●リプレイ本文
我が身に当てはめれば、こうはいかない。
いかにも恋する女の子らしい切なくも初々しい恋の悩みに、来迎寺咲耶(ec4808)と百鬼白蓮(ec4859)はふぃと口元が緩むのを自覚した。
「想い人の為に赤翡翠の羽根‥‥何とも可愛らしく存じ候」
「ああ。なかなか健気な女の子じゃないか。ついていくとも言い出さない辺り、自分の身分も充分弁えていると見える」
折しも、七夕の頃。
引き裂かれる恋人たちの物語は、いつの時代も女性たちの心に触れる。
アニェス・ジュイエ(eb9449)がついつい応援したくなってしまうのも、決してお節介や好奇心からのことではない。
恋する女の子は、いつだって可愛らしいのだ。
その可愛らしい依頼人は、アニェス・が差し出した短冊に驚きと困惑の色を浮かべた。
託する願いは《手習いの上達》ばかりではないのが、近頃の七夕事情だが。――少女の想いは、アニェスたち冒険者に託したばかりなのだから。
「だって、これは貴方の望みを託するモノでしょう?」
書き込めばひとつだけ願い事が叶うという触れ込みで、越後屋が特別な買い物をした客に配っているものであることは周知の事実で。――複数の願いを書き込めば価値がなくなることも、しっかりと但し書きに附されている。
無理を聞いてもらった上に、恩人の願いをひとつ無碍にするなんて、とんでもない。罰あたりにも程があるというものだ。
せっかくの趣向だからと念を押されて、ようやく頷いたものの‥‥
「でも。短冊はあたしに用意させてくださいね」
この年頃の娘にしては、まあ、ずいぶんと義理固い。根が真面目にできていると言うべきだろうか。
鵲の橋が雲海に隠されてしまわぬことを祈りつつ。雨を恋う紅い小鳥の探索者たちは其々の願いを胸に、天の川に手の届く場所を目指して江戸を離れたのだった。
●赤翡翠
羽根の色味は、赤と青ほど異なるけれど。
翡翠と呼ばれるからには、翡翠−カワセミ−の仲間なのだろう。
動物に詳しいギル・ロウジュ(ea6952)の知識は、アニェスの推測の正しさを裏付けた。――新緑の森にひときわ鮮やかな赤い羽根と涼やかな美声の持ち主は、江戸の愛鳥家たちが憧れてやまない幻の鳥でもあるという。
「翡翠なら餌となる魚の獲れる水辺近くを棲家にしているはずだ。まずは渓流のある場所を当たってみるのはどうだろう」
「なるほどね。それなら闇雲に山の中を歩き回らずにも済みそうだね」
条件に合う場所に近づけば、魔法で付近に息づく精霊たちに問いかけることもできるはずだ。
都会の好事家には、希少な鳥でも。地の者なら、姿はともかく囀りくらいは聞いたこのある者がいるかもしれない。まずは奥多摩方面へと向かう街道沿いの各宿場町にて足を止め、町の者‥‥あるいは、漂泊の途上にある旅人たちにも言葉をかける。
「アカショウビン?」
「さあ、聞いたことがない‥‥」
最初のうちこそ、首をひねる者が多かった。
だが、諦めずに根気よく聞き込みを続けていくうちに、人々の反応や返される答えにも少しずつ変化が現れ始める。――江戸から離れ、山深い場所に近づくほど、その存在は幻から現実へと近づいた。
「――雨恋鳥、か。そういえば、もうそんな季節なのだな」
旅籠の上がり框に腰かけて足を洗っていた大きな荷を背負った行商人は、咲耶の問いに目を細め過ぎゆく季節を想うかのように遠くを眺めた。
そういえば、初夏の森に飛来する渡り鳥だと聞いていたような。ちらりと旅愁を浮かべた行商人につられ、咲耶もまた夏の森へと想いを馳せる。
七夕の夜に見上げる空と、
清流の傍ならば、あるいは蛍の情景を眺める機会があるかもしれない。
天上の影と、地上の光と。唯ひとり、宇宙の中心に取り残されたかのような喪失の錯覚に酔うのも、また、一興。
「滅多に人目には触れぬ鳥だと聞いたのだが。貴殿は、その僥倖を得られたのか?」
是非、あやかりたいものだ、と。
さりげなく相手の心をくすぐる言葉を足した白蓮の半ば本気の嘆息に、行商人は少し機嫌を良くした風に笑った。
「まあ、1度、チラリとお目にかかっただけだがね。――鳴き声だけなら、何度か聞いたことがある」
高く澄んだ特徴のある囀りが聞こえると、雨が降る。
職業柄、旅路の空模様は気になるところだ。雨を呼んでいるという鳥の囀りは、聞き逃せない兆候のひとつでもあるのだろう。
「私たちは赤翡翠を探しているんだ。小さな体で海を渡る赤い羽根に祈りを託して好きな男を見送りたいって可愛らしい女の子がいてさ。――風切り羽ひとつくらい、とってこれなきゃ侍の名が廃るよね」
咲耶が仕えることを決めた少年は、苦難の道に立ち向かおうとしていた。
その偏見と中傷に埋められた道の険しさを思えば、このくらい試練でもなんでもない。彼が自らの信じる道を歩けるように。それが、咲耶の願いだ。
嘯いてみせる。その気風の良さに笑みを向け、行商人は宿場町から程近い山の名前を彼らに教えてくれたのだった。
「どうもありがとう」
「ああ。でも、気をつけてな」
教えられた道を紙に書きとめて軽く頭を下げたギルに、行商人はふと思い出したように眉を曇らせる。
その表情に白蓮は、ふと江戸の《ぎるど》を思い浮かべた。
様々な困りごとを抱えて《ぎるど》を訪れる依頼人。――白蓮らを気遣う風に曇った行商人の顔色に、そんな依頼人たちの表情が重なる。
●星に願いを
見上げれば、無数の星が輝いている。
警戒と自粛を込めて早々に焚火を消した野営地は、江戸の夜に慣れた目にはいっそ質量を感じるほどの濃厚な夜に包まれていた。
そのせいなのか、満天の星を抱いた夜空がいっそう明るくて。
手を伸ばせば届きそうだ、と。子供の頃に抱いた他愛のない試みと失敗を、また、試してみたくなる。
「ジャパンじゃ、明日はお祭りなんでしょ。‥‥タナバタ‥だっけ? 願いごと書いて吊るすのよね」
巷間を賑わせる《祭り》の雰囲気に好奇心を隠せないアニェスの問いに、白蓮は少しばかり困惑気味に首をかしげた。
古来より縁起の良い数字だと言われる奇数の重なる日。
1月1日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日。――この5日を総じて五節句といい、宮廷行事が執り行われる日でもあった。
七夕まつり、星まつりとは言うけれど。謂れを尋ねられると、白蓮だけではなく咲耶も同様、何やら混沌として答えられない。
織女・牽牛の悲恋との繋がりがどこから来たのかも不思議だが。
その名のとおり機織りに長けていた織姫にあやかりたいと始まった「願掛け」が、いつの間にか針仕事や手習い以外の「願い事」に転じたようだ。
依頼人から預かった短冊は、大事に荷物の底にしまいこんである。――七夕の夜になったら、天に近い場所につるしてくると約束したのだ。
何気なく投げた問いかけに何やら考えこんでしまった咲耶と白蓮の表情に首を竦めて、アニェスは空を仰いで思案するギルに声をかける。
「何を考えているの?」
「‥‥いや、明日の段取りをちょっと、な‥」
この先の峠に小鬼が出るのだと、聞かされた。
経験を積んだ冒険者にはとりたてて脅威にはならぬ小物だが、まだまだ駆け出しのギルにとっては油断のできない魔物だ。
「小鳥を驚かせない為にもなるべく迅速に済ませたいところだよね」
そうだな、と。小さな声で同意を示したギルの肩をぽんと叩いて、アニェスは黒耀の瞳に悪戯っぽい光を浮かべる。
「ね、願い事はもう書いた?」
短冊には、皆の願いを寄せ書きするのだ。
唐突にふられた話題に瞼を忙しく上下させ、ギルは好奇心に眸を輝かせるアニェスを眺めやる。
「やはり、『鳥に出会える様』だな」
「それだけ?」
ただ、それだけ。
恋を叶えるのは、他の誰でもない依頼人自身の勇気。赤翡翠の羽根にできるのは、その勇気を支えることだけだ。
ギルが乗り込んで解決できる類のことではないから、祈るしかない。
「もっと、自分のことを書けばいいのに」
「‥‥それは、秘密だ‥」
真面目な顔で答えたギルに、アニェスは破顔する。
「じゃあ、あたしも内緒にしよっと☆」
願い事は、もう決めてある。
『この空の続く処、風の届く処、その何処に在っても、あたしはあたしでいたい
太陽とその精霊を感じていられますように――』
ゲルマン語を用いると決めたのは、想いを形に紡いだからだ。‥‥決して、仲間たちの目から隠そうとしたワケではない。
自分の道を貫くこと。
それは、奇しくも白蓮の願いでもあった。
●峠の小鬼
灌木の影に身をひそめて獲物を待ち受けていた小鬼たちは、九十九折りの山道を登ってくる人影に手にした得物を握り締めて身を縮める。
大き目の荷を背負った人間たちは何やら言葉を交わしながら、のんびりと坂道を登ってくるようだ。
襲いかかる機を窺い、じりじりと刻を測る。
極限まで引き絞られた緊張の糸が途切れようとする、その瞬間――
先頭を歩いていた男は顔を上げ、完成させた魔法を小鬼たちのひそむ茂みへと撃ち込んだ。
まっすぐに駆け抜ける《グラビティーキャノン》の重力波は、直撃を受けた灌木の枝を引きちぎり、隠れていた小鬼ごと大地に引き倒す。
意表を突くつもりが裏をかかれてちょっとした混乱に陥った小鬼が相手なら、さほどチャンバラが得意とはいえないアニェスと白蓮でも十分だ。身上でもある身の軽さを生かしてつたない敵を翻弄し、圧倒する。
叶わぬ相手だと格の違いを見せつければ、所詮は小物。次第に腰も引け、逃げだすモノも現れ始める。
「追うか?」
ギルの視線に咲耶は軽く否定の形に首を振り、《ソメイヨシノ》の刀身に付いた汚れを懐紙で拭って鞘に収めた。
「やめておこうよ。今回の仕事は退治じゃないし。――あまり騒がしくして、小鳥さんにびっくりされる方が困るしね」
「そうね。沢に降りる道も探さなきゃけないし」
アニェスに小鬼の存在を教えた陽精は、山間を流れる沢を赤翡翠が餌場にしていることも教えてくれた。沢に降りれば、ギルの《グリーンワード》で付近の植物に問いかけることもできる。
その先は、小鳥の気分次第の持久戦。だからこそ、少ない機会を確実に活かせるように、準備を整えておかねばいけない。いくら白蓮が器用でも時間に追われて作業するのは、心理的にも辛そうだ。
何よりも、今夜は七夕。
短冊を飾り、天帝に《願い事》の成就を祈らなければ――
●雨恋鳥
ピュィルルル‥‥
涼しげな緑に囲まれた水の流れを、銀の鈴を転がすような澄んだ鳥の声が渡る。
夜を謳う梟の呼びかけに始まって、四十雀、啄木鳥の声も聞いた。聞いたことのない音色が響くたびに、期待と緊張が入り混じって胸を揺さぶる。
流の上に枝を張り出したミズナラの木がギルに告げた、赤い鳥。
それだけを頼りに、待ち続けること半日余。――明日には荷物をまとめて山を降りなければいけない。
じりじりと胸を焼く焦燥を落ちつけようと小さく深呼吸して仰いだ天は、昨夜の星が嘘のような灰色の雲で覆われていた。
ピュィルルル――
聞こえた声は、意外に近い。
思わず呼吸を止めて周囲をうかがったアニェスの視界の端を、赤い影が横切った。
「‥‥‥っ!!!」
見つけた、と。
叫びたい衝動を必死で堪えて、指をさす。
赤褐色の翼を持った小さな鳥は、ようやく求める者たちの目の前に姿を見せた。周囲を見回すように首をかしげ、赤翡翠はその意外に鋭い嘴を開く。
ピュィルルル――
雨を呼んでいるのだろうか。
木立を揺らす涼やかな鳴き声に、白蓮はふとそんなことを思った。
森に踏み込んできた冒険者たちをとりあえず害なしと判断したのか、赤翡翠は何度か尾を上下させた後、小さく羽ばたいて沢へと向かう。
陽精と地精がこっそりとアニェスとギルに教えてくれた、お気に入りの場所。そして、白蓮と咲耶が苦心して罠を仕掛け、段取りを決めたポイントだ。――短冊に込めた祈りが天に届いたのかもしれない。
最初で、最後。
幸運が与えてくれた1度の機会。これをモノにできなければ、冒険者の名前が廃る。
用意した網を握りしめ、咲耶は今一度だけ胸中で天に祈った。
■□
ぽつり、ぽつりと。
天上から投げられる細い銀糸に、ギルはそっと天を仰ぐ。
怖がらせぬようそっと両手で小さな頭を包みこまれた赤翡翠は、暴れることもなく彼の手の中で息を殺していた。
トクトクと脈打つ鼓動と、生き物の温もりが小鳥の命を実感させる。
「びっくりさせてごめんね。1枚だけ、羽根をもらうね」
小さな声で詫びを入れ、アニェスはギルの示した翼の羽根を1枚。よくよく注意しながら根元にアゾットの刃を当てる。
ぷつり、と。
羽軸の途切れる感触が伝わり、持ち主より切り離された赤い羽根はするりとアニェスのものになった。
「どうもありがと、暁色の小鳥さん」
もう1度、小鳥に声をかけて、アニェスはギルを見る。
そのギルから向けられた伺いの色に、咲耶と白蓮も了解をしめして頷いた。――ようやく掴まえた幻を手放すのは惜しいような気もしたけれど。
だが、災難から身を護ってくれるお守りを鳥の命を奪って作るのも、白蓮が首をかしげるように確かにどこかが矛盾している。
納得して、同意した。正しいことだと確信し、悔いもない。むしろ、すがすがしい気持ちで帰路につくだろうことも知っている。それでも――
それでも、ギルの手から解放され慌ただしく雨の中に飛び去った赤い飛影を見送ったその一瞬、彼らは胸に飛来した喪失と惜別に溜息をついたのだった。
「さあ、帰ろっか」
江戸で依頼人が待っている。
鼻の頭に落ちてきた雨の粒にくすりと笑んで、アニェスはつとめて明るく言葉を紡いだ。
きっと喜んでくれるだろう。彼女の想いが成就したなら‥‥否、想いはきっと通じると信じても良いはずだ。
短冊に託した願いは、他のどんな願いより天に近い場所に結んできたのだから。