悪魔のような、善意の人

■ショートシナリオ


担当:龍河流

対応レベル:2〜6lv

難易度:やや難

成功報酬:2 G 55 C

参加人数:8人

サポート参加人数:-人

冒険期間:01月05日〜01月15日

リプレイ公開日:2005年01月13日

●オープニング

 明日は新年というその日にも、冒険者ギルドはやっている。そしてお客もやってくるのだった。
 この年最後かどうか不明だが、年末も差し迫った日のお客は、馬車で乗り付けてきた。きちんと紋章入りの、どう見ても貴族の馬車だ。それは御者が恭しく扉を開けて、壮年の人間の男性を降ろしたことでも分かる。辻馬車の御者とは、立ち居振る舞いが違うのだ。
 そういう人間観察はさておき、係員がごく普通に挨拶をすると、男性はいささか困ったような表情で受付のカウンターを眺めやった。何か、内密の相談ごとかと係員が思いきや‥‥
「椅子を借りることは出来るかな? こちらに相談があるのだが、私は所用で時間が取れないから代理の者が話をする。だがね、その代理の者は足を怪我しているのだよ」
 立ったままでは怪我に障るし、出来れば自分が迎えに来るまでこちらで待たせてもらえれば。
 そんな我侭な希望付きの、しかし貴族にしては丁寧な物言いでの頼み事に、係員はすぐ頷いた。言い方はどうあれ、内密の相談という気配は濃厚だったし、ようやっと紋章から相手の素性を思い出したからでもある。
 そうして。
 御者と男性に抱えられるようにして、ようやくの様子で馬車から降り立ったのは、目元のくっきりとしたあでやかな美人だった。年の頃は男性より一回り近く下に見えるが、それでも三十半ばにはなっているだろう。確かに足が悪いようで、男性に支えられてようやく歩いているような有様だ。御者がわざわざ膝掛けを持って、後についている。
 しばらく後、随分と様子を心配していた男性を送り出し、応接用の一室で長椅子に座った女性は、マルグリットと名乗った。宝飾品の図案を描く職人だそうだ。
「他に礼服の刺繍の図案も描かれるのでしょうか」
「あら嫌だわ。ドレスタットにも悪名が届いているのかしら。ええ、宝飾品も礼服の刺繍も身を飾るものでしょう? どちらも図案を描くのは仕事だわ。たまには家具もね」
 要するに、一風変わった画家なのである。依頼主に合わせて、家の紋章や名前などにまつわるものを上手に組み込んだ図案を描くらしい。とはいえ、住んでいるのがドレスタットから馬車でも一日掛かる街なので、名前はあまり知られていないだろう。
 ちなみに係員が知っていたのは、当人がころころと笑いながら言った『悪名』のほうである。こちらは簡潔に言えば、『貴族の愛人』だ。先程の男性がその『貴族』となる。自分が住んでいる街の領主である貴族の愛人。別に珍しい話ではないだろうと言うのは、ドレスタットのような都市部の住人に多い。これが都市を離れるにつれ、風当たりがきつくなるのだが‥‥
 係員が知るところ、この女性も相手の貴族も最初の結婚相手と死別してもう十年以上。恋仲になったのはそれぞれが相手と死別してからだという。だから愛人でなくてもいいはずなのだが、貴族の母親が存命で、マルグリットとの結婚に大反対している‥‥とは、その領内での噂。ゆえに彼女は『貴族の愛人』のまま、八年か九年を過ごしているとかなんとか。
 それでいて、貴族の礼服の刺繍は自身が図案を描き、地元教会の司祭とは懇意にしているらしい。先程の御者の様子からしても、地元で嫌われているとは思い難い。鼻つまみ者なら、教会が友好的な態度など取るはずもないからだ。
「それで、依頼の内容は?」
 ひとしきり、頭の中で自分の持っている『お貴族様血族・姻族・交友関係、醜聞・美談関係、人物相関図記録』から必要な知識を抜き出し、係員はマルグリットに尋ねた。
「半年前、街の教会にクレリックの方が一人増えたの。女性の方で、お名前はアンリエット様。非常に真面目で、その点では申し分のない方なのだけれど‥‥」
 現在問題になっているのは、そのアンリエットが領主を大変な勢いで責めることだという。彼女が問題視しているのはマルグリットとの関係で、結婚しないのはセーラ神の教えのよき家庭を作るに従わず、母親の反対をその理由に挙げるのは自身が説得のために動かないからだと、顔を合わせる度に大変な剣幕だという。またマルグリットに対しても『現状に甘んじて、神の教えをないがしろにするのは恥ずべきことです。それにあなたは幸せにならねば』と滔々と語ってくれるらしい。
「あのね、私は今の状態に文句はないの。大奥様は先代の後添いで、私の連れ合いとは血縁がないのよ。それでお妃、亡くなられた奥様は是非にとご自分の姪を迎えたらしいのね。孫とは血縁が欲しいから。実際、私との結婚は反対だけれど、仲まで認めないとはおっしゃらないのよ」
「なかなか、複雑なご関係で」
「自分の義理の息子が、他所の女と結婚して子供が生まれたら、自分と血の繋がった孫が苛められるかもしれないから、結婚だけは絶対反対。わかりやすくなったでしょう?」
「身分に関わらず、嫁と姑の関係は難しいということが。ところで、ご依頼は結局?」
「アンリエット様に、私の連れ合いを責めるのをやめさせてほしいの。先日は本当に大変な剣幕で、ちょっと興奮しすぎたのよね」
 聖夜祭のミサにマルグリットを伴わない貴族の様子を見て、よほど腹に据えかねたのか、アンリエットが掴みかからん勢いだったのだという。さすがに時期が時期だけに、マルグリットが止めに入ろうとしたら、二人が突然動いたものだから転んでしまった。足を怪我したのは、そういう理由だという。
 ちなみに、もちろんその教会にはこの程度の怪我を治せる魔法の使い手がいるのだが、それがアンリエットだったので、温厚な貴族も治療を頼む気持ちにならなかった。ゆえに、本日の状況に至る。
「それでは、そのアンリエット様を説得し、もっと理性的な話し合いをするなり、お二人の事情と心情を汲んで見守るなりの対応をすることを了解させるというわけですか」
「そうなの。かえってよく知らない方とのほうが、アンリエット様も冷静に話が出来ると思うのよ。私たちもあの方のお考えをしっかり聞いてみたいけれど、顔を合わせるとねぇ。なんだかもう、お互いに親の敵か悪魔の使いかって勢いで」
 とんでもない言い草だが、何が起きるのかは、もう聞いたことなので係員も追求しない。怪我人が出るような騒ぎになったりするわけだ、つまりは。
 しかし、せっかくドレスタットに来たのだから、ついでに怪我も教会に頼んで治してもらったらと係員は思ったのだが、これはあっさりと断られた。
「あら、だって、怪我人だとあの人が至れり尽くせりで大事にしてくれるのよ。私もなんだか初めて会った時の気分を思い出したし。そんな素敵な時間、わざわざ縮めるなんてとんでもないわ」
 ご馳走様と呟いた係員に、マルグリットは晴れやかに笑いかけてくれた。

●今回の参加者

 ea0422 ノア・カールライト(37歳・♂・神聖騎士・人間・イギリス王国)
 ea3892 和紗 彼方(31歳・♀・志士・人間・ジャパン)
 ea5804 ガレット・ヴィルルノワ(28歳・♀・レンジャー・パラ・フランク王国)
 ea5855 ジョエル・バックフォード(31歳・♀・ウィザード・エルフ・ノルマン王国)
 ea6137 御影 紗江香(33歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 ea6505 ブノワ・ブーランジェ(41歳・♂・クレリック・人間・ノルマン王国)
 ea6942 イサ・パースロー(30歳・♂・クレリック・エルフ・ロシア王国)
 ea8210 ゾナハ・ゾナカーセ(59歳・♂・レンジャー・エルフ・ビザンチン帝国)

●リプレイ本文

●すでに知られた話
 冒険者の一行が依頼人であるマルグリットの家に到着したのは、夕暮れのことだった。街に入って、家の場所を通りかかった老人に尋ねたところ、簡単に教えてもらえたのだが‥‥
「ご領主様とマルグリット様の雇った冒険者さんちゅうのはあんたらかい」
 と、尋ね返された。それはまあ、彼らの風体も種族もばらばらで、連れだって歩いていれば不可思議な団体なのだが、なぜ冒険者が来ると知られているのか。この疑問に、老人はこれまたあっさりと答えてくれた。
「アンリエットさんが話していたと、もう噂になっとる」
 大口を開けて笑った老人は、パラのガレット・ヴィルルノワ(ea5804)に目を留めると頭をぐりぐりと撫で始めた。ガレットはヘアバンドをしていたので、たぶん子供と間違えられている。
「ふうん、しかしこれでは、あの人がびっくりするのう。アンリエットさんはな、この嬢ちゃんとおまえさんの」
 と示されたのは御影紗江香(ea6137)だ。この中ではガレットに次いで小柄である。
「ちょうど間くらいしかないからの」
 冒険者さん達は背が高いと言われた八人は、男女半々だ。人間が半分、エルフが三人、パラが一人。男女共、確かに背の高いものが多かった。老人は先程から上向いて話している。
 ただ、アンリエットも相当に小柄である。
 老人が物珍しそうに自分達を眺めているのをこれ幸いと、和紗彼方(ea3892)とゾナハ・ゾナカーセ(ea8210)がアンリエットの評判など尋ねている。結局、老人が道案内をしてくれながら、噂話に勤しむことになった。
 その結果、今回問題の三人はいずれも評判卑しからぬ人物であることがわかった。アンリエットは確かに直情型で、領主へ詰め寄ることは知られているが、老人は好意的だ。
「そもそも身分を問わず、男が二つの家庭を持つのは誉められん。違うかね」
 いきなり同意を求められたノア・カールライト(ea0422)は色々と考えているところがあるのだが、ここでそれを口にしないだけの分別はある。なにしろ、相手は噂話の好きそうな老人だ。
「神父様や騎士様なら、皆がいいように収めてくれるじゃろう。のう?」
 今度同意を求められたのは、クレリックのブノワ・ブーランジェ(ea6505)だった。
「微力ながら、尽くさせていただきます」
 模範的回答に老人が満足したのと、目的地が見えたのはほぼ同時だった。あの家と指してくれた老人に全員が礼を言うと、にこにこしながら元来た道を戻っていく。
 さて、辿り着いた依頼人のマルグリットの家の前で。
「あら、ちゃんと髪が結えているかしら」
「我々のみならず、馬やろばの居場所には困らないようで助かります」
 ジョエル・バックフォード(ea5855)が身なりを確認しているのに柔らかい視線を見せてから、イサ・パースロー(ea6942)が誰もが思ったことを代弁した。
 皆が服の埃を叩いてから、訪問を告げようと思った程に、その家は立派で趣味も良かったのである。

●情報収集
 冒険者八人に、馬とろばが合わせて八頭。マルグリットの家の使用人は驚いたようだが、きちんと廐舎を整えてくれた。もちろん冒険者には、ガレットと彼方が飛び跳ねんばかりに大喜びした客間が用意される。
 ちなみに彼女達が、執事に問われるままに話していたので、イサとジョエルは同室だ。結婚前でも恋人だと言うだけで同室にしてくれるあたりが、マルグリットの使用人なのだろうか。
 後は紗江香がやや小さい部屋に一人、一番大きな客間にブノワ、ゾナハ、ノアの三人が入ることになった。差し障りがあれば、急ぎ他の部屋も準備するがと申し出はあったものの、日頃は野営もよくする仕事である一行に文句などない。
「これ以上していただいたら、かえって寝付けなくなりますから」
 もう十分とにこやかに礼を言うブノワに、執事は速やかに立ち去ったのだが‥‥その後が賑やかだった。入れ代わり立ち代わり、使用人の、特に若い女性達が客間付近をそぞろ歩くのだ。『何か御用はありませんか』と問われても、基本的に自分のことは自分で出来てしまう彼らに用はない。
「街中では人間にしか会わなかったし、珍しがられているようだな」
 なんといってもそちらの二人が華やかだしと、同族のゾナハに冷やかし半分に言われたジョエルとイサは打ち合わせと称して三人部屋に避難してきていた。この二人の部屋に、一番使用人の訪問が多いからだ。
 でも、打ち合わせだと聞いてやってきたガレット、彼方、紗江香の三人が使用人をぞろぞろつれてきたのでは意味がない。ついでに飲み物やちょっとした肴を持ってきてくれたので、ジョエルの機嫌は悪くなかったが。
「マルグリットさん、まだ帰らないから、少しお話を聞かせてもらおうよ」
 ガレットが頼んでつれてきたのでは追い払うこともできず、それでも彼らはこの使用人達の思うところを存分に聞かせてもらうことが出来た。
 それはもう、怒濤の勢いで。
 使用人の中でも若い女性達に、マルグリットは大変な人気である。才色兼備で性格は穏やか、使用人には無理を言わない人だそうだ。
 最初の結婚はこの家の元の持ち主とだが、随分年齢が離れていたという。その死別した相手が領主の書庫の管理をしていた人なので、縁が出来て、今の関係にいたるそうだ。
 領主も武芸にはまったく疎いが、商才はあり、領地経営は順調らしい。息子が三人いて、一番目が騎士、二番目が文官として切磋琢磨しており、三番目は神聖騎士になりたいと修業中。いずれも亡くなった妻との間の子供で、マルグリット以外に浮いた話はない堅物だとか。
 まあ、領主は『もっと頑張って、マルグリット様と一緒になったらいいのに』とは言われても、基本的にとてもいい人と評されている。
 で、アンリエットに話を向けると‥‥
「そのような物言いは、驚かれてしまいますよ」
 ノアがやんわりとたしなめた程度に、悪口雑言が出た。先程の老人と違い、『女主人に怪我をさせた』と印象が最悪なようだ。
 ちなみにたしなめられてうなだれた彼女達が、その後のよもやま話でノアに子供がいると知って、すごすごと戻っていったのは見ない振りをすべきことであろう。
 なお、彼女達も冒険者一行が来ることのみならず、その目的まで全部知っていたこと、ならびに街の人々もほとんど知っているだろうと証言したことは記憶に留めておくべきだろう。

 マルグリットが出先から戻って、多くの者が緊張する高級な感じの夕食が終わってから、場を移しての『作戦会議』が始まった。今回はマルグリットを交えて、色々と頼み事も含んでの『会議』である。
 まずはノアがアンリエット宛の手紙を書いてほしいと頼んだ。顔を合わせると平常心が保てないなら、手紙で思っていることを伝えてもらおうと言うわけだ。どうして現状に満足しているのかと、それを説明するのはやはり当人でなければならないだろう。
 さすがに一朝一夕に書けるものではないが、マルグリットも読み書きにはなんら不自由がないらしい。翌日一日時間を欲しいと、そんな返事だった。
 後は領主の家族のことなど尋ねてみたが、基本的には使用人から聞いた話と内容は変わらない。ただ、息子達も上は二十一から下は十七とすでに大人と扱われる年齢で、父親の再婚に反対してはいないそうだ。たまにはマルグリットと会うこともあるし、遠方に出れば土産の一つも贈ってくれる。
 とはいえ、領主の義母とは相変わらず疎遠で、まず滅多に顔を会わせることもない。教会のミサで、領主の家族が座る席にいるのを見かける程度だそうだ。そういうときに視線が合うと、お互い目礼はするそうだが。
「そういうときには、アンリエットさんもいらっしゃるのかしら」
 ジョエルが何気なく問い掛けた言葉に、返ってきたのは奇妙な沈黙だった。マルグリットは何を聞かれたのか分からないと、そんな顔つきをしている。
 そうして、自身もクレリックであるイサがおもむろに言い換えた。
「そうした席では、アンリエットさんは教会のどちらにおられるのでしょう」
「司祭様のお手伝いをなさるから、礼拝堂のこんなところかしらね。ここに休息所の人達が座るから、だいたいこのあたりだわ」
 『休息所』というのは、身寄りのなかったりと生活の場がない子供や年寄り、それから一人住いや旅の途中で病気になった人達の住む『家』だそうだ。アンリエットはその世話役の代表なので、多忙を極めている。
 その説明は卓上に指で描かれた図面ともどもよく分かったが、彼方や紗江香のジャパン人と、細かいことは気にしないガレット、当のジョエルはなんでさっきの質問がいけなかったのか理解しかねている。
 後に、イサが『教会にいる方がミサに出ないわけがないでしょう。言い方がおかしいからですよ』と注意を促して、やっと得心がいったものである。日頃の生活が察せられると、イサは溜め息を吐いていた。
 ところで、マルグリットの話では二つほど今までにない情報があった。
 アンリエットが領主の義母のところに出入りしていること。その義母は四年前から少々体が弱ってきて、屋敷に閉じ込もりがちになっていることだ。
 アンリエットはその義母の招きで聖書の話をしに出向き、なかなか気に入られていると領主が口にしていたそうだ。
「領主様も大変だねぇ。家の中でわーって責められたらものすごいことだよ」
 ガレットが無邪気に言うのを、さすがにそれはないようだとマルグリットも苦笑したが‥‥自分達に好意的な彼女の言葉をとどめはしなかった。が‥‥
「ぶっちゃけた話、今まで子供がいないのは『出来ない』様に努力しているからだよね?」
 領主側が家族やその業務やあらゆることに気を使って、現状維持で満足しているのだろうといったような話の後に、見た目は子供のガレットに突っ込まれたマルグリットは口元を押さえた。どうやら口にしていたワインにむせたらしい。ここで咳き込まないあたり、客への礼儀なのかなんなのか。
 単に驚きのあまり、咳すらも出来ないのかも知れないが。
 ガレットの横で、彼女より年上の彼方が『大人の関係は難しいや』ととぼけた発言をし、男性陣はしばし固まっていた。二人に『何かまずかったかな』なんて表情で見上げられた紗江香も対応には困ったことだろう。
「そういうのは、天の配剤って言うのよね?」
 ジョエルがイサに尋ねてくれたおかげで、一同驚愕の時間から脱出が図られた。いくらなんでもこの質問に、マルグリットが答えてくれるとは思えない。
 ちょうど時間も遅くなっていたので、『会議』はここでお開きになったのだった。

 そして翌日。
 三々五々に分かれた一行は、領主とマルグリット、アンリエッタの街の評判を聞きに歩くことにした。
 まず、相手を定めないで街に出た紗江香は、冒険者だと珍しがられて、あちこちで引き留められた。市場でも、職人の作業場が並ぶ通りでも、見たことがない顔は冒険者らしいと誰もが知っているのだ。
 挙げ句に声を掛けられて、何か尋ねるより先にあれこれ訊かれているうちに、ジャパン人だと言うともっと引き留められる。髪も目も黒くないので、皆が思い描いていたジャパン人と違うからだろう。
 街の人々は領主とマルグリットの関係を『禁じられたものではないから』と寛容に受けとめているが、アンリエットが悪いことを言っているとも感じてはいないらしい。態度に問題が見られても、『あそこまで言われて動かないのも困ったもんだ』と言ったりする。
「困ったものでしょうか? 一見すると均衡が保てているように思いますけれど」
「うーん、大奥様が亡くなってから結婚されたら、待ち兼ねてたみたいで嫌じゃないか。そうならないうちに頑張ってほしいのさ」
 よその家のことだから言えるけどなぁと笑った職人衆は、教会の司祭とアンリエットに対してもとても好意的だった。特にアンリエットを『うちの息子の嫁にほしい』と言う者多数。ちょっと融通が利かなくても、間違いなく親を敬ってくれるからだそうだ。
 ついでに紗江香が聞いて気になったのは、アンリエットが他人の忠告も聞かずに頑なな態度なのは、唯一この領主とのやりとりだと言うことだった。

 アンリエットの人となりを知るなら、もちろん教会の司祭を外すわけにはいかない。よってノアとゾナハが司祭の元に出向いた。
 他の者はアンリエットに直接当たろうとして、領主の義母を訪ねて留守だと知ったところだ。教会には仕事がたくさんあるので、司祭はにこにことそれらを回してくれたが。
 ところでこの教会の司祭、ほとんどの住人が人間の領内では珍しくエルフだった。それもゾナハより年嵩に見えるから、相当の年齢だろう。神聖騎士のノアとエルフのゾナハという取り合わせは、なかなか良かったようだ。
 しかし。
「ご領主から皆さんがおいでになると伺いましたので、街の皆に伝えさせていただきました」
 昨日も事情が知れていたわけだと、納得する二人。あと十八年で二百歳などと笑う相手は、一筋縄ではいかないようだ。
 とはいえ、司祭を勤めるほどだから、人柄は悪くない。ノアとゾナハがアンリエットのことを聞きたいと言うと、頷いてくれた。
「彼女がこちらに来た時は、ご領主よりそのご母堂の言い分が勝手ではないかと話したものですよ。あの性格ですから、間違いなくご母堂に意見したでしょう」
 それでも、来た当初はきちんと礼節をわきまえた言動だったので、司祭も義母への意見は止めなかったそうだ。問題は、以降の激しい剣幕での領主への言い募り方だが‥‥司祭は何か知っているようで、でも口にしない。
「そういえば、どうして彼女がそのご母堂のところへ?」
「女性同士のほうが気安いでしょう。それに私が出向いて、妙な噂になってもいけません」
 その前にあなたはエルフでしょうと、顔を見合わせて笑っているゾナハと司祭を見ながら、ノアは胸の中で思った。明らかに冗談だと分かってはいるが、自分達の目的を考えると笑っている場合ではないのだが。
 若い彼には理解できないところで、二人合わせると三百四十歳のエルフ達は、ノアがさっぱり分からない昔の話に打ち興じていた。
「事を急いては、彼女と一緒になってしまうからな」
 後ほど、一つ以外は有効な情報を手に入れられなかったように感じて仕方がないノアに、ゾナハはちょっと人の悪い笑みを浮かべてみせた。

 さて、この頃の残る五人はというと‥‥
「ええい、悪党め! 倒してやるぅ!」
 彼方とガレットが棒を持った男の子達の追い回され、ジョエルとイサは読み書きの先生を、ブノワは老人の体調の確認をしていた。
「持ち方が悪いなぁ。こういうのは、このあたりを握ってね」
「耳引っ張らないでー」
 彼方とガレットも、子供に追い回されたくらいではどうということはない。遊びだから相手も本気で打ち掛かってこないが、余りに当たらないと苛々して力加減を間違える危険がある。そうならないうちにちょっと目先を変えて色々教えてやったりするのだが‥‥ガレットは立ち止まると幼児に耳を面白がって引っ張られるので大変だ。
 この洗礼は、ジョエルとイサもしたたかに食らっている。司祭相手では出来ないことをしたので、子供達は満足げだった。現在の二人は、年長の子供達を相手にラテン語やゲルマン語を教えさせられているが。
「普段はアンリエットさんが見てくれるの?」
「うん。たまに他の人も来てくれる」
 書き取りを始めたばかりの、暗号のような難解文字を石版に書き付けている女の子が、ジョエルの尋ねることに一々答えていたが‥‥やがて意を決したように、彼女の手を掴んだ。
「あのね、お母さんをいじめたら怒るんだからね。なんにも悪いことしてないんだから」
 この場合、『お母さん』と言うのはアンリエットのことだろう。だがつられて口々に、それこそ十三、四の子供までが『お母さん』と連呼するので、実子ではないようだ。
 年長の子供を教えていたイサも詰め寄られたが、二人ともに穏やかな応対をしたので、子供達もしばらくすると勢いを失ってきた。
「いじめるのではなくて、お話に来たのです。悪い方でないのは、皆さんが教えてくれましたから」
 イサに言い聞かせられて黙り込んだ子供達だが、なんとなく不信感が透けてみえる表情だった。どうも街の噂が巡り巡って、変な方向で頭に入ったものらしい。心配なら、一緒にいてもかまいませんよとイサが譲歩したところで、ようやっと一番年長の子供がよしと頷いたくらいだ。
 似たようなことは、ブノワも経験していた。こちらは子供ではなく年寄りの体調の相談に乗っていた時に、『いじめたら駄目だよ』とか『小さいからね』と蕩々と語られたのである。ブノワが細身ながら背が高いので、やたらと『小さいんだから』と繰り返された。
 確かに、帰ってきたアンリエットを見たら、彼の胸まであるかどうかの小柄な成人女性だった。近くに立つと、真下を見るような感じで顔を合わせることになる。もちろんアンリエットは真上を見るような具合だ。
「ささやかながら、お手伝いさせていただきました」
 挨拶のあと、もう少し続けていいですかと願ったブノワに、アンリエットは緊張気味だった表情を和らげた。領主とマルグリットから頼まれた冒険者が何を言い出すかと身構えていたようだ。
 ちなみにこの日、せっかくアンリエットが戻ってきたのに、司祭にいいように扱き使われた冒険者達は、彼女とほとんど話をする事もなく、マルグリットの家に戻っていった。
 皆で集めた情報は、基本的に領主、マルグリット、アンリエットのいずれも悪く言うものではなかった。たまに誰かに厳しいことを言う人は、別の誰かに近しいので、話も幾らか脚色されている可能性がある。
「人の見方はそれぞれだと、痛感するような内容ですか。司祭様が『絶対に正しい一人はいない』とおっしゃられていたのは、これのことでしょうか」
 ノアがぽつりと漏らした言葉に、個々に思うところはあったことだろう。

 ただし、その翌日にはマルグリットのしたためた手紙も持って教会に向かった八人は、明らかに示し合わせただろうアンリエット以外の教会関係者によって、やはり当人とは少しずつしか話せなかったのである。
「せめて、同じお仕事に回していただけたらと思いますわ」
 野菜の皮むきを仰せつかった紗江香は、もう残念で仕方がないと言いたげに司祭に訴えたのだが‥‥彼女の『セーラの教えは慈愛にて、それには自分の幸福のために他者を不幸にしない態度も許されていいのではないか』と言う考えを聞いた後の司祭は、なぜか聞き入れてくれない。
 おなじく料理の手伝いをさせられているイサも、祈りの時間の前後に少し話をしたいと言っていたが、それはアンリエットの仕事ぶりを見てから、言わなくなった。起床から就寝まで、ものの見事によく働いているのだ、彼女は。
 とはいえ、どうしても漏れる呟きはある。
「どうして、今のままで幸せだとおっしゃるお二人に、そんなに厳しいのかが分からなくなってきました」
「そもそも我々は神の声の伝える媒体ですが、アンリエットさんはそれ以外のものも伝えたいのではありませんか」
 チーズの塊を運んできたブノワが、まるで世間話のように言ったので、イサと紗江香は揃って首を傾げた。特にジーザス教の事情に疎い紗江香には困惑の色が濃い。
「我々はお迷いでいらっしゃらないお二人から依頼を受けましたが、この街の皆様のお話を聞いているうちに、アンリエットさんも同様なのではないかと思い至ったのです」
 でもお尋ねする機会がないのですがと、これまた至って真面目に話しかけられた司祭は、ああそうと頷いただけだった。

●会見
 アンリエットを説得する。もちろん態度を改めるように、だ。
 これは基本的な冒険者達の意見であり、マルグリットからの依頼を果たすための最適な方策だと考えられていた。
 領主とマルグリットには、通常の男女間とは違う状況があり、よくありそうな事情もある。本人達は現状で満足し、それで周囲も収まっているのだから、無理に自分の考えを押しつけるのは良くなかろう。
 それで怪我人を出したり、人を不快な気持ちにさせるのはセーラ神に仕えるものとしてどうかと、おおむねそんな意見が大勢を占めていた。
 ちなみにほとんどの冒険者が、『折を見て』こうした話をしようと思っていたのだが、三日目になって司祭がいきなり『時間を取ったから』と礼拝堂に一同を集め、アンリエットと話し合う場を設けてくれた。
 そのことを不審に思う者がいる一方で、彼方とガレットがマルグリット達の状況を説明しようと勢い込んだのだが、アンリエットにはすでに承知のことだったらしい。
「知ってるのなら、なんで?」
「わざわざ子供も出来ないようにしてるのに」
 その話はもういいからと何人かにたしなめられたガレットは『今のままで認めてあげればいいのに』と納得いかない様子だったが、アンリエットは声もない。
 熟れた林檎のようだとゾナハが思ったほどに、真赤になったのだ。こうも初心な反応をする女性がなぜ、他人の色恋沙汰にくちばしを突っ込むかと彼が悩んでいると、ようよう声が搾り出されてきた。
「人は変わります」
「もう少し、説明してくれないと分からないわ。何か理由があるのは、なんとなく分かったけれど」
 それを教えてちょうだいと、ジョエルは持ち込んだ焼き菓子を差し出した。マルグリットの家で出されたものがとてもおいしかったので、休息所の子供達に食べさせてやろうとたくさん焼いてもらったのだ。一部、彼女だけのものになっているが。
 今差し出したのは、彼女なりに相手の和ませようとしたのだが‥‥アンリエットは手を出さない。そして、口もきかなかった。
 なにしろ司祭が付き添っているとはいえ、冒険者側八人、アンリエットは一人。そしてガレットを除けば、皆に見下ろされる程度の背丈しかない相手なので、紗江香は少々考えた。
「お話の相手を、例えば女性だけにしたら、少しはお気持ちがほぐれますかしら?」
「‥‥申し訳ないのですが、これはお話しできる事ではありません」
 非常に固い口調のアンリエットに、聖職にあるノア、イサ、ブノワが反応した。聖職者が言えないと口にしたら、それは守られるべきことだ。ただ、彼女がそういうからには、懺悔かそれに近い行為で秘密を打ち明けた相手は限られるのだが‥‥
 これは、思いのほか厄介な話だったとイサとノアが考えたときに、ブノワはではと話題を変えていた。
「失礼を承知で申し上げますが‥‥まず、我々の依頼人お二人の大切に思う方には、あなたも含まれていると思います。そうでなければ、人を頼む必要はありませんから。それで‥‥マルグリット様に怪我をさせてしまったこと、気にしているのでしょう?」
 やんわりと、責めるでなく口にされた言葉にアンリエットがうなだれる。その背中に手を添えて、司祭が当然だとばかりに頷いた。
 その指が示した先には、礼拝堂の窓を少し開けて、中を覗いている子供達の顔が見える。横から窓を押し上げているのは、どうも老人がついている杖のようで‥‥声は老若合わせて、随分とたくさん聞こえた。
「ご領主様方のお気持ちも少し理解できます。ああしたご身分の方は、ご自分のわがままを通して皆に迷惑をかけるより、きっと我慢してしまわれるのでしょうから」
「‥‥マルグリットさん、全然わがまま言わないって言われてたね」
 彼方が言う通りに、マルグリットは使用人に無理を言わないと人気があった。それが習い性になっているからの現状なら、いくら慈愛を尊ぶ白の信徒でも、先を促したくなるものかもしれない。
「こちらを」
 また口をつぐんだアンリエットに、ノアがマルグリットから預かった手紙を差し出した。きちんと封がされて、中身は書いた本人しか知らない。
「これを読んでいただいて、それに対するご意見はまた手紙にされてはいかがです。あのお二人に、先に進む良い道があると信じての行為なら、今までと違う言葉にすることも出来るでしょう?」
 手紙を渡すのは誰でも指名してくださいと、紗江香がいたずらっぽく笑ったので、アンリエットも白くなった顔色が少し戻ってきた。知らず拳を握っていたガレットも、安心して両手をもみ合わせている。
「あのお二人の心根なら、本当は結婚しても義母君の心配されているようなことにはならないと思いますが‥‥?」
「それはもう誰もが承知していて、それもあの方々の行いから知ったのだと、私も思います」
 イサの言葉に、考え考え答えたアンリエットは、それ以上は何も言わなかった。司祭が話し合いの終わりを告げたので、語る時間もなかったのである。
 敢えて訊くこともなかった。

 それからまた休息所での手伝いをして、マルグリットの家への帰り道、ジョエルがイサに詰め寄った。
「自分達ばかり分かって、どういうことか説明がほしいわ」
「あんなに俺の仕事だ仕事だと言っていたのは誰ですか」
 でも知りたいのよと、彼女に加勢する紗江香、彼方、ガレットにも詰め寄られて、イサはかえって身動きが取れなくなってしまった。ジョエルになんとかしてくれと頼むのに、忙しい。
 それで、ノアとブノワが解説をすることになった。もしかすると聞いているのはゾナハだけかも知れないが。
「人が変わると言われたのは、義母君のお気持ちが変わったからではないでしょうか。ですがご領主はそうと気付かず、気を揉んでいらしたのではないかと思います」
「それだと、我々は彼女に随分とひどい奴だと思われたんじゃないのかね」
 これがいいと考えぬいたのにと空を仰いだゾナハに、でもとブノワが続けた。
「こんな難しい問題を、依頼人の言葉だけで判断したのは浅慮でした。まだまだ自分が未熟だと痛感した次第です」
 全員、耳が痛いかもしれない。
 街の噂が聞いたが、彼らの基本の考えは依頼人のマルグリットの説明に寄ったものだ。アンリエットが関係者の思惑を受けて行動しているなど思いもしなかったし、噂は噂でしかない。だから、誰もが関係者を悪くは言わなかったのだ。
 なにしろ、誰が悪いという話ではない。
「そういえば、さっきは熱心に何を話し込んでいたのかしら。自分だけ知っていることがあるのはなしよ」
 帰り際にアンリエットと話していたと、矛先を変えられたブノワが悪びれずに『神の声を聞く方法について』と口にしたので、さすがのジョエルも勢いを減じている。
 それでも、マルグリットが幾らか心配げに待っていた家で、彼らは夕食を振舞われる前に、それぞれの方法で祈った。
 手紙の返事が、早く戻ってきますように‥‥

 その翌日、やはり教会に出向いた一行はアンリエットがまた領主の義母の所に出掛けていたので顔を合わせることが出来なかった。
 しかしこの日、マルグリットのところには、とても綺麗な封蝋で綴じられた手紙が夕暮れに届いているのを見た。
 この翌日には、マルグリットが描き貯めていたという花の絵を広げられて、どれが一番いいかと品評会を開かされた。結局一枚は選びきれずに、三枚を梱包する手伝いもした。

 やがて、ドレスタットに戻ろうとする朝。
 マルグリットは彼らより先に出掛けるので、一行は依頼人の外出を見送る珍しい光景を繰り広げた。噂の領主と顔を合わせたのもこの時だ。迎えに来た彼が、マルグリットと人目もはばからない抱擁をしているのを眺めたのが、顔を合わせたと言うのなら、だが。
 この日、付き合い始めてから初めて、義母からの招待を受けた二人は、まるで‥‥
「結婚の許可をもらったときの私の子供も、あんなふうだったよ」
 ゾナハが懐かしそうに目を細めた通りの様子だった。実際は、ここから歩み寄りを始めるのだけれど。

 そうして、往きよりいい気分で街道を戻った八人は、結構な心付けを貰ったはずだが‥‥酒とお菓子に散財したり、宿を少し良くしてみたり、道々の教会に寄進したりと程々に使ったところで、ドレスタットに到着したのである。