聖なる母の元、集え支援者よ
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■ショートシナリオ
担当:龍河流
対応レベル:7〜11lv
難易度:やや難
成功報酬:4 G 14 C
参加人数:8人
サポート参加人数:4人
冒険期間:07月06日〜07月16日
リプレイ公開日:2005年07月15日
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●オープニング
その晩、彼らは大きなテントの中でよく眠っていたのだ。外に繋いだ馬やロバがいななき、焚き火の番をしていた青年が悲鳴を上げるまで。
慌てて飛び出した彼らは、後ろ足をえぐられて倒れるロバと、目を零れんばかりに見開いた青年と、それほど近くもない森の中へ逃げ込んでいく大きな影を幾つか、目撃した。
魔の森の伝説再び、である。
疲れた体で領主への報告を終え、後事を別の担当者に任せて仮宿の教会に戻ったヴィルヘルムは、エルフの司祭のメドックに差し招かれて食堂に腰を落ち着けた。
「教会建設の具体案はどうなったね。せめても場所は決まったのかな?」
「あのあたりで一番高いところにしましたよ。せいぜい何メートルのことですが。ちょいと地ならしすれば、予定していた広さは確保できるのでしょう」
ここの領主は文官で、荒事には向かないが経営とつくものには滅法強いと評判だ。そんな領主の下で戦争がなければ、領民は結構豊かに暮らせる。すると、着実に人口は増えてくるわけで。
領内の村々で養える人口から溢れる寸前の人々に新天地を作るために、これまでまったく手付かずだった地域に村を作ることにしたのが昨年のこと。一番の懸念事項だった近くの『魔の森』の魔物は先だって冒険者に討伐してもらい、新たな教会の神父としてヴィルヘルムが着任して、ようやく開拓地の図案を引き始めることになったのだが‥‥
その調査中に、こともあろうに『魔物』が出たのである。以前の魔物は大木の姿をしていたが、今度は違う。しかも複数だ。ロバが襲われて、後ろ足の肉をごっそり抉られたが、魔法のおかげでかろうじて命は助かった。その後、せわしなく歩かされて、今は領主の館の厩舎でひっくり返っているだろう。
「だから、教会がここだと、村の範囲がこんな感じで、問題の森との距離がこの程度。川に向かう方向に畑を拓いていくのが一番でしょう。土は悪くないから、天気がよければ色々と収穫できそうですよ。魔物退治すれば」
「魔物ねぇ。誰が討伐に行くんだろう?」
石板に簡単に書き付けられた開拓予定図を見ながら、メドックが興味深そうに呟いたのは魔物討伐のことだ。領主以下、ほとんどが文官で占められていると言われる領地には、もちろん騎士団なんてものはない。騎士がいても、騎士団というほどの人数ではないのだ。
だからこそ、以前は冒険者に討伐してもらったわけだが、ヴィルヘルムは非常に作為的な笑顔で応えた。
「そりゃあ、普通は領主お抱えの魔法使い集団でしょう。‥‥ちゃんと領内に全員揃ってて、魔の森相手に怖気つかなきゃ」
「無理だろう。そもそも今は四分の一しかいないよ。それに魔の森相手で戦えるなら、この前だって冒険者には頼まないんだよ」
「わかってますよ。子供のときに植え付けられた怖さは、なかなか忘れませんしねぇ。それに近くまでは行ったけど、素人が分け入るには厳しそうな場所だから、やっぱり冒険者でしょう」
人が入ったことのほとんどない森は、困ったことに獣道もない。以前にいた魔物のせいだが、今は別種の魔物が住み着いてしまったようだ。どちらにせよ、人の身で分け入るにはそれ相応の知識や経験が必要とされるだろう。
だから冒険者に頼めというのは短絡的だが、ここの領地の事情からすると決して間違った選択ではない。なにしろ騎士や戦士などの前線の担い手が少なく、また幼少時から言い聞かせられた魔の森の恐怖で緊張しきった討伐隊など、幾ら魔法使いがたくさんいても役には立たないからだ。
ヴィルヘルムは、まだにこやかな笑みをたたえて、続けた。
「それで教会ですが、皆の希望を聞いたら、揃って『ドレスタットの教会に負けない綺麗で立派なのがいい』とおぬかしあそばさりましてね。そんな金はないと言ったら、寄進を集めようと騒ぐんですよ。集めていいですか? いいですよね? もう預かっちゃったし」
対するメドックも、にっこり笑って返した。
「うちの領内には、質素な教会しかないと嘆く声が多くてね。皆がどうしてもと言うなら、まあ可能な範囲でステンドグラスを張ったらどうだね。だがね、領内のほとんどの住民は、もちろん寄進するほどの現金の持ち合わせなどないよ?」
農村で暮らしていれば、金貨など見なくても生活できる。多くのものは物々交換で手に入るからだ。
「来るじゃないですか。現金の持ち合わせがたくさんありそうで、気のいい、善男善女が。教会の建材に名前彫ってやるって言ったら、寄進してくれませんかね」
支払う報酬分だけでも置いていってくれたら、こちらも助かるんだけれど。そう聖職者らしからぬことを呟いたヴィルヘルムを、メドックはたしなめたりしなかった。
「君、その方法でドレスタットの商店をおとしたね? 買ったものの割に、請求が非常に少ないんで不思議だったんだが」
「店主夫婦と息子夫婦に、今度生まれる孫の名前までで、手を打ってもらいました」
「街の子供達に、石集めさせてるだろう」
「土台の隙間埋めに使うから、お祈りのときに握ってから持ってこいと言いましたよ? 大丈夫、領内全部でやればきっと文句は出ません。でも石ばっかりじゃ使い切れないから、他のものも考えないと」
そういう問題ではないはずだが、『これから建てる教会はすべての信徒のものだから』と言い切る威勢のよさに押されたか、単に同感だったのか、メドックは二度ほど頷いた。
「相手の善意を強制してはいけないが、踏みにじるのはもっといけない」
それは、くれると言ったら幾らでも貰っていいと意訳するのだろう。
「まあねぇ、綺麗で立派な教会を建てれば、そのことでより信心深くなれることを思い違いだと否定したら、道に迷う者もいるということで、慈母にはご納得いただきましょう」
聖俗の両面を見た台詞は、余人に聞かれなかったのが幸いだろう。
そして、ドレスタットの冒険者ギルドでは。
「魔物? 魔物と一口に言われても」
「大きな猿で、色は分かりません。数は最低三匹。それを退治して欲しいのですが、場所が人も獣もほとんど入ったことのない森なので、そうしたところに強い方を中心に集めていただければ。往復馬車は出しますが、食費までは余裕がないので自費でお願いします」
種類不明の大きな猿、なんと身の丈一八〇センチ前後、それが数不明で森の中にいるのを倒して欲しいという依頼が出されていた。
ついでに。
「なんです、この寄進歓迎、寄進者には建設中の教会石畳に名前を刻む権利を進呈って言うのは?」
「‥‥見なかったことにしてください」
依頼以外の話も出ていたが、とりあえずは猿退治なのである。
いろんな事情はさておいて。
●リプレイ本文
朝から馬車に詰め込まれようとする冒険者一行を見送ってくれる女性が三人ほどいた。それはそれで微笑ましい限りだが、その後の馬車の中では‥‥
「三角関係、しかも全員白クレリック。なんだか創作意欲が掻き立てられますわ!」
「なんか違うよー、それにさっきはおやっさんの膝ついてちゅーがいいって喜んでたのに」
聞きかじった話で無駄に興奮気味のニミュエ・ユーノ(ea2446)を、和紗彼方(ea3892)がおそらくたしなめている。あまり熱心ではないのは、当人からして話題を面白がっているからだが、この二人に挟まれたアルフレッド・アーツ(ea2100)は至極居心地が悪そうだ。
話題にされているブノワ・ブーランジェ(ea6505)とヘラクレイオス・ニケフォロス(ea7256)は、片や黙り込み、片や見送りの『心の星』についての賛辞を述べる対照的な態度を取っている。
「こういう時間は、出向いた先でのことを相談するものではないのか」
いかにも学者然とし、年齢に見合った落ち着きを見せるツヴァイン・シュプリメン(ea2601)の意見に、同調したのは栗花落永萌(ea4200)だけだ。ニミュエと彼方はヘラクレイオスの言葉を拡大解釈して、相変わらず勝手に盛り上がっているし、アルフレッドは飛ぶ隙間もないのでよろよろと永萌の隣に歩いて移動している最中だ。それにもう一人依頼を受けたアマツ・オオトリ(ea1842)はニミュエの馬で併走しているので、詳細な作戦などを相談するのには向かない状態だった。飼い主が乗れない馬を連れて行くのに、代理で走らせているのだ。
結局。
「騒がしい」
とツヴァインが『教育』するまで、しばらく賑やかな状態は続いていた。その後だって、実年齢は三倍ほど違う娘二人は、額をつき合わせて延々とおしゃべりに時間を費やしていたが。
すでに出立前に簡単な打ち合わせはしていたことでもあり、ヘラクレイオスはアルフレッド希望のナイフを使った縄ひょうもどきを作成していたが。
「縄をつけて投げるようには作られていないから、難しいのではありませんか」
苦労している二人の様子を見ていた永萌が口を挟んで、作業は一旦終わりになった。確かにナイフは投擲も出来るが、あくまで単体で投げることが基本だ。ロープにくくりつけると、シフールのアルフレッドが扱いに適した重さは超える可能性もある。
「ヴィルヘルムに何か用立ててもらえないか、尋ねてみましょうか」
ブノワの申し出に、今回の依頼の関係者であるヴィルヘルムの偏った情報だけ聞かされたアルフレッドが頷いてもいいのか迷ったのは、彼だけの内緒のことだ。
そうして、夜もとっぷりと更けてから依頼人になる領主が住む街に辿り着いた一行は、
「ついて来い? シフール用の武器だと? 報酬減らすぞ、まったく。明日の出発は少し遅らせろ。そしたら都合つける」
教会で司祭と助祭に出迎えられた後、開拓地の教会に赴任予定のヴィルヘルムの聖職者らしからぬ伝法な口調に迎えられた。とはいえ、案内役を務め、必要な情報をくれるのであれば、別に口調など気にならない者がほとんどだ。
「教会設立に寄進を募っていると聞いた。それはどちらにお預けすればよいかな」
ツヴァインは、口調より何より、『出向いた先で落とされでもしたら困る』と出立が遅れた翌朝に、街の出納を預かる役人に金貨を届けていた。他にアマツとブノワ、それから黒の信者ながら『白の教会の前で歌って、もらったお金だから』と屁理屈をこねて銅貨の小山を押し付けたニミュエも同様に役人を訪ねている。
役人は、金貨だけで二百枚を超える山にしばし呆然としていたようだ。
あとは、『半年順番待ちして、この間作ってもらったばかりだからちゃんと返してね』と同族に借り受けたシフール用のスリングを荷物に加えて、出発である。
「ヴィルヘルム殿は、剣も使われるのか? 神聖騎士殿だったかな」
「お守りだよ。使えるかというなら、林檎は割れる」
そんなことに使うものではないとアマツが思わず苦言を呈したのも当然、ショートソードはさすがに林檎を割る道具ではないからだ。ヴィルヘルムも本当にそんな真似をするつもりはないと苦笑したが、その前にはアマツがしていた仮面を『顔に傷がないなら』と剥ぎ取っているので、二人の間は微妙に離れていた。アマツが元々仲間と距離を置いているのを、ヴィルヘルムはわざと踏み込んでいる節があるので、二人の間でだけやたらと会話は交わされているのだが。
「なんであれ、一人増えれば見張りの負担が減る。変わり者でも仕方ないな」
それでいいのかと見上げてくるアルフレッドに、ツヴァインは鷹揚に頷いただけだった。
やがて、また真夜中に目的地近くに到着した一行は、森の近付き過ぎない距離でテントを張って休んだ。御者を乗せる余裕がなかったので、馬車と馬はそのままテントの近くに置くことになっている。大事な帰りの足でもあるから、これは死守しなくてはならない。
今回の目的地である通称『魔の森』は、最近まで長らくガヴィットウッドという植物のモンスターが巣くっていた。おかげで近付いた動物は捕食され、人も行方不明になるので誰も近付かなかった期間がかなり長い。
現在は開拓の計画もあり、いずれは人の手も入れることも予定されている森だが、まだ内部を詳細に確認したことはなかった。春先に、肉食獣もいないからと山羊と兎を五つがいずつ放ってはあるそうだ。兎は開拓準備に派遣される人々が捕らえて食べるため、山羊は獣道の一つもつけばよいという思惑の他に、これらが無事に過ごしていれば安全だという証明になって恐怖心も薄れるだろうと考えられていたのだが、おそらくは大猿に餌をくれてやった結果になっただろう。
なお、ガヴィットウッドの討伐依頼に参加していたヘラクレイオスからの要望で、討伐の際に作られた植生地図は借り受けた一行だが‥‥
「これは入れませんわ。よく茂ってるもの。ヤギがいれば川に出るための獣道くらい見えそうなものだけれど」
「相手が、サスカッチやエイプなら‥‥上から移動しているところは、見えるけど‥‥歩いてはちょっと‥‥」
ニミュエとアルフレッドの二人が、それぞれの知識と地図の内容、遠めに見た森の様子から揃って『中で歩き回るのは以前よりもっと困難』と断言した。ヘラクレイオスが依頼で訪れたのとは季節が違うから、下草の茂り具合も差がある。枝も密に葉を茂らせていれば見通しが悪いから、中で猿とやりあうのが危険なのは全員がすぐに理解したところだ。
ちなみにブノワが、ニミュエにいらぬ知識を植えつけた友人姉妹から聞いたところでは、目撃された猿はサスカッチにしては大きく、エイプにしては小さい。体毛の色が分かれば判断がつくのだが、ヴィルヘルムはじめ目撃者一同が『夜だったので黒っぽく見えた』と証言するのでは、どちらということは出来なかった。
「とにかく、おびき出してみればいいんだよね。ほい、おやっさん、餌あげる。先生、魔法の準備いい? そだ、とも君、ヴィルヘルムさんのショートソード借りたら?」
ヘラクレイオス、ツヴァイン、永萌に次々と声を掛けた彼方が、荷物から妙にしっかりくくられた包みを取り出した。それをヘラクレイオスに放りながら、今度はヴィルヘルムに寄っていってショートソードを貸せと手を出している。
とも君呼ばわりされた永萌は一瞬動きが止まったが、口を開いて何か言うことはなかった。気に入らないのかと、何人かが様子を伺っていたが、そういうわけでもないようだ。そもそも口数の少ない青年なので、真意を汲み取るのは難しい。ショートソードの重さと握り具合を確かめて、使うかどうか考えている間も無言だった。
その間に、ヴィルヘルムに使える魔法を尋ねたのはブノワだった。同じ白の神聖魔法を使うのだから、相手が使えない物を優先して使用する心積もりなのだろうが、リカバーとアンチドートのみと返されて、こちらもしばらく黙ってしまった。
「‥‥その分、実は剣が使えるなんてことはないでしょうね」
「俺が魔法を覚えたのは確かにパリ他の攻防でだが、前線に出たことはない」
ショートソードは父親の形見だと言われて、二ミュエがまだなにやら創作意欲を刺激されたらしい。先程までまた連れてきた馬に乗ろうとしていたが、それを試すほうが体力を消耗すると察してからは、二人の周囲を故郷の言葉で歌いながら回っている。当人はこっそり皆の緊張を解いているつもりだが、この中にはイギリス語を解する者も何人かいた。つまりは結構ばれている。刺激された創作意欲が呟かせたあれもこれも、全部聞かれているのだが‥‥幸いなことにブノワとヴィルヘルムはイギリス語が分からないようだ。
しばらく周囲を巡って、スリング用の小石を拾っていたアルフレッドが戻ってきて、ナイフを身に付けた。二ミュエの歌に訝しげな顔をして、
「偵察‥‥行って、いいですか?」
皆に伺いを立ててから、かなりの上空に上がっていった。彼はイギリス語が分かる一人だ。
ニミュエの歌声が止んだところで、ツヴァインが風向きを掴んで森に匂いを流す場所を指定した。ヘラクレイオスが彼方に渡された保存食と思われる包みをなかなか開かないのに、アマツと永萌が無言でなぜという気配をさせたが、中身を知って急かすことはしなかった。ものすごい臭いがする魚の干物のことは、実際か伝聞かでどちらも知っているのだろう。
「あれは絶対効くから。でもヴィルヘルムさん、荷物番一人で大丈夫? 遙を置いていこうか」
「犬がいたほうが猿の気を引くからいい。いざとなったら馬だけ連れて逃げるさ。結局使わないって言うし」
永萌が使い慣れたダガーとアイスチャクラのほうが危なげがないと判断したので、ヴィルヘルムはショートソードを腰につるしている。馬の扱いも慣れているようだと、彼方は犬の遙を連れて、皆が向かっている場所に走った。
ちょうど戻ってきたアルフレッドも、皆がいる場所からそれほど離れていないところで、不自然な枝のたわみが移動していると報告する。
「昼間のうちに幾らかでも倒しておけば、あとが楽じゃからの。さて、うまく行くとよいのう」
今回『心の星に見送ってもらって、張り切らずにおれようか』と最初からやる気に満ちていたヘラクレイオスが、まず焚き火を起こし始めた。猿が肉を焼いて食べるとは思わないが、匂いを遠方まで届かせるには焼くほうが簡単だ。
その間にブノワが全員にグットラックをかけて回ったが‥‥
「そのままでもよかったんじゃ」
と、呪文を唱え終えていたことに安堵しながら鼻を押さえた。全員、していることは同じだ。
とにかく、ものすごい匂いがした。普通の干し肉も焼いているのだが、そちらの匂いなどさっぱり分からない。煙の色まで普通と違って見えるのは、本当なのか気のせいか。ヘラクレイオスも追加するのは干し肉だけにしたようだ。
さすがの臭いに、種別不明の大猿もしばらくは姿を見せなかった。しかし干し肉の焼ける匂いが漂い始め、彼方が強烈な臭いの干物を森のほうに投げると、枝が揺れだした。ニミュエの飼い犬ハティと彼方の遙が、揃って唸り声を上げだした。先程まで、あまりの臭いに右往左往していたとは思えない勇ましさである。
「ハティ、あなたも猟犬なら行きなさい!」
無責任にけしかけたニミュエの言葉に従ってか、ハティが森に向かって走り出した。これに態度はともかく慌てたのは、永萌やアルフレッド、アマツなど前衛に入るはずだった者達である。あまり森に近寄って、犬だけ浚われては意味がない。
だが慌てても、彼らの行動は素早かった。永萌は小さく呪文を唱えてアイスチャクラを作り出し、アルフレッドはスリング用の小石を幾つか握って高い位置を取った。アマツは無言だったが、オーラを練ったのは見て知れる。それは焚き火から離れたヘラクレイオスも同じだった。彼方は抜き放った日本刀に、ツヴァインがバーニングソードを付与してくれるのを待っている。
この間に、猟犬だからか遙も獣の気配がするほうに走っていき、二頭の犬は激しく吠え立てだした。が、威勢がよかったのはここまでだ。
戻れの号令に、二頭はいささか遅れて反応した。森への一番手前に陣取ったアマツより頭一つ大きい姿は、獲物にはならなかったようだ。日常的に猟犬として使われているわけではないから、獲物を追い込む方法も体得しているとは言い難かろう。
「これはエイプのほうか。まだ中に隠れているものがいそうだな」
うまく一度で魔法を成功させたツヴァインが、数歩下がりつつ、そう口にする。体毛が茶褐色、身の丈が二メートルともなれば、聞いた話ではエイプなのである。今森から出てきたのは三頭、だが目撃されたこれより小さなものが見付からないのは、森から出てきていないからだろう。
だが、戻る犬に釣られて森から出てきたエイプも、本来の縄張りである森を出て動き回る気はあまりないようだ。犬はともかく、抜き身の刃を引っさげた男女は、エイプにも獲物には見えなかったのだろう。手近の干物だけ掴んで、早くも逃げ腰だ。
睨み合いつつ、少しずつ距離を縮めた冒険者側はもちろんここで一頭でも多くエイプを倒しておきたい。森の中に入り込んでの討伐はあまりに危険だ。
と、その距離を詰めきれずにいる間に、森の中から複数の鳴き声がした。それと共にエイプが身を翻そうとしたところへ、最初の一撃を打ち込んだのはアルフレッドだ。ダメージにはならなくとも、顔面に当たれば動きが鈍る。それにアマツが躍りかかって、背後から刃を降らせた。
別の一頭には永萌のアイスチャクラが投げつけられ、こちらも一瞬足が止まったところで、彼方がその足へと斬りかかる。倒れた体を踏み越えるようにして、干物を抱えたもう一頭を追うが、それはもう森の中に逃げ込んでいた。
ニミュエのムーンアローがそれを追うが、当たって悲鳴をあげたのかどうか分からない鳴き声が響いてきただけで、枝を渡る音はどんどんと遠ざかっていった。
彼方が斬りつけたエイプは、ヘラクレイオスがウォーアックスで頭を落とし、アマツが相手取ったほうはブノワがコアギュレイトを使って呪縛したので首筋へ刃を入れて止めとする。
一通り、この場での片が付いたのを見たアルフレッドが戻ってきて、上から確認したところを皆に報告した。それによれば、
「残りは、三頭‥‥だと、思います。一頭は、少し‥‥小さいかな」
「それが目撃されたものなのではないか? 少し小さいなら、大きさは合うだろう」
子供なのかもしれないと、話を聞いた一同が思ったのはツヴァインの言い分と同じだった。とにかく残った数が分かったのはありがたい。
モンスターと呼ばれようが動物が、すぐに戻ってくることはないだろうと念入りに火の始末をし、では死骸はどうするかとなったときにブノワが言った。
「胃に何も入っていなければ、餌でのおびき出しはまだ有効だと考えられますから。あとで埋めてやるにしても、次の手立てを決める確認はしておかないといけませんよね」
「誰がおなかをぴーって裂くんだよー。ブノワさん、出来ないでしょ」
腹を開いて胃の中身を見たいと言われて、返り血で手がべたべたすると嫌がっていた彼方が膨れて見せた。あまり本気ではないようで、汚れついでだからと刀を構えなおしたが、手の動きでそれを留めたのは永萌だった。
「そんな長い刃は向かないでしょう」
アマツも日本刀だし、ヘラクレイオスは斧なので、やはり向いていない。他はそもそも刃物を持っていないか、持っていても小さすぎる。それで永萌が手早いとはいかなかったが、一頭の腹を割いた。アルフレッドに教えてもらって開いた胃には、木の実か草だったと思しきどろりとしたものが僅かに入っているだけだ。
「山羊も兎も、とっくに食われたようじゃのう」
危険はないとみてか近付いてきたヴィルヘルムに説明がてら、ヘラクレイオスが呟いた。ツヴァインは二ミュエと、森の植生で実をつけそうな木がどれだけあったかを話し込んでいる。多少あったところで、あの図体を維持するだけの餌にはならないだろうと結論付けて、次の手を考えているらしい。
そして見物人を決め込んでいるヴィルヘルムは、転がっている死骸二つを見て、ぽんと手を打った。
「これを餌におびき寄せればいいんだな。量も多いし、この陽気なら内臓はすぐに腐って臭うだろう」
「皮をはがねばならんが」
「内臓だけ抜けば? 仲間だって分からなきゃ大丈夫」
わざわざ保存食を振舞うこともないと、あっけらかんとした態度のヴィルヘルムに、ニュミエが奇妙な笑顔で同意したいような言葉を口にした。
「わたくし、保存食を少し忘れてきましたの。だから早く終わって、帰りにどこかで買い物できると助かりますわ」
おびき寄せ用の食料の提供も出来ないのでと、殊勝な物言いだが最低限の準備をし忘れた彼女に、無口ではない人々が揃って注意か教育的な指導を告げた。
この間、永萌とアマツが黙々とエイプの死骸から内臓と取れるだけの肉を抜いている。
残った皮などは、野犬でも呼び寄せてはいけないので埋めることになるだろう。
この日はもう少しテントを森に近付けて、見張りも短時間で交代しながら務めることになった。エイプのおびき出しをしないことには、依頼が果たされないので安全ばかり優先は出来ない。自分とそれ以外の魔法を使う人々の睡眠時間をうまく確保して、見張りの順番を決めたツヴァインは、他にもてきぱきと野営前の準備を指揮した。冒険者以外の顔としては、かなり著名な考古学者のはずだが、どうも実践を伴う活動をするようだ。
永萌とアマツは、汚れたついででテントからよく見える場所にさばいたエイプの内臓を撒いた。これが今夜のうちに効果を発揮しなくて、また移動させられるのは嫌だと、どちらも心中では思っていた。戦うのは苦にならないが、腸を引きずって歩くのは嬉しくない。
永萌は性格上、アマツは様々に思うことがあって無口だが、何も感じないわけではないのだ。血まみれになって喜ぶ趣味もない。
彼らが心躍らない作業をしている間、ヘラクレイオスと二ミュエと彼方は飼い犬を連れて枯れ枝拾いをしていた。すぐ近くに走る川の岸には潅木が点在しているから、その細々した枝を何往復もしながら集めていく。夕食を作るための薪や夜営の間の明かり取りだけでも結構な量が必要なのに、ツヴァインがテントとおびき寄せ生肉回りに枝を巻いてエイプが近付いたら音で分かるようにしようと提案したものだから、途中からニュミエが自慢の駿馬まで駆り出して荷物持ちをさせたが時間が掛かる。
最後は、枯れ掛けた潅木を見つけたヘラクレイオスが、手斧で手際よく切り倒し、細かくしたものを運んで必要そうな量を手に入れた。今夜のところはこれでいいが、明日も野営となれば森に入らなくてはならない。自ら囮になるような真似は、もちろん避けるが懸命だ。
皆が地上で働いている間、延々と上空からの警戒に当たっていたアルフレッドは、保存食の肉と乾燥野菜で作ったスープの夕食を簡単に終えたヘラクレイオスが交代すると声を掛けたのを期に、いかにも安堵したような様子で下りてきた。大分離れたところで一度、エイプの移動らしい枝の動きがあったが、それも離れていったので今夜出てくるかは微妙なところらしい。
「大きくても‥‥動物ですから、痛い思いをしたら、逃げる‥‥と思い、ます」
だがそれが十分な餌がない森を離れることに繋がるとは限らない以上、何とかしておびき出して退治することは必要だった。
大きく焚き火を起こしての、見張りが始まる。
魔法を使う者は一定時間きちんと眠らないとならないというのは、多少の経験を積んだ冒険者なら当然知っていることだ。それでツヴァインは三交代にした見張りの最初に自分とニミュエ、最後にブノワとヴィルヘルムを割り振った。白クレリックは朝に強いものが多いからと、単にヴィルヘルムが持ち込んでいた開拓の計画書を邪魔されずに読んでみたかったからのようだ。
それは、確か魔法を使う彼らには良かっただろう。夜更かしついでに、他人の持ち込んだワインを味見と称して飲んだヘラクレイオスも、それなりに満足だったはずだ。ニュミエはハティの毛を梳いていたから、別に何も気にならなかった。
律儀かつ熱心に、でも無言で見張りの役目をこなした永萌とアマツと一緒に割り振られたアルフレッドだけが、『色々お話聞いてみたかった‥‥』と心の奥底で嘆いていたことには、多分誰も気付かなかっただろう。
そして、白クレリック二人と顔見知りだと主張して一緒の時間に割り振ってもらった彼方は、ものすごく上機嫌だった。さすがにブノワが寄進とは別に金貨百枚をヴィルヘルムに渡すつもりで用意してきたことを知ったときには驚いたのだが‥‥
「金もらってアンリエットの話をするのは、何か違わねぇ?」
「ブノさん、不器用さんだからっ。教えてあげなよ、神父様」
白クレリック二人の、ものすごく訝しげな顔付きは、この際無視する。ついでなので、周囲を見回す振りもした。異常はない。枝を踏む音もしない。空はかすかに白んできていたが。
「本人のことは本人に訊け。尋ねれば話すだろう、おまえには」
含みのあるヴィルヘルムの台詞に、彼方が首を傾げた途端に、耳には異音が届いた。直後に松明用に選り分けておいた枝をブノワが掴み、ヴィルヘルムはテントの中と外で寝ている人々をショートソードの鞘で叩いて起こした。
彼方は柄に手をやって、薄闇の向こうを観察する。枝を踏む音は続いているが、やはり人の歩く音とは異なっていた。間接の動きが違うからだろう。そもそも足のつき具合からして異なっている。
エイプが目指しているのが、撒いた肉片だと悟って、いささか気分が悪くなった彼方だが、他の皆の士気を下げてはいけないので堪える。と、ヘラクレイオスが気配を消したまま、自分達から離れていくのが見えた。アマツは反対側から、同様に離れていく。アマツは尋ねられても頷かなかったが、ナイト二人に魔法付与は必要ないからこういうときには動きが早い。
羽の音をかすかにさせて、アルフレッドも上に回りこんでいた。ツヴァインが何か囁いていたが、それがなんだったかは他の誰にも聞き取れない。他に聞こえるのは、永萌やブノワが呪文を唱える低い声だけだ。
冒険者一行が気付いているのは承知し、威嚇のために牙をむきながら移動していたエイプが、魔法発動の光を見て攻撃的な鳴き声をあげた。それでも逃げないのは、それだけ飢えが深刻なのだろう。少し小さな一頭は、人で言うならあばら骨が浮いて見えるほどにやせていた。
「ああいうのって、スリープもチャームも効きにくいんですのよね」
興奮して威嚇の鳴き声を上げ続けるもっとも大きなエイプを見て、ニミュエが困惑の呟きを唇に乗せた。手だけは忙しく焚き火を大きくすることに動いているが、移動はしていない。彼方や永萌の背後で、ブノワがグットラックを唱えるのを眺めていた。ツヴァインも彼方の日本刀にバーニングソードをかけて、後は魔力温存の構えだ。
ヘラクレイオスとアマツがエイプと森の狭間に到達したところで、永萌がアイスチャクラを投げた。それに合わせて、彼方がわざと大きな音を立てつつエイプへと走りこんでいく。実際には枝を踏み割る音ばかりで、早足程度の速度だ。エイプの注意をひきつけるのが目的だから、掛け声も大きい。
エイプ達の視線が狙い通りに彼方に向いたとき、もっとも小さな一頭に向けて上空から落とされたものがある。最初は液体で、次は落ちて硬い音を立てて近くに転がった。途端に、炎が上がる。
「あれは呪縛だな。森に入られると消火が大変だ」
幌をかけたランタンと油をアルフレッドに持たせたツヴァインが、アルフレッドの腕前を賞賛してから、ブノワを促した。自身はニミュエにフレイムエリベイション付与を始める。
予想外のことで一瞬言葉を失ったブノワも、すぐに呪文を紡ぎだした。二度続いたのは、死に物狂いで暴れるエイプを一度で呪縛し切れなかったからのようだ。
昨日の臭いとはまた違った悪臭が漂う中、永萌は二度目の、ニミュエは最初の魔法詠唱に入った。アマツとヘラクレイオスの移動を待つ間に効果時間が消費されたアイスチャクラを再度作り出し、ニミュエのムーンアローが飛んだのと同じエイプへ食い込ませる。
この間に、ヘラクレイオスとアマツ、彼方の三人はもっとも大柄なエイプへと踊りかかっていた。長い腕を振り回す相手に、まずはヘラクレイオスがウォーアックスで足を狙い、彼方とアマツは指を斬りおとす勢いで腕に刃を振るう。
アルフレッドがもう一往復して、さらに油を投下している間に、三人がかりで斬りかかられたエイプは身動きがままならない状態に追い込まれていた。呪縛されて炎に巻かれたエイプは、それ以前から動かない。
しかし、アイスチャクラの攻撃とムーンアローに晒されていた一頭は、コアギュレイトの影響を受ける前にひたすらに逃げ出していた。得物を持った三人が追うが、森に入り込まれて追跡を一旦諦める。いきなり飛び込めば、地の利があるエイプの返り討ちにされかねない。それに消火をしないと、炎はまだ上がったままだった。
火を消し、動かなくなった二頭の息が止まっているのを確認し、再度出火などしないように油を被った土を掘り返してから、武器や手などを洗って、朝食の後に残った一頭を追うことにした。一人二人、スープしか喉を通らなかった者もいるようだが、森の側で火を出したツヴァインは平然と言ったものだ。
「風向きも、森との距離も、最近の天候も考慮した。アルフレッド殿の腕前のよさもあるが、冷静に対処すれば問題など起こらない」
「森の中では、より冷静に対処してくれ」
ヴィルヘルムの呆れたような一言を合図に、一同は逃げた一頭を追うことにしたが。
「ムーンアローが飛んだ方角で、居場所はすぐに分かりますわ」
ニミュエの主張どおり、確かに方向はわかったが、下生えを払い、枝を打ちながらの移動は思いのほか時間が掛かり、アルフレッドの上空からの偵察と合わせてもなかなか目標のものにはたどり着かなかった。
たどり着いたとき、それがすでに事切れていたことを感謝した者は何人もいるだろう。これだけ茂った森の中で、そこを縄張りにする手負いの獣との戦いは容易ではないと神経を張り詰めていたので。
依頼達成の証拠に、また血まみれの死骸を引きずって歩くことになった何人かは、虫に刺されたり、服にかぎ裂きを作ったりしながらも、文句は言わずに戻っていった。
後は、死骸を埋めて、結果報告とニミュエの食糧難解消のために、依頼人のいる街に立ち寄ってドレスタットに戻ることになるだろう。
だが、世の中はそれほど甘くなかった。
「依頼期間中は、働いてもらってもいいんだろう?」
穏やかに微笑んで、そんなことを言ったのはメドックというエルフの司祭だった。彼方やブノワは結構よく、ヘラクレイオスはそこそこに知っている。食えない性格であるというのが彼らの一致した言い分だ。
街にいる間の食事と、落としたゆがんだランタンの修理は世話してあげるからと、口ぶりは優しかった司祭だが、割り振った仕事はなかなかにとんでもなかった。
例えばツヴァインは、精霊碑文学に造詣が深いと知られて、一日十時間ほど一軒の家に押し込められ、集まった男女相手に教師の真似事をさせられた。
ゆがんだランタンを直したのは、結局ヘラクレイオスだ。ついでに全員の武具の手入れもした、というか司祭にさせられた。
アルフレッドは森の地図を作りたかったと言ったので、今度派遣される調査隊の面々に現地の説明をやはり延々八時間。話し上手ではない彼にはなかなか大変だったようだ。
アマツは司祭に呼ばれて、どうも白の信者に間違いないか確認されていたが、その後は聖書の写本を朝から晩までやっていた。
永萌は、彼にしては珍しく『こちらの街が教会中心に作られると今回知った』と話したので、教会内の雑務に駆り出され、ついでに街の子供達の相手もする羽目に陥っていた。
二ミュエはアルフレッドと一緒に森の説明をしていたが、話が地図の作り方になったとたんに抜け出して、また寄進用の銅貨を集めていたらしい。
彼方は今回の依頼で汚れた皆の服を洗濯し、繕えるなら助祭のアンリエットと仕事をするように言われたが、経験不足で洗濯だけやっている。全然別のものも洗わされた。
代わりにブノワが繕い物をすることになったが、これまた教会と休息所という孤児、老人の生活の場での家事全般をやっていた。中には冒険者の食事も含まれている。
「相変わらず、司祭様って、ちゃっかりしてるよね」
遠慮のない彼方が評したこの言葉に、ヴィルヘルムがにやっと笑って返したことには。
「このあたりは白の信者がほとんどだが、黒の教会も近くの村にある。ジャパン人は一人だけだが住んでるし、それ以外の国の生まれもいなくはない。冒険者は言葉に堪能なのも多いから、昔から狙っているんだそうだ」
引退までせずとも、いつでも骨休めに来て構わないよと言う移住のお誘いを受けても、もちろん関心がないものもいる。骨休め程度ならいいがと笑っているヘラクレイオスなどはその筆頭だ。永萌、彼方も似たようなものだ。アマツはもっと真剣な面持ちで、端からその気がないと態度で示していた。
アルフレッドは魔の森の地図作りに興味はあるが、他のところにも行きたいしと、幾らか心残りな様子。ツヴァインは遺跡でもあればと、素っ気無い。ニミュエは『婚約者がいるから〜』と、多分断りなのだろう台詞を口にした。
「ま、気が向いたら人にも話してくれたらありがたい。その程度だな」
「その程度、にしてはこき使われたものだ」
ツヴァインが揶揄したが、ヴィルヘルムは食費出したしと悪びれない。司祭とはさぞかし気が合うに違いないと全員が思った。。
彼が助言料として金貨五十枚をブノワから取り立てたと知ったら、アルフレッドあたりはめまいでも起こしただろう。
なんにせよ、エイプの腑分けや野焼きまでした割には、のんびりとした雰囲気で依頼の最終日を迎えられそうなことになっていた。
「神父様、またブノさんからかってる」
「楽しそうではないか。しかし、あのお人はそればかりではないような気もするの」
勘のよい者は、手伝わされた仕事から、この領地の運営方法がいささか特殊なことは察し始めていた。