往き過ぎし時の歌を

■ショートシナリオ


担当:紡木

対応レベル:フリーlv

難易度:普通

成功報酬:4

参加人数:6人

サポート参加人数:-人

冒険期間:02月10日〜02月13日

リプレイ公開日:2008年02月19日

●オープニング


 硬い表情でレオンを見つめる少女。エルフの女性が、そっと彼の隣を離れ、少女に場を譲る。
「こんにちは」
 声が、少し震えた。
「アメリーさん、でしたね。改めて‥‥レオン・ランベールです」
 本当に、似ている。冒険者ギルドの前で見た時は、時が遡ったように思えた。
「ユルバンから、何か聞きましたか?」
 でも、今は違う。
「ギルドで聞いた以上の事は、何も。父は、あなたから聞いた方がいい、と」
 エルザの眼には、強い意志の光が宿っていた。レオンの全てを、見抜こうとするような。自分の意思全て、伝えようとするような。アメリーには、それが無い。
「そうですか。リュシアン‥は?」
 びく、とアメリーの肩が強張った。
「家に」
「アメリーさん」
 彼女と話すのは、もっと辛いと思っていた。確かに、鈍い痛みに胸がうずく。しかしそれは、予想よりも、遥かに小さい。
「私は、あなたの兄に‥‥私の子に、会いたい」
 先程、自分がどういう立場で会いたいのか、話してみてはどうかと言われた。
「でも‥‥会った上で、どうしたいのか、よく分らないのです。正直、まだ自分に子供がいるというのも‥‥あなた達の母親が‥‥つい数年前まで生きていたということへの実感も‥‥湧いてこない」
 彼女に良く似た実の娘が、目の前に立っているというのに。
「ただ、これだけは。‥‥あなた方から、何かを奪おうと、思っているのでは、ないのです」
「‥‥はい」
 伝わったかは、分らない。ただ、彼女は小さく頷いた。

 リュシアンは、確かに自分と良く似ていた。『私の子』。その不思議な感覚はまだ掴みきれず、戸惑いがレオンを包む。しかし、それは不快ではなかった。
 彼は、静かな瞳でこちらを見ていた。レオンが話す、彼とエルザの話を、黙って聞いていた。
『まだ、良くわからない‥‥。やっぱり、父親は父さんだと思うし‥‥』
 それが、当然なのだろう。
『でも‥‥レオンさんの事は‥嫌いじゃ、ない‥‥かな。もっと、色んな話が、聞きたい』
 レオンは、暫く村に滞在する事になった。アメリーの態度は相変わらず硬く、きちんと話が出来ていないが、リュシアンとは色々な話をした。彼が音楽に興味がある事も、すぐに知れた。
『バード‥‥良いかなって思ってること、父さんとアメリーにも、話した。父さんは、良いんじゃないかって。アメリーは、複雑そうだったな‥‥』


 村にやってきて2日目。
「お前‥‥レオン、か?」
 戸外で、壮年の男に会った。
「‥‥久しぶり」
「‥‥っ! 二度と、村に来るなと言った!!」
 胸倉を捕まれる。怒りに満ちた声、視線。
「もう、いいだろ。村長」
「ユルバン。でも、お前‥‥」
「あんた達は、エルザからこいつを奪った。こいつからエルザを奪った。‥‥2人とも、禁忌を犯した罰は、十分受けた。エルザはもう居ないんだ。‥‥こいつを、村に入れない理由は、もう無いだろう」
 静かな声。一瞬顔を歪めると、村長は手を離し、靴音高く去っていった。
 彼は、陽気な青年だった。楽しいことが好きで、レオンが村に寄る度に、家に招いて、歌わせて。
『エルザは‥‥死んだ。お前が、殺した!! ‥‥もう、二度と、村へは、来るな』
 目を閉じる。蘇るのは、最後に会った時の事。陽気な笑顔は何処にも無かった。歪ませた顔は、まだ若々しかった。
「時が、流れたんだね」
「ああ。‥‥リュシアンが、年月の証だ」
 庭先に視線をやるユルバン。聖夜祭の後に植えた若木と、背比べをするリュシアンの姿があった。


「私は、春が来たらノルマンを出る」
「‥‥そう」
 じゃあ、この人に教わるのは無理かな、と考えるリュシアン。レオンに色々と教えて貰えたら、と思っていたのだが。
「元々旅烏だからね。そろそろ‥‥1度離れて、色んな事を整理したい」
 正体もなく、虚ろに彷徨っていた長い年月。しかし、レオンに何も‥‥忘却すらもたらさなかったそれは、リュシアンをここまで育て上げた。時は、誰の上にも等しく流れ、しかし、その意味は誰とも違う。
「正直、この国に居るのが、今は辛い。痛い。‥‥でもね、今までの痛みとは、少し違う。受け止めて、整理が出来たら‥‥私は、もう一度生きる事が出来るかも、しれない‥ような‥‥そうでもないような‥‥」
 自信なさげにフェードアウトした声に、リュシアンは笑った。
「なんだよ、それ」
「ロシアに行こうと思ってる。冬は厳しいけど、春になれば、何とか。短い夏が、とても美しい所だ」
 旅で見た景色を思い出す。何の感慨も呼び起こさなかった『美しい景色』。今のレオンには、どのように見えるだろうか。きっと違って見える‥‥ような気がする。
「バードになりたい?」
 唐突な話題転換に、リュシアンは少し驚く。でも、レオンの顔が真剣なのを見て取ると、はっきりと答えた。
「うん」
 焦って、大切なものを見失わないで。
 何でも、がむしゃらにやって見ると良い。
 ‥‥色々な、言葉を貰った。ひとつひとつ、思い返して、自分の胸に問い掛けて、出した答え。
「自分で立てるようになりたい。その為に、歩き始めたい。焦ってる訳じゃ、なくて‥‥あ、少しは、焦ってるかもしれない‥‥けど、でも、それだけじゃ‥なくて」
 懸命に、言葉を紡ぐ。
「色んな、人に‥‥会ったよ。みんな、寄り添って、でも、寄りかからずに‥‥生きてる。そう、なりたい」
 父、妹、先達や、友人‥‥沢山の、大好きな人達と。
「歌ってると‥‥すっとする」
 胸の疼きも、湧き上がり自分を飲み込もうとする衝動も、ゆっくりと治まっていく。まだ、失敗だって、少なくないけれど。
「‥‥もっと、歌いたい、奏でたい。でも、僕には、技術がなくて‥‥それが、時々、もどかしい。だから‥‥」
「そうか」
 レオンが、リュシアンを見つめる。
「この村に居るのは‥‥辛い?」
「は?」
 またしても飛んだ話題に、リュシアンは首を傾げる。
「‥‥辛い、ことは、沢山あった‥‥ある、よ。幸せだったことも、沢山。僕はここしか知らない。ここが、全部だから」
 ぽつぽつと語る表情は、少し、苦しそうだ。
「一緒に、行かないか?」
「‥‥え?」
「ロシアは、ハーフエルフが差別されない国だ。1人1人、時の流れが違う家族だって‥‥」
 堂々と寄り添う人間とエルフを見て、胸が焼けるように痛かったのを、思い出す。
「君が、もっと上手く‥‥安らかに、生きていく方法も、見つかるかも知れない。誰も、君を責めない場所へ、1度‥‥行ってみないか?」
「でも‥‥」
 ふと、浮かんだのは妹の顔。
「故郷を、棄てるんじゃないよ。‥‥でも、ここに居るのは、辛そうだ。辛いことが積み重なって、いつか、幸せな思い出を押しつぶしてしまう前に、1度離れて、見つめ直してみないか、という事だよ」
 レオン自身が、そうしようとしているように。
「そうやって、乗り越えたら‥‥また、何かが見えてくるかも知れない」
 レオンが、もう一度生きられるかも知れないと、思っているように。
「私も、一応長くバードをしているから、教えられることはそれなりにあるよ。あまり優秀な師ではないけど‥‥」
 かつて、全ての歌を棄てた。唯一取り戻したのは、鎮魂歌。他の歌を再び拾い集めるのは、大変な作業だろう。1曲1曲に込められた思い出に、想いに、押しつぶされそうになるかもしれない。けれど、リュシアンが側にいたら‥‥
「少し、考えてみて?」

●今回の参加者

 ea1641 ラテリカ・ラートベル(16歳・♀・バード・エルフ・ノルマン王国)
 ea3869 シェアト・レフロージュ(24歳・♀・バード・エルフ・ノルマン王国)
 ea8898 ラファエル・クアルト(30歳・♂・レンジャー・ハーフエルフ・フランク王国)
 ec1358 アルフィエーラ・レーヴェンフルス(22歳・♀・バード・ハーフエルフ・フランク王国)
 ec1523 レミア・エルダー(18歳・♀・ファイター・ハーフエルフ・イスパニア王国)
 ec2830 サーシャ・トール(18歳・♀・レンジャー・エルフ・ノルマン王国)

●リプレイ本文

「進む道が決まったんだね」
 久しぶりに会った大切な友達と、色々な話をした。将来の事、父親の事。
「おめでとう、リュシアン。1歩、目標に進んだね」
 服の下から、2人揃いのネックレスを取り出し、レミア・エルダー(ec1523)が笑顔を見せた。
「うん。目標があると世界が違うって‥言ってたよね。その、通りだと思う」
 その日を過ごすことが、全てだった頃。何も見えなくて焦っていた頃。そのどちらとも違う。遠いけれど、見渡す先に何かがある。
「だから、ね」
 リュシアンは告げた。しばらくの別れになるかも知れないこと。
「‥そっか」
 レミアは気付いた。リュシアンは、心の底ではもう決めていること。
「‥あれ、おかしいな」
「レ‥ミア?」
「リュシアンの道が決まって嬉しい筈なのに‥何で胸が痛いんだろ。何で‥‥」
 レミアの頬を伝った雫に、リュシアンがたじろぐ。
「‥寂しいよ、リュシアン」
「うん‥僕も」
 色々考える事が多くて、気付いてなかったけれど、僕は寂しいんだ、と気付く。家族と別れることも、優しい人達と会えなくなることも。
「でも‥離れても‥繋がってるって、信じられる」
 それが、きっと絆というもの。

「レオンさんと色々喋った?」
 ラファエル・クアルト(ea8898)の言葉に頷き『色々』について話すリュシアン。
「旅に‥って、その事、アメリーちゃんに話した?」
「話そうと‥思ってる」
「それじゃあ‥‥」

 リュシアンが話す前に、少しアメリーと話がしたい、とリュシアンに告げたラファエル。
「最近、どんな様子?」
 出会ったばかりの、親子は。
「そうですね‥相性、良さそう。まだ、遠慮がちですけど」
 口元で微笑んで、でも、目は合わせようとしない。その肩を、ラファエルが掴んだ。
「この前、何でも‥って言ったわね。あなたは何を押し込めてるの?」
 まっすぐに覗き込んでくる視線に、アメリーがたじろぐ。
「リュシアンが決める事。そう言った、そう思う。けど‥自分の気持ちも言ったっていい。あなたの心をわかれないまますれ違うことになるのは、嫌だと思うわよ」
「だって‥‥」
 視線が、彷徨う。
「ちょっと‥待って、下さい‥‥」

 整えられた墓地に、そっと白薔薇の造花を添えるサーシャ・トール(ec2830)。
「第3者が祈るまでもないと思うけど」
 レオンさんとアメリーさん御一家の事をよろしくお願いします。エルザ・コストと刻まれた墓碑を前に、目を閉じる。
「サーシャさん?」
 振り向くと、冬の花を手にしたレオン。
「ありがとうございます」
 視線は、添えられた薔薇の花。
「いや‥‥」
 2人、家への道を辿る。
「宿を探すついでに、村を回ってきたよ」
「平和な村でしょう? いつ来てもあまり変わらない」
 昔は、そんな所が好きだった。
「だから‥村娘の駆け落ちや、ハーフエルフの誕生は、本当に大事件で‥‥」
 レオンは、少し決まり悪そうに視線を外す。レオンが来た事は、色々な所で噂されていた。
「悪意の噂ばかりじゃなかったよ」
 それは、本当。リュシアンの狂化が最近は落ち着いてきたらしい、時々あの家から歌声が聞こえてくる、そんな話も、聞いた。
「皆、レオンさんを嫌っているっていうより、どうしていいか、戸惑ってるんじゃないかな」
「そうだと‥良いのですが」
 自分の為ではなく、リュシアンや、アメリーの為に。

「本当に優れた歌い手って、聴いてくれる方の心が求めてる歌を唄える人なのですって」
 と、ラテリカ・ラートベル(ea1641)。
「誰かを想ったり、考えたり。それでも、心は見えない事のほうが多いですけど‥‥。でも今、アメリーさんが欲しいお歌を歌えるは、リュシアンさんしか居ない思います」
「うん」
「お歌‥差し上げて下さいね」
「‥そう、だね。あ、レオンさん」
 連れ立って歩いて来るエルフに、手を振る。
「初めまして。お会いできて嬉しいです」
 ぺこん、と頭を下げたラテリカに、レオンも挨拶を返す。
「‥そっくり、ですね」
 レオンの背中を見送って、ラテリカが呟いた。

 その日、リュシアンは父と妹に、レオンに誘われた事を‥‥そして、行こうと思っている事を、話した。


  行かないでここにいて そう叫びたい
  寂しさで心が壊れそうだよ

  私の気持ち全て 何もかも
  貴方に伝わればいいのに

  頬伝う涙は 困らせたい訳じゃない
  ただ今は 貴方の為に笑えそうにない

  どうか

  行かないで ここにいて
  後少しだけでいい 待っていて欲しい

  もっと強くなるから
  笑顔で貴方を送れるように
  私も探す 自分の為に

  いつか離れるのならば
  運命が2人を別つならば
  今はまだお願い 隣にいて


 アルフィエーラ・レーヴェンフルス(ec1358)が歌を紡ぐ。まだ11だった頃、修行に出る兄を大泣きしながら困らせた時に、作った歌。この気持ちの何処かが、アメリーと重なるのではないか。そう、思って。
「アメリーちゃんは、どうしたい?」
 竪琴を置いて、向き直る。
「リュシアンさんにまだ村に居て欲しい? 前回は状況が状況だったけど今回はアメリーちゃんの想いをお兄さんにありのままぶつけても良いと思う」
「私の、想い‥‥」
 リュシアンが村を出るかも知れないと言ったとき、やっぱり、と思った。
「そうね、私はずっと一緒に居たくて、だから‥レオンさんの事も、言いたくなくて‥‥」
 レオンは変化をもたらす。それを、何となく感じていたから。
「ここ最近で一気に色々状況が変わっちゃったものね。今までの生活ペースが乱れたんだもの。アメリーちゃん‥気持ちの整理が追いつけないわよね?」
「ええ‥ぐるぐる、考えたわ。考えすぎて、すっかり沈んじゃったわね」
 ごめんね。小さく呟く。
「何が起こるか分からなくて、不安だった。でも、はっきり聞いちゃって‥却って落ち着いたかも。心配かけて、ごめんね。‥ううん、心配してくれて、ありがとう」
 そう言って笑う顔が少し苦しそうで、アルフィエーラは胸に痛みを覚えた。

「どうして」
 部屋の外で、様子を伺っていたラファエルが呟く。
 どうして、そんな風に笑うのか。押し込んでしまうのか。ため込み過ぎたものを、どう処理していいか分からなくなっているのだろうか。思えば、初めて会った時からそうだった。
「誰も、悪くないのに‥‥」

「レオンさんがリュシアンさんを奪うじゃなく。リュシアンさんがアメリーさんを忘れるじゃなく。リュシアンさんの世界が1歩、広がっただけ思います」
 ラテリカの眼差しはどこまでも真直ぐだ。
「ええ。私も、そう思います」
 抑えた笑みを浮べるアメリー。
「でも‥アメリーさんの気持ちも、世界中に聞こえるよに、好き、悲しい、ごめんなさい‥心が叫ぶ事、そのまま言葉にして良い思います。溜め込んだら、心が破裂しちゃいますもの」
 それは、心のままの素直な言葉で‥とても、とても優しく響いたけれど、アメリーは静かに首を振った。
「我慢している私は、可哀想じゃないんです。そういう自分でありたいんですもの」
 ここのところは、少し‥大分、揺れてしまっていたけれど。
「皆に心配‥掛けちゃったみたいです」
 リュシアンもアルフィエーラも、他にも皆、アメリーを心配そうに見つめていて。それに気付いたら、何だか恥ずかしくて。
「‥そんな事にも気付かないくらい、動揺してたみたいです。駄目だなぁ」
「アメリーさん‥‥」
 言葉が伝わりきらないのを感じて、ラテリカはさらに言い募る。
「もし‥行かせてあげたい気持ちと、離れたくない気持ちが同じなら。アメリーさんもご一緒なさるのはどでしょうか」
「‥え?」
「レオンさんもユルバンさんも、ダメって仰らない気がします」
「‥‥父は、駄目って言う気が‥‥」
 普段のレオンと父のやり取りを見ていると、そんな気がする。何となく。
「ここでリュシアンさんの心の故郷をお守りする事、離れずに居る事。最初からこれは出来ないって諦めるじゃなく、一緒に並べて、ご自分で選んで欲しいです」
「‥私が行ったら父さんが1人になっちゃうし‥母さんも。リュシアンは目的があって行くから、ただ、一緒に居たいって私がついて行くのは、違うかなって」
 一緒に、行ける筈がない。行きたいとも思わない。けれど、ラテリカの一生懸命な言葉は、とても嬉しくて‥‥ありがとう、と小さく呟いた。

「レオンさん‥少し、良いですか?」
 レミアが、レオンを呼び出した。
「私、以前ロシアに居たんです。‥ロシアは確かにハーフエルフ至上主義で、差別がない。ノルマンから比べるとそれは大きな事だけど、でも、それだけです。貧富の差は激しいし、開拓の為に難民の数も日々増加してます。私は家族も居るこのパリの方が正直住みやすいと思いました」
「ええ。私も、ロシアに居た事がありますからその辺りは」
「どうか、貴方とリュシアン、アメリーさん達にとって一番良い結論を出す為に話し合って下さい‥お願いします!」
「元より、押し付けるつもりは無いのです。ここを離れない道を選ぶなら、それでも良い。ただ‥‥私は、私に出来る事で、良いと思う事を、示しただけです。意見を求められれば、ありのまま答えますし、それを聞いてどうするかは‥‥あの子が、きちんと決めるでしょう」
 そして、レオンは少し目を細めた。
「それにしても‥あの子は、良い友達が居て幸せですね」

「少し、良いですか?」
 夜。ぼんやりと星を見上げていたアメリーの横に、シェアト・レフロージュ(ea3869)が腰掛けた。
「リュシアンさんに、先刻、歌をひとつ教えて貰いました」
 ふわり、と。アメリーを柔らかな腕が包んだ。そして、妙なる歌声が降りて来る。
 アメリーは息を呑んだ。懐かしい、懐かしい歌。母が好きだった子守唄。
 シェアトは、歌う。
 リュシアンは、そのまま前を進むだろう。けれど、アメリーは。少し戻って歩きなおしてもいい。彼女には、母親が亡くなったときから、止まってしまった部分があるのではないか、そう思うから。1人で抱えて、守って、それでも顔を上げて生きようとしていた少女。守ることで、寄りかかりあっていたのかも知れない。だから‥兄が1人で立とうとしているのが、怖いのではないだろうか。
「う‥っく」
 喉を詰まらせたアメリーの背を、そっとさする。
「皆‥優しいんです」
 ぽつり、ぽつりと話始める。
「泣いていい、喚いていいって。でも、どんなに叫んでもリュシアンは行くでしょう? ‥ううん、もし私のせいで、行けなくなったら‥‥」
 行って欲しくない。でも、行って欲しい。
「笑顔で送る私で居たい。我慢したくてしてるんです」
 変化が怖くて、落ち込んで、周りに心配を掛けていた。その事に気付いたから、また顔を上げなくちゃと思って。それなのに、泣いていいと言われる度に心が揺れる。‥それでも、全部曝け出すことなど、出来なかった。兄の為自分の為、抑えて飲み込んで、顔を上げる事で、アメリーは立っていたのだから。その支え全て外して泣き崩れたら、もう2度と立ち上がれない気がして、怖かった。
 安心して全て解き放てた、たったひとつの場所は、もう戻らない。‥その筈だった。けれど、温かい腕。降ってくる子守唄。あの場所が‥あの人が、戻って来たような、そんな優しい錯覚。
「‥ひっ‥っく‥‥う‥うわぁぁぁん」
 相手の服が濡れてしまうことも気遣えず、何が苦しいのか悲しいのか、そんな事も考えず、ただ衝動に任せて子供のようにしがみ付いた。心の奥底に沈んだ冷たい塊が、ゆっくりと解けて流れ出す。声が枯れるまで叫んだ。絶えず降り注ぐ子守唄が、アメリーを守り、赦してくれていたから。

「ごめん、なさい」
 ひとしきり喚いた後、ガラガラの声で呟いた。
「こんな‥子供みたいで、恥かしい」
「大丈夫。真直ぐに思うお友達があんなにいるあなたは、とても素敵です」
 アメリーは、ありがとうございます、と呟き、大切な人達を思い返した。必死に想ってくれる心が、どれだけ支えになっている事か。
「これから見つけていけば良い。あなたに出来る事」

「アメリー、ちょっと良い?」
「うん」
 次の日。兄妹は、長い長い話をした。兄は、背中を押す沢山の言葉を抱いて。妹は、タリスマンを握り締めて。日が暮れて星が光るまで。
 冒険者達は、ただ、時折流れてくる子守唄に、そっと耳を澄ませていた。

「ロシアはハーフエルフには優しい所だよ。王様もハーフだし」
 夕食を皆で囲んだ。レミアやサーシャが腕を振るった食卓。サーシャが仕入れてきた野菜や、お土産のルージュハムにブリーチーズ。賑やかな食卓に話も弾む。
「冬は物凄い寒い。それでもスコップレースとか雪の妖精を観に行くとか‥‥冬限定のイベントは色々あるよ」
 楽しげにロシアの話をするレミア。レオンが、くすりと笑みを漏らした。問題の多い国、楽しい国。どちらも、その国の一面だ。
「その後に来る春や夏は‥気持ちいいよ♪ 何かこう‥待ってました! って感じで」
 リュシアンは、再度話し合って、改めて出発を決めた。
「どんな道を歩いても、応援してる」
 頭を抱くラファエルの腕。その温かさを確かめるように、リュシアンは頷いた。

 夕食の後は、バード4人と、リュシアンで合奏。
 春は旅立ちの時。けれど、まだ冬は長く。ゆらめく暖炉の炎を見つめ語りあう事も、その時間も大切に大切に‥‥。
 そんな、緩やかな曲を、奏でる。
 鍛え上げられた声に、拙い声がかき消されないよう、こっそり調節して。
「そうだ、お母さんが教えてくれたなかで、1番好きな歌を聞かせて欲しいな」
 と、サーシャ。
「子守唄、なんだけど‥‥」
 リュシアンが歌うそれを、アメリーは、そっと目を閉じて聴いていた。

「帰って来て良かったね。その指輪がノルマンにあって本当に良かったよ」
 帰り際、レオンに声を掛けたサーシャ。レオンは、自分の為だけでなく、リュシアンが堂々と誇りを持って生きていけるように、偏見も差別も受けずに人を愛する事が出来るように、それを希い旅に誘ったのだと、彼女は思っている。リュシアンにそれを告げたら、静かに頷いていた。
「はい‥‥。もしかしたら、導いてくれた、のかも知れません」
 リュシアン達との出会と‥サーシャ達との出会を。そっと、服の上から指輪を押える。

「これ、ロシアの親戚の家の住所」
 メモを手渡すレミア。
「友情の絆‥‥この先ずっと持っていよう? いつか2人で思い出話が出来る位に!」
「うん。きっと」
 ペンダントを押えて、リュシアンが頷いた。

『母さん‥ごめんなさい‥わ、たし‥ごめんなさい』
 帰る道すがら、ふと、泣きながら何度も呟いていた言葉を思い返すシェアト。きっとそれが、心の1番奥にずっと仕舞いこんでいた、今のアメリーの根本にある『何か』。
「どうかした?」
 顔を覗き込まれて、いいえ、と返事をする。
 共に生きているけれど、足並みも歩幅も違う人。けれど、確かに隣を歩いてくれている人。
「もうすぐ‥‥春が来ますね」