●リプレイ本文
――‥‥声が、‥‥
何処からともなく響く声には優しい音色が寄り添い。
風の歌、大地の歌。
満ちた祈りは奇跡を生むだろうか‥‥?
――‥‥応えたい‥‥けれど‥‥――
●
「かえで?」
前方から走ってくる顔馴染みの少女を呼んだアシュレー・ウォルサムは一瞬後に少女の体が下がり掛けたのを目敏く察し、軽いステップ。
「どうしたのかなぁ?」
気品のある微笑みに女子高生はどっきどき。
「な、何も無いよ、あるわけないんだよ!」
自分自身に言い聞かせた。
「えー何も無いのにその態度は傷付くなぁ」
「何も無いんだってばーーっ!」
いつの間にか、しっかり背中から抱きすくめられていたかえでは両腕をバタバタさせて何とか逃げようと試みる、そんな視界にふわりと散った光。
「あ」
「ん?」
突然の遭遇に自分の役目を忘れ掛けていたかえでだったが、アシュレーが連れていた月霊を目にして思い出した。
「そうだよ! アシュレー君と遊んでる場合じゃなかったっ、これから時間ある? 余裕あるならその子と一緒に王城前の広場に向かって欲しいんだ!」
「月華と?」
かくかくしかじかで人の祈りと精霊の力が必要だと話せば、彼も納得。
「了解、じゃあ俺も知り合いに声掛けながら行ってみるよ」
「ありがとう!」
「気にしない、気にしない。お礼は後でちゃんとして貰うから」
「〜〜〜っ」
一体何をさせる気かと焦るが今は一分一秒が惜しい。
「後で異論も認めてよー!」と言い置いて一人別の友達にも声を掛けようと駆け出したかえでを見送ったアシュレーはふふっと肩を竦める。
「面白いなぁかえでは」と呟く表情は獲物を意図的に逃した狩人そのものだった。
このような具合に、かえでが声を掛けていった冒険者は二〇余名。月姫の復活を祈ると聞けばバードのケンイチ・ヤマモトは即動いたし、たまたま一緒にいたところを目撃された倉城響、ディーネ・ノート、ルスト・リカルムや、ユラヴィカ・クドゥスとディアッカ・ディアボロス、更にはこれから依頼に出発しようという面々にまで――。
「いたーーっ!」
「!?」
分国セレからのフロートシップを待っていた冒険者は、かえでの絶叫に目を丸くする。
「一体どうしたんだ、かえで殿」
リール・アルシャスが困惑気味に声を掛ければ、見送りに来ていたモディリヤーノ・アルシャス、レイン・ヴォルフルーラ達も集まる。
「そんなに急いで何かあったのか」
飛天龍が怪訝な顔付きで尋ねると、かえでは肩で息をしながら先刻と同じ説明を繰り返す。
「だから、ね! お願いっ、セレネを復活させるために力を貸してって天使が」
「レヴィシュナがウィルに居て、セレネを復活させようってのは、また‥‥」
呟きと共に苦笑を零す陸奥勇人は他の仲間達を順に見遣る。
「‥‥行くか」
「ああ」
姿を消したままの月姫を放っては置けないから一緒に行くという冒険者がいれば、この場に留まっても祈りは届くだろうかと返す冒険者も。
「まだ香代達も来ていないし、此処から全員が離れたらセレから迎えに来てくれた人達が迷っちゃうかもしれない」
「うん、だからボク達は此処で」
パラの鎧騎士二人が自ら残る事を選んでくれた、その言葉に甘えて勇人達は広場へ。
「セレネ殿の復活を見届けたらすぐに戻る!」
「僕も手伝うよ!」
「病み上がりなんだから走るな!」
駆け出した姉に弟が続こうとしたなら叱責が飛び、一方、彼女達を見送った後で恋人と待ち合わせの約束をしていたらしいレインは「あ」と口元に手を当てる。
「私も、知り合いの方々に声を掛けてきますね!」
そうして四方に散る友人達を見送り、かえでも。
「よぉっし、あたしももう一っ走り!」と向かうは冒険者街だ。
その頃の冒険者街の一角。
旅支度をすっかり終えた姿で玄関先に佇むシルバー・ストームの姿があった。
「‥‥」
じっ‥‥と無言の視線を向ける先には風のエレメンタラーフェアリーが正座姿。背中の翅を心なしか下げて、緊張気味の様子だ。
と言うのも、この場合の主たるシルバーが元々口数の多い方ではないことに加えて出逢ったのがここ最近であるというのも大きな要因。しばらく振りに帰宅してみたら、いつの間にか『居た』のである。
(「‥‥彼にも困ったものですね‥‥」)
何故妖精の少年が自宅に住み着いていたのかは容易に想像がつく。どういう思惑があったかは知らないが十中八九従兄弟の仕業だ。そして今、依頼の関係で再びウィルを離れなければならないから留守番をして欲しいと伝えたところ、一緒に行くと強情を張る妖精。どうやらすっかり懐かれてしまったらしく、その好感度と言ったら視線一つで正座させてしまえる程である(?)。
もう間もなく仲間との集合時刻。
さてどうしたものかと息を吐く。
「‥‥良いですか。放っておくわけにもいきませんから、此処に居るのは構いません。私がリグで使っていたヴィントという名も差し上げます。ですが‥‥」
ぶるぶるぶるっ、と激しく左右に首を振る妖精。
留守番をしていろは聞きたくないと言いたげだ。
そうして再び無言で見合う時間。
この沈黙を破ったのは、
「‥‥何をされているのか聞いても良いでしょうか?」
たまたま通り掛かったフィニィ・フォルテン。
傍らには陽霊の娘と水のエレメンタラーフェアリーがきょとんとした表情で寄り添っていた。
シルバーが仲間との待ち合わせに向かおうとしていたように、イシュカ・エアシールドも旅支度を終え、家を出るところだった。
しかしそこに突然の来客――否『帰宅』?
養女のエヴァーグリーン・シーウィンドがジ・アースからやって来たのである。どうやら再びリグへ向かう前に顔を合わせて欲しいというソード・エアシールドの思惑が働いたらしく、突如として訪れた再会の時は重苦しいものになるかと思いきや、初対面の少女を相手に気後れし、イシュカのローブに隠れようとする月精霊の存在が場の空気を和ませた。
「‥‥スノウ」
微苦笑と共に、その子の名を呼ぶ。
「ほら。お姉ちゃんにご挨拶は?」
『‥‥』
促されてようやく顔を出した月霊は、ぺこりと頭を下げるも、すぐにまた隠れてしまう。そんな少女にエヴァーグリーンが微笑った、その時。
「皆ーーーー!」
かえでが冒険者街のど真ん中で声を張り上げたのだ。
●
王城前の広場には続々と人が集まっていた。
突如として現れた、背に翼を持つ謎の存在は恐怖とまではいかなくとも人々の心に疑念を抱かせ、遠巻きに小声で囁き合う。
あれは何。
何をしているの。
ざわざわと広がる不安の波に、レヴィシュナの額には我知らず汗が流れるかもしれない。
そんな彼女に気付くのは、何もかえでに声を掛けられた冒険者達ばかりではない。以前に天使と面識のある者ならば騒ぎに気付きさえすれば自ら其処に駆けつけた。
「まぁ‥‥このような場所でお会いする事になるとは思いませんでしたわ」
アリシア・ルクレチアが驚きと共に語りかければ、夫であるオルステッド・ブライオンも。
「‥‥どうしたと言うのだ‥‥まさか、王都に魔物が‥‥?」
「そなた達か‥‥」
面識のある彼らにレヴィシュナは笑むと、かえでに話したのと同じ内容を繰り返して聞かせる。
「‥‥ふむ、天使レヴィシュナの援護か‥‥」
何かを心に思い描く事が得意ではないオルステッド。
ウィザードという、精霊と縁が深い故に信仰とは些か距離のあるアリシア。二人とも祈るという行為は守備範囲の外であるが、月姫セレネを復活させるためと言われれば否はない。
「一緒に祈りましょう」
告げられる言葉を、天使は心強く聞く。
「ならば私は‥‥祈る者達が邪魔されぬよう‥‥見張りと、周りで眺めているだけの者達にも祈るよう声を掛けてみよう‥‥」
「感謝する」
告げる天使の傍にアリシアが膝を折り、手を組むと、これまで外から監視しているだけだった王都の官憲達がここぞとばかりに近付いてくる。
「それは何者だ」
「王城前でこのような騒ぎを起こすとはどういうつもりだ」
威圧的な態度で騒ぎの原因を取り除こうとする彼らに、邪魔はさせないよう見張ると言ったばかりのオルステッドが事情を説明しようと口を切った、が。
「この‥‥翼を持つ者は、天界で天使と呼ばれる‥‥」
「えぇいハッキリと喋らんか!」
元来口下手なオルステッドには説明という行為も向いていないらしく。
「言い訳などせず早々にこの場を立ち去らぬか! 聞かねば捕らえるぞ!」
「‥‥ほぅ‥‥つまり私と斬り合いたいと言うのだな‥‥」
「! 逆らうつもりか!?」
カチャッと剣の柄に手を掛けたオルステッドの目は静かに燃え、アリシアは額を押さえる。
「オル‥‥貴方って本当に‥‥」
若干の呆れと共に夫を制しようとした矢先、割って入った声は複数。
「何をやってんだ」
「それは止めておいた方が良い」
苦笑交じりの勇人と、穏やかに制するアレクシアス・フェザント。その姿を目にした途端にウィルの官憲達が顔色を変えて姿勢を正す。
「! ルーケイ伯のお知り合いでしたかっ」
「彼らは仲間だ、ウィルに仇為す事はしない」
「失礼致しましたっ!」
正に鶴の一声、あっさりと官憲達を退けたアレクシアスに「さすがだな」と勇人。
「無益な争いは避けるに限る。な?」
「‥‥好んで争うつもりなど、ないのだが‥‥」
ぽつりと返すオルステッドの声音が落ち込んでいるようにも聞こえたアリシアは失笑。一方で「そなた達は私を笑わせに来たのか?」とレヴィシュナに問われ、ようやく話は本題へ。
「詳細は道すがら彼らから聞いた。月姫復活のための協力ならば惜しむつもりは無い」
そうしてアレクシアスが示す先には天龍やリール達の姿が。
「この儀式に邪魔が入らないよう俺は俺なりに尽力させてもらう。天使よ、貴方達は月姫の復活を果たすために、――頼む」
「無論」
レヴィシュナが短く答え、アレクシアスは笑む。
「後は頼む」と声を掛けた先には勇人。
「『頼む』はこっちの台詞だ」
返した言葉に、アレクシアスは手を上げて応えると何処かへ歩を進めた。
「あの方はどちらへ?」
「俺達には手の届かないところへ、な」
アリシアに尋ねられた勇人は苦笑交じりに返した。
――‥‥祈ろう‥‥
冒険者達が集まる、精霊達と共に。
「ふむ、ずいぶん人が集まったものだねえ。まあ、これだけ集まれば願いも届くかな」
月華と共に広場に姿を現したアシュレーは感心したように笑む。
「これだけ精霊が集まる光景っていうのは壮観ッスね!」
興奮した口調のフルーレ・フルフラットは、しかしムーンドラゴンを連れていたりして、ある意味では大勢の精霊達が集う景色よりも壮観。祈りの儀式には最適とアシュレーに声を掛けられ、同じく途中で遭遇したシャリーア・フォルテライズは恋人アレックス・ダンデリオンとデートの真っ最中だったが、話が天使絡みとあっては白騎士のアレックスに無視出来るはずもなく、こうして広場に集まった。
「おお‥‥っ、これは紛れも無く天使様の‥‥!」
故郷でも直視した事など無い真白き御使いの姿には、恋人一筋の彼も鼓動を高鳴らせずにはいられない。
そんな姿にシャリーアは目を細めた。
もちろん信仰に燃える彼を惚れ直したからで、彼女の傍らにも精霊達―水妖と木霊―が寄り添う。
そうして此方は二人で四人の精霊を連れて広場にやって来たレインと、恋人のアルジャン・クロウリィ。
「早く早く、こっちですよ」
「落ち着くんだレイン、焦りは禁物だ」
水精霊のフィディエル。
陽のエレメンタラーフェアリー。
木霊、月人。
見事に娘ばかりの精霊達は、以前にも面識のある天使の姿に二人の服の裾を引く。
「? どうしたんですか?」
その中の一人、人と同じように言葉を語るフィディエルにレインが尋ねると、水の乙女は懐かしそうに目元を綻ばせた。
『‥‥感じる‥‥』
「感じる?」
『月の姫様‥‥感じる‥‥』
それは、彼女達を出逢わせてくれた月姫セレネの存在。
月人、火霊、水妖、木霊、陽霊、風霊。
さらには妖精達と、人と同じ、またはそれ以上に大きな精霊達。
無い属性は無いと言い切れてしまう程に精霊達の集った王城前広場は、一時間前とは明らかに異なる雰囲気に包まれていた。冒険者達は祈る。だが、それ以上に周辺から探るような視線を向けてくる一般市民の戸惑いが大きく、巧くいかない。
天使も、信仰も知らぬ人々にはやはり「祈れ」というのは無理なのだろうか――。
「堅苦しいのがいけないんじゃない?」
見かねて口を切ったのはディーネ。かつて月姫から委ねられた水妖の少年を傍らに響やルストを巻き込む。
「音楽と、歌と、踊りと‥‥そういう賑やかなものに一般の人達を巻き込んで、不安や戸惑いより楽しいっていう気持ちを大きくしてもらったら、もしかしたら巧くいくかも、なんて」
「音楽と‥‥」
呟きながら響が視線を動かした先にはバードのケンイチ、ディアッカと、一通りを器用にこなせてしまうアシュレーの姿。
「歌と‥‥」
以前に天使救出の折にも共に戦ったフィニィの姿を認め。
「踊り‥‥」
ジプシーのユラヴィカに視線を向けたのはルスト。その他にも舞踏という意味でなら貴族は一通りこなせるはず。
「なるほど、形にする条件は整っていそうだ」
呟きながら無意識にタバコを咥えようとしている自分に気付いて、何事もなかったかのようにそれをしまう。この場で喫煙は流石に拙いだろう。
そんな彼女を「よしっ」と小声で讃えたディーネは、どうかしらと周りの面々にも声を掛ける。真っ先に「いいッスね!」と賛同したのはフルーレだ。
「『天使&冒険者 月姫復活祈祷ゲリラライブ イン 王城広場前!』って感じッスかね?」
「いいんじゃない?」
アシュレーも頷く。
「演奏なら任せてよ」
「ええ、私も大切な月精霊のために心を込めて楽を奏でましょう」
ケンイチが応じ竪琴を胸に抱く。
「では私達は踊りますか」
「えっ」
フルーレは両耳に舞踏のピアスをはめ、ディーネに右手を差し出す。
「言いだしっぺなのですから、ここは先陣を切らなければ」
「待って待って! 私に踊りなんて無理よっ!」
ぶんぶんっと左右に首を振ってフルーレの手を取る事を拒むディーネだったが。
「言い出したからには責任は取らないとですね〜」
にっこり、響の良い笑顔。
ルストもはっきりと断言。
「この際、礼儀や作法は必要ないわ。ディーネでも出来る」
「ひどい!」
しかし、何を言われてもディーネは強い子・良い子・元気な子。
「わかったわよっ、踊ってやろうぢゃないの!」
微妙な発音で承諾、フルーレの手に手を置けば、こちらもノリが良いから優雅に会釈。
「それではお嬢さん、お相手を」
凛々しい表情に、ボンッとディーネの顔から火が吹いて。
「さすがですね〜ディーネさん」
(「ほんと扱いやすい子…」)
身内はやっぱり身内だった。
ケンイチの指先が竪琴の弦を右から左へ。
アシュレーの指先は左から右へ。
交わる一音、弾く静けさ。
「わっ‥‥」
周りから上がった声は広場で踊り始めた二人への驚きか、それとも奏でられる旋律への感嘆か。
「うーっ、恥ずかしい‥‥っ」
「大丈夫ッスよ、ディーネさん♪」
意外(失礼)に器用なステップを踏むディーネをリードしつつ、周囲に視線を走らせたフルーレは顔馴染みを見つけて、視線で「おいで」と。
「――いま、呼ばれました?」
「そのようだ」
少々動揺しているレインに、苦笑交じりに応じるアルジャン。
「‥‥行くかい?」
「えっと‥‥」
差し出された手に頬を染めて、けれどコクリと頷く。今すべき事は広場の騒動を前に動揺している一般の人々の心を落ち着かせること。
楽しく、優しく、祈る気持ちを抱いて貰うために有効な手段ならば恥ずかしがってはいられない。そうして広場へ進み出る二人に寄り添う精霊達は、もうとっくに楽の音色に気持ちを高揚させていた。
「二人も行ったら?」
楽師の一人アシュレーが声を掛けたのはシャリーアとアレックス。
「アレックス‥‥よろしいですか?」
「無論。君が望むのであれば」
ましてやこれが天使の援護になるのならばアレックスに断る理由など皆無。一組、また一組と広場に舞い踊れば人々の不安は少なからず和らぎ始めた。
「あのおにーちゃん、おねーちゃん達、どうして踊っているの?」
疑問を素直に口に出したのは、まだ幼い子供。答えたのは説得に当たっていたリールだ。
「魔物の邪気を受けて、月の精霊が姿を消したんだ。だが今、ああして天界の天使のお姉さんが、精霊の傷が癒えるようにお祈りを捧げてくれている。天使の力になるために、彼らは踊ってくれているんだ」
「天使‥‥?」
更なる疑問の声は頭上から。
すぐ傍に子供の親がいたのだ。
「それはどのような‥‥あの方は何者なのですか」
「名は違えど『天の精霊』を知らぬ者は王都には居るまい」
「え‥‥」
背後から不意に割って入った声に振り返れば、其処には凛とした佇まいのヴェガ・キュアノス。
癒しの精霊とも呼ばれる彼らは決してアトランティスの大地に存在するものではなかったけれど、今この世界を覆う闇に。
絶望に。
危機に――届く願いは彼女の心にも届いたから。
「レヴィシュナよ、異世界の地にて信仰を根付かせてきたわしらの努力を甘くみるでないぞ」
「それは頼もしい言葉だな」
聖なる母に仕える者達は、己の心と共に手を組んだ。
(「セレネ様‥‥どうか、この旋律に耳を傾けてください‥‥」)
ケンイチは瞳を閉じ一心に祈りながら弦を爪弾く。
思い描く彼女の姿。
愛しき月の精霊よ。
(「私達は貴女の帰りをお待ちしていますよ‥‥」)
強く、優しい祈りと共に奏でられる音にユラヴィカは舞う。友ディアッカの音色に耳を澄ませ、そこに追随する仲間達の音色に背を押されるように、シフールゆえに空を舞う姿は花びらのよう。
「パパとお父様は踊らないですの?」
「え‥‥」
唐突な娘の言葉にイシュカは動揺し、ソードは言葉を詰まらせる。
踊るよりは楽の音で月姫の復活を助けたかったが、これだけの名手達が踊り手達のために合奏しているのを聞くと、自分の実力では荷が重過ぎる。
だが、月姫が姿を消す一因を担ってしまった事から、ずっと何かがしたいと思っていたソードには強い祈りがある。
だから。
「四人で祈ろう」
エヴァーグリーンと月人スノウ、娘二人の頭を撫でながら彼は言う。思えば、家族四人が揃って何かをするのはこれが初めて。ならば是が非でも月姫には戻って来てもらいたい。
「‥‥ええ、祈りましょう」
イシュカも頷く。
家族四人、手と手を重ねて祈り、彼らと共にやって来たシルバーも伴った風の妖精と月姫の復活を祈る。
「‥‥」
そんな彼の姿をこそっと眺めていたのは、妖精が無事に彼の元で暮らせるかを確認したかったゴールド・ストーム。妖精をシルバーの家に残してきた従兄弟だ。
(「何とか大丈夫そう、か」)
胸中に呟くと同時、その傍らにいる火霊が祈りの輪の中心に行きたそうな素振りを見せた。
「‥‥なんだちび? おめぇ祈りてぇのか?」
こくこくと頷く火霊に、しかしゴールドは肩を竦めた。
「出て行って見つかったら面倒だ、祈るなら此処で祈れ」
今にも飛び出しそうな娘を抱き寄せて。
(「‥‥まぁ、シルバーも世話になっているみてぇだし俺も祈るか」)
心配しているやつらのためにも早く戻れと、心の中。
『お陽様のように 実りを運ぶ
輝きはないけれど
夜空に光る あの月のように
優しく力になりたい
お陽様のように 全てを照らす
輝きはないけれど
夜道を照らすあの月のように
道行く力になりたい
闇夜を照らす 月のように――』
万人を越え、数多の精霊達までも魅了するフィニィの歌声は、天使の心をも奮い立たせる。
祈る心が、心に通じる。
人は笑み、人は泣き、人は信じ、人は祈る。
その祈りが世界を動かす――。
「ふははははは! 今再びのアトランティスなのだ!」
その立場ゆえか偶然か、ウィルの地に降り立ったヤングヴラド・ツェペシュは月道を抜けた今、ウィルの王城前広場で起きている現実を目にし、感心した。
「天使殿のお声は此処まで届いていたであるか。此処は決して神無き地ではないようであるな」
ただ、神を知らぬだけ。
ならば宣教が己の役目。
「お任せあれなのだ〜」
そうして教えを説く彼の話に耳を傾ける者があるように、同じ世界、天使を知らずとも月道を渡って来る者がいる。
何処でどう聞いたのか、精霊や竜を伴い天使の力になろうと彼らは言う。
「天使はよく判らないけれど、人間を見守っている存在なら力を貸しましょう」
そう宣言するベアトリーセ・メーベルトも、ジ・アース出身で『天使』を知っている利賀桐真琴も、平和を願う気持ちが同じならば協力し合えると信じる思いは一つ。
(「なにもかも上手くいかせることなんて不可能でも‥‥どんな絶望でも決して諦めたりしやせん‥‥」)
愛する人々の幸せが続くように。
その幸せを持続させる力の一端になれるように。
(「あなたを心配し、寂しがっている友人の方々のためにも、どうか早くお帰りやす‥‥」)
視界に、依頼で顔を合わせたことのあるウィルの冒険者達を映し、真琴は彼女達のために祈った。
周囲にいた人々をも巻き込み音楽と、歌と、踊りで場の空気を確かに変えていたが、まだ足りない。
月姫の気配もいまだ遠いのをレヴィシュナの様子から察したアシュレーは手を叩く。
「さぁてと。人数も増えてきたし、ここらで賑やかなのを一曲いこうか?」
作戦名「天岩戸」と粋な事を考えるアシュレーは、この広場に楽しさを溢れさせて月姫を導こうというのだ。
「というわけで、ね」
ぽん、と肩を叩かれたのはかえで。
「なんであたし!?」
「このイベントの主催者だし。何かないかな、みんなで楽しく踊れるようなもの」
「主催者‥‥うぐっ」
そう言われると否定出来ないかえでは、しばらく考えた後で両腕を肩の位置。
「えっと‥‥じゃあ皆で円を作って、一定方向を向いて、前の人の肩に手を置く」
「置く」
かえでの説明を聞きながら、彼女の背後に立ったアシュレーがその両肩に手を置く。
「で、足。右足を二回前に出して、引いて、次は左足を二回前に出して、引いて、前にジャンプ、後ろにジャンプ、前に三歩ジャンプ」
「ジャンプ」
言われた通りにやってみる。
「右、右、左、左、前、後ろ、前、前、前」
「右、右、左、左、前、後ろ、前、前、前」
やってみたら簡単で。
それこそ誰にでも出来る踊り。
「曲は?」
「ジャッ、ジャッ、ジャーララーララー」
かえでが口ずさめばすぐに奏でてしまうケンイチ。
「それをね、どんどんテンポ速めていって‥‥」
どんどん小声になり、打ち合わせというよりも企む雰囲気になっていく彼らとは別に、素直に踊りの練習をしていたフルーレに声を掛けたのはセイル・ファースト。
「あそこにいるムーンドラゴンって、あんたの竜か?」
「はい?」
こちらはこちらで新たな演出が一つ――。
●
「ちょっと待て! まさか俺達もか!?」
「此処まで来てやらないとか言わせないー!」
かえでに腕を引っ張られて、出来れば全力で拒みたいのは勇人にシルバー、オルステッド。ちなみにシフールの天龍、ユラヴィカ、ディアッカは心底惜しまれながらも身長不足で参加が見送られてしまった。
「残念だな‥‥」
「うむ、残念じゃな」
「‥‥ですね」
視線を逸らして言う本音はどこへやら。
「私達もご一緒して良いんですか?」
「もちろんですよ」
ベアトリーセや真琴も一緒にとレインが輪の中へ誘う。その輪には一般市民は勿論のこと精霊達も間に入り、何やら不思議な光景だ。
「えーお待たせいたしました。本日のイベントもいよいよ大詰め――」
輪の中心、天使から程近い場所で司会進行を務める事になったのは信者福袋。イベントと言えば彼だ。
「皆様、どうぞ心に祈りを。復活を願う月姫の姿を思い浮かべ、私達の輪に彼女が帰って来てくれる事を願いましょう」
それっぽく手を合わせて言う福袋に、反応に困ったのは天使と共に祈りに集中するヴェガだ。彼女自身は踊らないが‥‥些か祈りへの集中に支障を来しそうな気がするのは、気のせいか?
「さて、皆様の手に結ばせて頂きました紐は『祈紐』と申します。紐は人と人を結ぶ糸、故に祈りを集めて一つにしましょうという想いが込められています。皆様の祈りが一つになる事で魔物の力は弱まり、きっと月姫も皆様の前に姿を現して下さるでしょう」
加えて、もし自らの目で祈紐のご利益を見たならば一本五C、更なる祈紐の増産と魔物達によって苦しんでいる人々を救うための寄付金をと呼びかける辺り抜け目がなく、福袋に同じく祈紐の普及を望んでいたヤングヴラドや、寄付金こそ考えていなかったファング・ダイモスも、ここで月姫が復活してくれれば目的は果たされる事になるだろう。
「では、参りましょうか」
そうして信者がケンイチに目配せし。
「‥‥お、お待ちください‥‥私は‥‥」
「踊らないですの?」
何とか抜け出そうと声を上げたイシュカは、エヴァーグリーンの縋るような目に抵抗出来なくなり、ソードに諦めろと肩を叩かれる。
「最初に失敗した人はー‥‥そうだね、月姫の真似でもしてもらおうかなぁ?」
途端にざわつく冒険者の輪。
アシュレーなら絶対やる。
やらされる、――失敗出来ない!
「ふむ、心地良い緊張感です」
やらない福袋は満足気。
「では、レッツ、ショータイム」
竪琴の前奏に相応しい渋い声音で掛かったスタートは、曲のテンポもゆっくりと、ともすれば寝てしまいそうな。
「‥‥おかしいだろ、これは」
若干現実逃避したい勇人が言うも、シルバーは無言。
ひたすら無言。
「‥‥ヤングヴラドさん‥‥私はそんなに口下手だろうか‥‥」
「なんであるか、唐突に」
このような行事への参加すら断れない事を悔やむオルステッドに、唐突に話を振られたヤングヴラドは不思議顔。
そうしている内に曲調は少しずつ早まり。
「あれ‥‥?」
師匠は広場にいると聞いて来たらしいユアンが輪の中にいる勇人やシルバーに目を丸くする。
「兄ちゃん達、何やってるの!?」
「‥‥ユアン、それは聞いてやるな」
天龍がひどく心苦しそうに幼子を制した。
「なっ‥‥なんだかっ、いっ、嫌な予感がしますわ‥‥っ」
険しい表情で言うのは息が切れてきたアリシア。
「さて、そろそろお喋りしている余裕はなくなりますよ?」
ふふっと笑う福袋に呼応するかのようにケンイチの奏でるメロディは早くなり。
「月姫が帰って来るまで続けるよー」と余裕のアシュレー。
「右っ、右っ」
気を抜いたら間違える、そんな迫力で次の行動を自ら呟く大人達の声に、不意に交じったのは子供達の、そして宙に浮いているためにステップは気にしなくて言い精霊の子らの笑い声。
『ふふっ』
『たのしーの』
『のー』
ケンイチのハイスピードのメロディと。
「せ、セレネ様っ、は、早くお帰りを‥‥っ」
かなり切迫した願いと。
真剣な顔や。
声や。
「はい右っ、右っ、そーれ左っ、左っ、前っ、後ろっ、そら前ッ前ッ前!」
普段とはあまりに違い過ぎる彼らの姿に。
――‥‥ ‥‥
「!」
不意に天使が顔を上げる。
「ヴェガ!」
「うむ」
それを感じ取った彼女達が立ち上がる。
ヴェガは天使のサポートを、天使は月姫の力を。
「セレネ!!」
力を込めた呼び声に、いま、広場の輪の中心。
光り輝く帯が。
「あ――‥‥!」
最初に足をもつれさせたのは誰か。
いや、誰でも良い。
ただ一箇所が崩れた事で輪が進まなくなり、体力の乏しい者達は倒れ込み、体力に自信のある者達は立ったまま肩で息を。
「せ、セレネ‥‥?」
――‥‥ ‥ふ‥‥ふふ‥‥っ‥‥
聴こえるのは、ひどくか細い、力無い笑い声。
そう。
‥‥微笑っている。
「やっぱりね」
くすりと笑み、言うのはアシュレー。
「体動かすのもしんどい時に呼ばれて、行きたいのに行けないって心に負担掛けたら、尚更良くないかなってね」
それなら、具合が悪くても傍に行きたい、と。
そんな風に思わせる楽しさを演出出来ればと。
「普段はクールな人達がだよ? 輪になって真剣に踊っていたら、それは見ておかないと勿体無いもん♪」
かえでが得意そうに言えば、リール。
「踊っている勇人殿やシルバー殿は、確かに貴重だ‥‥」
「ふっ」
輪の外で吹いたのは天龍。
「言われて見れば‥‥ソードさんだって‥‥」
思い出して口元を隠すレイン。
「ふふっ‥‥」
「くっくっくっ‥‥」
次第に広がる笑い声は、冒険者達から子供達へ。
そして、大人達にも。
「ったく‥‥そう言うことかっ」
「ちゃんと女の子の気持ちも考えないとね?」
ようやく得心する勇人へ、にやにやとアシュレー。こと女性心理に関して彼に敵う男はそうはいない。
「‥‥よく戻ってきたな、セレネ」
『‥‥レヴィシュナ様‥‥』
彼女の力を借り、次第に以前のようにはっきりとした輪郭を取り戻してゆく月姫は、天使に促されて改めて自分を呼び続けてくれた冒険者、一人一人の顔を見つめ、告げる。
『‥‥ただいま、戻りました‥‥』
返す言葉はただ一言。
――おかえり。
祝いの宴に、奏でられる旋律。
空に二匹の竜が飛翔する。フルーレとセイルの竜達が、月姫の復活を祝い舞ったのだ。
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「ご覧になられましたか」
ウィルの城内から王城前の広場を見つめ、主に進言するはアレクシアス。
奇跡だけでは国は動くまい。
だが、いま目にした光景は天使が起こした確かな奇跡。
「どうかご決断を」
真摯に訴える彼へ、国は。
リグの国、ホルクハンデ・クロムサルタ両領主から冒険者ギルドへ支援依頼が出されたのはこれから数日後の事。
ウィルはこれに対し、依頼を受けた冒険者達への更なるゴーレム派遣支援を決定した。