旅立つ日

■ショートシナリオ


担当:紡木

対応レベル:フリーlv

難易度:普通

成功報酬:4

参加人数:6人

サポート参加人数:2人

冒険期間:03月21日〜03月26日

リプレイ公開日:2008年03月31日

●オープニング

「アメリー、ちょっと良い?」
 きちんと話し合った方がいい。そう言われ続けた。その方が良いと思っていた。でも、何となく避けていた。どうして良いか分らなかったから。けれど、背中を押す沢山の言葉を抱いて、リュシアンはアメリーの横に座る。
「僕‥行くよ」
「‥‥うん、わかってる。頑張って」
「うん」
 沈黙が、落ちる。
「アメリー。僕は‥いつだって自分の事で‥精一杯だった」
「仕方が無いわ。当然でしょ」
「母さん‥僕のせいで‥‥」
 アメリーが、息を呑んだ。リュシアンは、1度、言葉を切る。
「‥そんな風に、思って、辛くて‥狂化して‥‥。でも、ひとりで生きていけるようにならなきゃって思い始めて‥‥」
 振り返っている余裕が無くなった。狂化も、少しずつ治まるようになった。
「そんな風だったから‥気付かなかった。アメリーが‥アメリーも、そんな風に思ってたこと」
 リュシアンが子守唄を歌った夜、彼女は1人泣いていた。
『母さん‥ごめんなさい‥‥』
 その時、知った。アメリーもまた、同じだということ。リュシアンが前を向いて初めて、アメリーは深く深く押し込めた悲しみに気付いた。そんな余裕すら、妹から奪っていた。
「でも、僕じゃ駄目だと思った」
 気付いてしまった、気付くことのできた悲しみを、リュシアンでは癒せない。癒せる人は、もうこの世の何処にもいない。そんな風に思った。
「でも‥言われたんだ、レオンさんに」
 リュシアンからだって、罪の意識が消えた訳ではない。省みる余裕がないだけで、ふとした瞬間に、かつて心を壊した言葉と感情はせり上がってこようとする。これは、一生融けることのない氷だと思っていた。けれど。
「僕やアメリーが居たから、母さんは生きてこられたって」
 レオンのように彷徨うのではなく、日々を見詰め、生を見詰め、育つ者を見守りながら、生きた。
「うん‥‥」
 アメリーが膝を抱いて目を閉じた。言葉を、ひっそりと噛締めるかのように。
「‥‥」
『本当に優れた歌い手って、聴いてくれる方の心が求めてる歌を唄える人なのですって』
 アメリーは、どんな歌を求めているだろうか。
「ああ‥そっか」
 昨夜の光景を思い出す。
 絡み合って凝り固まって‥今にも崩れ砕けそうだった妹の心。それを、ゆっくりと溶かした歌。
 どこか焦点が合わず、ふわふわと漂っていたレオンの心に、入り込んだ歌。
 リュシアンは、歌う。
 懐かしい歌を。懐かしい人が、愛した歌を。懐かしい人が、愛した人から授かった歌を。

「レオンから、手紙が来た。‥‥出発の日が、決まったよ」
 夕食の時、ユルバンが告げた。
「うん」
 リュシアンが頷く。
「必要そうなものは、大体揃えたわ」
 背嚢や外套は、アメリーが作った。旅立つ兄の無事を願って。
「アメリー、お前、どうする?」
「え‥‥?」
「俺も、そう家に居られない。今までと同じでな。お前は‥‥ここで1人で暮らすのか?」
「‥‥」
 リュシアンが旅立つと聞いて、アメリーがまず不安に思った事だった。この村は、1人で暮らすにはあまりに寂しい。
「僕が‥居なくなれば、アメリーも少しは暮らしやすい‥‥と思うけど‥‥」
 忌まれているのはハーフエルフのリュシアンであり、アメリーではないのだから。
「他に如何しようもないじゃない? まさか、嫁に行けとか言わないでよ?」
 最後は少し冗談めかして。
「それに‥母さん、1人に出来ないじゃない」
「あのな‥‥」
 ユルバンは、少し考え、そして言葉を継いだ。
「どうして、俺がこういう仕事しているか‥続けてこられたか、どうしてずっと母さんとお前たちが村で暮らして来たか、分るか?」
 危険も、家を離れる事も多い仕事だ。アメリーは、時折思った。父が、常に村に居てくれたら良いのに、と。どうしようもなくなったリュシアンを抱えたアメリーを置いて、それでも家を空ける父を、恨めしく思った事もあった。
「昔母さんに言われたんだよ」
 それは、彼らが夫婦になる前。
「『結婚しようって、言ってくれるのは嬉しい。でも、1つ約束して。私とリュシアンの為に夢を捨てるような事は、絶対に止めて。そうじゃなきゃ、結婚なんて絶対しない』ってな」
 ハーフエルフの子供を抱えたエルザと結婚する事は、ユルバンの生き方を大きく変えるだろう。エルザは、それを恐れた。兄妹のように育った2人は、お互いの気持ちも、夢も、よく知っていた。
「家の中が大変でも、自分が何とかするから、ってな」
 だったら、せめてパリで暮らそうと言った。その方がユルバンは頻繁に家に帰れるし‥何より、村の環境はエルザにもリュシアンにも厳し過ぎた。
「でも、それも断られた」
 いつか、皆分ってくれるから。私は1度育った場所を捨てたから、もう同じ事はしたくない、そう言って。
「エルザは、自分が生きたいように生きた。そして、俺が俺自身の為に生きる事を願った。そんな母さんが『母さんを1人に出来ない』って理由で、アメリーが我慢するのは、絶対に喜ばない」
 父が、母の話をする事は、あまり多くない。それは、思い出にしてしまう事を嫌がっているようでもあった。けれど、2年近く経って、少しずつ、母は父の『思い出』になりつつあるのかも知れない、とアメリーは思った。
「勿論、アメリー自身が、エルザの眠る場所を、リュシアンや俺の帰る場所を守っていたいと思うなら、それでも良いんだ。アメリーは、どうしたい? 望んだってそれが必ず適う訳じゃない。が、まあどうしたいのかくらいは考えてみろ」
「うん‥‥」

 庭の餌台に、パンくずを置く。少し離れて、寄って来る鳥を眺めた。
 茂り始めたクローバーを揺らす風。その風に溶かすように、歌う。鳥が逃げてしまわないように、小さな声で。
 ガサリ。
 突然生垣が鳴って、驚いた鳥が飛び立った。リュシアンも驚いて目を向けると、小さな子供‥‥3件向こうの家の女の子だった。生垣の下を這うようにして、庭に入って来る。
「ど、どうしたの‥‥?」
 戸惑いながら、話しかける。この家に、人が寄り付く事など殆どない。特に子供は、リュシアンに近づかないよう親に言い含められていると思うのだが。
「ちかくであそんでたの。そしたら、きれいな声がきこえたから」
 ぱんぱん、とスカートを払う。
「リュシアンが歌ってるの?」
「う、うん‥‥」
「まえから気になってたの。でも、リュシアンあばれるとこわいんだもの」
 その言葉に、俯く。嫌味も悪意もない正直な言葉は、却って胸に堪えた。
「けど、さいきんは、がしゃーん、とか。うわー、とか聞こえないから、いいかなって」
 じいっと、リュシアンを見詰る。
「おとうさんも、おかあさんも、リュシアン、変わったって言ってるわ」
 リュシアンは、驚いた。自分が変わることで、周囲との関係も、少しずつ、変わろうとしているのだろうか。
「なにか歌ってよ」
「うん‥‥」
 村の人々との関係は、とっくに諦めていた。笑顔の接点を作ろう、と言ってくれた冒険者も居たが、無理だと思った。けれど、光は灯せるのだろうか。母が願ったように。
 今はまだ、難しい。狂化して傷つけた記憶も、言葉や視線で傷つけられた記憶も、あまりに生々しいから。
 けれど‥‥と、思う。
 レオンの言う通り、1度離れて、気持ちを整理して。そして、少し大人になって戻って来たら‥‥いつか、笑って話せる日も、来るのかも知れない。
 隣で歌に耳を傾ける少女を見ながら、そんな事を思った。

●今回の参加者

 ea1641 ラテリカ・ラートベル(16歳・♀・バード・エルフ・ノルマン王国)
 ea3869 シェアト・レフロージュ(24歳・♀・バード・エルフ・ノルマン王国)
 ea8898 ラファエル・クアルト(30歳・♂・レンジャー・ハーフエルフ・フランク王国)
 ec1358 アルフィエーラ・レーヴェンフルス(22歳・♀・バード・ハーフエルフ・フランク王国)
 ec1523 レミア・エルダー(18歳・♀・ファイター・ハーフエルフ・イスパニア王国)
 ec1752 リフィカ・レーヴェンフルス(47歳・♂・レンジャー・人間・フランク王国)

●サポート参加者

セルシウス・エルダー(ec0222)/ ルデト・エルナン・サフラ(ec4490

●リプレイ本文

「Doy mi primer amor a usted」
 彼は、きょと、と見返してきた。2つ年下の同族の男の子。穏やかな瞳と優しい声が印象的だった。最初は純粋に友達になれた事が嬉しかった。
 でも‥‥


「とうとうこの日が来たか‥‥感無量だね」
 と、リフィカ・レーヴェンフルス(ec1752)。
 集まった冒険者達は、良い旅立ちにする為早速準備を始めていた。
「本当に、呼ぶの?」
 リュシアンは、不安な目でアルフィエーラ・レーヴェンフルス(ec1358)を見上げた。3日後にパーティ。それは、良いのだが。
「駄目ですか?」
「‥来てくれないと思う‥‥」
 手分けして書いている、村人宛の招待状。
「そう? 村の人達の様子も変わって来たっていうし、良い機会じゃない?」
 と、ラファエル・クアルト(ea8898)。
「皆さんをお呼びするとなると、椅子やテーブルもお借りする事になりますね。その時にも、重ねてお誘いしてみては?」
 シェアト・レフロージュ(ea3869)も、ほわりと微笑む。
「お花、こんなに見つけたですよー」
 少し遅れてラテリカ・ラートベル(ea1641)が到着した。手にパリで購入したドライフラワーとリボン。優しい香りが部屋に広がる。
「リボンでちょっとずつ束ねて、パーティ会場に飾るですね。終わったら、沢山の人にお分けできると嬉しです」


 翌日、ラテリカはレオンとリュシアンを誘って花と薬草を摘みに出掛けた。
「旅先で作ったお歌、お空に向けて歌って下さいね。遠く離れてても、気持ちは届く思います」
「そう、だね」
 空は、何処までも続いているから。
 ラテリカは、リュシアンに靴の手入れと手直しの道具を贈った。
「新しいお靴を贈りたかったですけど、履き慣れたお靴が一番ですものね」
 きっと、修理をする度に手入れをする度に思い出す。
「ありがとう」
 歌の事バードの事、何も知らないリュシアンに教えてくれた。いつだって家族の絆を信じて、キラキラの笑顔を浮かべていたラテリカを。
 薬草の使い方はレオンが知っているだろうから、説明は控えめ。沢山歩いてマメができた時、沢山練習して指や爪が割れた時、彼からリュシアンに伝えて欲しい。
 その意図を察したのか、レオンは穏やかな笑みを浮かべ、小さく頭を下げた。

 パーティに向けて材料を買出し。セルシウスとルデトも手を貸した。材料が揃ったら、調理に取り掛かる。レミア・エルダー(ec1523)とラファエルを中心に、ラテリカやシェアトも手伝った。鉄人の鍋を混ぜるラファエルに、シェアトが囁き掛ける。
「‥‥感慨深い、ですか?」
「そうね」
 ふっと笑んだ視線の先には、料理を手伝うリュシアン。レミアの指示を受けて、ぎこちなく動いている。
「‥焼き菓子、四葉の形‥‥」
「ラファエルさんの案なの。素敵だよねっ」
「他は?」
「えっとね、お昼のお茶会は、アーモンドのタルトと、木苺のタルト、杏と胡桃のケーキでしょ? それから‥あ、お茶はハーブティーね」

 賑やかに飾られた生花やドライフラワーの片隅に、シェアトはそっと造花を1輪加えた。聖夜の雪と呼ばれる赤い花。
「綺麗ですね」
 声を掛けられ、振り返る。アメリーだ。
「この花も、種族も時間も命も越えた想いが残した証なんです」
 あの時、シェアトは必死だった。その2人に何かを残そうと繋ごうと。けれど今では、見当違いな所を見ていたように思う。それでも、誰かが誰かの為に動く事に無駄な事は無いと思いたいし、ささやかでも何かが変わっていったその証が、アメリーだった。だから。
「胸を張って旅立ってください」
「え? 旅立つのは‥‥」
 アメリーは首を傾げた。
「後で泣いても良いから、胸を張って見送って。それがあなたの旅立ち」
「あ‥‥」
 支える事で寄り掛かり、立っていた。けれどリュシアンは旅立つから。それを自分の足で立って、見送る事が。
 頷いた。何かに追い詰められて、けれど蹲る事すら出来なくなっていた。立ち竦むばかりだったアメリーを包んでくれた人に。


 昼のお茶会には子供が数人訪れた。少し戸惑った表情で。
「さ、入って!」
 しかしラファエルの笑顔に安心したのか、集まってくる。その中の目立つ長身。年頃は、20歳位。その姿を認めると、リュシアンは一瞬立ち竦み、駆け寄った。
「ごめん!」
「‥‥何が」
「昔‥怪我、させて‥‥」
 彼と、背の丈が同じ位だった頃。遊んでいる最中に狂化した。
「謝りにも‥行かなかった」
 それをしたのは母だった。
 相手は、ちらりと目を向けると、視線を逸らし‥‥ぽふ、とリュシアンの頭に手を載せた。
「‥‥小っさ。今なら‥俺が勝つよ」
 苦笑を浮かべた口元。
「旨そうだな。夜もやるんだろ? 親父達も呼ぶから、また旨い物出せよな」
「待ってる‥‥」
 頭を掻く後ろ姿を見送っていると、両肩に手が乗せられた。
「良かったわね」
 ラファエルの笑顔。
「うん」

 夜は、昼より沢山の客が訪れた。来なかった者も居る。来て戸惑っている者も居る。けれど、笑って話している人も居る。鶏肉料理や野菜スープ、チーズパン‥‥皆で作った料理は、好評だった。
「俺は、やはりお前を許せない」
 庭の隅、村長とレオンが話していた。
「うん」
 皆エルザを大切に思っていたのだから。
「けど‥リュシアンの事は、別に考えなくちゃいけなかったんだよな‥‥」
 習いたての歌を、冒険者のバード達と奏でる少年を遠目に見ながら、村長は呟いた。

「リュシアン君は、上手くなったな」
 演奏を聴いていたリフィカとアメリー。
「皆さんが、教えてくれたから」
 アルフィエーラも、歌っている。
「‥‥アメリー君、妹と友達になってくれて有難う。妹は今でこそ明るいが子供の頃は凄い泣き虫でね。勿論友達も居なかった。冒険者としての仲間とは上手くやっているが1人の娘としての友達は‥君が初めてなんだ。君に友達になって欲しいと言われた日‥妹は久々に泣いた。最高の笑顔と一緒に涙を零していた。これからも仲良くしてやってくれ」
「はい。私も‥‥」
 兄と両親と、小さな世界で生きてきた。けれど、その世界は少しずつ広がって‥‥
「友達になってくれて、本当に嬉しかった。だから私‥」
「アメリーさんも一緒にどうでしょう?」
 言いかけた所に、シェアトの声が掛かった。
「ワンフレーズだけでも。一緒に、が大事ですから」
「あ‥はい」
 アメリーを見送るリフィカの隣に、レオンが座った。
「盛況ですね」
 こんなに来てくれるとは思わなかった、と呟くレオン。整った横顔は少しだけ疲れているように見えて、リフィカは思わず言葉を紡いだ。
「私は貴方が羨ましい」
「‥‥?」
「ここに到達するまで経た時間は長く辛かったかもしれない。だが‥愛した女性との間に子を為した貴方が、私は羨ましい」
「それは‥‥」
「私もエルフの女性を愛していた‥いや、今も愛している」
 レオンが小さく息を呑んだ。
「でも彼女は別の男との間に子を成した。私は‥彼女の子を生涯守る事で彼女への愛の証とした。それでも時々思う、叶う事なら私の子を宿して欲しかった、とね」
 リフィカが生涯守ると誓った者。それは‥‥
「そう。あそこにいる栗色の髪に翡翠の瞳の娘だよ」
 適わなかった恋の証を見詰る男の顔は、微かな寂寥と‥‥深い慈愛を湛えていた。

「まだ、信じられないな」
 アルフィエーラとアメリーが、並んで座っていた。
「うちに、人がこんなに沢山‥‥」
「良かったね」
 アメリーは、こくり、と頷いた。
「‥あのね、これ、お揃いなの。貰ってくれる?」
「わ、綺麗」
 ピンク地に花柄の、春のリボン。
「初めて会った時からもう1年、早いね。アメリーちゃんとこんなに仲良くなれて‥私、幸せよ」
 春風のような微笑。
「私‥夢を見てしまったの。笑われちゃうかも知れないけど‥いつか‥私の子供や孫がアメリーちゃんの子供や孫と結婚できたらいいな、って思ったの‥‥」
「あら‥‥」
「あ、ごめんね‥嫌‥かな?」
「いいえ」
「アメリーちゃんと私は親友だけど、いつか私達の子孫が家族になれたらいいなって思ったの‥私達の幸せがずっと続いていった証として‥ね? この夢‥見続けても、良い?」
「ええ」
 本当にそうなるかは、本人達次第だから分からない。けれど夢を見る事は出来る。未来を歌うことは出来る。
「そうなったら、素敵ね」
「アメリーちゃん、これからもよろしくね」
「こちらこそ」
 彼女が歌うように、並んで歩く先が希望に溢れていると良い。

 2人で話をしたい。レミアに呼び出され、リュシアンは家の裏で待っていた。
「お待たせ」
「‥‥!」
「変‥かな」
 ブラウライネにミスティックショール。髪は丁寧に梳かれ、ヘアピン「パルファン」で留めてある。珊瑚の指輪やリボン‥‥。アルフィエーラに少し手伝ってもらう心算だったが、何故か他の冒険者達も加わって、あっという間に飾られてしまった。
「ううん。綺麗」
「ありがとう。あのね‥伝えたい、事があるの」
「うん」
 レミアは、小さく息を吸った。
「Doy mi primer amor a usted」
「何て、意味?」
「私の母国語で‥『私の初恋を貴方に捧げます』」
 最初は、友達になれた事が嬉しかった。でも‥いつからこの気持ちになったんだろう。『旅に出る』と言われた時、溢れた涙。その時気付いたのだろうか。
 リュシアンは、ひたすら驚いているようだった。
「もし、もしリュシアンも同じ想いでいてくれるなら‥受け容れて欲しい」
 レミアは告げた。傍に居られないからという理由で断られるのは嫌だ。離れても繋がってると言ったのはリュシアンだから。私は、会いたくなったら会いに行く、と。リュシアンは、世界で1番大好きな男の子だから。
「リュシアン‥私、貴方が好き」

 彼は、狂化しそうな時は星を数えると聞いた。
「寂しいけどさ、そこまで心配してないのよね‥‥。リュシアンは、強い子、優しい子だから」
 並んで、星を見上げる。
「アメリーちゃんが、ユルバンさんが、お母さんが、レオンさんが、愛して愛し合ってきた上にそれがあるのね。体が、覚えて支えているのね」
 穏やかな声。
「偉そうなこと言ってたけど、ほんとは‥いつも貰ってばかりだったよ。ありがとう」
 真直ぐに伸びていく様。労り合う事を諦めなかったリュシアンに、ラファエルも勇気を貰っていたのだと。
「リュシアンは‥戦友みたいなものだな。リュシアンは?」
「おひさま‥‥」
 呟いた。
 顔を上げる事が怖かった。目に見える光景が、耳に入る言葉が痛かった。しかし、蹲っていたリュシアンに、彼は顔を上げるよう言った。見上げると陽光のような笑顔があった。
「嬉しかった‥‥」
 いつしか、怖くなくなっていた。顔を上げれば眩しい笑顔が導いてくれる。
「うん」
 ラファエルは、風精の指輪にチェーンを通すと、リュシアンの首に掛けた。
「あなた達に風の加護を」
 いつだってリュシアンの救いだった、全開の笑顔。けれど、そこに落ちた一筋の涙。
「やだ、ゴメ‥」
 その首に、しがみ付いた。
「ラファエルさん‥ありがとう」


 出発の日の朝。
「この間は勝手なことを言ってごめんなさい」
 ラテリカに言われ、アメリーは最初何の事だか分らなかった。
「‥ああ。いいえ」
 アメリーを思って言ってくれたと分っているから。
「でも、もしアメリーさんにも向かう先が見付かったら、ラテリカ達にお手伝いさせて下さいです」
「ありがとう。その事なんですけど‥‥」

 4月からパリで働く、と聞いてアルフィエーラは喜んだ。今までより頻繁に会える。
「アルヴィナさんが人を探していたので‥‥」
 村に残る事も考えた。けれど、少し広い世界を見てみたいと思ったのだ。

「いよいよだね」
「うん」
「‥初めて会った時、同じ異種族の兄妹で親近感があった。だが私は君に怒りを覚えた。妹を守れず殻に閉じこもっていた君が歯痒かった」
 リュシアンは頷いた。
「でも君は少しずつ変わり強くなった。君が成長していくのを会う度に感じて嬉しかった。君はもう1人の男だ。父さんと色んな世界を見るといい、それが君を更に高める」
 リフィカの顔を仰いだ。時に厳しく頼もしく、叱咤してくれた人。
「君と知り合えた事を光栄に思う、ありがとう。‥頑張れ」
 握手を交した。同じ立場の人として憧れていた。だから、1人の男として認められた事が嬉しかった。

 昨夜、リュシアンは少し時間が欲しいと告げた。呼び出すと、レミアは少し緊張した面持ちで現れた。
「少し話、聞いてくれる? 僕は‥‥」
 彼の心は、1度壊れた。それはゆっくりと修復され、成長しようとしている。美しいと思うものが、好きだと思う人が、増えた。いつか言われた。愛し愛される人が、どこかに居る、と。
「レミアが好きだよ。一緒に居ると嬉しい。でも、僕には恋が分からない」
 胸焦がす恋情は、リュシアンには難しい。自分を作ったもの。その強さゆえ多くの人生を変えたもの。
「少し、待って欲しい。僕が解るようになるまで。その時、きちんと答えを出すから」
「うん」
「必ず、レミアの所に戻ってくる。君に歌を贈る」
 リュシアンはペンダントを外した。
「持っていて欲しい」
 松明の炎のルーン。いつか帰る所の灯火であって欲しいから。
「うん‥私も」
 レミアも自分のそれをリュシアンに渡した。防護を示すイチイの木。リュシアンの護りとなるように。
「‥待ってる、リュシアン」

 墓前に、語りかける。
「この前、ありがとうって言われた」
 あの日ずっと、レオンのあらゆる『理由』も『意味』も、彼女ゆえだった。しかし、それ以外の何かを得た気がする。
「だから、少し安心して。私はやっと‥‥私自身の為にも、生きられるようになった。だから、行くよ」

「道中、お気をつけて。リュシアンさん、その竪琴は実は私が師から受け継いだ物です。どうか私達の想いが貴方を守りますように。レオンさん、ロシアにいる夫には連絡してあります。何かあれば遠慮なくどうぞ」
「忘れないで下さいね。雨が降る日が在っても、優しく包んでくれる思い出があること。凍えないよう、想ってくれてる誰かが居ること」
 旅立ちの時を、シェアトは少し離れて眺めていた。動き出した時間は、見ているだけで眩しい。
「元気で、良い旅を」
 帰りたい場所のいとしさを喜ぶことの出来る旅であるように。
 リュシアンは頷き、レミアとラファエルに四葉のクローバーを差し出した。庭には、葉が茂り始めており、何とか3本、見つけられた。
「私に2本?」
 ラファエルが首を傾げた。
「仲間の分。約束した」
 大切な人だから、その親しい人にも無事であって欲しい。
「これ、お守り‥‥」
 レミアは、ブルーリボンを差し出した。
「うん」
 受け取って、視線を合わせる。
「リュシアン、そろそろ」
 レオンに促されて、頷いた。
「父さん、アメリー‥皆、行ってきます」

 厳しく澄んだ空気が緩み、優しい春の色を湛えるようになった空の下。バードの親子は、旅立った。
 その後姿は、とても、良く似ていた。