●リプレイ本文
上質の羊皮紙に書きとめられるはずの言葉を迷うのは、筆者が、また筆記を頼んだ者が言葉を知らないからではない。
「教会は家。それは礼拝の言葉ではなく、家族を知らない私には真実家であったのです。聖なる母の愛はあまりにも温かく、離れがたく‥‥まさか一人立ちを望む日が来るとは思いませんでした」
でも、そうすると決めたのも自分。
だが、この期に及んで泣きたくなるのも自分なのだ。
止まった言葉は、またしばらくは出て来ないだろう。
「立会人の人数がいささか不足しております。お役目でご多忙は承知しておりますが、新婦代理人たっての希望でもありますし、ぜひともお運びいただけませんか」
この上もなく堅苦しいロックハート・トキワ(ea2389)の物言いは、ブランシュ騎士団の緑分隊長に向かってだった。『ほー』と気のない声を返してくる相手に、リディエール・アンティロープ(eb5977)も言い募る。
「近日養女様をお迎えになられるとお聞きしました。予行練習にいかがでしょう?」
仮結婚式など滅多にあることではないが、依頼人が依頼人だけに立会人は重要だ。挙げ句に『仮』のくせに当人が出てくるし、新婦代理人も名目だけの代理。本当に結婚式をしていいのかと思わなくもないが、これを逃したら自分達が新婦を直接祝う機会などまずないだろう。
故に当人の希望はぜひとも叶えてあげなくてはと二人は意気込んでいるのだが、緑の人は『当日空いていれば』とろくでもない返事を寄越しただけだった。
危うくロックハートが『ふざけんな、てめえっ』と言いそうになったが、非常な努力で耐えた。それはもう、気合と理性と友情と、リディエールのあからさまな制止の態度でもって。繰り返して依頼するものの、相手の態度は変わらずじまいだったのだが。
同じ頃、十野間空(eb2456)は赤分隊長との面会を取り付けていた。立会人と緑の人の都合が悪ければ代父役を願って、立会人には頷いてもらったところだ。はなから来るつもりではいたらしい。
「差し支えなければ、引き続いて祝宴も予定しているので、そちらで乾杯の音頭をお願いします」
これには他に適役がいるだろうと返されたが、多くの参加予定者からの要望だと言い添えると、それならばと了解を取り付けることが出来た。ただし、
「ブランシュ騎士団として列席するわけではないからな。そこを皆にも承知しておいて貰いたい」
内々のことなので個人で参列だと強調された。大半の者が『やっぱじいじい呼んであげなきゃ』と思っていると知れば、態度は変わったかもしれないが‥‥もちろん空は余計なことは言わなかった。
仮結婚式だから、本来新婦代理人も正装であればよい。つまり花嫁衣裳で参列する必要などまったくないが、事情が事情。
「天界とやらでは、こういう衣装が一般的なんだそうだ」
ずらりと広げられた羊皮紙には、誰が描いたものか見慣れない裁断を駆使した衣装が並んでいた。この図面を用意したライラ・マグニフィセント(eb9243)の傍らには、白絹を巻いたものと絹糸とが山となっている。
せっかくの機会なので、ここはぜひとも他では真似できない衣装を用意して送り出すべきだと意気込むライラの裁縫仲間は、今回三人。総勢四名で限られた時間内に作れるものには限度があるが、他の事は皆に任せてもやらねばならぬと思っていた。
「こんないい絹を使えるなら、遣り甲斐も増すというものですわね」
衣装担当の明王院未楡(eb2404)が、頬を染めて手にしたのは、当日の衣装を尋ねられた依頼人が送り付けてきた白絹だ。生地は厚みと光沢が違うものが三種類、糸は白を基調に他の色も揃っていた。もう一人の花嫁衣裳担当の明王院月与(eb3600)は、布地を扱う前にと慌てて手を洗いに行っている。汚れてなどいないが、いきなり触るには緊張する上等品なのだ。衣装ではなく、婚姻の証明書を収める箱を覆う布の刺繍を買って出たククノチ(ec0828)も緊張の面持ちで、色糸を取り上げていた。
花嫁代理人は出掛けているが、すでに寸法は測ってある。まずは図面からどういう裁断と裁縫とで綺麗な形が作れるか頭を寄せ合って相談して、まとまったところで、意を決して鋏を入れる。うまくすれば二着くらい作れるほどの量はあるが、ここで失敗したら幸先が悪い。
衣装はライラと未楡と月与の三人で手分けをして、飾り布はククノチが専門で、それぞれに作業に取り掛かる。縫い目が目立たないように、小さな針に細い糸を通して、綺麗にひだが寄るように細かい針目で縫い進める。胸元には飾りの刺繍に宝石を縫いとめて、裾にはレースを付ける。
本当ならそこにも刺繍をしたいところだが、あいにくとそこまでの時間はなかった。胸元から首周りを飾るひだは未楡が白絹を縫い縮め、胸元の刺繍と宝石の縫い取りはライラが、裾のレースは月与が、それぞれに並みではない腕前でこなしていたが、刺繍は専門の職人もいるもの。ましてや花嫁衣裳の裾を一巡りとなれば、通常はもっと大人数でこなすものだ。流石に無理がある。
「このレースは使わないので、また別に縫い付けたらどうだろう?」
飾り布の刺繍をこなしていたククノチが、そちらに縫い取られるはずだった幅広の飾りレースを差し出した。それがなければククノチも広範囲の刺繍が必要で苦労するのだが、地紋があるので細かい刺繍をあちらこちらに散らすようにして、レースは長く垂れる両端にだけあしらっていた。
おかげで浮いたレースを、今度は三人がかりで裾のものと重なり過ぎないように縫い付ける。寝食を忘れて打ち込む姿に、他の人々が様子を伺いつつ、疲労の限界が来た者を抱えて別室で休ませるようなこともあったが、甲斐あって花嫁衣裳は式の時間には間に合いそうだ。
仮だろうが結婚式であれば、会場は出来るだけ華やかに。依頼人からはどこと希望がなかったため、会場はエルディン・アトワイト(ec0290)は籍を置く教会となった。極端に大きくも小さくもない教会は、おそらく参列するだろう人数を収めても少し余裕があるはずだ。
ただし今回は普通と違って、参列者と別に立会人が複数いて、新郎新婦の自称代理人達のために、結婚の契約書に名前を記すことになっている。だから礼拝堂に普段はない机を入れたりする必要があった。
もちろんその前には、念入りに掃除と飾りつけもしなくてはならない。花嫁衣裳担当が寝る間を惜しむのと同様に、他の準備に忙しい人々も叶う限り厳粛かつ晴れやかに、美しく飾られた礼拝堂での式を望んでいたから、まずは隅々まで磨きたてている。
「署名台は高いほうが新郎新婦用だな? 運んでくるから、道を開けておいてくれよ」
細かい掃除は不得手だが、力仕事なら幾らでも役に立とうと雪切刀也(ea6228)が張り切っていた。他の細々した仕事は向いていなさそうなので、自分にも適した仕事があって一安心というところだ。男性陣数名で重いものを運び込み、後の拭き清めたりするのは、教会内の作法に詳しい人々にお任せする。他にも雑多な荷物があって、それらをあちらこちらに運ぶ仕事はあるから、休んでいる暇はないだろう。
いささか賑やかな礼拝堂の奥、教会内の一室では数名の男女が飾り付けの準備をしていた。自称代理人達に持たせる花はリディエールがスノードロップを手配し、式の直前に可憐な花束になるようにする手筈だが、会場内まで全部同じ花とはいかない。また礼拝堂を埋め尽くすくらいの生花も、季節が春なら用意したかったところだが、あいにくと今時期は無理。
だからラファエル・クアルト(ea8898)と一緒にシェアト・レフロージュ(ea3869)は、花嫁衣裳を裁断した際に余った白絹を貰い受けて、小さな造花を作っている。飾り付ける前に香油を少しまとわせて、会場内に柔らかな香りが満ちるように出来たらと考えてもいた。香油の香りはこれから皆と相談だが、新婦の代理人に合わせて決めればいいだろう。
「香りはきついから使えないけど、飾りには百合もいいと思うのよねぇ」
小さい花ばかりでは遠目に分からないしと、ラファエルは途中から作るものの種類が増えていた。そこまで慣れないシェアトは、せっせと小さな花を作っている。
「冒険者が作る式ですもの。色々あってもいいと思うのです」
用意したもの全てがお祝いの気持ちだから、ともかくも自分達が出来る最善のものを用意しよう。その気持ちは誰もが同じで、エフェリア・シドリ(ec1862)は黙々と礼拝堂に敷かれている絨毯の汚れを落としていた。新しいものを買うのはあんまりにも不自然だし、礼拝堂のものは多くが信者からの寄進物。そうしたものに囲まれていた方が、幸せになれるだろうから、傷んでいるところは直して、煤けていたら汚れを落とす。
傍らではアイリリー・カランティエ(ec2876)が薄布を束ねて巻いたり、あちらこちらを色違いのリボンで留めたりして、花束のような飾りをこしらえていた。新婦代理人が歩いて目にしそうな場所を全部飾りつけるつもりで、手を止めることなく動かしている。こちらの材料は皆からのお祝いだから絹とまではいかなかったが、込められた気持ちに変わりはないだろう。
この後には、皆で香り袋用の乾燥した香草や花びらの詰まった箱を開封して、飾りに加えたり、籠に詰め替えたりする作業も残っている。幾ら時間があっても足りないような状況だが、会話は尽きずに、時折笑い声も上がっていた。
楽しい事をしているのだから、皆疲れ知らずだ。
多くが式の準備で働いている中、何人かは相談事に忙しかった。式の立会人を務めるのは冒険者としては四人だが、誰も仮結婚式など参列したことはない。ついでに結婚の正式な立会人もほぼ初めてだ。当然守っておくべき作法や事前に決めておく段取りがあって、他所の教会から来てくれた儀典官にあれこれ教わっているところである。おかげでイルニアス・エルトファーム(ea1625)とアニエス・グラン・クリュ(eb2949)は他の皆がしている準備を手伝うつもりが果たせないでいるが、その分も真剣に式の内容を確かめている。
「代理人達が署名した後に、我々も署名すればいいのか。書状は誰が取りに行けばいいのだろう?」
流石に当人が結婚しているセイル・ファースト(eb8642)は、一般的な式なら段取りを当事者として経験している分、飲み込みが早い。結婚の誓約書を移動させる手順といったところに目を向けて、儀典官に詳しい説明を求めていた。かなり緊張気味のデニム・シュタインバーグ(eb0346)は、説明される手順を繰り返して、暗記にこれ務めている。
仮結婚式の誓約書は、それぞれの代理人が署名した後に彼らの手元に回ってくる。立会人の署名の順番に明確に決まりはないが、だいたい近親者や爵位が高い者が上に来る。ここにいる四人の間で身分の上下をつけても仕方がないが、一度に名前が書けるわけでなし、緑や赤の御仁を先にして、後は身長順で高い方から順にとなった。並んだ時に見栄えがいいからである。
それから身につけていいもの悪いもの、服装についての心得に武装の制限、署名の際には役職や所属騎士団名、領地の名前を書けといった注意点が並べられて、一度で憶え切るのは到底無理だ。
「こんな細かいしきたりを憶えて、守って過ごすのは大変ですね」
「すでに自信がなくなってきました。準備の際に、色々確かめさせてもらっていいでしょうか」
アニエスが困惑も露わに呟いたが、デニムは早くも儀典官に再講習を願っている。儀式を円滑に行うためのすべての仕事が役目の儀典官は澄まして頷いているが、その彼とて分厚い手引きを抱えていた。元々がややこしい儀式なのだろう。
「個人の依頼にわざわざお出ましいただくとは、教会も大変なことだ」
イルニアスがぽろりと漏らした感想は、本人も込みで『依頼人があの人だから』と言いたくなるのだが、儀典官は『それも教会の勤めですから』とにこやかな表情を崩さなかった。
だがこうもてきぱきと儀式を万全にするための準備が進んでいくのだから、教会側も事前に相応の連絡を受けて準備していたのだろう。次は教会関係者達が常と違う礼法の教育を施されるようだが、さぞかし大変だろうと四人は同情を禁じえない。
そしてなにより、今頃大聖堂ではどんな様子だろうかと心配もしていた。
仮結婚式も滅多にあるものではないが、執り行なうのは大抵貴族だからしきたりや作法が決まりごととして存在する。同様に滅多にないことでは似ている聖職者の還俗も決まりごとはあるが、実際に執り行なわれる時は破門を伴うことの方が多い。
流石に今回は厳しい沙汰があるはずもないのだが、生涯を神に捧げて過ごすという誓いを取り消すのは、並大抵の覚悟で出来るものではない。これも滅多にはいないが、聖職者の立場でも家庭を持つ者はいるから、結婚のために還俗をと望むのは本当に稀なこと。
事前にその意思を伝えて、指定された書面を整え、事の次第を説明するための証人も必要だと言われたのでジュディ・フローライト(ea9494)に付き添ってもらい、リーディア・カンツォーネ(ea1225)はパリの大聖堂に足を向けた。書面を作るのを手伝ってくれたウェルス・サルヴィウス(ea1787)はそこまでのご縁ではないからと、付き添いには加わっていない。
「大丈夫ですよ、悪いことをしに行くわけではないんですから」
緊張することはないと言うジュディからして少し表情が強張っているが、それもそのはず。還俗だからそれなりに高位の役目の方と面接はあるだろうと覚悟は決めていたが、案内役の神父が『大司教様はお客様との話がもう少し掛かります』と言い置いていったのだ。
余りに予想外の一言で、リーディアは自分が何を言うべきかを忘れかけ、慌てて左の掌に指で書きながら思い出している。ジュディはそんな彼女と自分の服装を改めるのに忙しい。最後は二人で手を握り合って、『きっと大丈夫』と言い合っていた。
だが、呼ばれて礼拝堂に出向けば、そこには大司教の他にも司祭が複数、更に先客がいた。冒険者だとなぜか盛装しているところなど滅多に見掛けないノルマン国王が。
「国王陛下からはお話を伺ったところです。次は貴女本人から、幾つか聞かせていただきましょう」
リーディアもジュディも、ここで国王と会うとはまったく予想もしていなかったが、先方は珍しくほんの少しだが困ったような顔をしていた。それが気になっても質せる状況でもなく、リーディアは大司教相手に還俗を望む理由を語らねばならなかった。この時ばかりはジュディも誰も口を挟むことなど出来ない。
ややあって、
「今後は、よき家庭を持ち、よき妻、よき母の手本とされるように。神のご加護とお導きは、いついかなる時も貴女から失われるものではありません。‥‥貴方がたの婚約を祝福いたします」
大司教が苦笑混じりに掛けた言葉は、もう聖職者へのものではなかった。
仮結婚式の会場である教会の人々にも、儀典官が約束事や契約書の書き方などを指導していた。元から教会に籍を置く人々もいるが、それ以外に自称新婦代理人の友人知人が掛け付けているので、誰が何をどうするのかとその割り振りだけでも賑やかだ。
更に賑やかなのが、仮結婚式での誓約の言葉について。本来は結婚する者の代理人が行うので、普通の結婚式とは色々と異なる。今回は普通の式と同じでもいいではないかと頑張るエルディンと駄目と譲らない儀典官が、長いこと誓約の文言の相談と称する駆け引きを繰り返しているが、まだ終わる気配はない。
事前にサクラ・フリューゲル(eb8317)は立会人に神聖騎士が入ってもいいのかを確かめたが、あいにくと依頼人の許可がなければ駄目だという。今回の指定に神聖騎士は入っていなかったから、ここは参列者で我慢するしかないようだ。参列者については依頼人も儀典官も格別制限もなく、後者は教会内でどの種族が立ち働いていようと気にしない素振りをしている。依頼人は冒険者ギルドに依頼した時点で、委細承知しているだろう。
それでもリスティア・バルテス(ec1713)やアイリス・リード(ec3876)、レイズ・ニヴァルージュ(eb3308)とヴァレンティ・アトワイト(ec6603)は耳を隠してから、式典用の道具類を出したり、衣類を整えたりしている。加えて、誓約書を書く仕事もこちらに回って来ていた。それこそ依頼人の方で用意しそうだが、仮結婚式に臨む事情のせいで身近の文官の手は借りたくないのかもしれない。
だが相変わらず、式の文言をどうするかはまとまっていない。
式が始まる間際になって、依頼人の希望に沿う方にしようではないかとエルディンが強硬に提案して、準備のためにやってきて依頼人から『儀典官の勧める方で』とすげなく振られている。
契約書面を金文字でしたためたのはリスティアだが、間際のこととて緊張に滲む汗を拭く余裕もなく、アイリスが傍らで拭いてやったり、インク壷を持ってやったりと一騒動を繰り広げて‥‥ようやく完成させた。
その間に、銀色のインクと羽根ペンを揃えて自称代理人と立会人の署名卓に持っていくのはレイズの、エルディンの着替えを急かしつつ手伝うのがヴァレンティの仕事だった。
内々のことだからと聖歌隊は呼んでいないが、事情を聞いた参列者の中の歌い手達がその席についているから、後はもう式が始まるばかりである。
参列者の席の四列目、参列者の最前席で、鳳令明(eb3759)は彼なりの盛装であるまるごとわんこにホワイトハットのいでたちで座っていた。シフールゆえに天井近くの掃除に駆り出されて疲れているのもあるが、そもそも椅子の大きさが合っていないので足は座面に投げ出している。
「人類は大変にょ〜」
普通の人はここまで大変ではないのだが、令明にはまあ大差のない堅苦しさだ。でも不用意に騒ぐと誰かしらに怒られるので、とりあえずは足を揃えて座っている。他の人々も小声で何か囁き交わしているが、じっと座ってはいるらしい。
早く始まらないものかと皆がじりじりしていたら、まずはサクラが立会人達を指定の席に案内して来た。個人的に立ち会うはずの赤分隊長は思い切りブランシュ騎士団の正装だが、続くセイル、イルニアス、デニム、アニエスもそれぞれに記章やマントを着けているので不自然さはない。武装は揃って儀礼的なもの。
彼らが三列目までに分かれると、今度は助祭役を務めるリスティアが開けた扉からエルディンが入場する。祝祭用の神父服をまとったエルディンが演壇に立って、全員を立ち上がらせて、式の開会を宣言した。
参列者の誰もが承知していたので、この仮結婚式が誰達のものかは正式には明らかにされていないことを気にしていなかったが、
「では、これよりノルマン貴族子弟のヨシュアスと、その婚約者の仮結婚式を始めます。新郎は祭壇前に進んでください」
参列者達が見たところ、立会人達は一人を除いて『この期に及んでなんでその名前』と困惑しきりだし、エルディンは仏頂面に近い無表情だ。助祭や式典のために各所に控えている聖職者達も、名前が違うことは聞いていなかったようで視線を泳がせている。
けれども最後列にいた十野間とその想い人、それから彼女が是非と二人で引き摺るように連れてきたウェルスとは、新郎として堂々と入場してきたウィリアム三世にそれぞれの立場に則した礼を送った。名前には引っ掛かりが残るが、それでも自分達が参列できる式を行ってくれることへの感謝の念は変わらないからだ。
声にはならないざわめきが漂う中、どこからどう見てもかなり豪華な略式正装の国王その人が祭壇前に立ち、エルディンが今度は新婦代理人の入場を促した。
今度は、ごく普通に感嘆の声やもっとはっきりと歓声があがった。ロックハートが安堵のあまり、膝に手を置きそうになって慌てて姿勢を正している。
これまたブランシュの正装に緑のマント留めも鮮やかな男が、新婦代理人となっているリーディアの手を引いて、ゆっくりと歩いている。リーディアの身につけている花嫁衣裳も持っている花束も、礼拝堂内に飾り付けられたあらゆるものが幸せを願う言葉を含むものだが、その全部が彼女の視界に入っているかは怪しいものだ。雪切に贈られたブラン製の首飾りを付けて少し首が重そうだが、きっちりと前を見て、緊張の面持ちで歩いている視線は多分祭壇に固定されている。
それでも、ライラと未楡、月与の母娘は、新郎の衣装と自分達が作った花嫁衣裳を忙しく見比べて、誰からともなくふうっと両肩を落とした。あちらはお抱えの仕立て屋、お針子が丹念にこしらえたものだろうが、こちらもけして見劣りはしない出来栄えだ‥‥と思う。材料に拠るところも大きいが、その白絹が映えるような毛皮をあしらったマントを着て来てくれて、皆が喜んで見て、後はリーディアの笑顔が見られれば完璧というところ。
大抵の女性が花嫁衣裳に見惚れている中、新郎と新婦代理人が通る通路側に席を占めたエフェリアは、前を見たり、手元に目を走らせたりと忙しい。板の上に留めた羊皮紙には、木炭で二人の姿が描かれている最中だ。きっともっと壮麗な衣装の結婚式があるのだろうが、その時に臨席することは叶わないから、なんとしても今見ているものを書き留めておきたいのである。
聖歌隊の席近くでは、シェアトとラファエルの二人が寄り添って後見人と歩いていくリーディアを眺めて、時折シェアトが涙を拭っていたりした。お祝い事はいいものだが、何か言おうにも胸が詰まって言葉が出て来ない。ラファエルにぽんぽんとあやすように背中を叩かれ、泣いている場合ではないと前を見る。この二人がそうしていても、隣席はリディエールだから微笑んでいるだけだ。
ところが。
「どなたの代理人かも分からぬ状態で、まだ陛下の許しが出ないとは言え、養女に迎えようかという娘をそこに立たせるのはしのびないのですが」
ものすごく人を食った様子で、緑の御方が言い出した。リーディアはきょとんとしているから、養父殿の独断だろう。
だが祭壇近くではリスティアが『なんで花嫁じゃいけないのよ』とか、呟きで賛同を示している。ジュディも声には出さないが、『せっかくなんだから、普通にお式を』と思っている。どちらも両手を祈りの形に組んで、力の入り具合と方向性は違うが様子を見守っていた。
あらゆる結婚式でありえない事態ゆえ、呆気にとられたのかエルディンも制止しない。だが三列目にいたアニエスが気付いたのは、先程までは緊張とは程遠いが妙に暗い表情をしていた国王が、『ヨシュアス』の時によく見せるにやりとした笑顔に変わったこと。常に生死を身近に置くから、あらゆる事柄に鬱屈した想いもあったろうかと思わせた顔付きはなくなって、冒険者に馴染みの青年が立っている。
とは申せ、こんなところで言い争われてはリーディアが可哀想だと、二列目のセイルとイルニアスとが、嗜める視線を双方に向けた。立会人達にしたら、立場はそれぞれでも剣を捧げると決めた国の国王と重鎮とが、この席で何か起こしたなんてことになっては困る。なにより大事な友人のためにも、結婚の誓約はきちんと行ってもらわなくてはならない。
この時、入口の横に控えていたヴァレンティは、兄のエルディンの様子がおかしいことに気付いた。こんな場合には最初に動くだろうに黙っていると思ったら、なにやら震えているらしい。何事かと訝しんでいたら、
「立会人のお一人から異議申し立てがなされました。お約束通り、やり直させていただいてもよろしいですね、陛下?」
「後見のためでも、独身男に養女にやるのは癪なんだよね。その親戚のところなら、許さないでもないけど」
演壇から満面の笑顔で身を乗り出したエルディンの弾んだ声に、国王が肩をすくめて答えている。何が約束通りか、知る者はいなかったが、
「では、改めまして。内密のお式なれどもノルマン国王ウィリアム三世陛下と、ご婚約者のリーディア・カンツォーネ様の結婚の儀を執り行ないます」
エルディンと付き合いの長い人々も多い参列者達が、こんなに嬉しそうな様子は見たことがないと感じた様子で、だが彼は堂々と宣言しなおした。
せっかく驚かせてやろうと思ったのにと言いながら、自分の席に収まった緑分隊長が赤の御方からかなり強烈な肘撃ちを喰らっていたのは、デニムが目撃しただけだろう。
後はごく一般的な結婚式同様に誓いの言葉が交わされて、でも指輪の用意はないからイルニアスが贈った銀製のブレスレッドを新郎新婦から一度回収して、それを交換させ‥‥最後はやはり誓約書にそれぞれ署名をする。前からも後方からも、無言で『誓いの口付けは?』と圧力があったのだが、新郎はさらりとそれを無視しきった。
それで誓約書をアイリリーが立会人達の前に運んで、ブランシュの二人から始めて総勢六人が署名する。大切な書類が箱に収められるのを見て、ククノチがようやく安心して、感極まっている人々が口々に祝いの言葉を述べている中の一員に紛れた。まずはなんだか新郎にやっかまれているらしい新婦の養父殿にご挨拶だ。
新婦は式の進行を行っていた聖職者の女性陣に四方から抱きしめられて、泣かれたり、祝われたりと忙しい。その中に巻き込まれて、レイズがじたばたもがいているが誰も気付かない。アイリスが背を丸めるように新婦を抱きしめていたりと、皆興奮していて何がなにやら分からない状態に近付きつつある。
新妻に女性が近付く分には寛容な気分らしい新郎に歩み寄ったセイルが、型通りとは行かないが心底からの祝いの言葉を述べると、にこやかに『おめでとう』と返された。
「子供が生まれるのだろう?」
「‥‥妻と子の故郷のために剣を捧げると、改めてお誓い致します」
鷹揚に頷いた国王の頭上近くを、令明が飛び上がった。
「しゃしゃ、宴会に行くのだにょ〜!」
新婚夫婦はそっとしておいてくれるものではないのかとぶうぶう文句を垂れ始めた新郎の腕を掴んだのは、一人二人ではない。新婦はすでに、皆に押されて歩き出している。
このまま街に出たら、何事かと思われるだろうに‥‥誰もそんなことは気にしていなかった。