【旋風】 長鳴き鳥

■ショートシナリオ


担当:津田茜

対応レベル:11〜lv

難易度:普通

成功報酬:6 G 66 C

参加人数:6人

サポート参加人数:-人

冒険期間:07月03日〜07月10日

リプレイ公開日:2008年07月11日

●オープニング

 ぐずつく空の色とは対照的に晴れやかな顔で訪れた谷風梶之助に、《ぎるど》の手代は番台の向こう側から恨めし気な視線を向けた。

「おや、お久しぶり。ご機嫌そうで何より」
「‥‥別に、ゴキゲンってワケでもないんだけど‥」
「そうですか?」

 ひとりでは解決の難しい難題を抱えて《ぎるど》を訪れる他の依頼人たちと比べてみれば、一目瞭然。梶之助の持ち込む問題は、物騒な割に湿っぽさに欠けている。

「そうでもないよ。だって、フラれちゃったし」
「おお!」

 先を促す相槌にウキウキした色が混じったのは、気のせいではない。先刻までの素っ気なさが嘘のように身を乗り出した手代に少し驚いた顔をしながら、梶之助は進められるまま番台の前に腰をおろした。もれなく、お茶とお茶受けまで付いてくる。

「それで――」
「みんなで鬼退治に行くのに、ボクだけ仲間ハズレなんてヒドイと思わない?」
「‥‥は‥鬼‥?」

 肩こり必須のお茶会は、さすがにご辞退申し上げるとしても、だ。
 魔物退治には付いて行きたい。――今、巷で噂の悪路王ならば、尚のコト。遭うことは叶わなくても、せめて後背くらいは拝ませてほしいのだけれども。

「義経サマはひとりで那須へいっちゃうし」
「‥‥別に遊びに行かれたワケではないのでは、ない‥か、と‥」

 志を持って起たれたのだとか、なんとか。どこだったかに決起を呼びかける高札が立っていたような気がする。詳しくツっこまれると困るのでさりげなく視線を逸らせた手代の表情には気づかぬ様子で、梶之助はさらに続けて吐息を落とした。

「顕家サマも、方々のお見送りの帰途に国境の掃討に力を入れるって言ってたし」
「いやそれも、物見遊山では――」

 魔物の討伐を遊興の計画と同じ感覚で話あたりが、まずおかしい。
 遊びではないのだから、同行したいとの申し出た梶之助の懇願を顕家が撥ねつけたのはなんとなく想像がつく。

「鬼が出て困るのはヒトなのに‥‥」

 それは、まあ。限りある大地における生存競争のライバルという点で、鬼や魔物に比べると人の力は数段脆弱であるのは確かだが。
 そう言われれば、何となく気もしてくるが‥‥やはり、なにやら釈然としない。

「でね、置いて行かれるのは悔しいから、やっぱりボクも行こうと思ってさ」
「‥‥って、あなたって人は、また‥」

 呆れを込めて斜めに眺める手代の視線に、へらりと人懐っこい笑みを返して。梶之助はどこからか聞きかじってきた胡乱なネタを話始めた。

■□

 平頭山の麓に拓かれた小さな村が、鬼に襲われたのは梅雨の初めの頃だという。
 備えをしていなかったワケではない。
 奥州の鬼魁――悪路王の噂はもうずっと前からこの辺りでは噂になっており、近隣の村々でも鬼の被害が例年になく増えていた。
 警戒を強めるようにとの代官よりの触れもあって、村でも冒険者や浪人くずれといった少なからず腕に覚えのある者たちを雇うなりしてそれなりの用心はしていたのだけれど。
 農繁期の慌ただしさと雨の帳に邪魔をされ、気づくのが少し遅れた。あるいは、備えへの過信や慢心があったのかもしれない。
 昔々――史書にも記されていない時代の――豪族の墳墓だとか、砦の址だとか言われている平頭山の石積みに鬼の姿が現れた時も、それほどの大事になるとは誰も想像していなかったのだという。

「まあ、村から平頭山までの林道は一本道。鬼に後ろを取られるとは、誰も思っていなかったのかも」

 あるいは、鬼の中にも用兵の心得があるモノがいたのかもしれない。
 悪路王ならば、と。思ってしまう辺りに、既に相手の術中に陥っているような気がしないでもないが。
 ただ追い散らすだけだと高を括っていた用心棒たちが平頭山に向かうのと前後して、村が鬼の群れに襲われたのだ。慌てて引き返そうとしたものの、山の方からも人喰鬼が現れて狭い林道で挟撃を受け、散々な敗戦を喫したという。
 頼みの用心棒が負けたとなれば村人たちも村には留まれず、村は鬼の手に落ちてしまった。

「用兵に明るい鬼ってのも初めてだけど。この話にはまだ続きがあってさ、鬼たちは村を占領はしたけど塒は平頭山に置いたままにしているらしいんだよね」

 数匹の鬼を残してはいるが、村を生活の場にしている雰囲気はないらしい。
 確かに周囲を山に囲まれた低地は、守るにはいくらか不便な場所ではあるのだが。

「そんな賢い鬼とは戦ったことがないんだけど。上手くヤっつければ皆に喜んでもらえるだろうし、ちょっと格好いいと思わない?」

 獲物を横取りすれば、置いて行かれた意趣返しにもなる。
 江戸に集った諸侯の眼前で大きな手柄を立てれば、あるいは名を挙げ目に留まる好機になるかもしれない。――単に、目新しい鬼の存在が気になって仕方がないのだろうと思いつつ、手代はなにやら楽しげな少年の為に、新しい依頼書をひとつ作ってやった。

●今回の参加者

 ea3044 田之上 志乃(24歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 ea3054 カイ・ローン(31歳・♂・神聖騎士・人間・イギリス王国)
 ea4927 リフィーティア・レリス(29歳・♂・ジプシー・人間・エジプト)
 ea8191 天風 誠志郎(33歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 eb3797 セピア・オーレリィ(29歳・♀・神聖騎士・エルフ・フランク王国)
 eb5885 ルンルン・フレール(24歳・♀・忍者・ハーフエルフ・イスパニア王国)

●リプレイ本文

 これまでとは勝手が違う。
 思いがけず深淵を覗き込んでしまったかのような杳々とした展開を匂わせる鬼の影に、不安が蔓延しはじめていた。
 折しも京の都では酒呑童子の率いる鉄の御所に通じた者たちが洛中に鬼を放ち、大変な被害が出たという噂も尾鰭を付けて一円に広がった矢先のことで。――月道、あるいは、街道を自由に往来する冒険者の存在が風の役割を果たしているのか、昨今の噂話はずいぶんと足が速い。
 谷風梶之助を加えた冒険者たちが江戸を発ったのは、そんな梅雨特有の細い雨が伸び始めた水田の緑を濡らす朝のことだった。

「まあ言葉の響きだけだとよくある感じの依頼だよな」

 リフィーティア・レリス(ea4927)の素直な感想に、皆が頷く。
 依頼自体は、いたって単純。目新しいのは、鬼たちがどうやら頭の使い方を知っているらしいという点だけだ。尤も、その辺が人と獣を隔てる重要な境界なのだから、珍しがってばかりもいられない。
 レリスだけでなく、セピア・オーレリィ(eb3797)を始め、それなりに場数を踏んできた他の冒険者たちにとっても気になるところなのだろう。途中、村を追われた住人たちにも話を聞いておきたいと言うレリスと天風誠志郎(ea8191)の意見に異を唱える者はいなかった。
 戦いに備えた休息も兼ね、村で話を聞いている間に隠密行動に長じた田之上志乃(ea3044)とルンルン・フレール(eb5885)のふたりが、一足先に村の様子を探りに行くことで意見もまとまる。

「こーやってね。役に立つってところを見せれば、次は連れて行ってくれると思うんだよ」

 得意気に胸を張る梶之助だが、この時点で彼はまだ何の役にも立っていない。
 鬼退治のお膳立てが整うとあって、何やら嬉しそうではあるが。置いて行かれることを嫌がる癖に、軍隊のような大人数での行動には向いていない。――ひとりで行動することに慣れてしまった迷い子のようなところがあった。

「訳はどうでも、困っとるモン助けようっつぅのはええこったべ。奥州街道辺りに鬼さ陣取っとったら、オラも郷さ帰る時に困るだしな」

 梶之助の本音が手当たり次第の鬼退治なら、志乃の動機は里帰りを視野に入れた街道筋の清掃といったところか。
 この鬼退治が伊達の足引っ張りとなることを期待するカイ・ローン(ea3054)の複雑な思考と比べれば単純明快。梅雨だというのに夏の青空の如く、陰湿さの欠片もない。――陰険な思惑を秘めた鬼退治の方が、どちらかといえば珍しいような気もするけれど。


●平頭山の鬼
 頂上付近の傾斜が緩やかなことから名付けられたらしいその山は、どこにでもある里山のひとつであるように思われた。
 もう少し街道に近ければ山城が築かれたかもしれないが、今は頂上付近に古の城址だとされる石積みがそれらしい名残を留める程度。そういった知識のある者でなければ、指摘されても気付かないだろう。

「もともと別の場所にいたものが用心棒の出払ったのを見計らって村にきた‥‥ってのは、出来過ぎかしらね」

 村人たちから聞き出した詳細な情報を整理しながら、セピアは思わせぶりな吐息を落とし優雅に長い足を組む。自慢のスタイルをより魅力的に見せる術は、自然に身についたものだ。その魅惑のボディを前に男として、何かリアクションを返すべきか、否か‥‥クールに見えて実は情熱的なところもある天風としては、判断に迷うところである。

「あり得ない話ではないが。挟撃の呼吸まで示し合わせるのはかなり難しいだろう」

 平頭山から村までは、一本道。
 大きく迂回すれば他の道を探せないこともないが、その線上には他の村がある。襲われた村と同程度の、特に厳しい警戒を敷いていたという事実もないという‥‥それらの村を無視して、敵の背後を突くことを優先させたのだとしたら。

「俺たちは相当に頭の切れる相手と切り結ぶことになるワケだが‥‥」

 果たして、そこまで賢い鬼がいるのだろうか。
 天風は難しい顔のまま腕を組む。
 酒呑童子ほど名の知られた鬼の配下であっても、人と同じ。あるいは、それを上回る知能を備えた部下は数えるほどだ。事実、洛中に雪崩れ込んだ人喰鬼の殆どは、手当たり次第に人を襲うごく普通の鬼だった。
 逃げ出した村人たちから話を聞いたローンは、村を襲ったのは人喰鬼の他には槌を持った豚鬼、犬鬼がいたようだと見当をつける。――人喰鬼は見るからに大きくて凶悪な姿をしているし、豚鬼と犬鬼は見た目がとても特徴的だ。ずいぶん戦いに慣れていたようだというから「戦士」と呼ばれる上位種が混じっている可能性は考えられる。

「やっぱり、村の周辺に誰も知らない抜け道があった方が辻褄もあうかしらね」

 寧ろ、そちらであってくれた方がレリスとしてはやり易い。
 頬に手を当て気持ち小首をかしげるようにして思案を巡らせるセピアを眺めて、レリスは飄々と肩をすくめる。手の内さえ明らかにしてしまえば、相手は鬼だ。――いくらか頭の良い者や強力なモノが混じっていたとしても勝算はある。
 勝利を確実なモノにする為にも、できるだけ得意な形にもって行きたかった。

「真正面から戦うって、あんま得意じゃねーんだよな」

 偵察に向かったふたりにも、《グッドラック》を掛けておいた方がよかったかかもしれない。潜入の成果を待つ間、怪我人の手当をしながらちらりとそんなことを考えたローンだった。


●苧環の花影
 豚鬼の姿が見える。
 猪のような長い牙をもった独特の容貌は遠目にも違えようがない。
 重そうな槌を握った腕をだらしなく下げて徘徊する様は見るからに禍々しく、近隣の住民たちを震え上がらせるには十分だ。
 ただ、特に何らかの目的を持って村に留まっているといった風はない。――強いて言うなら、村に留まっている事を知らせること自体が目的であるような。
 あるいは、誘っているのだろうか。
 鬼がそこにいる、と。
 いかにも暇を持て余しているといった風情で手持無沙汰に村の中を歩き回る豚鬼たちの姿を遠目に眺めて、志乃は困惑気味に眉をしかめる。

「ちィとばかし、やりにくいだな」
「そうですねぇ」

 志乃の戸惑いに同意を示し、ルンルンもまた吐息を落とした。
 彼らは討伐隊が派遣されるであろうことを知っている。――自尊心の高い人間が、奪われた村をそのままにしておくはずがない。――むしろ、それを待っているようにも思われた。

「待ち伏せしているつもりなのでしょうか」
「こないだの用心棒のこたァ、後ろさ追いかけさせて林道で挟み打ちにする気かもしれねェだな」

 村のどこかに人の知らない抜け道があるのなら、調べられぬよう隠匿する必要がある。
 その鬼たちの秘密を探りに来たのだった、と。ルンルンは自らに課した使命を思い出して首をすくめた。
 ふらふらと人待ち顔で徘徊する豚鬼に気取られぬように神経を使いつつ行動するのは、隠密行動に長じたふたりといえども決して楽な作業ではない。――術者の周囲に煙を巻き起こす忍術を多用するのは、わざわざ彼らに異変を知らせるようなものだと自重はしたが。
 ともすれば、緊張と不安が心を塞ごうとする。そんな厳しい状況でも弱音を吐かず、何事も前向きにとらえて頑張れるのがルンルンの長所でもあった。

「いくら率いているモノの頭が良くたって、従う鬼達はそこまでは良くないはずだから、きっと足跡とか残しているに違いないと思うの。――それに私、今日は七色の花だって見つけられそうな気分です!」

 幸せをもたらすという伝説の花がこの辺りに咲いているという話は、未だ聞いたことがないけれど。
 雲の切れ間から零れおちた太陽の雫が、下生えの中に雅やかな花影を浮かべる糸繰草をしっとりと艶やかに演出していた。
 その青く茂った下草に跳ねかえった泥を眺めて、ふと気付く。――泥だらけの足跡は、蹂躙された村の至る所に残されていた。
 哨戒役の豚鬼たちが歩き回った場所。
 そして、さほど頻繁に足を運んでいない場所にも‥‥

「私、閃いちゃいました!」

 七色の花を見つけた勢いで会心の笑みを浮かべて振り返ったルンルンに、志乃もしっかりとその意を解して同意を示す。

「‥‥村の《さえのかみ》ァお不動さまだっつーのは、ちィとばかり意味ありげだァな」

 もちろん、災いや疫病から護ってくれるありがたい仏様ではあるけれど。戦場での勝利を念じられることの多い仏は、長閑な農村地帯には少しばかり珍しかった。


●払暁の声
 東の空より投げられたかそけき曙光が、夜の存在感を打ち消すように――
 冒険者たちは躊躇うことなく、村に踏み込む。

「多少は賢いみたいだから、わざと見つかって鬼を山からおびき出すってわけには行きそうにないね」

 見るからに重たげな槌を力任せに振りまわして応戦する豚鬼の打擲を妖精の騎士が愛用すると云われる槍の広い間合いを生かして捌きつつ、ローンは薄明の中で沈黙する平頭山へと視線を走らせた。
 多少なりと知恵の回る相手に、考える時間を与えるのは得策ではない。
 まずは村を制圧し、志乃とルンルンが持ち帰った仮説を確かなものとする。――そこに隧道が隠されているのなら、早急に確保する必要があった。
 隠された道を使って、平頭山を攻めるのか。あるいは、通り抜けてくるであろう鬼の援軍の足を止めるべく罠を張るのか。――レリスとルンルンの間で意見が割れているのだけれど――この道を放置していたのでは、思わぬ伏兵に虚を突かれた用心棒と同じ轍を踏む。

「また挟撃されたら堪らないし」

 小さな声で、呟いて。草でできているという柄を握る手を中心に、ローンはくるりと槍を回転させる。白々と冷やかな金属のきらめきが中空に不可視の円を描いた。
 流れるような動きが、ぴたりと止まる。目で追い切れるかどうかの呼吸を置いて。完璧にコントロールされた銀の穂先は、狙い澄ましたとおり豚鬼の胸を突いた。
 噴き出した鮮血が、大気を震わせて響き渡った断末魔の絶叫を紅く彩る。
 ここからは、時間との戦いとなるはずだ。
 アマツミカボシを濡らす鬼の血を篩い落として、天風は未だ黒々と夜の名残を残した林道の入り口へちらりと視線を走らせる。
 村に留まる鬼は少ない。
 林道を抜けてくる鬼が陽動なのか、彼らの背後を突くべく抜け道をやってくる鬼が伏兵なのか‥‥見極める必要があった。


●薄明の道
 野ざらしの磨崖仏の為に祠を建ててやった者たちは、風化の激しい石の仏の後ろに道が隠されているとは思いもしなかったのだろう。
 乱暴に引き倒された石仏の後ろにぽかりと開いた空間を覗き込み、レリスはどうしたものかと仲間たちを振りかえった。
 ローンと天風は、林道より平頭山を目指す。回復支援を申し出たセピアと梶之助も彼らに加勢する算段になっていた。残った者たちはこの隧道を通って鬼の背を突くべく同じ場所を目指すか、あるいは‥‥

「――ボクなら止めておく、かな‥」

 レリスの後から物珍しげに道をのぞき込んだ梶之助は、周囲の予想に反してあっさりと首をすくめる。

「理由は?」
「この道をよく知らないから」

 林道についての詳細は、ローンが逃げだした村人たちに尋ねた重要な情報のひとつだ。鬼と干戈を交えながら駆け抜ける為にも、無駄な体力の消耗はなるべく避けたい。距離感覚や見通しの善し悪しは、戦いの勝敗を端的に左右する。

「さすがに罠はないだろうけど。――でも、あっちより広いとは思えないから、鉢合わせしたら逃げられない」

 思うように回避行動の取れない狭い場所でぶつかれば、間違いなく数と体力で凌駕する方に利があった。意外な洞察眼を発揮した梶之助を斜めに眺めて、レリスはふむと脳裏に描いていた行動を修正する。


●夜明け
 薄暗い隧道の中から、鮮やかな夏の光の中へ――
 暗がりに慣れた目は、一瞬、眩む。

「パックンちゃんGO! ルンルン忍法、鬼は外です」

 どろん、と。
 口寄せで呼び出された巨大な蝦蟇は巻き起こった煙を纏い、足の止まった獲物を呑みこもうと大きな口を開いた。てらてらと滑りを帯びた巨大な生き物の呪縛より抜け出そうともがく小鬼を、縄ひょうと短弓より放たれた矢が狙う。
 勢いに押し戻された鬼の身体が蓋となり、後続の行く手を遮ったのか。怒りとも困惑ともつかぬ唸りが、海嘯のように狭い道の奥へと満ちた。
 その、思いがけず大きなうねりに敵の数を測り、レリスは傍らを漂うティルナに《サンレーザー》の詠唱を命じる。

「やれ!」

 膨れ上がった陽光が世界を塗りつぶし、刹那、
 網膜に焼きつく白い軌道を残し、豚鬼ごと道を貫いた。

■□

 ――パリィ‥ン‥

 幽かに大気を震わせて、不可視の壁が砕け散る。
 《ホーリーフィールド》を貫いた人喰鬼の棍棒は、ローンの頬を掠めた。かすっただけで、張り飛ばされたような衝撃が全身を貫く。
 ぐらぐらと視界が揺れるような惑乱に、ローンは歯を食いしばって意識を現実へと引き戻した。汗とは異なる生ぬるい液体が、頬を濡らす。
 避けきれない。
 咄嗟に《ホーリーフィールド》を唱えていなければ、頭を叩き潰されていた。――改めて、その戦闘力と怪力に慄然とする。
 隙の生じたローンに掴みかかろうとする人喰鬼を牽制し霊刀を振るった天風は、敢えてその間合いへと踏み込んだ。
 唸りをあげて振り下ろされる重たげな棍棒の軌道を見極めて、躱す。空を切りその勢いを御しきれずに態勢を崩した鬼に太刀を浴びせ、防戦の流れを断ち切った。

「大丈夫か?」
「ああ。かすっただけだ」

 ぐい、と。
 肩で頬を汚す血を拭い、ローンは魔力を宿す槍を握りしめて呼吸を整える。仲間の許へと走った天風の後を引き継いだ梶之介も2匹の犬鬼を屠り、救援に走るセピアの為に道を開いた。

「助勢は?」
「いや。こいつ俺たちだけで、大丈夫だ」

 梶之助の問いに首を振り、ローンは改めて威嚇するように牙を向いて咆哮する人喰鬼へと向き直る。仕切り直しの意味も込め、高らかにお決まりの名乗りをあげた。

「青き守護者カイ・ローン、参る」


●雨雲
 目論見を外し、隧道を逆に走って逃げだした小鬼たちを追撃して平頭山にたどり着いたレリスと志乃、ルンルンは、その山頂で仲間と合流した。

「怪我はしていないかしら?」

 セピアの問いに、首をふる。
 彼らの戦いが予想外に激しいものだったのは、血で汚れた風貌からも明らかで。――守備を躊躇わせる何かがあった。

「‥‥賢いってのは、逃げ足が速いって意味もあるんだろーね」

 さばさばとした口調の割には悔しそうに肩をすくめて吐息した梶之助の言葉に、首領を打ち漏らしたのだと理解する。

「鬼退治はできたし、村は取り返したけど。‥‥警戒してくれるように頼んでおいた方がいいかな‥」

 誰にと言わないのは、梶之助なりの思いやりなのだろうか。負け惜しみなのかもしれないけど。
 梅雨の切れ間の青空に、また、雨の匂いが混じった。