●リプレイ本文
聖夜祭が来ると、その年ももう終わりが近い。そして聖夜祭が終わる頃には、新しい年になっているのだ。
アルバート・オズボーン(eb2284)の場合、今年の終わりは常とは違っていた。冒険者になると家を飛び出してきたので、今までのように家族揃って聖夜を祝うことはない。だから先程、この一年あちこち連れまわして苦労を掛けた愛馬のアガ―テの体を念入りに拭いてやったところだが‥‥
「ここも、やらないわけにはいかないだろうな」
まだ、自宅の片付けが残っている。この前掃除したのはいつだったか、ちょっと思い出せなかった。
ドレスタットの祭りでは、港を遊覧する船上から陸地の明かりを眺めて楽しむことが出来るという。祭りといえば人の要望に応じた歌や演奏を披露することが当然の吟遊詩人グラス・フォレスト(ea3291)だが、今年はのんびりしてみようかと船着場を目指していた。船上もろうそくやランタンの灯で演出するらしいので、ろうそくも買い込んだ。そのときに道だって確認した。
でも、考えているのは、行く道のことではなく、これから見える景色のこと。
「船上と陸地に揺らめく灯り‥‥さぞかし見応えがあることでしょう」
期待に胸を膨らませている彼は、自分が教えられた道以外を歩いていることをまだ知らない。
聖夜祭は友人の結婚式の祝いに行こうか迷っていたガレット・ヴィルルノワ(ea5804)は、結局ドレスタットでミサに出席していた。自分が行くと、先にそこへ向かうことにしていた義姉が気を使いそうだったからだ。
聖夜祭などではたいてい一緒にいた、いて当然だった人がいないのは不思議だが、一人でミサに行けない歳ではない。帰りに賑やかな通りに出てもおかしくないような服を着て、首にはマフラーをぐるぐる巻きにしてから、彼女は出かけていた。ちょっと編みすぎた茶色のマフラーは、畳むときには林檎の香り袋を挟んだ、いい色合いのものである。ちょっと、いやかなり長すぎるのが難点だが‥‥教会を出て歩き出した彼女の不機嫌の種はマフラーではない。
ティルコット・ジーベンランセ(ea3173)が、先程から着かず離れず後ろを歩いているのだ。付いてこられるのは、多分迷惑だ。
片やティルコットは、実はようやく探し当てたガレットの後ろを歩きながら、ものすごく長いマフラーを眺めていた。おそらく彼の背丈の倍はある。それをぐるぐる巻きにしているガレットは、頭のてっぺんから肩の辺りまでがもこもこに膨れていた。しかも、あの茶色はそれほど彼女には似合わない。なにしろ赤毛に碧の瞳だ。服だって緑が多かったような気がするが、なんだって茶色なのか。
しかし、そんなことを直接指摘したらまた怒られるので、他愛もないことを言いながら、彼はガレットの後ろを歩き続けている。
朝一番に落ち合って、それから延々と屋台や綺麗に飾り付けられた店を見て周っていたエルフのイリア・アドミナル(ea2564)とジャイアントのファング・ダイモス(ea7482)だったが、これという買い物はしていなかった。なぜならイリアは品物を見て回り、どれがいいかと品定めをするだけで楽しかったからだ。この楽しみは色々買い揃えた後では、ファングに何がいいかと尋ねることが難しくなる。なぜなら、彼は夕方から港の遊覧に出向くための準備一切を持ってくれているからだ。
日頃依頼に出かけるときに比べたら、ささやかに過ぎる荷物だが、なにしろ今日は聖夜祭。街中をそぞろ歩いている人は、一体どこから出てきたのかと思うような人出になっている場所もある。そうしたところでかさばる荷物を持たせては、ゆっくり品定めは出来ないのだ。それで、品物は眺めるだけ、代わりに軽食や飲み物はおなかに入る限りはあれこれと試している。
当然、彼女一人がそれほど食べられるはずもないので、半分は味見と称してファングに押し付けているのだが。
「次はあれを食べてみましょうか。でも船の上でも何か出るかもしれませんし」
「では食べるのは後の楽しみにして、広場で何か見ましょうか」
イリアとファングは、何か買うたびにどちらが支払いをするかでもめてはいたのだが、毎回それでは大変なので、今は交互に支払いに落ち着いている。次の支払いはファングの予定で、このまま行けば乗船料は彼が払うことになるのだが‥‥
何か見付けてしまったイリアが、装飾品の並んだ一角で立ち止まってしまっている。
それからしばらくして。
「え、まだ出航の時間ではないはずですのに」
「予約で一杯になったから、客が揃ったところで出たんだな。うちの船に乗らない?」
貴族や有力者ではない人々が乗れる中では一、二を争うといわれる豪華な船での遊覧を夢見ていたイリアが、桟橋で呆然としていた。彼女が乗りたかったのは、小金持ちが競って予約を入れる船だったらしい。
桟橋を挟んだ反対側の船から誘いの声は掛かったが、はっきりきっぱり目当ての船より数段劣る。丈夫そうだが、その分優美さがないし、飾りも今ひとつ物足りないとイリアは厳しい目を向けたのだが‥‥
「どうしましょう? 他の船も見てきましょうか?」
待っていてくれれば探すとファングが言い出したので、考えを改めた。彼に手間を掛けさせるよりは、目の前の船で手を打つべきだ。
時々雪がちらつくし、一人で待っているなんてとんでもない。
でも、やっぱり聖夜祭くらいは張りこんで、いい船を予約しておくべきだったと後悔しきりのイリアの胸の内を知ってかしらずか、速やかに乗船料の支払いを済ませてしまったファングが海上に目をやって、こう口にした。
「イリアさんが言っていた船は、離れてみたほうが綺麗かもしれませんよ」
あんなに明るかったら、船の上から眺める夜景は霞んでしまったかもしれない。ある意味運が良かったですねと続けられ、イリアはかなり嬉しかった。
二人のランタンにも灯りを入れて、もうすぐ出航である。
港を灯火で飾り立てた船が港を埋めるような時間になっても、ティルコットはぶつぶつと自分を責めていた。別に自虐趣味はないが、目の前をつんつんしながら歩いているガレットに、何で気の利いたこと一つ言えないのか自分でも不思議なのだ。
いつもなら、あんなこともこんなことも言えるし、やれるのに、今日に限って調子が出ない。正確には言うぞと決めたことが言えない自分に不満がたっぷりなのだ。
「そのマフラー、絶対長いって。半分貰ってやるよ」
「やだ! せっかく作ったのに、半分に切れって言うわけ?」
すでに怒らせた回数は、数えられない。いつもだったら行動付きで、半分は自分の首に巻きつけたりするのだが‥‥近付けなかった。ガレットがずんずん歩いていってしまうから、ではない。
思わず、『俺って、かわいいとこあるじゃん』と思ってしまったティルコットだった。そんなことを考えても、ちっともいいことなどありはしないのだが。
ただ、ガレットはどこに行くのか、街中を延々とぐるぐる、ぐるぐると巡っているので、ティルコットも付いて歩く。たまに露店でガレットが好きそうな馬の縫い取りの入った布袋など見付けて、もちろん教えてやるのだが、ガレットは立ち止まらない。こういうときは可愛くない奴だと思うのだが、それでも彼は相変わらずガレットを追い回している。
もちろん、彼女が馬場に向かおうとしたものの、長い長いマフラーをしげしげと見られるのが嫌で街の中で放浪してしまっていることなど、ティルコットが気付くはずもない。
「ボナパルトが待ってるのに」
「だれだよ、そいつ!」
ガレットの愛馬の名前だというのに、すっかり忘れてティルコットは叫んでいる。非常に目立つ自称送り狼であった。
いつものことではあるのだが、グラスはただいま道に迷っていた。人に頼まれて歌いに出向くわけではなく、また急ぐ用事もありはしない。周囲に人気はないが、それほど遠くないところから賑わいが聞こえるし、灯火を頼りに歩いていけば戻れるはずだ。
そう悩むこともなく、海上に浮かぶ船の灯りを眺めてしばらく目を楽しませていたグラスは、そのうちにオカリナを取り出した。そもそもたまには仕事ではなく、音楽を楽しもうと家を出てきたのだから、人気がないのはこの場合幸運だ。心行くまで、オカリナを吹くことが出来る。
ろうそくの小さな明かりの中、彼は好きな曲を吹き続けていた。
同じ桟橋の近くで、アルバートは眺めを楽しむ場所を探していて、不意に聞こえた曲を耳にした。会場にはたくさんの船が、これまた多くの灯火を乗せて、陸地の人々の目を楽しませている。そんな自分達が持っているランタンやろうそくも、今度は船上の人々に楽しまれているはずだが、暗いところから聞こえる音楽とは珍しい。
どこに行っても、そぞろ歩きを楽しむ男女と行き会うのでそれを避けているうちに、行き着いたところでも誰か先客がいたようだ。待ち合わせかと尋ねれば予想外の答えに、アルバートは傍らまで近付いた。
なにしろグラスは傍らに立てていたろうそくが吹き消され、そのままではどうにもならない状態に陥っていたからだ。さすがに間違って海に落ちでもされたら、アルバートも気分が良くない。グラスはまったく慌てた様子もないけれど。
「すみません。いや、友人のところに行こうかとも思ったんですけれど」
「なんだったら送ってやろうか? 俺も適当に賑やかなところで飯を食うつもりだし」
「いえ。よく考えたら、友人もどこにいるのか聞いていませんでしたから」
そんなことまで聞いてしまっては、アルバートもさすがに大きな通りまで来てさよならとは行かなかった。
しばらくして。
冒険者街から幾らか離れた、客層も多少余裕がある雰囲気の家族連れが多い食堂に腰を落ち着けたグラスとアルバートは、独り身同士の気楽な食事をしていた。その店を選んだのは、まずは非常においしそうな匂いが漂っていたからだ。
それに、家族連れが楽しそうにしているのを眺めるだけでも、ほのぼのとした気分になれる。冒険者相手の店の、雑多で騒々しいほどの賑わいも悪くはないが、たまには団欒の雰囲気だけ味わうのも悪くはない。なにしろ今夜は聖夜である。
ただ、いかにもその食堂の客から浮き上がっていたアルバートは、子供の一人に何をしている人かと無邪気な問いをぶつけられた。どうやらこの店は、家族のいる職人衆が多いらしい。そこでナイトだと素直に答え、ついでにグラスはバードだと告げたところ。
「悪い。そういうつもりではなかったんだが‥‥」
「歌うのは構いませんので、話の種になるようなことを聞かせてくださいね」
ナイトだったら、さぞかし活躍したことがあるに違いない。ドラゴンと戦ったことはあるのかなどと尋ねられ、すっかり注目を浴びた二人は、ただいま小声で相談中だ。幸いアルバートは冒険者としてあちこちに出向いているが、それを語る才能はない。代わりに冒険者としてはさほど仕事を請けていないグラスは、吟遊詩人としてそれなりの才能と実力があった。
ひょんなことで、随分と知り合うはめになった二人がこの店から解放されるのは、まだまだ先のことだろう。
散々人に付きまとった挙げ句に、愛馬の名前を誰だと噛み付いてきた馬鹿者を構ってやる必要はなかったのだが、すでに日も暮れている。こんな時間ではボナパルトを走らせるわけにもいかないし、もう夕飯時だ。馬場に行くのは明日にして、ガレットは自分の家の前まで帰り着いていた。
義姉はいないし、あいにくと友人達とも約束をしていない。今までは、独りで聖夜を過ごすなんて考えたこともなかったのに、今年はいきなり自分一人だ。
いや、もう一人背後にいるが、珍しくも黙ったまま。もしかして、何か悪いものでは食べたのかもしれない。今日はずっと様子が変だ。それともようやく自分の浅薄さに気付いて、聖夜祭を機に態度を改める気になったのか。
と思って、そんなことを考えていたら自分に付きまとわないと気付いたガレットだった。だいたい送り狼なんぞと言っていたし。とりあえず、マフラーを外しつつ言ってみる。
「家に着いたんだけど」
「うん。無事でなによりだ」
てっきり家に入れろと言ってくるかと思っていたティルコットが、帰ろうとするかのよう一歩下がったので、ガレットは自分の目を疑った。ここまで追い回しておいて、と思わなくない。
すると。
「‥‥歯が」
「いやあのな、唇にしたのはお前が初めてじゃん? ちょっと間違えたって言うか、勢いが余ったんだよ。ごめん、痛い? 傷になってたら‥‥責任取るぞ」
自分も前歯の辺りを押さえながら、ティルコットがとんでもないことを言ったので、ガレットは思わず彼の頭をはたいていた。雰囲気なんぞ期待してはいなかったが、ここまで勢いだけの奴だとは‥‥よく知っていたような気もする。
開いた扉の前で口をぽかんと開けたティルコットを、ガレットは今までとはちょっと違った思いで眺めるようになっていた。
波間を漂うような船の上で、ファングはワインを飲んでいるイリアを眺めていた。種族が違う彼と彼女の関係を、たいていの人はどこかのお嬢さんがお目付け役兼護衛を連れて、船遊びを楽しんでいるとでも思うらしい。街中で買い物をしているときも、イリアが財布を出すと怪訝そうな顔をする人が多かったものだ。
見るからに上質の服を着て、時にラテン語の聖句をすらすらと口にしながら歩いているイリアが良家のお嬢さんに見えるのも無理のないことで、ファングは祭りで浮き足立つ人を狙う不埒な輩がイリアに近付かないように、こまめに目を配ってもいた。さすがに船の上では、酔っ払いが絡んでいかないようにだけ気をつけていればよい。
「あら、あちらの船ではみんな踊ってますね」
海上を漂ってくる音楽に耳を済ませながら、イリアが指したのは貴族か富裕な商人のものと思しき船だった。乗っている人数は少なく、中に楽団がいて、おりしも曲を奏でだしたところ。ファングにも甲板で人々が踊っているのは見て取れた。
甲板に多数吊るされたランタンの灯りの向こうで踊る人々は、現実味が乏しくて、なにやら不思議な光景である。イリアがそれに見入っているので、ファングも同様にそちらに目を向けていたのだが‥‥不意に目の前に手を出されて面食らった。
「踊りましょう」
「ああいった踊りは、あいにくと知らないのですが」
「大丈夫です。僕も知りません」
でも故郷の祭りで踊ったことがないわけではない。どうも酔っ払ってきたらしいイリアの手を取らされて、ファングは故郷を出る前のことを必死に思い出していた。彼らは同じ国の生まれだから、きっと祭りの踊りも似ているに違いない。そう思うことにした。
けれども、やはり地方や種族が違えば全然違ったらしく、二人の踊りは時折イリアがファングの足の上に乗っかるものになっていたが、周囲も同様だったので誰も笑いはしなかった。なにしろ皆、それなりに飲んでいるのだ。
それでもドレスタットのそこここで、乾杯の声が途切れることはない。