昨日の続きの今日という日に

■イベントシナリオ


担当:龍河流

対応レベル:フリーlv

難易度:普通

成功報酬:5

参加人数:20人

サポート参加人数:-人

冒険期間:01月20日〜01月20日

リプレイ公開日:2010年01月30日

●オープニング

 冒険者ギルドマスターのウルスラ・マクシモアは、どうしてこの職に就いたのかと時に首を傾げられるが、貴族の生まれだ。
 人間の伴侶はとうに亡くなり、ハーフエルフの子供達は跡を継いだり、それぞれ新たな士官先を見付けたりと独立して、これまた手を離れている。似た境遇の同族達が新たな伴侶を得たり、悠々自適の生活をしている中、ウルスラは毎日仕事に勤しんでいた。

 そんなある日、いつものように昼夜分かたずの仕事を片付けて帰ってきたウルスラに、長年仕える執事が差し出したものがある。
「いつもの工房から、夕方に届けられました」
 内側が布張りの箱に収められたのは、金銀細工の首飾りだ。箱は新しいが、中身の首飾りは作られてから大分経っている様子が伺える代物で、宝石などのあしらいもない。ウルスラが普段つけているものに比べると、質素な作りと言えた。
 それでも、箱から取り出して留め具の部分をしげしげと眺めていたウルスラは、何かに随分と満足したらしい。
「三代目も丁寧な仕事振りね。代金の支払いは済ませたの?」
「それが奥様にご満足いただける出来栄えか確かめていただいてからと、固辞して帰りましたので」
「相変わらずねえ。顔は似ていないのに、やることは父親にそっくりだこと」
 小間使いには明日着ていく衣装を、執事には首飾りの留め具直しの代金の準備を指示して、ウルスラは箱を抱えて寝室に入った。

 亡き夫から贈られた首飾りを直すのも、もう何度目か忘れるほど。作ってくれた職人も人間だったから、今ではその孫が修繕を手掛けている。月日の流れは、留まることはない。
 異種族入り乱れるキエフの街で暮らしていると、そんなことを思い返して眠りに就くのも、ごく平凡な一日の終わり。

●今回の参加者

マナウス・ドラッケン(ea0021)/ サラサ・フローライト(ea3026)/ リュンヌ・シャンス(ea4104)/ 以心 伝助(ea4744)/ リースス・レーニス(ea5886)/ エルンスト・ヴェディゲン(ea8785)/ フィニィ・フォルテン(ea9114)/ 雨宮 零(ea9527)/ シオン・アークライト(eb0882)/ シャリン・シャラン(eb3232)/ セシリア・ティレット(eb4721)/ レイア・アローネ(eb8106)/ ヴィクトリア・トルスタヤ(eb8588)/ クルト・ベッケンバウアー(ec0886)/ ラルフェン・シュスト(ec3546)/ ミシェル・コクトー(ec4318)/ 百鬼 白蓮(ec4859)/ エレェナ・ヴルーベリ(ec4924)/ リース・フォード(ec4979)/ ジルベール・ダリエ(ec5609

●リプレイ本文

 一日の始まりは、日の出と共にあるわけではない。
 もっと早く、もっと遅く、時と場合と人によっては昨日からそのまま繋がっていたりするかもしれない。
 だが多くの教会、修道院では、季節に関係なく夜明け前には一日が始まる。その最初の日課は祈りであることがほとんどだ。一人静かに、神と向かい合う厳かな時間。
 そうした時間を、セシリア・ティレット(eb4721)は武装を整えた姿で過ごしていた。神聖騎士であっても、普段は修道衣などで過ごしている時間だが、旅装まで準備されている。冬には通常ありえないが、これから行軍に参加しようかといういでたちだ。
 実際、彼女はそのつもりでいた。誰が一緒ということもなく、デビルを平らげるための旅に出る。それがすべて果たされたと思えるまでは、おそらく終わらない旅に。
 ありきたりの平凡な一日というには、張り詰めたものがある始まり。


 冷たい風が、今日も扉を開けた途端に流れ込んでくる。
「さーむーいー、かぽも息が真っ白だね」
 リースス・レーニス(ea5886)は、今日も今日とて夜明け前から家の中を駆け回り、その勢いで驢馬・かぽの様子を見に走った。泊めて貰ったリュンヌ・シャンス(ea4104)にしたら毎度の光景だが、外に飛び出るところまでは付き合わない。炊事も暖房も兼ねた暖炉に薪をくべて、昨日二人で作ったごった煮を温め始めた。
 すぐさまリーススも戻ってきて、暖炉の前でパンを切り分けだす。
「チーズ乗せる? スープに浸して食べる? 両方?」
「‥‥じゃあ、両方」
「そうだよね、両方美味しいもんね。ん? 何笑ってるの?」
 無口なリュンヌには、一人で二人分以上を喋るリーススの様子が、いつものこととは言え面白かったのだが、わざわざ説明はしない。リーススも『楽しいならいっか』とすぐに他の話題に移っていく。もうすぐ戻るという生まれ故郷のパリの友人知人の話に、お土産のこと、ロシアにいるうちに見ておきたいものなど。
 見ておきたいものも色々あるようなので、それなら夜が明けたら出掛けようかとリュンヌが珍しく持ちかけたら、
「夜明けを見に行こう! それから、リュンヌが行きたいところ!」
「‥‥なぜ?」
「夜明けも好きだけど、夜明けを見ているリュンヌも好き。今日はリュンヌの行きたいところについてってあげる」
 付き合うのではなく付いていくというのがリーススらしいと思いつつ、リュンヌは『行きたい場所』を考えて‥‥以前に一緒に夜明けを見に行った貴族の娘を思い出した。居場所は遠いが、親族ならキエフの郊外にいるはず。もちろん話を聞いたリーススは、すでに行くつもりになっている。
 いきなり訪ねて行くのは気が進まないが、郊外の森が恋しくなったリュンヌもしっかりと防寒具を着込んで‥‥家を飛び出すと同時に転んだリーススを助け起こすことから始めている。


 前の晩から読み始めた文献が興味深くて、ついつい夜更かしどころか夜明かしをしてしまったヴィクトリア・トルスタヤ(eb8588)は、文献から特に興味を覚えた箇所を抜書きした石板を読み返していた。世の中には書いて憶える者もいるが、彼女は書いてから、繰り返し読み返して記憶に焼き付けるのが習慣だ。
 本日というか、昨日の夜から読んでいた文献には、どうして精霊にはドラゴンとしか思えない外見のものがいるのかについて書かれていた。筆者の私見のまとめだが、賛同出来るところも、違う意見になるところもあるのが楽しいので、まあ悪くはない。
 ただ徹夜はよろしくないし、なによりいい加減目が疲れた。それに普段の朝食の時間をそろそろ過ぎている。
「何か買いに行くとするか」
 自分で作るのは面倒で、積み上げた本の下から上着を取り出したヴィクトリアは家を出て‥‥しばらく後には、他の冒険者の自宅の庭を走り回っているドラゴンを観察するために足を留めていた。


 朝食もそこそこに、最近では最大の難問にエルンスト・ヴェディゲン(ea8785)は取り組んでいた。
「ドラゴンもフロストベアも大変だったが‥‥おまえほどではなかったぞ」
 庭で土を引っ掻いているのは、ダンディドッグのレーヴァンテイン。この種族ではまだ小さいのだが、いまだ馴れていないものだから、隙あらばあちこち火をつけてやろうと狙っている。他の精霊の手を借り、魔法を借り、時に暴走するのを止めたりしつつ、躾に勤しんでいるのだが‥‥こんなに苦労した覚えは、他ではない。
 おかげで最近は好きな書物を紐解く暇もなく、それらが燃やされないように苦心惨憺する日々だ。不幸中の幸いは、近所に被害を出さない限りは、冒険者街でならこんな危険なものが庭をうろうろしていても怒鳴り込まれることがないことだろう。
 ただ、飼い主が咬まれているとなれば話は別だ。エルンストは他人に助けられるのはよしとしないから、持てる能力に他の精霊に限らないペットの力も借りて、本日も朝から『どっちが偉いか、強いか』を示すのに忙しかった。


 いつもの日課の、朝食前の踊りの練習をして、さあこれから美味しい朝ごはんと用意をしていたシャリン・シャラン(eb3232)は、室内に響いた金切り声や悲鳴、笑い声と泡食った声に『またか』と振り返った。見れば予想の通りに、精霊達が踊りの衣装や装身具を取り合っている。それぞれの性格で、取り上げられてるだけのもいるが、全体としては取り合い。
「まだ時間があるんだから、ゆっくり着替えればいいのよ。ちゃんと自分のを着る!」
 今日はこの後、広場に踊りに行こうとシャリンが言ったものだから、お揃いの衣装を持っている精霊達はせっせと着替え始めて、なぜかもめていた。
 踊り子だから、シャリンも賑やかなのは大好きだ。でもこういうことで騒がしくされるのは大変。シフールの彼女より精霊達の方が体は大きいのだ。衣装だって、もちろんシャリンでは広げるのも一苦労である。
 おなかが鳴ったが、これを収めないとご飯も食べられない。シャリンは肩を落としつつ、精霊達の方に飛んで行った。よくあることだが、食事前は止めて欲しいと切実に思うシャリンだった。


 陽も大分高くなってきた頃合に、冒険者ギルドにはクルト・ベッケンバウアー(ec0886)の姿があった。すでに顔馴染みの職員と挨拶を交わし、掲示されている依頼を確かめる。幾つかあるが、レンジャーの彼の腕を活かせるものかといえばそうでもなく。それなら普段は森に出るのだが、なんとなく思った。今日は休みにして、街中を歩いてみよう。
 どうしてそう思ったのかはクルトにも分からないが、夕方になったら想い人のいる酒場にいつもより早く顔を出すのも悪くないと、不意に思い付いたのだ。
 その想い人のエレェナ・ヴルーベリ(ec4924)は、自宅で故郷への手紙を書いていた。先日久し振りに帰省したら、顔を出すのが難しいならせめて人に伝言を託すか、手紙を寄越すようにと言われたのだ。『どうせしばらく帰ってこないのだから』と性格を見透かされたことばかりが理由ではなく、そういう方法もあったかと納得したのでさっそく実行しているところ。
 後は手紙に添えて、帰省の折の会話で家族が欲しいと言っていた小物を探して添えようと、エレェナは珍しく早い時間に街に出た。目当ての物を探して、郵便を送り出し、空を見上げれば昼過ぎだ。適当に食事を済ませるとして、酒場での本業に勤しむにはまだまだ早すぎる。
 だから、同業者間の取り決めでエレェナが営業してもよい広場に足を向け、これまた広場を使う際の決まりに乗っ取って焚き火を組む。その後は、ロシアにノルマン、イギリスにジャパン、他にも他国からやってきた同業者から習った歌曲を披露する。暖を取りたいと足を留めた人から聞きたい歌をあげてもらい、それを歌ったりも。
 弦を弾く指が凍えてはいけないから焚き火には注意を払っておかねばならないが、途中でエレェナは演奏と歌に集中した。街中を気の向くままに歩いていたクルトが、微かな音をエレェナの演奏と聞き分けて、いつの間にか近くに座っていたからだ。歌に集中してよいと、声はなくとも言われているのは顔を見れば分かる。クルトも飲み物を温めて、必要なときに手渡したりして楽しそうだ。
 日が翳ってきたら、今度はいつもの店に行って、今日は何があったか尋ねるいつもの一言は交わさずにのんびりと過ごすことになるだろう。代わりの話題は何になるのか、まだ分からないが。


 キエフの街の昼下がり。市場の端に並んだ飲食物の露店からあれこれ買い込んで、急ぐ様子もなしに味を楽しんでいる男女がいた。色男が綺麗どころを侍らせていると見るには、女性二人の持っている武器が物々しいが、さりとて貴人の警護とも見えない。男性も、はっきりきっぱりと貴人には見えなかった。
 多少のやっかみも入った視線はものともせず、マナウス・ドラッケン(ea0021)は百鬼白蓮(ec4859)とレイア・アローネ(eb8106)との三人での食べ歩きを楽しんでいた。午前中はレイアを道案内に街中の散策をして、広場で吟遊詩人や踊り子が寒風に負けずと仕事をしているのを遠目に、食べ歩いている。三人の中ではキエフにもっとも長いレイアが、見慣れない食材をじっと見詰める白蓮ことレンに味や食べ方を教えている。多分午後は買い物でもするのだろうと思っていたら、なにやら二人で話しこんでいたレンとレイアがこう言った。
「サラマンドラの調教を手伝ってほしいんだ。それから、キエフでは蒸し風呂というのがあってな、ジャパンの風呂との違いを楽しめるぞ」
「中に好きなものを持ち込んでもいいそうだ。だから先に買い物をしたいのだが」
 サラマンドラはレイアが飼っているヴォルケイドドラゴンパピーの名前だ。これがまた生意気な奴で、レイアの言うことは一応聞くが、マナウスやレンを最初は『美味そう』という目で見ていた。流石にドラゴンでも幼体にやられる二人ではないが、関係が良好なわけではない。もともとヴォルイケドは他の生き物と仲良くする性質でもなさそうだし。
 そんな性格のものを引っ張り出すのはレイアにしたら悪戯心だろう。レンはどうやらその後の蒸し風呂に興味が出たようで、すでに買い物に意識が向いている。
「なんでそんな‥‥」
 あまり気乗りしない様子でいるマナウスの事など眼中になく、レイアとレンはまた市場のあれこれを物色し始めていた。この季節には珍しい食べ物などを集中的に見ているのは、財布の心配をしていないからだ。あれもこれもと、気前よく買い付けている。もちろん支払いは、うっかり口を滑らせて本日の支払い担当になったマナウスに回ってくる。
 まあ、マナウスもこれだけ喜ぶのなら、市場での買い放題くらいは多めに見てもいいかなと思っていたりもするのだが。それに蒸し風呂というのも気にはなる。
 あえて、郊外などに出たらきっと得意満面、全力を出してやるといわんばかりに暴れてくれそうな奴のことは考えず、しこたま買い物をして満足そうなレンと、歩きながら案内にも余念がないレイアの楽しそうな様子でマナウスは気を紛らわせていた。足元が凍っていて時々危ないとか、うっかり道を間違えかけて、二人にまたかと呆れられたりするのは、依頼の時でなければ結構あることだ。
 ただ、蒸し風呂は大抵個室を貸しきりだと聞いていたのに、『男女別に決まっているだろう、たわけ』とか『女好きがなければな‥‥』と怒られたのは心外。
 怒る方だってまたかと思っているだろう事が分かるようなら、男女共に苦労はしないのだろう。


 やはりキエフの昼下がり。ラルフェン・シュスト(ec3546)は『両手に花』で困っていた。彼の場合、両手の花はどちらかと言えば仇花だ。
 用向きは香り袋を作るための材料の入手だった。自宅のあるパリでも手に入るだろうが、それだと家族に筒抜ける可能性が高い。こっそり用意したいと思い、手土産を持って訪ねたのが以前に依頼で世話になった姉妹がいるキエフのある家だったが‥‥この姉妹は、いい男好きで知られていた。婚約者がある身では、かなり年上の女性達に擦り寄られても嬉しくはないのだが、まあ前回と違って心構えはあるので逃げ腰にはならずに済んでいる。
 それで両脇から姉妹になぜか手を取られ、香りを合わせるのに大事だからと、根掘り葉掘り婚約者はじめ贈りたい相手のことを聞き出されていた。出来れば袋を作るところからやりたいとの希望も合わせて伝えてみる。
「裁縫も人並みには出来ると思う‥‥最近やったことがあるわけではないが」
 でも彼の裁縫の腕は、顔と態度と違って姉妹のお目に叶わず、布の色と香草を合わせることだけしたらよいと針と糸は取り上げられた。
 婚約者がいる殿方の指を傷付けて返すなど、姉妹には出来ない相談だったようだ。


 家を出た時には冒険者ギルドに向かうつもりだったが、フィニィ・フォルテン(ea9114)は現在古着屋にいた。連れているのは陽精霊のリュミィと水妖精のメリィだ。用向きはリュミィの上着のほつれ直し。メリィはフィニィの首にかじりついて、先程から離れない。
 今日は時間もあるから冒険者ギルドや吟遊詩人ギルド辺りに顔を出して、昨今のロシア王国の様子のあれこれを聞いてみようかと考えて家を出たのは、昼近く。陽精霊で上着がいらないリュミィだが、冬のキエフで上着なしは悪目立ちするので子供用の上着を着せ、メリィがその肩口に掴まるようにして三人で歩いていたら‥‥きらきらの羽を見付けた猫の襲撃を喰らったのだ。メリィは無事だったが、リュミィの上着は裾を引っかかれてほつれてしまい、買い直しかと立ち寄った店で直してもらっている。
「マントを着けるわけにもいきませんしねぇ」
 羽の邪魔になってはメリィが可哀想だしと悩んでいると、古着屋のおばさんがいそいそと鞄を一つ出してきた。子どもが肩から掛けるのに良さそうな大きさで、小さい籠が吊ってある。蓋付きだ。
 子猫じゃないんだけどと思いつつ、フィニィはメリィとリュミィと相談を始めていた。


 ちょっと出かけた後、立ち寄った市場で買い求めたチーズや根菜を前にして、シオン・アークライト(eb0882)は難しい顔をしていた。作る料理の手順は分かっている。問題は野菜の大きさを揃えて切れるかと、味付け。一念発起してはみたものの、初めての料理に挑戦する時は緊張する。夫と共にどこかに仕官したら、そういうことは人任せかもしれないので今やらなくてどうすると思うが‥‥うんと美味しい料理を作ってみようと考えたら、なにやら緊張してきてしまった。
 ともかくも作り始めなくてはどうにもならないと包丁を握ったシオンだが、段々顔色まで悪くなってきている。
 愛する妻が台所で一人奮戦している頃、雨宮零(ea9527)は所用を済ませて家に帰ろうとするところだった。だが少し寄り道をしたのは、普段は立ち寄らない商店が並ぶ辺りに差し掛かったから。少しばかり高級品を扱う店舗の一つを覗いたら、外見やコートの下に着ているものから東洋人と判断したのだろう店主がこういうものは懐かしくないかとなにやら出してきた。出してから零が男性だと気付いていたが、華やかな色彩の簪はシオンの髪に映えそうな代物だ。使わない時も飾っておけば、冬で飾るものが少ない室内の彩りになりそうで、土産にと買い求めた。
 家には萎れない霜の花束が飾ってはあるが、それだけでは物寂しいと思っていたので、零は気分よく予定より少し早くに家に帰りついた。
 そうしたら、台所でシオンが調理途中の材料をそのままに、萎れた様子で座っていたので‥‥慌てるなんてものではなく。ともかく寝かせて、医者を呼びに飛び出そうとした。
「ええと、あのね、さっき診てもらってきたのよ」
「そうなの? 調子が悪いんなら、料理は僕がやったのに」
 甲斐甲斐しくシオンの世話を焼こうとした零の動きが止まったのは、行った先を聞いたから。シオンが見てもらったのは、赤ん坊を取り上げてくれる人のところで‥‥
 互いに何を言ったものか混乱して、とりあえず嬉しさのあまり抱き合った二人の頭からは夕食をどうするかなんてことはすっぽ抜け、買い求めた簪のことを零が思い出すのもしばらく先のことだろう。


 日が暮れ掛かって来たキエフの街に入る門の近くで、すごい勢いで転んでいる三人がいた。最初に転んだのはリース・フォード(ec4979)で、それを支えようとしたミシェル・コクトー(ec4318)と二人して地面に突っ込み、途中でジルベール・ダリエ(ec5609)を巻き込んだ。おかげでジルベールが一番下、真ん中にリースが入り、ミシェルが乗っかってしまっている。一見すると、ジルベールがエルフと人間の女性を庇って、男らしいところを示したようにも見える。
 ただし、真ん中のリースは実際のところ男性で、本日はジルベールに朝から延々と愚痴を言っていたものだから、今回も当然のように謝らない。
「こんな寒いところにつれてくるから、一日ろくなことがないじゃないかっ」
 寒いのがものすごく嫌いなのに、真冬のキエフに連れてこられれば愚痴も出ようと言うもの。それに追加して、義弟、つまり妹の夫なる関係が愚痴に拍車を掛けている。別に嫌いではないし、当然嫉妬などしてはいないが、してはいないがこ憎たらしいのだ。
「河を見て、喜んでいたのは誰だったかしら。ほら、早く食事に行きましょうよ」
 とっとと立ち上がったミシェルが、急かすようにリースを引っ張っている。転がったままで口論しているところなど人に見られたら恥ずかしいではないか。ついでに、三人で凍ったドニエプル河を見物に行き、その上を歩いた時には一番興奮していたのもリースだった。人が多い街中より、そういうところが性に合うのだろう。そこまでジルベールが考えて連れ出したものかは、よく分からないけれど。
 なんだか色々慌しかったのが過ぎて、ぽっかりと時間が空いたので少し遠出をしようかと話がまとまって、なぜだかキエフまで。日がな一日、雪と氷に覆われているように見える土地を見て歩き、ついでに氷の上を歩き回り、そんな中でも漁師が働いていて驚いたり。
 三人共に他にも誘っていい人はいたのだが、たまにだからかこの組み合わせも楽しかった。川の上では、ミシェルを支えてくれるはずの二人が先に転んで、さっぱりと起き上がれないなんてこともあったけれど‥‥それはミシェルも二人の大事な人には秘密にしておいてあげるつもりだ。
 そんなことをしていたから、すっかりと寒さが身に染みて、街中で先程の漁師に教えてもらった魚料理が美味しい店を探し当てた三人は、まずはホットワインで暖まることにした。ロシアの強い酒も興味があるが、すきっ腹には刺激が強すぎるだろう。
 濡れた上着を乾かさせてもらいつつ、あれこれと三人には珍しい料理を平らげながらの話題は、いつしか今日の体験から先のことに。ミシェルが近いうちに旅に出ると口にして、しんみりとした雰囲気になったが、最初に振り払ったのはジルベールだ。
「次に会うのがまた冬だったら、さっきの河を反対岸まで歩いてみような〜」
 散々滑って転んで、向こう岸の前に下りた岸まで戻るのが大変だった彼の言葉に、リースが無理だと言い募り、ミシェルが笑い転げて、しんみりの空気はどこかに払われてしまった。
 考えてみれば冒険者稼業は旅がつきもの。いつも一緒にいたわけではなく、どこに行ったのかも後から聞いて知る事だって多かった。その期間が少しばかり長くなるのだと思えば‥‥きっと寂しがることはないのだろう。


 料理は得意ではないから、食事は大抵冒険者酒場のスリィブローで。それだけまめに通えば、なんとなく指定席めいたものも出来てくる。今日も今日とてその指定席に納まったサラサ・フローライト(ea3026)は、時々の同席者である以心伝助(ea4744)がやってきたのに、少し視線を和ませるだけの挨拶を送った。相席をして、何か弾む話題があるかといえば、実はない。伝助は結構色々喋るのだが、サラサが近況を尋ねないから、あちらも聞いては来ないのだ。まあ、元気かくらいは流石に双方気に掛けるが。
 なにしろ貴族のお抱え魔術師と巷のというには後ろ暗い方面も含めた情報の売り買いを生業とする者。どちらも人には言えない事柄があり、聞かれても返事が出来ないことも多いと知っている。だから今日たまたま見たものや、共通の友人のことを肴に、和やかな一時を過ごすのだ。サラサも伝助も、そういう時間が結構気に入っていた。
 だが、それだけで過ごせるほどには、いまだ老成はしておらず。
「春になったら、ちょっと遠出してみようと思いやしてね」
 ロシアに長くなった伝助だが、どうせならもっと他国も見てみたい。以前、その旅にサラサを誘ったこともあるが、流石に今となってはそれも無理だ。ただ早いうちに自分の考えは知らせておきたかったのだ。予想通りに、サラサはあっさりと頷いた。
 引き止められる事はないと知り、それをしてはいけないと知っている二人の会話は、そこで別の話題を選びそうだったが、
「気を付けて行け。私はここで待っているから‥‥たまには帰って来い」
 案じる言葉に少し嬉しそうだった伝助が、サラサの誘いに大きく頷いた。戻って来いではなく、帰って来い。サラサには深い意味はないのかもしれないが、僅かな違いに喜んでいる自分がおかしくて、つい笑み崩れる。
 春が過ぎて、いつかまたこの場所に帰って来た時に、二人でなんら変わることなく食事をするひとときが過ごせることを、どちらも願っていた。その時には、伝助の土産話が少しあれば、きっと楽しいことだろう。

 世界が終わるわけでなし、約束などしなくても、またきっと会える。