雪華が彩る春の宴

■ショートシナリオ


担当:月原みなみ

対応レベル:フリーlv

難易度:普通

成功報酬:5

参加人数:3人

サポート参加人数:-人

冒険期間:02月04日〜02月09日

リプレイ公開日:2008年02月12日

●オープニング

● 思い立ったが吉日

 年が明けて、そろそろ一月。
 淋麗(ea7509)は暦を数えていて、ふと気付いた。
「もうすぐ春節の時期なのですね‥‥」
 時代や世界が変われば『旧正月』とも呼ばれる行事は、彼女の故郷、華国においてとても大切な日だ。
 近頃は冒険の忙しさに追われてこの日を特別に祝う機会もなかったが、こうして思い立ったのなら、今年は故郷にいた頃を思い出しながら皆で賑わってみるのはどうだろう。
「ジ・アースだけでなく天界にも春節はあると聞いていますし、冒険者の皆さんも誘ってお祝い出来たら楽しそうですね」
 麗はにっこり微笑むと、上着を羽織りギルドを目指して家を出る。



 数日後、ギルドの掲示板には宴への参加を呼び掛ける依頼書が張り出された。

『依頼主:淋麗
 依頼内容:春節の宴を催すため、その準備への協力と宴への参加者を募集します。

 ジ・アースだけでなく、天界にも春節があると聞いています。
 故郷を懐かしみながら皆さんでお祝いをしたいと思います。
 春節は華国の祝賀行事ですが、お祝いなので特に華国の方でなくても結構ですし、アトランティスの方も一緒に楽しんでほしいです。
 それにお祝いの仕方にもこだわりません。
 各国の催し物も体験出来れば幸いです。』 


「ふむ‥‥アトランティスで言うところの月霊祭。異国の新年行事とは興味深い内容ですね」
 ギルドの青年は時間があれば自分も‥‥と、その日時を密かに記憶しておくのだった。

●今回の参加者

 ea0760 ケンイチ・ヤマモト(36歳・♂・バード・人間・イギリス王国)
 ea7509 淋 麗(62歳・♀・クレリック・エルフ・華仙教大国)
 eb0732 ルルー・ティン(21歳・♀・バード・ハーフエルフ・ロシア王国)

●リプレイ本文

● 当日に向けて

 いよいよ準備を始めようというこの日、淋麗(ea7509)は宴の会場として、冒険者街の空き家を借りていた。
 此処ならばギルドの依頼書を目にしなくとも、同じ冒険者街に暮らす仲間達に何らかの会が催されているのは伝わると考えたからだ。
 準備はともかく、宴当日にはわずかな時間でも興味を持った人々に集って貰えたら楽しいと思う。
「ふふ。楽しみですね」
 しばらく誰の手も入っていない屋内の埃を叩きながら呟くころ、不意に開け放したままの玄関から声が掛かった。
「こんにちは」
 振り返ると、立っていたのは上品な顔立ちをした長身痩躯の青年。
 ケンイチ・ヤマモト(ea0760)と名乗る彼は、ギルドで宴の事を知り、手伝うために彼女を訪ねた冒険者。
「少しでもお力になれればと思いまして」
 にっこりと穏やかに告げる青年に麗も表情を綻ばせる。
「ええ、是非よろしくお願いします」
 二人が揃って微笑む光景に流れるのはほんわかとした空気。
 まるで花が咲きそうな雰囲気だった。
 そんなケンイチの来訪が合図であったかのように、次々と宴の準備に協力したいという人々が集まってくる。
 冒険者の夫や友人から聞いたという一般の人々が多く、掃除に料理、飾りつけを得意とする人々も少なくない。
 次第に賑わう屋内では麗を中心に役割分担が決められていき、各自が準備に取り掛かるが、更なる来訪者は昼を回った頃に現れた。
「こんにちは」と、最初に声を掛けて来たのはギルドで今回の依頼書を作成する際に担当してくれた青年だ。
 傍には見た目が六、七歳の耳の尖った少年と、人間の女性が佇んでいる。
 麗は彼らにも挨拶をした後、まずはギルドの青年に声を掛けた。
「こんにちは。貴方もお手伝いに来て下さったのですか?」
「ええ。――と言っても本職がありますから、頻繁には顔を出せないと思いますが」
 言ってから、彼は傍の二人を紹介する。
「こちらは友人のクイナさんと、ユアン君です。宴の準備と聞いて、そんな楽しいことには彼にも参加して欲しいと思いましてね」
「クイナと申します」
「ゆ、ユアン、です‥‥よろしくお願いしますっ」
 ガバッと勢い良く頭を下げる少年に、クイナと名乗った女性とギルドの青年は失笑。
 これは後で聞く話だが、ユアン少年にはつい最近、心を痛める出来事があったらしく、塞ぎがちな気持ちを切り替えさせたいというのが傍に居る大人二人の本音だったようだ。
「あと、もうお一人ご案内したんですよ」
 言うと、ギルドの青年は背後を一瞥。
 誰も居ないのを知って苦笑する。
 青年は玄関の外まで戻ると、壁の向こうに話し掛けた。
「どうぞこちらに」
「?」
 どうしたのかしらと小首を傾げる麗だったが、しばらくして姿を見せたのは雪のように白く長い髪に碧色の瞳が印象的な美少女。
 眦の角度が多少のとっつきにくさを感じさせるものの、向けられた笑顔は純粋だった。
「思っていたより狭い会場ですけれど、ジ・アースの春節を思わせる宴とは楽しそうな事をなさいますのね。わたくしの歌声を響かせるのも悪くはありませんわ」
 口調は居丈高ではあったが、少女・ルルー・ティン(eb0732)の表情にはやる気が漲っている。
 その態度からは歌う事が好きなのだと充分に伝わってきた。
「‥‥ふふ」
 思わず笑んでしまった麗に、
「まぁ、何ですの?」と小首を傾げるルルー。
「おや新しい協力者の皆さんですか」とケンイチも加わり、その場はいっそう賑やかになる。
「皆さん、ありがとうございます。このお祝いを皆さんで楽しみましょう」
 麗の穏やかな言葉が、春を彩る宴の幕開けだった。




● 各国の

 飾りつけに使う材料や、当日の参加者に振舞う料理に使われる食材などは麗が今回の宴のために用意した資金により賄われ、それだけを見ても当日の豪勢さを伺わせた。
 しかし春の到来を祝うのが本来の目的。
 故郷・華国の雰囲気も皆に味わって欲しいと考えた麗は、先ずは戸口に「福が到る」の意味を持つ字が書かれた赤い札を貼る事にした。
 入手し辛い紙は、布で代用。
 これは準備を手伝ってくれている女性達に声を掛けると難なく集まった。
 古くなった衣類の切れ端などで鮮やかな朱色とはいかないけれど、その分、人々の心がこもっている。
 これに、針と糸を用いて縁起の良い文字を刺繍するのだ。
「どうして赤色なの‥‥?」
 隣で麗の手先の動きを真似ながら懸命に手伝っていたユアンに尋ねられ「それはですね」と故郷の昔話を語る。
「華国には、年の終わりに現れる「年」と呼ばれるモンスターが村を襲おうとしたところ、老年の男性が赤いマントで「年」を驚かせて退治したという話しがあるのです」
「へぇ」
「それ以来、赤い紙を門前に貼り、悪い物が通り過ぎるようにとお祈りする習慣が生まれたのですよ」
「そうなんだ」
 初めて聞く話に興味を持った少年の様子を見て、たまたま傍を通り掛かったルルーが足を止めた。
「春の到来を祝うお祭の習慣なら、私の故郷ロシアにはマースレニッツァというのがありますわね」
「マースレ‥‥ッア?」
「マースレニッツァ。詳細は省きますけれど、ある決まった期間に断食する慣わしがあるのです。その一週間前から宴を始めて、皆が羽目を外して浮かれ遊び、最終日になると、この一週間の自分の狼藉を大きな藁人形に転嫁し、火あぶりにして祭を閉幕する、というものですわ」
「火あぶり‥‥?」
 些か刺激の強い表現に表情を強張らせるユアンだが、そこは習慣や文化の違い。
「それに最終日にはブリヌイというパンケーキを食べるのです。日常的に食べていたものですけれど、祭りの後のブリヌイはまた格別の美味しさで‥‥」
 ブリヌイには、その後の断食に向けて卵などの食材を使い切るためという現実的な意味も含まれているのだが、そう懐かしそうに告げるルルーに、ならばと麗。
「今回の宴に、用意してみてはどうでしょう? せっかくですもの、ロシアのお祝いも皆さんに楽しんで頂きましょう」
 にっこりと告げられて、ルルーも考える。
「そう、ね。そのものを作るのは難しいでしょうけれど、似たお菓子なら此処でも作る事が出来るかもしれないわね」
「ええ」
「私一人では無理だから、酒場にでも行って聞いてみようかしら?」
 ならば早速と動き始めるルルー。
 こうして春節の祝いにロシア文化が融合することとなり――。


「淋さん、いるか?」
 午後になって、やって来たのは服装を見るからに明らかな天界人の男。
 手には大きな荷物を抱えていた。
「ギルドの受付をやっている男に、獅子舞の道具を探していると言われて持って来たんだが?」
「まぁ、ありがとうございます」
 小走りに彼に近付き、その荷物を受け取る麗。
「持ち主からの言伝でな、こっちも商売道具なんで壊したりはしないよう気をつけてくれってさ」
「ええ。大切に使わせていただきます」
 包みを開けると、中からは何とも表現し難い獣の顔を象った人形と、太鼓道具一式が現れた。
 更には、これまた独特の模様をあしらった深緑の布が人形にぶら下がっており、これを初めて見る人々は一様に小首を傾げている。
 麗はくすりと微笑うと、ジ・アースに伝わる風習を説明した。
「もとは華国の文化なのですけれど、ジャパンのお正月では、この獅子に頭を噛んで貰うと厄が落とせると言われているそうですよ?」
「獅子? この人形って獅子なの?」
「そう見えませんか?」
 くすくすと応対する麗に、更に問い掛けたのはユアンだ。
「お正月、ってアトランティスの月霊祭のこと?」
 以前に世話になった冒険者達からジャパン風の年末年始を教えてもらい、共に過ごした経験のある少年は、心なしか表情を輝かせて言った。
「それ、どうやるの? 俺にも出来る?」
「うーん、少年にはちょっと背が足りないかもな」
「ユアン君が四本足になれば可能かもです」
 そうして魔法ミミクリーの説明をすれば、喜ぶ少年と、感心しきりの男は「冒険者ってのは何でもアリだな」と苦笑交じりに呟いた後で、
「あぁ。で、こっちが正月に聞く音楽の譜面なんだが‥‥」
「では譜面は私が」
 スッと差し出した手で受け取るのはケンイチだ。
「ああ。だが、持ち主が感覚で書いたような譜面だから正しいかどうか定かじゃないと言っていたが、大丈夫か?」
「構いませんよ、必要あればこちらでアレンジしますから」
 東西二つの国の血を継ぐ楽士はジャパンの音色にも親しみを感じているようだ。
「麗さんが舞われる際にも、私が楽を奏でましょう」
「よろしくお願いします」
 にっこりと告げる麗は、重ねて彼に問い掛けた。
「ケンイチさんの故郷には、春を祝うお祭にどのようなことを?」
「そうですね‥‥、イギリスでは年末年始よりも聖夜祭が重要視されますから、大切な方にカードを贈ったり、贈り物を交換したり、あとは家族揃っての食事ですね」
 他にも、代表的な聖夜祭のモニュメントとして、もみの木に煌びやかな飾り付けをしたり‥‥と説明する内、ならば今回の宴にはそれも取り入れようという話になる。
「まるで祭の万博だな」と苦笑交じりに呟くのは、獅子舞道具一式を持ってきた天界人だ。
 麗はくすりと笑い、そんな彼に名前を尋ねる。
「あぁ、こりゃ失礼したな。俺は滝日向(たき・ひなた)だ」
「では、当日は滝さんもいらして下さい。華国、ロシア、ジャパン、イギリス、それにアトランティスと天界‥‥あらゆる土地のお祭をご一緒しましょう」
 数多の国の文化を融合させた祭。
 その開催は、もう間もなくだ。




● 各々の準備に

 仲間との話しの中で、聖夜祭のモニュメントであるツリーも今回の宴に用意することになり、これを担当することになったのは勿論ケンイチだ。
 故郷では屋内の天井に届くほど大きな本物のモミの木を用意し、家族で一日掛けて飾り付けるが、さすがにそこまで本格的な事は無理だろう。
 そのため、近所の森に自生している木から一枝持ち帰り、飾り付けを手伝ってくれている主婦達と共に様々な装飾品を手作りする。
 天頂には星を象った布を被せ、同じく布製のリースや華を飾る。
「こんなのはどうかしら?」
「ケンイチさん、こちらも確認してくださいな」と、四方から声が掛かるのは、穏やかな物腰の彼がすっかり主婦達の人気者になっている証だ。
 それは休憩時に音楽の練習も兼ねてリュートを爪弾く姿から、視覚にも音楽を愛している事が伝わって来るというのも大きな理由の一つ。
 彼の奏でる音楽は、他の誰による演奏よりも優しく、美しかった。
(「麗さんは宴の宣伝に行くと言っていましたが、ルルーさんはどうしたのでしょう‥‥?」)
 この場には居ない二人を思いながら胸中に呟く。
 ルルーもまた宴の準備を進めているだろう事に疑う余地はないが、さて今頃どうしているのかと小首を傾げるケンイチだった。


 一方、そのルルーは宴会場最寄りの酒場を訪ね、そこで働いている調理担当の女性にブリヌイの作り方を尋ねていた。
 アトランティス出身の彼女は、そのような名前の料理を知らなかったが、ルルーが詳細を説明しパンケーキの一種だと話せば、それらしいものを作ってみようということになる。
 とは言えルルーも使用する材料を正しく知っているわけではなく、料理も得意ではない。
 手に入る食材も限られるため、製造過程は困難を極めた。
「全然違うわね、美味しくない」
「もう少し甘さを出せませんの?」
「まだ粉っぽいわ、こんなの食べられるわけないわ」
 故郷の味を思い出しながら試食するルルーが遠慮なく言い切ると、しかし調理人は「レシピを知らない所為だろう」と激昂するどころか、逆に料理人魂に火がついたらしい。
「今度こそ!」と更に熱を入れて再挑戦。
 失敗に失敗を重ね、粉で手や顔を真っ白にしながら焼き上げた五度目のアトランティス風ブリヌイに、ルルーはようやく納得した。
「ん。これなら合格だわ。その調子で作れるだけ作ってちょうだい」
 代金も充分に支払えば酒場も客商売である。
 明日の定刻までに可能な限りのブリヌイを焼き上げて会場に運ぶという約束を取り付けると、ルルーは次なる準備のために酒場を出た。
 と、同時に耳慣れない打楽器の音色。
 トンテントンテンと、どこか不器用な調子に小首を傾げつつ音のする方を見遣れば、獅子舞の傍で太鼓を叩く少年の姿。
 それが共に宴の準備を手伝っているユアンならば、四つ足で獅子を舞わせているのはミミクリーで姿を変えた麗に違いない。
「明日のお昼から冒険者街でお祭を開きます、皆さんお誘い合わせの上で、是非、遊びに来てください」
 これから夜にかけて人で賑わってゆく酒場周辺での宣伝活動。
 彼女達は、自身の役目に一生懸命だ。
 手伝おうかと思わないでもなかったが、明日の宴が賑やかになるのなら尚のこと、彼女には準備しておかなければならないものがあった。
 わら人形だ。
 ルルーの故郷ロシアでは、祭の終わりを、己のこれまでの狼藉を藁人形に転嫁し火で燃すことで春を迎えるための禊とする。
 そのためにも、彼女は藁を調達して来なければならなかった。
 藁自体の入手は、さほど難しいことではない。
 エールの原料となる麦を栽培している農家を訪ねれば、茎の部分を乾燥させたものは山のようにあり、その内の一部を購入するだけだ。
 問題は――。
「‥‥しまったわ」
 購入した藁を会場まで運ぶ手立てが無かった事である。
 此処に来るまで約半日掛けたため、既に空は陽精霊の力が弱まり赤色を帯び始めている。
 一度、会場に戻ってから改めて馬を連れてくるなどしては絶対的に時間が足りない。
「‥‥」
 考えた末にルルーは藁を背負った。
 その出自ゆえか人に命じることは出来ても、頼むことに慣れていない少女は、農家の人に頼るなど考えられなかったのだ。


 何度も休憩を挟みながら、ようやく会場となる冒険者街の家屋に戻った頃には、空はすっかり暗くなっており、ルルーが帰らないのを心配していた麗とケンイチは、戻った彼女の姿を見て驚いた。
「藁を運ぶのでしたら、私の驢馬をお貸ししましたのに」
「そうですよ、一声掛けて下されば‥‥」
「お二人ともご自分の準備でお忙しかったでしょう」
 藁を下ろしながら、ルルーははっきりと言い放つ。
「これはわたくしの仕事ですの。わたくしが貴方達の仕事を手伝う事はないのですから、わたくしの手伝いも不要ですわ」
 その口調は居丈高で威圧的だ。
 だが、言葉の意味をどれだけ深く読み取るかで受け取る側の反応も変わる。
 その点では麗もケンイチも実に冷静で穏やかな人格者だった。
「これからお一人で人形を作るのですか?」
「ええ」
 麗が問い掛ければ、ルルーは即答。
「もう時間もありませんし、邪魔しないで下さるかしら」
 そうして部屋の奥へ藁を引き摺って行くと、ここと決めた場所に腰を下ろして藁を一掴み。
 本当に一人で人形を作っていこうとする少女に、麗とケンイチは顔を見合わせた。
 クスッ‥‥と小さく笑い、どちらともなく、彼女の傍に腰を下ろす。
「まぁ、何ですの? 手伝いは不要と言ったはずですわ」
「ですが明日の宴で歌う曲の練習なども充分ではありませんし」
 ケンイチが言うと、ルルーは言葉を詰まらせた。
「私が曲を奏でますから、ルルーさんの声は歌を、手は人形作りに勤しんでください。私は、弾くのに疲れたら休憩がてら人形を作りましょう」
「私はお二人の楽に合わせて舞の練習を。――疲れたら休憩がてら人形を作りますね」
 麗も続くと、ルルーは軽い吐息を一つ。
「‥‥仕方ありませんわね」
 そうして三人の当日に向けた準備は、夜を徹して続けられた。


 空に再び赤味が差し、世界には朝が来る。
「何とか完成ですね‥‥」
「ええ」
 ケンイチがほっとして呟く隣で、麗も微笑んだ。
 ルルーが背負って来た藁の量は決して多くなかったが、一つ一つ丁寧に編まれた藁人形は三十余り。
「さぁ、準備は整っておりますわ。楽しみますわよ」
 徹夜のせいか、気持ちを高揚させたルルーの宣言。
 近所で飼われている鶏の声に背を押されるように、彼らは「さて」と立ち上がった。




● 春節の宴

 玄関の戸口には赤い布に刺繍された「到福」の文字。
 屋内で真っ先に人々の目を引くのは煌びやかに装飾された子供の背丈程ある木の枝だった。
 更に奥へ踏み入れば聞こえて来る美しい歌声と、それを更に伸びやかに彩るはリュートの音色。
「春節は、ここでいう月霊祭、西洋での聖誕祭、ジャパンでの正月と同様なものです。私の国では今日がその日にあたります。皆さん、楽しんでいって下さい」
 主催の麗の挨拶で始まった宴には多くの人々が集まった。
 近所に暮らす冒険者達も、長居は出来ずとも顔を見せ麗達の頑張りを労っていく。
 そんな中で心配そうに麗を見上げるのはユアンだ。
「なんか‥‥眠そうだけど大丈夫?」
 徹夜を見抜いたらしい少年の言葉に、しかし麗が答えるより早く口を挟んできたのは彼女が招待した天界人の滝日向。
「祭の準備ってのは、そんなもんだ」
 自分も学校に通っていた頃は何日も家に帰らず、祭の準備に明け暮れたもんだと思い出を語る。
「いいよな、故郷の宴ってのは」
 彼もまた故郷の正月を迎えられなかったのだと麗は気付き、そっと微笑む。
「滝さんも楽しんでいってくださいね」
「あぁ、ありがとな」
「ユアン君は、約束の獅子舞をやってみますか?」
「ゃ‥‥、やる!」
 ミミクリーを掛けての舞に目を輝かせる少年。
 だが、一人が始めれば二人目、三人目と興味を持つ子供が集まり、麗はすっかり囲まれてしまった。


 こちら宴を楽で彩る二人。
「次はどの曲を?」
「イギリスの音楽を、是非」
 気高い淑女の微笑みと共にルルーが告げると、ケンイチはにこりと笑む。
「わかりました」
 愛器の弦を弾けば優しい音色が響き渡る。
 アトランティス特有の、あらゆる国の言語が精霊の力によって自国の言語として辺りに浸透する歌声は、はるか彼方に故郷をおいてきた人々の心を確かに安らがせていた。
 いつ戻れるとも知れないこの土地で、自ら旅立った者も、知らず知らず招かれた者も思いは一つ。
 懐かしき我が故郷。
 いつか再びその大地に立てるように――。
 歌い終われば拍手喝采。
 次は自分の国の音楽をと彼らへのリクエストも後を絶たなかった。
 会場の中央には彼らが準備した各国の料理が所狭しと並べられ、中には初めて見る料理に興味津々な客も少なくない。
「これって‥‥?」
 子供が指差したのはルルーが準備させたブリヌイだ。
 ちょうど喉を潤しに来ていた彼女が故郷の風習を交えてその疑問に答え、切り分けてやる。
「さぁ、召し上がれ」
 一口目は躊躇いがちに。
 二口目からは大きく豪快に。
「美味しいっ」と歓声が上がれば次々と人の手が伸び、後日、このブリヌイが世話になった酒場のメニュー表を飾ることになったとか。




● 宴の後

 空がすっかり暗くなった頃、宴会場でも最後のイベントが始まっていた。
「さぁ燃やしますわよ!」
 庭の中央に焚かれた炎に藁人形を放り込む。
 これも本来は等身大のものを用意するが、今回は時間と藁の量から三十センチ程度の人形だ。
 三十余りの、麗とケンイチ、そしてルルーが徹夜して完成させた藁人形。
 これを、一人一つ持って火にくべる。
 これまでの自分の狼藉を転嫁して燃し、綺麗な自分で春を迎える、そのための大切な行事だ。
 これを見て一言、
「焼き芋みたいだな」と罰当たりな事を呟くのは日向。
「焼き芋って何?」と聞き返すのはユアンだ。
 それこそ秋の一大行事と大袈裟な事を言う青年に、麗はくすくすと笑った。
 パチパチと勢い良く音を立てながら燃える藁から煙が立ち上り、ルルーがその周りで踊るよう皆に声を掛けていた。
 ケンイチの奏でる音楽も、故郷を懐かしむものから陽気なメロディに変化し、皆の心を弾ませる。
「‥‥楽しいです」
「ん?」
「私も良い経験が出来ました。やはり祖国の風習は忘れてはいけませんし、他国の風習も受け入れる事を忘れてはいけませんね」
 彼女の言葉に、笑顔が広がる。
「ああ」
「良い思い出になりましたね」
 ケンイチも応え、口元に笑みを湛える。
「さぁ、麗さんも踊るのですわ」
「はい」
 ルルーに手を引かれ、麗も踊りの輪の中に。
 舞い落ちる灰は、まるで温かな雪のよう。


 宴は続く。
 賑やかながらも穏やかに。
 舞と、歌と、音楽と。

 春の訪れを祝う。
 故郷の春を、想った――。




 ―了―