明日も共にあるために
|
■ショートシナリオ
担当:紡木
対応レベル:フリーlv
難易度:難しい
成功報酬:0 G 65 C
参加人数:8人
サポート参加人数:2人
冒険期間:03月14日〜03月19日
リプレイ公開日:2007年03月22日
|
●オープニング
堅い扉に背を預け、座り込む。
怒声と、悲鳴と‥‥机を蹴り倒し、椅子を投げつける音。どれほど耳を塞いでも、扉一枚隔てただけの音は止んでくれない。
明日になれば、また近所の女たちがこぞって噂をするのだろう。冷たい視線に晒され続けて、彼はまた爆発するのだ。悪夢のような、負の循環。
悲鳴が、啜り泣きに変わったのを確認し、アメリーは扉に手を掛けた。
‥‥私は、もう泣くことなんて忘れてしまったのに。
「ごきょうだいですか?」
アメリーと、彼女が手を引いてきた少年に、ギルドの受付嬢は微笑みかけた。
「はい」
「弟さんは、こちらにお座り下さい」
立ったままの少年に、椅子を勧める。
「‥‥兄です」
「は?」
アメリーの言葉に、受付嬢は目を瞬かせた。目の前の少女はどう見ても10代後半で、少年は、10前後にしか見えない。
説明するよりは、見せた方が早い。アメリーは、少年が深く被っていた帽子を取った。
「‥‥ハーフエルフ」
さすがに驚いた。冒険者という特殊な職業の人々を相手に仕事をしているので、ハーフエルフ自体はさほど珍しいとは思わない。だが、人間のきょうだいを持つ者に出会ったのは初めてだ。
「父親は違いますが、実の兄妹です。私、アメリー・コストは17、兄のリュシアン・コストは暦の上では、24になります」
母は、アメリーに、リュシアンの父について何も語らなかった。何も語らないまま、先月、逝ってしまった。
父は母とアメリーを、そしてリュシアンを隔てなく愛しているが、生業の都合で家を空けていることが多かった。
「私は、パリから半日くらいの村に住んでます。傍にそれほど大きな街道もない、小さな村です」
閉鎖された村で、母と兄に対する周囲の視線は冷たかった。
『ユルバンは、なんだってあんな女と結婚したんだろうね。いくら幼馴染だからってさ。ハーフエルフの子連れだよ?』
『お前、妹よりずっとチビじゃねえか、変なの!』
『ちょっと! うちの子、アンタんとこのハーフエルフに、怪我させられたんだけど? いきなり、目が真っ赤になって暴れたって‥‥ああ、気味が悪い』
神の教えに背いた女と、その罪の証。
『アメリーも可哀相にねぇ、あんな兄を持ってさ‥‥』
聞きたくない、聞きたくなかった言葉の刃。
「そんな育ちの所為か、リュシアンは無口で、いつも下を向いているようになって‥‥時折、火が点いたように暴れだして‥‥」
それは、一般に『狂化』と呼ばれるハーフエルフ特有の現象。
「それでも、母がいるうちは良かったんです」
病弱で、寝付いていることの多かった母。でも、どんなに体が辛くても、毎晩就寝前にアメリーとリュシアンを抱きしめて『愛してる』と『子供達と夫が居てくれて幸せ』と語りかけることを欠かさなかった。どれだけリュシアンが暴れても『あなたは何も悪くないの』そう言って、いつも1人で謝りに行っていた。
「きっかけは、母の葬儀が終わった後‥‥」
それは何気ない、そしてあまりに不用意な一言だった。
『エルザも、リュシアンを生むまでは、別に病弱でもなんでも無かったのにね‥‥』
誰が言ったのかは、覚えていない。偶然耳にしてしまったその一言は、リュシアンの心を深く抉った。
眉をひそめながら遠巻きに窺う人々と、叫び、暴れる兄を抱きしめ、声も無く涙を流し続けた父。
その日から、アメリーは泣く方法を忘れてしまった。
「もともと情緒不安定だったのが‥‥さらに酷くなって、ちょっとしたきっかけで、暴れたり、泣き喚いたり。父はとても心配してたけど、どうしても仕事に行かなくちゃならなくて」
兄妹だけの生活は、思った以上に辛かった。暴れる兄を部屋に押し込めて、治まるのをひたすら待って。外へ出掛ければ、聞こえよがしな囁きを浴びる。
「つい最近です。冒険者ギルドの噂を聞いたの。冒険者には、ハーフエルフが珍しくないって」
「ええ。その通りです」
「ハーフエルフや、ハーフエルフと日常的に接してる人が、たくさんいるって」
「はい」
「‥‥‥‥お願いします。助けて下さい」
泣きそうな声と、乾いたままの瞳が痛々しかった。
毎晩贈られた『愛している』という言葉。その度『私も』と、母と兄を、時には父を抱きしめていたけれど。
「今、心からその言葉を言える自信がありません‥‥」
生活に擦り切れ、疲れ切った溜息。
それでも、覚えている。まだ自分が兄より小さかった頃。
手を引いて歩いてくれた後姿が、夕日に染まってきれいだったこと。
雪遊びで冷え切った手を、両手で包んで暖めてくれたこと。
四葉のクローバーが見つからなくてぐずっていたアメリーに、自分が見つけたたった一つをそっと持たせてくれたこと。
だから‥‥
受付嬢は深く頷くと、先程から一言も話さないリュシアンの様子を窺った。
水晶のような瞳が、何も映していないかのように、ぼんやりと開かれていた。
●リプレイ本文
「ちょっと寒いけど、気持ち良いね」
ミフティア・カレンズ(ea0214)が、寝転がったまま伸びをする。今日は、野原でピクニック。
『ほら、顔上げてみなさいな。綺麗な空よ』
先程、ラファエル・クアルト(ea8898)に言われた言葉を思い出す。問題児を抱える家に冒険者達がやってきた。村人の怪訝そうな視線に俯いた兄妹に、彼は、縮こまることなど無いのだと言った。こそこそと囁き交わす人々に丁寧に挨拶をし、屈託の無い笑顔を向けた。
「皆さんは、不思議です」
自分達に笑いかけて、手を差し伸べてくれる。それは少しくすぐったくて‥‥とても嬉しかった。感謝を伝えたいのに、上手く笑えない自分がもどかしかった。
「綺麗な空ですね」
レヨン・ジュイエ(ec0938)が、リュシアンに微笑みかける。リュシアンは、ちらり、とレヨンを窺うと、再び正面に視線を戻した。その先は、寝転がる少女達。
「皆さん、楽しそうですね」
「‥うん」
か細いながらも返事が返ってきた事に、レヨンは少し驚き、そして微笑んだ。ほんの少し、気を許してくれたようだ。
「私達も、行きますか?」
「いい。見てる‥‥見てたい」
その横顔は、少しやわらかくて、微かに寂しそうだった。
「そろそろ踊っちゃおうかしら〜」
焚き火を囲み、ラファエルお手製の夕食を済ませると、タンツ・ライツ(ec1792)がすっと立ち上がった。
「ラテリカちゃん、音楽お願い」
「任せてくださいです」
ラテリカ・ラートベル(ea1641)は、竪琴を取り出すと、しゃらん、と鳴らした。
くねっ、びしっ、くるーり。タンツのダンスは、特別上手くはないが、妙なメリハリがあって、不思議な動きがあって、見る者を厭きさせない、というか、笑いの渦に巻き込んでいく。一通り終わって、礼。拍手喝采。
「ありがとー。次は誰〜?」
「私、歌います。ミフちゃんに踊って欲しいな」
アルフィエーラ・レーヴェンフルス(ec1358)が立候補。
「うん! この前みたいに、一緒にやろう♪」
お腹一杯食べて、笑って。色んな音が、天に昇る。にぎやかな夜が、更けていく。
4人用のテントに、リュシアンとアメリー、アルフィエーラ、ラテリカが横になった。テント越しに、ラファエルの子守唄が聞こえる。少し拙いのが、父の歌い方に似ている。
「ガブリエルさんに習ったそうです。ラテリカも、覚えて明日から歌うですね」
「皆さんは、どうして、そんなに優しくなれるんですか? 食事があんなに美味しかったの、久しぶり」
でも、優しさに触れると、嬉しくて、少し苦しかった。それを受け取っていいのか、受け取る資格があるのか、と何処かで思う。自分は、愛している、と言うことも出来ないのに。隣で眠るリュシアンを見つめた。
「‥‥アメリーさんは、愛し続けたいって思ってらっしゃるでしょう?」
「え?」
「こんなに苦しんでらっしゃるは、リュシアンさんと一緒の未来だけ、ちゃんと見てるからですよね。アメリーさんはリュシアンさんのことを愛してらっしゃるですし、お優しいってラテリカ思うです」
「そう、でしょうか」
戸惑う様子のアメリーに、今度はアルフィエーラが言葉を紡ぐ。
「お2人は、ご家族に愛されていらしたでしょう?」
「‥‥はい」
「愛された事がある人は、愛することが出来ると思います。私も小さい頃から苛めを多く受けました。ですが、兄はその度に庇ってくれ、私より大怪我を負うときもありました」
兄、というのは、リフィカ・レーヴェンフルス(ec1752)のこと。彼は人間である。自分達と同じ異種族同士の兄妹。
「いつだったか、庇ってくれた兄に謝る私に、兄は『僕はフィエーラのお兄ちゃんだから、フィエーラは僕の宝だから、守って当然なんだ』と言ったのです。差別される私を、兄は『宝』と言いました。その言葉が、私が他人に何を言われようとも耐えられる力の源になったのです。‥‥だから、お2人も、愛されていた、愛されている、ということを思い出して欲しいのです。外の言葉に惑わされずに、身内を信じること。そうすれば、きっと、ご自身が、彼を愛していることがわかると思います。そして、それを伝えることができれば、何かが変わると思います」
自分が、リュシアンを愛している優しい人間だと信じられたら、素晴らしいと思う。でも、今は難しい。懐かしい唄に導かれ、夢の中へと沈みながら、アメリーはそう思った。
静寂が破られたのは、真夜中。
「かあさん」
か細い呟き。しかし、アメリーは一気に覚醒した。
「かあさん‥かあさん‥‥」
少しずつ、大きくなる声。眠っているリュシアンの手が、宙をさ迷う。その手を握ろうとして、アメリーは自分の手が震えている事に気がついた。兄の髪が、ざわざわと揺れる‥‥来る。
「行かないで!」
見開かれた目は、深紅。
「うわぁぁ!」
リュシアンはテントを飛び出した。外には、起きてきた冒険者達。手足を振り回すリュシアンを、レヨンが抱きしめた。その光景に、アメリーは息を呑む。殴られても、蹴られてもレヨンは手を離さなかった。
「大丈夫。‥‥聖なる母よ、傷つきし魂を救い給え」
ひとしきり暴れた後、叫び声はすすり泣きに変わり、やがて静かな寝息となった。
「あの、怪我は‥‥」
レヨンの頬に痣が出来ている。リュシアンの拳も擦り剥けていた。
「大丈夫ですよ」
そう言って、自身より先に、リュシアンの怪我にリカバーを施す。
「すみません。皆さんも。夢見が、悪かったのだと思います。時々、こういうことがあって‥‥ごめんなさい」
「狂化は、心が痛んでいる証拠ですから、仕方ありません。感情を吐き出す方法を、ゆっくり身に付けていけば良いでしょう」
「さ、さ、収まったことだし、もう寝ましょ。あたしの歳だと、夜更かしはお肌にくるのよね〜」
タンツの言葉で、場が和む。皆と一緒に、アメリーもテントに戻った。
翌日は、リュシアンはもう1日ピクニック、アメリーは村へと戻って来た。
「指で土に穴を開けて。そう、それで、二粒一緒に入れるです」
ラテリカの指導で、家庭菜園作り。
「たくさん出来たら、困った人とか、教会に分けようね。笑顔の接点、作ろう」
ミフティアの提案に、アメリーは少し困った顔をした。
「でも、受け取って貰えないかもしれません」
下を向いた頬を、ふに、とつねる。
「大丈夫、そしたら私が食べに来るから♪ 絶対忘れないでね。二人っきりじゃないよ」
「‥はい」
「あの、ミフちゃん、手が」
と、アルフィエーラ。
「ああっ。ごめんね!」
土弄りをしていた手は、泥だらけ。
「大丈夫。洗って来ますね」
立ち上がり、台所へ向かう途中、フランシア・ド・フルール(ea3047)と行き逢った。
「少々話がしたいのですが、お時間よろしいですか?」
「は、はい」
裏庭に出る。沈黙に、アメリーは身を竦ませた。彼女は、聖職者が苦手だ。幼い頃から村のクレリックに兄と母が『神の摂理に反する者』と非難され続けた為である。フランシアの鋭い眼光は、自分達を責めているようで、どうにも居心地が悪かった。
「今からわたくしが説く事は、貴女にとって救い無く感じるでしょう。それをどう受け止めるかは、貴女次第」
前置きをして、語り始めた。
「貴女は、生まれや今の境遇を、不幸と思いますか? 其れは主よりの試練。貴女方は、己を磨く向上の機会を他者より多く与えられたのです」
アメリーは、目を見開いた。フランシアは、木陰に残っていた雪を掬い、2つの雪玉を作った。
「形は似ても、軽く丸めただけの雪玉は潰すに易く陽光にすぐ溶けますが、強く押し固めた雪玉は何れにも長く耐えます。今は、押し固められる試練の時と考えなさい。其に打ち勝ってこそ固き玉、優れた者となり得るのです」
「無理、です」
「何故?」
アメリーは歯を食いしばった。喉の奥が熱い。
「私は、弱くて‥‥すごく弱くて」
「強さとは力ではありません。不幸に浸る卑屈や、暴れるだけの逃避、そこから這い上がる向上心を失った怠惰と絶望に染まらぬ自分を持ち続ける事です」
不幸に浸る卑屈。どこか覚えのある言葉達が、胸に突き刺さる。
「すぐ理解せよとも、黒き御教えに帰依せよとも言いません。ですが不幸を嘆く時、この言葉を思い出しその意味を考えなさい。良いですか、己を助け得るのは、己自身だけなのです」
話し終わると、フランシアは静かに立ち上がり、家の中へと戻って行った。
翌日は、リュシアンが村に、アメリーは近くの町に買い物に出掛けた。
「あの‥‥なんで、耳、隠さないの?」
話をしながら、ラファエルと村の中を散歩。遠目に険のある視線を向けられるのはいつものことだが、今日は数が多い。
「だって、両親が愛し合って生まれた、自分の証ですもの」
辛い事があっても、自分を否定するのは、世界で一番綺麗な感情、愛されて生まれたということを否定すること。そう告げると、リュシアンはしばらく黙り込んだ。
「昨日の夜」
ぽつり、と話し始める。
「レヨンさんが、美しいものを、美しいと感じるのは‥‥目と、きれいな心があって、生きているからだって‥‥幸せを感じた事を、毎日思い出すようにって‥‥」
「うん」
「でも、幸せは‥‥」
幸せだった時は、今は遠くて、思い出す度に、何故か辛さばかりが増していく。
『そうすることがとてもつらい時もあると思います。それでも、1つだけでも』
そう、言われたけれど。
言葉が見つからなくて、黙り込む。暗い何かが、体の中に溜まっていく。‥‥危ない。
「はい。落ち着いて〜息吸って、吐いて〜」
突然の言葉に、思わず素直に従った。
「笑ってる家族の顔を思い浮かべて。心を、暖かい気持ちで満たして」
「‥‥収まった」
「これ、私がよく使う方法。次から試してみてね。ね、貴方は、何も悪い事してない。でもね、感情が爆発する前に、納得できないなら言う。理解して欲しかったら、行動で示す。狂化で人を傷つけてしまったら、自分で謝る。種族のイメージを超える『個人』を見てもらえるようにしないと。時間もかかるし、しんどいけど、あなたはひとりじゃないでしょう?」
家に帰ると、タンツが、ミフティアから借りたカードを持って待っていた。
「ちょっと占ってあげるから、お座りなさいな。‥今まで苦難の道のりを歩いてきたのね。でも見て。これは『創造』のカード。『これから始まる』って意味よ。未来は、自分の行動や心がけで作られていくの。大丈夫よ、あたしの占いは当たるんだから☆」
ばっちん。星の飛んできそうなウインクを見て、小さな笑みを浮かべた。実は、タンツは占いは大して上手くない。カードも仕込だ。でも、本人の希望になるなら、いいじゃない、と思う。
「創造」
しばらく考え込んでいたリュシアンだが、意を決したように立ち上がった。向かった先は、リフィカの所。ずっと彼を避けていた。自分に対する苛立ちや怒りを感じたから。でも、それと向き合わなければならない、気がする。
「やあ、やっと来たね」
「僕は‥‥どうすれば良いの?」
「妹を守れ」
きっぱりと、リフィカは言った。同じ妹を持つ兄。しかし、彼は妹を守り、リュシアンは妹に守られてきた。
「君が、今まで辛い目にあってきた事はわかっている。しかし、妹をあそこまで追い込んでおきながら、自分が何もしないことは許されるのか? それでも『兄』なのか? 『兄』となったからには、弟妹を守るのは当然だ。苦しいのは君だけじゃない。アメリー君は、君のたった1人の妹は『泣く』という当たり前の事すら忘れてしまった! 確かに世間の風当たりは辛いだろう。だが、それは君だけが受けているんじゃない」
アルフィエーラも、ラファエルも、ハールエルフでありながら、強く、明るく、そして優しい。
「妹を守れ! 父親が留守の今、アメリーが頼れるのは君だけなんだぞ?!」
投げかけられたきつい言葉に、体が震えた。
「リフィ! 言い過ぎよ」
隣で聞いていたアルフィエーラが、嗜める。リュシアンは、先程言われた事を思い出し、大きく息を吸った。そして、思い出す。殆ど見られなくなった、アメリーの笑顔。自分の、守れなかったもの。守らなくては、いけなかったもの。体内の黒い塊が、少しずつ、奥に沈んでいった。
「懐かしいです。昔‥‥」
翌日。昔、四葉のクローバーを探した、野原にやってきた。まだ寒い空の下、小さなクローバーの葉が、控えめに姿を現している。
「ね、四葉のクローバー探しましょうよっ♪」
タンツの提案に、暖かい気持ちになる。アメリーはその場のしゃがみ込むと、そっと足元の茂みを掻き分けた。隣で、リュシアンも地面に手を付いた。
「ね、ね、どっかにありそう?」
小声で、ダンツがラテリカに尋ねた。
「今の所、なさそうです。でも、葉っぱ影に隠れて見えないものがあるかもですね」
「じゃ、手作業で探すしか無いってことね。‥‥よし、探す! 何としてでも見つけるわ」
気合は充分だったが、なかなか見つからない。日が傾きかけた頃、ラテリカが、そっと自分の荷物から四葉のクローバーを取り出した。
「これ、渡してあげてくださいです」
リュシアンは、じっとラテリカを見つめると、ふるふると首を振り、再び地面に目をやった。
「リュシアンさん‥‥」
暗くなりかけても、リュシアンは探すことを止めなかった。皆が止めても、従わなかった。
「リュシアン、帰ろう。皆の迷惑になるわ」
アメリーが声をかけると同時に、リュシアンはぴたりと動きを止め、立ち上がり、彼女の手を取った。それを握り返し、家路に着こうとしたアメリーを、逆の、自分がしゃがんでいた場所まで引っ張り、再び座り込んだ。
「リュシアン! いい加減に‥‥」
荒げかけた声が、途切れる。リュシアンが指差したもの‥‥小さな、小指の先より小さな、芽吹いたばかりの、四葉のクローバー。摘んで渡すことも出来ないくらいの。少し視線が逸れるだけで、見つからなくなりそうな。
「あげる」
アメリーは、兄の顔を見つめ返した。
「ごめん‥‥たくさん、悲しませた。きっと、これからも‥‥でも‥‥」
強くなって、守れるようになるから。ぺたり、と腰を下ろした妹の肩を、両手を広げて抱きしめる。
「アメリー、あいしてるよ」
「リュシアン‥‥兄さん‥‥」
試練に打ち勝った時に、得られるもの。一昨日、全く理解できなかった厳しい教えの一端が、ほんの僅か、見えた気がした。リュシアンの胸が、アメリーの涙で、温かく濡れていった。
「うう‥‥ぐすっ‥‥いいお話じゃない?」
タンツが盛大に泣いている。
「四葉のクローバーは、株ごと持ち帰ってお庭に植えようね♪」
狂化が無くなった訳ではないし、周囲の目が変わる訳でもない。根本的な問題は、沢山残っているけれど。
「とりあえず、今日は良い日になったわね」
ラファエルが、の言葉に、皆が頷いた、夕日の中に、仲睦まじい兄妹の影が、長く延びていた。