詳説「ノルマン王国」

■ショートシナリオ


担当:紡木

対応レベル:フリーlv

難易度:普通

成功報酬:0 G 65 C

参加人数:4人

サポート参加人数:2人

冒険期間:11月12日〜11月17日

リプレイ公開日:2007年11月20日

●オープニング

「そら」
「そら」
『そら、ソラ』
「くも」
「くも」
『クモ、く‥‥も?』
「あめ」
「あ‥‥?」
「あめ‥‥は、こう」
「はい。お嬢さん」
「『あめ‥‥』‥‥えっと?」
「『アメ』は、こうデス、おじょうさん」
「ありがと、楓さん。ええと‥‥『ありがとうございます』?」
「はい。『どういたしまして』」
 昼下がりのブラン商会。店から奥に入った部屋では、見習いトマ、留学生楓、店主の娘シャルロットの3人が、それぞれ白墨を手に石版と向き合っていた。トマと楓の石版にはアルファベットが、シャルロットのそれには平仮名、片仮名が綴られている。
「お嬢さん、ジャパン語、読み書きまで勉強してるんですか」
「きゃっ」
 後ろから覗き込まれ、びく、と肩を震わせるシャルロット。
「へぇ、片仮名まで‥‥」
「リュック兄ちゃん、お嬢さんは凄いんだぜ。兄ちゃんがジャパンに行ってから、毎日必ずジャパン語の勉‥‥うぐぅ」
 全て言う前に、その口はシャルロットの手に塞がれた。
「だってほら、うちはジャパンの商品も扱う訳だし、覚えておかないと‥」
「おじょうさん、とてもがんばるデス‥‥テイマス? リュックさんのこと、もっとしりたいのデス」
「楓さんっ」
 げに恐ろしきは天然なり。残念ながら、シャルロットの左手はトマの口、右手は白墨まみれで楓の口を塞ぐ事は出来なかった。
「えー‥っと‥‥」
 黙り込むリュックとシャルロット。
「あ、ああ‥‥楓さんも大分上達したなぁ。トマも、頑張ってんな」
 そして話を逸らすリュック。
「おうっ」
「ジョウタツ?」
「上手になったってこと」
「ありがとうございます」
 ジョウタツ、じょうたつ、と口の中で繰り返す楓。
「ホント、楓さん熱心よね。少ししか経ってないのに、大分ゲルマン語も滑らかになったし。でも、あんまり店からは出てないんじゃない?」
「ひとりデ、まちにでるの、すこしこわいデス」
 それは、そうだろう。
「でも、でる、ひつよう‥‥」
「俺達で連れ出せればいいんですけど、また旦那と奥様は出かけるっていうし‥‥」
 リュックが居ない間、ずっと家にいた主人夫妻だが、彼が戻って来たために、溜まっていた用事を片付け始めるらしい。
「一緒に酒場に行く? 今大ホール開いてるし、冒険者の人と話せるわよ」
「‥‥デモ、おじょうさん、リュックさんとふたりでかえる、たのしみ、わたし、じゃまにな‥‥」
「わーわーわーわー‥‥」
 ぜいぜいと肩で息をするシャルロット。まだ意思を伝えるのが精一杯のようだが、遠まわしな表現も早く覚えて欲しい、と心底思った。
「ああ、冒険者の人に頼むのも手かもしれませんね」
「わざわざ?」
 シャルロットは首をかしげた。パリの案内くらいなら自分にも出来る。
「いや、俺達は、俺達のテリトリーしか案内出来ないでしょう? 冒険者の人達なら、もっと色んなノルマンを知ってるんじゃないかと‥‥楓さんは、その‥‥広い視点で、勉強したいんだよな?」
「はい。のるまんのこと、なんでもしり‥たいデス」
 こくり、と頷く楓。
「じゃあ、店が閉まったらギルドで頼んで来る」
「よろしくおねがいしまス」


『体に気を付けて。リュックと一緒だから、心配要らないのは、分かってるんだけど‥‥』
『沢山、勉強して参ります。貴方の生まれた国の事‥‥知りたい事が、沢山ございますし』
『うん‥‥寂しいけれど、待ってる。楓‥‥』


「わたし、たくさん、べんきょうシタイ、デス」

●今回の参加者

 ea1671 ガブリエル・プリメーラ(27歳・♀・バード・エルフ・ロシア王国)
 eb5324 ウィルフレッド・オゥコナー(35歳・♀・ウィザード・エルフ・ロシア王国)
 eb7986 ミラン・アレテューズ(31歳・♀・ジプシー・人間・ノルマン王国)
 eb8226 レア・クラウス(19歳・♀・ジプシー・エルフ・ノルマン王国)

●サポート参加者

リスティア・レノン(eb9226)/ リスティア・バルテス(ec1713

●リプレイ本文

「よろしくおねがいします」
 腰を折り、頭を下げる天城楓。
「雷術者のウィルフレッド・オゥコナー(eb5324)、通称ウィルだね。よろしくお願いだね」
 おっとりと微笑むウィルフレッド。足元には、狐がちょこりと座っている。
「ジプシーのレア・クラウス(eb8226)よ。よろしくね」
「同じくジプシーのミラン・アレテューズ(eb7986)だ、よろしくな」
「ガブリエル・プリメーラ(ea1671)よ。はじめまして」
 リスティア・レノンとリスティア・バルテスとも挨拶を交わして、街へ繰り出した。

「へえ? 留学生をしてるんだ?」
「はい。のるまんのこと、たくさんしるため」
「じゃあ、ちょっと心細いかな? 私も旅暮らしで色んな国を渡り歩いてるから、何となくね」
 ジプシーとして各国を回り、学者として見聞を広めているレア。
「そうデスネ」
「でも、新しく知る、出会う‥‥不安も多いけど、わくわくするのよね」
 にこ、と笑みを浮べるレア。
「はい」
 つられて、楓も笑う。少し、肩の力が抜けたようだ。
「ノルマンの事、どれくらい知ってるかしら」
「すこしだけデス」
「あのお城‥‥コンコルド城ね? 王様の名前とか、分かる?」
「えっと‥‥ういりあむ‥3せい、さま!」
「そうそう。陛下があそこに入られたのは、いつかしら?」
「わかりマセン」
「じゃ、説明しましょう。ちょっと前にね、復興戦争っていうのがあって‥‥」
 軽やかな口調で、しかし学者らしく要点を抑えた話。ジャパンとの比較も交えつつ、ノルマンの歴史、風土ときて、食べ物に及んだ頃、目的地に到着した。

「ここが、冒険者酒場、シャンゼリゼなのだね」
 ウィルフレッドが扉を開いた。昼前とあって客は少なく、のんびりとした空気が漂っている。
「収穫祭の季節だろう? 期間限定で大ホールが開いているのだね」
「おじょうさんに、きいてマス。きたい、おもったのでうれしい、デス」
 楓が、ほっこりと微笑んで、入ろうとすると。
「ちょっと、待て」
 ミランが1歩進み出た。
「あたしも大ホールは初めてなのだがな‥‥なんか、怖い噂ばっかり聞くんだが」
 言って、腕を組む。
「正体不明な精霊が出没したり、危険なキノコが発生したり、魂を抜かれそうになったり、不健全な話題で盛り上がっていたり‥‥ライトニングサンダーボルトが飛んだ事もあるようだし」
 最後の一言に、ウィルフレッド(←犯人☆)は目を逸らした。
「らいとにんぐさんだーぼると?」
「‥‥楓さんは気にしなくていいのだね。時間を選べば問題ないのだね。これ位の時間帯なら大丈夫だね」
「そうね。大ホールの真価が発揮されるのは、深夜だし」
 レアが苦笑した。
「そうなのか‥‥ま、何があっても楓殿を守るように考えておくよ」
「ええと? ありがとうございます」
 とりあえず納得しておく。しかし、そこに広がっていたのは、予想外の光景であった。
「きゃっ」
 「何か」に躓きそうになった。よく見ると、毛布を被った人‥‥らしい。大きさからして、子供のようだ。辺りには、机に伏している人もみられる。
「あら、風邪ひくわよ?」
 その1人に、ガブリエルが平然と毛布を被せた。楓も会った事のある冒険者が、気持ちよさげな寝息を立てている。
「わ、わたしモ、ふとんを‥‥」
 慌ててホールを見回すと、毛布の山が目に入った。駆け寄って、1枚拝借しようとすると‥‥
 もぞり。
「‥‥ッ!!」
 動いた。
 ―うに〜‥‥
 そしてくぐもった呻き声。2歩、3歩と後ずさる。すると、毛布の塊の下から。
『か、亀の足?』
 それも巨大な。そして、呆然としている楓を置いて、毛布ごと、のそり、のそり、と動き始めた。
「‥‥??」
「楓殿、料理が来たぞ」
 ミランに呼ばれて、我に返る。
「だいほーる‥‥は、やど、デスカ?」
「そうじゃないんだけど」
 ガブリエルが苦笑する。
「明け方まで盛り上がってるから、そのまま眠っちゃう人もいるのよ」
「はい‥‥?」
 そう言われてもちょっと気になる。店員に見えない格好で机を拭いている人もいるし‥‥不思議な所だな、と思いつつ、料理を口に運んだ。熱が、ほっくりと体に沁みる。
「おいしい」
「気候が農業にあってるからかな、食に結構うるさいのが、ノルマン人気質かも」
 ワインを傾けるガブリエル。災厄続きの年であったが、出来たワインの味は悪くない。
「ノルマンの『食』は、美味で有名なのだね」
 ウィルフレッドが頷いた。
「これは、ニョッキのトリコロール。募金メニューなのだね」
「それで、ちょっとたかい、デスカ」
 庶民には、少々厳しい。
「それでも、たべる‥‥のるまんノ、ため? みなさん、やさしい」
「そうね。あたしはこの国しか知らないけど〜‥‥色々あるけど、優しい国って感じはあるよ」
 と、リスティア・バルテス。
「国王様の人柄なのかな?」
「おうさま‥‥やさしいひと、デスカ?」
「そうじゃないかなって、思ってるわ」
「すてきデス」
 国民にそう思われる王様は、きっと素晴らしい人なのだろうと、楓は思った。
「この国には、自由な気風がありますしね」
 リスティア・レノンが、目を細める。
「私の祖国、イギリスは歴史の古い素晴らしい国ですけど、それとはまた違った良さがあると思います」
「復興して1代目。これから色々作っていこうって国なのかも。その辺は、私の故郷とも通じるかな」
 ロシア出身のガブリエルだが、多くの時間を過ごしたノルマンは、第2の故郷とも言える場所になっている。
「色々面白い国だと思うのさね。‥‥ブランシュの分隊長達とか」
 ウィルフレッドの言葉に、かの個性的な面々を思い出して、ああ‥‥、と、ぬるい笑みを浮べる冒険者達。
「夜になると、ここに分隊長や市政官が来たりもするよ。情報収集かしらね〜。紹介出来たらもっとノルマンの事が分かるかもだけど‥‥深夜は、やっぱり、ね」
 止めた方がいいわ、と呟くリスティア・バルテス。
「しんや‥‥」
 シャルロットも大抵9時過ぎには帰ってくるから、夜中の話は聞いた事が無い。怖いもの見たさで、ちょっと来てみたい、と思ってしまった楓であった。

 翌日。朝の河辺にやってきた。11月も半ばを過ぎると、この時間帯は大分冷え込む。しかし、曇りがちな季節には珍しく、澄んだ空が広がっていて、気持ちが良かった。
「漁師さんにお願いしたから、漁を行っている所を見せてもらうのだね」
 早くも水揚げされた魚の腹が、朝日を浴びてキラキラと輝く。並んで土手に座り、その光景を眺めた。
「わたしノ、ふるさと、うみのないくに。かわノりょう、なつかしいデス。ほうほうハ、すこしちがうデスガ」
「ジャパンって、海に囲まれた国じゃなかったっけ?」
 自らもジャパンに行ったことのあるレア。
「はい。でも、わたしのふるさとハ、じゃぱんノなか、やまにかこまれたところ。えどで、はじめて、うみをみマシタ。おおきい、ひろい‥‥おどろきマシタ。せかいハ、ひろい‥‥」
 ぽつぽつと、不慣れなゲルマン語を紡ぐ楓。
「じゃぱんを出て、いぎりす‥‥いぎりすカラ、のるまん‥‥ふねデ、わたる。まわり、うみだけ。そらト、うみト、くも‥‥もっと、もっと、せかいハ、ひろかっタ‥‥」
 地方から出てきて、江戸の煌びやかさ、海の広さに目を剥いた少女。言葉も景色も全く違うと感じたのに、欧州はさらに別世界だった。言葉も、食べ物も、建物も、何もかも。世界の広さに圧倒されて、学ぶべき事には果てが無くて。それでも、少しでも多くを得るために視線を上げて、背筋を、手を、伸ばす。
「お勉強熱心なのねぇ」
 ガブリエルが呟いた。
「私は興味のないことは全然ダメだから感心しちゃう。ん、でも楓さんも誰かの為って目的があるから頑張れるのかしら」
「だれかノ‥‥」
 言葉を口の中で反芻し、意味を把握すると、その顔がじわじわと赤くなった。
「ああ、楓殿は、花嫁修業でパリに来たんだっけ」
 と、ミラン。
「えっと‥‥はい」
 楓は、照れたように睫毛を伏せた。
「でも『あの方の為』ハ‥‥すこし、ちがうデス。とても、おおきいもの、かかえたひと、デ‥‥わたしハ、おそば、いたいデス‥‥だから‥‥おてつだい、したい‥‥‥‥わたしが、したい、おもうデス。だから、わたしのため」
「そっか」
 愛しい人の側に居たい。力になれる自分でありたい。真直ぐな想いに、微笑ましいような、くすぐったいような、そんな気分になったガブリエルだった。
「皆、魚が焼けたのだね」
 川縁から、ウィルフレッドの声。
「お姉ちゃんたち綺麗だから、おまけだよ」
 中年の漁師が、豪快に笑う。焚き火であぶられた、うっすらと塩をふいている魚。その香りが、朝食を取っていない胃袋に沁みた。串ごと受け取って、野外らしくかぶりつく。
「熱‥‥っ」
 朝の冷気にかじかんだ指先と、唇。それが、立ち上る湯気にじわじわと癒されてゆく。
「ウィル嬢は、今日は漁はしないのか? あれ、豪快で好きなんだがな〜」
 にやりと笑う漁師。
「楓さんを驚かせるから、またの機会にするのだね」
 ライトニングサンダーボルトは、魚も捕れる優れ技なのだ。

「次はあたしの番だね」
 ミランが一行を連れて来たのは、ジプシーの集落。いくつかの家族が集まっただけの、小さなものだ。
「ジプシーはノルマンに住んでいても、ノルマンのものではなく、純粋にジプシーの生活と文化で生活しているのだな」
 言われてみれば、確かに顔つきや服装が、都市人とは異なる。
「ノルマンに居て、ノルマン人ではない者、だからな」
「のるまんにいテ、のるまんじんではないもの‥‥」
 それぞれ、歌や踊りを練習したり料理をしたり‥‥思い思いに過ごしているのに、何か、繋がりのようなものを感じた。彼らは、大地と空の間を、太陽を見上げどこまでも流離う。地と繋がることをしないから、仲間同士のゆるやかな繋がりを以って、居るべき、あるいは帰るべき『場』を作るのだろうか。
「あのひとハ?」
 明らかにジプシー達と異なった風体の男が、集落を尋ねてきた。
「占いの客だな」
 ジプシーは、主に踊りや占い、工芸なんかで生計を立てているから、とミランの説明を受ける。
「楓殿も、何か占っていかないかね? あたしだと駆け出しレベルの腕だが、この集落には達人も居るぞ」
「うらない‥」
「あぁ、何でも占ってくれると思うよ」
 楓は、何事か思案した後に、再び真直ぐに前を見た。
「よろしくおねがいします」

「ん〜、やっぱ、ジプシーの音楽って独特よね。面白いわ」
 踊りの曲を習いながら、ガブリエルが呟いた。
「ちょっと合わせてみない?」
 レアに誘われて、彼女の踊りに曲を添える。
「きれい‥‥」
 そこへ、占いを終えた楓がやってきた。表情が明るいから、結果は上々だったのだろう。
「あたしも、混ざっていいかな」
 ミランが加わり、集落の者達も、踊りに、演奏に、1人2人と加わって、やがて大きな輪となり、音となった。
「これは、壮観なのだね」
「はい、すてきデス」
 晩秋の陽光が、太陽の民を包み込む。

 ガブリエルの案内で、市場を抜ける。様々な食べ物や、色とりどりの衣服が目を惹いた。
「ジャパンとの月道が繋がってるから、積極的に他国の装飾品も取り入れる‥‥お洒落にうるさいのも、ノルマン人気質かもって思うのよ」
 ガブリエル自身も、お洒落に大分気を遣っているのが見て取れる。
「ここを抜けると楽器屋なの」
 店主と2、3言葉を交わしてから、楽器を手に取り、楓に渡した。
「これはリュート、こっちは竪琴ね」
「あ! まえニ、ききマシタ。たてごとは、かわいい、おと。りゅーとは、すこし、にぎやか」
「そうね。折角だから弾いてみましょうか?」
「はい」
 こく、と頷き、構え方から教えて貰う。
「お琴に三味線、尺八‥‥とかが、ジャパンの楽器よね」
「はい。しゃみせんは、すこし、ひきマス」
「あら、じゃあ今度、合奏してみる?」
「ええっ‥‥あの、わたし、へたデス‥‥ガブリエルさん、とてもうまい‥‥」
 昨日の演奏を思い出す楓。
「それより、こちらノがっき、つかえるニなりたいデス」
「ふふ、本当に熱心ね。じゃ、もう少し触ってみましょうか」
「よろしくおねがいします」

「あんまり、内容は見せられないのだけどね」
 代書人業を営む、ウィルフレッド。仕事の様子を見学にやってきた。
「遠くにいる人への思いを代わりにこうやって便りにのせていくのだね」
「とおくに、いるひと‥‥」

『温泉って、この辺?』
 馬上からの声に振り返って、驚いた。夕日を背にした、姿、燃え立つような髪の色。
『‥‥えーかん、山を登らんきゃならんし。止めた方がいいですよ。へぇ、山の夜道は危ないです』
 男は、溜息を吐くと、馬から下りた。
『珍しい?』
 こちらの表情を見て、その唇が皮肉げに歪んだ。
『はい。‥‥綺麗な、色』
『気持ち悪いだろ』
『あたし、なまえ、かえでっていうですよ。秋の、かえでの色、大好きっつこん』
『‥‥かえで』
『はい?』
『そこの家の子?』
『はい』
『そっか』
 呟くと、男は再び馬に跨り、元来た道を戻っていった。こちらが名乗ったのだから、名前くらい聞いておけば良かった、と思ったのは、その姿が完全に見えなくなってからだった。

「‥‥楓さん?」
 名前を呼ばれて、は、と我に返った。
「ごめんなさい」
 慌てた様子に、ウィルフレッドが微笑んだ。
「遠くの人の事でも、思い出していたのかね」

 期間中、それぞれの生業を中心に、人や物、習慣‥‥色々な切り口からのノルマンを見て回った。
「ごくごく普通の暮らしの様子を見せたかったのだけれど、どうだったのかな、楓さん」
 おっとりと微笑むウィルフレッド。
「とても、べんきょうしマシタ。たのしかったデス」
「花嫁修業が、充実したものになるといいな」
「せっかく来たんだもの。楽しんでいってね」
「はい」
 ミランとガブリエルの言葉に、頷く。
「この国は復興してからまだそれほど時間が経ってないし新しい国と言えると思うわ。若い国だからこそ色んな問題を抱えてるけど、それだけまだまだ色んな可能性のある国だと思うの。だから私も色んな国を回ってるけど、どこに居てもこの国を見ていきたいの」
 レアの瞳に穏やかな光が宿る。
「私の生まれ育ったこの国が、この先どう変わっていくのかを見るのが楽しくてしょうがないんだもの。『共に成長をしていく国』っていうのが私にとってのノルマンなのかしらね」
 その視線は、彼女自身と、ノルマンの未来へ向けて。
「わたしも、いっしょニ、せいちょうしたいデス。のるまんの、そういうところ、くうき‥‥とても、すきニ、なる‥‥なりマシタ」
 言葉が多少通じても、知り合いがいても、不安は拭えなかった。けれど、こうして知っていくことで、少しずつ、この国に近づけている気がした。
「みなさん、ありがとうございました」
 この言葉を、沢山使った。使えることに、深く感謝しながら、楓は、深々と頭を下げたのだった。