから、船室に入れてもらったほうがいいんじゃないか」
聖書を指されて、確かにと頷いたボルトが勧めに従った後、ニコルはボルトの杯にワインを注いだ。相手も一人なら、一緒に夜明けを待つのもありだろう。
ついでに、どうも薄着のボルトに毛布を貸してやる。こんな時期のこんな場所に薄着で来るのは場合によっては命に関わるが、相手が聖職者では仕方ないと割り切ってもいた。頼み事もすることだし。
「そのくらいはお安いご用ですが、私が寝入っていたときにはあなたが起こしてください」
みんなで楽しく日の出を眺めようと話がまとまって、二人はまた杯のワインを空けた。
なかなかに寒くて、飲まねば冷えるのだ。
それはもう、足の先からじんじんと‥‥
でも、中には別の意味で飲まされている者もいた。
「ちょっと待ってください。そうじゃなくてですねーっ!」
御蔵忠司(ea0901)は連れ二人が女性だったので、船乗り達に『かわいがられて』いた。またの言い方を、『潰してやる、色男め』とでも言おうか。
「はははー、綺麗どころが多くて楽しいなぁ!」
すでに真赤な顔で、でも足取りだけはしっかりしている船主が、御蔵の連れである蓁美鳳とアルテミス・ムーンウェルに菓子を勧めながら笑っている。自分の前で、彼女達の連れがひどい目に遭っているのは目に入らないようだ。
更に船主は、目の前を通った『まるごとトナカイさん』を抱えて、料理のところまで移動する離れ業もやってのけたが‥‥操船に関わる船乗り以外は全員が多かれ少なかれ飲んでいる現在、多少の騒ぎは誰も気にしなかった。
とは言え、もちろん。
「羽目を外すにも程度と言うものがあります」
あんまり弾けてしまうと、ボルトがやってきて新年早々にお説教をしてくれるという、おまけがつく。
いつのまにやら、船は陸地から随分と離れたようだ。
●食べ物はたくさん用意してあります
参加費用は一人銀貨三枚。酒場に行ったら、これで何杯のワインが飲めることか。
「ちょっとさもしいな。どうも新しい年という気分にならんせいか」
ガイエルが自前のドライシードルを含んで、誰にともなく呟いた。年末、知人と一緒に受ける予定だった仕事を逃しての乗船だが、船上から眺める夜空もなかなかいいものだ。
問題は、ちょっと雲が出てきて、日の出が見られるかどうか怪しいところ。水平線まではさすがに見えないが。
「修業が足らないな」
そもそも他の参加者が寒風の吹きつける甲板で、楽しげに飲食と歓談とたまに他人をからかうことに熱中している。ウインドレスで風の流れを塞き止めているのも軟弱な気がして、ちょっと移動しようとしたガイエルだったが‥‥船員の少年に呼び止められた。
「お客さんのとこ、風がないから料理が冷めにくくてありがたいんだけど」
羊肉に高価な香辛料をちょっとまぶして炙ったものを差し出されて、ガイエルは料理の出るテーブルに魔法をかけ直してやった。
「忘れるでないぞ」
人の役にも立ったことだし、仮眠でも取ろうと船室に向かう彼女に、日の出前に起こしてくれと頼まれた少年は『姐さん、任せて』と応じた。
ボルトはクレリックゆえ、暴飲暴食とは縁がない。冒険者としてあちこちに出向いているので、その時々の仲間で健啖家を見ることは多々あったが‥‥
「美味しいですか。いや、私はもう結構です」
たまたま同席というか、日の出までの時間を一緒に潰すことになったニコルの健啖振りには目を見張るものがあった。これがやけ食いなら止めるが、料理の全部を制覇して、出した参加費のもとを取ろうとする態度はなかなかあっぱれだ。
ついでに肉料理の肉について、これは兎でこちらは鴨と説明もしてくれた。他に羊もあると言う話だから、なかなか豪勢な料理を整えたものである。
難点はせっかく船内で温めてくれた料理も、寒風であっという間に冷めることだ。体も冷えるので、やはり酒類はほとんど誰もが手にしている。
「しかし、結局ドレスタットで年越ししちまったな。船の上で宴会とは思わなかったが」
ひとしきり料理を食べて、ニコルが伸びをした。飲食に情熱を傾けた結果か、欠伸付きだ。真夜中も過ぎると、大抵の人は船室に居るか、甲板でもやや眠そうだ。
「ちゃんと起こして差し上げますよ」
「神父さんは眠くないのか?」
案外丈夫だなと続けられて、ボルトが苦笑した。それに首を傾げたニコルが、次の瞬間には脱力したように息を吐いた。
「もう少しすると、教会では普段起きる時間なので」
教会にもよりますがと追加された言葉を、目を擦り出したニコルがちゃんと聞いていたかは分からない。
街中で宣伝していたときは酔っ払いの道楽にしか聞こえなかったこの船旅だが、乗ってみると案外と目配りが行き届いていた。なにしろ甲板の端で釣りに勤しんでいる伝助とシクルのところにも、船員がちょこちょこと料理やワインを追加してくれるのだ。
ちなみに、今のところ二人とも何も釣れていない。というか、結構大きな船なので、糸を引くのが波なのか当たりなのか判断が着かなかった。
なにしろ釣りは伝助がちょっと噛った程度、シクルはとりあえず糸を垂れてみたという腕前だ。
「一度上げてみましょうか」
「そうですな」
シクルが竿を上げ始めると、ようやく伝助の竿に当たりの感触があったのだが‥‥
「「‥‥‥‥」」
二人がせっせと糸を巻き上げると、いつのまにか絡まった双方の糸が引き合いながら上がってきた。
景気づけに、ちょっと美味しいものでも摘もうかと、彼らが河岸を変えたのはこの後だ。それをする前に、絡んだ糸を解くのに随分と苦労させられたのだが‥‥
「わたくし、嫌な女ですわ」
「よしよし、そんなに嘆くものじゃないよ」
ガイエルの置き土産の恩恵を受けつつ、そんなこととは露知らずにカミーユはベルモットを煽っていた。本当は他の酒を買いたかったのだが、残念ながら手に入らなかったのだ。出港時間の関係で、結局ベルモットを買ってきて‥‥
ほとんど自棄酒である。付き合っているのは、なぜだか船主殿。まあ顔を見るとまったくそうは見えなくても、ドレスタットでも耳にしたことある者が多いシェンバッハ夫人ともなれば、船主も話し相手になってくれるだろう。
ただ、どちらも目茶苦茶酔っ払っていた。挙げ句にカミーユは亡くなった夫との出会いから始まって、一年前の死別からその後の状況から、最近の甘やか一歩手前の出来事まで延々と語っている。素面なら聞かされる方が辟易しそうな語りっぷりだ。
「死に別れるとなぁ、相手に惚れてた分だけいいことしか思い出さないもんだよ。でも好きって気持ちに、一番も二番もないもんさ」
幸いに船主は嫌な顔もしなかったが、黙って聞いてくれる人でもなかった。
結局、二人は延々と、相手の話を聞いているのか分からないような勢いで、話し込んでいたのである。
端から見ると、酔っ払い親父とトナカイ娘の奇妙な光景だった。
●でも食べたいものがなかったりします
ジャパン人にとって、初日の出がいかに重要か。そんなことを同じジャパン人の萌葱とともに、それぞれの連れに語り聞かせていた御蔵は、先程からひどい目に遭い続けていた。たまたまジャパンの食べ物の話で盛り上がっただけなのだが、彼の連れは女性二人。そしてシルフィーナとチェリーと萌葱の三人とも話し込んでいると、酔った船乗り達の仕打ちが厳しいのなんの。
しかも、彼の連れの美鳳とアルテミスには船乗り達の悪ふざけも許せる範囲らしく、取り合ってくれない。シルフィーナ達は『皆で楽しくなければ』と言ってくれるが、船乗り達の『これが楽しい』に反論できなかった。
彼らは単に、ジャパンの餅について話していただけだと言うのに‥‥
「まったく、初日の出前に罰当たりな」
人を扱き使った罰だとアルテミスに切り返された御蔵は、年越しに故郷の料理が食べられなかったことをとても気にしていた。
ついでに新年に餅が手に入らなかったのも、これは居合わせた全員の悲しむところだ。もともとジャパンと直接繋がっていないドレスタットでは、もち米などよほどのつてがないと手に入らない。
シルフィーナも、もちろん他の女性陣も彼と萌葱が語る『焼くと膨れて破裂する白い食べ物』に興味津々だが‥‥食べているのは、黒っぽいパンだ。料理に金を掛けた分、パンは固くなったとは給仕の弁だった。
これでも炙った肉を乗せて食べると、なかなかおいしい。
「パリだったら手に入ったかな。聖夜祭でなくても手に入るなら、いつか食べてみたいね」
「ジャパンでは『正月』と言いますけれど」
他にこんなことをするとか、自分の故郷ではどうだったとか、それぞれが話題を出している間、チェリーがただ微笑んでいることにシルフィーナが気付いた。
それに、何か声を掛ける間もなく、そろそろ夜が明けると知らせる声がする。何人かが船室で仮眠していた人々を起こして、甲板に押し出してきてもいるようだ。
確かに東だと指された空がほの白く明るくなってきたようだが‥‥寒さはもっとも身に染みる時間帯でもある。
「何をしてるんですか、あなた達は!」
甲板に集まった人々の中で、明らかに酔っ払っている面々が、これまたわざとらしく女性陣に擦り寄っていくのを見て、とうとう御蔵が拳を振り上げた。
●初日の出に想うこと
新年最初の日の出には、願を掛けるのだと誰かが広めたものらしい。それともジャパン人が何人もいたから、自然とそういう雰囲気になったものだろうか。
うまい具合に波間から昇る朝日を目に出来た一同が感嘆の声を上げる中、シクルとボルトはそれぞれに十字架を掲げていた。祈ることは、白と黒の宗派の違いはあっても、彼らにとっては至極自然なことでもあるけれど。
そんな彼らとは違い、日頃宗教とは疎遠な生活をしている伝助は口の中でだけ、祈りの言葉を呟いていた。ジャパン語のそれを聞き咎められることもなく、首のエチゴヤマフラーを巻き直して、白々とした光を眺めやる。
賑やかに感動している声に耳を塞いでいたはずのニコルだが、浮かんだ言葉に丸めた羊皮紙を片手に唸ってしまった。毎年、年の最初の無心状態から浮かんだ言葉を記すことにしているのだが‥‥それが『仲間』。
別に一人で寂しかったわけじゃないと、とりあえず口にしてみた。
「日の出の太陽は生まれ変わったようですわ」
「うーん、いい言葉だねぇ」
「わたくしの気持ちもあのように変わるものですかしら?」
「わしはあんなふうに膨らんだぞ」
「膨らむ? まあ、そうも見えますけれど」
「好きな気持ちは、相手が増えると分割するんじゃなくて、倍に膨れるもんさ」
会話をする人がいて、一心に祈る人もいる。
その内容はそれぞれだが‥‥シルフィーナは最初に愛馬のことと、自分の何より好きなことが続くように願い、それから一心に何かを祈っている友人の幸せも願った。
「えーと、かっこいい恋人が出来ますように」
もう一人の友人は素直に、なかなか難しそうな願いを口にしている。
それで彼女はもう一つ付け加えた。
これからの一年も、良い出会いに恵まれますように、と。
型通りに、それはきちんとした姿勢で初日の出を拝んでから友人二人を振り返った御蔵は、こめかみなど掻いてみた。多分自分を真似したのだろうが、奇妙に肩肘を張った姿は多分どこかで間違っている。
まあ、この場でそれを指摘しても仕方がないし、当人達がいい気分を味わっていれば問題はないかと思うことにする。
その考えに、これ以上彼女達からまで『ケンブリッジから呼ばれた』とか言われたくない気持ちが、ちょっとだけは混じっていたかも知れない。
健康と繁栄と、我ながら良くあることをと思いつつ願ってから、ガイエルは給仕に来た少年に語りかけた。
「ドレスタットも今年はドラゴンの一件が片付くと良いな」
やがて、彼女のところにはとっときのワインが運ばれてきた。
船は、ドレスタット目指して帰っていくところ。