●リプレイ本文
● 一
その日は朝から肌を刺すような冷たい風が吹いていた。
しかしながら彼らが訪ねたハーフエルフの少年・ユアンからは、そのような寒さなど欠片も感じられない。
屋内から次々と荷物を外に出しているのは大掃除のためだろう。
「元気だったか?」
久し振りに会う少年にリール・アルシャス(eb4402)が笑顔で声を掛けると、両腕に大荷物を抱えた少年は驚いて立ち止まり、振り返った先に佇む五人の冒険者達に目を見開いた。
同時、腕の中の荷物を落として爪先に直撃。
「うわっ」
痛がる彼にリールは苦笑交じりに歩み寄る。
「大丈夫か?」
「ぇっ‥‥、ぁ、なんで‥‥」
驚きを隠せない少年には飛天龍(eb0010)とキース・ファラン(eb4324)も失笑した。
「しふしふ〜! 今回もよろしくな」
「どれだけ成長したか確かめに来たぜ」
以前にも面識のある二人が言うと、少年は絶句の後で顔を真っ赤に染め上げた。
「べっ、別にあんた達を呼んだ覚えなんかないぞ!」
動揺を露に可愛げのない事を言い放つユアンに、こちら後方で苦笑するのは物見昴(eb7871)である。
(「あの人から聞いた通り、だな」)
やはり以前に少年と関わっている長渡泰斗から先んじて話を聞いていた彼女は、隣に立つ陸奥勇人(ea3329)と顔を見合わせ、肩を竦めて後、ゆっくりとした足取りで他の三人に続く。
「陸奥勇人だ、よろしくな」
「物見昴だ」
「‥‥あんた達もエイジャの仲間?」
不安そうに問い掛けて来る彼に、冒険者達達は頷き返す。
数時間前に、これから夫の実家へ向かうという隣家の女性・クイナと会い、最終確認も兼ねて改めて少年の養い親・エイジャについても確認している彼らだ。
この点の抜かりはない。
「これも何かの縁だ。きっちり鍛えてやるから覚悟しろよ?」
ニッと笑う勇人の背後に羽ばたくのは二人のフェアリー。
「――」
初めて目にしたのか、目を丸くして固まった少年に、冒険者達からは陽気な笑みが零れていた。
● 二
ユアンが屋内の荷物を外に出していたのは、やはり月霊祭に向けての掃除のためだったようで、冒険者達は自然とこれを手伝う形になる。
もとより綺麗な家で新年を迎える事が気持ちを新たにする良い切欠になるはずと考えていた彼らは、大掃除も予定の内に入れていた。
「そんじゃま、とりあえず年の瀬の大掃除から始めるとするか!」
勇人の陽気な号令に皆が賛同。
「掃除もやり方次第で良い鍛錬になるぞ」と、まだ戸惑い気味の少年に天龍が言ってやると、彼もようやく納得したらしい。
「まずは家具を外に出そう」
「ユアンは大事なものと不要なものをしっかりと分けるんだ、いいな?」
キースとリールが順に言う。
今は亡き養い親との思い出深い品も多いはず。
それらに無遠慮に触れることは誰もが良しとはしなかった。
「なら俺は高所や狭い場所の拭き掃除か」
背にある二対の翅をはためかせる天龍と同じく、昴も身の軽さを活用し、大掃除は驚くほど順調に進んでいく。
その合間にはユアンとの会話も欠かさない。
「クイナさんから聞いたが、仕事をしたり、掃除や料理を習ったりもしているらしいな」
「っ」
リールに指摘された少年は途端に口篭る。
「仕事ってどんな事をしているんだ?」
キースが楽しげに問うと、少年は奇妙なまでに口をぱくぱくさせながら必死に答えた。
「た、大したことは‥‥してない‥‥、クイナさんとか、近所の人達が隣町の親戚に荷物を届けたいって言うのを、代わりに届けて来たり、大人が割った薪を運んだり‥‥」
「薪割りか、あれはコツがあって難しいよな。――そうだ、俺とどっちが巧く割れるようになるか競争してみるか?」
「えっ」
何気なく言ったキースに対し、今度はあからさまに動揺するユアン。
冒険者達は小首を傾げた。
「どうした」
「べっ、別に何も!」
少年の反応を訝るも、すぐ後に屋内に戻った勇人が声を掛けて来た事で確かめる機を逃す。
「さて、これで掃除の方は明日で終わらせられる目処が立ったし、暗くなる前に一つ手合わせしてみるか?」
勇人の提案に、ユアンが大きな目を瞬かせた。
***
「――はっ!」
威勢の良いユアンの掛け声を真正面から受け止めたのは、体一つで相手をしている勇人だ。
少年の手には木刀よりも軽い、木の枝同然の棒が一本。
以前はただ振り回されるだけだったものが、今は緩やかな弧を描くようになっていた。
その二人を傍で見ながら天龍が満足そうに頷く。
「だいぶ腰が据わって来ているな、軸がぶれなくなった」
「ん。やっぱり基礎に重点を置いたのが正解だよな」
キースが相槌を打ち、前回より随分と頼もしくなった姿に笑んでみせる。
「しかし、あのまま我流で腕を磨くのか」
案じるように呟く昴に応えたのは、リールだ。
「エイジャ殿は剣士だったと聞くから、本人はその技を磨きたいと思うかもしれないな」
しかしハーフエルフの少年は、齢十三と言っても見た目は六歳くらいの子供であり、武器を持って戦うには体の線が細過ぎる。
「合った流派を見つけ師事した方が良いと思うが」
そんな彼らの考えは、本人と対峙している勇人の胸中と同様。
(「今のユアンに向いた流派、か‥‥さて」)
ウィルの主流は重装備での接近戦を中心としたセトタ古流か、国最強と名高い騎士が使い手である事から若い騎士達の間で高い人気を誇っているウィル新刀流になるが、どちらも現在のユアンには厳しい。
となれば、素手や、それに近い軽装によって手数を生かした戦い方を信条とした武術を伝える十二形意拳が好ましいのかもしれないが、やはり優先すべきは本人の意志だ。
「よし、ここまでだ」
勇人が制すると、動きを止めたユアンは大きく深呼吸する。
以前ほど呼吸を乱さないのも成長の証だ。
「偉いぞ、教えた事をちゃんと身に付けているな」
天龍が宙を舞うようにして近付き、その頭を撫でてやると、少年の顔は瞬時に火照る。
「なっ、‥‥何で、あんた達‥‥」
「ん?」
聞き返すキースに、しかし少年は言葉を詰まらせ、黙り込んでしまう。
先ほどからこのような態度を繰り返すユアンに、冒険者達はそれぞれに複雑な思いで応えるのだった。
● 三
それから今年最後の一日となるまで、朝はユアンの仕事を優先させ、時間が空けば鍛錬の相手となってやり、その身に必要なことを教えて行く。
少年の日頃の鍛錬というのを一通り見聞きした冒険者達は、体の基礎を作るには申し分ない事を確認した。
「振動が伝わっても問題ない品を運ぶ時には、背中に背負って走るのがいいんじゃないか?」
「腕に抱えてじゃバランスが良くないからな」
キースと勇人が、仕事も方法一つで充分な鍛錬になることを教えてやりながら、いざ戦闘技術となれば何を教えたものかと考える。
「まずは俺の腕を狙って踏み込んで来い、練習で狙い通りに打てなきゃ実戦なんて無理だからな」
「おし、どっからでも来い。こういうのは頭でなく体に覚えこませるのが一番だからな」
身長差約五十センチの二人から、交互に相手をして貰えるというのはユアンにとって非常に有意義な稽古だった。
一方、天龍は月霊祭と呼ばれる年末年始のそれぞれ一日を祝う宴のための料理に腕を奮い、ジャパン出身の勇人と昴から聞いた【正月の飾り】というものを、リールが手に入る材料でそれらしく拵えていく。
そんな中で驚かされたのは、買出しに出ていた昴が持ち帰った鶏肉と卵だ。
「どこで買えた?」
天龍が尋ねると、昴は非常に困惑した顔付きで説明した。
「街をコハチロウ達と歩いていたら、牧場を経営しているという夫人と遭遇したんだ。ユアンの事を触り程度に話したら、良い正月をと信じられない安価で売ってくれた」
昴の説明に、天龍の脳裏に一人の困った夫人の姿が思い浮かんだ。
動物が縁で近付いてくる牧場夫人と言えば、以前、依頼で一度関わった人物の他は考え難い。
これは柴犬を連れていた彼女の手柄。
おかげで新年を祝うに相応しい宴を催せそうだ。
「勇人が持って来てくれた天界の食材や醤油もあるし、これは腕が鳴るな」
「私も手伝おう」
持参の調理器具に万能包丁を持って意気込む天龍に、昴も応える。
こうして宴の準備は着々と進み、数時間後には豪勢な年の終わりの宴が始まるのだった。
● 四
もう間もなく今年も終わる。
初めて見る料理や、聞く話に些か興奮気味だったユアンは誰よりも早く眠気に負け、自室に下がった。
それきり朝まで目を覚まさないだろうと誰もが思ったが、リールは、そんな少年が夜中に外へ出て行くのに気付いた。
隣で眠っていた昴も同様。
二人は無言の視線を交わし、本人に気付かれぬよう後を追うことにしたのだが、玄関の戸を開けてすぐ、その背を家屋の壁に預けて座り込んでいる彼を発見してしまう。
何処へ行くでもない。
ただ、そこで膝を抱えて座り込んでいる少年に、二人は眉を寄せた。
「ユアン? どうした」
静かな問い掛けに返るのは沈黙だけ。
肌寒い風が吹き抜け、乾いた土の匂いを舞わせる。
「‥‥眠れないのか?」
リールが再び問い掛けると今度はわずかに顔を上げた。
その面に浮かぶのは、痛みだろうか。
「‥‥うちに人が居るのって‥‥変な感じだ‥‥」
「変?」
「人の寝言で起こされたのなんて久々だよ‥‥」
それに重なるのは失笑。
リールも思わず笑み、昴は口元を和ませる。
「エイジャ殿は寝言を言う方だったのか?」
「すごかった。「行けー!」とか「そこは赤だろ!」とか」
よく意味の判らない事を叫んでいたと、子供が笑う。
「楽しい方だったのだな」
「‥‥変な人だった、けど‥‥」
わざわざ顔を顰めて訂正する少年は、次いでリールが持っていた剣に気付き、目を瞠る。
「なんで剣を持ってるの?」
驚いた顔で聞き返され、リールは小さく笑った。
「私は剣士だからな」と。
たとえ危険の無い場所だという確信があったとしても手放せるはずのない相棒だ。
何処へ行くも一緒。
そう告げれば、ユアンは思い出したように口を開く。
「そういえば、エイジャにも大事にしている剣があったっけ‥‥、いまは何処にあるか判らないけど」
「判らない?」
「大事な友達に形見分けで譲ったって聞いた‥‥」
次第に震え始める、声。
「‥‥エイジャは判っていたのかな‥‥俺に剣士は向かない、って」
自分の手を見つめて弱音を吐く彼も、恐らくは自覚しているのだろう。
「いつになったら仇を取れるのかな‥‥」
急ぐな、という言葉を頭では理解しても、心が受け入れられるようになるには、それこそ時間が必要なのだ。
だからこそリールは諭すように言う。
「満足に剣を扱えないからと言って、強くなれないとは限らない。それを明日、教えてやろう」
「明日‥‥?」
聞き返して来る少年にはまだ伝えていないが、集まった冒険者達は明日に一つの催しを計画していた。
「そこでちゃんと学べるように、今は休もう」
「ほら、中に戻るぞ」
そうして昴が差し出した手に、ユアンは目を瞠る。
「‥‥手?」
「何だ、手を繋いだ事がないのか?」
「ぁ‥‥!」
有無を言わさずに、幼い手を取って立ち上がらせれば一瞬にしてその顔が赤く染まる。
「何だよ!」
文句を言いつつも、昴が重ねた手はしっかりと握られている。
言葉よりも雄弁に語る少年の指先に、二人の女冒険者は穏やかに笑うのだった。
● 五
「はぁっ――!!」
気合と共に放たれた声は辺り一帯に波動という名の衝撃を広げ、突風を巻き起こす。
先程から口を開けたまま試合に見入っているユアンのために、拳と拳の戦いを見せているのは勇人と天龍だ。
人間とシフール。
明らかに体格は違えど、その勝負は互角。
これが、冒険者達がユアンのために計画していた年始の催しである。――尤も、二人の模擬戦が始まってからは些か雰囲気が変わりつつあったが。
「あれは陸奥さん、本気だな」
「陸奥殿は強い相手と戦うのが楽しみという方だし、飛殿も武術に真摯な方だからな」
ユアンの傍で言い合うのは、先ほどまで模擬戦を行っていたキースとリール。
「私達の陸奥流は暗殺術に近い性質を持っているはずだが、‥‥あの人の戦い方を見ていると非常に健全な流派に思えてくる」
苦笑交じりにそんな事を言うのは昴だ。
「すごい‥‥っ」
ユアンの呟きは、恐らくは無意識。
特に天龍の、種族の特性とも言うべき体を最大限に活用した動きには憧れにも似た眼差しを送っている。
「武器が無くてもあんなに強くなれるのか? 俺にもなれるのかなっ?」
興奮気味に話す少年に冒険者達は笑い、キースがその頭を撫でてやる。
「当然! ユアンだって幾らでも強くなれるさ」
「わっ」
乱れた髪を押さえて、ユアンは動揺を露にする。
だが、やはり開いた口は言葉を詰まらせて沈黙を生み、少年に何も語らせない。
この流れを、今までに何度見て来ただろう。
「言いたい事があるなら、ちゃんと言葉にしなければ伝わらないぞ? ――それも強さの一つだ」
穏やかな笑みを口元に湛えたリールが促せば、それでも躊躇っていた少年は、しかし意を決した。
「なっ‥‥どうしてあんた達って‥‥そう、平気で俺に触るんだよ‥‥!」
言われてすぐには飲み込めなかった少年の質問は、隣家に住むクイナから聞いた話しを思い出せば頷ける。
だからこそユアンの頭を更に撫で回した。
「触って何が悪い? 近い将来、一緒に冒険する仲間だぞ?」
「――‥‥っ」
少年の顔が歪んだのは、目頭が帯びた熱を誤魔化すため。
「やるなぁ天龍!」
「まだまだだ!」
技と技がぶつかり合う、その気持ちが良いほどの気迫に励まされる。
「せ、せっかく見ているんだから邪魔するなよな!」
赤い顔で強がる少年に「可愛くないぞ」と言うキースは、だが笑顔だ。
「ま、飛さんに武術を習いたいならちゃんと礼儀正しくお願いしなきゃダメだな」
「えっ」
「飛殿の流派は、いまのユアンに一番大切なことを教えてくれると思うぞ」
「‥‥っ」
そうリールに微笑まれると反論出来なくなるユアンだ。
しばらくして、模擬戦であることを思い出したのか引き分けて皆の元に戻ってきた勇人と天龍に、キースやリールの声援を受けながら顔を真っ赤にした少年が頭を下げることになる。
「‥‥っ‥飛さん、ぉ、俺の師匠になって下さいっ」
何事かと説明を求める彼らに、こちらの遣り取りを伝えたのは昴だ。
二人が戦う姿にユアンは心打たれたのだと。
彼らが共に過ごせるのは、あと一日。
しかし、この一日が尊いものとなる。
新しい年の始まり。
新たな日々。
それは冒険者達によってもたらされた、ユアンの新たな目標のスタートでもあった――。