●リプレイ本文
『‥‥私の何処が、そんなに貴方の心に叶ったのか。それを訊いてもよいかしら?』
妙にさばさばした様子だった憧れの女性に、彼女にしては珍しく感情を表に出した様子で問い掛けられたことを、ディアルト・ヘレス(ea2181)は思い返していた。多分今まで見た中で、最も素の表情だっただろうが、それが心底不思議でならないといった様子だったのは‥‥彼自身の態度に足りないところがあったからかもしれない。
『私は、陛下の御世をお助けする気持ちに変わりはありません。生まれ持ったものへの義務も放棄する気持ちも。それを越える気持ちは‥‥今は誰にも持っていないわ』
自分との未来を考えてくれないかと申し出たからには、振り返らせる努力をしないわけにはいかないだろうか。
先に待つ苦労を全部引き受ける覚悟をした、先程までの恋敵のように。
マント領の国王視察に合わせて、内々で茶会をするとの話は冒険者ギルドでのみ知らされたはずだが、当日に侯爵家を訪ねた者は二十人余りになった。それとは別に国王とその供、クラリッサからの招待の名目でマーシー公の息女、エカテリーナとフロリゼルがいて、四十人前後の集まりだ。もてなす側はなかなか大変だろうが、侯爵家の使用人達は準備万端整えて、一同を迎えてくれた。
ようこそと迎えてくれたマントの領主・クラリッサも元気そうで、その様子を気に掛けていた冒険者達にはよい知らせだ。エカテリーナが何か言うのに、フロリゼルが困惑気な顔付きでいるのも、多分いつも通り。
毎度ご機嫌麗しそうな国王と、胃でも痛そうなその周辺の様子も、なんだか見慣れてきた人々がいるかもしれない。
クラリッサが皆を笑顔で迎えて、招かれた側がそれぞれの立場に応じた挨拶をして、内輪というにはいささか人数が多いお茶会が和やかに始まったが‥‥皆が予想していたのとは違うところから、事件は始まった。
「ヨン様、僕と結婚して〜」
人間のクラリス・ストーム(ea6953)が、ブランシュ騎士団長のヨシュアス・レインにそう叫んだからだ。茶を供されて、会場となっている広間に適当に散った人々が全員振り向く勢いだった。
人によっては、クラリスがまだ子供と言えなくもない年齢から同様のことを言い続けていたことを知っていて、その延長線上と見たかもしれないが‥‥それにしたってもう娘盛りと呼んで差し支えない年頃だ。冒険者以外では、あからさまに眉を顰める者もいる。
クラリスは気付かないか、そもそも気にするつもりがないか、ヨシュアスに抱きつく勢いだったが、近くにいた数名の冒険者が彼女をピッと引き剥がした。あれこれ言おうとしていたのは、誰かの手が口を塞いでいる。
「私などより、よい方が見付かりますよ」
結構な騒ぎのはずだが、一瞬瞠目しただけで、ヨシュアスはそう返した。途端に『じゃあ、僕もお妃候補になるーっ』と叫び返されて、見た目より幼いのかもしれないと、良く知らない者は思ったらしい。そうでも思わないと、せっかくの茶会が大変なことになってしまう。
だが。
「今からなっても、もう相手は決めたからね」
しれっと国王本人が口にしたので、結局大変なことになってしまったのだが。
ちなみにそういう騒ぎとは別に、リリー・ストーム(ea9927)は姪を叱るのに忙しい。
最初の『事件』の際に、冒険者にしては珍しく『あれが騎士団長殿か』と呟いたのは紅天華(ea0926)だった。傍らにはむっつりと顔付きが険しい赤分隊長のギュスターヴ、同じ卓を囲むのは十野間空(eb2456)と桂木涼花(ec6207)である。
「エルフの方のヨシュアス殿は、思った以上に男前だのう」
続いた天華の言葉には流石に苦笑せざるを得ないが、おかげでギュスターヴも機嫌が上向いたらしい。面と向かって言ってやってくれと、なかなか難しいことを言う。普通、そうあからさまなことは言わないのが宮廷の礼儀だろうと、十野間などは思うわけだが‥‥天華は供されている軽食を片端から使用人達に持ってこさせて、もぐもぐと口を動かすのに忙しい。
ついでに『なんで?』という顔をされては、ギュスターヴも続ける言葉を持たなかったようだ。
「あれほどの方なら、慌てずとも縁談はおありでしょう。陛下もお心を決められたようですし、しばらくはおめでたい話が続いてお忙しくなるのでは?」
ギュスターヴが分隊長はじめ団員達の結婚話を進めたがっているのは、なんとはなしに聞こえてくる。涼花はその辺りは明言せずに、少しばかり神経が立っている様子の彼を労わっている。どうも様子からして、国王が本当に結婚相手を決めたかどうか心配になったり、疑ったりと忙しいようだ。
「慶事があるならば、なおいっそう頼りにされることもありましょう」
こちらも遠回しに『老け込んでいる場合ではない』と十野間が励ましている。彼自身はエカテリーナに先程、『あまり悩みすぎると歳を早く重ねてしまいますわよ』と悪戯めいた笑みで声を掛けられていた。続けて『心労で面変わりしては、いざという時に驚かれてしまう』と天華や涼花にはよく分からないことを言われていたが、当人が苦笑して受けたので、深くは尋ねない。ギュスターヴは何のことか分かっていたようだが、これまたそのことについては口を開かなかった。
相変わらず食べることにだけ口を使っている天華がきょろきょろと視線を巡らせたので、十野間が飲み物を頼んでやり、涼花が卓の上の皿をいい具合に並べ直してやる。
「食べた後には、皿の模様も愛でておやり。ここは職人の街ゆえ、それも礼儀だ」
ギュスターヴの勧めは、さて天華の耳に入ったかどうか。涼花はその様子に笑みを零しつつ、十野間は少しばかり寂しそうな表情を滲ませて、菓子等が盛り付けられた皿を眺めやっている。
そうした工芸品と呼んで差し支えない食器類や銀製の燭台などを眺めていたエルディン・アトワイト(ec0290)は、本日の重要なお役目を果たした様子のクリス・ラインハルト(ea2004)を香草茶が用意された一角に招いて労っていた。主催のクラリッサに挨拶すると同時に、友人からの要望も伝えて了解を取って、関係する人達に伝えて歩いたのだから、さぞかし緊張したことだろう。
気疲れでいささか眉間に皺がよっているクリスを、先程ブランシュ騎士団の面々と交わしたよい聖職者の笑顔とは別の柔らかな表情でなにくれと世話していたエルディンは、クリスがつけていた銀製のバックルに目を留めた。
「あぁこれね。マントの特産品なのよ。着けてきて良かった。クラリッサ様もだけど、周りの人も親切だもの」
いいだろうと、いつもの調子が戻ってきたクリスに安堵もしつつ、エルディンはちょうど来合わせた使用人相手に室内のしつらえの上品さを誉めた。確かに相手がクリスのバックルを見て表情を和らげたのもあるし、燭台に限らずあれこれと教会で使ってみたい工芸品が揃っている。
だが、具体的なお値段の話になったら、エルディンの笑顔は聖職者のよい笑顔になっていた。それも『とってもよい』の部類。
「神のご威光を地上に知らしめるのも役目とはいえ‥‥素晴らしいお値段でしたね」
誰か寄付でもしてくれないかと思うのは半ば本心だが、『無理』と即答してくれたクリス共々、気になることは他にある。その時が来るまでの話題としては、マントの職人達の仕事の素晴らしさはよいものかもしれないけれど。
少しばかりの『事件』はすぐに他の話題に取って代わられたが、取って代わったのは妃が決まりそうだという話。大半はそうなるかもと思っていたわけだが、ああも明言されれば気になるところだ。この場に居合わせてみたいと思っていた者も少なからずいるくらい。
ところが、中にはそうではない者も混じっていて。
「どうしたの? こんなすごいことに同席出来るなんてわくわくしない? 家族にまたお土産話が出来ちゃう」
自分の言葉通りに頬まで紅潮させているティアイエル・エルトファーム(ea0324)は、先程まで色々話をしていたレリアンナ・エトリゾーレ(ec4988)が座ったまま固まっているのを見て、小首を傾げた。依頼で国王と面識があると聞きつけて、根掘り葉掘りその時の様子を訊いていたら、国王の発言を聞いてから声も出ない様子なのだ。
レリアンナは『後学のため、お茶会を体験』くらいの気持ちでいたところに、国の一大事に関する現場に立ち会うかもと知って、結構な衝撃を受けていた。
「お、おめでたいことですわね。お相手はどなた様ですかしら」
それはこれから分かるんじゃないのと、ティアイエルが楽しげに笑っている。その傍らでは、別に緊張などせずともよいはずだが、なぜかレリアンナが目を丸くしたまま、辺りを見回していた。
ティアイエルが、子供の頃は宮廷魔術師やヨシュアスにも憧れたものだと話しかけてきたのも、右耳から左耳に抜けていった様だが‥‥たまたま来合わせた騎士が会話に混じってくれたので、ティアイエルは満足そうだ。
そこまで楽しそうに待っている者は少ないが、なんとなく最初よりは場が浮かれている様子はあった。
国の大事が決まるかもしれない席だが、名目はクラリッサが主催する茶会だ。実際は国王の我侭だとも漏れ聞こえているが、そうでなければこの場に冒険者がいることも出来ないわけだから目くじらを立てるのは周りの人々に任せるとして‥‥
ユリゼ・ファルアート(ea3502)とリディエール・アンティロープ(eb5977)は二人して香草茶などを配合していた。食材の提供は受けても、客人に料理はさせられないと職人らしいところを見せた侯爵家の料理人も、本日と主賓達と面識がある客人からの要望を全て突っぱねるのは気が引けたらしい。厨房に入らなくても出来る香草茶の配合は了解を得て、この日のための特製茶をこしらえた。
「紅茶は他にもあったのよね。重なったら悪いから、どうしたらいいかしら」
薔薇の花びらや季節の果物などと合わせた紅茶をと考えていたユリゼだが、国王出席ともなれば同様の事を考える人もいて、出来れば違うものにしたほうがいい。季節の果物なら大丈夫そうだと踏んで、後は香りのよい、くせが少ない香草と合わせることにする。
リディエール共々、非常に無造作に合わせているようにも見えるが、香草の知識はどちらも頭に入っているどころか、指先にまで染み渡っているようなもの。
「寒い時期ですから、体が温まるものもご用意したほうがいいでしょうね」
添える菓子等は厨房にお任せするとしても、やはり美味しいと思えるものでなければいけないから、香りの強さなどでどれがよいのかも相談する。ついでに他の人にも味見してもらったほうが安心なので、先に何人かに供することにした。リディエールに呼ばれて来てくれたのは、給仕をしていた鳳令明(eb3759)。何か仕事がありそうだと、彼も気にしていたから最初に呼ばれたのだが。
「新作にゃのにゃ〜。任せるにょじゃ」
何を、と作った二人が尋ねる間もなく、出来上がった茶葉を抱えて飛んで行ってしまったのはフロリゼルのところ。淹れ方の説明していないと慌てるユリゼに、お湯や茶器はどうするのかとリディエールが急いで侯爵家の給仕に頼んだが、令明とてぬかりはない。ホワイトハットにまるごとわんこでフロリゼルのところに到着したら、にこやかに、
「美味しいお茶にょ〜。皆で飲むにょじゃ」
茶葉が入った袋をハットに入れて差し出した。一緒の卓に座っていたエカテリーナが他の茶を淹れようとしていたのを、令明は知っていたのだ。それならこちらを飲めばいい。
なぜだか知らないが、二人の前に来て緊張の面持ちだったレオ・シュタイネル(ec5382)とククノチ(ec0828)が、もうどうしていいのか分からないといった様子で立ち尽くしてしまった。実は目の前の姉妹に婚約の報告をしようとしていたのだが、予期せぬ横槍に挨拶の言葉とか諸々がすっぱりと抜け落ちた。
とはいえ、ククノチはレオに手を引かれてやってきているのだから、二人の仲を察しないほど姉妹のほうも鈍くはない。
「そちらの方が白銀の獅子様でいらっしゃいますのね。さあさ、お座りなさいませ」
にこやかに口を開いたのはエカテリーナで、ククノチに掛けた声だ。どうして知っているのは分からないながら、フロリゼルもレオに対して問い掛けるような、何か促すような笑みを向けた。
「ククノチ‥‥俺の嫁さんになってくれる人だ」
ようやくレオが紹介したので、面識だけはあったフロリゼルが改めてククノチに名乗ったりしたが、ククノチは緊張極まって声が出ないらしい。かろうじて頭は下げたが、その動きさえもギクシャクしているものだから、
「私達に、貴方達の一番大切な相手を紹介してくれて嬉しいわ」
なんとはなしに彼らと彼女達に目をやっていた人々が、『意外な』と感じたことに、フロリゼルがレオとククノチをまとめて抱擁した。思い切り力を込められて、二人も一瞬息が詰まり‥‥離された時には、思い切り息を吐いた。
お湯や茶器を急ぎ用意したリディエールとユリゼが広間に戻った時には、令明が本日の主役とは別の二人の婚約を辺りに触れ回っているところだった。
ちなみに本日の主役は、先程の発言の後には何事もなかったように、卓の一つで紅茶を飲んでいた。正面には姪の発言を詫びる羽目になったリリーがいて、円卓をぐるりと囲むのは他にリリーの夫のセイル・ファースト(eb8642)、ロックハート・トキワ(ea2389)、リュリス・アルフェイン(ea5640)で合計五名。供されている紅茶は、リリーが実家から貰い受けて持ち込んだものだ。
ただし、和やかに茶の味を論じている場合ではない気がするのは、主役以外の全員だった。ここで茶を飲んでいていいのかと、直接的に突っ込まないのは、今のところまだ理性が勝っているから。というか、『何しているんだ、こいつ』という呆れ気分のせいかもしれない。
その中で最初に踏み込んだのはリュリスだった。
「いいのかよ、あっちに行かなくて」
なにかもう色々取り繕うのも面倒になったといわんばかりの言い草だが、あまりに平然とされていると意地悪の一つも言いたくなる。なにしろ彼らの大事な友人が、まさかの展開というか、良くぞそこまで思い切ったと誉めるべきか、この男に惚れたと言って告白までしたのだ。
それが先程の発言である。決まっているなら、とっととその相手に伝えてやるのが礼儀ではないかと、そういうわけだ。ここにいる人々は、皆気をもんでいるのだし。
ところが、国王と来たら平然と。
「女性同士の話に割り込むと、恨まれるじゃないか」
いけしゃあしゃあと返してきたので、今度はロックハートが額を押さえながら、こう言ってやった。
「散々周りをやきもきさせたんだ。新しい門出くらい、華麗に速やかに決めて見せろよ」
最後の呼び掛けが『ヨシュアス』だったのは、この国王のお忍び癖を知らない冒険者はここにはいない表れだ。それがなければ彼らの友人が何度も言葉を交わすこともなかったろうが、つかみ所がないにも程がある。
心の中で、『本当にこの男でいいのか』と友人に尋ねてしまったのが四人ほど。
セイルとリリーも、お茶会は楽しんで過ごすのが礼儀と心得ていたが、なんだかもう自分がそれらしい顔はしていないだろうと分かっている。しかも主賓のせいだというのは、どういうことか。
「あちらは何か計画もあるようでね。先に知っていれば、さっきあんなことは言わなかったんだが‥‥これでも一応緊張しているんだよ」
思わず四人揃って『嘘だ』と断じたくなったが、それはかろうじて踏みとどまった。流石にそれはまずいと思う。いや、先程から別の卓の赤様が向けてくるきりきりした視線を考慮したら、別に言ってしまっても良かったかもしれないが。
「ま、頑張ってくれ」
普段だったらきちんと礼法も弁えるはずのセイルまでそう言ってしまい、『うん、そうだね』と返されて、僅かに首を横に振った。処置なし、の仕草だ。
だが、妃候補の四人が集まっているのは、立場の割に仲の良い四人が久し振りに話をしたいのもあるだろうが、基本的にはこのつかみ所がない男の誕生日祝いを多少なりとも出来ないかと相談するためでもある。発案者が大事な友人でもあるリリーは、言葉に詰まってしまった男性陣とは違っていた。ただし、何かを言ったわけでもない。
国王に対して、にっこりと微笑んだのだ。それはもう、夫のセイルも見たことがないようなイイ笑顔で。
ほら怒られたと、リュリスは思った。
もう知らないと、ロックハートは無関係を決め込んだ。
やらかしたかと、セイルはどちらに対しても頭が痛い。
「呼ばれるまでは、ここに置いてくれないと、私も立場がないんだけれどね」
「一つところに居続けるのはお勧めいたしませんわ。他の皆様もお話ししたいでしょうし。出来るだけ早く、国を良い方に導くお方を射止めてくださいませ」
そうでなくては、せっかく結婚しても安心して子供が育てられませんと面と向かって言い切ったリリーに、国王はこの時ばかりは生真面目な顔でなるほどと頷いていた。流石にここで茶化すほど命知らずではないかと、男三人は安堵している。
だが、その後のリリーの心配をするセイルの姿に、今度はリュリスとロックハートと国王の三人が苦笑を交わしていた。
多くの人は、親や子と過ごす時間よりも伴侶と過ごす時間が多いのだろうな。
突然に兄のラルフェン・シュスト(ec3546)がそんなことを言い出して、リュシエンナ・シュスト(ec5115)は目をしばたたかせた。言われてみればそうかもしれないが、兄が言うのは不思議な気がする。先日婚約したばかりの男が、もの寂しそうに言うのは似合わない内容でもある。予期せぬ別離を体験したからこその呟きなのだろうが‥‥出来れば、さっきまでのようにずらりと並んだ菓子の味を飽きずに論評していて欲しいものだ。
そうでなければ‥‥さてどうしようかと考えあぐねたリュシエンナは、皆がざわめいたのに視線をめぐらせた。
「なんとなく、落ち着かないな」
「兄様、自分の求婚でもないのに変よ」
妃候補とされる四人が談笑していた卓に、国王が歩いていくのを見ながらの兄妹の会話は、なぜかあちらこちらで小声で交わされたものとよく似ていた。
そんなざわめきの片隅で、明王院月与(eb3600)が慌てつつも丁寧に針を動かしている。作られているのは、小さな人形が四つ。
国王の誕生日を他の三人に尋ねたら、十一月十五日だと教えてもらった。国王の誕生日なら国を挙げての祝い事になりそうなのに、そうではない理由は三人ともはっきり言わなかったから、なにかしら事情があるのだろう。
おおよそ一月遅れの誕生日を祝おうと提案はしたものの、具体的に何をするかまでは考え到らなかったリーディア・カンツォーネ(ea1225)に、他の三人も思案顔だ。後日何かと約束するには、この四人でまた集まることが難しい。
「きっとお喜びになることは、一つ分かります」
クラリッサが生真面目な顔で言うから、なんですかと身を乗り出したら、他の二人も同様にして、四人で卓の上に額を付き合わせる格好になった。貴族のお茶会では少し無作法だが、内輪の席なのでクラリッサ達も気にしていないようだ。
「マントの街、お忍び散歩」
明かされたのは四人とも納得の、しかし実現不可能だろう案だった。ブランシュ騎士が多数付いていて、お膝元ではないパリで国王が滞在先から消えたら大騒動だ。侯爵家にも迷惑が掛かると、絶対に正副の騎士団長が許してくれまい。
「残念ですわね。私も見て回りたいところがありますのに」
エカテリーナが含み笑いと共にクラリッサと頷きあっているので、フロリゼルは諌めるように姉を呼んでいる。
だが。
「残念だね。視察では見られないところも重要だと思うのに」
足音もさせずに近付いてきて、ひょいと会話に加わった話題の相手は、やっぱりクラリッサの見立て通りの贈り物が好みだったらしい。リーディア以外はさっと居住まいを正して、エカテリーナはそ知らぬ振りで、フロリゼルは申し訳なさそうな顔で、クラリッサは親しげな笑顔で、それぞれの立場に沿った挨拶をする。
「陛下のお席はこちらに。どうぞお掛けくださいませ」
お茶会の女主人が勧めた席には白い薔薇。今の時期に贅沢なことだが、女性達は赤い薔薇を受け取っている。歓迎と親愛の意を示したものだろう。
だが国王がなぜだか動かないので、エカテリーナがくすくすと笑い出した。国王はそんな彼女に、次の視察はフォンテーヌ領を含む辺りをと言い、二言三言何か難しい話を交わした。
その様子に苦笑しているフロリゼルには、服装談義。この日も騎士装束で、複数のドレス姿を拝めるのではないかと期待していた人々を残念がらせたフロリゼルだが、国王もその一人だったらしい。一度くらいはドレスもどうかと、今までにない口振りだ。
こちらも楽しそうに姉妹と国王の会話を眺めていたクラリッサには、茶会の礼とやはり視察に関係する政治向きの話。てきぱきと答えるクラリッサは、同じ領主でもエカテリーナより堂々とした感じを受ける。
なんて思っているリーディアは、実のところまだ挨拶も済ませていないのだが、今更立ち上がってもおかしなことになってしまう。どうしようかと考えてはいるのだが、良案も浮かばなかった。
多分、彼女が座っている椅子の背もたれの上に国王が腕を組むように置いて、そこから身を乗り出している現在、立ち上がったらぶつかってしまう。それはリーディアも分かる。誰か助けてくれそうなものだが、何度視線を巡らせても、三人とも手を差し伸べてくれる様子はない。
と、思っていたら。
何か国王が合図したのだろう、クラリッサが卓上の白い薔薇を取って、彼へと差し出している。広間に低いざわめきが走ったが、あいにくとリーディアはそちらに背が向いているので、皆がどういう顔をしているのかは分からない。
代わりに正面にいるフロリゼルが、どこか赤分隊長に似た表情になって、口を開いた。
「陛下、お人が悪いにも限度がございます」
「散歩が駄目でも、庭の散策くらいは許してくれるかな?」
クラリッサが大きく頷いて、指示を受けた使用人が庭に通じる扉の鍵を開けた。いつでも開けるように使用人が控えて、それから。
「では、大事な話をしたいので、ご一緒願えるかな‥‥司令殿?」
リーディアは膝の上にそうっと落とされた白い薔薇を見詰めて、何か言うことも出来ずに呆然としている。
噂通りに、本当にこの場で王妃が決まるのなら、祝いの歌を、曲を捧げたいと思っていた。楽士や歌い手の出番がなさそうなお茶会の中で、友人がこしらえたものを始め、それでも喉に良さそうな茶を選んで喉を湿らせていたサクラ・フリューゲル(eb8317)は、何を演奏しようかと相談に近寄ってきたカイオン・ボーダフォン(eb2955)に、満足に応えることが出来なかった。
「‥‥ちっちゃい女の子が、数々の旅を経て人の心を掴んでいった物語‥‥とてもとても楽しかったですよね」
感極まって、ユリゼと二人で抱き合ってぽろぽろと涙を零していたサクラが、カイオンに小さくかぶりを振った。
「これからも掴んでいってくれるはずです」
夢の中にいるような足取りで、国王に連れられた庭に出たリーディアは、扉を開けてくれた者が直前に騎士団長のヨシュアスに変わったのも、彼から膝を付く最上位の礼までいかずとも目上の者に対する挨拶で見送られたのも、気付いていたか疑わしい。それが国王に対してのみと皆が思わないのは、ヨシュアスが二度頭を下げたからだ。
女主人のクラリッサも、エカテリーナも、フロリゼルも、それぞれ上品に軽く膝を折って二人を見送った。扉に行く前に前を通り過ぎられた月与も慌ててぴょこんと頭を下げたが、なにやら国王から声を掛けられていたようだ。
何人かがあわあわと落ち着きなくなった月与に近付いたが、三体の人形を両手に持った月与から、具体的な説明は聞けていないらしい。尋ねるほうも動転していて、最初には会話になっていなかったのだから仕方ないだろう。
反対に、持ち前の根性と好奇心で事前にリーディアが選ばれることを知っていたとしか思えない人々の次に驚きから立ち直ったヴェニー・ブリッド(eb5868)は、広間にいる人々にあれこれ訊いてみようと歩き回っていた。ブランシュ騎士団の正副団長の一言が貰えれば、誰かがそれを詩にしてくれるかもしれない。そうでなくとも、この場の皆で分かち合うのも悪くない。
一応頭から被ったヴェールを確かめて、ギュスターヴに近付いたら、こちらは人目憚らずに男泣きに泣いていた。声を掛けたが、今は返事も出来ないと身振りで返される。ヨシュアスを見ると、こんな時でもやることがあるのか、こんな時だからか、部下にあれこれ指示している最中だ。ちょっと近付けない。
「あのぅ、皆様は陛下のお気持ちは先に知らされておいででしたか?」
妃候補だった三人に近付いて、ヴェニーが少しずつ周りに寄って来ていた人の誰もが尋ねようとして言えずにいた質問をした。三人の答えは否だが、
「お近くで拝見すれば分かりますわねぇ。私達を見る時は、なんでしょう、姉妹を見ているようなご様子でしたもの」
「そうね‥‥時折、私の騎士の振る舞いを楽しげに確かめられているようにも感じたかしら」
「恐れ多くも、兄君のようにお慕いしておりますわ。あぁ、おめでたいことがありましたもの。お茶もよいですが、乾杯をしなくてはいけませんね」
国王への親しみを多分に含んだ返事があった。
それから三人とも、色々な、でも喜ばしいことだという反応をしている人々の間を巡りながら、乾杯の準備をしている。本人達は庭に行ったままだが、乾杯なら何度しても良かろうということらしい。
つまり、庭の二人は気が済むまで放置して、まずは皆でお祝いを始めようということだ。
楽器が鳴り、祝い事で披露される歌が沿う
マント侯爵家のための特別のワイン樽が開けられて、磨き抜かれた銀杯に注がれた
すっかりと力が抜けてしまった人達の横では、玉の輿を狙う方法を考えている者も
素敵なお土産話が出来たと思ったら、正式な発表まで秘密と言われて残念がったり
新たに出てきた料理や菓子に目を奪われた者も多数なら
精緻な透かし彫りを重ねた窓板の向こうが見えないかと苦心する者も少なくない
叶うなら妃になって欲しいと願った相手と言葉を交わしたり
二人が戻ってきた時にすぐに暖まれるようにと心配りをしたり
鬱陶しいほど泣く人を慰めたり、励ましたり
自分に似た小さな人形を受け取って、目を細めたり
そして誰もが、残り少ない今年とそれに続く先の未来が穏やかで、皆が幸せなものであるようにと願っている。
どうやって自分が庭まで出てきたのか、まったく記憶がないリーディアは、もし本当に自分の思いが受け入れられたら言おうと思っていた色々な言葉を、一つも思い出せないでいた。
力は入っていないが、指を絡めるように手を繋いだ国王が、足元が怪しいリーディアの歩調に合わせつつ、傍らを歩いている。
「貴女にこんなことを言うのは悪いと思わなくもないけれど、おそらく私は貴女より何年も先に天に召されるだろう。何が原因でそうなっても、私は甦生の術は受けないと教会も城の主だった者も了解している」
見上げた顔は穏やかで、話題とはそぐわない気もするが、声色は今までになく真剣だ。
「国王が幾度も生き死にするのは、国の安定には役立たない。もとより持病がある身だし、今だって継ぐ者がいないわけではない。もめないようにしたいとは思っているけれどね」
それがなくとも、貴族社会はしがらみや決まりごとが多くて苦労させることは間違いないけれど、そう告げてから、しばし口を噤んだ国王を黙って見上げていたら、
「色々難があるこの身だが、それでよければ結婚して欲しい」
妃になってくれと言うのではないのかと、思わず口にしたら、『妃の前に妻だからね』と肩を竦められた。どうしたところで王妃にもなるので、その苦労は叶う限り一緒に背負う、とも。
そうして、こっくりと子供のように、だがはっきりと頷いたリーディアに、国王は何か望みはないかと尋ねてきた。当然冒険者の生活とは比べ物にならない不自由があるが、叶えられる望みなら努力したいからと。
それでようやく言いたかった事の一つを思い出したリーディアは、高望みせずに時々お忍びに一緒に行きたいと告げた。
「時々一緒は、クラリッサ殿と約束しているんだ。だから、貴女には『いつも』ご一緒して欲しいね」
それは幾らなんでも周りの人が許してくれないのではないかと、非常に常識的なことを非常識発言の多い国王に言い募ろうとしたリーディアだが、冒険者酒場でよく見たいたずらっ子のような笑顔に見惚れてしまった。
「一緒に怒られてくれるだろう? リーディア」
「‥‥ウィ、ウィルは怒られないようにしたほうがいいと思います」
いつか一緒にギュスターヴの渋い顔を見ることになるのだろうかと考えを巡らせたが、リーディアにはまだその光景は思い浮かばなかった。