●リプレイ本文
書物等解読の依頼を受けた冒険者達が案内されたのは、かなりしっかりした造りの二階建ての建物だった。見た途端に全員が違和感を感じたが、その正体に気付いたのはヴィクトリア・トルスタヤ(eb8588)とシャルロット・スパイラル(ea7465)の二人。
「なんですか、この窓の大きな建物は」
「こういうものがロシアにあるとは思わなかったな」
言われれば確かにその通りで、他の建物とは比べ物にならないくらいに窓が大きい。これまた大きく開かれている板戸から覗けた中の様子に、ハロルド・ブックマン(ec3272)とヴィクトリアが納得している。
「ここで仕事するのか。明るくて良さそうじゃねえか」
「確かに暗いところで文字を読むのは苦労しますからね」
来生十四郎(ea5386)と室川太一郎(eb2304)は目的が果たせればいいと、特にこだわりはない様子。エルンスト・ヴェディゲン(ea8785)はハロルド同様にほとんど表情が動かない上、何も言わないが、依頼達成の障害がないのは見て取ったようだ。
そうして中に入って、この建物がおおむね宮廷図書館の、一部キエフ内の教会の写字生の作業場だと聞いて、いずれもが頷いたのだった。元から写本を作成する作業場であれば、必要な道具も揃っていて、さぞかし仕事も進め易かろう。
だが解読する書物などは今運んできているところだというので、ヴィクトリアと来生、彼の友人の一式猛が休憩用に供された部屋に飲み物や手や顔を拭う手拭いや水などを用意した。室川はジャパンで概念があいまいなデビルについての知識を、改めて皆から教えてもらっている。彼はジャパン語以外に難しい会話が出来るほど操れる言葉はないのだが、幸いにジャパン語での説明に不自由しない人物が揃っているので苦労がない。
作業の進め方は言語ごとに資料を分けて、それから精読と話がまとまっていたので、後は覚書用の石板や傷みが激しいものを写し取る羊皮紙を準備して、それぞれ書き心地がよいペンを選んで、作業の準備は完了だ。
作業場は写字生達がいる部屋とは別に、普段も彼らが使っているだろう一室を空けてもらい、そこでと案内された。書見台も写本用の台もあり、十分に満足がいくしつらえだが、運ばれてきた木箱から漂うすえた臭いには多少の差はあれ不快感を示した。けれども、それこそが彼らが呼ばれた理由に他ならない。
「こうしたものに不慣れな者が多く、あまりに仕事が進みませんもので」
ディーテ城砦から回収された書物や書簡などの資料の大部分は、図書館や教会の人々が中心になって解読を進めていた。ところが一部、血痕などが付着したものの解読が進まないでいるのだ。
「ご事情は分かりました。ああ、それでも東洋書と西洋書は分けてあるようですね」
教師も勤める室川が、ざっとはこの中身を見てそこまで見て取ったが、この時にはすでに中に手を突っ込んで上から適当に書物を取り出したハロルドとヴィクトリアが汚れも気にせず文字を目で追っている。
「資料に幾つか書物を持ってきた。それを広げるための机を追加してもらえるだろうか」
運ばれてきた資料が多かったので、自分の持って来た本を置く場所が欲しいと申し出たエルンストの要望もすんなりと叶った。だが来生も一冊、ハロルドとヴィクトリアが新しい机に山積みになるほどの本を出したものだから、机を運んできた写字生から話を聞いたここの責任者がすっ飛んできて、幾冊か貸してくれまいかと余計な話が出てくる。
持ち主達には、傷付けない、必ず返す、持っていく前には必ず断る、必要なときにどこにあるのかすぐ分かるようにすると行った要求があるが、その全部を守った上で依頼期間中の食事に休憩中の飲食物、他の必要なものがあれば出来るだけ準備するとの交換条件に魔法を使うシャルロットの魔力補給の援助も加わって、双方納得をした。ヴィクトリアとハロルドはすでに相当資料に没頭していたので生返事だったかもしれないが。
それからようやく、皆は持ち込まれた資料を言語ごとに分ける作業に取り掛かったのだった。
最初の作業は、資料を言語別に分けること。すでに東洋と西洋とでだいたい分類されていたので、来生と室川で東洋言語をジャパン語とそれ以外に分ける。西洋言語は残る四人が次々と確認だ。東洋言語は数が少ないので、途中からは全員で西洋言語を仕分け。
汚れている以外にも傷んでいる物が多いので、そうしたものはまた別に取り分けておく。稀に誰も読めない文字の羅列が見受けられるから、それはそれでまとめた。時に文字ですらないと見えるものもあるが、詳細は調べてみないと分からない。書物はハロルドがクレバスセンサーで何か隠されていないかも確かめた。
二日目の昼過ぎに一通り仕分け終わったが、ラテン語がかなり多く、東洋言語は全般に少ないことが判明した。古代魔法語と精霊碑文もある。後はごく一部アトランティス言語アプト語とそれ以外のあちらの言葉が混じっているようだ。
そこからジャパン語は室川、イギリス語はシャルロット、アプト語を来生、精霊碑文をヴィクトリア、古代魔法語をエルンスト、ゲルマン語をハロルドでまず分けた。他の言語もあるが、量が少なくて手が付けやすいか、調べる当人が得意なところから始めて、少しでも作業を進めたい。ラテン語は、どこかで一日とって読める者が総動員でやることにする。これでも全部を書き直すのは無理だから、気になるところを拾い上げて、時々皆で検討し合うことにした。
後はフレイムエリベンションを掛けてもらったり、自分で使ったりする詠唱の声以外は、ほとんど会話もない時間がまず二時間ほど。それぞれが自分のやりやすい方法で、荒事とは縁遠い写字生達が怖気づいた血痕も露わな資料をめくり、響かせるのは石板や木板に何か書き込む音ばかり。時には布を細長く切ったものに何か書き付けて、それで資料をまとめて結んでいたりもする。
そうやって夕方に皆で報告会をした際に出てきたのは、精霊碑文は半数が魔法のスクロールの成れの果てで、後はデビルについての覚書だということ。デビルとの契約を望んだ人物の書いたものらしいが、ここに集う冒険者達にとって目新しい知識は見当たらない。
古代魔法語は魔法についての研究文書が大半で、後は遺跡で見付かった文面を書き記したのではないかと思われる内容だ。きちんと読めば、遺跡の文面を研究して、魔法について判明した事柄を書いてあるのではないかと思われる。こちらは悪魔崇拝の様子はなかった。
どちらも全文揃っている様子はないが、目新しいことを書き記した可能性は少ないというのが確かめたエルンストやヴィクトリアの意見だ。後程別人の目を入れて調べる必要はあるが、まずは他の資料に取り掛かってよいと思われる。
ジャパン語はやはりデビルの出現数も限られるせいか、精霊について記されたものが多いらしい。先の二つの言語はそれぞれ一人だけで書かれたものらしいのと違い、こちらは四、五人分の筆跡があり、紙が破れていたりするので意味がほとんど分からないものも幾枚かある。読める中には恋文の下書きまであって、手当たり次第に掻き集めてきた様子が伺えた。
イギリス語にはそのものずばりのデビルとの契約書があったが、べったりと黒っぽいしみが付いているところから見ると契約が取り交わされたのかは不確かだ。同じ筆跡で悪魔召喚の手順を書き記したものもあったが、こちらは文面では特に重要視されている魔法陣の描き方が見当たらない。
契約内容は自らをデビルの眷属に加えることとなっていたが、デビルについても知識の深いヴィクトリアの説明は『契約書一枚でデビルになることは無理』と素っ気無い。人によっては耳にしたり、実際に人からデビルの眷属に成り代わった者を見たこともあろうが、そういうモノは家族、親族はともより、自分と関わりのないまったく他人も自らの目的のためという一念だけで大量虐殺して平然とし、または悦に入る連中ばかりだ。契約書一枚で変われるほど簡単ではない。
他のイギリス語は数人の筆跡があるものの、かなり似通った筆跡はどこか同じ教会などの写字生達のものではないかと推測された。作成していた写本がおそらく『海の魔物』のイギリス語版で、他に違う書物の写しと思しきものも混じっている。原語から自国語に変更するような革新的なことが目を付けられたのだろうか。やはり何枚か、文字が見えないほどに赤茶の汚れが散っているものがある。
ゲルマン語は半分位が備忘録で、中には市場で買った卵の個数まで書いてあったりする。ものは多いが、一般的な内容が一番多いのもゲルマン語で、どうしてこれをデビルが持ち主から強奪しなければならなかったのか、まったく分からない内容だ。暗号かと疑ったが、それらしい法則性もない。たまに地図があって良く描けていたが、すごいくせ字の備忘録の日付からして五十年は前のものだ。
二日目のこれらの成果から、翌日はラテン語を中心に調査を進めつつ、他の言語で特筆すべきことはまとめなおす作業を行うことになった。来生など徹夜で作業を進めようと目論んでいたが、建物そのものが日が暮れてしばらくすると閉めきられてしまうのでは帰って寝るしかない。灯火の節約と作業の効率的な進行のための休養、それから貴重品の管理の都合なので反対も出来ず、面倒でも自分の本はきちんと持ち帰らねばならなかった。
確かに家や宿に戻って枕に頭をつけたら、すっと寝入ってしまうほどに誰もが集中して物事に当たっていた後の疲れは抱えていたのだけれど。
でも翌朝、払暁の頃には建物の前に陣取って、いつもより早めに出てきたという責任者が来るのを待っていた六人だった。
例えば探したいのは、ロシアに封じられている悪魔の情報、精霊の話。イギリスの悪魔について。アトランティスにいるカオスの魔物とデビルの関係と差異、繋がりの有無。デビル達が探している冠とは何か。また地獄についての情報、特に万魔殿のこと。人やものの固有名詞や地名、天使や神についての描写がないか。
中身を確かめた範囲でこれらに類するものがあれば一通り書き出してあったが、ラテン語は教会で使うためかジーザス教に関係する記述が特に多い。聖書の文言などはさておき、それ以外を読み進める。
ラテン語が読めない面々は、西洋言語だが何語にも当てはまらないとか、文字に似ているが実際の文字とは異なる形の模様めいたものを眺めて、何か浮かんでこないかと考えるのも担当だ。これは皆で休憩している時にも、『実は特定文字で模様が書いてある』などと冗談に紛らわせつつ、あれこれと推測を並べていた。
呪文詠唱以外は筆談というハロルドが『暗号の可能性』を示唆したので、皆も知恵は絞ったが法則性は見付からず、鏡文字でもない。
ただ最初にそれを不思議に思ったのは、室川と来生のジャパン人二人だった。
「これなぁ、薄く文字が見えるのがあるだろ? 書き損じを削ってもこんなに残らないのにどうしてだ?」
「使い古しはそうなるのでしょうか。羊皮紙は書き損じを直せるから便利ですね」
羊皮紙に記した文字を書き損じたら、ナイフで少し表面を削って消す。羊皮紙が使いまわされるときには書いてあった文字を全部削り取ることもある。全部が薄くなって、何度も繰り返すと染みたインクがうっすらと残るが、備忘録などに使う分には困らないだろう。
とはいえ、そういう羊皮紙に血痕が残ったりしていると、それだけで読みにくさが増すのでただ読み解くだけも困難だ。だが、下に絵が描いてあったようだと、休憩中にどこだろうかと思い眺めるのは面白い。
だが確かに暗号めいた書き物の羊皮紙には、そうした使い古しがやたらと多く、それが全部例のくせ字の御仁の筆跡だったので、ハロルドが身を乗り出した。手早く自分にフレイムエリベイションの魔法を掛けている。続いてヴィクトリアも。
シャルロットも忙しくソルフの実を使いながら、残る全員に同じ魔法を掛けて回り、その間にエルンストは写本用の羊皮紙を張る台を来生と室川と一緒に窓際ぎりぎりに移動させた。真新しい羊皮紙を張るはずの台に、意味不明の文字列の書面を張り渡して、元々書かれていた文字を読み取っていく。
「これを向こうの部屋に持って行け」
しばらくがりがりと石板に読み取った文字を書き付ける音が響いたが、エルンストがフェアリーを呼び寄せて細い布に書いた言付けを持たせた。書くものがなくなりそうなので、木板を大量に持ってきてくれという内容だ。すぐに木板、石板に真新しい羊皮紙も届く。
「韻の踏み方がよく分からないが、後で誰か確かめてもらえるか」
とりあえずまずは書き起こしておくぞとシャルロットが声を上げたのに、ヴィクトリアが分かったと返す。シャルロットの手元では詩の韻を踏んでいるのか、単なる書き手の癖かも分からないが、変な節回しなのは分かる文面が連なっている。ヴィクトリアは薄れて所々消えているが、建物の外観を写し描いていた。
室川と来生はゲルマン語だと読み書きはあまり出来ないが、書いてあるものをそのまま写し取るべく努力していた。なにしろ怪しい書き物は枚数が十枚余りあって、みっちりと文字が埋めていたのを削った跡があるのだ。途中から様子を理解した写字生達がやってきて、彼らが書き取ったものを清書してくれるようになった。
ハロルドは特に細かい文字を読んでいたが、前日にくせ字に慣れていたからか、順調な進み具合だ。いつもよりペンの音が大きいのは、多少気が急いているからかもしれない。
『険しい岩山とそれを覆う氷に地面までもが隙間なく覆われた、極寒の土地がある。
人が通うことあらば、よほどの強い心が無ければ世界を覆う凍えた気配に射竦められて、命を落とすだろう。
その世界で氷に覆われていない場所は、金に彩られた黒曜の岩で造られた荘厳な神殿がある。神ならぬ、悪魔の王が棲む神殿が。
そこには多くの力あるデビルが集い、人の世の王城と似た仕組みで彼らの仕事をこなしている。彼らから見れば、人こそが自分達を真似ているのだと言うのだろうが。
神殿に棲むはデビルの王にて、元は白き肌と翼を黒く染めた堕天使の長だという。その姿は見目麗しい青年のようだと聞くが、巨悪の力を振るうための別の姿を持っていると零したデビルがいたことを忘れてはならない。
この神殿に立ち入れるデビルは少ないが、そのごく少数のデビルのために作られた神殿はとてつもなく広く、案内なしでは主の下に辿り着くことは叶わないそうだ』
彼らが読み解いた、隠されていた文章には、いずれ訪ねたい場所への憧れが滲んだ、デビルから伝え聞いたという地獄の風景が絵画の下絵付きで記されていたのだった。