愛しのマダム・バタフライ

■ショートシナリオ


担当:紡木

対応レベル:フリーlv

難易度:普通

成功報酬:0 G 65 C

参加人数:6人

サポート参加人数:-人

冒険期間:11月17日〜11月22日

リプレイ公開日:2007年11月27日

●オープニング

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「何故‥‥」
 
 船の針路がばれていた。密偵が入り込んでいたらしい。待ち伏せていた船と交戦になり‥‥そこには、あいつが乗っていた。いよいよ、俺を本気で殺しに来たか。面白い。背筋が、ぞくぞくした。

 それなのに、どうして、この男は、俺を背に立っている。
 
 乱戦中、不覚を取って、剣を奪われた。ナイフを取り出す間に、敵の将校に渡った己の剣は、真直ぐにこの胸を狙ってきた。終わりか。舌打ちと共に、そう思った。しかし‥‥
「フィリップ殿、どうし‥」
 上司の胸に、剣を突き立てた結果になった将校。その台詞が終わらないうちに、首にエディのナイフを受け、物言わぬ屍となった。
 フィリップの膝が、崩れた。エディに背を預ける形で、仰向けに倒れ込む。荒い息。ぼんやりとした瞳が、こちらを見上げた。
 ‥‥これは、もう駄目だ。
「なにやってんだ、お前は。俺を殺しに来たんじゃないのか」
 苦しげな息の下、口元が、ふ、と歪んだ。
「その‥‥つもり、‥‥。だ‥が‥お前の、心臓‥‥を、止める‥‥の‥‥は‥‥俺だ。‥他の誰にも‥‥‥譲らん」
 譲るくらいなら、死ぬ。
「‥‥馬鹿が」
 呟く。手が、震えていた。
「分からなくも、ないがな。‥‥俺も、他の奴に譲る気は無いんだ」
 一瞬、フィリップの目に、光が過ぎった。それは、歓喜。
 エディは、左腕でフィリップの肩を抱き、右手で、躊躇う事無く刀身を握った。指に、痛みが走る。
「お前を殺すのは、他の誰でもない。俺だ」
 胸の半ばで止まっていた刃。それを、さらに深く、突き立てた。
 びく、フィリップの体が、大きく痙攣し、動かなくなった。薄く開かれた瞼を、下ろしてやる。あの、うざったい程に真直ぐな眼光が、こちらを射ることはもう永遠に無い。
「さて‥‥」
 立ち上がり、愛剣をその胸から引き抜こうとするも、果たせない。
「そうか‥‥」
 それは、彼の決意のようにも見えた。この刃は、突き通させない。自分の胸で、止めてみせる、そんな‥‥。
「だったら、くれてやる」
 海に漕ぎ出したその日から、共にあった剣。
 やがて、漂流するこの船を、誰かが見つけるだろう。その時、そこにあるのは、海賊を庇って死んだ男ではない。部下を殺され、己も賊の刃に散りながらも、無数の血風を撒き散らしたこの剣だけは、その身を以って奪った、気高い領主の姿だ。
「替わりに‥‥」
 中指の指輪を、抜き取る。伯爵家の紋章が刻まれた、領主であることを示す古い指輪。
「俺は、海賊だ」
 何も奪わず、去りはしない。
 周囲を見回した。戦闘は、終わっていた。敵も、味方も、誰も動かない。

 1人、小船で漕ぎ出した。
 海に飛び出したあの日のように。しかし、胸にあるのは、その時のような、溢れる希望と自由への憧れではない。
 ただの、空白。飢えすら起こさぬ、空虚。
 残された長い時を、こうして漂うのか。
「‥‥そういえば、息子がいると言っていたか‥‥」
 追ってくるか? 父の敵を。この指輪を目印に、どこまでも。
 全て、推測。しかし、そのような可能性があるのなら‥‥
「この命、その日まで残しておいて、やるか」
 縹渺たる蒼海を、眺め渡す。
 かつて咲いた夢の残滓が、ゆっくりと、胸に積もっていった。

 <終>

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 揚羽は、ぱた、と本を閉じた。白い手で、上品な装丁の表紙を愛おしげに撫でる。出来の良い物語が上がったと聞いて、ワクテk‥どきどきしながら待った甲斐があった。クリスティーヌ・アンジェ著『蒼海に夢は咲き』。貴族と海賊の悲恋を描いた秘色の物語。窓の外では、日が沈みかけていた。日がな一日、窓辺で物語を読み耽る事だけが、彼女のすべきことであり、また唯一の楽しみであった。

「ああ」
 街路樹の陰から、窓を見つめる若い男。視線の先には、象牙色の肌と、夜色の髪を持つ女性。
「麗しき異国の蝶よ‥‥」
 彼女の事は、何も知らない。毎日窓辺で本を読んでいる事しか。しかし、恋に落ちるには、その横顔だけで十分であった。
「貴女の事が、知りたい‥‥おや?」
 その家を、貴族か何かの使いであろうか、お仕着せを来た少女が訪れた。男は、彼女に見覚えがあった。
「‥‥あれは、確かノワレ男爵の小間使い?」

「えーっと、また原稿流出ですか?」
 開口一番告げた受付嬢に、ノワレ男爵夫人パトリシアは苦笑を以って否を返した。
「原稿は、全て著者にお返ししましたわ」
「ということは、本が?」
「はい。完成いたしました」
 にっこり。それは嬉しそうに笑う。ちょっと怖いけど読んでみたい、と思ってしまった受付嬢。
「では、今日の御用は?」
「わたくしの友人の事で」
 いわゆる『同好の士』というやつだ。但し、他の同志達が概ね、集団内で楽しみを共有するのに対し、彼女は孤高を好んだ。パトリシアだけを窓口とし、送られてくる物語を日がな一日楽しんでいる。
「つまり、引篭りですね」
 ばっさり切り捨てる受付嬢。
「まあ、そういうことになります、わね」
 苦笑を浮べるパトリシア。
「でも、彼女の境遇では、仕方のない所もありますのよ。彼女‥‥揚羽・リヴェットは、元はジャパンでウェイトレス‥‥のような、芸人、のような? 客に料理を運んだり楽しませたり、というような仕事をしていたらしいのです」
 そこを、店を訪れたノルマンの貿易商に見初められた。貿易商リヴェットは彼女を口説き落として自国に連れ帰り、妻とした。親兄弟の居なかった揚羽は、愛する夫を得て、幸せになる筈だった。その夫が、程なく亡くなりさえしなければ。
「右も左も分からぬ異国の地。頼りの夫は居ない‥‥わたくし達夫婦は彼と親交がございましたの。病床の彼に、もし自分に何かあったら、妻を宜しく‥‥と頼まれました。ですから、呆然としている揚羽に元気になって欲しくて、手を尽くしましたわ」
「あー、それで、見せちゃった訳ですか」
 例の物語群を。
「始めは、そちらの趣味に引き込むつもりはありませんでしたのよ。でも散々手を尽くして、どれも空回りで‥‥最後の、本当に最終手段として、ですわ」
 それが、どんぴしゃだった。
「元気になってくれたのは、良かったのです。でも‥‥あまりに彼女の世界は閉ざされていて、少々心配、そう思っていた所に‥‥」
 昨日、ノワレ男爵邸に若い男が訪れた。パトリシア、夫のジェルマン共によく知る、友人である。彼は、言った。『東の国の、麗しき蝶とお知り合いなのですか?』と。
「早い話が一目惚れですね。いい機会じゃないですか。紹介して差し上げては? 揚羽さんと上手くいったら、色々と良い方向に‥‥」
「そこで、彼女の趣味が問題となるのです。彼‥‥バジルは、とても良い青年です。しかし、真直ぐすぎるきらいがあって」
 もし、例の趣味を知ったら、どう出るか、予想が付かない。ただ、何事も無くは済まないだろう。
「もしかすると、双方が傷つく可能性も‥‥」
「成程」
「しかし、元夫が亡くなって3年、彼女はまだ27です。今のように、わたくしがずっと側にいられるとは限りませんし、少しだけでも、外への窓口を開いておきたいのです」
「その手助けを、冒険者に頼みたい、と」
「ええ。こちらは、依頼人や関係者の『秘密』を守って下さるでしょう? わたくし達の趣味は世間に憚りますもの。宜しくお願いいたしますわね」

●今回の参加者

 ea3120 ロックフェラー・シュターゼン(40歳・♂・レンジャー・人間・フランク王国)
 ea8341 壬護 蒼樹(32歳・♂・僧兵・ジャイアント・ジャパン)
 eb1460 エーディット・ブラウン(28歳・♀・ウィザード・エルフ・イギリス王国)
 eb5977 リディエール・アンティロープ(22歳・♂・ウィザード・エルフ・フランク王国)
 eb8175 シュネー・エーデルハイト(26歳・♀・ナイト・人間・フランク王国)
 ec2472 ジュエル・ランド(16歳・♀・バード・シフール・フランク王国)

●リプレイ本文

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 秋深まるノルマンの都。陽光柔らかく、静かな午後に、ザッ‥‥ザッ‥‥と楽しげな音が響く。それは、青年の浮き立つような心情を描いているのかも知れない。
「えへへ‥‥」
 リュージュは、箒で落ち葉を集め終えると、栗をうずめ、火を着けた。ぱちぱちと広がってゆく炎を、微笑みながら見守る。
「まだかな‥‥」
 どこか落ちつかなそうに、しゃがんでは立ち、立っては歩き、周囲を見回して、再び焚き火の前へ。そんな事を、何度も繰り返す。風に靡く前髪が、歩くたびに揺れる組紐が、待ち人を想う彼の心に、沿っているようにも見えた。
「あっ!」
 その瞳が、ようやくかの人を映した。長い腕をぐっと伸ばし、大きく振る。
「お〜い! ‥っとと。‥‥揚羽さん。こっちだよ」
 心のままに零れた大声を、慌てて押さえる。その様子に、ゆっくりと歩いてきたその人が、微笑んだのが分かった。小さく手を振り返してくれる様子に、自然、心が和む。女性と見まごう、優しげに整った顔立ち。すっきりとした立ち姿。澄んだ光を宿す青い瞳を、結い上げた長い銀の髪を、この上なく美しいと思った。

 こちらに向けられた満面の笑み。逞しい腕を精一杯振って歓迎してくれる様子が嬉しく、自然、揚羽の足も速くなる。
「リュージュさ‥‥あっ」
 足元を、何かが通り過ぎた。体が均衡を崩し、視界が揺れる。ブチ猫の後姿が見えた気がした、その一瞬あと。
「‥‥痛ぅ‥っ」
「揚羽さん!」
 躓いた揚羽に駆け寄り、ひょい、と抱き上げるリュージュ。
「リュ、リュージュさん‥‥あの‥」
 膝下を救い上げ、背中を支える‥‥女性を抱くような格好に、戸惑いの声が零れた。
「揚羽さん、軽いなぁ」
「ええと‥‥」
 背中を支える、力強い腕。自分のそれと見比べて、小さくため息を漏らした揚羽。
 この方は、なんて‥‥。
 ふと浮かんだ感情に、戸惑う。甘いような、苦いような、それ。あまりに淡くて、名をつける前に、溶けて見えなくなってしまう。
「寒かったでしょう」
 焚き火の側に、揚羽をそっと下ろすリュージュ。
「足、大丈夫?」
「はい」
「良かった‥‥あれ、揚羽さん、防寒服は?」
 リュージュは、きょろきょろと周囲を見回すと、脱いで置いておいたマントを拾い、揚羽に着せ掛けた。
「ありがとう、ございます」
 にこ、と微笑んで顔を見上げると、リュージュはうろうろと視線を泳がせ、やがて、は、と気付いたように服を探り始めた。
「‥‥これ」
 差し出されたのは、花を編んで作られた指輪‥‥純潔の花。
「リュージュさん‥‥」
 込上げてくる想いは、先程と同じ種類の‥‥しかし、ずっと大きな気持ち。
(「ああ‥‥」)
 そうか、と揚羽は思った。ずっと、良い人だと思っていた。優しい人だと。でも、それだけでは、時々胸に走る、締め付けられるような痛みや、喉の奥に込上げる、泣きたくなるような熱の理由にはならない。
(「私は、この方を‥‥」)
 純潔の花をじっと見つめ、そして、顔を上げた。リュージュの、真直ぐな気性そのまま形にしたような顔が、真っ赤に染まっている。
「ありがとうございます。とても、とても嬉しいです」
「揚羽さん‥‥」
 リュージュの手が、ゆっくりと上がり、揚羽の肩に置かれる‥‥直前。
「ちょっと待ったあ!」
 大声で、制止が掛かった。
「ロシュ、さん?」
 リュージュが呟く。髪を大雑把に纏めた、無精髭の男。逞しい体からは、怒気が立ち上り、瞳の中では青白い炎が燃えている。その感情は‥‥嫉妬。
 禍々しい気迫。思わず、揚羽はリュージュの背中に隠れた。広い背中の後ろは、どこよりも安心できる場所で‥‥
「リュージュさんは俺がいただく、あんたのような男には相手は務まらないぜ!」

 声高らかに宣言し、ロシュは揚羽にビシ、と指を突きつけた。ちらり、とリュージュを伺うと、ぽかん、としつつもその腕はしっかりと揚羽を庇っている。その様子に、またしても内なる炎が燃え上がるのを感じた。
「その場所を離れろ! リュージュさんのような逞しい人には、あんたみたいな細っこい男は相応しくない!!」
 揚羽が、1歩、リュージュの背後から進み出、隣に立った。しかしその両腕は、変わらずリュージュの腕をしっかりと抱いている。
「わ‥‥、私、私は‥‥」
 堪えきれぬ想いに身を震わせ、リュージュの腕に顔を伏せる揚羽。意を決したように顔を上げると、潤んだ瞳で、ロシュを、そしてリュージュを見つめた。見つめ会う揚羽とリュージュ。
「離れろと言っている!」
 我慢出来ずに、駆け出すロシュ。揚羽に掴みかかろうとして、ザァ‥‥ッと仰向けに転がった。
「あ、揚羽さんに乱暴は‥‥」
 戸惑いながらも、ナ・ギナータの柄でロシュを突き返したリュージュ。あくまで防御であるので、身体への打撃は、大きくはない。しかし‥‥
「そんなに、そいつのことが‥‥」
 恋する相手にはねつけられたという痛みが、全身を苛んだ。衝撃に身を震わせながら、フラフラと立ち上がるロシュ。
(「く、悔しい‥悔しいのに‥‥‥‥何だ? この感じ‥‥」)
 ふつふつと湧き上がる気持ちに戸惑うロシュ。その迷いを振り切るように、再び向かっては吹き飛ばされる。
(「何だ、何故に‥‥‥‥攻撃される今の状況が楽しい!?」)
 気付いて、愕然とする。
(「えぇい迷うな俺、戦え俺! リュージュさんを手に入れる為だ。‥‥それに何か新しい世界が見えそうな予感が!」)
 3たび立ち上がった、その時。ザバァッ‥‥と、頭から大量の水が振り注ぎ、膝を付く。
「リュ‥‥リュージュさんは‥‥渡せません!」
 震える声を、絞り出すようにして叫ぶ揚羽。
「揚羽さん‥‥」
 突然の冷水と、リュージュの声の嬉しげな響きは、ロシュにあらゆる意味で止めを刺した。しかし‥‥
「くぅ、やるな‥‥」
 しかし、その表情は、決して暗くは無かった。
「楽しかったぜ‥‥だが、リュージュさんは渡さんぞ、また会おう!」
 清清しく言い放つ。新たな可能性に目覚めたロシュは、くるりと踵を返すと、ボロボロになった心と体を引き摺り、去って行った。
 未知なる世界の扉を開いた男の背中を、揚羽とリュージュは呆然と見送ったのであった。

「焚き火‥‥濡らしてしまいましたね」
「もう1度、葉を集めればいいよ。あっちの方に、まだ大分落ちていたから」
 リュージュは、火の落ちた焚火跡から栗を拾い集めると、迷いながらも、揚羽に手を差し出した。
「行こう」
「‥‥はい」
 揚羽は、それに自らの手を重ね、ふわりと微笑んだ。

 冬の気配滲む晩秋の風が、2人の歩みを、そっと促していた。
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「‥‥こんな感じですかねー」
 一通り語り終えたカーラは、羊皮紙を置くと、揚羽に向き直った。
「ええ。どうもありがとう」
 異国生まれの女性は、満足げに頷いた。
「いえいえ〜。私も楽しくて書いてますし! またよさ気なネタがあったら、是非提供してくださいね!」
「それにしても‥‥おとこのひと、揚羽さんとおなじなまえ‥‥ぐうぜん、デスネ」

 話は、数日前に遡る。

 ブラン商会を訪れたリディエール・アンティロープ(eb5977)。
「こんにちは、リディエールさん」
 店先の掃除をしていた楓。
「少々、お時間を宜しいですか?」
「おそうじがおわったら、きゅうけいデス。すこしまってください」
 前回会った時よりもずっと滑らかになったゲルマン語に少々驚きつつ、事情‥‥異国でたった1人暮らしているジャパン出身の夫人の事を話した。
「楓さんは最近こちらへ来たばかりですし、ジャパンのお話を聞かせてもらえればと」
 店に入っていない時間であれば、と快諾を得た。

「奥様、お客様がお見えです」
 今日も今日とて窓辺で本を読んでいた揚羽。小間使いの言葉に首を傾げた。
「パトリシア?」
 この家を訪ねてくるのは、彼女か、彼女の小間使いくらいだ。
「いえ、シフールのバードさんです。パトリシア様のご紹介ですが」
「シフール? ‥‥まあ、良いわ。通してさしあげて」
 珍しい来客に首を傾げる。
「こんにちはー。ジャパン出身の方が居るとお聞きしまして」
 ジュエル・ランド(ec2472)は、自分は『ジャパン語の歌を歌える芸人』だと告げ、楽器を構えた。拙いながらもジャパン語を駆使して、はるか東の国の民謡をいくつか、歌い上げる。暫く黙って聞いていた揚羽だが、歌が途切れたのを見計らって、ジャパン語で呟いた。
『懐かしいねェ‥‥』
 すっと椅子から立ち上がると、裾が汚れるのも構わず、足を畳んで床に座った。トン、トン、と膝を叩いて、拍子を取る。
「――ッ」
 ジュエルが、息を呑んだ。控えめで静かな話し方とは、対を成すような歌声。たっぷりと艶を含んだ節回しで、語るように紡がれる旋律。
『「あづま屋の揚羽蝶」は、辺りじゃちょっと名の売れた妓だったンだよ』
 ひと通り歌い終え、まだぼうっとしているジュエルに、微笑みかける。
「昔取った杵柄ですから、少々衰えてはいますけれど」
「凄いな」
 年季も格も桁違いだ。
「ふふ‥‥親も兄弟もとうに無くて、自分が生きる為だけに歌っていました。それなりの誇りはあったけれど、楽しいなんてちっとも思ってなかった。あの人について来る時も、ジャパンに何の未練もないと思っていたのに‥‥不思議ですね。懐かしくなってしまいました」
「あの。最近ジャパンからパリに来た女性が居ます。多分、あなたの話は彼女の為になると思います。彼女と、会ってみませんか?」
「そうですね、少し考えてみます」

「貴方がバジルね?」
 パトリシアの紹介で、バジルの家を訪れたシュネー・エーデルハイト(eb8175)とジュエル。
「はい。‥‥ええと、あなた方は?」
「『異国の蝶』の事で話があるの」
「あの方を知っているのですか?」
 ぱっと顔を輝かせる青年バジル。しかし、2人に代わる代わるその境遇を聞かされ、徐々にその表情が引き締まる。
「そうですか、あの方は‥‥愛する方を亡くされて、お1人で‥‥」
「頼れる者のない異郷の地にいる彼女を守る覚悟や、異国の文化を受け入れる覚悟がありますか?」
 ジュエルの問いに、真摯に頷く。
「僕は、かの人の事を何も知りません。しかし、その横顔を想うだけで、こんなにも胸が痛い。お力になれることがあるのならば、是非‥‥」
「そう。貴方は彼女の事を何も知らない‥‥人には、他人に言えない秘密があったりするのよ。憧れだけで近づくなら貴方も彼女も傷つくわ。それでも‥‥彼女に近づきたいの?」
 シュネーが、真直ぐにバジルを見つめた。少しの偽りも許さない、という風に。
「はい」
 その瞳を、しっかりと見つめ返すバジル。
「そう‥‥それなら、貴方を信じましょう」
 ふ、と目元を和ませるシュネー。そのココロは『私達の世界へようこそ』。
「それじゃ、覚悟を見せてもらおうかな」
 ジュエルが、にや、と微笑んだ。

 大きな建物から、うつむきがちに出てきたバジル。
「どうやった?」
 語りかける。よく見ると、その体は小刻みに震えていた。
(「やりすぎやったかな?」)
 ふと不安を覚えたジュエルであったが。
「ジュエルさん!」
「は、はい!?」
 その顔には、満面の笑み。目尻には、かすかに涙すら光っていて‥‥
「僕、僕‥‥感動してしまいました! 知らなかった‥‥こんなに素晴らしい寺院があるなんて」
「‥‥はい?」
 やばい、そっちに目覚めた?
「『揚羽さんを理解するには、ブルーオイスター寺院のミサに出席することが必要』‥‥最初、どういうことか、よく分からなかったのですが‥‥彼女は、大変敬虔な信者さんなのですね? ジャパンではジーザス教は信仰されていないというから、こちらへ来てから入信されたのでしょうに‥‥ますます、素晴らしい人だ」
「えーっと‥‥ミサ中に、ジー‥っと見つめられたりせんかった?」
「はい! とても熱い眼差しで、セーラの慈愛を説いて下さいました!」
「あと、体に触られたりとか‥‥」
「共に、神の御心に添う者たろうと、力強く肩を叩いて下さいました!」
「‥‥‥‥あかんわ」
 呟くジュエル。この男‥‥真面目で敬虔で‥‥そして、天然だ。
 ブルーオイスター寺院。毎日多くの信者が訪れる、パリ近郊の古い寺院。逞しき『セーラの漢たち』の学舎は、今日もアナタを待っている。

「今日は、珍しくお客様が多いですね」
 揚羽は、ふわりと苦笑した。パトリシアの紹介で、皆の『代表』として屋敷を訪れた、と告げたシュネー。
「代表‥‥ああ、代表ね」
 確か、パトリシアにシュネーの名も聞いたことがあった、と思い出す揚羽。何の代表かは聞かず、席を勧めた。
「パトリシアったら‥私は、1人でも満足しているのに‥‥」
 と溜息を漏らす。
「それは、お勧めしないわ‥‥だって、1人じゃ想像力にも限界があるでしょう?」
「想像力?」
「ええ」
 シュネーが微笑んだ。

「甘い、甘いわ。そんな事で嫉妬に燃える男が表現出来ると思っているの‥‥?」
 パトリシアの家から戻ったシュネー。
「役になりきるの。嫉妬の炎を燃やすのよ! どう? だんだんリディエール‥‥もとい揚羽が憎くなってきたでしょう?」
 そういうシュネーの眼差しこそが、何よりも熱い。
「俺は‥そう、俺は‥‥嫉妬の炎を燃やす横恋慕男ロシュだ! 思い込め俺! なりきるんだ俺!!」
 暗示でもかけなきゃやってられん、とばかりに、ロックフェラー・シュターゼン(ea3120)。容赦なく飛んでくるシュネーの演技指導を全身で受け止めている。
「ロックさん‥‥」
 その様子を呆然と見つめるリディエール・アンティロープ(eb5977)。
「目元には少し影をつくりましょう〜♪ いつもより儚げな感じで〜」
 その周りをくるくると回りながら、エーディット・ブラウン(eb1460)が、リディエールを『横恋慕され男揚羽』を作りあげていく。
「髪は、ポニーテールにするのでしたっけ〜? 分け目も変えるのですよね〜? それでは、お洋服はこちらで〜‥‥あ、こちらも素敵ですね〜♪」
 まさに仕掛け人エーディットの本領発揮であった。
「僕の名前はリュージュ‥‥リュージュだな」
 ブルースカーフで髪をひとつに括りながら、壬護蒼樹(ea8341)が呟いた。ついでに、前髪も軽く撫で付ける。これで『2人の男に想われる男リュージュ』の出来上がり。
「ごめんね弟」
 でも、自分の名を名乗る訳にはいかないのだ。
 かくして、芝居の準備は調った。

 ぽう、と窓辺から午後の町を眺めている揚羽。
『1人じゃ想像力にも限界があるでしょう?』
 全く、その通りだ。こんなに充実した時間を過ごしたのは、久し振りのような気がする。
『○○と××が‥‥で、だから△△』
『でも、そうすると××が○○になって。それは▲▼』
『そうね。だったら‥‥なら、△△で‥‥』
 お互いの世界を触れ合わせて、新たな地平を築く。その、なんと新鮮なこと。いつもと変わらぬ景色が、少しだけ明るく見えるような気がする。
 それに、冒険者をしている、という彼女の話も素晴らしかった。冒険には、時には冷たく、時には暑い、男達のドラマが溢れている。
 シュネーの『趣味』でかなり脚色された冒険譚も、いたく気に入った彼女。『私達、冒険が終わるたびお話したいから、待っててね』‥‥という言葉に、わくわくが止まらない。
「奥様、お客様です」
「また?」
 本当に、客の多い日だ。
「今度は、ノワレ男爵様のお遣いさんです」
 それなら、いつも通り、なのだが。それを告げた少女の頬が妙に高潮しているのが気に掛かる。
「あなた、熱でも‥‥」
『こんにちは』
 言いかけた言葉は、ジャパン語の挨拶にかき消された。声に続いて入ってきた姿に、息を呑む。
「‥‥エディ?」
 真紅の瞳のエルフ。金の髪には三角帽子。厚手のジャケットに、くたびれた袖飾り。
『はじめまして、蝶々夫人』
 その様子は、まさにクリスティアーヌ・アンジェの小説に見える海賊エディそのもの。
『日本語が、話せるのかい?』
『海賊は世界中を渡り歩いているからね。異国の言葉などお手のものだよ』
『その子は?』
 足元には巨大なカメ。
『相棒のゾウガメ。よろしくね』
『今日は、色んな事が起こってびっくりするねェ』
『世界は、いつだって驚きに満ちている。‥‥ほら、見てごらん、外には浪漫が溢れてるよ』
 すい、と窓の外を指差すエディ‥‥こと絶賛演技中のエーディット。
『あれは‥‥?』
 その視線の先では、白髪のジャイアントが、楽しそうに落ち葉を掃き集めていた。

「‥‥という修羅場があったんですの」
 エーディットに連れられて蜜蜂亭にやってきた揚羽。休憩中のカーラを卓に招いて紹介すると、早速‥‥場所が場所なので声を潜めて‥‥先程の話をした。偶然‥‥を装って、先に来ていたシュネーも話に混ざる。
「ジャイアントを挟んで人間とエルフ‥‥濃いわね」
 しれっと溜息のシュネー。
「このお国はその‥‥そういった恋はご法度でしょう? ですから、外の世界でそんな事があるとは思ってもみなくて」
「いえいえー、そんな事ないですよ! 確かに極々少数派ですけど、この前だって、ものっすごい美形な金銀のカップルさんが! ‥‥詳細はやっぱりお話できないんですけどー」
 話せない、といいつつ個人の特定に繋がらない話はすっかり話して聞かせたカーラ。
「素敵‥‥」
 うっとりと目を細める揚羽を、エーディットがここぞとばかりにまくしたてる。
「本当に、世界は広いよね。先程のこともあるし‥‥知っているかい? とある雑貨店では、時々素敵なイベントが開催されているんだよ」
 優しく、それでいて積極的に話しかけ、ブラン商会のイベントの話なども聞かせてみる。
「内に籠っていては勿体無いよ、美しい人」
 手を取り、微笑んだ。

 その様子を、衝立に隠れた卓で伺っている男が3人。
「芝居の効果、あったみたいですね‥‥あ、この料理もうひとつお願いします」
 山と積まれた皿の上に、新たに皿を重ねた蒼樹。
「魂を込めた甲斐があったなあ」
 うんうん、と頷くロックフェラー。
「それにしてもノリノリだな、エーディットさんの王子様演技」
 海賊なのに王子とはこれいかに。
「あの、大丈夫ですか? ロックさん。お風邪など‥‥」
 演技の為とはいえ、頭上でウォーターボムを炸裂させてしまったリディエール。そこまでするつもりは無かったものの、芝居の内容が己のキャパシティを超え、混乱した挙句に、つい。それから、ロックフェラーの様子があまりにも怖かった、という方の理由は秘密だ。
「ん? 平気平気。体力あるし」
「良かった‥‥」
「さて、それじゃ、僕達連れ立って姿を出してみます?」
 演技のダメ押しに、と蒼樹。
「え‥‥いえ、その‥‥」
 びく、と体を震わせるリディエール。
「私は、ここでは、別の方と‥‥アリ‥アランとお付き合いしている事になっているので、それはまずいかと‥‥」
 先程から、今日はアランさんと一緒じゃないのね‥‥といわんばかりの、給仕達の視線をびしばし感じている。
「リディエールさんも、大変だな」
「はぁ‥‥」
 ぽむ、とロックフェラーに方を叩かれ、最早溜息しか出ないリディエールであった。
「ともかく、この調子で外に目を向けて下さると良いですね。遠い異国でたった1人‥‥寂しいのはわかりますけれど、そんな世界に引きこもっていては何も変わりませんから」
 それでこそ、体と心を張った甲斐があるというもの。
「そうだね」
 またしてもお替りを頼みながら、蒼樹。何となく、まったりとした空気が流れる。しかし。

「あのー、さっきの事件、私がお話にしちゃってもかまいませんか?」

 衝立の向こうから聞こえてきた言葉に、凍りつく。

「私、今まで三角関係って書いた事なくてー。あと、細目、儚げ、もしくは病的、な美形ばっかり書いてきたんですよね。実際そういうのが好きだし」
「あら、フィリップは?」
「あれも結構『儚げ』のつもりなんですよー。乙女系中年? みたいな。あと、エディと揃って病んでますしね」
 なんせ、あのラストシーンだ。
「究極にはアラン×エディみたいなのが好きなんですけど、もうちょっと創作に幅が欲しくなったっていうかー。このまえすっごい小説読んじゃって刺激されちゃって!」
「すごい小説?」
 きらり、とシュネーと揚羽の目が光る。
「エドガーさんの新作です! ‥‥っていっても、前回の続きじゃないんですけどね、ブランシュの緑分隊長と灰分隊長が○○で××で、さらに冒険者が入って三角関係で***な! 職場には持ち込み難いから、集会場所に置いてあります」
「次の集まりの時に見に行くわ‥‥あなたも、行くでしょう?」
 シュネーが、揚羽に問いかける。揚羽は、少し考え‥‥やがて、意を決したように頷いた。内心拳を握り締めたシュネーとエーディット。
「あ、でぇ、話戻りますけどー」
 衝立の向こうで、男3人が『戻すなよ!』と切実にツッ込んだ事など露知らず、続けるカーラ。
「大きな話にはしないつもりです。情景描写に近いかな? 習作ってことで」
「私は構いません。楽しみですね」
 頷く揚羽。
「そうだね、それが君の力となるのなら、賛成だな」
 微笑む王子エーディット。
「別にいいんじゃないの?」
 そっけない口調のシュネー。しかしその目には熱っぽい光が宿っている。
 反対してくれ、という男性諸氏の、切なる願いなど全く持って感知せず、さくっと話を進める女性達。
「わーい。2,3日で仕上げますね! ‥‥じゃ、私はそろそろ仕事に戻ります」
 その後ろ姿を見送ってから、シュネーが少し表情を翳らせた。
「‥‥私、実は‥‥ロシュに淡い思いを抱いている」
 勿論嘘。外に引っ張り出す事には成功したから、次の作戦を実行に移すのだ。
「まぁ‥‥」
「でも、彼らの絆の前には私のような小娘の入る余地はないの‥‥」
「そう‥‥ね‥‥見た限りでは‥‥」
 どう考えても、ロシュはリュージュに夢中よね‥‥と気遣わしげに呟く揚羽。
「だから‥‥せめて貴女には‥‥素敵な人と結ばれて欲しい‥‥」
「どうしましたの? 急に。‥‥かつてね、結ばれました。相手は、先に旅立ってしまったけれど」
 苦笑を浮べる揚羽。そこへ。
「こんにちはー」
「あら? 芸人さん」
 ジュエルが現れた。
「揚羽さんに紹介したい人が‥‥いるんです」
 そう言いつつも、歯切れが悪い。
(「どうしたの?」)
 シュネーが目で問いかけた。
(「え〜‥‥っと」)
 視線を泳がせるジュエル。正直、紹介しても良いものがかなり迷った。が、バジル本人が強く、それは強く面会を望むものだから、つい、押し切られて連れて来てしまったのだ。
 ジュエルの後ろから、優しげな青年が、崇拝と恋情に頬を染め、現れた。
「はじめまして。お会いできて光栄です。僕はバジル。バジル・メグレーと申します」
「‥‥? はじめまして。揚羽・リヴェットです」
 初めて会話を交わした感激に、青年の顔が輝く。その様子を見届けて、シュネー、エーディット、ジュエルはそっと席を離れた。
「恋愛経験のない私がアドバイスってのもアレだったかも知れないけど‥‥。想ってくれる人がいる事の幸せさは、知って欲しいわね」
 かつて愛した人について、こんな遠くの地までやってきた揚羽である。きっと、内に秘めた逞しさもあるだろう、とシュネーが呟いた。戸惑いながらも、楽しそうに話をしている揚羽を、横目で捉え、微笑みながら。

 同じ頃、衝立の向こうでは、蒼樹が『お会計は1Gです』と告げられ、食べ過ぎた、と頭をかいていた。

 そして、翌日。訪れたシュネーに、
「昨日の、バジルさん? ものすごく、良いウケ顔だと思いません? 私、つい色々と想像してしまいました」
 と告げ、脱力させた揚羽であった。
「ウケ顔‥‥ああ、でも確かにそうかも‥‥っていうかまさにそうじゃないの! 私としたことが、気付かなかったなんて‥‥」
 と、思考が進んでいく辺り、シュネーもすっかり漬かりきっていた、という事か。

 そして、時間は冒頭へと戻る。
「本当に、3日で仕上げてしまったんですね」
 驚きの溜息を漏らす揚羽。
「のるまんでは、おとこどうしの、こいは、きんしではありまセンカ?」
 そして、冒険者の紹介でやってきた楓の姿があった。
「禁止だからこそ、人は惹かれるのよ」
「なるほど、デス」
 『ノルマンの事は何でも知りたい』楓は、しっかりと頷いたのだった。

 依頼最終日、冒険者達は依頼人パトリシアの所へ集まった。
「皆さん、どうもありがとうございました。揚羽は、少しずつ外と繋がりを持ち始めていますわ。ジャパン人のお知り合いも出来て、嬉しそうですし。‥‥バジルの事は、気がかりではあるのですが‥‥」
 つい、と視線を逸らす。
「まあ、なるようになるでしょう。彼女は、もう1人ではありませんから」
 あとは本人達次第、としか言いようがない。
「報酬は、ギルドに送らせて頂きましたわ。それと、もうひとつ‥‥」
 言うと、部屋の額縁を外した。額縁の後ろは四角い凹みになっていて、ぎっしりと本が詰め込まれている。パトリシアは、そこから同じ装丁の本を数冊取り出すと、冒険者達の前に並べた。
「皆さん、素敵なお芝居を企画して下さったとか。もし、こういった方面にご興味がおありでしたら、試しに一冊如何です? 秘密さえ守って頂けるのなら、差し上げますわ」
 写本、クリスティアーヌ・アンジェ著『蒼海に夢は咲き』。
「あ、シュネーさんは、エドガーさんのお友達でしたわね? カーラが、彼にも渡して欲しいと申しておりましたわ。機会があったらで良いからって」
「了解。‥‥私も、元々カーラから貰う約束だったもの」
「折角、ゲルマン語勉強して、読めるようになったんやし」
「勿論読みますよ〜♪」
 あっさり手に取った、シュネー、ジュエル、エーディット。
「まあ‥‥、知識があるに越したことはないよな」
 店のこともあるし‥‥と、若干迷いながらも手を伸ばすロックフェラー。
「‥‥‥‥」
 無言で、視線を交わすリディエールと蒼樹。
 彼らは、手に取ったのか、否か。
 後に、リディエールはこう証言している。
『誰も居ない筈の背後から、ものすごい圧力を感じたのです‥‥』
 ‥‥と。

 かつて、寄る辺を求め、月の道を辿った東国の蝶は、突然、しるべの月光を喪い、自ら狭き籠の中へ。
 ようやく見つけた、新たな蜜は、禁忌の味。彼女が、新たな花にとまる日は、来るのだろうか。
 それは、まだ誰にもわからない。