●リプレイ本文
●
アトランティス。
セトタ大陸最大の国であるウィル、その王都には、いま多くの冒険者達が集まっていた。ギルドに横付けされた数隻のフロートシップのうち、一隻は祈りの儀に参加する冒険者達を乗せてウィルを形成する六分国の一つ・セレへ向かう船。その他の船には冒険者達が必要とするゴーレムグライダー、フロートチャリオットなどを乗せ、向かう先は地獄の門――。
「あれ?」
不意に視界を過ぎった姿に思わず声を上げたアシュレー・ウォルサムは、軽い足取りでその人に近付く。
「ジュディ」
「あら‥‥ウォルサム様」
「もしかして地獄の門に行くのかい?」
聞かれた白のクレリック、ジュディ・フローライトは複雑な表情で頷く。自身の体の弱さは誰よりも判っている。
それでも。
「無茶をするなと叱られそうですけれど‥‥遠くで祈りながら皆様の身を案じるよりは、同じ戦場でお役に立てた方が気が紛れますもの」
「そう」
相手の真摯な気持ちが伝わるから、アシュレーは苦笑する。
「あんまり神父に心配掛け‥‥るのも楽しいか」
「――まぁ、ウォルサム様‥‥」
ほんのりと頬を染めながらも笑むジュディ。その表情からは先刻までの強張りが解けていて、アシュレーも安堵から目元を和らげた。
一方、船から降りてきた月姫セレネが言葉を交わしていた陸奥勇人やヴェガ・キュアノスの表情は厳しい。
「なんと‥‥地獄に天使が囚われておるとはな。何としても彼の御方をお助けせねば」
「相当訳有りな感じだが、先ずは助けてからの話か」
「助けるのはいいが」
横から口を挟むシン・ウィンドフェザー。
「天使までとはねぇ? もうここまで来たら何でもありだな、こりゃ」
「こんどは、てんしさんとおともだちになるのー♪」
無邪気に宣言するレン・ウィンドフェザーに、彼女の義父であるシンは苦笑を交じえた表情でその頭に手を置いた。
彼らは地獄の門に赴き、その番人であるケルベロスと直接対峙する。天使救出組みが門を突破出来るよう援護し、その役目を果たすまでその注意を引きつけるのだ。
‥‥危険な任務だ。
だからこそ、普段は常に傍にいる相棒とも今日ばかりは一緒にいられないと表情を曇らせる冒険者も少なくない。
「エルノーとは一緒にいたいけど、危険な目には遭わせたくないの。だから、セレで仲間の無事を祈っていてね」
そうして月のフェアリー・エルノーをセレの儀式に参加する仲間に預けるのはティアイエル・エルトファームやシャリーア・フォルテライズなど、女性冒険者が多かった。しかしそれは危険だからという理由に止まらず、先の儀式において精霊達の力が地獄の門に強い影響力を及ぼしたように、今回も祈る事で力に――そう思うからだ。
「‥‥確かに、お預かりします‥‥」
彼女達から精霊を任せられて静かに答えるのはイシュカ・エアシールド。
「‥‥そして皆様、どうか無事で‥‥天使と共に戻って来て下さい‥‥」
「ああ。吉報を持ち帰れるよう努力するよ」
応じたシャリーアが別のシップへと足を向けた頃、イシュカの背後から掛かる声。
「母親のスカートの陰に隠れている子供がいるな」
「‥‥ソード」
親友のソード・エアシールド。イシュカのローブに体を隠すようにしている月人、スノウホワイトは、先日の儀式で月姫から預けられた子だ。
「そろそろ時間だ、おまえも船に乗れ」
「‥‥ええ」
静かに答えるも、仲間の身を案じる視線が地獄の門へ向かう船に注がれる。それに気付き、ソードは月人の頭を撫でる。
「祈る事で力になるんだ。‥‥あいつのために、仲間のために、――全力を尽くす」
ジ・アースにいる大切な子のためにも。
そう告げられてイシュカも瞳に強さを取り戻す。
「ええ‥‥」
促されて乗り込むセレ行きのフロートシップ。その搭乗口の前ではセレの筆頭魔術師ジョシュア・ドースターと、オルステッド・ブライオン、アリシア・ルクレチア夫妻が言葉を交わしていた。
「オルステッド。どうか生きて‥‥生きて、帰って来てください。貴方がいるから、私にとって世界は意味あるものになっているのですから‥‥」
「‥‥ああ‥‥この子らの事は頼む‥‥」
「はい‥‥」
そうして火霊らオルステッドが連れてきた精霊達と共にアリシアが船内に姿を消すと、これで全員が乗り込んだと確認したジョシュアも。
「では、くれぐれも気をつけての」
魔術師の言を受けて、彼もまた地獄の門へ向かう船に乗り込もうと歩を進めた。しかし不意に足を止めて振り返る。
「‥‥この間の問いの答えだが‥‥私の回答は多少、異なる。‥‥人の記憶を忘却させる薬や魔法があれば教えて欲しい‥‥」
「記憶の忘却、とな?」
聞き返す魔術師にオルステッドは頷く。
「‥‥妻には内緒にしておいてくれ‥‥」
決して直接は伝えられぬ言葉。万が一の事があれば自分を忘れて新しい生を。
道を。
その時の事を思えば子を成す事も出来ず。
「深い愛情ゆえに難儀な事じゃのう」
ドースターは笑う。いつもの豪快な笑い方ではなく苦笑交じりの、労わりを覗かせた眼差し。
「まずは此度も戦場から戻ってくる事じゃ。忘却の薬云々の話はそれからの。美しい女子に涙を零させるものではないぞ」
「‥‥ああ‥‥」
その言葉を最後にセレ行きのシップは扉を閉ざした。轟音と共に飛び立つ船を見送り、地獄の門へと向かう船も起動される。
「‥‥ユアン、気をつけて。そちらは頼んだぞ!」
リール・アルシャスが船に向けて掛ける言葉は、あちらに加わった幼子への激励。必ず生きて戻る。そう、堅く心に誓った。
●
昏い色が視界を覆う。
赤い空に黒い雲、赤茶けた大地。黒く淀んだ大気が霞みのように視界を妨げ、重苦しい風が纏わり付く。前進するフロートシップからそれらを見つめて、冒険者達の表情にも自然と硬さが帯びた。
「魔物の狙いが何であれ、囚われの天使の救出を急がねば、な」
アレクシアス・フェザントの言葉に、声に出さずとも心に思う事は皆が同じ。必ず助ける。
『‥‥もう間もなくです』
告げたのは同乗していた月姫セレネ。閉じた瞳の奥に白き者の姿を見る精霊に、いよいよかと緊張感を高める船内だったが、その中で一人、月姫に興味深い視線を送っていたのはオラース・カノーヴァだ。
(「あの予知能力を何とかして身に付けられないものか‥‥京都の陰陽寮で修行すれば身に付くだろか」)
これまでにも卓越した予知能力を発揮、その託宣に助力して幾度もの危機を回避して来たのだから、欲しい情報を得られる力の重要性に比例して取得は困難なもの。それを月姫本人に問うたところで「人の身では無理だ」という答えがあるくらいだろう。
「グライダーの準備が整いました」
不意の声はセレの鎧騎士。
「ありがとうございます」と返し、皆に先んじ空から偵察に向かうのはシャルロット・プランや越野春陽ら鎧騎士達。
「ですが‥‥自分の技量ではサイレントな部分が活用出来ないので、どなたかに操縦をお願いしたいのですが」
そう声を上げた春陽に応じたのはリール。自らの背に翅を持つ飛天龍もこちらに付き添う事を決めた。
シップを停め、グライダーが離陸。しばらくして戻った彼らは、実際に目で見なければ判らない情報を仲間達に伝えた。
「地獄の門番ケルベロスの周囲には、魔物の数は多くありません。ですが、月姫に示された方向へ飛ぶにつれて赤茶けた大地が黒く染まっていくように、魔物の数が増えていきます。さすがに深追いは出来ませんでしたが‥‥門の奥を上空から見る限り、岩壁を加工したような建造物に天使を囚える檻があるのだと思います。その周りに群がる魔物は、もはや数え切れません」
シャルロットの言葉に、幾人かが息を吐いた。
「‥‥魔物、なのかしら」
石動香代が声を上げると、それに答えたのはリラ・レデューファン。
「どうかな。その区別は私達には難しい‥‥しかし、ケルベロスが『ケルベロス』と名乗るならば、それはデビルだ。天使救出の道筋で我々の邪魔をするのもデビルである可能性は高い」
「‥‥って事は何か。ケロ助と同じ姿をしたカオスの魔物が、アトランティスにはまだいるって事か?」
「かもな‥‥」
石動良哉の考えたくない推測に、更に深い息を吐いたのはカイン・オールラント。次いで口を切ったのは香代の隣にいたキース・ファランである。
「ケロ助って?」
「ケルベロスの事よ‥‥そう呼ぶのは面倒だからって、お兄さんが勝手にそう呼んでいるの」
「ふぅん」
そんな遣り取りに思わず笑ってしまったのはリィム・タイランツ。彼らしいと、そう思ったのかもしれない。
「‥‥なんにせよ、行くしかないな」
天龍が切り出し、勇人が応じる。
「行くか」
「ああ」
アレクシアスが頷き、シップは更に地獄の門へ。
闇が迫る。
「‥‥」
「‥‥レイン?」
隣に立つ少女レイン・ヴォルフルーラの口数がいつになく少ない事を案じたアルジャン・クロウリィが声を掛けると、しかしレインは穏やかに笑む。
「大丈夫ですよ‥‥、アルジャンさんも、一緒ですもん」
「‥‥ああ」
そっと細い指先を己の手で包み、アルジャンもまた笑む。そんな遣り取りを見て「いいッスねー」と漏らすのはフルーレ・フルフラット。
「確か愛の力もケルベロスにダメージを与えられるはずッスよ」
「フルーレ殿には、そういうお相手はいないのか」
「リラさん、そういう発言は騎士に非ずッス!」
「あぁ‥‥すまない。つい‥‥」
「心配しなくても、フルーレ殿ならすぐに良いお相手が見つかると思うが」
リールがすぐ隣から励ますのを聞いてカインがしばし思案。
「‥‥そういえばアベル卿が結婚しろってせっつかれているらしいが、どうだ?」
「自分は伯爵夫人なんて柄じゃないッスよ!?」
慌てるフルーレに遠慮がちな笑いが起きる。
笑いは冒険者達の緊張感を和らげる。こんな時でも笑顔が零れるのは数々の死地を共に潜り抜けてきた仲間が傍に居る事への安心感であり、信頼だ。しかしそんな彼らに対し一人苛立ちを募らせるのはセレに滞在している白騎士アイリーン。
(「天使様をお救いせねばならないという時に‥‥!」)
胸中の憤りを、拳を握り締める事で何とか抑え込もうと努める彼女の様子に気付いたのはシャリーアだった。
「セレで、ずっとお一人で戦って来られたのか」
「‥‥」
きつく口元を結んで虚空の一点を見据える彼女に、シャリーアは語った。
「私には‥‥愛する方がいる。その方は、ジ・アースの神聖騎士なのだが‥‥正直、彼の信仰には理解が及んでいない」
そこでようやく彼女の顔を見たアイリーン。その表情に驚きが滲んでいるのを見て、シャリーアは笑んだ。
「うん。‥‥だが、彼の信じるものは私も信じたいと思う。だから、貴女もまずはこの地で友や愛する人を見出し、その方を信頼し、その行いを理解しようと努める事から始めては如何か? 信仰をもたれる方々がよく言われる『隣人を愛せよ』とは、つまりそういう事ではなかろうか」
「‥‥」
真っ直ぐな言葉にアイリーンは瞬きすら忘れていたが、いつしか息を吐いて呟く。
「‥‥よもや信仰無き世界の者に諭されようとはな」
素直ではないが、人の言葉を聞き入れる柔軟さを失ってはいないらしい。それが判っただけでも良かったとシャリーアは思う。
そこで操縦席から着陸するとの報せが入った。
船を降り、冒険者達は赤茶けた大地に立つ。
天使を救うため。
そして願わくばこれが地獄の門番、ケルベロスとの最後の戦いとなるように。
「行くぞ!」
「「おおーーっ!!」」
先陣を切るはケルベロスとの直接対決を試みる冒険者達。彼らが門番の気を引き、生じた隙を突いて門を抜けるのは天使救出に名乗りを上げた面々。
軍馬、グリフォン、ムーンドラゴンパピー、ペガサス。
チャリオットやグライダーも動員。そして――ドラグーン。
「自由に空を舞うべき天使をこのような場所に捕らえるとは‥‥必ず元の光り溢れる空へと帰します!」
アレクセイ・スフィエトロフが意を決して声を上げる。
敵は、ケルベロス。
地獄の門番。
『小賢しき人間共‥‥! 返り討ちにしてくれるわ‥‥!!』
獣の咆哮が轟いた。
●
「‥‥そろそろでしょうか」
胸の前で両手を組みながらぽつりと零したのはアリシアだ。
「どうか無事に‥‥」
瞳を伏せて真摯に祈る彼女に声を掛けたのは、先の儀式で顔を合わせているチュプオンカミクルのレラ。
「きっと大丈夫ですわ‥‥愛する方を信じましょう」
そう微笑みと共に告げる彼女の後方には、見慣れぬ若侍が佇んでいた。百瀬勝也といい、レラとは友人同士らしい。
地獄からは遠く、セレの地で進む祈りの儀式。此方での協力、また儀式中の警護に名乗りを上げた冒険者達も決して少なくはなかったが、特にジ・アースから渡って来た、セレの人々にとって初対面の者が多かった事は地元の者達を驚かせた。
「白の神聖騎士、サクラ・フリューゲルと申します。どうぞよしなに‥‥」
丁寧に一礼するサクラは、友人のレア・クラウスと共に参加。
「侍の鳳双樹です。よろしくお願いいたします」
「パラディン候補生、鳳美夕だよ。よろしくね」
同じ姓を持つ二人は姉妹。此方の世界は初めてだから色々と教えて欲しいとセレの民に声を掛けるも、此方は『パラディン』という聞き慣れぬ響きにこそ興味を持ってしまい、逆に質問攻めに合ってしまった。
精霊達と共に訪れた彼女達をセレの地は歓迎したが、些か気になる事も。
「ふむ‥‥人と心を通わせずにおる精霊が多いようじゃのう‥‥」
元来エレメンタラーフェアリーは人目に触れる事を苦手とし、姿を隠す事もある。いまセレに集ったフェアリーの中には、いまにも逃げ出しそうなほど怯えた表情をしている子も少なくない。ましてや、地獄の門に連れて行かないという判断は良いが、ただでさえ絆の低い子を、その子だけでセレの地に来させたのはあまり褒められたものではない。
「あの子らの怯えが儀式に影響せねば良いがな‥‥」
微かな不安を抱きつつ呟いたジョシュアは、すぐ傍に可愛い弟子の姿を見つける。
「そなたも此方に来たのか」
そう声を掛けられたのは元馬祖だ。
「自分に出来る事を精一杯行いたいと思います」
返す彼女の傍を舞うように飛び交うのは火のエレメンタラーフェアリー。この地に住まうシェルドラゴンから預けられた精霊だ。
「ふむ‥‥順調に絆を高めているようじゃの」
「はい」
そうしてようやく魔術師の目元が綻んだ。リスティア・レノン、アハメス・パミ、晃塁郁という、やはり初対面の面々とは挨拶を交わし、アルフレッド・ラグナーソン、リリー・リン、ユリア・ヴォアフルーラという前回も儀式に助力してくれた面々とは今回も頼むという言葉を交わす。
「そなたの精霊殿とは、これまでに見た事がないほど強い絆で結ばれているようじゃのう」
「ありがとうございます。リュミィとはもう、二年半くらいの付き合いですから」
月光の歌い手と誉れ高い彼女の歌を真似ようとする姿は、今も昔も変わらずに愛らしいと陽霊を抱き締める。
「では今宵の儀も、よろしくの」
「はい」
冒険者一人一人と言葉を交わし終えた頃、儀式の準備も整う。それぞれが所定の位置について祈りを。
――祈りを。
「落とす首が三つもあるとは剛毅だな。相手にとって不足はねぇ!」
魔槍と共に疾走する勇人の援護に放たれる術はレン、レインの合わせ技。
アグラベイションで行動を抑制、事前に湧き出させた水をコントロール、ケルベロスの目晦ましを狙って顔に纏わり付かせる。
胸元に精霊の輝きを宿した術には世界の祈りが。
想いが。
「うぉらああああ!!」
『グォァアアアア!!』
首筋一つを切り裂く魔槍に轟く咆哮。その直後、一瞬の隙すら与えずに胴を攻めるは戦闘馬を駆るファング・ダイモス。
「射よ!!」
一撃を入れるが早いか馬の足元から立つ砂塵。馬に進路を変えさせると同時に掛かる号令に、ジャクリーン・ジーン・オーカーらの矢が射掛けられた。
『―――ッッッ‥‥‥!!』
背を仰け反らせるケルベロスの視線が、前方に。
「グラナトゥム!」
「ギルガメシュ!」
威圧感に溢れた声に呼ばれ、ルエラ・ファールヴァルトのペガサスとフルーレのグリフォンが空を滑降。一瞬とはいえ三つ首全ての視界が空から逸らされた隙を突いて振り下ろされる、剣技。
「覚悟!」
チャージングとポイントアタック、更にはスマッシュ。
『おのれ‥‥! おのれえぇぇぇぇぇ‥‥!!』
視線が地上を向けば空から。
空を向けば地上部隊が。
冒険者達の連携に隙はない。
『人間風情が頭に乗りおって‥‥許さぬぞ‥‥!!』
「!!」
叫びと共に放たれた地獄の業火。ファイヤーウォールに似た反撃に冒険者達は退き掛けるが、その炎を即座に覆うのは水。
レインの水魔法。
一度に全部とはいかずとも進路を作るには充分。
「負けません!」
「今度はこっちの番だ!」
キースが戦闘馬を駆る。
ファング、そしてシリウス・ディスパーダも後に続いた。
『小賢しいわっ!!』
「ぐああああっ!!」
突如、地面から噴出した炎にシリウスが馬諸共巻き込まれる。落馬し転倒、完全に無防備になった彼に狙いを定めたのはデビル共と、ヴェガ。
「――わしの邪魔をするつもりかえ?」
不敵に笑うと同時、彼女を包んだ白銀の光りはホーリーフィールドとなってデビル共を駆逐する。
その結界に包まれてこれ幸いとソルフの実を飲み込む者、体勢を整える者。
「戦えるかのう」
「無論‥‥っ」
「結構じゃ」
シリウスの怪我もリカバーで治療し、ヴェガもまたその眼差しをケルベロスへと向けた。最初に彼女が全員に施したレジストデビルが効いている。加えて、長く冒険者達と戦い続けてきたケルベロスが蓄積しているダメージも相当のものなのだろう。その動きは緩慢で、目の前の敵で精一杯であることが見て取れた。
その証拠に、天使救出組は門を抜けた。
デビル共が群がるその奥へ冒険者達は進んでいた。
「む」
それを受けたのはユラヴィカ・クドゥス。ディアッカ・ディアボロスからのテレパシーで伝えられた内容を繰り返す。
「ケルベロスは此方にまで気を回す余裕はないようじゃ!」
「了解!」
即座に応じたのはリディック・シュアロ、彼はシフールの声量では届かなかった範囲にも情報を伝達すべく大声を張り上げた。
『もう少し‥‥』
アレクシアスのペガサスに運ばれなら呟く月姫セレネに、そのようですね‥‥と胸中でのみ呟いたのはシルバー・ストーム。天使救出組の面々はリィム、アルジャンが操縦するチャリオットに同乗する者、自らの愛馬を駆る者、または空をグライダーで移動するなど様々だ。シルバーはチャリオット上から周囲を見極め、得意のスクロール魔法を発動する。
『キシャアアアアア!』
「まったく、鬱陶しい」
ペガサスに騎乗しながら物腰柔らかに言い放ち、素早くブラックホーリーを放つのは雀尾煉淡。仲間の進路を塞ぐデビル共を、同じくペガサスで飛翔する導蛍石のホーリーと共に悉く撃ち落としていく。魔法でその動きを感知するなど後援的な役割を果たすつもりであったが、こうも目の前に群がられては動向を探るまでもない。立ち塞がる連中を滅していかなければ先へ進めないのだから。
「よくこれだけ集まるね」
アルジャンの操縦するチャリオット上、天鹿児弓に矢を置いて呟くのはアシュレー。器用な指先に三本の矢を持ち――。
「アレクセイ、いける?」
「勿論です」
隣を並走するユニコーンに騎乗したアレクセイの同意を得る。
「三、二」
「一」
「GO!」
合図と共に一斉に射られた矢は、やはり冒険者達の進路を妨げる魔物達に。
「――!」
ぼとぼとと落ち行く魔物達の向こうに見た姿に天龍の目が見開かれる。
「『罪なる翼』か!?」
長身痩躯、ジャイアントと思しき巨体を覆う黒衣に見覚えのあった天龍はその名を口にするが、奴は斃れた。
仲間達とともに、その最期を目にしたはず。
「しかも一人ではありません」
シルバーが言い放つ、その姿は三つ。
『――我らはダバ――崇高なる悪の化身なれば貴方達を易々と通すわけにはいきませんね‥‥』
いつかも見た憎々しい微笑みと、声音だけは穏やかな物言い。これはデビル。過去のあれはカオスの魔物。
「‥‥っ、奴は強敵だ、油断するな!」
天龍が声を荒げた。
荒げ、その一体を相手と定めた。
「はああああ!!」
ラムクロウ「龍爪」が唸り裂く。
悪魔の哄笑。
『気兼ねなく遊んでゆきなさい!!』
●
黒ずんだ風に、いつしか血の匂いが混ざり始めていた。
討ち取ったデビルは地に落ち、消えていくが、群がるデビルがその数を減らしているとは思えない。
地獄の門で、連中はまるで尽きる事のない悪意の如く、何処とも無く湧いてくる。
「せやあああ!!」
オラースの威圧に退くデビル。
天使が囚われている牢まではあと僅か。だが、その僅かが遠かった。敵の数が多すぎて月姫の術や特殊能力もなしの礫。そろそろゴーレムを操縦している冒険者達の精神力も尽きるだろうし、素手で魔物と相対する戦士達の体力とて無尽蔵ではない。
空には翼を生やした悪魔が群がり、地上には地上の魔物が犇めく。
「くっ‥‥」
「動くな」
負傷した仲間を蛍石が癒すが、此方もキリがない。
「これで終わりだ!!」
『――ガハッ‥‥ふ‥っ‥‥ふふ‥やりますねぇ‥‥ッ』
天龍、シルバー、煉淡、リディック、四人掛かりで一人目のダバを撃破。
「エポリューションは厄介だよね」
肩を竦めたアシュレーは矢を変えて二人目のダバに射掛けるが、矢も間もなく尽きる。
形勢は不利。
それが紛れもない事実だった。
門番、ケルベロスと刃を交える彼らも同様、敵の耐久力は相当のものだった。動きも随分と緩慢になり息切れさえして見えるのに、斃れない。
「っ‥はぁ‥‥」
ともすれば冒険者の方が力尽きる。
「‥‥祈りを‥‥っ」
不意に、最初にそう呟いたのは誰だっただろう。
胸の内、最悪の予感を抱き愛する者の面影を思い出したのは、誰。
「‥‥気休めでも、紋章の加護を信じてるんでね!」
携帯している『炎の紋章』を手に力強く言い放ったのはシン。しかしその彼も肩で呼吸しているのを知ったレンは、自分をサポートしてくれる仔月竜の首筋に抱きつくようにして、――願った。
「だいじょうぶなの。これだけたくさんのひとたちが、てんしさんをたすけるためにいっしょーけんめーなの。ぜったいに、てんしさんはたすかるの!」
願い、信じる。
その未来を。
『――‥‥祈りを‥‥』
月姫の声に。
不意に、重なる歌声。
――‥‥思いの丈を翼にかえて‥‥
――‥‥飛び立とう夢に向かって‥‥
――‥‥諦めないで強い思いは‥‥
――‥‥風に負けない強き翼になるから‥‥
どこからともなく響く歌声に、祈り。
「‥‥アリシア‥‥?」
妻の名を呼ぶのはオルステッド。
「フィリアさん‥‥」
セレの地に赴かせた精霊の声を聞いたのはレインであり、シャリーアや、リディックも同じ。その大地で行われている儀式は、今になってようやくその力の波動を地獄へと到達させていた。ドースター魔術師が懸念していた通り、人と心通わせずにいる精霊達の怯えや、不安が、今の今まで祈りの援護を阻害していたのである。
『グァ‥‥またこの波動か‥‥忌々しき力‥‥精霊の祈りだと‥‥貴様等人間の想いなどとふざけたものに‥‥これほどの力が‥‥っ、なぜ‥‥!!』
ケルベロスの動きに訪れた異変は、他のデビル達にとっても同様。彼の地より届いた祈りの波動を感じたシャルロットは、上空戦を繰り広げていた仲間達と共に瞳に力を戻していた。
「退け!」
『ギャギャギャッ‥‥!』
気合と共に放った言葉にデビル達が退く。目に見えぬ異変に、本能が恐怖を感じ取っていたのかもしれない。
『白き翼を持つ者はあそこに‥‥!』
「この機を逃すな!」
セレネの声を受けて冒険者達は最後の力を振り絞る。デビル共を蹴散らし石牢へ。
「どなたかおられるか」
セレネの案内を受けて真っ先に到達したアレクシアスが声を掛ければ暗がりの中から弱りきった声が響く。
「‥‥何者‥‥」
掠れ、今にも消え入りそうな声からは生気がまるで感じられず、アレクシアスは剣を振るい檻を壊す。
「‥‥‥‥なに‥‥もの‥」
「私達はあなたを助けに来たのです。‥‥さぁ、手を」
「‥‥たす‥け‥?」
声は聞こえるが手を伸ばしてくる事はない。自ら動けないのだろうと判断したアレクシアスは、無礼を承知でその身体を抱え上げた。
「ぁっ‥‥」
「すぐに仲間の元で回復を。――シャルロット、リール、春陽」
「はい」
グライダーを操縦する鎧騎士達に声を掛け、春陽が天使の身体を預かる。
「一直線にシップまで。退避だ」
その一言で冒険者達は一斉に退き始めた。
空を駆けるグライダーに、天使を奪われたと知る魔物達が群がるが、追走するグライダーを操縦するメンバーが援護。地上からはチャリオットで移動するアシュレー達の弓による攻撃を、馬上の冒険者達が援護した。
笛が鳴る。
「――!」
上空を仰いだディアッカが視認する。
「天使を救出したようです」
「ならこっちも引き時か」
「‥‥そのようだ‥‥」
勇人、オルステッド、そしてシンが応じる。
「順に下がれ、シップまで走るんだ」
「はいっ」
『おのれ‥‥おのれ人間共‥‥!』
退こうとする冒険者達をケルベロスの血走った目が見据える。
それを、勇人は笑った。
「いいのかい、こちらにばかり気を取られてると‥‥」
『世迷言を‥‥ッ、ガッ‥‥!』
ふざけるなと言い放つ、その間際に背後から放たれた剣技。
「世迷言はてめぇだ」
足元をふらつかせるケルベロスの左右を、駆け抜けてくる仲間達を迎えて勇人達もまたシップへ。
首を取れないのは心残りだが、あの様子ならばその日も遠くはないはず。
「人間を舐めるな」
それが、地獄の門番ケルベロスに最後に言い残した言葉。祈りの力か、これまでの蓄積したダメージゆえか、ケルベロスが追いかけてくる事は無かった。その下っ端ともいえるデビルはしつこく追いかけてきたが、これは冒険者達によって殲滅。シップは、辛うじてアトランティスへの帰路を渡り終える事が出来るのだった。
●
帰りの船内で、ヴェガや蛍石の必死の介抱あって回復した天使は、自分の声を聞いたというセレの白騎士アイリーンと顔を合わせ、出来れば共に分国セレへ戻って欲しいという願いを聞き入れた。それで少しでも礼になるのならという事らしい。
「しかし、何ゆえ地獄の門になど囚われておられたのか」
ヴェガが問うと、天使――レヴィシュナと名乗った白き翼を持つ者は自嘲気味な笑みを零す。
「あの世界の事を少しでも人々に知らせねばと地上に下りたところ、デビルに見つかり囚われてしまったのだ」
「ってことは、ジ・アースで捕まったのか?」
シンが問えば素直に頷く。
「そうだ。――アトランティスには私も行った事がない。どのような世界なのか、楽しみだな」
無邪気に笑う天使に、冒険者達は苦笑する。
しかし時を追うごとに苦笑は楽しげな笑いに変化し、船内には穏やかな時間が戻りつつあった。
船はセレへ向かう。
ウィルへ戻るにも、まずはセレで祈りの儀に参加した皆を連れて来なければ二度手間になるという打算的な理由もあれば、一刻も早く無事な姿を見せたい相手が彼の地にいるという心情的な理由もあった。
現地に着くまであとどれくらいか‥‥そんな気持ちで若干だが落ち着かない者もいる船内、不意に驚きの声を上げたのは勇人。
「おまえ達、また何を持っているんだ?」
自分の精霊、紅と悠陽がいつかと同じ宝玉を握り締めているのに気付いたのだ。これには当然の事ながら月姫セレネが応じる。
『勇人の精霊達‥‥それにシャリーア‥‥フィニィの子もそう‥‥貴方達と強い繋がりを持つ子達は、此度の祈りにも、強い精霊力を形に出来たのでしょう。更なる成長には今しばらくの時間が必要ですが‥‥遠からず、再び宝玉がその子達を強く逞しく成長させる事でしょう』
宝玉は、絆に通じる。少なくとも月姫の力を介する場合にはそれが人と精霊の決まりだ。他にも、成長を可能とするフェアリーには宝玉が抱かれている事だろう。
「‥‥しかし気になりますね。あの大量の魔物‥‥もしくはデビルの群」
不意にそのような呟きを漏らしたのはシャルロット。
「確かに気になるな‥‥まるで、目的があって集まっていたかのようだった‥‥」
天龍も同意する。
仮に目的があったとして、それは、間違っても天使奪回に来る自分達の迎撃ではなかったはず。そんな確信が実際に連中と向き合っていた冒険者達にはあった。
地獄の門の戦いは、まだ続く。
その新たなる開戦を知るのは、それから間もなくの事だった――。