●リプレイ本文
子供の笑い声が優しく吹き抜ける風に乗って街道に響く。
鬼嶋美希(ea1369)が歌遊びで手を合わせる度に楽しげな笑い声が起こる。その様子を見ながら父親である男は溜息をついた。
「咄嗟とは言え、無体な嘘をついたものだな」
横を歩く父親に向って丙鞆雅(ea7918)は小さく呟く。
「余裕がありませんでした。一刻も早くあの場所を離れたかったのです」
父親は小さくそう呟いた。
事の経緯は聞いている。
森の中に入り、途中の小屋で一休みし、そこで鬼の集団に襲われた。森の中を逃げる途中、母親が一人残って息子を父親に託したという。
「息子を抱えて走れるのは私だけだと女房は‥」
視線をやや下に向けて、男は奥歯を噛み締めた。妻が死んだ所は見ていない。
息子を口実にしたが、或いは自分が納得したかっただけなのかもしれない。妻が森の神に身を捧げて自分達を守ってくれた。無残に鬼に殺されたとは思いたくなかった。
男は涙混じりにそう答えた。
「‥嘘も貫き通せば真実になる。しかしそれに全てを賭けられる精神の気高さが必要だ。‥とは言え、苦しいな」
男は答えなかった。ただ、美希と遊ぶ我が子をじっと見つめる。
「私にはどうする事も出来ません。あの子を、女房の分まで護らなくてはならない。だから、せめて‥」
言葉に詰まり、震える男の肩を鞆雅はポンと叩いた。
「それ以上は言うな。充分わかった。敵討ちは俺達に任せておけ」
自らの手で仇を討てない苦しみを口にしないこの男の心の強さを鞆雅は見た気がした。
●正体
「一つ聞いておきたい事があるのよねぇん」
威風堂々とした体格でありながら、どういうわけか似つかわしくない仕種と口調とで話し掛けてくる渡部不知火(ea6130)に最初は戸惑った。だが趣味趣向が変わっているだけだと直ぐに知れる。
「どうしてわざわざ森の中を通ったのかしらねぇん?」
街道沿いに歩いていれば森の奥深くまで入り込む事もない。
鬼が大挙して森から出てきたというなら大事だ。
「街道沿いに小屋があって。そこに立ち寄ったのがいけなかったのです」
一休みと思って立ち寄った小屋には住んでいた老婆が元凶だった。
「その老婆が鬼だったんだね」
確認するように冬呼国銀雪(ea3681)が訊く。由々しき事態だった。人に化けて鬼が住む。となれば犠牲者はこの親子だけではないだろう。ならば僧として他に犠牲になった者達の供養もせねばなるまい。
「ならば、その鬼とやらを退治しなくてはならないな」
遠巻きに話を聞いていたバーク・ダンロック(ea7871)が、上から覗き込むようにして言う。まだこの国の難しい会話にはついていけない。やれる事だけをきっちりとこなすつもりだった。
「それじゃあ、後は森で見た男の子だけよねぇん?」
「しかし、何も分らないのだろう? 実際に出会ってみるまではなにも分らないんじゃないか?」
鞆雅ならずとも気になるが仕方がない。危険は伴うかもしれないが、まずは森へと入るしかないだろう。
「見えてきたよ」と銀雪が森の木々を指差した。
●願い
明るく笑っていた坊が、森の木々が視界に広がるにつれ笑顔をなくしていくのを見て、美希は怪訝な表情をした。
「なあ、坊。どうしても森の神様の所にお願いしに行くのか?」
優しく問いかける美希の言葉に坊は頑なな表情で首を縦に振った。
「そうか‥。じゃあ、もし森の神様が代わりに坊の大切なものをくれと言ったら、どうする?」
じっと森を見つめたまま坊は言う。
「何でも、やる」
美希はもう一度訊いた。
「もしおとうと交換だといったら?」
「そんなの嫌だ!」
それでも坊は振り向かない。ただ目には涙が溜まっていた。
「でもな、坊。おっかぁは坊の為に森の神様の所に行っちまったんだぞ。でな、森の神様ん所には大人しか行けねぇ。で行っちまったらもう帰って来れないんだ。でも、そこは何処でも好きな所を見る事は出来るらしい。きっと坊のおっかぁは坊を見てくれてる筈だ」
目を合わせようとしない坊の近くに顔を寄せ、膝を落して、美希は目線の高さを合わせる。坊の唇が小さく震えていた。
「嫌だ! おとうもおっかあも一緒にいるんだ! そんな事を言うなら、美希姉ぇなんて嫌いだ!」
一度だけ瞬きをした目から、涙がすっと流れる。
それを見て、美希は「しまったな」と頭を掻いた。せっかく仲良くなれていたのに。
そこに歩調を合わせた銀雪が寄り、美希に目配せをする。
「坊がお願いすれば、森の神様もおっかあの所へ行かせてくれるかもしれないけど、そうしたらおとうが一人になっちゃうよ? それでもいいの?」
「‥嫌だ」
小さな声に耳を澄ますように、銀雪が坊の顔を覗き込む。
「嫌だ、嫌だ、嫌だ! 森の神様にお願いする。おっかあを返してくれってお願いするんだ!」
突然大声を上げて、坊は地団駄を踏んだ。銀雪は思わず驚いて身を引いてしまう。その坊を後ろから近付いた不知火がひょいと抱え上げた。
「あぁら、どうしたのねん?」
突然天高く持ち上げられて、坊は声を上げるのも忘れてきょとんとしてしまう。
「ほら、もう直ぐ森に着くのねん。おとうと一緒に森の神様にお願いしてみるのねぇん」
坊を肩車し、不知火は父親を連れ立って森へと近付いた。何が起こるかわからない。不知火を除く全員が念のため抜刀する。
「森の神様だ」と言う声と共に坊が指差した場所に、青白い光に包まれた子供の姿が確かにあった。じっとこちらを見る眼差しはどこか悲しげだ。
その姿を見たバークが「あれは地の精霊だ」と短く告げる。
「敵ではないのか?」
鞆雅の問いにバークは「わからない。が、多分大丈夫だろう」と答える。敵意があれば近付く事さえ出来ない筈だ。
「森の守り神ってのが本当なら、何か伝えたい事があって出てきたんじゃないか?」
美希の言う事は強ち間違いでもないだろうというように思えた。
「攻撃してくるようには見えないね」
そう言いながら早々と短槍を下ろしてしまった銀雪に倣って刀を納めてから、子供を肩に乗せたまま不知火が地の精霊に歩み寄った。その後ろに父親が続く。
「森の神様。おっかあを返してくれよ!」
坊の叫びに何も答えず、子供の姿をした地の精霊は少しだけ表情を曇らせた。
坊は何度も同じ言葉を繰り返す。しかし結果は同じだった。
それでも諦めずに訴え続ける坊の姿に、不知火は微かに振り向いて父親を呼んだ。
「ちゃんと説明してやるんだな。それがあんたの役割だ」
と小声で告げると父親は意を決したように顔を上げる。
「坊。おっかあはな、遠くに行ってしまった。森の神様でも、連れて返れないくらい遠いところだ。だから、もう森の神様を困らせちゃ駄目だ」
「嘘だ! おっかあは森の神様の所へ行ったって言っただろ!」
不知火がふらついてしまうほどの勢いで振り向いて、坊は声を張り上げた。
「嘘を付いたんだ、悪かった。おっかあは遠くに行っちまったんだ、坊。この人達は、おっかあの敵討ちをしてくれるんだ‥」
言葉の最後が微妙に詰まってしまう。悔しさと情けなさが入り混じって、男は一度だけぐっと目を閉じた。
「‥嫌だ。そんなの嫌だ、おっかあに会うんだ、おっかあに──」
涙声になる坊を抱え下ろして、不知火は膝を付いた。そして溢れた涙を指で拭ってやる。
「坊。おっかあはな『神様』になったんだ。神様になって、坊を見てくれてるんだぜ」
「‥神様?」
「そうだ。坊はおっかあの事忘れないよな?」
言葉にならない返事を返して、坊は泣きながら頷いた。
「だったら、おっかあは坊のここにいる」
坊の胸元を指差しながら、不知火は大きな手で坊の頭を力強く撫でた。
「いつだって、一緒なんだぜ。わかるな?」
いつの間にか近くに来ていた美希も、目線を合わせるようにして膝を折り、そして坊をそっと抱きしめた。
「きっとおっかあはずっと坊を見ててくれるから、もう泣くな。坊が泣くと、おとうも悲しくなるぞ。おとうを困らせたら、おっかあだって悲しいぞ」
そんな言葉とは裏腹に坊はさらに声を上げて泣きながら美希にぎゅっと抱きついた。
「ごめんよ。美希姉ぇ。嫌いって言ってごめんよ‥」
自分が口走った事をよほど気にしていたのだろう。何度も同じ言葉を繰り返しながら、泣き続ける坊を抱きしめて頭を優しく撫でる。
「いいんだ、坊、いいんだ‥」
自分でも、柄にもない事をしている。そう思いながら美希は沸々と湧いてくる怒りを感じていた。
●鬼退治
森の中ほどにある小屋を訪ねると、中から一人の老婆が姿を現した。
「すいません。旅の途中なんです。一休みさせてもらえませんか?」
言葉の少ない老婆だったが、銀雪の願い通りに家の中に通される。
剣を携えた集団だというのにさして警戒もされなかったのは、ひとえに人数の少なさ故だろう。親子は一足先に町へと向わせた。後で追いつけばいい。何も危険な鬼退治に付き合う事もない。
家の中へ通されて直に老婆が外へと出て行った。
「どうだ?」
「多いな。二十、二、それにさらに、二」
美希に答えて鞆雅がブレスセンサーで探った鬼の数を口にする。
「それと先の一匹だな」バークがニヤリと口の端に笑みを浮かべ、早々にオラボディーを発動させ臨戦態勢に入った。
「討って出るわよん!」
小屋の中の旅人が油断している所を襲うつもりでいた鬼達は、突然小屋から飛び出てきたジャイアントの姿に意表を突かれた様だった。
そのままバークは単身鬼達の前へと進むと、足を止める。
何事かと鬼達が視線を集中させた時、バークの足元の落ち葉が何かに弾かれたように舞い上がる。
次の瞬間、水面に広がる波紋の様にバークを中心に地面に落ちた木の葉が一斉に舞い上がる。放たれた衝撃の波は鬼達を直撃した。威力が低いので大したダメージにはならなかったが、意表を突くには充分だった。
何が起こったのか瞬時に理解出来ない鬼達は浮き足立って奇声を上げる。
その隙を見計らって、バークはさらにもう一度オーラアルファーを炸裂させる。
「俺に近づくと怪我するぜ。気ぃつけなよ」
と、バークはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
本来なら動きの止まるこの技を集団の中で使うなど自殺行為に等しい。バークの技量では驚かすのが精一杯の技だ。奇襲が成功しなければ、数十匹の鬼に文字通り袋叩きにされていた事だろう。
小屋の中にいて衝撃の波を避けた鞆雅が詠唱の終わったウィンドスラッシュを先頭付近にいた二本の角を持つ大きな鬼に目掛けて放つ。
まともにそれを受けた山鬼と呼ばれる鬼は、大きく身体を傾けるとガックリと膝をついた。
小屋から飛び出した美希はそのまま動きの鈍い山鬼を無視して背後の小鬼を切り捨てる。同じく飛び出した不知火は両手に二刀を閃かせ山鬼を屠り、後ろの小鬼を血祭りに上げた。やや遅れて銀雪も短槍と小刀とを交互に突き出し怒涛の六連突で小鬼を刺殺せしめる。
動きの止まったバーク目掛けて小鬼が殺到するが、オーラボディーに包まれた身体は小鬼の振るう斧の攻撃を全く受け付けなかった。
「効かねぇ〜なぁ?」
不敵な笑みは鬼を越えた悪鬼の笑みに等しいそれだった。
言葉の通じない鬼であっても、自分達の力の及ぶところでないと知るのは難しくはなかった筈だ。
バークはこれ見よがしにゆらりと立ち上がり、両手を広げ、ゆっくりとした動作で短槍を構え直す。やや目深に被った兜をそのままに俯き加減で眼光鋭く周囲を睨みつける。
「ハァッッツ!」
気勢一閃。唸りを生じる短槍が空を突く。士気を挫いた雑魚を散らすにはそれで充分だった。恐怖の悲鳴を上げ、小鬼達が森の中へと散っていく。深追いする必要なはい。今は出来るだけの鬼を倒すだけだ。
散って行った小鬼はもと居た数の半数ほどにも及ぶ。
首領格のこの鬼を倒せば、後は散り散りになるだろう。
先程の老婆と思われるこの鬼は確かに手強かった。白髪を逆立て鋭い爪を持ち、冷たい青い瞳がこちらを射抜く。耳元まで大きく裂けた口からは黄色い二本の牙が伸びていた。
山刀を縦横無尽に振りかざし、容赦の無い攻撃を仕掛けてくる。美希も不知火も多少の手傷を負ったが、技量は互角。ならば数の多い方が有利だ。
二刀を振るい、不知火が動きを牽制しつつ手傷を負わせる。流れるような左右連続の四連撃に老婆は堪らず膝を付いた。
「負けるわけには行かない戦いだ。迷わずあの世へ行くがいい」
ステップを踏むようにして後ろへ下がった不知火に入れ替わるようにして、長い髪をなびかせ美希が踏み込む。
不知火は意図的に止めを譲ってくれたようだった。
「此度は私情もあるがな。討たせてもらう!」
踏み込んだ勢いそのままに渾身の力と全体重を一点に乗せて、一気に刀を突き入れる。正に一撃必殺だった。
鬼の身体はいとも簡単に貫かれ、断末魔の悲鳴を上げる間もなく瞬時に絶命する。
それを見て、さらに数匹の小鬼が森の中へと逃げていった。
残るは豚面の鬼と先に屠った角のある鬼と同じ鬼だけだ。
だがもう既に敵ではない。戦意を挫かれ逃げるタイミングを失ってしまっては後はいいように退治されるだけだった。
「君らを逃すと、禍根を残すからね。ここできっちり往生してもらうよ!」
素早い動きから、槍と小刀の左右の突きを繰り出す。六連続の突きは六本の腕を持つとされる修羅の如き冷酷さで豚面の鬼を突き殺す。残った山鬼も難なく退治された。
不知火と銀雪は小屋の周囲を探し多くの犠牲者の持ち物などを見つける。それらは近くの寺へと運び供養する事にした。この親子の様に外へと知られたならまだましな方だ。身元も分らぬ仏の遺品が無数にあるかと思うと、銀雪は深く手を合わせるより他が無かった。
●明日へ
森を出る時に再び現れた青白い光に包まれた子供が、今度は微かに笑っていた。その姿を見て鞆雅が父親に告げた。
「時として優しい嘘も必要だ。‥いずれ大きくなればあんたのついた嘘も、その理由も理解してもらえるだろう」と。
不知火と美希とに手をつないでもらって、坊は泣き顔に少しだけ笑顔が戻っていた。
「美希姉ぇ。もう逢えないのか?」
その問いかけに、美希は優しい微笑を浮かべた。
「俺は町にいる。会いたかったらいつでも来るがいいぞ」
頬に触れ言う美希に、坊は「美希姉ぇ、温かいな。おっかあみてぇだ」と少しだけ泣きそうな顔になった。
「男の子は、涙を見せないものよねぇん」と不知火が坊の頭を撫でる。
「うん。分ったよ不知火姉ぇ!」
その元気の良い返事に、後ろで父親が思わず腕を組んだ。
「姉ぇ‥か?」
「ははは。違いない。姉ぇ、だ」
と突然バークが笑い出す。
高笑いが野に吹く風に乗って街道を流れていった。