●リプレイ本文
ミサの後、賑やかな界隈を通り抜けて、ちょっと風に当たろうかと港のほうに足を向けていたピピン・サクシア(eb2579)は、道の真ん中でうずくまっている男を一人発見した。どこかに出掛けるのか戻るのか、ランタンを持っていたらしい。らしいとなるのは、それを地面に置いて、本人が四つんばいでぜえぜえと肩を揺らしているからだ。
ここで盛り場に慣れた者なら、意識もあるので放っておくか、一声掛けて様子を確認するだけに留めるのだが、ピピンはもう少し親切だった。いや、こういう状態の振りをして善意の者を近寄らせ強盗を働く者や、逆の立場で金品を漁る方法があることは知っているが、相手がそういう気配を放っているかはある程度察せられる。
なにより、新年を迎えた今日この日にまで、そんなことを気にして苦しんでいる者を見捨てるのでは、聖母が嘆かれるだろう。ジャパン人は、新年最初の日に一年の計を立てると聞くし。
そんなわけで、親切心を全開にしたピピンは、その酔っ払いを助け起こした。
そんなささやかな事件の少し前。
新年になってたいして経っていない酒場『竜騎亭』では、アニエス・グラン・クリュ(eb2949)とイサ・パースロー(ea6942)が編み物の仕上げをしていた。源真結夏(ea7171)はセレスト・グラン・クリュ(eb3537)の監督の下で、親代わりのヴァルフェル・カーネリアンに見守られつつ裁縫の修行中である。
アニエスの編み物はおおむね形になっているし、イサの作った帽子は赤ん坊用の可愛らしい大きさに綺麗な模様が編みこまれている。しかし。
「だいじょーぶー? 血がついたら駄目なのよ?」
「指目掛けて針を刺してはならぬというにっ」
リースス・レーニス(ea5886)と紅天華(ea0926)が酒盃を放り出して身を乗り出している。乗り出された結夏は引きつり加減の顔付きで、また指先に布を貫通した針を突き立てている。製作中のオムツが血に濡れるのも、もうすぐかもしれなかった。
「一杯やって、緊張をほぐしたらよかろうて。ディアヌ殿、そちらに勧めたわけではないぞ?」
やはり様子を眺めていたヘラクレイオス・ニケフォロス(ea7256)も苦笑しつつ、新しい杯にワインを注いだのだが、店主のディアヌが手を出したので反対側に押しやったりと忙しい。出産間近の妊婦に飲ませるなと、神聖騎士にして産婆のセレストが厳命しているからだ。ついでに、これから二人目の甥か姪が生まれることになるディアヌの弟のアンリも、目を三角にして怒っていた。
「なによぉっ、皆で見るから緊張するんでしょ!」
かんしゃくを起こした結夏が振り回した拳が、引越しの挨拶に寄ったセレストの弟のブノワに当たっている。イサがおやおやと肩をすくめているが、どちらに対しても同情の言葉はなかった。代わりに。
「せっかくですから一休みいたしましょうか。久し振りにお会いする方とは積もる話もあることですし」
一応は助け舟を出してくれたのかと、結夏が思ったのは甘かった。改めて目一杯飲めると思ったヘラクレイオスもだ。
「これ、ブノワに結婚のお祝いです。それで、他の方にもおめでたい話があるようなので、お聞かせいただければ楽しいのではないかと愚考する次第ですが」
「私知ってるよー。ブノワの結婚式も見たしねー、おじさんはね」
何が愚考する次第だと、心当たりのある一同がこっそり拳を握り締めたことなど知る由もなく、リーススがはいはいと両手を挙げて自分の存在を誇示している。その両手に、つまんで食べられる料理が握られているのはご愛嬌だ。
こちらは赤ちゃん用の靴下を編み上げたアニエスが、どきどきとわくわくを混ぜ合わせた表情でリーススとヘラクレイオスや結夏を見回している。最後にイサを見上げ、にっこりと笑い返されて、思わず笑い返していた。
「聖夜祭は、めでたい話が多いようじゃのう」
そうしたことにはあまり興味がなさそうな天華は、薬草酒の瓶を覗いては、使われている薬草や香草の種類を当てるのに熱中し始めた。その細い体のどこに入るのかわからないが、料理もしっかりと自分の分を確保している。
美人が一人悠然と飲んでいるのも見ものではあるのだが、リーススがあれこれと先の依頼で見たことを語っているし、店内のひしめく酔っ払いはおおむねそちらに気を取られていた。そのはずだったが。
「ひょいひょい手を出すかは、その男にもよるだろ。言い寄られなくたって、自分で寄ってく男も、寄られて逃げ腰になる男もいるし」
「何があったんですか、結夏さん。今、この耳でしかと聞きましたよ」
「言い寄る女に手を出す? あたしも聞いたからね?」
イサとセレストに詰め寄られた結夏が、裁縫のときに増して顔を引きつらせている横では、あまりの勢いに呆然としているアニエスとリーススがいた。巻き込まれずに済んだヘラクレイオスは、ちゃっかりと天華が『上物』と断言した薬草酒の味を確かめている。
同じ酒を『身体にいいから』と飲もうとしていたディアヌは、アンリにまたしこたま怒られていたが‥‥
「なぁんかねぇ、生まれぇるかぁもぉ」
と、言い出していた。
「あー、誰か港外れの姐さんを呼んで来いよ」
「よし、オレが行くぞー」
常連の一人がランタンを一つ取り上げて走って出たが、この地域の産婆が到着するまでにはそれなりに時間が掛かるだろう。常連の男どもは大変大変と口走るばかりで、あまり役に立ちそうはない。
「これから飲めると思ったのに。いいところだったのに‥‥」
「セレストー、セレストー、出番だよ。すごいね、セレストがいるときに生まれるなんて、赤ちゃんの匂いがわかるの?」
がっくりとうなだれているセレストの横で、リーススが意味もなくぴょこんひょこん跳ね回りながら、不思議なことを言っている。と、天華に摘ままれて、かまどの前に押しやられた。
「本職もおるのに、手をこまねいている場合ではない。湯を沸かせ。男衆は外に出ておれ」
天華の勢いに危うく寒風吹きすさぶ屋外に叩き出される寸前だった常連達だが、『竜騎亭』には幸い小部屋がある。夫のダカンと結夏でそちらに運び込むことにして、イサがまずは女性陣にグッドラックを付与した。ついでに飲んでいた人々にはアンチドートもだ。
そんな至れり尽くせり状態だというのに、肝心のディアヌはまだほざいている。
「おさぁけぇ」
「生む時に出血したら、酒が入ってると死ぬわよ!」
今いる中では唯一の出産経験者にして産婆のセレストに怒鳴られて、ディアヌが叫ぶのは止まったが、しばらくすると痛いと悲鳴が上がった。
「お湯でも沸かしましょうか」
「それくらいしか役に立たなかろうが、全員でかまどに張り付くわけにもいかぬし、わしはおいとましようかの。引越しの準備もまだ途中じゃ」
どなたかお待ちですかというイサのからかいは軽くいなして、ヘラクレイオスは代金を置いて帰っていった。帰り際に常連達と『生まれてくる赤子に乾杯!』とやり、代金もけっこうな額を置いていこうとしてアンリにしっかりとおつりを返された後に。
イサはかまどの前に陣取って、湯を沸かし、まだオムツになっていない布を集めている。
「赤ん坊は男女問わず可愛いのでしょうが、彼女に似た女の子だったら、絶対に愛らしいですよね。本当にそうだったらどうしたらいいものか。母親似の女の子はいいですねぇ」
やっていることはしっかりしているが、言うことをきちんと聞くと、どうやらディアヌのことではなく、自分の恋人の話をしているらしい。多分彼は酔っ払っている。
そして、店の奥では。
「まあ、おっつけこの地域のお姉さまも来るだろうけど、それまでも心配せずにいなさい。逆子の心配はないかしら」
とりあえず付いてきたアニエスとリーススが、ディアヌの汗を拭いてやっている間にてきぱきと商売道具を出したセレストがおなかに触れて、難しい顔になった。
「なに? なんかあるなら、あたし、産婆さん迎えに行くけど?」
結夏がおぶってでも走ると決意を固めかけたが、出産そのものには問題がないらしい。ただ、一緒になって触っていた天華が、ついでに耳まで当てて言う。
「双子のようじゃな」
「そぉうなぁのぉ、いてて」
初産で双子は時間が掛かるかもと悩んでいるセレストの横で、天華と結夏とリーススはふんふんと新しい知識を身に付けていた。アニエスはセレストの娘なので、このくらいのことはすでに聞いたことがあるらしい。
しばらく痛いと騒いでいたディアヌが落ち着くと、また『陣痛は痛かったり、収まったりするのか』と結夏とリーススが頷きあっている。
ついでにリーススは、ディアヌの気の紛らわせるべく『あかちゃんの歌』を歌いだした。他にも頭の中には『おかーさんになった歌』『あかちゃんが元気でおっきくなりますようにの歌』などが渦巻いているらしいが、そちらはまだ歌うのは先だ。
アニエスは店と小部屋を往復して、布や飲み物などを運んでいる。一度ワインの瓶を運んできて、慌てて戻しにも行った。ディアヌが見たら、また飲みたいと騒ぐからだ。それが終わると、赤ちゃんの心音を聞かせてもらう。
同じようなことをしていた天華と結夏は、しばらく手持ち無沙汰に座り込んでいた。必要なものも一式あるし、セレストがいれば大抵のことには対応してもらえるし、ディアヌがたまに動きたいと言った時に手を貸すくらいしか仕事がない。あんまり退屈で、結夏は先程から自分で縫ったオムツを開いたり畳んだりしているし、天華は自分が弟妹を取り上げたときの経験談を語り始めた。途中から、公現節後はケンブリッジの騎士訓練校に向かうアニエスを交えて、この後どうするかなどとも語り合っている。
けれども、その方向性が変わったのは。
「あかちゃんは男の子かな、女の子かな? お名前はどうするの?」
そうリーススが口にしたからだ。双子のようだが、性別は生まれてみないと分からない。男二人か、女二人か、それとも男女かで盛り上がり始めた四人を横目に、セレストはディアヌに洗礼のことなど教えていたのだが、また思わず怒鳴りそうになった。
「双子だって分かってたなら、旦那様には言っておきなさい」
「びぃっ、痛い痛い」
びっくりさせようと思ったとかなんとか言おうとしていたディアヌが、また陣痛が来たと訴えるので、女性陣は腰をさすってやったり、汗を拭いたりし始めたのだが‥‥皆、そろそろ思っていた。
どうして、迎えに行った産婆さんは来ないのだろう?
その頃、酔っ払いを助けて聖母様に喜んでもらったはずのピピンは、夜道を早足に進んでいた。右手にランタン、左手に大きな鞄、傍らにはかなり年配のエルフの女性がいる。
「この角を右ですか? あの明るい店でしょうか」
「そうだよ。あっ、もう生まれてるじゃないかっ」
産婆を迎えに行く途中で酔いが回って倒れそうだった男を助け、彼に付き添って目的地までいった後、今度は荷物持ちとして産婆に同行している。人助けもここまで来れば、今年一年は気持ちよく過ごせることだろう。
ついでなので、彼はジャパンの祝福の儀式と聞いた『弓の弦を百八回鳴らす』をやるつもりでもある。実は祝福の儀式ではないが、それを指摘できる人物は奥の小部屋にいるので、常連客達は素直に喜ぶことだろう。
しばらく後になって、セレストは疲れ果てていた。
「片方だけでも取り上げられて、まあ悪くはないがね」
噂には聞いていた、『この周辺の赤ん坊の大半を取り上げた先達』は、ディアヌの家族を祖父母の代から取り上げているつわものだった。迎えが遅れたのと、思いのほか出産が早かったので、双子の片方を取り上げたセレストに、恨み言を言うのだ。家族四代、全員取り上げるのが夢だったらしい。
そんなこと言われても、セレストだって困る。
ちなみに彼女が取り上げたのは女の子、先達は男の子だった。名前は父親のダカンが考えていた、ノエルとリーヴに決まったようだ。双子だと知らなかった彼は、考えた名前がどちらも無駄にならずに喜んでいる。
そんなダカンには、結夏とリーススが赤ん坊を抱き上げて、落としそうになったのは内緒だ。天華とアニエスは、足りなくなった靴下を片方ずつ編むことにしている。帽子はイサが頑張るはず。
ピピンは祝い酒の中に飲み込まれて、容易には抜け出せそうにないが、当人が楽しんでいるのでよいのだろう。
赤ん坊が生まれた翌々日、祝い酒も抜けた人々はそれぞれの生活に戻っていた。
「配達人さん、パリまでよろしくお願いします」
アニエスはパリにいる友人に手紙をしたためた。返事はケンブリッジで受け取ることになるだろうか。
「アニエスがいなくなっちゃうの、つまんなーい。また遊んでね?」
リーススは一日かけて赤ちゃんに歌を聞かせて満足し、歳の離れた友達の出発を残念がっている。でも、そのうちに会いに行くのも面白いかもと考えたりもする。
「ほら、忘れ物があっても送ってあげませんからね」
セレストは『出産って女の特権よね』とダカンや常連達を敬服させていた威勢はどこへやら、よくいる母親の顔になって娘の荷物を確かめていた。
「私もまだまだ学び足りぬゆえ‥‥立ち止まってはおれんな」
ちゃっかりと『竜騎亭』から薬草酒と料理のお持ち帰りをした天華は、知らなかった薬草のブレンドに目を細めて、次はどこで学ぼうかと考えている。
「‥‥いくら事情があっても、朝帰りは不味かったですね。ええ、わかってますとも」
祝い酒もあって、珍しく酒が過ぎたイサは、そのことも含めて誰かに怒られたのか、非常に悩んでいた。女性に機嫌を直してもらうのにも、男はあまり役に立たないものらしい。
「赤ん坊はかわいかったです。また寄らせてもらいましょう」
ピピンは朝方になって見せてもらった双子のふにゃっとした笑い顔ともしかめっ面ともつかない顔を思い出して、幸せ気分を満喫している。可愛いものは、やはり目に楽しい。
「さぁって、目的も達したし、あの馬鹿に文句言いに行かなきゃ」
結夏は『赤ん坊を抱く』という目的を果たして、妙に気合を入れつつ、引越しの準備をしていた。それはそれは、気合が入りまくっている。
そうして、ドレスタットを少し離れたところでは、ヘラクレイオスが。
「かような次第で、住まいを移すことになりましてな。そのご挨拶と、こちらのワインのことでお願いがあるのじゃが」
「ニルのお酒がほしいのね! たっくさん作っておいてあげたわよ、うれしい?」
以前の依頼で世話になって知己を訪ねていた。確かに用件は相手の一人が言うとおりなので、素直にお願いをする。そして、驚かされた。
「ブレダのご領主には息子がお世話になっていますので、たいていのことは融通いたしますよ」
世界はとても広いが、世の中は案外狭い。
だから、今まで出逢った誰かとまたどこかで出会うことなんて、きっと珍しくはないのだ。