二つの血を引く意味

■ショートシナリオ


担当:月原みなみ

対応レベル:8〜14lv

難易度:難しい

成功報酬:2 G 49 C

参加人数:5人

サポート参加人数:1人

冒険期間:11月10日〜11月13日

リプレイ公開日:2009年11月17日

●オープニング

 ● 狂気

 エルフと人間の間に生まれた子供には、須らく二つの血が受け継がれる。
 基本的に異種族間の婚姻は周囲の者に忌避されるものであり、たとえ心通わせて結ばれた恋人同士でも祝福される事は稀だ。ましてや、生まれてくる子供と、二親は、生きる時間までも異にする。
 幸せは、無論、本人達の努力があってこそのものだけれど。
 それでも気持ちだけではどうしようもない事情ゆえに、同じ種族同士で結ばれた二人が過ごす時間に比べれば長続きはしないのが常だ。エルフは人間の伴侶の早過ぎる老いに涙し、人間は伴侶の変わらぬ姿に悲しみ、死によって別つ。
 ハーフエルフの子は成長した姿を人間の親に見届けてもらえぬまま亡くし。エルフの親より早く死ぬ。
 それは、たとえ覚悟して契りを交わした未来だとて悲しまずにはいられない事実だ。
 だが、これらの事情が異種族間の婚姻を忌避する理由ではない。
 その交わりが禁忌とされるのは、混血の子供には生まれながらにして『狂気』が根付くからだ――。


 *

「‥‥ッ!」
 どうして、と。
 彼は両目から溢れる涙を拭う事も出来ずに森の中を走り続けた。
「ぁっ‥‥!」
 裸足の足が、木の枝や地面に転がる石で傷付き、血を流しても。
「‥‥ッッ!!」
 ぬかるみに嵌ってバランスを崩し、倒れても。
 彼は泥だらけになりながらも立ち上がった走り続けた。
 森の奥へ。
 奥へ。
 ‥‥奥へ。
 鬱蒼と生い茂る木々の葉に陽精霊の輝きが遮られ、昼間だと言うのに辺りは薄暗い。
「うっ‥‥」
 足元に絡まる蛇。
「うぁああああああ!!」
 彼は興奮し、めちゃくちゃに手足を暴れさせた。
 恐い、恐い、恐い。
 生きている事が、恐い。
「なんで‥‥っ!!」
 どうして自分は、この世界に生まれてなど来てしまったのだろうか。
 自分が混血である事は承知していた。それでも冒険者ならば他の職業ほど混血の自分を拒みはしないと聞いていたから、努力した。万が一、狂化を来たしても傍にいるのが冒険者仲間ならば最悪の事態を招く前に止めてもらえると、そう信じられるようにもなっていた。
 だが、それは。
 一般の人々との関りを完全に絶てるものでは無いのだという事を。
 時には冒険者仲間が傍に居ない事もあるに決まっているのだという事を‥‥考えないように、していた。
「ごめん‥‥!!」
 彼は、嘆く。
 声の限りに泣き叫ぶ慟哭に謝罪の言葉を重ねる。
 油断していたんだ。
 冒険者になって、仲間が出来て、依頼も数をこなせるようになってきた。そのせいで心に隙が出来た。
 まさか、真昼間の商店街で驚かされて狂化を起こしてしまうなんて。
 愚かな真似を‥‥!!
「ごめん‥‥!!」
 そんな彼を止めたのは騒ぎを聞いて駆けつけた仲間だった。リラ・レデューファンという名の、彼と同じハーフエルフの冒険者だ。同居している幼子や、陰陽師の兄妹とたまたま買出しに来ていたところで自分の事を知り、助けに入ったようだったが、正気を失っていた彼にそんな事情は知る由もない。判るのは、自分が彼を傷つけたこと。
 腕を割き、同じ血を流させた事。
 リラは、狂化した危険そのものの自分に対して武器を使わなかったのだ。
「いっそ殺してくれたら‥‥っっ」
 そんなこと、本人には決して言えないけれど。
 だが、リラを傷つけるくらいなら自分を動けなくして欲しかった。この手が友人を傷つけたなんて、そんな残酷な事を。
「ごめん‥‥っ!!」
 繰り返す謝罪に重なるのは、リラの真っ直ぐな瞳。
 落ち着けと必死に諭してくれた姿。
 商店街を行き来していた人々の恐怖に滲んだ眼差し。そしてリラが駆けつけてくる以前に自分が殴り倒した数人の男女が、血塗れになって倒れていた光景が――。
「アアアアアアアァァァ‥‥ッ!!」
 リラが育てている幼子の、蒼白になった顔が脳裏を過ぎる。
 取り返しのつかない事をしてしまったのは明らかだ。

 ごめん、ごめん、ごめん、ごめん‥‥!

 彼は、そればかりを繰り返しながら森の中を走り続け、――崖を、落ちた。




 ● 葛藤

 その頃、ウィルの街中。
 商店街の一角ではリラが周囲の険しい視線に晒されていた。普段は隠しているハーフエルフの耳も、冒険者仲間であるディヴァン・スクゥエードの狂化による暴走を止める最中に露見してしまい、彼もまたハーフエルフであるという事を人々は知ってしまった。
 怯えと、嫌悪の視線が彼を射抜く。
「‥‥っ」
 同行していた石動香代はユアンを抱き締め、その頭を着物の袖で隠した。
「‥‥姉ちゃん‥‥俺達‥‥やっぱり‥‥」
「違うわ‥‥」
 腕の中、くぐもった幼子の言葉に香代は即答した。何が違うかなんて、判らない。
 けれど違う。
「‥‥違うわ‥‥違うもの‥‥っ」
 繰り返すその言葉に、いつしか涙が滲んだ。

「リラ」
「ああ‥‥」
 石動良哉に声を掛けられたリラは低く頷く。人々の視線は痛い。だが、落ち込みを露にするほど、彼はもう幼くはなかった。
「ディヴァンを放ってはおけない。‥‥追い掛ける」
「ああ、勿論だ。俺も一緒に行く」
「いや」
 同行を申し出た良哉に、リラは首を振った。
「良哉はユアンを連れて家へ‥‥ショックが大き過ぎる」
「ユアンには香代がついてる」
「だが」
「リラ」
 更に言い募ろうとするリラを、良哉は厳しい視線で見据えた。
「‥‥おまえが傷付いてないなんて俺は思わない。その腕だって、結構な重傷だろう?」
 その言葉にリラの目が見開かれ、良哉は呆れたように息を吐く。
「それに、何処に行ったかも判らないディヴァンを探すには探索魔法を使える奴が一人くらい付いて行った方が絶対に早く捕まえられるし‥‥、それでもユアンが心配だって言うなら、俺がこれからギルドに行って、協力してくれないかと頼んでくる」
「良哉‥‥」
「な」
 ぽん、と。
 友人に叩かれた肩から、不思議と心地良い温もりが伝わって来た。

●今回の参加者

 ea0324 ティアイエル・エルトファーム(20歳・♀・ゴーレムニスト・エルフ・ノルマン王国)
 ea3651 シルバー・ストーム(23歳・♂・レンジャー・エルフ・ノルマン王国)
 eb0010 飛 天龍(26歳・♂・武道家・シフール・華仙教大国)
 eb4402 リール・アルシャス(44歳・♀・鎧騎士・人間・アトランティス)
 eb4856 リィム・タイランツ(35歳・♀・鎧騎士・パラ・アトランティス)

●サポート参加者

ゴールド・ストーム(ea3785

●リプレイ本文


「行くよ星矢!」
 ペガサスを駆るリィム・タイランツ(eb4856)の声が喧騒に包まれた町に奇妙なほどの清涼感を伴って響いた。
 同時に、空に白い翼が舞う。
 舞い落ちる羽根は気の早い雪が戸惑うかのように人々の視界で揺れ、ゆっくりと地上に落ち。
「早く逃げましょう、またいつ暴れ出すか‥‥っ」
「だからハーフエルフなんて‥‥っ」
 羽根は逃げ惑う人々の足に踏み潰され、泥に塗れ、――無垢の輝きを失う。傷口から腕を伝い、地面に滴り落ちる血が黒く変色していくのも、また。
「リラ殿、せめてこの布で傷口を‥‥」
「‥‥ああ、ありがとう」
 清潔な布をそっと押し当てるリール・アルシャス(eb4402)に、リラは傷口を抑えていた手を除けた。幸い傷口はそれほど深くないが、止まらない血にリールの顔が歪み、そんな彼女にリラは微笑んだ。
「心配は要らない。この程度の傷ならばすぐに治る」
「だが‥‥」
 彼の声音があまりに優しいから思わず顔を上げたリールは、至近距離に接した相手の瞳に思わず言葉を失った。無理に平気なフリをしているのかと思えば、彼の微笑に無理は欠片も感じられない。
 むしろ其処にあったのは、諦め。
「リラ殿‥‥?」
 受け取った布で傷口を縛るリラの、その表情が信じられずに声を震わせた頃、それに本人が答えるより早く戻って来たのはギルドから周辺の地図を借りてきたシルバー・ストーム(ea3651)と、同じくギルドから傷薬の類を借りてきた飛天龍(eb0010)だ。
「此処は任せても良いか」
 良哉と天龍が頷き合う。
「それに‥‥」
 聴こえて来るオカリナの音色はティアイエル・エルトファーム(ea0324)。狂化を目の当たりにしてしまった人々の心が少しでも和らぎますようにという想いを込めて奏でられる楽の音は秋も終わろうという時期の冷たい風に、確かな温もりを感じさせた。
 一人ではない。
 ‥‥誰も。
「では、また後で」
「ああ」
 天龍は言う。
「また後でな」





 ユアン達は大丈夫かな。
 そんなに親しいわけではないけれど、誰であれ、心に傷を負った人を放っては置けない。だからこそティアイエルは、あえてこの場に留まりオカリナを奏でた。
(「あたしは‥‥辛い現実であっても、常に目を背けず受け止めたい。この町の人達も‥‥少しずつで良いから、拒絶するんじゃなくて、一緒に考えていってくれたら‥‥」)
 心の中、祈りながら響く旋律。技術はなくとも音楽を愛する心と、人々を想う優しさが伴えば、彼女の笛の音は精霊の歌声のように澄んで聴こえる。そしてそんな音楽に真っ先に応えてくれるのは、やはり澄んだ心を持つ者なのだろうか。
 くいっとスカートの裾を握られたティアイエルが瞳を開くと、足元に小さな女の子が座っていた。小さな耳。人間の女の子だ。ティアイエルに寄り添うように‥‥いや、むしろスカートの影に身を隠すように擦り寄ってくる女の子の様子から、この子もまた目撃者なのだろうと察した。
「‥‥大丈夫?」
 そっと声を掛ければ、少女は肯定も否定もしなかった。
「‥‥お姉ちゃんの笛の音楽‥‥もっと聞きたい‥‥」
「‥‥ん」
 ティアイエルは優しく微笑むと、笛を吹く。
 この子に笑顔をと祈りながらの旋律を――。


「さぁこれを飲むんだ。‥‥一人で飲めるか?」
 口元を切ってしまい、喋ろうと口を動かすたびに激痛が走るのだろうか。顔中血だらけの男が天龍に支えられながらポーションを喉に押し流す。
 じわり、じわりと引いて行く痛み。
「くっ‥‥はっ‥‥ぁ‥‥生き返った気分だ」
「もう平気だな」
「ああ、助かったよ。ありがとう」
 天龍の介抱に頭を下げた男は、辺りを見渡して顔を歪めると、‥‥舌打ちした。
「あのハーフエルフの野郎、好き勝手しやがって‥‥っ」
 天龍は拳を地面に叩き付けて唸る男の姿を見遣ると、深呼吸を一つ。
「悪いが、他の者達の手当てを手伝ってもらえるか? 先ずは顔の血を拭いてな」
「ぁ、ああ」
 天龍から布を受け取った男は、次いでポーションを受け取り、傍に倒れている男を介抱する。怪我の程度の酷い者から順番に治療を施し、動けるくらい回復した者は次の者の治療を手伝う。そのように人手を増やして行く事で負傷した者が苦しむ時間までも軽減させていった。
「あんちゃん」
「っ」
 不意に放られた物体を受け止めた天龍は、片手に収まる大きさの果実に、それを放った露天の主人を見遣った。恰幅が良く厳つい顔をしてはいるが、天龍を労う笑顔は陽気だ。
「それだけの怪我人の相手をすりゃ腹も減るだろう、食え食え」
「‥‥感謝する」
 果実をじっと見つめ、礼を告げた天龍はそれを齧る。同時に口の中に広がる甘酸っぱくも瑞々しい食感に自然と表情は綻んだ。それを察したのだろう主人は満足気。
「美味いだろう? 足りなきゃまだあるからな――あのハーフ野郎に随分と傷物にされたが‥‥まぁ、絞って飲料にすりゃまだ売れるし」
 語尾には忌々しげな響きを伴わせて主人の言葉を、天龍は再び深呼吸と共に受け止める。
 ‥‥受け止めた上で、願う。
「狂化していて本人の意思ではないとはいえ許される事ではないが、彼らが望んで狂化している訳ではない事は心に留めておいてくれないだろうか」
「は?」
 天龍のそれが思い掛けない言葉だったのか、途端に眉を顰め、低い声を発したのは一人二人ではない。
「何だよ兄ちゃん、あの混血野郎の知り合いか?」
「あんな好き勝手しやがった奴の肩を持つつもりか!?」
 声を荒げる者も、いた。
 しかし天龍は臆さない。
「肩を持つつもりはない‥‥だが、友人だ」
 リラや、弟子であるユアン、彼らに限らず、冒険者として過ごしてきた長い時間の中で得たハーフエルフの友人は決して少なくなく、その誰もが好んで他人を傷つけたいわけではなかった。
 狂化は。
「‥‥狂気は、心を持つ者なら誰でも持ち得るモノ」
 今にも天龍に鬱憤をぶつけそうな雰囲気の人々に、ティアイエルは思わず立ち上がり、声を発した。足元に寄り添っていた子供が驚いた顔で見上げている。
 その視線を肌で感じながら、ティアイエルは告げる。
「誰の心にも、奥底にもう一人の自分が眠ってる‥‥ハーフエルフの皆は、‥‥」
 彼らは。
「‥‥想像、してみて。もしも身近な人が狂気に支配されてしまったとき、どうするのかを。止めたいとか、‥‥守りたいって、思わない?」
 だったらハーフエルフの彼らにも、そう思ってくれる人がいても、自然なこと。
「天龍さんは、お友達の力になりたいだけ。その気持ちは、人間も、エルフも、シフールも‥‥ハーフエルフでも、変わらない」
「――‥‥」
 人々は言葉を失くす。
 顔を伏せる。
 ‥‥不意に、ティアイエルの裾を引く小さな手。
「‥‥私にも、止めて上げられるかな‥‥」
 少女が呟く。
「あのお兄ちゃん‥‥逃げる前、泣いてた‥‥」
「‥‥っ」
 少女の言葉に目頭を熱くしたティアイエルは、膝を折って小さな体を抱き締めた。
 天龍は、仲間が追った先を見つめ。
 人々は、もう、何も言わなかった。
 心のケアが果たせたのかどうかは判らない。だが、何かしら伝わったものはあるのだと信じる事は出来る気がした。





「この方向です」
 要所要所でギルドから借りてきた地図とアイテムを用いて探索対象の位置を確認出来るシルバーを先頭に彼らは森を駆けた。
「猟師などの生業で森に入る方達は森の中を走り回りません。この、道を荒らすような移動の痕跡を追えば辿り着けそうです」
「さすがシルバー、目の付け所が違うぜ!」
 良哉が絶賛。
 リラが苦く笑った。
 彼のおかげで探索は非常に順調。モンスターに遭遇する事もなく、森の奥深くまで駆け抜けた彼らは。
「止まって下さい」
 シルバーの制止の声で一斉に足を止めた。
「どうした」
「‥‥崖です」
 応えたシルバーが次に試したのはブレスセンサー。微弱だが生きている者の呼吸を感じる。
「リィムさん」
 上空を仰いで声を掛ければ、木々の葉の合間に見え隠れする純白の翼。
「其処からこの崖の下まで様子を見に降りれますか?」
「やってみる」
 星矢、と声を掛けるとリィムは枝葉に気をつけながら天馬を下降させた。しばらくして彼らの所へ戻って来た天馬の背には、リィムに支えられるようにして気を失っているハーフエルフの姿。
「リラ殿‥‥」
「ああ」
 リールの確認に彼は頷く。
「ディヴァン本人だ」
「結構な負傷していたから下で先に治療して来ちゃったよ」
 リィムは天馬の背を撫でながら言う。
 それからしばらくはディヴァンが目を覚ますのを静かに待つ。気を失った事で興奮した精神状態は幾らか落ち着いているかもしれないが、いま此処で起こして、掛けられる言葉があるかと問われれば、返答には悩むのが実際のところだ。
(「‥‥狂化の被害者は、その人自身だと思う‥‥心とは別の行動が故に」)
 リールは思う。自分ではどうしようもない衝動を責めるのは、必ずしも正しくは無い。そして、だからこそ、彼を後悔や罪の意識から掬い上げる言葉を見つける事は難しいのだ。
「‥‥ん‥‥」
 不意に、横たえた草葉の上でディヴァンが身動ぎした。
「‥‥気が付いたか?」
 問うたリラの声に目を擦り。
「!」
 飛び起きた。
「リラっ‥‥!? 俺、一体‥‥っ、おまえの傷は‥‥っ」
「私の傷ならば平気だ。心配は要らない」
「‥‥けど‥‥っ」
 けれど。
 何度もその言葉を繰り返すディヴァンの心は自責の念に支配されていた。
「ディヴァン殿‥‥」
 丸めた背中から伝わる痛みにリールは顔を歪め、その背を撫でる。
「貴方は、決して独りではないよ」
 こうして、心配して駆けつけてくれる友人がいる、とリラを見上げたリールは深い呼吸を一つ。その表情が不意に昏さを帯びた。
「それに‥‥、残忍で非道な行いをする者は人間にだっているんだ。私はそんな者達を知っているし‥‥自分自身を八つ裂きにしてしまいたいと思う出来事も、あった」
 語られる言葉に目を瞠ったのは、ディヴァンばかりではなく、リラもだ。
「‥‥そんな自分にだって支えてくれる人はいた。心に出来た傷を包み込んでくれる人はいる‥‥貴方の仲間にとっては、貴方自身がそんな存在になれる。必ず、誰かの癒しに」
「癒し‥‥俺が‥‥?」
 疑いの眼差しで問うてくる彼へ、リールは大きく頷き。
 それでも信じ難いというような顔をする彼の背を押したのはシルバー。
「狂化に限った事ではありませんが、自分に非があると思ったなら自分が出来る事で償って行くしかないのではないでしょうか?」
 シルバーの言葉を胸に何度も目を瞬かせるディヴァンに、良哉が負けじと何度も頷く。
 ‥‥リラも。
「帰ろう。逃げるよりも、償う方が、迷わずに生きられる」
 経験者としての真実味を帯びたリラの言葉に、ディヴァンはふらりと立ち上がった。
「‥‥ごめん」
 心配を掛けてごめん、と。
 そう言えるディヴァンは、きっと大丈夫だ。


「ぁ‥‥良哉君!」
 全ての一段落を確認すると、リィムは良哉の名を呼ぶ。駆け足に近付き、真正面に立ち止まると彼は眉根を寄せて固い顔。
 そんな彼に負けそうになりつつもリィムは意を決して手を差し出した。
「えっと‥‥これ!」
 手の平に乗っているのは石の中の蝶。
「これからも何があるか判らないし、カオスの魔物対策というか‥‥」
 緊張した面持ちのリィムに対し、良哉は何かを飲み込むような‥‥ほんの少し顔の歪みを増した。
「‥‥それなら持ってる」
 低く返し、リィムの脇をすり抜けるように立ち去る彼。
「‥‥まだまだ、諦めないんだからっ」
 リィムは最初こそ落ち込んだように顔を伏せたが、すぐに前を向く。
 そして、拳を強く握り締めた。





 ディヴァンが一先ずは落ち着いて自宅に戻り、彼の捜索に向かっていた面々がユアンの家に帰って来た頃には、幼子はいつも通りだった。師である天龍と稽古をする姿は微笑ましく、自分の想像よりも遥かに大人になっているユアンに、リールは一抹の淋しさすら感じたほどだ。同時に、リラが外に出て行くのを見たリールは、彼を追った。彼女には、どうしても気になる事があった。
 あの、諦めたような表情の意味が――。


「リラ殿が辛いなら‥‥その辛さを、せめて私には見せて欲しいんだ」
 リールの真摯な眼差しを真正面から受け止めたリラは、しばしの沈黙の後で深呼吸を一つ。
 長い吐息には幾重もの想いと、‥‥覚悟が、伴う。
「リール殿」
 呼び掛ける声はいつになく静かで、柔らかく。
「ディヴァンの件で私は傷付いていないと言えば、それは嘘になるだろう」
 どこまでも真っ直ぐだ。
「だが、私は諦めている‥‥いや、諦めているという表現は違うかもしれないが‥‥自分は自分だ、と。世間がどう思おうとも生きる事に遠慮する必要はないのだと、‥‥君達が教えてくれた」
 例え狂化の末に失ったものが掛け替えのない親友だったとしても、その罪を受け止めて生きることが大切だと教えてくれたのはリールや天龍たち仲間だ。
「自分を許せる日は、恐らく永遠に来ないだろう‥‥だが、そういう己も含めて、私は自分を大切にしようと思えるようになったよ」
 それを人は強さと呼ぶのだろうか。
 勇気、と。
「‥‥リラ殿は、‥‥」
 リールは声を詰まらせる。後に続けられる言葉が見つからなかったのだ。そしてそんな彼女にリラは瞳を翳らせた。
「リール殿。私は決して強くはない‥‥強く見えるのだとしたら、それは君達がいてくれるからだ。君達に恥じない自分で在ろうと思えばこそ‥‥」
「っ」
 ゆっくりと持ち上げた手指をリールの耳朶から顎に掛けてのラインに添え、驚いて瞠られる彼女の瞳を見返す。
「‥‥君が想ってくれている事を知ればこそ、私は、私らしく‥‥嘘のない生き方をしたい。楽しい場では皆と楽しみたい。辛い事があれば悲しみたい。落ち込む事があれば心開ける相手に甘えたいとも思う」
 だが、とリラは左右に首を振る。
「‥‥今の君には、甘えられない」
「――‥‥」
 見開かれる目から逃れるように手を離し、リラは静かに、言葉の一つ一つを選びながら語る。
「リール殿、君は優しい‥‥だが同時に、あまりにも残酷だ」
 そしてその残酷さは、全てリール自身に向けられているような気がしてならない。他人の痛みを自分の事のように抱えて傷付き、傷付く自身を戒める。己を律する厳しさには際限がなく、自身を貶める言葉には容赦が無い。
「君は、君自身を大切に想えているだろうか」
 あの日の自分を諭してくれたように。
 今日のディヴァンを慰めたように、君は、君自身に同じ言葉を掛けられるだろうか。
「赦すということを‥‥君は自身にも置き換えられるのだろうか‥‥」
 それは過去の自分であり、現在の自分であり、‥‥周りの近しい人々であり。
「‥‥私は、リール殿‥‥今の君を見ているのが哀しいと思う」
 痛々しいと思う。
 もしもリールに自身を守る気持ちがなければ、その時は――。