神様が来た!

■ショートシナリオ


担当:津田茜

対応レベル:6〜10lv

難易度:普通

成功報酬:4 G 65 C

参加人数:4人

サポート参加人数:4人

冒険期間:03月26日〜04月05日

リプレイ公開日:2008年03月31日

●オープニング

 風が吹く――
 ひたひたと足元を洗うかの如く這い来たる流れは、
 いつしか巨大な海嘯となって世に満つる

 泰平に眠る古き魂を呼び覚まし
 亡国の怨霊を地の底より常世へと連れ戻す

 押し寄せ、逆巻き、薙ぎ払い、唸りを上げて世を乱し、
 また、蒼天へと駆け上がる

■□

「強い人。紹介して、誰か」

 番台に掌と顎を乗せ、低い位置から見上げてくる虚ろな視線に、手代は軽い眩暈を覚えてる。ずいぶん久しぶりに見たような気もするが、白昼夢ではなさそうだ。

「ねえ。すさのおよりも強い人、いない?」

 きょろきょろと《ぎるど》に集う冒険者たちをかってに物色しはじめたパラっ子の首根っこを掴んで番台に引き戻し、出がらしの番茶をあてがいながら手代は盛大な吐息を落とす。
 今日はまた、どんな問題を運んできたのか――

「これまでにご紹介した冒険者たちも、ちゃんとご希望どおりの働きをしたでしょうに。なんだってまた‥‥」

 誰より強い者を探しているって?
 ふと首をかしげた手代の前で、パラッ子は唇を尖らせて熱い茶碗を吹きながら困ったように眉尻を下げた。

■□

 街道ををふらりと外れ、道なき道を深く分け入った山奥に《小さな隣人》‥‥パラと呼ばれる人々の暮らす村がある。
 豊かな山と綺麗な水の他は何もない小さな村だ。――住人ともどもあまりにも小さいものだから、地図にも載っていなかったりする。
 さすがにコレではいけないと、村人たちが小さな額を寄せ合い相談した末に思いついたのが、江戸近隣の景勝地として名を広めようというものだった。
 素晴らしい(?!)案のおかげか、頑張った村人たちの尽力の賜物か。――変わったような、変わらぬような‥まあ、そんな感じで。

 さて、先日。
 この小さな村に来訪者があった。
 春の使者と喩えればいささか大袈裟かもしれないが‥‥冬の間中を深い雪に閉ざされるこの地方としては待望の雨が降った日のことで。祭り好きの陽気な村人たちは、年明け最初のこの客人を総出で歓迎したのだった。
 旅人が食べたいと望めば、こちらの沼でワカサギを釣り。あちらの日向で蕗の薹が芽吹くぞと予言されれば出かけて行って、春の味を持ち帰って御前に差し上げる。
 ん? と、思うことがないワケではなかったが、とりあえずは上手くやっていた。――否、今でも仲良くやっている。
 ただひとつ、問題なのは‥‥

「タヂカラオさんって、相撲好き?」
「‥‥いや、私に聞かれても‥」

 好きなのだ、相撲が。
 相撲というより、単に力比べが好きなのかもしれない。――巨人のように上背があってどっしりした体躯ではあるものの、他の巨人たちに比べれればいくらか小柄ですらあるというのにずいぶんな力持ちでパラっ子たちが束になって掛かっても敵わぬのだという。

「そりゃあ‥‥」

 言いかけて、手代は口を噤む。
 要するに、力仕事にはイマイチ自信の持てないパラッ子たちの劣等感を、彼は眩しく刺激するわけだ。
 とはいえ、村の者では相手にならないので、山みっつほど離れた隣の村にお願いして力自慢の若者を何人かよこしてもらったのだという。

「‥‥隣村って、たしか‥」
「うん。巨人族」

 いいのか、それで――
 あっさりと肯いたパラっ子に呆れた視線を投げかけて、手代は乾いた笑みを頬のあたりに張り付かせた。

「でも、勝てなかったし‥」
「え?」

 そう、勝てなかったのだ。
 巨人族の怪力自慢が、誰ひとり。

「絶対、ズルしてる」

 どういうワケか、身体が重く感じるのだという。
 思うように身体が動かず、気が付けば負けているという風に。――あるいは、負けた時の感覚というのはこんなものかもしれないが。

「‥‥なんか悔しいし‥」

 あの手この手を重ねても止まらない不名誉(?)な連敗記録更新の果てに思い出したのが、《ぎるど》に集った豪傑の噂であったらしい。

「だから、強い人、募集中。‥‥すさのおより強い人、誰か知らない?」
「――誰ですって?」
「知らない人」

 問い返されて、パラっ子はふるふると首をふる。
 そして、思い出した風に付け加えた。

「最後に負けた相手だって」

●今回の参加者

 ea2563 ガユス・アマンシール(39歳・♂・ウィザード・エルフ・イスパニア王国)
 eb6993 サイーラ・イズ・ラハル(29歳・♀・バード・ハーフエルフ・イスパニア王国)
 ec2524 ジョンガラブシ・ピエールサンカイ(43歳・♂・志士・ハーフエルフ・イギリス王国)
 ec3984 九烏 飛鳥(38歳・♀・侍・人間・ジャパン)

●サポート参加者

カイ・ローン(ea3054)/ 紅林 三太夫(ea4630)/ カンジス・コンバット(eb6701)/ 小鳥遊 郭之丞(eb9508

●リプレイ本文

 ぼんやりと春めく青空の下、
 旅の出発点、日本橋は今日も大勢の旅人たちで賑わっている。

「よいか。努々、馬鹿な真似をするでないぞ」
「‥‥‥うっさいわねぇ‥」

 出立の迫るこの時までつらつらと釘を刺す小鳥遊郭之丞に、サイーラ・イズ・ラハル(eb6993)は描いたように形のよい眉を顰めた。
 せっかくの小春日和だというのに、心機一転の旅立ち気分が台無しだ。

「そうは行かぬ。だいたい貴様という女は、己の損得と保身しか――」

 一応、彼女の身を案じての思いやり?
 いっそ後ろを付いて歩きたい、と。我が子を見送る母親のような心境とはこのような場合を言うのだろうか。気の晴れぬ小鳥遊の肩を、ポンと叩いた者がいる。

「の、の、プロぶれム。ミーはブシで御座る。ノー、ミーはシシでござるよ」
「は?」

 「四肢」なのか「獅子」なのか‥‥「志士」だと気づくのに、少しばかり時間を要した。その場にいた全員が独特の強い訛りに思わず息を呑み、この一風変わった赤毛の男を注視する。その間違いなく奇異なものを見つめる視線に臆することなく――否、むしろ誇らしげに――ジョンガラブシ・ピエールサンカイ(ec2524)は、胸を張った。

「気楽にジョンガラシシとよんでほしいぜひ」
「さ、さよか‥‥」

 調べあげた情報を手土産に見送りにやってきたカイ・ローン共々、九烏飛鳥(ec3984)も掴みどころのないジョンガラブシの勢いに思わず怯む。そのインパクトに短い時間でしっかり調べた諸々、あやうく記憶の彼方に吹っ飛びかけた。
 反応に苦慮する周囲にはまったく頓着しない様子で、ジョンガラブシはしみじみと自らの裡に想いを馳せる。

「スサノオ君とはもうずいぶん会っていないが彼もカザキヨ君もアマテラス子ちゃんにはあたまが上がらなかった‥‥気がする」

 今回に限っては無視できない固有名詞の羅列に、謎はいっそう深まって。ガユス・アマンシール(ea2563)の頭脳を以ってしても、少しばかり理解の範疇外――

「それほどのミーが来たからにはすでに問題はかいケツしているでしょう!」
「‥‥その言葉、待ってた‥‥頼もしい‥」

 きっぱりと力強く宣言したジョンガラブシを、本日の村への案内役は救世主が現れたとばかりに期待を込めてうっとり見つめた。

「つまり、たのむ相手をまちがえたかもしれぬこと火の如し。パラのみなさんにはスピリチアのげんせんをいしきしてがんばって欲しいぜひ」
「大丈夫。村のお風呂はちゃんと源泉掛け流し」

 もう、どこからツっこめばいいのやら――
 小鳥遊的問題児ではあるけれど。とりあえず会話の成り立つサイーラが、何だか普通に見えてきた。
 いやはや、上には上がいる。
 いささか強烈すぎる個性を前に、漠然とそんなことを思った早春の朝だった。


●神の名前

「タヂカラオってのは、力持ちで有名な神さんの名前やで」

 ローンが市中の神社や書物を当たって調べ上げた伝承に、飛鳥もまた過去に学んだ己の記憶を反芻する。短い期間とはいえ、陰陽寮に席を置いた時間は無駄ではなかった。

「特にスサノオゆーたら、下手したらこの国でいっちゃん有名な神様や」
「ああ、それで。どこかで利いたような気がしたのよねぇ」
「そんなごっつい名前で呼びあっとるやなんて。えらい自信があるんやろうね」

 油断は禁物やで、と。気を引き締める飛鳥の隣で、サイーラはごそごそと背嚢の中をかき回し、1冊の写本を引っ張り出す。
 表紙に厳めしい筆致で『古風土記』と書かれたこの本には、日本各地の産物や旧聞異事が記されていた。が、さすがに漢文主体の文体ということもあって、サイーラには少しばかり難易度が高い。堪能な者がいれば、噛み砕いて説明してもらおうと持参したのだ。

「‥‥村のコト、書いてある‥?」

 風土記にその名が載っているとくれば、文句なしの全国区。
 サイーラとは別の思惑を胸に、記された内容に期待を膨らませたパラっ子も本の内容に視線を走らせるアマンシールの顔色を伺う。

「‥‥ジャパンの神と対面できるとは信じられない」

 読み終えた本を手に、アマンシールはしみじみと感嘆を落とした。
 そう。彼らは既に遥か神話の向こうへ去ってしまったとされている。――伝承にのみ伝えられる倭国創造の真実を、直接、彼らの口から聞くことができるかもしれない。
 学者としてこれ以上は考えられる僥倖の可能性に気づいて、静かな興奮を抑えられぬアマンシールだった。
 勝負はともかく‥‥
 いや、勝負ももちろん大切だけれども。
 
 
●神様がいた!
 タヂカラオは本物か、偽者か。
 パラの村人たちと一緒に村の入口まで出迎えにやってきたタヂカラオと名乗る客を、冒険者たちは其々の視線で眺めやる。
 壮年と呼ぶにはまだ少し若いだろうか。真面目な顔をしていれば厳めしくも見えるかもしれないが、どちらかというと気のよさそうな男だ。

「あ、あの、貴方ってその‥‥本に書かれている手力男さんなのかしら?」
「本?」
「ええ。『古事記』とか『日本書紀』てゆーのかしら、よく知らないけど」
「ふぅむ。そのようなモノがあるのか‥‥」

 思い切って尋ねたサイーラに、タヂカラオは太い首をかしげる。歴史書が時代に平行して書かれることは少ないから、当事者が存在を知らなくても無理はない。
 なら、内容はどうだろう。
 サイーラに代って進み出たアマンシールが、自らの疑問を言葉に紡いだ。

「天孫降臨の際に、貴方は思兼神ならびに天石別神と共に伊勢に下ったとか」
「伊勢? 伊勢になら幾度か出向いたことはあるが‥‥はて。天孫降臨とはいかなるものじゃ?」

 天孫降臨を知らないという。
 考えられる可能性は、ふたつだ。――ひとつは、この男が神話に記される神(タヂカラオ)ではない。そして、もうひとつ‥‥正史として伝えられている話が、必ずしも真実ではないかもしれないという逆説。
 神皇を正義と戴く志士ならば、疑問を抱くことすら禁忌に近い話だが。――学者であるアマンシールには、即座に否定できない重みがあった。
 人であれば、神を名乗る目的は?
 神ならば、何故、今この場所に降臨したのか?
 錯綜し、逡巡する想いを断ち切ったのは、やはり彼だった。

「ウホッ! タヂさんにはこの煎餅を進呈したいぜひ」
「ほお、これは珍しい。なら、おぬしはこの蕗玉を進ぜよう」

 恒例の煎餅進呈に機嫌よく、タヂカラオは籠に摘んだ蕗の薹をジョンガラブシに差し出した。本日の夕餉にと、皆で摘んでいたらしい。
 そんなワケで、歓迎の会は山菜の天ぷら。――少し早い春の味を堪能することになったのは運が良いと言えるだろう。

「それで、ユーは伊勢のサル‥‥」
「サル?」

 どうしてこう神の名前は覚えにくい音の羅列が多いのか。
 うっかり忘れて口を噤んだジョンガラブシに変わって、普段以上に気合を入れた勝負メイクに妖艶な笑みをその紫水晶のような瞳に浮かべたサイーラがタヂカラオの杯に酒を満たした。――まずは、王道の色仕掛けから。

「あなたが強いのはよーく知ってるわ。だから、ね。少し手加減してもらえないかしら」

 明らかに実力に差があるのだから。
 戦さ場であるのならともかく。競技として相対するなら、どちらが勝っても不思議ではない状況で取り組むのが醍醐味だ。
 ふむ‥と。
 酒の力か、サイーラの色仕掛けが効いたのか。考え込んだタヂカラオに、ジョンガラブシは立てた指をちち‥と左右に振ってみせる。

「ミーほどのセミに旧世界のカミ‥‥やぶれるなどじぎにひとしい組だぜ‥‥綱引きなら」
「‥‥なるほど、綱引きか‥」

 それは、それで面白そうだ。
 油塗れのガチムチレスリングとやらは、パラッ子たちに油がもったいないと拒否されてしまった。代わりに泥んこ相撲を提案されたが、それでは目的が果たせない。


●神様と勝負!
 置かれた縄が、突然、何かに引かれたかのように地面を這う。
 蛇のような動きに、一瞬、どきりとするが良く見ればやっぱり縄だ。――よくよく観察してみれば、端っこが少し宙に浮いて途切れていることに気づくだろう。
 さらに目を凝らしてその辺りを見つめていれば‥‥

「やっぱ、あかんねぇ」

 声と同時に蜃気楼のように大気が歪み‥‥縄の片端を握り締めた飛鳥が姿を現した。
 《インビジブル》の効果の検証を行っていたらしい。
 光の屈折を利用して術者の姿を見えにくくするというこの魔法。残念ながら、手から離せば効果はなくなる。手に持っていても長く伸ばしたモノの全てに同じ効果を与えることはできないようだ。――縄が見えなくなるのは、手元からせいぜい3尺ばかりといったところか。

「この長さやと、土俵の中で足ひっかけんのは難しいかもしれへんね」

 今回は使えなくても、知ってさえいればいずれ役に立つ日がくるかもしれない。さほど悲観することもなく、飛鳥は次の方法を考え始める。
 そう、バレなければイカサマではない。――時と場合によるけれど、とりあえず今回は。

「力勝負言うても、力にはいろいろあるけんね。知「力」とかも言うやん? 人間、いろいろ使えるんやから全部、活用しての力がいっちゃん重要っちゅう事で一つ」

 あんじょう頼むわ、と。極上の笑顔を作った飛鳥の視線の先には、ジョンガラブシ。突飛な会話は相変わらずだが、実は内心、ちょっぴり焦っているかもしれない。――巨人の村へ使いも出しているのだが、間に合うかどうか微妙なところだ。とはいえ、韋駄天の草履は1足しかないので、これはもう仕方がないだろう。
 次善の策を練る飛鳥から少し離れた場所で、アマンシールもまた知恵をひねり、タヂカラオに交渉を試みた。

「――私はこのとおり、どちらかといえば非力ですから。貴方と私ではまともな勝負になりません」

 いかにも学者然としたアマンシールは、確かに歴戦の勇と讃えるには、今少し頼りないかもしれない。昨夕、サイーラが上手く乗せて根回しを試みたおかげだろうか。タヂカラオにも、考えるところがあったのだろう。

「そこで、達磨相撲をしませんか?」
「達磨相撲?」
「膝をついて、つま先立ちになった姿勢で手を使わない相撲です。――因みに、手を突いたら負けですよ」
「ふむ。なるほど」

 不自然な体制で手を使わなければ、重心が高い分、タヂカラオに分が悪い。
 とはいえ、それだけで勝てるかと言われれば、正直なところかなり微妙だ。――何しろ相手は神様なのだ。
 1対1の勝負なんて、最初から勝機が薄いと思う。
 ならば皆で楽しむコトを優先させた方が、合理的だし後腐れもない。そう考えて、アマンシールは広場に集まったパラッ子たちを振り返った。

「私一人では不安なんで。皆さんもご一緒してくださいませんか?」
「やるー」
「ミーもぜひ。ブライ兄さんとブラックとの合体日でしょうか」

 そんな面白そうな企画には、皆、乗り気で手を挙げる。
 因みに、本日のブライ兄さんは、翼の生えた珍しい馬を一目見ようと集まったパラッ子たちに自慢の羽根を毟られかけて傷心中だ。

「では、用意はいいですか?」

 土俵に見立てた輪の中に、まさに芋洗い状態。

「あらあら。みんなで楽しそうねぇ」
「ほな、うちも機会見て参戦しよ」

 賑やかな騒ぎを聞きつけて、サイーラと飛鳥も土俵の周囲へ集まってくる。
 もちろん、タダの見学ではなく‥‥サイーラは《コンフュージョン》、そして、飛鳥は《インビジブル》でアマンシールを助勢するつもりだ。
 
「見合って、見合って〜」

 行司の声に緊張が走る。
 ‥‥と‥、
 ふわり、と。タヂカラオの身体が、一瞬、淡い光に包まれた。――よく注意していなければ日焼けした肌に反射する光の加減にも思われる淡い茶系の光は、冒険者たちにはお馴染みの‥‥刹那、
 ずしり、と。急激に身体が重くなる。

「む‥?!」
「ウホっ!?」

 アマンシールとジョンガラブシの驚愕の声に、パラッ子たちの悲鳴が重なった。
 飛鳥とサイーラも、ただ大きく眸を見張る。
 志士、あるいは、陰陽師という都のごく限られた者たちの間にだけ伝わる精霊魔法は、辺境の山間部ではほとんど知られていない。者によっては一目で判るその顕著なその特徴も、知らない者には目の錯覚‥‥確かに、彼は負けないだろう。


●神様の正体は?

「‥‥精霊、だったのですね」

 太古の神の正体は、強大な力を持った精霊だった。
 座り込んだアマンシールは、やれやれと深く息を吐く。――めいっぱい身体を動かしたせいで、関節があちこち痛い。ただ、それは心地よい疲れでもあった。

「タヂカラオさんが精霊やったてコトは、他の神さんたちももしかしたら精霊かもしれんちゅうことか」

 神話に描かれた内容が全て史実であるとは限らない。
 もちろん、それは理解していたつもりだけれど。陰陽寮での経験を想い返して、飛鳥もまた小さく吐息を落とした。

「やはり、サルヒコに呼ばれてきたのだろうか?」
「サルヒコ? ‥‥ああ、猿田彦か。たしかに何か騒ぎ立ててはいたようだが‥」

 そう言って、タヂカラオは遠くを見るように双眸を細める。
 銀冠を戴いた峻険な山嶺が青空を背に、高く屏風のように聳え立つ。不穏に翳る世界と、穏やかなこの場所を永遠に隔絶するかのようだ。――地に属する者が終の棲家に選ぶなら神々の遊ぶ伊勢よりもはるかにこちらが相応しい。

「アマテラス子ちゃんがピンチかもしれぬ。ミーほどの妖精王がふがいないぜ、かたじけない」
「なあに。アレは多少のことで揺るぐようなモノではなかろう。――ただ、卑弥呼との盟約も潰えた今となっては‥‥さて、どれほどのモノがヤツの呼びかけに応えるか‥‥スサノオも‥‥アレもきっと我らを恨んでいるであろうの‥‥」

 紡がれた吐息は、地を震わせる。
 尋ねたいことはまだまだあったが、どこか悲しげな地精の姿に誰しも言葉を掛ける機を失った。
 為す事を見出せぬまま、神は未だこの地に留まるつもりでいるという。――誰も知らぬ深い場所で、何かが動き始めているのかもしれない。