●リプレイ本文
威風堂々。その言葉に相応しい巨木であった。長きに渡って在り続けたのだと一目でわかる。森の主は、冒険者達が近寄るなり、ザワザワと梢を震わせ警戒を顕にした。
「怒っていますね」
神木祥風(eb1630)が眉根を寄せた。村の青年が肩を落とす。
「はい‥‥ずっとこんな調子で。これ以上近づくと枝で打たれます」
今の時期の枝は裸。当たったら、さぞかし痛そうだ。
「なあなあトレントはん、どうして怒ってはるの?」
アストレア・ユラン(ea3338)のテレパシー。ざわめきが、少し小さくなった。シフールに対してはさほど警戒を示さない。アストレアはふわりと飛び、トレントに近づいた。
「トレントはんの目の前を通った人が、森に悪さしたん? 悪さした人がおるんやったら、その人の特徴、教えてくれへんかな?」
ざわめきがまた少し小さくなり、
『‥‥オ‥ノ‥‥ガ』
突然、木全体が大きく震えた。
『オノ‥‥斧! 斧斧斧斧斧斧!!』
「ふにっ」
「‥‥おっと」
弾き飛ばされたアストレアを、ウィルフレッド・オゥコナー(eb5324)が受け止めた。
「大丈夫かい?」
「おおきに〜。ちょっと目ぇ回ったけど、大丈夫。あのな、トレントはん、斧がどうのって言ってはったわ。誰かが、やたらと木を切り倒したりとかしてるんとちゃう?」
「心当たりとか、あるかしら?」
ユリゼ・ファルアート(ea3502)が青年に尋ねる。
「‥‥そりゃ、森の中で斧を使うことくらい‥‥でも、本当に最低限です。精霊の怒りを買うような事は‥‥」
思い当たらないらしい。
「とりあえず、村に戻ってトレントの様子が変わる前後から不審な事がなかったかどうか確認してみるのだね」
「そうね。周辺の猟師さんや、子供達にも聞いてみましょ」
「一応、高価な冬毛皮を持つ動物が森にいないかも尋ねてみます」
「それじゃ、手分けして行こうかね。同じ人に何回も聞いたりしないようにしないとね」
村人は一同揃って覚えが無いとのことだった。森に入れた頃に不審な様子に気付いたという者も居なかった。迂回路から入った者達も、最低限の用事だけ済ませてすぐに森を出たため、特に気付いたことはないらしい。
「『入るなと言われた森に別の場所から入るのは、気が引けて』か」
ウィルフレッドが呟いた。中年の男が、まるで父の叱責を恐れるかのように、肩をすくませそう言った。畏怖と敬愛の滲む声。
「本当に、トレントは村にとって大きな存在なのだね。それを燃やすなんて、ああ、本当に恐ろしいこと‥‥それだけ追い詰められているのだね」
「ずっと大事にしてきた気持ちも事実も、一瞬の他人の悪事で壊れてしまう。何か切ないわね‥‥ってか誰よ台無しにしたの。とっ捕まえるわよ絶対」
「そやな。村人はんほんまに苦しそうな顔やったわ。気合入れて取り掛からんとあかんな」
「ええ。‥‥聞いた話だと、特別毛皮の高価な動物はいないようです。ただ、乱獲されないこともあって、動物の数は豊富みたいですね」
それを狙った猟師の可能性もある。
「あとは、森周辺の地形が判ると良いのですが‥‥」
「それなら、明日になれば解決するのだね。今日はもう日が暮れるから、明日の朝出発しよう」
「うちと祥風はんは、明日寝袋も買っていかんとな。さすがに、毛布だけやったら寒ぅて眠れんわ」
その晩は村長の家に泊まり、翌朝より半日かけてもうひとつの森の入り口に辿り着くと、昨日先に出発していた天津風美沙樹(eb5363)が調査拠点を作り待っていた。入口を見張れる位置にテントを張り、土や石等で擬装工作を施し、森に溶け込ませている。しかし、本人は浮かない顔だ。
「朝一番に、シフール便が届きましたわ」
美沙樹が、巻紙を差し出した。
「ああ、ポーラからだね。ここ周辺の地理を調査して、結果を送ってくれるって言ってたのだね」
彼女は情報屋でクレリック。稼業の伝手に加え、教会の情報網を使うことが出来るので、正確な情報が期待できる。羊皮紙を開くと、簡素な地図と説明が書かれていた。
「あたしはゲルマン語が得意ではないのだけれど、やはり読み間違いではなさそうね」
説明の文字を追うにつれ暗くなる仲間の顔を見て、美沙樹が溜息をついた。
「入り口、ふたつだけじゃ無かったのね‥‥」
ユリゼが、その場にしゃがみ込む。
森は、台地の上にある。村側の縁が最も高く、入り口以外は崖。そこから反対側へは、緩い下りの傾斜。そこまでは、昨日見た通り。そして、今日歩いてきた迂回路は緩やかな上り。‥‥つまり、台地の上と下が、徐々に近づいていて、最終的には一致するのだ。ここから更に半日、つまり村から1日歩いた辺り。村の反対側にあたる縁で。
「村の反対からなら、どっからでも森に入れるんやなぁ‥‥」
「村の方々は、ご存知なかったのでしょうね」
半日の迂回路があるなら、1日掛けて森の反対まで行かないだろう。そういえば、森の反対側へ抜けたことがある、という話は出なかった。
「つまり、ここで見張っていても、原因が現れるかどうかはわからないということですわね」
「‥‥」
沈黙。
「とりあえず、ここから入ってきている可能性も無くはないし、周辺の調査をしてみるわね。あと、一度トレントの近くも。足跡や、植物の状態なんかをチェックしてみる」
「私は、獣道や獣の居そうな場所を聞いてきましたから、そちらを中心に調べてみます。狩猟の形跡があるかもしれません」
「ほな、あたいは飛んで上から見てみるわ」
アストレアは裁縫道具から糸を取り出すと、腰に結びつけた。
「ウィルフレッドはん、命綱持っとって〜」
彼女は、かなりの方向音痴だ。
「私は、ここで見張ってますわね」
それぞれの調査に散り、夕刻再び集まった。ユリゼと祥風と美沙樹は特に成果は得られなかった。
「あたい、糸の長さまでしか飛び上がれんし、目もそんな良くないから、微妙なんやけどな? なーんか、あっちの方で、木が無さそうな部分が見えてん。もしかしたら、湖とかかも知れんけど」
そう言って、村とは反対の方向を指差した。
「ポーラの地図には、大きな湖とかは書かれてないのだね」
「怪しいですね。行ってみますか?」
「そうね。他に手がかりもないし」
「歩いて半日くらいやと思う。真っ直ぐ行ければやけどな‥‥あたいは案内とか出来んさかい、時々飛んで様子見しながら進むことにするわ」
「よろしくお願いしますわ」
その日は交代で見張りをしながら休むことになった。
翌朝、テントや寝袋をロバと馬に積込み、出立した。
「もうちょっと、こっち側やな‥‥多分」
梢の合間を縫って戻ってきたアストレアが、進行方向を調整する。ただ、降りてくる過程で多少感覚が狂うらしく、信頼はしきれないのが残念である。しかし、蛇行しながらも、一応目的地には近づいているようだ。
「そろそろ着いてもいい頃なんやけど。もう1回見てみるわ」
上昇していくアストレアを見送ると、ユリゼが周囲を見渡した。
「目的地が近いなら、何か見つかるかもね」
「今のところ怪しいものは見えないのだね。でも、注意して進むことにするかね」
「あら、どうしたの?」
むずがるように鼻を鳴らしたロッシィに、美沙樹が話かける。
「‥‥そういえば、アストレアさん、遅いですね」
「大丈夫なのだね。糸はきちんと握って‥‥」
ウィルフレッドが、上を見上げて固まった。糸の先が枝に掛かって‥‥‥プッツリと切れていた。
一方、こちら上空。
「‥‥ふに‥‥酷いわぁ」
目的地に大分近づいていたらしく、その様子がはっきりと見て取れた。早く仲間達に伝えなければ。そう思い、下降しようとしたのだが。
「‥‥へ?」
これはまさか。
「き、切れとるがな〜!!」
大丈夫真っ直ぐ降りれば元の位置に戻れる落ち着こう。そう思った次の瞬間。
「ふにっ」
突風に煽られ、2、3度回転しつつ流される。こうなると、もう元の位置がわからない。
「ふな〜‥」
途方に暮れたシフールが1人、森の上空に浮いていた。
「ど、どうしよう‥‥切れてしまったのだね」
かなりの方向音痴だと言っていた。降りてこないのは、戻れなくなっているからに違いない。
「落ち着きましょう。アストレアさんは当初の目的地へ向かうと思います。上空からはそこが見えているでしょうから。私達も、どうにかして辿り着けると良いのですが」
「‥‥どうにかなるかも」
少し離れた場所で地面を調べていたユリゼが、足元を指差した。
「この草は、本来真っ直ぐな芽を出すの」
しかし、足元の芽はくたりと地面を這っていた。
「最近、踏み潰されたんだと思うわ」
言いながら、低木の茂みを掻き分ける。
「動物は、靴を履かないわよね」
茂みの下の湿った地面には、不自然に折れた枝と‥‥‥靴の足跡が残っていた。
「誰か、ここを通ったのですわね」
美沙樹が、表情を引き締める。足跡は茂みの下にしか残っていなかったので、とりあえずそれが向いている方向へと歩き出した。足跡と目的地との両方がこの事件に関係していなければどうしようもないが、今は賭けるしかない。
「あちらの方角が、少し明るくなっているのだね。森が途切れているかもしれないよ」
一同は足を速めた。やがて辿り着いた光景に、息を呑む。
「これは‥‥」
「怒りの原因は、これで間違いなさそうね」
そこにあったのは、切り株。2、30、もしかしたらそれ以上の、無造作に切り倒されたのであろうもの。森の一部をごっそりと刈り取ったような有様で、その場所は空き地になってしまっていた。
「アストレアさんは‥‥そうだ」
祥風は、呼子笛を取り出した。
「もう少し早く気付けばよかったですね」
息を吹き込むと、甲高い音が空気を裂いた。ロッシィが、ぴくりと反応すると、積んだ荷物が落ちるのも構わず、一目散に駆け出した。その先には。
「ロッシィはん〜皆〜」
少しよれっとしたアストレア。
「うう‥怖かった〜。でも、笛の音がきこえてん、皆やと思て」
「良かった。アストレアさんの聴覚なら、きっと届くと思っていました」
後から、美沙樹達がロバが落とした荷物を拾いながら追いついた。
「この礼服はもう駄目ですわね」
落とした際、泥濘に落ちてしまったらしい。他は無事で済んだが、必要のない荷物を大量に持って来るのは危険である。
「無事で良かったのだね。次からは、もう少し丈夫なもので繋ぐのだね」
「そうやなぁ。なんか考えとくわ。‥‥それにしても、酷いなぁここ」
周囲を見渡して、溜息をついた。
「村の人が、この冬は寒いと言ってたで‥多分、薪泥棒やろな」
「テントを立てて、また目立たないよう偽装しますわ。犯人を待ち伏せいたしましょう」
犯人は、翌日の午前に現れた。それぞれ手に斧を持ち、大きな台車を引いた男が4人。少しずつ離れて、木を切り倒す準備を始めた。
「あれは‥‥悪人やろか? それとも‥う〜ん‥‥」
アストレアが様子を窺うが、少々スキルが足りない模様。
「純粋にお金儲けのため、でしょう。しかし、乱雑な木の倒し方といい、大人しく止めてくれそうにはありませんね」
対人鑑識ならば、祥風の方が上である。
「あまり戦闘範囲を広げない方が良いわね。森に入ってしまうと、樹木が傷つくかもしれないし」
「とっとと1人ずつ捕まえるのが良いでしょうね‥‥ウィル?」
美沙樹の呼びかけに頷くと、ウィルフレッドが物陰の中を移動し、1人の男に近づいた。背後からサイレスの発動。己の異変に気付いた男が恐慌をきたす前に、美沙樹がダガーの柄で後頭部を一撃。膝をついたところを素早く押さえつけ、後ろ手に縛る。
「一丁上がりなのだね」
その間に、ユリゼがミストフィールドを詠唱。濃霧が周囲を覆う。次にプラントコントロールのスクロールを広げ、辺り一帯を枝で囲んで退路を絶った。
「何だ、この霧‥‥うわっ」
呆然としている間に、もう1人美沙樹の奇襲を受けて倒れ込む。
「さあ、あたいらに捕まって怒られて、トレントと森に謝ってんかー!」
仲間の悲鳴と知らぬ声の怒号。反射的に逃げ出そうとした男は、コンフュージョンをかけられその場に立ち竦んだ。
「後は、あなただけです。大人しく捕まり、話を聞いてください」
背後からの静かな声。恐れを抱いた男は闇雲に斧を振り回した。
「仕方ありませんね」
コアギュレイトの高速詠唱。斧が、ぴたりと止まった。
「だ・か・ら! あなた達が節操なく切り倒してくれたお陰で、トレントが怒ってるの! 村の人達が困ってるの!!」
訳がわからない。どうして自分達がこんな目に。そう文句を垂れた男達に、皆が口々に説教を浴びせる。
「あなた方は、特別に困窮しているという訳ではないのでしょう? そうであったとしても、このような無礼な伐採は慎むべきです」
「あんたらトレントの前に連れてくし、心の底から謝りぃ」
「村の方々にも、ですわね」
「この森は、誰のモンでもねぇだろ! 今年は薪が高く売れるんだ。割のいい商売して何が悪‥‥」
ドゴォン! 言い終わるか終わらないかの内に、邪を討つ天雷−ライトニングサンダーボルトが、男の前髪を焦がし、地面に突き刺さった。
「その『割のいい商売』のお陰で、悲しんでいる人がいるのだね。それでも、悪くないと?」
怒気の欠片もない声が、却って男達の血を冷やした。
「‥‥‥‥すっ‥‥すいませんでした‥‥」
にこ、とウィルフレッドは微笑んだ。
ユリゼがスクロールを広げ、テレパシーで語りかける。
「人間は全て同じだなんて思わないで。自分達が悪いことをしてなくても、村人は今もあなたと仲良くしたいって思っているの」
男達を捕まえた後、半日かけて迂回路の入り口まで戻り、一晩明かした後、村へと戻ってきた。彼らは、トレントの前に連れてきて謝罪させた後、村長に引き渡した。どのような対応をするかは、皆で話し合って決めるとのことだ。
そうして再びトレントの前に戻ってきた時には、日は暮れ、黄色い月が優しく大樹を照らしていた。その美しさに圧倒されながら、ユリゼは言葉を紡ぐ。
「森をもう一度労るために、お願い、道を開いて」
枝のざわめきが、少し小さくなる。しかし、収まる気配はない。
「あの‥‥もう、いいです」
様子を見ていた村の青年が、声をかけた。
「きっと、様子を見ているんだと思います。しばらく静かな森が戻ってくれば、きっと、森に入れてくれるようになります」
「でも‥‥」
「大丈夫。俺達は、精霊を信じていますから」
「そうね」
小さく笑うと、冒険者達はトレントに背を向けた。ザワッ! 一瞬、大きく震えた音に振り返ると、それぞれの手に一枚ずつ、緑の葉が落ちた。
「トレントはんからのお礼やろか」
「葉のない木から、葉をお礼に貰うなんて、不思議ですわね」
くす、と美沙樹が笑う。
「いえ‥‥良く見てみましょう」
祥風が、梢を指差した。
「あ‥‥もう、そんな時機なのだね」
月影に映える、かたく小さな葉の蕾。芽吹きの季節は、すぐそこに。