美味しいお酒を呑むために
|
■ショートシナリオ
担当:津田茜
対応レベル:フリーlv
難易度:普通
成功報酬:0 G 65 C
参加人数:4人
サポート参加人数:1人
冒険期間:07月07日〜07月12日
リプレイ公開日:2008年07月15日
|
●オープニング
花見で一杯、月見で一杯――
やわらかに水面をけぶらせ、淡く綻ぶ睡蓮の蕾を濡らす銀の糸を肴に初夏の風情を愛でるのも、また、一興。
酒に限った話ではないけれど。つまるところ世の中は、ささやかな裡に愉しみを見つけられるお気楽者が勝つようにできている。
■□
頭の痛む朝だった。
常とは異なる畳の上で目をさました弥勒丸は、眩いほどの朝日に満たされた部屋に居座る濃厚な酒精に、危ういところでもよおした吐気を呑み込んだ。
自分が臭い。
髪も、着物も、被っていた見覚えのない豪奢な上布の打ち掛けに至るまで‥‥何もかもが、酒臭い。
いったい、何があったのか。
あまり思い出したくはなかったが――思い返さなければ後にも先にも進めない用人の悲しい身の上――おそるおそる記憶を手繰る。幸いなことに、そこまでは理性の箍も外れてはいなかったらしい。
宴席に招かれた主人の供をしてとある訪江戸中の某大身の江戸屋敷へと下向した。そこで勧められるまま痛飲したのだと思い出すのに思ったよりも時間を要したのは、その続きへの不安が勝っていたからだろう。
さほど酒に弱い体質ではないのだが、如何せん相手が悪い。――北国に暮らす者は酒豪が多いという噂話は、どこかで耳にしたような気もするのだが。根も葉もない噂話も、モノによっては侮れない。
相手のペースに巻き込まれて杯を重ねるうちに酩酊し、主人に介抱されるという体たらく‥‥思い出して、血の気が引いた。二日酔いも、一気に消し飛んだ気さえする。
粗相なんて生易しいものではない。
首、いや、いっそ腹でも掻っ捌いた方が、ご先祖様に申し訳もたつような――
「――目が覚めたか?」
掛けられた涼やかな声に、またしても世界が凍りつく。
のろのろとそちらに目を向けると、簡素な書院の上座にあつらえられた文机に向い筆を執る主人と目があった。既に衣服を改めて、まっすぐに背筋を伸ばしたしなやかでいっそ清々しいまでの高貴な容貌には、深酒の痕跡など微塵もない。――酒豪と知られる藩邸の主に付き合って、弥勒丸以上に飲んでいたにもかかわらず。というか、泥酔した弥勒丸を介抱しつつこの離れに戻った時も、彼はほとんど素面であった。
夏が近いとはいえ、夜になれば冷えも這う。風邪を引き込まぬようにと、上布を掛けてくれた心遣いももったいない。
改めて思い返せば。
弥勒丸の主人も、館第の主も。どちらも寡黙とはいかぬまでも、口数の多い方ではない。ともすれば、黙りがちになる。濡れ縁にて黙々と杯を重ねる姿は、確かに抒情的で美しく絵になる光景であったけれども。――都を離れてもうずいぶんになるというのに、東戎にも世俗の色にも染まらぬ佳人は弥勒丸の秘かな自慢だ。
だが、と。
出来過ぎた主人の優麗な顔をこっそり眺めて、弥勒丸は酒臭い嘆息を吐く。こんなに立派な主を戴く下郎に気苦労が絶えないのは何故なのか?
たとえば、昨夜の宴席も。
当人たちはそれでよくても、周囲から見れば非常に辛気くさく、気が詰まる。
一向に盛り上がらぬ主人たちを気遣い逸った結果が昨夜の醜態に行きついたのだとすれば、恨み言のひとつくらい言わせてほしい。
「昨夜は随分と酔っていらしたが‥‥気分はいかがか?」
「は‥もったいないお心遣い、いたみりましてございます‥‥」
本当は、少しばかり頭が痛むのだけれども。
畏まりつつ、ごにょごにょと次第に調子の落ちていく向上にはさほど興味も抱かぬ様子で、主人はそうかと呟いたきり手元の書類へと視線を戻した。
「あの‥」
「ああ、そういえば」
沈黙に居た堪れなくなり、おずおずと声を上げた弥勒丸に、主人はふと思い出したように顔をあげる。
「其許が酒場の事情に明るいとは意外であった」
「‥‥は?」
なんですか、それは。
話の筋が見えずに奇妙な笑顔を張り付けたまま固まった弥勒丸の心情には気づかぬ様子で、北畠顕家は眩しいほど澄んだ眼に蠱惑的な色を湛えた。
「酒を飲むにも、江戸には江戸なりの流儀があるとか? ――越国の衆もずいぶんと興味を惹かれていた様子。皆、其許よりの誘いを愉しみにしているであろうな」
昨日の痛飲を深く悔いているこの状況で。
早くも次のお誘い‥‥では、なく‥‥もしかして、誘う方‥‥?
しかも、江戸の流儀って、いったい――
綺麗に記憶より抜け落ちた事実を前に、ただただ額に汗して沈黙する弥勒丸の姿を何と捉えたのやら。彼の主人はその綺麗な顔に、とても奇麗な善意を浮かべて言葉を足した。
「あちらにも帰国の都合があろう。あまりお待たせいたさぬよう、早々に場を整えてさしあげた方がよかろうな」
「‥‥‥御‥意‥に、ございます‥」
とりあえず、この酒精を何とかしよう。
別の理由で痛み始めた頭を抑え、弥勒丸は深く首を垂れたのだった。
●リプレイ本文
楽しく、美味しく、お酒を飲む秘訣といえば――
「おいらは友達と笑顔かな?」
冗談と笑い声を肴に水みたいなお酒、これで十分。
酒の濃い薄い云々は、人によって好みが異なるだろうけれども。チップ・エイオータ(ea0061)のポリシーは、きっと万人に受け入れられる真理だと思われる。無論、じっくり語らいながら飲み明かすのも悪くない。――それだって、気心の知れた相手とならば、だ。
「顔見世程度と思ったんだが」
思わず頭を抱えたカイザード・フォーリア(ea3693)の心境は、招待客についての相談をうけた弥勒丸の顔色にも顕れていた。
上役と同じ席で酒を飲む、それだけでも結構な気詰まりなのに。
その上で、江戸城の茶会を再現するかのような面子を敢えて取り揃え宴席を設けようという。――冒険者とは、確かに険を冒す者たちなのだと今更ながら実感したと言いたげだ。
「予算ですか? まあ、安く上げるに越したことはないですが‥‥政宗公、謙信公をお呼びするのでしたら、あまりいい加減なモノをご用意するワケにも行きませんし‥‥」
ああ見えて、粋や風流にはうるさい教養人たちである。
下っ端ばかりで、パァっと騒ぐ酒席と同じように考えてはいけない。この際、予算の方もいくらか底上げが必要だ。
欧州社交界のサロン文化に馴染みのあるカイザードとしても、こちらで『武田のイモ侍』などと後ろ指をさされては折角の士官に泥がつく。逆に、ここで好評を博し心象を良くしておけば、何かの折にこの誼が生きるかもしれない。
「芸者衆を頼むのでしたら、2人1組で1Gといったところでしょうか。――舟宿や料亭によっては決まった揚屋もございますから、まずはそちらで馴染みを尋ねてみるのもよろしいかと。何処かお心当たりはございましょうか?」
「それは、今、伊勢さんが探してくれているよ」
夏の宴に相応しい気の利いた宴席の選定に手を挙げた伊勢誠一(eb9659)は、越後より取り寄せる銘酒の販売経路開拓に燃えている。酒と言えば、上方より船で運ばれる《下り物》だと考える江戸の町人たちには、目新しく良い刺激になるはずだ。上方との廻船業に力を持つ紀伊国屋の返事は芳しくなかったが、奈良屋がいくらか興味を示したのが収穫だろうか。首尾よく渡りがついたなら、話に乗るとの言質をもらった。
縦横に走る水路より猪牙舟で、大川端の料亭へ。
水辺に設けられた川床で涼を取りつつ、芸者衆の音曲やお座敷舞をもって宴を愉しむ。
チップとカイザードから出された提案と大凡の勘定に、弥勒丸は特に難色をしめすことなく素直に首を頷かせた。――酒に呑まれていなければ、官吏として事態を捌く才は確からしい。
●花と名笛
擦れた笛の音が川面を渡る。
散り急ぐ花のさやけき命の瞬間を表現できるという名笛の、切ない曰くが後々まで語り継がれるかどうか‥は、やはり奏者の腕次第。
せっかくの宝重、その銘に恥じぬ演奏をしなければ‥‥
その豊かな胸に密やかな焦燥を抱いて、ヒャーリス・エルトゥール(ec4862)は一心に音曲の練習に打ち込んでいた。
欠けた月を川面に浮かべ、暑い盛りの涼を愉しむ。
仲間たちが企画したその席をより盛り上げるために、笛の演奏を披露すると申し出たのはヒャーリス自身で。まだまだ手習いの域を出ていないのは、承知の上。花柳界の徒花たちの磨かれた芸には及ばないとしても、せめて、1曲。宴席の余興になるくらいにはしておきたい。
そんな訳で、諸々の面倒事は全て江戸の事情に通じた仲間たちにお任せし、ただひたすらジャパン固有の難解な音階を書きつけた譜面と睨めっこするヒャーリスだった。
「弥勒丸を手伝ってやれって、言われたんだけど。どこにいるか知らない?」
青味を帯びた黒髪に、少し黒目がちの。どこか人懐こい仔犬を思わせるその少年は、至近距離からヒャーリスを覗き込む。
「ひゃぁっ?!」
唐突に視界を埋めた闖入者のどアップに思わず悲鳴をあげて上体を起こしたドジっ子魔法少女は、その勢いを御しきれず、盛大に後ろへ引っくり返った。
●美味しいお酒を飲むために
使い込まれた厨房に届けられた食材を見回して、チップは年よりも幼く見える口元に満足気な笑みを湛えた。
どれもチップ自身が市場へと足を運んで見つけた、今が旬の逸品ばかり。この最高の食材をどうやって料理しようか‥‥考えるだけで、ワクワクする。
隣に立った伊勢はというと、こちらは相変わらずの鉄面皮。飄々とした見かけから、その心中は測りにくい。――彼が胸を踊らされているとすれば、料理ではなく、これから催される宴の客を想っての事であるはずだ。
焼き物などの大きな皿は厨房を預かる料理人たちに任せ、チップはもてなしの気持ちを料理に託する。
梅干しの寒天寄せと白身魚のマリネ風。
寒天はここ数年、江戸で流行の兆しを見せる新しい食材だ。星型に切って、笹舟に乗せる。透明な寒天の中に透ける梅干しが、水中を泳ぐ緋鮒のようで。――見た目にも涼しく、また、七夕の見立てにも見える風流な仕上がりとなった。
醤、味醂、胡麻油で和えた夏の野菜と太刀魚のお刺身も、胡麻の香りも芳ばしく。それでいて、さっぱりとした酒の進む逸品となりそうだ。
「伊勢さんは何を作るの?」
「そうですねぇ。――最後をしめる白身魚のお茶漬けなんてどうでしょう?」
ヒラメがお勧めだが、今の季節ならカワハギが良いかもしれない。
ひとり暮らしの男所帯。必要に迫られてやむなく覚えた料理は、手軽な上にこれでけっこう美味しいのだから侮れない。
「うわぁ、美味しそう〜」
そのチップの歓声を階下に聞きながら、お洒落なカイザードは控えの間となる座敷で姿見を覗き込む。
粋を好む江戸っ子をして伊達者と囃される手練なら、競う相手に不足はない。黒を基調としたサーコートに、和・洋の飾り物を纏め、それでいて煩くならない組み合わせを見つけ出さねば‥‥。
納得の行く仕上がりにようやく満足して船宿に姿を見せたヒャーリスも、今度はお城に向かう《灰被り》のような心境で身につけた錦の鎧を見下ろした。
「‥‥これで、大丈夫でしょうか‥?」
愛らしくもきりりと凛々しい柴犬の描かれた浴衣姿も涼しく決めたチップが気を利かせて『枝垂れ桜』の浴衣を持ってきてくれたのだが。
これには、弥勒丸が首を振る。
「‥‥桜は季節が合いませんね‥」
「うん。似合ってるし、可愛いけど」
呑気にちゃちゃを入れつつ同意した梶之助をちらりと横目で睨み、どうしたものかと思案する弥勒丸にカイザードが助け船を出した。ヒャーリスが広げた飾り物の中からバラの花を意匠した髪留めを探し出して、カイザードは戸惑う少女に差し出す。
「こちらの方が良いだろう」
鮮やかに綻ろぶ花を思わせる錦の鎧とバラの花なら、いっそ艶やかな存在感も出そうだ。なるほど、と。弥勒丸は愁眉を開く。
「ガラスの髪飾りも涼しげで夏向きかと。――こちらはちょっと珍しい舶来品ですから、粋筋にも羨ましがられましょう」
身につける品のひとつにまで季節にあった趣向を凝らす江戸‥‥ジャパン文化の神髄を身をもって学んだヒャーリスだった。
●水上の宴
短冊に見立てた色とりどりの提灯に明かりが灯る。
ゆらゆらと心許なく揺れる昏い水面を滑る猪牙から眺めるその暖かな光には、どこか人を安堵させる癒しがあった。
天上を埋める綺羅星と、護岸で招くやわらかな燈火と。
遠い光の饗宴を肴に、まず、一献。ほろ酔い心地で舟宿に移ってきた客人たちの顔色は、皆、一様に寛いでいるかのように思われた。北畠顕家、上杉謙信の他に伊達政宗も顔をそろえている。――川面を渡る夜風のせいか、酒豪が揃っているせいか。出来上がってしまった者はいない。
「酒は下り物と申しますが、越後にも上々の酒が揃っているとか。是非、江戸へも荷を卸して頂けますようお力添え頂きたく」
畏まって口上を述べた伊勢に相変わらず濁りのない視線を据えて、大ぶりの盃を口に運ぶ手を止めた上杉謙信は思案気に顎を引く。――弥勒丸の主人と同様、こちらも黙々と手酌で盃を重ねる質であるらしい。宴席が盛り上がらぬと吐息する弥勒丸の嘆きの因が見えた気がした。
上布、金銀、塩、農作物と国内に豊富な資源を有する越後としては、市場でもある江戸との交易が盛んになるのは、願ってもない。売荷が増えるのだから、悪くない商談だ。
「‥‥考えおこう」
「ありがたき幸せにございます。ですが、今宵は無粋はなしにいたしましょう。――後日、改めて遣いを立てることに致しますのでその折には宜しくお引き回しの程を」
それ以上は踏み込まず、匂わせる程度でそそくさと話を切り上げる。今一度、深く頭を下げて退いた伊勢の真意をさぐるように眼を細め、謙信もそれ以上は尋ねなかった。
多少年増でも芸達者な者を、と。注文をつけたカイザードの希望どおり――もちろん、若いに越したことはないのだが――しっとりと艶やかに夜を彩る三味線の音に誘われるように、淡い燐光を揺蕩わせて蛍が漂う。
チップから差し入れられた異国の酒の果実を思わせる爽やかで甘い香りが、ふとカイザードの旅愁を誘った。
葡萄酒や、梅酒など爽やかな口当たりの酒が飲みたくなる。
「国元は果実酒なので、こういう酒の方が馴染みますね」
こうして和やかに語らっていると、世情を揺らせる戦場の喧騒が別世界の話であるようにさえ思われて。
争いが減り、世が平かに治まること。――己の戦さを正当化して相手を非難する者たちの謳うところは、いつも同じ――それは、冒険者とて例外ではない。
ただ、善しと選ぶ道が異なるだけだ。そして、互いに認めず譲れぬ為に、諍いが起きる。‥‥根本は、とても単純。だが、人の心に自我がある以上、何者にも御し難い。
■□
ひととおり酒が行き渡り宴も酣となった頃合いを見計らい、「桜の散り刻」を抱いたヒャーリスが芸妓に混じって桟敷にあがった。
「拙い笛の音でありますが。‥‥少しでも皆様のお気に召しましたら幸いです」
指をついて一礼し、ゆっくりと顔をあげて席を見回す。
弥勒丸をサポートしながら彼が飲みすぎてしまわぬよう、時折、冷した水をすすめたりと甲斐甲斐しく裏方に徹しているチップ。
カイザードも寛いだ様子で請われるままに、こちらに来る前――欧州を冒険中に出会った珍しい光景や、思わぬ失敗などを披露して場を沸かせていた。
下士の中には、越後を出たことすらこれが初めてという者もいる。そんな狭い世界で暮らす者たちにとって、カイザードの話して聞かせる月道の向こうの国々は夢物語の御伽の国にも聞こえたかもしれない。
静かに呼吸を整えて、フィーリスは艶やかな朱唇を吹き口に当てた。
細く――
蜘蛛の糸より細く紡いだ銀線を震わせるかのような、あるかなしかの幽けき風が、大川の水面を揺らす風に重なる。
■□
「どうやら、皆さまにご満足いただけたようです」
少し上気した顔に喜色を浮かべて、弥勒丸は冒険者たちに礼を言った。
そわそわとどこか漫ろになった雰囲気が、そろそろお開きといった宴の終焉を告げている。呑み足りぬ風情の者がいないでもなかったが、時間と共に冷えた身体に締めの一皿となった伊勢のお茶漬けはなかなかに好評で。――悪酔いする者も誰ひとりなく、粛々と帰り支度をする様も清々しい。
「これも偏に皆様のお陰。なんとお礼を言ってよいのやら」
失態を回復したと言って良いのかどうかは、微妙なところだが。
そのいかにも幸せそうな顔色に、この大成功のおかげで宴会奉行として名を売ってしまったかもしれない危険については黙っていた方がよさそうだと思いつつ。
それでも、心地の良いほろ酔いとくちくなった腹具合が絶妙に混じり合ったこの上なく満ち足りた上機嫌で、彼らはそれぞれの帰路についたのだった。