●リプレイ本文
ある日のキエフの街角で。
「これ、持っていたら駄目なのかしら?」
「そんなことはありませんよ。落とさないように、結びましょうか」
白派の教会前で、祈り紐を納め、地獄への門が封じられたことに感謝するミサが行われる前に、レイズ・ニヴァルージュ(eb3308)は教会の扉の前に立っていた。普段のミサとは違う日に行われるから、仕事で出られない者もいるだろう。またジーザス教徒ではないが、祈り紐の恩恵に預かった者が教会には入りにくいなら、預かろうと考えてのことだ。
足元には飼い犬のレフが、伏せて道を行く人々を見上げている。最初は座っていたが、高齢の女性が恐々近付いてきたので、指示通りに伏せの姿勢。行儀がいいのねと誉められて、分かっているのかどうか、尻尾を一振り。
中には教会に入る前に、納めないと駄目かしらと尋ねてくる女性のような人は多い。持っていて悪いものではないから、そんな時はレイズも穏やかな笑顔で落とさないようにと返している。でも、戦地から帰って来たような人には、新しいものと交換して、古いものは神への感謝と共に納めるよう促していた。
一つ一つはささやかでも、間違いなく守護の力を宿している紐。それは祈り結んだ人々の願いや思いを神が汲み取ってくれたからだろうと感謝し、デビルのために御許に旅立った魂が安らげるようにと願う。そうしたミサはもう少しで始まるだろうが、レイズがその礼拝の席に加わるには、もうしばらく掛かりそうだった。
彼の前には、せっかくだから聖職者に結んでもらおうと順番を待っている人がいる。
そのレイズに祈り紐を納める方法を尋ねたルザリア・レイバーン(ec1621)は、手にした五本の紐を祭壇前の箱に聖句を唱えつつ入れた。友人達の分も預かっていたから五本あるが、中身は案外少なかった。
入れるのは意匠の凝った細工に彩色も美しい木製の箱だから、中身が少ないのはいささか寂しいものだ。人は集まっているのにと不思議に思ったが、ほとんどの人は大切そうに手首に巻いていた。お守りとして大切に持ち続ける気持ちも分かるが、流石に地獄から戻った自分達の紐は清めてもらわねばなるまい。
ふと見ると、後からやってきた子供達が箱の中を覗き込もうとしている。場所を譲ってやると、兄弟に抱えられた小さな子供が箱の中の紐を取りだしたので‥‥
「新しい紐をあげるから、それは箱に戻そうな?」
心安らかに祈るつもりでいたが、ルザリアが礼拝堂のどこかに席を得る前に、満面に不満を表した子供を宥める必要があるようだ。
レイズに祈り紐を預けた四人のうち、倉城響(ea1466)と藤村凪(eb3310)、ディーネ・ノート(ea1542)の三人は、広場に立つ市を見て回っていた。
「待ってぇ〜」
それぞれ買い物が目的だから、並ぶ露店を覗きつつ、歩みはけして早くはない。そぞろ歩いている人達の中でも、ゆっくりな方だろう。
だが、それでも遅れるのがディーネ。理由は、買い食いだ。一つ買って食べ、食べ終わると次を買って食べ、それを延々と繰り返している。響と凪が色々品定めしている間も、一つも漏らすことなく食品屋台を攻めている。まさに、攻略中。
『一巡りして、何があるか見てから楽しんだらええんやよ』
自分も後で甘味は楽しもうとしている凪がもっともな助言をするが、ディーネはそこまで待っていられないらしい。口をもごもごさせながら、身振り手振りで次の屋台での注文に挑んでいた。一つずつ攻めてくるのだから、屋台の人々もちゃっかりと準備していて、今更回り方を変えると怒られそうだ。
結局更に歩調を落として、ちょうど響が探していた人形が並んでいる店があったので、そこで響と凪はお土産選びに没頭し始めた。木彫りや布製、種類は色々だが、流石に響の希望のジャパンの雰囲気が加わったようなものはない。たまにそれらしいものがあっても、よく見ればロシアのどこかの地方の模様が入った服を着ているものだったりする。
これが可愛いが、二体一組では希望と違う。もうちょっと大きいの、小さいの、色が、形が、同じ人形でも表情が違う‥‥あれやこれや。
こうした場所に限らずとも、女性の買い物では良くあるだろう光景だが、ジャパン人が二人となれば珍しい。挙げ句にどちらもゲルマン語が分からないので、実は通訳がディーネだったりする。
『東洋風の品物がありませんかしら。ディーネさんはお土産、買わないんですか?』
それどころじゃないわよと、周辺の屋台と二人の間を行き来して通訳したり、品物を汚さないように下がったり、もぐもぐした後にまた買いに走ったりしているディーネを他所に、凪と響は何軒か見て回り、凪はスノーマンの人形を、響は糸を編んだ飾り帯を購入した。
後は、三人仲良く甘味を楽しむことになるだろうが、その前に踊っている人々に目を留めたのが一人。後の二人を誘って、今にも踊りだしそうな気配でいる。
今回は興行も多数出ているので、祭りの屋台のような露店も多いが、少し行くといつもの市場も普通にやっている。キエフの住人の生活を支える市場だから、こちらは普通の買い物をする人が多い。
そうした人々に混じって、室川太一郎(eb2304)も品定めをしていた。彼は服装からして明らかに東洋人なのだが、片言のゲルマン語で店主とやり取りしながら探しているのは、おいしそうな食品類だ。収穫されたばかりの木苺や小麦粉の上質なもの、魚は持ち帰る間に傷まない程度に処理、加工された新鮮なもの。肉だけは季節柄塩漬けや加工した腸詰などが主だが、他に蜂蜜やバター、チーズなども。これらは熟成具合や作り方、塩加減が様々だから、幾つか種類を見繕い、時々は料理の仕方も教えてもらって、気に入ったものを買っていく。
たまに、後で買えばいいのにと思いつつ、その場で齧ったりするための焼き菓子なども。ついでにその時の自分の分だけでいいじゃないかと思うのに、なぜか大量に買い込んでみたり。
市場で露店を出すのは商人とは限らず、時々会話がかみ合わないこともあったが、買い物そのものは順調だった。急いで片付ける用事ではないから、多少言葉がわからなくても、互いに色々言いあっているうちに通じてくる。
「これとこれは山羊の乳と一緒に野菜を煮込むと美味しいよ。塩がきついから、両方入れると味付けもほとんどいらないし」
「塩気を抑えるのなら、他のチーズを選ぶべきでしょうか」
念のためテレパシーリングも持参していたが、使わなくてもなんとかなって、ふと気付けばずっしりと重い荷物が両手に。
でも、こういうときに限って、まだ味見もしていないおいしそうなお菓子を発見してしまって、太一郎は市場の片隅でほんの少しだけ困っている。
そんな太一郎と姓が同じ室川風太(eb3283)は、祭りのような賑わいを楽しむ人々とはいささか離れていた。教会ではミサが行われているが、黒派でも仏教僧侶の風太はそちらで祈りを捧げることはない。
たまたまそういう話を耳にして、以前からどういう国か興味もあったし、街並みでも見物がてら好きな骨董品を手に入れられたらと考えてきたのだが、目指すものは露店では商っていなかった。ついでにジャパン語に流暢な商人とも出会えず、身振り手振りや双方片言、ようやくジャパン語が分かる面々に尋ねて、骨董品も古道具も扱う店を何店か教えてもらったのだ。
ただしジャパン語を解する者がいる店は一つしかなく、そこに腰を据えての商談中。
『ご要望は大体分かりましたが、こちらで聖なる力と言えば大いなる父のご加護になります。それでようございますか』
聖なる力を宿している物品がよいと述べたら、御仏の加護がある品物はないとすぐに返された。これはあるのだなと期待させるが、いきなりは出てこない。人に贈るのか、自分で使うのか、飾って楽しむのか等に加え、風太の懐具合にも探りを入れてくる。
『元来骨董は好きだが、聖なる力があるものなら大事にされてきただろう。そういう品物は、形はどうあれ、味があるではないか』
自分も大切にし甲斐があるよと、出された香草茶の香りを楽しみながら、いつ果てるとも知れない会話の相手をしていたところ、ようやく店主が腰を上げた。奥から出してきたのは二つだが、息子だろう子供に声を掛けて、しばらくすると近所の店主達がそれぞれにお勧めの品を持って駆けつけた。
説明を聞くだけでも楽しめそうだと、風太の表情は緩んでいる。
教会からは、ミサの開始を告げる鐘がなり始めた。
その音を礼拝堂で聞いたエルンスト・ヴェディゲン(ea8785)は、手の中に握りこんでいた祈り紐に視線を落とす。色々思うことがないわけではないが、一々口にするのも違うしと、ミサより少し早く到着していたエルンストは祈りの姿勢でいた。祈り紐はミサの最中に機会があれば、なくても終わってから納めれば良いと慌てない。
やがて、皆と一緒に聖句を唱えつつ、エルンストは順番に祈り紐を収める列に加わっていた。
昼を過ぎた頃になると、早朝から生鮮品を持ってきていた近郊農家の人々がキエフから帰って行くのが見える。まだぽつぽつとしたものだが、キエフの城門から出て畑や丘陵が広がる中の道を行く人々が、決まって足を止める場所があった。昨日までは、足早に通り過ぎたところだ。
「今日は中でも祭りみたいな騒ぎだよ」
「祭事なので、ここでいいのです」
特に何があるわけでもない草原に、小さな篝火を焚いているのが陽小明(ec3096)だった。そういうつもりで足を向けたわけではないが、篝火には誰かがついていなくてはならないので、現在はその役目を負っている。
小明は最初はただ祈りを捧げるつもりで、ここまで来た。他にもちらほらとそういう考えの人が集まっていて、あちこち散らばっていると不審に思われるかもしれないからと集まったのが最初。そこからはそれぞれの方法で祈っていたのが、祈り紐をどうしようかという話題になって、空に還そうと話がまとまった。
結果、皆の想いが紐を離れて空に昇るようにと、篝火を組んで燃やしているのだ。火の番は順番で、現在は小明。アルテイラと縁があるなどといってしまったせいか、妙に時間が長い気がする。
アルテイラについては、縁近いのが自分でよいのか、他にふさわしい者がいるのではないかなどと考えてしまうが、近くの道を人が通るようになってからは考えに沈んではいられない。通る人が不審に、不安に思わないように説明して、そういうことならと手を合わせてくれる様子を見ていると、何に加護を願うかは別にしても感謝の祈りを忘れてはならないと思う。
よりそう思わせるのは、祈り紐を自分の『子供』と称したサラン・ヘリオドール(eb2357)の言い分もあったろう。最初は少人数が少しでも助けになればと思っていた行動が、地獄の地で確かな加護を見せてくれた。きっと結んでくれた人々の想いが強く、祈りに満ちた素晴らしいものだったからだろうと言って、それを空に還そうと言ったのも彼女。
そのサランは、随分前から集まった何人かで、篝火の近くで歌い踊る姿を見せていた。街の中で踊っても咎められることはなかろうが、街の中ではどうしても興行だと思われる。ここでも練習だと思うのか、しばらく楽しんでから銅貨を出そうとする人もいるのだが、それは小明がいらないのだと断っているところ。
これは地獄への門が閉じたことへの感謝の祈り、まだ続く復興の苦労へ向かうための壮行と、もしかしたらいつか再びこんなことがあった時にも立ち上がれるようにと、色々な願いや祈り、希望が込められている。
そうして、夕刻までには随分と多くの人がそういう姿を見ていき、自分も祈り紐を持っていればそれを燃やし、小明やサランに別の布を差し出して結んでくれと言う者も少なくなかった。
日が暮れる頃には、その場にいた人々の腕にも、布は新しくなくても結ばれたばかりの紐があった。
時は遡って、まだ日も高い頃。
ユクセル・デニズ(ec5876)はどこかの問屋が出している露店の前で、小一時間ほども品定めをしていた。どうして露店の出店先まで知っているかといえば、品揃えがいいところを探してここに辿り着き、それから並んでいる大量の品物を一つずつ取り上げて、買うかどうかを悩んでいるからだ。そんなに長いこといれば、世間話の合間に色々と聞けようというもの。
彼が探しているのは、本日連れているウンディーネの千早はじめ六体もいる精霊達への土産だった。
「女の子には、見た目で分かる金額差があるものなんか用意したら駄目ですよ」
「じゃあ、同じ品物の色違いがいいのだろうか」
『娘が六人』とぽろっと言われて、店主は俄然やる気になったらしい。精霊だと途中で訂正したが、千早が女の子に見えるから、『うちの店の商品なら精霊でも大丈夫』と根拠の分からない自信に満ちた断言をされた。
そしてもちろん、『色違いじゃなくて、一人ずつ選んであげなきゃ駄目だ』と足止めを食らっている。六つ決めるまでには、相当掛かりそうだ。
でも、最近『構ってくれないなら、こっちも知らない』とろくに口もきいてくれない精霊達の機嫌を直すためなら、その程度の手間を惜しんでいる場合ではないのだろう。
随分と熱心に品定めをしている客がいる露店を覗いて、邪魔にならず、店主に捕まらないうちに移動をし始めた瀬崎鐶(ec0097)は、キエフの街をぐるぐる歩き回っているうちに、最初に見かけた教会の近くに出ていた事に気付いた。先程は露店の客が、鐘の音と共にそちらに礼をしたので教会だと気付き、方向だけ合わせてジャパン式の祈りをしたが‥‥ジーザス教徒ではないので、教会はなんとなく敷居が高い。
それでまた方向転換して、今度は市場の賑わいとは反対の普通の街並みに足を向けてみる。言葉がほとんどわからないのだが、雰囲気が悪いところは見れば分かるし、道を歩いていれば人に咎められることもないだろう。気候もよし、案外と気楽な散歩だ。
キエフは貴族の邸宅が並んでいる辺りでもなければ、家は密集して立ち並び、人がたくさんいるのだが、その分通りに人が行き交い、子供達が遊んでいるのか働いているのか、集団で賑やかに走り回っていた。その表情が明るいので、なんとはなしに安心できる。
でも。
『ほら、大丈夫かな』
兄か姉の後を付いて歩いていた幼児が転んだので声を掛けたら、びっくりして泣き出してしまったのには、鐶もほとほと困ってしまった。
たまに子供が走り回ってぶつかってくるが、そういうのも平和になったから。ヒルケイプ・リーツ(ec1007)はそんな日常にほっとしながら、広場で軽業師の華麗な技を眺めていた。何か技が決まると歓声が上がり、こっけいな仕草に笑い声が響く。最初は感心して眺めているだけだったが、次第に皆と一緒に歓声を上げ、笑っていることに気付いて、思わず笑ってしまう。
地獄での戦いは辛く、苦しいし恐ろしい、二度と出会いたくはないもので、戻ってきてもしばらくは自分が変わってしまったような気分になったものだが、実際にはきっと変わってなどいない。こうして祭りや買い物を楽しんで、笑うことが出来るのだから。
ただそんな気持ちで見れば、前はこの時期の市場に並んでいても不思議に思わなかった木苺の黒っぽい赤が輝いて目に映る。そういうところは、少し変わったのだろうが、それはいい変化だと思えた。
地獄への門は封じられただけだからとの考えがちらりと頭をよぎったが、皆がこれほどに明るい顔をしている時に考えることではないと切り替える。
いずれという時が巡り来た場合に、困難から逃げるのではなく立ち向かう人々が減ることなく、この後もずっと続いていくようにと願い、行動するのには、それにふさわしい時期があるはずだから。
そう思うと、一人で歩いているのもいささかつまらないものに思えてきたのだけれど。
ならば二人でいれば楽しいかといえば‥‥人それぞれだろう。
ラルフェン・シュスト(ec3546)とルネ・クライン(ec4004)の二人は、寄り添って手を繋いで歩くような間柄だが、ラルフェンの肩にへばりついている小姑がルネに厳しい目を向けている。ラルフェンには妹がいるが、小姑はまた別。エレメンタラーフェアリーだ。
以前から友人以上ではあったが、つい先日恋人の関係になったばかりの二人ながら、フェアリーのウィナフレッドはそれがまったくもって気に入らないらしい。ラルフェンにべったり、ルネにつんけんして、時折何か叫んでいる。ほとんど人の真似しかないフェアリーには珍しいことかもしれないが、ともかくもルネに対して『あんた気に入らないわ、あたしのラルフェンにくっつかないでよ』と態度で示している。
もちろんラルフェンはルネを立てて、何かと彼女達の間を取り持とうとする。ルネも仲良くしたいが、相手は子供みたいだが、甘いお菓子では釣られてくれない手強い相手だ。品物でもつられてくれない。一度は傾いたのだが、途中で我に返って余計にきいきいと言うようになった。
そんな状態で歩いていれば、当然目立つ。元々フェアリー自体が珍しいから、人目を引いている上に、ラルフェンにべったりでは時々笑われもする。なかなかに困った状態だ。
でも、年齢は一回り違い、騎士と神聖騎士の違いはあるがどちらもノルマンの生まれの彼と彼女、地獄での戦いを経て更に、こうした時間が貴重なものだと実感を新たにしていた。そこに至るまでの人生も平穏なものではないが、それは人より格段に不幸だと感じるかどうかは心の持ちようだと、特にラルフェンは感じるようになっていた。そこに気付くまでの道のりが長かったけれど、今はそれを悔やむよりは自分の満ち足りていることに感謝をするべきだと思う。ルネがどう考えているのか、つぶさに分かるわけではないが‥‥目が合って互いに微笑み交わす時には、なにかしら通じるものがあると感じる。
まあ、ウィナが邪魔をしなければ。
「せっかくキエフに来たから、記念にいいかもしれないわね」
キエフの街のあちこちの光景を描いた絵札を見付けて、ルネがラルフェンに問い掛ける。恋人になって初めて二人きり、おまけの小姑がいるが二人きりのお出掛けだから、記念に何か買いたいとは最初から口にしていたことだ。キエフの街並みの絵札は、確かにいいかもしれないと、買い求めようとしたら、
『きゅ〜』
「ウィナは持てないだろうに‥‥」
妹へのお土産を買う時には眺めていただけだったフェアリーの不満げな声に、二人は『どうしたものやら』と顔を見合わせた。
ちなみに本当にラルフェンの妹のリュシエンナ・シュスト(ec5115)もキエフまでは一緒に来ていて、こちらはジーザス教白派の教会のミサに参加をしていた。大抵がキエフの住人か、度々キエフを訪れている商人のような顔見知りばかりのところで、冒険者の彼女はやや目立つ。正しくはフェアリーを連れているから、人目を引くのだ。
幸いにして、他にもフェアリーを連れているクリステル・シャルダン(eb3862)と軍馬を連れてきたキーラ・クラスニコフ(ec5766)の二人も、冒険者だろうなと分かる上に目立つので、居心地が悪いほどでもないが。そもそも祈りを捧げに来て、居心地が悪いことなどあってはならない。
祈り紐を納めたり、新たなものを結び合ったりして、ミサで祈りを捧げる。祈る内容は一人ずつ異なり、共通しているのは感謝の念が含まれていること。
目的を果たして、無事に戻ってきたことへの感謝。
故郷や大切な人のところに戻る願い叶わず、戦地で散った人々の安らかな眠り。
戻るべき優しい世界があることの喜び。
大切な人達が笑顔でいてくれることの嬉しさ。
あらゆる感謝を、聖なる母へと。
聖句を唱え、賛美歌を歌い、聖職者の話を聞いている間に胸をよぎるのが、とうに世を去った人の面影、最近一緒に戦った人々のことでも、やはり感謝の心が変わることはなく。穏やかな時間の後に、人々が日常の生活に戻っていく中で、ふとキーラがこんなことを言った。
「この時期は、ジャパンだと死んだ人の魂が家に帰ってくるらしいね」
仏教と違い、ジーザス教では死んだ者は最後の審判が下る日までは地上に戻って来る事などない。だからクリステルは首を傾げたし、リュシエンナも色々あるのねと珍しそうに聞いている。
ただ冒険者の彼女達はジーザス教徒でも、他の宗教を尊重することも忘れていないし、時には助けられても来た。そういう風に考える土地があり、そこの人々が大切な人々を迎えて懐かしむ日々があるのなら、それはそれでおそらく悪いことではないだろう。うらやむことはないが、排斥することもない。
そうして。
「あたしは剣よりスコップ持って陣地作ってた方が長かったけど、せっかく命拾いしたから、たまには実家にでも顔を出してみようかね」
「それはいいことですわ。旅路が平穏でありますように」
にこやかにクリステルに祈りを向けられ、キーラはありがたくそれを受けた。たまたま席が隣り合ったリュシエンナにも手を振って見送られて、市場で土産を見繕うべく足早に去っていく。
そして、後に残った二人も、この場で出会った縁を胸に、それぞれの大切な人のところへと帰って行くのだった。
感謝と祈りの心は、誰もが携えたままに。