●リプレイ本文
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ギルドの掲示板傍。
かえでの依頼‥‥ではないらしい一枚の依頼書を眺めて難しい顔をしている人影が二つ。
「つまりは、あれか‥‥私とかえでさんが生き別れの兄妹だと判明したり十二人の伝説の戦士が総登場、はたまた魔王級のカオスの魔物が攻めて来るか‥‥」
「ふむ、それもアリ?」
オルステッド・ブライオン(ea2449)の明らかな悪乗りに、しかし真面目な顔でこくこくと頷いているかえでを見たアリシア・ルクレチア(ea5513)は大仰に溜息を吐いた。
「まったく‥‥折角の休日ですのにオルったら変なことばかり。せっかくですもの、かえでさんの提案に乗って追い駆けっこでもしましょ」
「追いかける、か‥‥」
妻の言葉に、オルステッドはしばし虚空を見据える。
「‥‥追いかける‥‥ある意味、冒険を追い求め、名のあるデビルやカオスの首を追い求め‥‥駆け抜けてばかりだったな‥‥」
「じゃあたまには追いかけられてみたら?」
「‥‥ん‥‥?」
どういう意味かと思いつつ、かえでが指差す先を見遣れば美しい妻がいる。
「今日のウィルは皆が鬼で、皆が追いかけられる側だもん。一緒に外を歩くだけでも面白い事があるかもよ?」
「‥‥ふむ‥‥」
それも一興、と立ち上がりかけたオルステッドだが、そこに飛び込んで来たのは顔馴染みの冒険者仲間レイン・ヴォルフルーラ(ec4112)。
「三人見つけました!」
笑顔を輝かせた少女はアリシアに抱き付き、かえでに抱き付き、オルステッドには両手で握手をすると「聞いてください!」と全員の耳を近付けさせた。
てっきりかえで主催の鬼ごっこに参加して自分達を捕まえに来たのだろうと思った三人は呆気に取られるが、そうして告げられた提案には無意識に表情が緩んだ。
「どうですかっ」
「賛成!」
不安そうに聞いてくるレインにかえでは即答。
「私も準備などお手伝いしますわ。ほら、オルも」
「‥‥いいだろう‥‥飾りつけなり何なりと手伝おう‥‥」
「ありがとうございます!」
深々と頭を下げたレインは、次の仲間を探しに冒険者ギルドを飛び出していき、夫婦も手伝うべく、まずは材料の買出しか。
「アスティ君、今の聞いた?」
「もちろんですよ」
「じゃ、此処に来る皆に伝えてね?」
「判りました!」
ギルド職員のアスティ・タイラー、お任せ下さいと胸を打った。
レインは走る。
「響さん見つけましたー!」
「あら、捕まっちゃいましたね♪」
かえでの鬼ごっこを知っていた倉城響(ea1466)はレインが自分を捕まえに来たと思ったようだ。
「私が鬼ですか♪ では、始めます♪」
「ち、違うんです!」
レインは慌てて首を振る。そして先刻と同じように耳元に囁く計画に、囁かれた響は目を瞬かせた後で微笑む。
「もちろん大賛成ですよ、お手伝いさせて下さい♪」
「ありがとうございますっ」
ぎゅっと手を握り「響さんも関係有ると思われる冒険者と遭遇した時には今の計画を伝えて下さい!」とお願いしたレインは再び走り出した。
レインからオルステッド、アリシア、かえで、アスティ、響へと伝わった計画は、徐々に発信源を増やしてウィルの街に広がりゆく。
「はいはーい、賛成! 参加しまーす」
冒険者街の自宅庭で、これまで一日も欠かすことの無かった草花の世話をしている最中に声を掛けられたティアイエル・エルトファーム(ea0324)。
「ほう‥‥それは参加しない理由はないな。‥‥なぁ昴」
「ええ」
長渡泰斗(ea1984)に物見昴(eb7871)。
「だったら、俺も及ばずながら笛で祝いの楽でも奏でるかね」
陸奥勇人(ea3329)が悪戯っ子のような無邪気な笑みで応じた。
飛天龍(eb0010)、リール・アルシャス(eb4402)、モディリヤーノ・アルシャス(ec6278)。次々と増える協力者達のおかげで街は俄かに活気付き始める。
「‥‥それは誰の発案だ?」
冒険者街から少し離れた一般の住宅街の一角、今も変わらずクイナ達と隣同士の家で暮らすユアンと、同居中の石動良哉、リラ・レデューファン。
「誰の発案でも良いだろう」
「そうだよ良哉兄ちゃん! 俺、手伝いたい!」
穏やかに微笑むリラと、元気良く挙手して訴えるユアンに、良哉は頭を掻きながら大きな溜息を一つ。
「‥‥ま、やってやるか」
「そうと決まれば彼女の居場所だが」
「つーか場所は何処だ?」
リラと良哉が顔を見合わせてそれを知らない事に気付き。
「あ、師匠だ!」
天龍が訪ねて来たのを察して駆け寄るユアンに良哉も続く。
「おい天龍、いま例の話を聞いたところなんだが」
「ああ。俺はもちろん料理の準備をするつもりだ。それで食材の調達にセゼリア夫人のところへ行こうと思うんだが」
「俺も行きます!」
「そうか」
元気の良い幼子の頭を撫でる天龍。
「では、かえでが鬼ごっこを提案している最中だ。もしもユアンが俺を捕まえられたら、ユアンの好きな料理を一品追加してやろう」
「本当?」
目を輝かせた幼子は、しかしすぐに難しそうな顔をする。
「でも、師匠は飛んでいくんでしょう?」
「いいや、今日は足で勝負だ」
「勝負の前に!」
飛ばずに何処まで逃げ切れるかも良い鍛錬になるかもしれない。そう話す師弟の、どこで口を挟もうか悩んでいた良哉だったがこのままでは聞く前に走り出されそうだと気付き声を張り上げる。
「その会場、何処か知ってるか?」
「ああ、冒険者ギルドだろう?」
さらりと天龍。
良哉は拍子抜け。
「りょ、了解だ‥‥」
彼としては‥‥こう、何だ。
まぁいい。
「さぁ、ではユアン、俺を捕まえて見せろ」
「はい!」
師弟は走り出した。
「うぉおーお♪ 私の隠密技術が思い切り発揮できる依頼はかつて無かったよ! ついに私の、私の実力の限界まで発揮できる依頼が今、ここにッ!!」
はしゃぐフォーレ・ネーヴ(eb2093)に、苦笑うルスト・リカルム(eb4750)。
「私は参加せずに見学していようと思うよ」
歳ではないが、皆の追い駆けっこを眺めながら紅茶でも飲んでいる方が性に合いそうだし、何よりこんな事をウィルの街で行なえば必ず怪我人も出るはず。そんな時には臨機応変に動けるクレリックが待機していた方が良いだろう。
「まぁ、イシュカさんもいるから治療はそんなに忙しくならないと‥‥思うんだけどね‥‥?」
そうして見遣る視線の先には、今話題に上ったイシュカ・エアシールド(eb3839)、ソード・エアシールド(eb3838)、エヴァーグリーン・シーウィンド(ea1493)がルスト達と同じくかえで主催の鬼ごっこの依頼書を眺めている。
最も、此方の三人はこれに参加するつもりは毛頭なかったのだが、其処に近付いて行ったのが職員のアスティだ。
「あの、実はご相談が」
「ん‥‥?」
近付いて小声で話す計画は、最初こそ怪訝な顔をしていた親娘の表情を見事に変化させる。
「鬼ごっこはする気ないですけど、それは是非参加したいですね‥‥」
「うんうん、鬼ごっこはともかくそれはお手伝いしたいですの」
かえでが聞けば涙しそうな台詞をさらりと言ってのけるイシュカ、エリに加えて精霊娘のスノウまで乗り気、目を輝かされればソード一人抜けられるはずもない。
「‥‥判った。手伝おう」
「よろしくお願いします」
賛同してくれた彼らに一礼したアスティへ「何の話?」と飛び込むフォーレ。
そうして、更に二人の協力者が加わった。
鬼ごっこなら捕まえなきゃならない人が大勢いる。
数日後に件の遺跡に関しての報告を隣国リグに伝えに行く事になる華岡紅子(eb4412)の胸中には、これが最後になるかもしれないという切ない気持ちが募り始めていた。
「レインちゃん、ティオちゃん、フルーレちゃん‥‥」
これまで共に冒険を重ねてきたこの世界の仲間の名を呟くと共に辺りをぐるりと見渡す。
「あ」
真っ先に目に入ったのはリィム・タイランツ(eb4856)だ。捕まえなきゃと思う紅子だが、しかし彼女の装いが普段とあまりに違う事に気付いて足を止めた。
「髪型、化粧、ドレスにヒール‥‥」
胸元とスカートの裾を羽毛で飾ったゴージャスな出で立ちに何かあるのかしらと思う。
突然接近してはせっかくの装いを崩してしまうかもしれないと考えた紅子は手を上げてリィムを呼び止めた。
そうする事で互いに認識し合った二人。
「これから何かあるの?」
「そう! 実は――」
伝わるのは幸せな話。
「失礼しまーす‥‥って、何事ですかこれはっ」
同時刻。
本格的にセレへ居を移す前にウィルで世話になった人々へ感謝の気持ちを伝えようとギルドを訪れたフルーレ・フルフラット(eb1182)は屋内の様子に目を丸くした。
「あ、フルーレさん!」
そんな彼女に気付いて駆け寄って来たのはこれの発案者レイン。
「フルーレさん、フルーレさんっ、もし良かったらフルーレさんも協力をお願いしますっ」
「はい?」
がしっと腕を握りながら懇願して来るレインに最初こそ戸惑ったフルーレも、話を聞けば断る理由など欠片もない。
「やりましょう!」
幸せの花を咲かせよう。
●
その頃ユアン達が暮らす家の傍には、此処まで来ながら足を止めて深呼吸を繰り返すキース・ファラン(eb4324)の姿があった。
その表情は緊張に固くなっており、心なしか拳も震えているように見える。
ギルドで見かけた「追い駆けっこ」の報せ。それを読んだ時、自分には此処に来ることしか考えられなかったのだ。
「‥‥よし」
何度目かの深呼吸を終えて顔を上げたキースは、意を決して歩みを再開した。
彼が会いたいのは、石動香代。
そして詫びたい仲間達だ。
様々な事情はあれど途中から彼らと共に行動出来なくなってしまった事は事実。そのために支えてやるべき時に彼女の傍にいられなかった事を彼は悔いていたのだ。例え仲間達がその事を仕方ないと許してくれても、キース自身が自分を許せない。
(「今更のこのこと顔を出したところで過去が変わるわけじゃないけど‥‥けじめだけは付けないとな」)
自分に言い聞かせるように一歩一歩を進み、叩いた家屋の扉。
二度目のノックで「はい」と奥から聞こえてきた声は、香代の。
「‥‥っ」
緊張の一瞬。
息を呑むキースを見上げて、香代の目が見開かれた。
「キ‥‥ィス」
「香代、俺‥‥!」
彼女が扉を閉めてしまう前に。
自分を拒絶される前にせめて謝罪の言葉だけでも身を乗り出し口を開いたキースだったが、そこに突如として割り込んだ影。
「今さら何の用だ」と香代を背後に隠したのは兄の良哉だ。
「良哉‥‥」
「何の用だって聞いてんだろ」
じっと自分を見据えたまま微かにも揺らがない相手の視線に、キースも負けじと見返す。だが、
「俺は、香代や皆に謝りたくて‥‥」
「! お兄さ‥‥!」
そう告げた途端に良哉は香代の手を取って外に連れ出した。
「良哉!?」
「うっせぇ! 謝って済む問題だと思ったら大間違いだ!」
「お兄さんっ」
「黙ってろ!」
ぐいぐいと妹を引っ張りキースから遠ざけようとする良哉は香代が止まってほしいと訴えても聞く耳を持たない。
「‥‥っ」
「!」
そんな香代がキースを見る、‥‥話をしたいのだという思いを視線に乗せて。
「香代!」
キースは走り出した。
「ちっ」
「っ‥‥ぁ」
それに気付いた良哉も香代を引っ張って走りだす、追い駆けっこの始まり。
「あらあら」
そんな彼らをこそっと眺めていたのは隣家に暮らすクイナだ。
楽しげに笑った彼女はエプロンの代わりにコートを羽織ると足早に家を後にした。
●
パラの三人がウィルの街を走る。
キースは、時に声を張り上げながら。
「香代、好きだ!」
アトランティスの空に誓う想い。
香代の幸せが自分の一番の望み。例え隣にいるのが自分ではなかったとしても、彼女が笑顔で過ごせる日々を心から願う――背中に届く熱い想いに香代の目頭が熱を持つ。
「お兄さんっ、私‥‥私、キースと話が‥‥っ」
「ダメだ」
「でもっ」
「良いからこのまま走れ、‥‥ギルドまで」
「え?」
「ギルドで皆が待ってんだよ」
兄の言葉に香代の目が丸くなる。
「来たよ!」
自宅からぐるりと回ってギルドに向かってくる三人の姿を、様子見に来たフォーレが確認する。
「ドアを開けるタイミングを間違わないで下さいよっ」と珍しく早口で扉の取っ手を握るリラと日向に指示を出すアスティ。
「もうちょっと!」
フォーレの実況に、会場内に集まる皆の鼓動も高まり、‥‥そうして、その時が来た。
「!?」
まるで天界で言うところの自動ドアのように、石動兄妹が辿り着く絶妙の間で内側から開けられた扉。
そこに続いて駆け込んだキースは、足より先に思考が停止した。
「――」
咄嗟には何が起きたのか判らない。
けれど落ち着いてみれば自分達を包み込んでいるのが仲間達の温かな拍手だと判る。
「これ‥‥」
無意識の呟きに重なる友人達の掛け声。
「おめでとうキース殿!」
「おめでとう!」
拍手と、笑顔と、祝福。
「これは‥‥」
戸惑っているのは香代も同じだ。全く状況が飲み込めずに何度も目を瞬かせている。だから良哉は大仰な息を吐き、香代をキースの腕に押しやった。
「っ、お兄さん?」
「良哉?」
驚く二人に、彼は言う。
「‥‥謝って済む問題じゃ無いって言っただろ。本当に香代の幸せ考える気があるんだったら、男としての責任を果たせよな」
それは、つまり。
そういうこと。
「香代殿、幸せになれ! 彼なら大丈夫だ」
リールが声を掛ける。
香代は、言葉を詰まらせる。
「キースさんはきっと全て受け入れてくれるよ。頑張って」
リィムの声援には喉の奥が熱を持つ。
そして今回の発案者たるレインは、香代の頭にヴェールを。
「誰かの幸せは皆を幸せにしてくれますもの。香代さんも幸せにならないと」
「はい、花嫁さんのブーケですの」
真っ白な花を基調にした大きなブーケを差し出したエリと、月精霊のスノウは、今日は黒いレースの衣装に身を包む。白は花嫁さんの色だからというイシュカの気遣い故だ。ましてやブーケとなった花はティアイエルがこの世界で丹精込めて育てた花。
「おめでとうございますね♪ お幸せに」
「うん、幸せに♪」
響、フォーレと、続く言葉。
「‥‥良哉さん、泣かないで下さいよ?」
レインがこそっと耳打ちすると、言われた本人は鼻を鳴らす。
「バカ言うな、誰が泣くかよ、こんなめでたい席で」
判り易過ぎる良哉に、勇人が苦笑しつつその肩を叩いた。
ギルドの内装をパーティー風に飾ったのは主に男達。大工仕事から大道具の運搬までを賄った。天龍とユアン、響、ルスト、昴が腕を奮った料理の数々。ティアイエル、エリ、イシュカ、紅子、そしてレインが用意した花嫁のブーケとヴェール、フラワーシャワー用の小花達。
「‥‥香代」
こんなにも多くの仲間と、招かれて参列した月姫や天使にも見守られて、出ない答えはなかった。
キースは香代の手を取る。
香代はキースの目を見る。
そうして近付く吐息に、ほんの少しだけ震えた細い肩。
キースは微笑い、繰り返す。
「好きだよ、香代。幸せにする」
「キース‥‥」
抱き締めて交わす口付けは宣誓。
ギルドを彩るフラワーシャワー。
ルストが放つ、幸運を願う純白の輝きが彼らを包み、皆を包む。
此処に、君への永遠の愛を約束すると――。
●
中央の卓に置かれたのは天龍特製、キースと香代、二人の姿を模した人形が天辺に飾られたウエディングケーキ。仲間達に囲まれて幸せそうな笑顔を絶やすことの無いキースと香代の二人を見つめ、ティアイエルはしんみりと長い息を吐いた。
「どうしたの?」
紅子が問い掛けると、ティアイエルは少し考えるように首を傾げる。
「んー‥‥ちょっと三〇年後を想像しちゃった」
「三〇年後?」
「随分と先の話ですね!」
聞き返す紅子と声を重ねるようにレインが驚いた声を上げる。そんな二人の反応にティアイエルは「そっか」と胸中でのみ呟く。
彼女達の三〇年後は本当に三〇年の先。しかしティアイエルにとっては、流れる時間は等しくとも生きる時間は異なるのだ。ただ、今はそんな話題が相応しい場では無いと思うから少女は笑む。
「そうだね、この国の行く末を見届けるのも悪くないかもっ」
「この世界の‥‥」
「行く末‥‥」
ティアイエルの呟きを繰り返し顔を見合わせるレインと紅子。そうして何を思ったのか紅子はティアイエルを抱き締める。
「わっ」
ふわり、ティアイエルの鼻腔を擽る甘い匂い。
「どうしたのっ?」
驚いて聞いてくる少女を、更にぎゅっと抱き締めた紅子は、そうしてようやく顔を上げる。
「ふふ。女の子は柔らかくていいわね♪」
「え‥‥っ」
からかうような笑いを含んだ紅子の言葉にティアイエルは赤くなり。
「わ!」
次いで抱き締められたレインは真っ赤に。
「っ、紅子さん、どうしたんですかっ」
わたわたと声を上げるレインの柔らかな黒髪に顔を隠しながら彼女が思うのは「ありがとう」の一言。
そのたった一言で充分だった。
「んーっ! いーもの見れたよっ、ありがと! ありがとう!!」
ぶんっぶんとキース、香代の手を握って感謝の言葉を繰り返すかえでは最高級の満足顔で周囲をぐるりと見渡した。
「他の皆は、これから何か追い掛けようって思ってるものとかあるの?」
聞かれたのはキース達を祝福すると同時に積もる話をしていた勇人や天龍ら付き合いの長い仲間達。
「追いかける、とは違うが」
ふと口を切るのは泰斗。
「なんだ、そろそろ住む家くらいは一つに纏めるか?」
問うた相手は勿論昴で、言われた彼女は唐突な話に目を瞠った後で‥‥ほんの少し視線が緩んだ。
だが、気付けば微妙な表情。
「なんだ、不満か?」
「‥‥不満というわけでは‥‥」
周囲に流れる空気までも微妙になって来て、慌てて言葉を重ねるユアン。
「師匠や勇人兄ちゃんは!?」
気を使う幼子に周りからは苦笑いが起きた。
「俺が追うものか‥‥」
勇人は天井を見上げるように目線を上げ、その先に浮遊する月姫セレネの姿を目にして笑みを零す。
「まぁ修行ってのも今更だし、当面嫁さんのアテもない事だし、いっそあれだ。セレネが寂しくないよう少しでも長く共に居られる方法でも探すか?」
『まぁ』
くすくすと笑う月姫に、周囲からも楽しげな笑みが零れる。
「勇人は不老不死が望みか?」
天龍が問えば、本人は肩を竦める。
「そういうわけじゃないが、探してみるのは案外面白そうだ。長生きした分、ユアンの面倒を見たりってのもアリだろうしな」
「うん!」
他意はなく、そう言ってくれる勇人の気持ちが嬉しくて満面の笑みを浮かべる幼子の頭をリラが撫でる。そんな二人が口に運んでいたのは、セゼリア夫人の農場までの道中、地上を駆ける師匠を最後まで捕まえられなかったものの距離を広げる事無く付いて来られたご褒美に作って貰ったパンケーキである。
「人生に長短関係なし。思いっきり生きればそれで良しってな」
「な!」
「‥‥ああ」
そんなリラへ勇人が意味深な視線と共に告げた言葉を、幼子も後押しするから言われた本人は失笑。
「‥‥私は、落ち着いたらリグへ移住するよ」
「あ、俺も俺も」
リラと、続く良哉の言葉には仲間達から驚きの声が上がる。その中には香代の声も。
「お兄さん‥‥本気で‥‥?」
「ああ。俺だっていつまでも新婚の邪魔するわけにいかないし、リグには人手が足りないんだ、俺にだって何かしら出来る事があるだろうからな」
「そんな!」
これに抗議の声を上げたのはリィム。
「良哉くん、僕は君に大事な話が‥‥!」
「俺はないっ!」
「ボクにはあるんだ!」
「断る!」
「あ!」
そうして良哉が走り出せばリィムが追いかける。
「お♪ 追い駆けっこの開始だね!」
「うっせぇ!」
無邪気な事を言うかえでに、良哉は鋭い一喝を残してギルドを飛び出し、リィムが追いかけていく。
「‥‥頑張れ、リィム殿」
そんな二人の背を切なそうに見つめて声援を送るのはリール。そしてリールに声援を送るのはユアン。
「姉ちゃんも、ね?」
「っ」
言うと同時にリラの足をがつんと一踏み。誰の影響かこの幼子も随分と強くなったものである。‥‥いや、エイジャに似て来たとリラは思う。
だから、彼は。
「‥‥リグで住まいが決まれば便りを出すよ。‥‥たまには遊びに来てみるかい?」
「リラ殿‥‥」
おいでとは言えない。
共に行こうとは尚更言えぬ。
それでも、まだ来る明日を共に過ごしたいとリールが望むのならば未来を自ら閉ざす事は止めようと思う。幼子に諭されたせいもあるけれど、そう思うだけで彼女が笑顔を失わずにいられるのなら。
「‥‥遊びに行くよ、きっと」
そうして微笑んでくれるのならば。
「‥‥母なるセーラが異種族婚を否定しているなんて、思えません‥‥」
少し離れた場所からリールとリラの姿を見つめ切なげに呟くイシュカを、傍に寄りそうソードは静かに見つめていた。
「そういうイシュカさんやソードさんには、追い掛けたいものとか、人とか、いないの? もしくは逃げたい相手とか」
「え‥‥」
かえでに言われたイシュカが聞き返したと同時、その手をぎゅっ‥‥と握り締める手があった。
「ぁ‥‥」
見上げれば自分を見つめている青色の瞳があまりにも真っ直ぐな事に気付いたイシュカは、視線に伴う温かさにしばし見入る。
その内に表情は綻ぶ。
「‥‥貴方から離れようとはもう思っていませんから‥‥」
「‥‥おまえがそう言ってくれる日が来るとは、な‥‥」
見つめ合う二人に、かえでも微笑。
お邪魔はしませんよとこっそり移動する天界女子高生だった。
幸せな二人。
未来を歩き出す二人。
中には嫉妬で浴びるように酒を飲む者も――。
(「姉上、僕は本当に姉上のこと‥‥」)
決して表には出せぬ想いを秘めながら、モディリヤーノもまたいつか訪れるだろう彼だけの幸せを知れるはず。
――祝いの宴は続いた。
「‥‥?」
そんな中。
泰斗は、夜明けを迎えようという時分になって相方の姿がギルドから消えている事に気付いた。
気付いてからしばらく待ってみても、彼女が戻る気配はない。
その内に宴は終わりを告げ。
「‥‥昴?」
彼は、駆け出した。
街は深夜から雪が降っていたのか、路面は真っ白に変わっていた。薄く積もった其処に足跡を残しながら辺りを探る泰斗はしばらくして突如として現れた足跡に気付いた。
「‥‥これか」
上空を仰げば、家屋の屋根の一部分にだけ雪が無い。
この街で、屋根から飛び降りて平然と歩き出せる者など冒険者に決まっている。ましてやこんな風に、何処にいるのか知らせたいのか知らせたくないのか、回りくどい足跡を残す相手など――。
足跡を追う内に辿り着いたのは開けた平原。春夏であれば花と緑埋め尽くされるのだろう其処を今一面覆っているのは白銀の結晶だ。
吐息が白く色づくような冬の夜明けに、誰が好き好んでこんな場所に。
「‥‥帰るぞ」
泰斗は前方の影に声を掛けた。
その声音が些か固く聴こえるのは、心配していた分だけ強い安堵故の怒り。
「何をしている」
「何も」
彼女は‥‥昴は短くそう返した。
泰斗は溜息を吐く。
「何もしていないのなら帰るぞ」
「‥‥帰りません」
「なぜ」
「なぜでも」
昴は言い返す。
「帰りませんっ」
頑なに其処を動く事を拒むから泰斗は眉根を寄せた。この相手にそういう態度を取られると正直、困る。これまでこんな事は一度も無かったから尚更に。二人は主従、泰斗の言葉は命令であり、昴に拒む理由など何一つなかったからだ。
「一体何が気に食わない?」
本当に、困って。
些か気弱な語調で改めて尋ねれば、昴は背中を奮わせた。
そうして告げる、その胸中。
「‥‥まだ、ちゃんとしたお言葉を頂いておりません」
「言葉?」
「私は‥‥泰斗様の忍。それはこれからも変わらぬでしょう‥‥けれど、もし‥‥」
もしもそれ以外の関係を彼が望んでくれるのならば、主従としての言葉ではく男女としての言葉が欲しい。
それは昴の女としての心が譲れないこと。
「‥‥あぁ‥‥」
そう言うことか、と。さすがの泰斗も理解する。
言われて気付けば自分の言葉数の少なさを自覚しないわけにはいかない。傍に居るのが当たり前すぎて甘えていたのかもしれない。
だから泰斗は深呼吸した。
そうして告げる、一生に一度かもしれない言葉。
「これからも一緒にいてくれるか。‥‥その、何だ、背中ではなく‥‥傍らで」
再びウィルの街に降り始めた雪は、まるで空から舞う祝福の花。
昴の答えは決まっていたのだから。
●
冒険者達は今日もゆく。
「どれ‥‥今日も戯れに怪異を探してみるか‥‥」
「まぁオルったら‥‥」
オルステッド、アリシア夫妻の朝はいつもと変わらぬ会話から始まる。けれど、近頃はオルステッドがさりげなく「引退」の二文字を口にするようになっていた。
「‥‥引退するの?」
「さて‥‥セレに住まいを手に入れて、静かに暮らすか‥‥?」
静かな笑みと共に呟くオルステッドだったが、その表情には冒険者への未練も決して少なくはない。だからアリシアは微笑うのだ。
「もしも‥‥まだまだ先の話でしょうけれど‥‥リグに冒険者ギルドが出来るような事があれば、二人で職員になりましょう」
「‥‥ん‥‥?」
「貴方はギルドマスターを目指すといいわ。ずっと冒険に携わり続けられるもの」
「‥‥なるほど‥‥」
妻の提案に、オルステッドも微笑う。
「‥‥それも良い‥‥」
リグの国。
セレの国。
ウィルの街を遠く離れて戦い続けた冒険者達。
中には、そうして縁の出来た土地へ移住する者も少なくなく、リラや良哉が旅立ったのと同じように――そして違う形でセレへ居を移したフルーレは、ようやく辿り着いた彼女を出迎えるために来ていた夫アベルの姿を見つけて笑む。
どんな魔物よりも手強い相手だけれど、退けない相手。
照れずに、何度でも宣言したい相手。
「フルーレ」
腕を広げて自分を捕まえようとする彼にフルーレはありったけの笑顔を向けて、叫ぶ。
「私は――!」
愛しています、と。
彼らは空を見上げる。
追い掛けたい、掴みたいものはあっても、その答えは心の奥底に沈んだまま今はまだあまりにも不鮮明で。
はっきりとしたカタチにはならないけれど、いつかは手が届くだろう。
その日を迎えるためにも、まっすぐに前を向いて歩いていこう、それはティアイエルの自分自身との約束。
「いー天気だ」
勇人は呟く。
精霊達と共に世界を歩きながら。
今日で終わりじゃない。
これで終わりじゃない。
明日からが君の未来――。