【竜精祭】この夜、君に囁く愛の詩
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■ショートシナリオ
担当:月原みなみ
対応レベル:8〜14lv
難易度:普通
成功報酬:2 G 49 C
参加人数:6人
サポート参加人数:-人
冒険期間:07月26日〜07月29日
リプレイ公開日:2009年08月12日
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●オープニング
●そうして始まる夏の宴
「【竜精祭】を催しますわよ!」
「はいっ?」
姿を現すなりダンッ、と卓を叩いたセゼリア夫人にギルド職員のアスティ・タイラーは思わず背筋を伸ばして良い返事。
「な、なんですか突然っ」
「何も蟹も無いのです、お祭です!」
「蟹‥‥」
「ヤギっ」
意味不明。
とにもかくにも、夫人のテンションが最高潮になっているのは間違いないようで、何度も瞬くアスティの目の前に勢い良く一枚の羊皮紙を突きつける。
「ですから、こちらをギルドの掲示板にも貼り出しておいてくださいな」
「これは‥‥」
手に取って見てみると、何とも歪な形で【竜精祭】の文字が躍る。
場所はもちろん夫人の暮らす村だが、その会場の一つとしてこれまでも冒険者達と共に祭を楽しんだ夫人所有の土地を開放、そこに絵を描いたと言うのだ。
「草原に絵、ですか?」
「ええ! 草を踏み倒して色を塗った石や花を飾って‥‥子供達が頑張ったんですのよ。ふふふ、何を描いたかは見てからのお楽しみですけれどっ」
「それは‥‥草原に立てば見えるのですか?」
「いいえっ、とっても大きな絵ですから空からでなければ見れませんっ」
「空、から?」
思わず目を丸くして聞き返したアスティに、夫人はとっても満足気。
「ええ、空からです!」
「どうやって空から見るんですか! まさかギルドからシップを貸せとか仰る気では‥‥っ」
「違いますわ」
心外だと、頬を膨らませた夫人。
「今回のお祭は、決して人間が楽しむためだけのものではないのです」
「と、仰いますと‥‥?」
「此処に何と書いてありますの?」
言いながら彼女が指差すのは、手渡された羊皮紙に踊る【竜精祭】の文字。
「‥‥竜?」
「そうです!」
今月の祭は、竜を讃えるもの。
ならば竜に喜んでもらわなければ。
「冒険者の方々から竜との暮らしを教えて頂いて、思ったのです。竜はとても賢く、強大で、人と感情を交わせるのは他の動物達も一緒ですけれど、もっと尊い存在であると」
「はぁ‥‥」
「それに月竜さんは、月夜の空を飛ぶのが好きなのでしょう?」
「ああ、そうらしいですね‥‥」
「ですからっ!」
バンッ、と本日二発目。
「わたくし、子供達と一緒に頑張りましたわ! この方の協力を仰いで!」
「この方?」
そうして促され、見た先に立っていたのは。
「――っ、かえでさん!?」
「やっほ〜♪」
冒険者街で道案内のような仕事をしている天界女子高生の彩鈴かえで、ウィルでその名を知らぬ者は無いと言われるほどの(?)お祭娘!
「貴女はまた何を企んだんですかっ!?」
「企むなんて人聞き悪いんだよっ、純っ粋に楽しいお祭計画しただけたもん!」
言い返す彼女の瞳は実に真っ直ぐ、力強い。が、そんな時こそ何かを企んでいるのがこれまでの事実でアスティは疑わずにいられなかったが‥‥意外な事に、今回は本当に、お祭自体には何の企みも存在していなかった。
そんな二人の遣り取りもにこにこ笑顔で聞いていた夫人は、最後にアスティに念を押す。
「どうか、冒険者の皆さんにもこのお祭の告知をして下さいな。わたくしの土地の絵の他にも、村の方々が『出店』というのを用意してお待ちしていますわ。収穫したばかりのお野菜や、果物を使ったお料理に、お飲み物も勿論。きっと楽しいお祭になりますから。お祭の開始は日暮れから‥‥夜が本番なんですのよ」
語尾は切実に願うような声音で、アスティはじろりとかえでを一瞥。
不安は残る。
疑いも残る。
が、‥‥夫人にこのように頼まれて否はない。
「判りました、このお報せはギルドの掲示板に張り出しましょう。――どうか楽しい【竜精祭】を」
「ありがとうございます!」
夫人とかえで、二人の満面の笑顔に肩を竦めるアスティだった。
● そうして、宴
かえでが四方を走り回り友人知人に協力を仰いだ結果、石動兄妹はジ・アースのジャパンから和紙を買い付けて来て、リラ・レデューファンはセレの職人達に蝋燭台を安価で作ってくれるようアベル・クトシュナスへの説得を命じられ、滝日向は天界人のその頭を貸せと言われながら力仕事もしっかりと手伝わされ‥‥その結果、村を包んだのは仄かに明るい、優しい灯火。
鼻腔を擽る美味しい匂いと、陽気な音楽は村の有志達によるもの。
「で、あんたも呼ばれたってか?」
呆れる日向に肩を竦めるアベル。
「驚いたね。あの天界の少女は策士だよ、これだけ協力させたんだから祭に呼べと言ったら本当に呼んでくれたが、私が何で来るのかも判っていたんだろうな」
セレのフロートシップを祭の間は貸し出せ、とこうである。
「伯爵がそんな策に嵌るなよ‥‥」
「なに、近頃は嫌な話ばかりが目に付くからな。貸したところで破壊される心配もないのなら、冒険者諸君のためにシップを提供するくらいはお安い御用さ」
何せウィルの冒険者には大きな借りがあるセレの国。
彼らが楽しむためなら‥‥とは言うものの。
「しっかし‥‥やっぱりかえでは転んでもタダじゃ起きないというか‥‥」
「それって褒め言葉だよね?」
小声で話していたアベルと日向の背後から、突如現れた少女はVサイン。
「良いじゃん、良いじゃん。恋人達にフロートシップで夜の空中散歩とかロマンだよ!?」
「あーはいはい」
「だが恋人達限定じゃないんだろう?」
「うん、希望者は誰でもOK。自分達で空を飛べる相棒を同伴して来たら、シップに乗らなくても見れると思うし。ただ、そういうデートも有りだよね、っては・な・し」
そう言うかえでは、とても満足そうに地上から『それ』を見つめる。
「すごいでしょ?」
「あー‥‥まぁな」
「冒険者の皆、驚くよ〜♪」
満面の笑顔の彼女に、アベルは笑い、日向も苦笑。
さぁ、村の方から冒険者達の賑やかな声が聞こえてきた――。
●リプレイ本文
●
空が次第に赤味を帯びて暗くなっていく時間帯、村の入り口から件の草原に向かう道筋には村人達や、冒険者有志によって開かれた露店で大変賑わっていた。
忍として生きる己の主と、これらの店を見回っていた物見昴(eb7871)はふと目に留まった細工品を手に取る。銀色のシンプルな腕輪。剛健をイメージした周りの彫り物は明らかに男性用だ。
「そんなのが欲しいのか?」
唐突に背後から声を掛けられた昴は、声を発する前に深呼吸を一つ。
「泰斗様‥‥」
声の主を呼べば彼は苦笑った。
「相変わらず男っぽいものが好きだな」
「いえ、これは‥‥」
本当は誰のためになどと口にするのは憚られて、言葉を繋ぐ代わりに腕輪を元の場所に戻した。
「参りましょう」
「なんだ、いいのか?」
「はい」
確かに自分自身も装飾の多い女物より質素だが機能的な男物を好む。ただ、近頃はああいう品を見ると自身よりも主に合うかどうかが優先されるようになった。どんなものが似合うだろう、どれなら彼の役に立つだろう‥‥、そんな風に考えて、結局は何も買えなくなってしまう事もしばしば、今回もまた然り。
「‥‥何かお飲みになりますか」
「ん?」
それでも良いがとの応えに少なからず安堵した。
時間は多少前後し、石動香代の、赤地に睡蓮の花をあしらった浴衣を借りたリィム・タイランツ(eb4856)が彼女に着付けてもらった直後、
「これ、ムネがきついよ‥‥」なんて呟いた時から些か不穏な空気が漂っていた事実は否めない。そもそも和装というのは胸が豊かで腰周りの引き締まった女性が着こなすのは難しいものだし、これでペガサスを駆ろうというのも‥‥露出を厭わないのであれば出来ない事は無いのだけれど。
「よしっ、じゃあ行こうか良哉クン♪」
「何で俺がっ!」
リィムの誘いを良哉は拒む。
「俺は香代と回る!」
「香代は俺に任せて行って来たらー?」
「うっせえ!」
横から口を挟んで来るカイン・オールラントを良哉が一蹴、一方でリィムは笑顔。
「香代さんも一緒に行きたいなら、どう?」
ねっ、と微笑んでリィム。
「ボクの事は義姉ちゃんとか呼んでもいいよ〜♪」
一同絶句、その後にはカインが吹き出して。
「良かったな。以前に姉さん欲しいって言ってたろ」
悪気皆無の言葉に、しかし香代は何も言わずに踵を返すとそのまま立ち去ってしまう。
「香代っ」
「はいはい、香代ちゃんはあたしにお任せだよ〜」
追いかけようとした良哉の肩を掴んだのは、かえで。
「君も勿論一緒だよね?」
「痛でぇっ!」
腕を摘まれて痛がっても自業自得。
「良哉君はリィムさんと一緒。女の子に恥かかせちゃダメだからね」
「〜〜っ」
多少強引ではあったが、そうして纏った彼らの行動に、見守っていたリラ・レデューファンとリール・アルシャス(eb4402)はまだ心配顔だ。
「香代殿、大丈夫だろうか」
「かえで殿が一緒にいてくれると言うし、平気だとは思うが」
言い、リラは吐息を一つ。
「私達が悩んでも仕方ないな。行こうか、リール殿」
「ああ‥‥、って、え?」
あまりにも自然に「行こう」と言われて思わず頷いてしまったリールだけれど、それが誘いの言葉だと気付き彼を見上げた。
リラは、笑んでいた。
「他の誰かと回ると言うのなら、私は遠慮するが」
「そんな事はないっ、リラ殿と一緒が良い!」
慌てて言葉を繋ぐリール。
リラは苦笑う。
「では、行こう」
まるで夢を見ているような心地だった。
走って来る日向を見つけて、浴衣姿の華岡紅子(eb4412)は心なしか表情を和らげた。それは安堵にも似た微笑。
そんな彼女を相手も見つけると、歩調を緩め、乱れた髪を手櫛で直す。
「っはぁ‥‥どこまで走ろうかと思ったが」
「あら。探してくれたの?」
「当然」
言いながら、その手が彼女の手を取り。
「他の誰かと一緒だったら攫ってでも連れて行くつもりだったぞ」
「大袈裟ね」
応える紅子は手を握り返す。そんな彼女に、日向は照れたように咳払いを一つ。
「祭り、一緒にどうだ?」
「ええ、喜んで」
寄り添うように腕を絡めると、ふわり、夏に似合いの爽やかな香りが舞った。
「さぁ、出来たッスよ!」
月姫セレネに柴犬浴衣を着付けて、フルーレ・フルフラット(eb1182)は朗らかに笑う。
「うん、とっても可愛らしいッス」
『ありがとうございます。このような衣は初めてで、少し気恥ずかしいですが』
夫人に自宅の一室を借りていた二人は、皆が祭りで出払ってしまい人気のない家屋をゆっくりと外に向かう。
「セレネさんにも是非お祭を楽しんで頂きたいです!」
嬉しそうに笑む月姫の笑顔にフルーレも笑みを零しながら、だが気恥ずかしそうに視線を逸らす。
「でも、その‥‥さっきの話は、他の皆には内緒でお願いします」
『内緒、ですの?』
「‥‥知られたら恥ずかしいじゃないッスか‥‥」
『まぁ』
可愛らしい方と微笑む月姫に、フルーレの頬は更に赤味を増すのだった。
●
草原に子供達が描いた絵とは、一体どのようなものなのだろう。上空から眺めるのは夜になってからと言われて、飛獣を連れて来た冒険者達もその時を待つが、やはり気になる。草原の周りには次々と様子見の人々が来ては去り、顔見知りと擦れ違う事も少なくなかった。
セゼリア夫人の農場で育てられた動物達から恵まれた乳や肉類、村の畑で育てられた野菜に果物、これらに地球出身者のアイディアが加われば、なかなかどうして珍しい物をメインにした露天が並ぶ。
「良哉くん、次あれ行こうよ、あれ!」
リィムがそれらを指しながら良哉を誘うも、彼は先ほどから硬い表情のままだ。さすがのリィムだってそんな顔を見せられたままでは切ない。
「ボクと一緒じゃ面白くない?」
「って言うか‥‥」
良哉は息を吐く。
「あんたこそ、こんな俺と一緒で楽しいか」
「ボクはキミと一緒にいると楽しいよ♪」
素直に伝える言葉の本音は、素直じゃない良哉こそが好みなのだと。ひねくれているように見えて心根が露になっているところが萌要素らしい。
(「素直に好意を示してくれないトコがとても女心を燃えさせるというか‥‥!」)
だからこそ心からの笑顔が見たい、それがリィムの本心。
だが、良哉は。
「あんたの奔放さは魅力だと思う。けど、俺には無理だ。性格が違い過ぎるだろ」
陽気で前向きなリィムと、臆病で一歩進むのにも時間の掛かる良哉。
「良哉くん‥‥」
リィムは手を伸ばす。一緒にいたい、キミでなければ嫌だ、そんな思いを込めて伸ばした指先は、触れる前に払われた。
「本気で俺の事を見ていたんなら判るはずだ‥‥俺は、あんたが怖いよ」
怖いのは、眩しいから。
自分とは違い過ぎるから。
「‥‥それに、今は香代以上に大切な女の子は要らない」
だから戻る、と。踵を返す良哉を、今日ばかりはリィムも追えなかった。
●
「リラ殿の誕生日っていつなんだ?」
「五月二〇日だよ」
「ご両親の事、とか、聞いても良いだろうか‥‥?」
遠慮がちに尋ねてくるリールに、リラは頷く。
「楽しい話ではないと思うが、それでもよければ」
「ああ!」
そうして聞けば、リラは母親がエルフ、父親が人間の混血だった。両親ともに既に他界し、母親の最期は同族からも人間からも疎まれた悲しいものだったが、両親の間に通った愛は真実だったと彼は語る。
「私が人間の親友を得たのも、父が在ったからだ」
父親はエイジャに似た人だったと話すリラの表情が本当に穏やかなものだったから、リールも心から微笑む事が出来た。
「リラ殿の名前は、どなたが?」
「両親だ」
「そうか‥‥名付けられたご両親は、とても素敵な方々だったのだろうな」
「‥‥ありがとう」
そうして近付く距離を、揺らす風。
柔らかな金色の髪がリールの指に絡み、くすぐる。
「あぁ、すまない」
「あ、いや‥‥」
引こうとするリラの手を、リールは止めた。
「‥‥いつか、触れてみたいと思っていた‥‥」
「髪に?」
「うん‥‥とても、綺麗だから‥‥」
リールの言葉にリラは目を瞬かせ、ふわりと微笑う。
「それを言うなら、君の黒髪の方が」
大きな手が自分に触れた、その瞬間に体が固まる。嬉しいとか、照れるよりも、驚きと緊張が勝る。それは触れているリラにも察せられただろう。
だから、彼は。
「――‥‥!」
驚くリールに微笑み、指に抱いた黒髪にキスを落とす。
今は、まだ。だが、いつかは。
その誓いを乗せて。
「リラ殿‥‥っ?」
「‥‥行こうか、そろそろ船が飛ぶ時間だ」
知りたい事はまだ幾つもあったが、行こうと差し出された手に全てが何処かに行ってしまった。夏の夜、ほんの少しだけ通い合った二人の距離。
●
村の空、すっかり暗くなった夜空に船が浮かぶ。空中遊覧。そこから見下ろす景色は――。
「すごいわ‥‥!」
感動の声を上げた紅子に、日向は満足そう。彼はかえでと一緒にこれを計画させられた側の人間だから、最初から其処に何があるのかは知っていたのだ。
「本当に素敵‥‥これを子供達が?」
「ああ」
セレの職人に作って貰った蜀台に蝋燭を置き、石動兄妹らが買い付けて来てくれた色付き和紙で囲むことで灯火に色を付けた。これらを、皆で草を刈り、踏み倒し、描いた絵の上に計画通りに並べて描かれたものが、地上に輝く金の月。
そして、その周りに飛び交う竜達の姿。
みなデフォルメされて非常に可愛らしい図柄になっていたけれど、よく見ると夫人からの依頼で紹介された竜達の特徴を捉えていた。
「言葉は通じなくても、絵でならドラゴン達に感謝の気持ちを伝えられるはずだ、ってな」
「そうね‥‥ええ、きっと伝わるわ」
身を乗り出して下方を見つめる紅子が風に揺られるのを見て、日向は彼女の身体に腕を回す。
「落ちるなよ」
「ええ、ありがとう‥‥」
感謝するのに見上げた彼の顔が思った以上に近くて、紅子は緊張を誤魔化すように笑みを零す。
「この状況ってアレに似てるわ。映画のあのシーン」
「映画? って、ああ」
言われて日向も思い出す某映画の名場面。
「鳥になってみるか?」
「さすがに恥ずかしいわ」
くすくすと内緒話のように睦合う二人は、吐息さえ感じられるほどに近く。
とても自然に重なるキスは、彼女から。
「誘ってくれてとても嬉しかったわ」
「少し焦ったけどな‥‥」
苦笑交じりの二度目は彼から。
そうして紅子の左手を――薬指に輝く銀の指輪を包み込む。
――‥‥あんたの人生縛るような事は言えないが‥‥これだけは伝えたくて、な‥‥
風鈴草の花言葉。
この世界で君に出逢えた、僥倖。
包まれた温もりから日向の心を感じ取ったように紅子は告げる。
「‥‥この空も大地もとてもとても広いけれど、私の居場所は貴方の隣だけ、よ」
「紅子‥‥」
言葉は心を近付け、名を呼ぶ度に距離は埋まる。
「船を降りたら、二人で抜けるか」
「‥‥あの映画みたいに?」
くすくすと笑い合える幸せを胸に、貴方となら何処へでも――。
●
「綺麗ですね!」
そう夜空に舞い飛ぶ月竜の背で声を上げたのは聖女の残り香を身に纏ったフルーレだ。その後方にはアベルの姿。彼もまた地上に何が描かれたのかは前以て知っており、主に彼女の反応を見て楽しんでいる。
そんな彼の視線にフルーレは鼓動を高鳴らせる。見られているという自覚は、どうしたって彼女を平然とはいさせてくれなかった。
「その‥‥あまり、見ないで頂きたいんですが‥‥」
「何故。せっかく綺麗な女が傍にいるんだ、見ないのは勿体無いだろう」
「‥‥っ」
カァァッ‥‥と赤くなるフルーレの顔に、アベルは楽しげに笑う。そんな反応こそが好ましいと言いたげに。だからこそフルーレも思い切った。
「ぁ‥‥アベルさんは、どうして自分を‥‥その、妻にしても良いと思ったんでしょうかっ」
意を決し、一息に問い掛けた彼女に対してアベルはただ一言。
「面白そうだったから、だな」
あっさりとそう返した。フルーレが驚いて目を瞬かせたのを見て、彼は言葉を繋ぐ。もちろんそれだけではないけれど、と。
「これでも伯爵位を持ってるんだ、嫁になりたいという女ならそれこそ大勢いたが、良家の子女だか何だか知らんが、皆、同じ顔にしか見えなくてな。辟易していた所に現れたのが、おまえだ。あの夜に俺を射抜いた瞳にはゾクッと来たよ」
「っ‥‥」
不意に伸びた手先が首筋に触れて、フルーレは思わず身を硬くした。そんな彼女に、アベルは笑う。決して手を引く事は無く。
「おまえこそ、どうして俺の嫁になろうと思った」
「それは‥‥」
間違っても彼が伯爵だったからではなくて、切っ掛けはどうあれ、その身分にそぐわない気さくさや、国の人々を想う姿に、心は惹かれた。この人にならフルフラットを委ねられると。
「まさか‥‥こんな意地悪な方だとは思いませんでしたけど‥‥っ、って、わ‥‥っ」
アベルが笑った、と同時に腰を引かれ、彼の胸に背中を預ける格好に。
「アベルさんっ!?」
「何だ、意地悪な男はイヤか?」
「‥‥っ」
そんな事は、決して無くて。
むしろ、今はもう抑えきれない程の愛しい気持ちが育ってしまっていて。
「んっ‥‥」
首筋に走った甘い痺れに、声を殺す。そんな彼女すら可愛く、アベルは耳元に囁く。
「意地は悪いが、その分、幸せにしてやる自信もあるぞ?」
低く甘い、毒のように痺れる囁きに重なって、先刻の月姫セレネの言葉が脳裏を過ぎった。
――‥‥その心配はありません‥‥同じ天界と呼ばれる異世界であっても、ジ・アースの人々が意思に反してアトランティスから弾き飛ばされる事はおそらくありません‥‥
それはこのアトランティスに辿り着いた時と同じ。
(「離れたく、ないんです‥‥」)
今はもう、故郷よりも大切なものがたくさんあるこの世界を。
「‥‥今更返品なんて効きませんから、‥‥キチンと、お嫁に貰ってください‥‥っ」
「任せておけ」
応じる彼の言葉に躊躇いなど欠片も無いのを感じ取って、フルーレは乞う。
「一つ、お願いが‥‥」
「お願い?」
「‥‥名前を、呼んで欲しくて‥‥」
「フルーレ?」
「いえ‥‥」
それは騎士を目指す以前の、フルーレ・フルフラットを名乗る以前の。
「過去の自分も一緒に‥‥前に、進む為に‥‥」
告げる彼女に、アベルは頷く。
そうして呼ぶ過去の名。
彼女の過去。
「俺の妻になれ、――フローレンス」
睦言のような求婚に、彼女の応えは。
●
「まったく‥‥」
船を降りた彼らの姿に目を瞬かせたのはかえで。
「えぇっ? 昴さんどうしちゃったの!」
「強くもないのに酒など口にするからだ」
「ありゃりゃ」
それは大変だ、と思うものの、彼の腕の中で眠る昴も、彼女を抱えた彼もどこか嬉しそうに見えたから、たぶん良いのだ。
「うー‥‥んと、気をつけて?」
忍の主は苦笑混じりに応える。
「‥‥お砂糖、最高」
二人の背を見送ってぐっと拳を握ったかえでは、今度は何を仕掛けようかと早速次の作戦を立て始めるのだった――‥‥。