あるキフジンの肖像
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■ショートシナリオ
担当:紡木
対応レベル:フリーlv
難易度:普通
成功報酬:0 G 65 C
参加人数:6人
サポート参加人数:-人
冒険期間:10月04日〜10月09日
リプレイ公開日:2007年10月11日
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●オープニング
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くるくると、蝶のように翻るドレスの裾。甲高い笑い声。
例えるならば、今にも腐り落ちそうに熟した果実。
集う者皆その正体を仮面の下に押し隠し、平素秘めたる欲望が、その代わりとばかりに現れいずる。
退廃的で享楽的なその集いは、果実の危うい芳香に酔った蝶たちを、一夜の夢へと引きずり込むのだ。
フィリップは、軽くこめかみを押さえ、俯いた。
ここ数日、少しも晴れぬ心の澱。華やかな場に出れば少しは気が紛れるかと思い、しかし正式な場は煩わしいと、ここまで下りて来たのだが。
(「若い頃には、この秘色の世界に憧れを抱いたこともあったが‥‥」)
仮面1枚では隠し切れぬ種々の憂さを知った今では、全てが児戯めいて興が冷めるばかり。
しかし、ホールを後にしようとした、その時。突き刺さるような視線を感じ、振り返る。踊り狂う男女の向こう。そのひとはスッと視線を逸らすと、背を向けた。黒地に赤の、奇妙な色合いのドレスは、肩、腕、首までも覆い、その禁欲的な形が、却って見る者の欲望を掻き立てる。ひらり翻る裾から、時折覗く足首が悩ましい。
知らず、フィリップは彼女を追いかけていた。
(「女性に心惹かれるのは‥‥久しぶりだ」)
家同士の都合で娶った妻とは、決して仲が悪くは無かったが、彼女は子供を1人残して、逝った。数年前、彼が海に出ている間の事だった。
かの人は、ホールの端、カーテンでいくつにも仕切られた小部屋、そのひとつの前に立つと、仮面越しの視線を寄越し、中に入った。
フィリップは、躊躇う事無く―まるで操られているかの如く―カーテンを捲り、足を踏み入れた。
「こんばんは、伯爵様」
その声は。
「あれ、あんまり驚かない? ‥‥それとも、驚き過ぎて、声が出ない?」
設えられた寝台に腰掛け、ゆったりと足を組んでいるのは‥‥
「エ‥ディ‥‥」
纏め上げられた髪は、月光紡。赤い仮面が外される。現れた眼差しは‥‥自分を捕えて離さぬ者のそれ。
「海賊の首領ともあろう男が‥‥何だ、そのふざけた格好は‥‥」
「おや、そのふざけた格好に釣られて、フラフラ付いて来たのは、どこの誰?」
くっくっく‥‥と喉の奥で笑う。
「伯爵様が、このイカレた集会に入るのを、偶然見かけた」
「だから、からかってやろうと紛れ込んだのか?」
「いや‥‥」
スッと立ち上がると、その両腕をフィリップの首に絡ませた。
「なっ‥‥」
「人を呼ぶか? 海賊が居るぞと。‥‥無駄だな。正気を疑われて終わりだ」
その眼差しは、フィリップを射抜く。
「それに、それ以前に、呼べない筈だ。お前の心が、呼ばせない」
ああ‥‥この男は、全て解っているのだ。
「お前の長年の酔狂に、付き合ってやろうと言ってるんだ‥‥この部屋が、どんな場所か位、知っているだろう?」
仮面越しに惹かれあった男女が、ひとときの夢を交わす場所。
「これは夢だ。朝日が昇れば、全て泡と消える幻‥‥夢の中でくらい、お前自信が欲するままに従え‥‥」
抗え、ない‥‥抗える訳が無い。誰より自分が、自分の心が、それを知っていた。
エディの腕に、力がこもる。そして、自分の腕も‥‥
享楽の夜が、更けてゆく。
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届いた羊皮紙に一通り目を通したパトリシアは、ほうっと溜息を付いた。
「これも、工房に渡しておいて頂戴」
控えていた女中に手渡す。
「もう少しね‥‥」
個人的なツテで、『蜜蜂亭』の噂を聞いた時、そこで流行っているという話自体には、正直あまり期待しては居なかった。ただ、世間に憚る嗜好を持つ少女達を、多少なりとも守ってあげられたら、と仲間に引き入れたのだ。しかし、そこの給仕カーラの編んだ物語は、予想以上の出来だった。幸いそれまでの話も全て書き残してあったので、それを全て引き取り、自前の工房へ回して、写本に仕立てさせている。その後は、出来た分から送ってもらい、完成まではあと少し。
「ふふ、嬉しいこと」
呟きながら、壁に掛かった絵を外す。その後ろは四角い窪みになっており、ぎっしりと本が詰め込まれていた。
「また一冊、素敵な物語が増えるのね」
それは『麗しき物語』達のコレクション。夫にも秘密の本棚である。
「その‥‥『蜜蜂亭』という場所から預かった、大切な原稿が、一枚紛失してしまいましたの」
地味な、しかし質の良い服に身を包んだ女性が、冒険者ギルドを訪れた。
(「『蜜蜂亭』って‥例の‥‥」)
内心冷や汗の受付嬢。
「わたくし、個人的に写本の工房を持っておりまして」
「それは、珍しい」
「文芸の同好会の後見役のような事をしておりますの。そこで発表された作品の優秀なものを、製本して残しております。ただ、とても規模の小さなものですから、趣味以外のものは、修道院にお願いしております」
写本は、一般的には修道院の写本室で作られる。
「その日、私は聖書の製作を一冊、依頼したのですわ」
依頼書は、修道院へ。原稿は、自分の工房へ。間違いなく送った筈だった。それなのに。
「翌日工房へ立ち寄ったら、修道院宛の依頼書が届いたというではありませんか! わたくし、とても慌てました。修道院へ原稿が渡ってしまったら‥‥その、色々と厄介なことになりますの」
(「それは、そうでしょうねぇ」)
内心頷く受付嬢。
「すぐさま修道院へ使いをやりましたが‥‥何も届いていない、と‥‥」
「それでは、原稿は何処へ?」
「解らないのです。もし、何らかの理由で配達が遅れていたのなら、後日修道院へ届いてしまい、困りますし‥‥それ以前に、あれは無闇に人目に晒して良いものではないのです。お願いします、どうか原稿を見つけてくださいまし」
依頼人の女性は、パトリシア・ノワレと名乗った。
「まずは、これを見てください」
身なりの良い男性が、苦り切った表情で受付嬢に羊皮紙を差し出した。
(「これって‥‥!」)
「驚きましたか? そうでしょうね。そのような内容の物語‥‥」
(「いや、それもあるけど、そうじゃなくって‥‥」)
「実は、それは妻の持ち物の中から見つかったものなのです。妻が、文芸同好会を後見している事は知っていました。しかし、こんな内容を扱っていたとは‥‥」
「奥様には黙って持ち出してしまったのですか?」
「はい‥今頃行方を追っている所でしょう」
(「その通り!」)
「ああ、こんな事、知り会いにはとても相談出来ず‥‥」
「ええと、つまりこの趣味を止めさせて欲しいというご依頼ですか?」
あの酒場の主人のように。
「いえ、止めさせることは出来ないと思うのです‥‥大人しい性格ではあるのですが、言い出したら聞かない人で‥‥。しかし、私はこの嗜好を認められない。それだけは絶対に」
「まあ、そうでしょうね‥‥」
「でも、私は妻を愛している。妻もきっと‥‥多分」
(「多分ですか」)
「私は、どうしたら‥‥何も知らない振りをして、この原稿を戻しておく? しかし、下手な戻し方をすれば、妻に、私が知ってしまった事が知れるでしょう。いっそ、腹を割って話し合うべきか? いや、決着が付く訳がない‥‥下手をすると夫婦仲すら危うくなる‥‥それは避けたいが、しかし‥‥」
頭を抱え込む男。
「それに、この事が世間に露見したら、立場上面倒な事になるのです」
「立場上?」
「私の名はジェルマン・ノワレ。‥‥ノワレ男爵、と呼ばれています」
●リプレイ本文
「ごめんください」
スカーフを深く被った天津風美沙樹(eb5363)が、男爵家に現れた。
「蜂蜜亭のお遣いですね? 旦那様から言付かっております」
シフール便で打ち合わせていた通り、執事から例の原稿を預かる。礼を述べて、美沙樹はその場を後にした。
「蜂蜜亭などという店、ありましたかなぁ?」
架空の店名に首を傾げる執事の言葉に、くすりと笑みを零しながら。
美沙樹の棲家にて。原稿にざっと目を通したリディエール・アンティロープ(eb5977)は海より深い溜息を吐いた。
「これ‥やはりカーラさんの原稿、ですよね。あれほど外に出さないで欲しいとお願いしたのに‥‥しかも見つかったのが写本の工房だなんて!」
「秘め事は、もっと密やかにやらないといけませんわよね‥‥」
「こんなものが後世まで残るなんて、考えただけでも気が遠くなりそうです」
このまま闇に葬ってしまいたいが、そういう訳にもいかず、悩ましい。
「正確には、工房に送られる直前、男爵に見つかってしもたらしいわ」
ジュエル・ランド(ec2472)が横から原稿を覗き込むが、前回よりも難しい言い回しが多く、あまり読み取れない。
「誰か、読んでくれへん?」
「ええと〜『くるくると、蝶のように翻る』〜♪」
喜々として音読を始めたエーディット・ブラウン(eb1460)の手から、ばさりと原稿が奪われた。
「もたもたしないで、寄越してっ!!」
寄越して、というか既に奪っているシュネー・エーデルハイト(eb8175)。先程『本当はこんなもの読むのもうんざりなんだけれど、仕事なら仕方ないわね』と言っていた事が思い出され、生暖かい空気が流れる。
「パトリシア殿には『修道院には届いていない』とシフ便で報告しておきました。後で『蜜蜂亭に誤配送されていた』と続報打っておきますね」
冷静に現状と対策を述べるエルディン・アトワイト(ec0290)だが、その手はシュネーが読み終わったら受け取れるようにスタンバイ。
「‥‥‥」
怪訝な、あるいは冷ややかな、もしくは楽しげな視線。
「ち、違います。私がそういう趣味があるのではなく、作家魂がそうさせるのです、一度物語を書いてしまうとそうなるのです!」
実は、エドガーことエルディンの物語はカーラ達に、妙にリアルだと評されている。よって『ただの趣味って言ってるけど‥‥自伝っぽいよねぇ』と言われ、さらに『エドガーさんは見た目上っぽいけど、下もいけるね』『物語だと苦悩攻めだけど、誘い受けも似合うと思うよ』『てかさ、無邪気系以外は何でもいけそう?』『俺様系も違くない?』『そだね。でも美形で大人だとバリエーションが広がるねえ』等等言われている事は露知らない。因みにシュネーは知っている。というか交ざっている。
「と、とりあえず、カーラ殿に協力を要請しなくてはっ」
話を軌道修正するエルディン。
「蜜蜂亭にお出かけですね〜♪」
エーディットが、いそいそと支度を始めた。
「私も行った方が良いわね。事情を話せば秘密は守ってくれるでしょう」
「でも、急に行って大丈夫かいな? 仕事中はそういう話禁止になった筈やけど」
「今日は彼女早上がりだから。今から行けば丁度いいわ」
さらりと答える常連シュネー。
「ここに呼んでじっくり話をした方がよさそうね」
支度をしておきますわ、と美沙樹。
「よろしくお願いします。それでは‥‥って、え?」
出立しようとしたリディエールの裾を、がしっと掴んだエーディット。
「折角ですから〜お化粧なんてどうですか〜? 男装麗人にしてあげますよ〜♪」
「い、いえ‥‥」
なぜここで女装。いや、男装? しかし『男装麗人』は女性な訳で、でも男装していて‥‥ってそもそも自分は男だ。よく分からなくなっているリディエールに、エーディットが迫る。
「化粧道具もありませんし‥‥」
「衣装と一緒に、シャルロットさんから借りてきました〜♪」
いつの間に。衣装って何。
「今回は、目立つ訳には行かないので‥‥」
ずずず、と後ずさるリディエール。迫るエーディット。
「この場合、普通男女逆なんじゃないですかね? まあ、どっちも女性に見えますが‥‥」
年下エルフ達の攻防を、はて、と眺めるエルディンであった。
「あ、あの、ご注文の品ですっ」
「ありがとう、お嬢さん」
にこ。微笑み掛けると、ぽん、と少女の顔が赤くなる。
(『王子様の真似〜♪』)
海賊風衣装に眼帯のエーディット。
「ちょっと、良いかな?」
話がしたいんだけど、とウェイトレスを呼び止める。
「ははは、はいっ」
「仕事中だって怒られてしまう?」
「お客の相手なら、怒られませんっ大丈夫です!!」
「そう、良かった」
そしてまたニコリ。
(『ちょっと癖になりそうです〜♪』)
客と店員の目がエーディットに集まっている間、こっそりと通り抜ける影。
「2度とこの扉をくぐることはないと思っていましたのに‥‥」
フードを目深に被ったリディエールと、
「奥はこっちよ」
迷う事無く控え室に向かうシュネー。
「カーラに会って口裏合わせてもらうわ。なんか、彼女私を同志扱いしてるみたいだから。正直、心当たりも無いんだけれ‥」
「シュネー? どしたのこんな所で」
後ろから呼び止められる。
「カーラッ」
バッ、と振り返る。
「あなた‥‥私がまだ読んでいない分、写本に回したわねっ」
腰が砕けそうになったリディエール。
「ごめんね、あなた、ここ2、3日来られなかったじゃない? だから、つい。でも、早く渡しておけば、早く本になるでしょ? そうしたら纏め読みが出来るから」
「そ、そうね‥‥」
「シュネー、まだ前半は読んで無いじゃない。私も、早く始めから読んで欲しいもの」
「仕方が無いわね。次の原稿はいつ出来るの?」
話し込むシュネーの肩を、リディエールがそっと叩いた。
「‥‥そうだった。話があるのよ」
控え室に通してもらい、原稿が男爵に見つかってしまったこと、その隠蔽工作の為に力を借りたいということを説明した。
「っちゃー‥それは大変‥‥」
「その通りです」
リディエールがフードを取った。化粧からは逃れたらしい。
「あーっ!」
「しっ‥‥お静かに。覚えて‥いらっしゃいますよね? 私のこと‥‥」
こくこく、と頷くカーラ。
「嫌な予感がして‥‥ギルドへ行ってみて正解でした。アリ‥アランが別の依頼でパリを離れている時に、まさかこんな事になっているなんて‥‥」
顔を伏せる『リディ』。
「噂や口伝えの間は、そのうち消えるでしょうから見逃しもしますけれど、写本にまでなるとあれば話は別です。その工房の後見人さんとやらと、直接お話させてください」
「えーっと‥奥様は‥‥そう簡単に会える訳では‥‥私も数度しかお目に掛かってませんしー。てか、こうなっちゃったら説得力無いですけど、奥様は私たちよりよっぽど慎重っていうか、怖さを知ってるっていうか‥‥なんで男爵にバレちゃったのかなぁ。一番バレたくないって仰ってたのに‥‥」
ともあれ、恩義ある夫人が傷つかないよう協力します、と美沙樹の棲家まで同行する事になった。
「それでは、近日行われれるブラン商会のイベントをよろしく」
勝手に宣伝をしつつ、蜜蜂亭を出たエーディット。因みに、次のイベントは未定である。
「う〜ん、駄目でしたね〜」
エーディットも、ウェイトレス達にノワレ夫人との面会を申し込んだが、断られてしまった。
「あ、リディさん、シュネーさん〜」
裏から出てきた3人に、声を掛ける。
「生エディッ!?」
海賊姿のエーディットに、カーラが仰天した事は言うまでも無い。
「‥‥というか、あたしたちは名目上夫人の依頼も受けているのだから、冒険者として依頼人に会いに行けばいいんじゃないかしら?」
「「‥‥‥あ」」
リディエールとエーディット。夫人とのつなぎが取れない、と言った2人に、さっくり答えて首を傾げる美沙樹。
「冒険者の身分を隠したいのなら、男爵に適当に紹介してもらって近づく、というのもアリですわね」
「‥‥ですね。そんな簡単な事‥‥。どうやら、色々動揺しているようです」
「とにかく、私は、とっくに夫人に送った筈の原稿が、蜜蜂亭に戻って来た、と証言すればいいのね?」
カーラが確認する。
「そう。多分、配達人が修道院に行く途中で蜜蜂亭に寄って、落としてしまったのよ。幸運ね。そこで、まだその原稿を読んで居なかった私が少しだけのつもりで借りて、読み耽ってしまったの。そこにエドガーがやって来て、原稿をちょっぱって行ったから、さらに長引いてしまったという訳。私が読み耽ったって辺り‥‥ちょっと不自然かも知れないけど、エドガーの件も入れておけば大丈夫よね」
「エドガーさんの事は、入れなくても平気だと思いますよ〜」
エーディットの言葉に、皆揃って頷いた。
「ああ、やはり私も泥を被るのですね‥‥」
こちらエルディン。部屋の隅に、衝立や木材、漆喰を積み上げて作られた隠しスペースから様子を覗いている。リディエールと一緒に居て、カーラに間男と勘違いされるのを避けるためだ。この場所は、シュネー達が出かけている間に美沙樹が作ったもの。工作が得意なだけあって、居心地は悪くない。
「ええ、良いですとも‥‥私は市民の幸せを守る冒険者ですから。泥くらいへっちゃらです」
何かを失った瞳で呟いた。人はそれを開き直りと呼ぶ。
その頃、ジュエルは男爵邸を訪れていた。
「ごめんくださーい」
夫人と面会し、修道院で発見されなかった原稿を探していると告げた。
「ノワレ夫人の私室も調べた方がエエと思って」
「私室? もう何度も調べましたわ」
怪訝な顔のパトリシア。
「あ、あ、でもウチシフールやし、狭いトコにも入れます。思わぬ所から見つかるかも‥‥」
不審そうな彼女を何とか説き伏せ、部屋へ侵入を果たした。
「きっと、何処かに‥‥‥‥あった!」
額の裏の隠し場所発見。作者の名前と所在を控えるべく、筆記用具を取り出した。
「‥‥なんや、皆、綺羅綺羅しい名前やなぁ‥‥って、筆名かい!」
そう。世間に憚る物語に、実名は使わない。流出しても、偽名ならばっくれられるのだ。
「うう、せめて物語の内容を覚えて‥‥」
しかし、ジュエルの識字能力では、相当の時間を要してしまう。
「目の前に宝の山があるのになあ‥‥」
まさか盗む訳にもいかない。犯罪だし、冒険者ギルドの信用にも関る。人が近づいて来る気配を察して、泣く泣く部屋を後にした。
「‥‥一番量がありそうなのは、作者の所やなくて写本の工房やろなあ‥‥工房に、夫人に内緒でこっそり書き写してる人とかおらんかな?」
諦めきれずに、ぶつぶつと呟くジュエルであった。
その後『蜜蜂亭にて発見』の便りを出した後、冒険者達は原稿を持って男爵邸を訪れた。ただし『原稿をちょっぱった』事になっているシュネーとエルディン、一度『蜂蜜亭』の使いとして訪れている美沙樹は、裏口から入り、隣の部屋からこっそり様子を伺う。
「はい、確かにこの原稿ですわ」
内容を確認して、安堵の息をつくパトリシア。
「ありがとうございます」
「あの‥‥この写本、差し止めにして貰えませんか?」
「差し止め?」
「こういった本が出回ると‥‥私、いえ私達は‥‥」
「貴方、リディさんね? 辛い恋をなさっているとか。‥‥でもね、優れた文学が残ることなく埋もれてしまうのは、余りに惜しいと思われません?」
「ですが‥‥」
その内容が問題だ。
「確かに、世間に憚りましょう。でも、禁断の実を食してしまった私達には、もう引き返す道はないんですの。無理に押し込めれば、何処からこぼれ落ちるか分かりませんわよ?」
「う‥‥」
以前の蜜蜂亭が思い出される。この世界の決まりを、まだよく知らなかった彼女達は、仕事中でも妄想全開だった。
「裏で徹底して耽り、表には徹底して隠す。これが極意です」
凛として言い放つパトリシア。美しき貴婦人の肖像がそこにあった。
「しかし、実際世間に漏れそうになった訳で‥‥」
「それは‥‥わたくしも重ね重ね反省しておりますわ。気をつけていたのですけれど‥‥」
途端、弱ったように目を伏せる。
「どうしても差し止めて頂けないのなら、くれぐれも‥‥くれぐれも内密に。二度と今回のような事がない様に。第二の故郷とも呼べるノルマンの地を、こんな事で離れたくはありません‥‥本当に、お願いしますね」
ふと真剣な色を帯びた声に、男爵夫人は頷いた。
「ええ。ですから、今回のこと、とても感謝しておりますの」
「どういたしまして〜ですよ〜♪」
言いながら、つつつ、とリディエールに寄り添うエーディット。人差し指を、彼の白い手の甲に、つい、と滑らせる。
「!」
「リディさんも〜そんな堅くならずに〜♪」
耳元で囁いてみる。
「‥‥エーディットさん!」
「あらあら、仲の宜しいこと」
「ところで〜お願いなのですけど〜‥‥」
ドアの隙間から、じーっと様子を伺っているエルディンが、ふと溜息をついた。
「本当に、男性なのですね」
普段のローブ姿なのに、ちょっかい掛けられる若い娘に見えて仕方ない。
「世の男性がリディ殿に惹かれたとしてもセーラ様はお許しになるでしょう」
絶対に女性と勘違いするから、という意味なのだが、
「リディは襲われ受けだもの」
シュネー、ちょっと勘違い。
「襲われ‥‥でも、アラン殿が襲いますかね?」
つい真面目に考えてしまうエルディン。
「ふ‥‥分かってないわね」
「会話の意味が全く分からないのですわよね」
『?』を大量に飛ばしながら、美沙樹が呟いた。
「‥‥以上の経過で、無事原稿をお返しできました」
「そうですか‥‥ありがとうございます」
一度屋敷を辞してから、こっそり戻って男爵に報告。ジェルマンは、安堵はしたようだが、憔悴している様子は変わらない。それはそうだろう、とリディエールは思った。何せ、奥方のアレな趣味を知ってしまったのだから。記憶は消せない。
「まあ、男女の恋愛物語と、形はどうであれ、やってる事は同じじゃないですか」
慰めにならないフォローをするエルディン。その『形』が何より問題なのだ。
「ためしに読んでみます?」
「でしたら、ここに初心者向けが〜♪」
バックパックから本を取り出す。先程夫人に頼んで借りたものだ。くれぐれも外部流出しないように言われているが、エーディットは、男爵は外部ではないと判断した。
「見ない振りをするから不安になるのですよ〜。同じ趣味を持たなくても、奥さんの趣味に理解を示すだけで、真の夫婦愛というのは表現できるのです〜」
ずずずい、と迫る。
「ばれたら大変というのなら、旦那さん自ら積極的に協力して隠蔽すれば良いのです〜♪ まずは蜜蜂亭と奥さんの蔵書でお勉強ですね〜♪」
「う‥‥うわあああぁぁぁ」
エーディットによってどのような教育が施されたかは不明であるが、その後、男爵は3日ほど自室に引き篭もってしまったらしい。嗚呼、ジーザス。