●リプレイ本文
馬を替える以外はほとんど走りっぱなしだった馬車が街に着いたとき、もう狭いところに入られないとばかりに飛び出した人影が三つあった。うち二人は、小柄ながらがっしりとした体型と見事な髭でドワーフと察せられる。もう一人は人間の若者だろう。
全員男性の三人に続いて‥‥
「あーっ」
「支えてくださいっ」
ぱたりと、高さのある馬車から落ちたのはアンジェリカ・シュエット(ea3668)だった。先に降りたリョウ・アスカ(ea6561)が受け止めて、馬車の中で支えきれなかったワルキュリア・ブルークリスタル(ea7983)とシャルロッテ・フォン・クルス(ea4136)の二人が安堵のため息をつく。
とっさのことに放り出したリョウの荷物を拾い上げ、手分けして持ちながらドワーフのヘラクレイオス・ニケフォロス(ea7256)とローシュ・フラーム(ea3446)がアンジェリカの顔色を下から覗き込む。
「わしらが幅を取るから、エルフのお嬢さんには大変だったか」
「わしの馬も、さすがに一日は駆けとおせないからなぁ」
反省しきりで二人が沈んだ顔をしている間に、ワルキュリアとシャルロッテのやはりエルフの女性二人が馬車から降りてくる。こちらはアンジェリカの荷物を抱えているので、ローシュとヘラクレイオスが持ってやる。
この間に御者とボルト・レイヴン(ea7906)が他の荷物を下ろし、御者台に乗っていたブノワ・ブーランジェ(ea6505)は出迎えに姿を見せた人々に挨拶と事情の説明をしている。ワルキュリアが言うところでは、出迎えに来たのはアンリエット助祭だ。
「ジェラール卿のお屋敷に泊めていただけるそうですよ。まずはそちらに」
馬車で屋敷の前まで乗り付けてもよいと言われたが、アンジェリカが馬車はもういいと口にしたので、八人はアンリエットの案内で町の中程に向かった。さすがにアンジェリカはリョウに背負われていたが。
そうして。
「マルグリット様は、もうご領主様のところに移られたので?」
「はい。それでこちらは勤めている人達ごと、ジェラール様がお引き受けになりました」
今回初めてこの街にやってきた者達は、ブノワとアンリエットの緊迫感に欠ける会話を耳にしながら、それぞれに驚いていた。まあ、立派な屋敷だったのである。
着いたのはもう深夜に近い時間帯だが、屋敷には煌々とまではいかないながらも、随所に明かりがともっていた。
少し休んで気分が楽になったアンジェリカも交えて、ジェラールと対面した一行だが‥‥
「随分急かした割には、それほど焦っているようにも見えないが」
「誰かの命に関わるわけではない上に、冒険者ギルドの人選が素晴らしいので安心していますよ」
不可解なと言いたげだったローシュだが、賞賛の言葉に機嫌が上向いたらしい。ヘラクレイオスともども酒類をふんだんに提供されたおかげもあるだろうが、確かに一行の能力的な配分は今回の依頼で出された要望をこの上もなく叶えている。
クレリックが黒教会のアンジェリカと白教会のボルト、ブノワで三人。白の神聖騎士がシャルロッテとワルキュリアの二人。他国出身ながらナイトのヘラクレイオスに、ファイターとして名の知れたリョウとローシュが加わって、『経験を積んだ冒険者、その中でも聖職者』の条件は満たされていた。さすがに見た目は最年少、実際は三十七歳のアンジェリカにはジェラールも驚いた顔は隠さなかったが、馬車酔いから解放されて後の振る舞いを見て、子ども扱いはしなかった。
その上でジェラールから説明があったのは、墓地の位置とズゥンビの様子、それから判明している遺族との面会は明日の午前中にでも早々に場を設けること。
「それはありがたいことです。一度ご挨拶しておけば、先方も少しはご気分が違いましょうから」
「確かに。しかし、判明したとおっしゃるからには、分からない方もおいでなのですか?」
ワルキュリアが安堵の表情を見せ、ボルトも頷きつつ、ジェラールが言葉を濁した部分に伺いを立てた。どう聞いたところで、この疑問は誰もが感じたのだが。
ズゥンビ化した八体のうち、身元が分かったのは四体きり。早くから判明していた以外は、着衣などが傷んでいて判然としないらしい。浄化が済んで墓地内を確認すれば分かるだろうが、今の段階では不明のままだ。
なかなかの手回しのよさに感心しつつ、ローシュが皆も気にしていたことを尋ねる。
「われらの仕事は、手荒な真似をせず浄化することとはわきまえた。しかし浄化すれば、遺体は手で支えられるものではなくなってしまうようだがどうしたものだろう」
それに対する返答は、司祭様が取り計らってくれる、だった。
その後は、遺族と話をする者、実際に現場を確認に行く者、領主とその婚約者に挨拶に行く者と役割分担をして、翌日午前中はそれぞれに活動することにしたのである。
翌朝、髭を綺麗に整えたヘラクレイオスと、使用人のお嬢さん達に髪を梳られて、あちこちリボンを結ばれたアンジェリカの二人は、ジェラールと共に領主の館に向かった。
アンジェリカは、司祭と遺族に挨拶を兼ねて教会に出向くか、ミミクリーの呪文で墓地の状況確認に出向いたほうが自分に向いていると思ったのだが、ワルキュリアがなんともいえない顔付きをし、ブノワとジェラールが『挨拶に行くように』と口を揃えるので、ヘラクレイオスと同行することになった。
もちろん彼女もヘラクレイオスも、それぞれの身分にのっとった挨拶は出来る。多少つたない点もあったが、細かいことに拘る領主ではなかったようだ。ただ、やはりアンジェリカを見てなんともいえない微妙な表情になったので、ヘラクレイオスが『年少者ながら実績に問題はない』と口添えをしたところ。
「その点においては、冒険者ギルドを信用しているが‥‥シュエット殿は一人で街を歩かれないほうがよいな」
「‥‥この街は、司祭様以外はすべて人間。出入りする者もほとんどが同じゆえ、可愛らしい異種族の娘御には悪気なく付きまとう老若男女が出るだろうから」
父親の言葉に顔を見合わせた二人に対して、息子が言葉を添える。確かに泊まった屋敷も全員が人間で、昨夜も深夜だというのにやたらと世話を焼いてくれた。もとより親切な上、ズゥンビのことが心配でいてもたってもいられなかったのだろうと彼らは思っていたのだが、他にも理由があったようだ。
事に当たるときには周辺から人払いしたいが、これでは心許ないとヘラクレイオスとアンジェリカが口にせずとも思ったが、その点では領主親子は頼りになる依頼人だった。
「あなた方の仕事の邪魔をしたら、縄をかけてくれて構わない。住民にもそう知らせたので、罪人扱いされるのに覗きに行こうという者はいないだろう」
それはありがたいと礼を述べ、二人は茶など振舞われてから館を辞去したのだが、去り際に教会に出向いていた領主の婚約者と顔を合わせた。挨拶の後、先方が館に入ってから、ヘラクレイオスが『お美しい』と口にしたので、アンジェリカとジェラールは足を止めた。
「髭がないのが惜しまれるのう」
人間の、しかも他人の婚約者に何を口にするかと慌てた若者二人を脱力させて、ヘラクレイオスは自分の髭をしごいていた。
三手に分かれた一行の中で、墓地に向かったのはリョウとローシュの二人だった。二人とも今回の仕事用にヘビーシールドは持参していたが、さすがに今は携帯していない。もちろん武器の類もだ。
案内に立った若者について歩いてしばらく、老人や子供の足でも無理なくたどり着ける位置に墓地はあったが、案外と広かった。奥まで行くとなれば、ここまでの半分程度の時間が掛かるだろう。緩やかに登り、奥は丘になっているからだ。
その丘の手前に、急ごしらえの板の壁がある。ズゥンビが発生したのは、その奥というわけだ。
「中の様子を伺うのに、適した場所はありますか?」
リョウの問いかけに、若者が指したのは墓地の中に転々と植えてある木の一本だった。かなりの大木で長身のリョウが登っても折れる心配はない。ただ墓地の木に登ってもいいものかと、彼が戸惑っていると若者は苦笑しながら説明してくれた。
「うちの爺さんが、暑いのは嫌いだから自分の墓の横には木を植えろって、わがままを言って家から植え替えた木なんですよ。少しは人様の役にも立ってもらわなきゃ」
「死んだ後は神の許に召されるのだから、熱い寒いはないと思うがのう」
思わずといった感じで口にしたローシュに、若者は頭をかいた。そこまで肉体に固執するのは不思議だと思われていることは、察したようだ。
リョウはそうしたことを尋ねたら反駁されるかと心配もしていたし、色々と気の滅入ることの多い依頼ではあったが、どうも領主に泣きついた遺族と他の人々とは温度差があるように感じていた。若者の反応を見ると尚更だ。
そこまで思って、ふいと気付いたことがある。
「もしや、御遺族にはジャパンあたりの方がおいでなのではありませんか」
「ああ、それなら納得がいくわい。あちらのお人らは死者の悼み方が違う者が多かったからの」
若者が頷いた途端に、昔の戦歴について語りだしたローシュをおいて、リョウは久し振りの木登りに挑戦した。ローシュの『わしが若かった頃はだな』が始まると、とても長い。
彼がズゥンビの数と性別、体型や動き方などを確認している間、案内の若者は延々とローシュの話を聞かされていた。帰り道、どこか覇気がなくなっていたのは何が原因だったか。
必要な情報が手に入ったローシュとリョウは、元気なままである。
アンジェリカ以外の聖職者は、早くから教会に向かっていた。まずは司祭に挨拶をするためだったが‥‥
「な、何事ですか、これは」
「娯楽が少ないのでしょうかねぇ」
シャルロッテの驚愕の声に、予想していたワルキュリアがのんびりと応える。幾ら領主の膝元でも、ドレスタットのような港町とは違っていつも様々な催しが興行しているわけではない。娯楽というほどの娯楽はないだろう。
だが、子供達にいきなり飛び付かれる理由がそれだけではないことを、ワルキュリアは体感して知っている。神聖騎士もエルフも珍しいから、相乗効果で子供が寄ってくるのだ。その証拠に、ブノワとボルトにはほとんど子供達は行っていない。代わりのように老人達と挨拶を交わしているが。
この身寄りのない人達の住む教会施設『休息所』の人々との挨拶を済ませ、エルフのメドック司祭とアンリエット助祭との顔合わせもしてから。
「ズゥンビの発生の原因は、正確にはわかっていなかったはずですが、まあ」
ボルトが苦笑気味に口にしたのは、否定ではない。だがこの中では年少のシャルロッテはなんとも言い難い顔つきになったし、ワルキュリアとブノワは視線を交し合っている。
「原因は分かっている。彼らの御霊は天上の母の御許にあることは間違いない。なにしろ生前は誰もが認める善男善女だ。妻や子供や孫を残していくのは気掛かりだったろうが、周囲が支えてくれることも分かっていたはず。それゆえに、迷える魂が慈悲を求めて彼らの亡骸に入った。いいかな?」
「大分、個人的なご意見と承りましたが‥‥」
ブノワの言葉に、司祭は長い耳を掻きながらしれっと言った。
「あー、最近耳が遠くなってね」
今の今まで普通に話していただろうとは、誰も言わなかった。彼らが到着するまでに、街の教会も遺族の心の平安のために出来る努力はしていたのだ。そうしたことまで自分達で担おうとしていた勇み足をたしなめられた気分になったかもしれない。
それに、遺族だって落ち着いて考えれば、領主が手配した聖職者が無体な真似をするとも、その魔法で体が朽ちても魂が迷うとも考えないだろう。ただ一度取り付いた心配はなかなか離れてくれないだけだ。こういうときに道を示すのは、もちろん聖職者の仕事である。
「司祭様のお考え、私どもの気持ちと隔たりがあるわけではないと承知しました。ご遺族の皆様とのお話にも、一言添えていただけますか」
ワルキュリアが礼儀正しく口にしたのへ、司祭は鷹揚に頷いた。ここで四人が聞かされたのが、墓地の帰り道にローシュとリョウが耳にしたのと同じ話だ。
亡くなった産婦の父親がジャパン人で、古くからこれまでの様々な貢献で領主も一目置いている。街で唯一ジーザス教徒ではない彼は、色々なことで考え方の異なりを見せていたが、それが問題になったことはない。うまく折り合いをつけて過ごしていたのが、街で初めてと思われる今回の事件では折り合わなかったのである。
「ジャパンの方とはほとんどご縁がないのですが、皆様があのようにお感じになるのでしょうか」
助祭のアンリエットが4人に問うたが、さしもの彼らも葬儀についてジャパン人と語り合った記憶はない。不勉強で、と頭を垂れた。
ちょうど遺族が揃ったと知らせがあり、彼らは司祭に連れられて挨拶に出向いたのである。領主の婚約者マルグリットも足を運んだので、顔を合わせたことがあるブノワが他の三人を紹介する形になった。ブノワ自身については、マルグリットが言葉を添えて他の遺族に紹介してくれた。
二月の末から三月の頭に奉仕活動に近い教師役を務めてくれた者が複数いることや、この街で一番ギクシャクとしていた人間関係をほぐしたのも冒険者だったことに加え、四人が聖職者のためか、集まった遺族はかなり低姿勢だった。浄化の方法について説明されてもぴんと来ないようだが、『それが一番いい方法なら』とほぼ全員が口を揃える。
唯一違ったのが、見るからに東洋系の老人だった。違うからといって、食って掛かるようなことはない。ただ疲労の浮かんだ表情で口にしたことは。
「たとえ魂がよそにあっても、娘の亡骸がオークどもと同じような扱いで切り刻まれるのは父親として忍びない」
この地に馴染まない考え方でも、何の罪もなく死んだ者を痛めつけられるのは辛いと言葉少なに語った老人に対して、ワルキュリアがその手を取って答えた。
「私どもはセーラ様のお導きで参りました。ですから、皆様のお心がこれ以上乱れることがないように尽くさせていただきます」
「‥‥仮にもゼーラント伯の家臣からの依頼に、その中身が察せられない者は寄越されないよ。どうしても心配かね」
「いや。しかし『仮にも』というのは、そのまた家臣の一人としていただけませんな」
頼むに足りると四人を判断したのか、多少は顔色に朱が戻った老人は、連れていた孫がむずがるので教会を後にした。去り際に深々と腰を折って一礼していくのは、確かに東洋の作法だ。
その後、四人が速やかに他の冒険者達と合流といかなかったのは、残った遺族から亡くなった人々の話を聞かされて、立ち去る機会を見失ったからだった。
教会に出向いた四人が戻ってきた昼過ぎ、彼らの元に届いたものがある。馬車での強行軍のため、途中から別道程になっていた馬や驢馬達だ。墓地で走らせることはなくとも、ナイトや神聖騎士にしたら傍らにいて当然。気持ちも大分違う。結局ここでも預けることにはなるが、必要最低限以外の荷物は積んだままだったから、それらが用立てられるのは有り難い。
と、それぞれ用を済ませたローシュとヘラクレイオスが、盾役を務める全員の防具に布を巻いていた。滅多にやることではないはずだか、鍛冶師が仕上げた品物を梱包する時の方法をうまく活かして、あっという間に前面がやわらかい盾が出来上がる。
「ご遺体は簡単に見渡せる範囲にありますから、魔法は必要なさそうです。その分、一度に向かってくる可能性が高いでしょうが」
リョウが石板に大まかな図を書き込んで、墓地の様子を説明する。感知魔法が必要ないことが分かり、神聖魔法の使い手はホーリー、ブラックホーリーでの足止めと、ピュアリファイでの浄化に専念することになった。アンジェリカの偵察も代行手段があることだし、見晴らしのよさそうな墓地で変身のために着衣をどうこうされるのは、他の者が目のやり場に困る。
「ブラックホーリーでは傷付けるようにも見えてしまうけれど、いいのかしら」
「ご遺族は、司祭様が説得したというか、なんと言いますか‥‥」
ボルトの歯切れの悪い説明と、他の三人の引きつった笑顔にはアンジェリカならずとも訝しく思ったが、ジェラールが完結に補足した。
「司祭様は弁が立ちすぎて、よその司祭に詭弁を弄すると怒鳴られたことがある」
「‥‥‥‥色々とりなしてもらったことは、有り難く思おうかな」
クレリック達に危害が及びそうになったら、遺体を押し返しても構わない。その勢いで転倒したとしても、他人を傷付ける罪悪を犯さずにすめばよいと『丸め込んでくれた』司祭には、ローシュが控えめな言葉を寄せた。よほどのことがない限り、盾で押し返せようが。
そうして。
「二回で成功して、幸先がいいですな」
ボルトがグッドラックを付き添いのアンリエットも含めて掛け、リョウが事前に遺体の場所を確認してから、巡らされた板の合間から次々と内部に入り込んでいく。
中にいたのは、着衣から明らかに女性だと分かる遺体が二つで片方は白骨化している。他は白骨化したものが二つといわゆるズゥンビらしい姿が四体の計八体。うち近くにいた二体が、最初に彼らに向かってきた。その伸ばされた手を盾で受けたのはヘラクレイオスとジェラールだ。他の六体は幾らか遠い。
「速やかに行こうか」
日が暮れては危険だとヘラクレイオスが言うまでもなく、白と黒の光が墓地に浮かぶ。続いて放たれた黒い光がヘラクレイオスの前に、ジェラールの前には白い光が広がった。どちらも盾に掛かる力が減って、遺体が数歩下がる。
直後に防具はいつも通りに身に付けているワルキュリアが一歩踏み出して、違う呪文を口に上らせる。また白い光が浮かんで、それがジェラールの前の遺体にも現れる。
数回そうした動きを繰り返して、最初の二体が塵になるころには、別の二体をローシュとリョウが即席の板壁に押し付けていた。それでも腕を伸ばしているのを、残る四体の動きを見ながら、ヘラクレイオスとジェラールがやはり盾で壁に挟む。途中、他の遺体が近付いてくれば、誰かが抜けて盾で受け止めにいくだけだ。
おおむね一体に集中して神聖魔法を付与し、形がなくなったところで次に向かう。グッドラックの効果はとっくに切れているだろうが、前衛を努める四人のおかげで攻撃もされずに魔法を唱えられるので掛けなおしはしなかった。
そんな余力はない、とも言える。
アンジェリカはとうに息が上がっているし、シャルロッテとワルキュリアは魔法が効果を示さない回数が増えた。ボルトとブノワも、もうそろそろ限界が見えたようだ。
体は動いても、魔力が尽きる。それが見て取れない前衛ではないから、一度下がるかと口にしかけたが‥‥
「街の皆さんは、一度で終わったという報告を喜ばれると思いますから」
「そうね。心置きなくお祝い事の準備が出来るものね。これ、返すわ」
ブノワが街を出発する前に配っていたソルフの実を取り出すと、アンジェリカが自分が貰った分を持ち主に渡す。余力がなくなったら、外に非難するといった顔は少しだけ悔しげだ。同族でも神聖騎士の二人とは違い、魔法を唱えるために場所を選んで動き続けるのがそろそろ負担らしい。
「では、アンリエット助祭に様子の報告をお願いします」
遠慮している場合ではないとソルフの実を使ったボルトが、場違いなほどに穏やかな笑みを浮かべてアンジェリカの肩を叩いた。直後には朗々とした声で呪文を唱えている。ホーリーで骨ばかりの身をしたたかに打たれた遺体が、歯軋りのような悲鳴じみた音を立てる。
続いて、やはりソルフの実を使ったワルキュリアは浄化の呪文を紡ぐ。アンジェリカが退避直前まで放ち続けたブラックホーリーとボルトのホーリーの支援があって、二回目の浄化呪文でヘラクレイオスとローシュの盾に加わっていた力が失せる。
後に残ったのは、その身元を示していた装身具ばかりだ。教会でのマルグリットの話によれば、彼女が絵柄を書き、宝飾職人に作らせた一番最初の品物。
「終わったら、墓に戻すんだったかの」
一時預かりじゃとヘラクレイオスが装身具を取り上げ、ローシュは先駆けて残る二体に向かおうとした際、その視線の先でリョウがジェラールを突き飛ばして共に地面に転がった。幾ら動きが鈍いとはいえ、迫ってくるこちらも白骨の遺体の前で呆然と立ち尽くしたように見えたジェラールを助けるのに必要だったからだが‥‥
「気を抜くなと、ご自分であれほど言っていたでしょうにっ」
こういう時にも丁寧な物言いのリョウに怒鳴られ、ジェラールはちょっとだけすまなそうな表情を見せた。ただ、続けて言うことには。
「やはり面影も何もないから、かえって腹ただしい気分だな」
「こちらのお二人は、身元は分からなかったとおっしゃいませんでしたか」
墓地に入った直後に、身元が判明している四体については示されたが、今残っている二体はその中に含まれていなかった。どちらも白骨化していて、間近で見ても着衣で男女だったろうと推測できる程度だ。シャルロッテの問いかけに、ジェラールはしばらく迷っていたが。
「隠し事は好かん」
まずは浄化が先ではと言うブノワやワルキュリアを無視する勢いで、ローシュが憤然と声を上げた。それでもさすがに、近付いた遺体を盾で受け止めることはしている。
と、ジェラールがその女性の遺体に足をかけ、転倒させた後に盾で地面に押し付けた。片膝を乗せて、体重をかけている。今までになく、荒っぽい扱いだった。
「どうせ中身のない墓地を改めれば分かることだが、こちらは私の母と祖父だと思われる。父も承知しているので、手荒でも速やかに浄化願いたい。それが慈愛の母の思し召しだろう?」
最後の言葉は、ノルマンより更に北方で信仰される、死者を導く精霊の名を自身とかぶとに冠したワルキュリアに対しての言葉だった。
「それは‥‥言えぬのう」
そうしてヘラクレイオスがもう一体をいた壁に追いやろうと盾を動かしながら、困惑とも苦渋ともつかぬ顔付きで唸った。だが遺族の許可が出たからと、ローシュやリョウと手早く地に臥させる。
そこにワルキュリアとブノワがそれぞれに近寄って、姿が崩れるまで浄化の呪文を唱えた。塵が散ったようにも見える地面をなぞったジェラールが、僅かに残った襤褸布を取り上げる。最後の二体には、確かに同じ紋章の入った帯が巻かれていたと分かったのはこのときだ。
「さ、墓地の様子を確かめないと」
いかにも厄介ごとが片付いてありがたいといった様子のジェラールとは異なり、苦いものでも飲んだような顔の冒険者は少なくなかった。
とはいえ、依頼は無事に完了したのである。
ただし、翌日には墓地の中の再点検ということで、一行は昨日と同じ道を辿っていた。遺族はまた入れないが、この日はメドック司祭とアンリエット助祭が揃って現れる。
「迷った魂に祈りを捧げないと、また騒動が起きるからねぇ」
「ズゥンビとは、実際にはどうして発生するものなのか、ご存知か?」
詭弁を弄すると同業者に怒鳴られた経験のある司祭は、真剣な顔でローシュの問いかけに答えた。
「それが分かっていたら、私は今頃大聖堂の頂点に立っているよ」
喰えないエルフだと、心底思った者がおそらく複数いただろうが‥‥皆、あえて何も言わなかった。実際にズゥンビがなぜ現れるかは、他の聖職者も確実なことは説明できないのだ。諸説あるにしても、真実は神ならぬ身には分からない。
「単なる、偶然ということか」
「そうだね。なにしろほら、墓が隣り合っている人達だから」
確かに異変が認められたのは、ぐるりと円で囲めそうな墓石のあたりだった。ブノワやアンリエットが口を揃えたところでは、土が下から盛り上がっているそうだ。身元を明らかにしていない四人分は、ここを異変が分からないように埋め戻す必要がある。
「そちらに花をあげたら駄目だよ。なに、後でマルグリット殿が来るときに供えてくれるさ。ここ、もう少し土が欲しいな」
口ばかり動かす司祭の指示でせっせと働いた彼らは、街に戻ると遺族はもちろん街の人々からも感謝されたが‥‥仕事が終わったとばかりに襲来した子供達の相手もすることになった。一度などアンジェリカが見目は同年代の子供達に連れ去られ、うち一人の家で親も含めて歓待されているのを発見された。当人は最初から最後まで、三歳の女の子にしがみつかれて逃げようがなかったらしい。
ちなみに、捜し歩いた中にはワルキュリアとシャルロッテは含まれていない。こちらの二人は領主の館で、その義母や侍女の話し相手に呼ばれてしまい、日が暮れるまで帰ってこなかった。シャルロッテは親が別の地方で領主をしている家柄で、ワルキュリアは作法教師だから、上品勝つ礼儀正しい振る舞いが気に入られたようだ。
年頃の孫を持つ領主の義母や、その侍女達に言われるのは『人間だったら、我が家の嫁に来て欲しいところ』。これを延々と繰り返された二人は、帰ってきたときには頬が引きつり気味だった。
それに対して、日中は子供の襲撃を迎え撃った男性陣は、アンジェリカを探しに行ったボルトとブノワ以外は夕暮れ前にはお役御免になった。後は仕事を終えた大人がやってきて、一杯やろうと声を掛けてくる。これを断ったらドワーフではないとばかりに、ローシュとヘラクレイオスは勇んで飛び出していき、リョウは年代の近い青年達に誘われて出掛けていった。
そんなわけで、アンジェリカとブノワ、ボルトが帰り際に教会に立ち寄った時には、冒険者は一人もいない状態だった。行き先はいずれも分かっているので問題はないのだが‥‥三人が思ったことは、実はリョウも思っている。
「あのお二人の飲み代、どなたが払うのでしょうかねぇ」
ボルトのおっとりとした物言いに、本人達に違いないとアンジェリカとブノワは思ったが、実際はどうだったのやら。大分遅くなってから、大変にご機嫌でドワーフの二人組みは戻ってきた。
リョウは、酒場で歌を披露して好評で、やはり遅くまで帰してもらえなかったようだ。夜の早いクレリック達は、全員就寝済みだったので、彼らがいつ戻ってきたのかよく知らない。
ただ。教会に立ち寄った三人は、メドック神父に呼び止められて、ブノワだけが木の皮で包んだ小さな包みを差し出された。ボルトとアンジェリカが注視する中、ブノワは低い声でなぜと問う。
「シフール便が、手紙の後にかばんの中に零れていたからってもう一度来たんだけど、それならほら、自分で渡したほうがいいと思って」
中身は見てないと神に誓った司祭から包みを受け取ったブノワは、珍しく押し黙ったままで教会の裏手に回っていった。彼の脳裏に、ドレスタットを出る際に友人から言われた『頑張れ』の言葉が蘇っていたかは定かではない‥‥ついでに意味が分かっていたかも。
「どうして、私たちはここにいないといけないのかしら」
「そんなの、私一人だと口を挟みたくなるからだよ。ところで、今度新しい教会を建てる話があるのだが、誰か来てくれそうな人物を知らないかね。種族は問わないんだが」
司祭がどこから手に入れた分からない発泡酒を舐めながら、一人入れ替わった三人は四方山話に花を咲かせていた。
墓地に出向いた遺族とジェラール、領主が教会に挨拶に寄った際、それを受けた冒険者が二人しかいなかったのは、そういう事情である。