野生の掟に背く事なかれ
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■ショートシナリオ
担当:月原みなみ
対応レベル:8〜14lv
難易度:やや難
成功報酬:2 G 49 C
参加人数:6人
サポート参加人数:1人
冒険期間:10月27日〜10月30日
リプレイ公開日:2008年11月05日
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●オープニング
「夫を助けて下さい!」
ギルド受付で悲痛な叫び声を上げたのは三十代後半と思われる細身の女性であった。
とても美しい顔立ちを今は苦痛に歪めている。
「どうか‥‥どうか夫を‥‥!」
訴えながら、しかし彼女は突然その場に崩れ落ちる。
荒ぶる呼吸を整えようと試みるも成果は一向に見られず、青白い顔に滲む脂汗と異常な呼気は明らかにおかしかった。
「大丈夫ですか‥‥っ?」
受付係のアスティ・タイラーが慌てて傍に駆け寄り、肩を貸す。
「さぁ私に掴まって下さい。どうぞあちらの席まで‥‥」
出来るだけ穏やかな声音で促すも、彼女は「夫を‥‥夫を‥‥!」と繰り返すばかり。
よほど大変な目に遭っているのだろう事は判ったが、今は彼女自身を落ち着かせるべきと、アスティは根気強く彼女に語りかけた。
数分後。
ようやく一呼吸ついた彼女から聞いた話によると、助けて欲しい相手は彼女の夫ジェンガー・クロックホム。
パン屋を経営している夫妻は近所でもおしどり夫婦として評判の二人らしい。
しかし妻には持病があった。
昔から体が弱く、風邪など引けば必ずこじらせて回復まで長引き、時として生死の境を彷徨う事もあるという。
そうなれば食事が喉を通る事も稀で、体は弱っていく一方。そんな奥方を不憫に思った夫は、妻の為に「薬草」を採りに行くと言って、植物知識に詳しい知人の薬草師ドウェルドと柴犬のベスを連れて山に入ったのだそうだ。
これが二日前。
そして昨日の昼過ぎに事態は急変、柴犬一匹が薬草の入った籠を体に下げて妻の元に帰りついたのである。
「その籠に‥‥ベスの下げていた籠に‥‥っ‥血が、ベッタリとついていて‥‥っ」
ジェンガーが怪我をして山中で遭難しているのでは――、そう考えた村の人々が総出で捜索を開始したところ、今朝方になって彼に同行していた薬草師ドウェルドが発見された。
彼は足を挫いて動けなくなっていたという。
「そのドウェルドが教えてくれたのです、思わず口走ってしまったと‥‥。山の頂上付近には私の病気にとてもよく効く珍しい薬草が自生していて、それがあれば‥‥と、そうしたら夫は‥‥」
「山を登って行ってしまった‥‥」
アスティが確認するように呟くと、彼女は何度も小刻みに頷く。
「そうです‥‥そう‥‥ドウェルドが何度も止めたのに‥‥そこから先はキングベアの領域だと止めてくれたのに‥‥っ」
「キングベア!?」
思わず甲高い声を上げてしまうアスティだが、それも当然。
身の丈四メートルはあろうという、いわば山の王。その縄張りに入り込んだとあらば殺されても文句は言えない――。
「夫を止めようとドウェルドは追い掛けてくれたのです‥‥ですが、間に合わずにキングベアに襲われて、‥‥そこからはもう、自分の事だけで精一杯で夫がどうなったかは判らないと‥‥っ」
そう言って、何度も「すまない、すまない」と謝るのだそうだ。
「お願いです‥‥っ‥悪いのは夫です。ですが彼を助けて下さい‥‥っ‥ドウェルドのためにも、どうか‥‥!」
「――‥‥判りました」
非常に危険な依頼だ。
時間もない。
山岳、森林、頂上付近には雪も積もる季節。
それらに対応出来る冒険者がどれだけ集ってくれるか。
しかし、このように訴える女性を放っては置けない。その気持ち一つでアスティは依頼書を作成し始めた。
●
同時刻、山頂付近の岩陰に隠れていたジェンガー・クロックホムは荒い呼吸を懸命に抑えながら、混乱した頭の中を何とか整理しようと試みていた。
(「何なんだ‥‥何が起きたんだ‥‥っ」)
判らない。
その言葉を繰り返しながら握り締める衣には、元からその色の布だったのかと錯覚させるほど広範囲に赤黒い染みが広がっていた。
血、だ。
ただし彼自身の血ではなく、――子熊の。
(「どうしてドウェルドが子熊を殺してその血を俺に‥‥っ」)
最初に子熊を見つけたのはジェンガーであった。
まさか此処はキングベアの縄張りではないのかと訴えた、直後。
ドウェルドはその子を矢で射て、殺した。流れた血溜まりにジェンガーを押し倒し、その身を子熊の血に浸したのだ。
そうなれば、どうなるか。
現れたキングベアは、ジェンガー一人に怒りの矛先を定めた。
――‥‥『奥さんの面倒は私が見ますからご心配なく』‥‥
去り際にそんな言葉を残したドウェルドの冷笑が頭から離れない。
咄嗟に愛犬のベスへ「戻れ」と命じたが、無事に家へと帰れただろうか。
(「どうか無事で‥‥っ」)
ドウェルドの目的が何であるのかは判らない、だからこそ怖かった。
彼は祈る、妻の無事を。
子供の血の匂いに導かれて迫るキングベアの足音を背後に聞いても、祈り続けていた――‥‥。
●リプレイ本文
キングベア。
身の丈は平均して約四メートル。
灰褐色の毛皮をもつ巨大な熊であり、地域によってはこのキングベアを龍や精霊同様に崇めている部族も存在すると言われるほどの相手だ。
オラース・カノーヴァ(ea3486)が所持していた写本「動物誌」を借りてリール・アルシャス(eb4402)が得た知識を皆に伝えると、それぞれが難しい顔をしてみせる。
「お願いします、どうか夫を‥‥!」
縋りつくようにして訴えるのは依頼主こと、要救助者ジェンガー・クロックホムの妻ナタリーだ。
「いまこの瞬間にも夫の身に何が起きているのかと思うと‥‥っ」
震えた悲鳴のような声を張り上げた途端に咳き込み、苦しげに蹲る彼女をリールは慌てて支える。
「貴女の夫は、自分自身が命を落とすと貴女が哀しみに暮れる事は充分に判っていらっしゃると思う。だからきっと、大丈夫」
「ぁあ‥‥っ‥‥どうか、どうかあの人を‥‥っ」
不安のあまり取り乱している彼女の傍には、やはり青白い顔をしたドウェルドの姿が。
「彼は‥‥ジェンガーは助かりますか‥‥」
不安の色を濃く滲ませた彼の言葉に、イシュカ・エアシールド(eb3839)は「‥‥最善を、尽くします」と、一言で応えた。
他の冒険者達が向き合うのは薬草の籠を下げて戻って来たという夫妻の愛犬、柴犬のベスだ。
シルバー・ストーム(ea3651)のスクロール魔法テレパシーで、犬の目で見て来た光景を知り、聞いた話から、着替えなど必要と思われるものを準備して貰う。
「主人を探し出すのに、ベスにも同行して貰えないだろうか」
導蛍石(eb9949)の問い掛けにシルバーは応え、ベスにその旨を伝える。
「わん!」
強い決意を込めた一鳴きは、言葉の判らぬ者達にも意味を悟らせるほどに硬い。
「じゃあ、早速出発しようか」
アシュレー・ウォルサム(ea0244)に促されて一同は外へ。
「どうか‥‥どうかよろしくお願いします‥‥!」
必死に訴えてくるナタリーに、冒険者達は力強い笑みさえ浮かべて件の山を登り始めた。
●
柴犬ベスと、こうした山歩きには慣れているオラース、蛍石に先導されながら、冒険者達は険しい山道を行く。
殿は、やはり山岳や森林地帯には土地勘を持つアシュレー。
その間に慣れない三人が並ぶ。
「大丈夫か?」
「‥‥ええ‥‥ありがとうございます」
リールに気遣われて伏し目がちに返すのはイシュカだ。
クレリックである彼は、ジェンガーの容態が如何なる場合であろうと対応出来るよう準備万端。
ただ如何せん体力が乏しいために結構な無理をしなくてはならず、しかしそれを押してもこの依頼に同行したい理由が彼にはあった。
「ふむ。危険だと判って行くんだから愛だよねえと思うけど‥‥何か引っ掛かるなぁ」
アシュレーの呟きに、イシュカは思わず頷き返す。
「‥‥山の頂上付近に珍しい薬草が自生していて‥‥、でもそこはキングベアの領域を通らなければいけなくて、‥‥話が、矛盾‥‥していませんか‥‥?」
殺されても文句は言えない、そうとまで言われている場所の向こうに生えている薬草の事をどうして知っていたのか。
そんな話を黙って聞いていたシルバーは、不意に「実は」と口を切る。
妻の前では不安を募らせるだけだと考えて皆に伝えるのを控えたが、ベスの目撃した状況は妻から聞いた話しとは微妙に異なっているのだと。
「‥‥裏がありそうです」
シルバーの言葉に一同の周囲を包む張り詰めた空気。
どうやらこの依頼、ジェンガーを救出してそれで解決というわけにはいかなさそうだ。
山を登り、標高が上がるにつれて地形も更に険しく歩き難くなっていく。
「なるべく足の裏全体を使うようにして登れ」
オラースの忠告に、シルバー、イシュカ、リールはこくりと頷き、上へ。
アシュレーは同伴した鷹のランスを空に放ち上空からの偵察を頼むと、隣を寄り添うように歩く柴犬のリキにはベスのサポートを頼んだ。
またしばらく歩を進め、頂に近付き。
先頭を行く蛍石は、同伴していたペガサスの黄昏が不意に鼻息荒く何かを訴えるのに気付く。
「――ランスが鳴いた」
上空を仰いだアシュレーが相棒の報せを伝えるや否や。
「ベス!」
皆を先導していた柴犬が突如、勢い良く駆け出した!
「近いんだ」
「油断するな」
蛍石、オラースが告げ、走る。
「イシュカ殿、行けるか?」
「ええ‥‥っ」
「‥‥足元には気を付けて下さい」
リール、イシュカ、シルバーも互いを支えあうようにして傾斜を登り、木々の連なりが途絶えて視界が開けた、その瞬間だった。
「わんっ、わん!!」
ベスが吠える、その先で。
「!!」
倒れた人影。
その真後ろに現れた巨大な、影。
「彼の者を捕らえよ、コアギュレイト!!」
一か八かの高速詠唱、拘束魔法は蛍石の。
『グゥォオオオオオオッッ』
しかし相手の気迫がそれを上回る。
「黄昏!」
ペガサスの俊足と。
「ソードボンバー!!」
ザッと地に足慣らし武器からの衝撃波を放つはオラース。
『グアアッ!』
目に見えぬ衝撃にキングベアが咆哮し、オラースに目を向けた一瞬の隙を突いたペガサスはその足元に倒れ込んでいた男の首を咥えて宙を駆けた。
「そちらへ!」
蛍石が指示を飛ばし、イシュカが手を伸ばす。
「ジェンガー殿か!?」
すぐに確認するリールに、ペガサスに咥えられた男は目を白黒させながらも、頷いた。
そう、頷いたのだ。
彼の意識ははっきりとしており――全身が血だらけで、顔色は青白く苦しげであったけれど、生きている。
「怪我をされているのですね? 今すぐに治療を‥‥!」
すぐに逃げるべきなのは判っていた。
だが、ジェンガーが怪我をしているのであれば、それによって命を落とす危険も考えられる。
まずは彼の治療を済ませる事が最重要であり、この間のキングベアの相手は既に打ち合わせていた通り、百戦錬磨の冒険者達が請け負っていた。
「すぐに‥‥血を止めますから、どうか‥‥頑張って下さい」
告げるイシュカに、だが本人がそれを止めた。
「ち、違うんだ‥‥っ、これは俺の血じゃない‥‥っ」
「‥‥え‥?」
「あのキングベアの子供の血で‥‥!」
まさかと振り仰ぐ巨体の、血走った瞳。
「コアギュレイト!」
何とか動きを止めて逃げる隙を作りたい蛍石だったが、子供を殺されて殺気立っているキングベアの気迫は凄まじく、とても呪縛を許す状態ではなかった。
『落ち着いてください』
それに気付いたシルバーが、ベスと言葉を交わした時と同様にスクロール魔法テレパシーで会話を試みるが功は奏さない。
キングベアは、それほどまでに怒りで我を忘れていたのである。
「‥‥キングベアの子を‥‥殺した、のですか‥‥?」
「違う!」
イシュカの質問に即答するジェンガー。
ならば何故、と事情を問質したかったが、そのような余裕はない。
「あのような巨大な熊に負われて、よくこの数日を生き延びれたな」
リールが告げれば男は「当然だ」とはっきり返す。
「俺が死んでしまったら妻はどうなる‥‥! 彼女を残して死ぬなんて絶対に御免だ!」
山に入って数日。
キングベアに襲われてからは、恐らく飲まず食わずで逃げ惑っていただろうに、迷わず言い切ったジェンガーの態度には好感が持てた。
「その意気だ」
必ず帰ろう、と背を叩く。
そして、どんなに小さな傷でも油断してはならないとの判断からイシュカの白魔法リカバーがジェンガーに施され、彼らが一連の行動を取るまでの間、キングベアの目を逸らさせていた四人は。
「どうするアシュレー」
「殺すのは避けたいんだよね。――コアギュレイトが効かないなら、アイスコフィンも無理かな」
こちらもスクロールを広げて魔法を試すも、やはり効かない。
「多少、弱ってもらうしかありません」
僅かに眉を顰めて言うシルバーに、蛍石達の意見も同じ。
例え運良く動きを封じられても、魔法が解けると同時に更に怒りを煽り人里に降りてこられては厄介だ。
「だったらいくぜ」
そうと決まれば手加減無用とばかりにオラースの剣技が冴える。
「はぁぁあああっ!」
懐に入っては危険な相手、攻めるならば外周からの遠距離攻撃。
オラースのソードボンバーと連携するように射掛けられるのはアシュレーの弓から放たれた矢。
「手荒な真似はしたくないんだよ、本当は」
時には地面に転がっていた石すら武器に変えてキングベアの気を引き。
「黄昏、ホーリーフィールド!」
蛍石が相棒に命じての防御魔法が仲間達を援護。
「これでどうだ熊公!!」
オラースが剣を構えた。
スマッシュEXとソードボンバーの合わせ技、描かれた軌跡が斬撃となってキングベアを撃つ。
『グゥァァアアァァアアアア!!』
怒りの咆哮。
続くは巨体が転倒し大地を揺らす地響き。
そうしてシルバーのスクロール魔法、幾度目かのシャドウバインディング。
『‥‥ァガッ‥』
倒れ、体を曲げた状態でキングベアの動きが止まる!
「アシュレー!」
オラースの呼び掛けは、術発動の合図でもあった。
「春になれば出られると思うからね――」
アイスコフィン。
大地に倒れたキングベアの体がみるみると氷に覆われていく。
「――任務完了、かな」
呟く冒険者達の眼前には氷の中で停止したキングベアの姿。
これから冬を迎える山中、‥‥春を迎える頃には平静さを取り戻し、己の領域へと戻ってくれる事を願うばかりだ。
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その後、ジェンガーの村へ戻るべく山を下りながら、冒険者達は彼からキングベアに襲われるに至った状況を改めて聞き、真実を知る。
「なるほどねえ。ようやく合点がいったよ」
アシュレーが言えば、その隣ではリールも。
「そのような事をドウェルド殿が言ったのか。‥‥夫人を想い、どうしても諦めきれないのであれば、夫人の心が自分を向くよう己を磨けば良いものを」
リールの呟きに、それもイヤだとジェンガーは厳しい顔付き。
「ドウェルドは三ヵ月くらい前から村に住み着くようになった薬草師で‥‥、まさかこんな形で裏切られるなんて‥‥」
言ってから、しかしジェンガーは左右に首を振る。
「いや、そんな下心を見抜けなかった自分に腹が立つ‥‥!」
「まぁまぁ」
鼻息荒く自身を責めるジェンガーを、アシュレーがおっとりと宥めた。
「‥‥生きて戻られたのです。きっと‥‥もう大丈夫でしょう」
イシュカもぽつりと告げ。
「ですが、此処で貴方が無事に村に戻ればドウェルドさんが逃げてしまう事も考えられますね」
シルバーの推測に、特に合図したわけでもないのに皆の足が止まった。
●
村に戻ったアシュレーとオラース、そして蛍石の元に転がるような勢いで駆け寄って来るも、途端に咳き込む依頼主ナタリーを彼ら慌てて支えた。
その後方には、多くの村人達に混じって青い顔で佇むドウェルドの姿も。
「夫は‥‥ッコホコホ‥‥夫は‥‥!?」
「‥‥うん」
元々愛想が良い方ではないオラースと、演技派アシュレーが一切の感情を顔から消せば、ただでさえ血の気のない顔を更に青白くしてその場に崩れ落ちるナタリー。
「あぁ‥‥ジェンガー‥‥っ‥‥ジェンガー‥‥!」
対して笑いを抑え切れぬように口元を歪めて近付いてくる男が。
「ナタリー‥‥可哀相に。さぁ、今は泣くと良いよ‥‥」
そうして彼女に触れようとした、その瞬間だった。
「させませんよ」と、呪縛魔法コアギュレイトで捕らえた蛍石。
「なっ‥‥」
「残念だったねえ。――ジェンガーなら無事に連れて帰って来たよ」
アシュレーが告げた、その後方からペガサスの背に乗ったジェンガーが、シルバー、リール、イシュカに伴われて姿を現す。
「‥‥っ!」
「あなた‥‥!」
目を見開いたドウェルドは、しかし魔法のせいで逃げる事は敵わず、ジェンガーから村の皆が真実を聞き終えるまで一切の動きを禁じられ、一組の夫婦に悪意を持って近付いた男が捕らえられる事で、夫婦はそれまでの時間を取り戻す。
「微笑ましいご夫婦の未来に幸せが降り注ぎますように」
リールの言葉に、穏やかな笑みで応えて――。