【坂東異聞】 −重陽−
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■ショートシナリオ
担当:津田茜
対応レベル:11〜lv
難易度:普通
成功報酬:5 G 55 C
参加人数:5人
サポート参加人数:-人
冒険期間:09月08日〜09月13日
リプレイ公開日:2008年09月19日
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●オープニング
艶やかに、清涼の馨が綻ぶ。
朔に喰らわれた月なき闇夜に、ひとつ、ふたつ‥‥
昼を照らす夏の名残はいつしか夜を渡る秋へと天頂を譲り、天上の珠玉へと姿を変え密やかに地に降り注ぐ。
清楚なる花の褥に、ひと滴。
そっと置かれた露玉には、砕かれた月の魔力が宿っているという――
陰陽道の理では、縁起の良い数字だとされる奇数。とりわけ強いとされる九を重ねた「重陽」は、他の五節句に比べればいまひとつ庶民の間に馴染みがない。
曰く、若返るとか。
曰く、寿命が延びるとか。
十五夜の夜に月に帰った竹取りのかぐや姫が残したのも不老長寿の妙薬であるならば、あるいは、五節句のトリを飾るには相応しいような気もするけれど。――後に十五夜が控えているせいだろうか。
しっとりと菊花を愛でたり、酒を呑んだり。どちらかと言えば大人びた落ち着きを漂わせるその趣旨が、祭りを口実にぱぁっと盛り上がりたい者向きではなさそうだ。
「菊が、咲いてるんだよ」
切り出した谷風梶之助の口上は、季節外れの怪談調。
そう言われれば、そろそろそんな季節でしたね。などとのんびり答えてしまってから、手代はふと顔をあげて梶之助を眺めやる。手の甲を上にゆらりゆらりと動かしながらぺろりと舌を出した様子は、やっぱりそれを意図しているのか。
江戸の園芸事情を思えば、菊の栽培に精魂傾けている者がいたとして、少しも不思議ではないのだけれど。
「それが、あばら家って言うか、廃屋っぽいんだよね‥‥何もなくて何だかすっごい辺鄙なところだし。江戸にもあんな場所があるんだねぇ」
「‥‥失礼ですよ‥」
崩れた土壁に落ちかけた屋根。いたるところ雑草に埋められた荒れ放題の庭に、ところ狭しと並べられた菊の鉢植えだけが、とても見事で。
その出来栄えに――殊のほか風流を愛でる梶之助の主人が気に入るに違いないと確信するほどには立派なものだった。――ひと鉢譲ってもらおうと家の主を訪ねたのだが、生憎と不在。
不在というより、人の住んでいる気配がない。
さすがに家人に断りもなく家の中を覗き込むような真似はできなかったので、その日はやむなく諦めて帰ったのだが‥‥日を改めても、やはり人のいる様子はなくて。
付近には住む人もなく。
と、いうより明らかに避けられている様子。
「あの界隈ではちょっと有名なお化け屋敷らしいんだよね」
『浅茅が宿』さながらの愛憎渦巻く謂れが、まことしやかに囁かれているらしい。
不帰路の人を待っているとか、恨んでいるとか。
菊が花開くこの季節になると、とおに絶えたはずの家に灯が燈る。不遇を嘆く女の声を聞いたと言う者もいた。
「ええと、《もうしゅう》が棲みついてるらしいよ」
そう警告を寄こした者がいるという。
抜けるような白い肌と光のない闇色の眸をした女童の、子供にしては大人びた――大人にしては言葉の足りない――忠告を聞き入れる気になったのは、やはりどこか只ならぬ気配を感じていたのかもしれない。
「誰を待っているのか知らないけどさ。放っておくのは良くないと思うんだよね」
界隈で姿を消した者がいるなんて噂まで聞かされては、捨て置くのも気が咎める。
何よりも。せっかく美しく花開いた菊が誰の目に留まることなく散ってしまうのは、正直、惜しい。
もっともらしく、且つ、とても個人的な思考の果てに。菊屋敷(仮名)の探索は、《ぎるど》の壁に張り出されたのだった。
●リプレイ本文
必ずと交わした誓いは、叶わぬ事が多いのだろうか。
少しばかりの気鬱を込めて、日向大輝(ea3597)は何度目かの吐息を落とす。――彼は先日、大事な人に同じ言葉を誓ったばかり。
奇縁とは往々にしてこんなものだが、己は違うと自問自答したところで胸の底をざらつかせる焦燥にも似た複雑な心境は簡単には拭えない。
そうすると気になるのは、待ち続ける側‥‥所謂、女心というもので。
「重陽のお節句ァ菊酒だけで団子も何も無ぇだから、つまンねェだよ。菊なんぞ見とっても腹ァ膨れねェだ」
「え〜。何言ってるんですかぁ。お花は心を豊かにしてくれるんですよ! お花のことなら、私にお任せです! これでも私、花の子って言われてるんですから」
そう肩をすくめる田之上志乃(ea3044)は、相変わらずの花より団子。
対して、「花は大好き」だと力説するルンルン・フレール(eb5885)も、「恋の花」とはイマイチ縁薄いようだ。
「共に主を待つ菊の花‥何やら、切のう御座いますね‥‥」
「噂話にどれだけ信憑性のあるものか‥‥まあ、そこに亡霊・妄執が棲むことだけが確かなら、やることに変わりはないわ。――迷える魂に安らぎを。と、言うには、少々乱暴な方法になりそうだけれど」
同じ女として残された想いは大切に汲み取りたいもの、と。眉を曇らせたリュー・スノウ(ea7242)に、セピア・オーレリィ(eb3797)もまたいつになく真摯な眸を向ける。迷いに至った心境よりもその先にあるもの、救済に関心が向いているのは、女性の方がより現実的なのかもしれない。
「ま、あ。ここにいるのは女の子だけど、冒険者だもんね。普通の女の子よりは思い切りもいいし行動力もあるから、徒にただ待つよりは自分から探しに出掛けて行くんじゃないかなあ」
ぽややんと頭を通さずに発したらしい谷風梶之助の感想は、得心できる程度に理にはかなっていたけれど。
日向が求める答えとは、少しばかり方向が異なっていた。――待ち続ける心情を思えば申し訳なく切ないが、あっさりと忘れ去られるのもまた辛い。
眉間に皺を刻んだ日向の顔をのぞき込み、梶之助はそれならばとなけなしの記憶を手繰る。
「能楽や演義物だと『戻らなければ、恨みます』って言い回しがけっこうあるよ。浮かばれずに化けて出ちゃったりする話も珍しくな――」
「俺は絶対、あいつにはそんな想いさせねぇぞ」
ぐぐっと拳を握り締め、改めて誓いを紡いだ少年の心粋に、揃ってお年頃の少女たちは顔を見合わせた。――女性であれば、1度は言われてみたいセリフではある。
●菊屋敷
高く透明感を増した蒼穹に秋が馨る。
心地よい風に混じった菊の香にルンルンは眸を細め、胸いっぱいにその清涼感を取り込んだ。
菊屋敷(ルンルン命名)は、界隈の住民たちの間で囁かれる七不思議や怪談のような位置付けであるらしい。この季節になると咲き始める菊の花が存在を思い出させるのか、尋ねれば何らかの答えが返る。その分、ずいぶんと尾鰭の付いた逸話も出回ってはいたが、志乃やルンルンのように情報収集に長けた者でなくても、話の骨格を拾い集めるのは難しいことではなかった。
菊の栽培を生業とする夫婦者が住んでいたというのも、梶之助が聞き齧ってきたものと概ね同じである。
「待ち続けるというくだりも似たようなものですね。ただ‥」
皆がそれぞれ拾い集めた噂話の断片をわかりやすく書き留めて整理したリューは、少し顔を曇らせた。
「夫が家を離れる理由が諸説あるみたいです」
得意先に頼まれて出向いた先で不慮の事故に巻き込まれたとか。どこかの遊女――若い子人という者もいた――にいれあげて、家を顧みなくなったとか。
信憑性はともかく、憶測をもって人の口にのぼり易い部分ではある。巷で流行りの戯作に影響されているのかもしれない。
「その待ち続けた妻をいつごろまで見たのかと、ちゃんと供養されたのかが気になるな。どれくらい昔の話なのだろう」
崩れた土塀や朽ちた屋根といった廃屋同然の惨状を見れば、それなりの年月を経ていると思われるのだが。
破れた土塀の隙間から庭の様子を覗き込んだ日向の呟きに、志乃はもっともらしく首を振った。
「人さ住まねくなった家は傷みも早ェだよ。案外、最近の話かもしれねェべ」
「でも。どうしてそんなに綺麗な菊が咲いてるのかな?」
「綺麗な花を育てるには、それなりの愛情と手間がかかると思います。放置されたものがいつまでもというのは、やはり‥‥」
不自然だ、と。
ごく単純な疑問を口にしたルンルンの言葉に応じる形で、植物についていくらかの知識を有するリューも、やや思案する風に頬に手を当てて首をかしげた。
不自然なモノ、善からぬモノが棲みついていると噂が立つのも納得できる。
屋敷を気にする梶之助に近づかぬよう警告を発したモノまでいるのだから、ずいぶんと念の入ったことだ。
「‥‥しかし、警告をしたという女童、何者なのでしょう‥」
呟いたリューに、顔をあげたのは志乃だった。
解釈によっては怪異ともいえなくもない前触れを言葉足らずに人々に告げては消える不可解な存在には心当たりがあった。――志乃自身は顔を合わせたことさえないのだけれども――勢いよく顔を向けた志乃に、梶之助は眼を丸くする。
「‥‥ンでその童っ子ァ、色の褪せた緋牡丹の着物で十ぐれェでなかっただか?」
「そう言われるとそんな感じ。あの子、乃ちゃんの知り合いなんだ? 声かけられるまで気配に気づかないって初めてでさ、びっくりだよ」
不意を突かれたことに、まず驚いて。
唐突、かつ要領を得ない警告に困惑している間に去られてしまい、また驚いた。
化かされたような気分であったが、
志乃の知り合いなら忍びの心得があっても不思議ではない。妙に納得した風情で何やら頷いている梶之助にぴしりと指を突きつけて、志乃は肯定とも否定ともつかぬ口調で決めつける。
「そりゃお稲荷さんだべ! 梶之助さぁ、後で御参りせにゃなんねェだよ」
「そんなエラソーなモノには見えなかったけど」
半信半疑の梶之助にお供えの《月見団子》を約束させて、志乃は改めて傾きかけたあばら家に目を向けた。
お稲荷さんが「善くない」と言うのだから、この家に巣喰う《もうしゅう》は既に人の心を失くしているのかもしれない。
●妄執
悪霊かそれに類するモノがいる。
不死者探査−デティクトアンデッド−の不可視の網に触れた生命なきモノの存在に、リューはごく小さな吐息を落とした。――皆が皆、満足して神の御許に旅立てるワケでないことは、知っている。それでも、想いを残して常世に留まる魂との邂逅は胸が痛い。
「‥‥とても強い存在と、その負の気配に呼び寄せられたモノがいくつか‥」
動き回っている気配はない。
喩えれば、浅い眠りの中にいるような。天頂に近い位置から大地を見守る日輪の威光か、あるいは、他に理由があるのか。
「前に来た時も縁の方まで行ってみたけど、襲われたりはしなかったなあ。――ほら、あそこ」
そんなコトを言いながら、梶之助は勝手知ったるとばかりに塀の破れ目を乗り越えて庭に踏み込む。ぴくり、と。不死者を見張る魔法の網が震える気配がしたが、彼らは梶之助には無関心であるようだ。
指さされた先、荒れ放題の庭先で、鉢植えの菊だけが嫣然と香り高く咲き誇っている。
「わあ、綺麗です! いい香り!!」
重陽に咲く菊の香には不老不死‥‥若返りの効果があるというけれど。すっきりと明瞭な気持ちにさせてくれるのは確からしい。
ルンルンが挙げた歓声に、セピアもまた身を乗り出して。
崩れかけた土塀に手をかけた。
「昼間は出てこないのなら、陽のある内に屋敷を把握してしまいましょう」
どちらにしても、戦わなければいけないのだから。
それも、不死者たちの領域で。それは仕方がないとしても目盲滅法、敵の懐に飛び込むのは得策ではない。なるべくなら菊の花を散らさぬように。――がっかりするのはきっと梶之助だけではないだろう――行動に制約が加わるのだから、せめて足回りだけでも不足を埋めておきたいところだ。
よいしょ、と。
塀を乗り越えたセピアの靴が庭の土を踏んだ、その時――
‥‥ど、ん‥
突き上げるような衝撃が、世界を襲った。
「う、わっ」
「きゃあっ?!」
波打つが如く揺れた大地に足を取られ、重力が消失する。刹那、女性らしい曲線で構成されたセピアの身体は、自身を支えきれずに投げ出されていた。
持前の俊敏なバランス感覚で転倒を免れた志乃とルンルン。日向と梶之助も、とりあえず踏みとどまったが、セピア同様、他の者たちに比べればいくらか体捌きの不得手なリューは湿った土に尻もちをつく。
秋口とはいえ、まだまだ汗ばむ陽射しが翳り、唐突に冷気を感じた。
「来る」
「まだ昼間なのに?!」
咄嗟に脇に差した小太刀に手をかけた日向の緊張を宿した鋭い声に、期待を裏切られたセピアは顔をしかめる。
幽霊は夜に出るモノ。
怪談の定石は、案外、当てにならないものらしい。悪態をつこうと開いた唇は、朽ちかけた建物より滑り出した半透明の影に紡がんとした言葉を閉ざした。
「‥‥あれが、妄執‥?」
びりびりと肌に叩きつけられる狂気に目を細め確かめるように問うてきた梶之助に頷き、日向もまた小太刀の柄を握り締めたまま相手を測る。
不死なる魔物が総じて纏う生者への憎悪。
執着により屋敷に囚われたまま悪霊へと変じた魂からあふれ出すのは、もはや悲しみではなくなっていた。
菊の花が咲くこの家にしがみ付き、一切を拒絶して裡へと引き籠ろうとする意思‥‥それが《妄執》であるのだとすれば、死人憑やレイス以上に凶悪で禍々しいものかもしれない。リューは、己の推測の正しさを悟る。
「‥‥前は出てこなかったのに‥」
呟いて、佩いていた刀の鯉口を切った梶之助の姿に日向は小首をかしげ、その違和感の因に思い当たって苦笑をこぼした。――ここは土俵ではないのだから、力士が刀を抜いても反則ではないのだが――この依頼が解決したら、取組を申し出てみるのも悪くない。
「他に原因があるのかもしれねェべ」
ゆらゆらと頼りなく揺れながら人の形をなす影に視線を据えたまま、志乃はふところから取り出した銀の礫の、冷やかな金属の感触を確かめる。
「旦那さんと大事に育てていた、この菊を守っているとか」
花を愛する人に、悪人はいないはず。呟いて、ルンルンは顔をしかめた。
本当に幽霊の成せる業なら、その理由を聞かせてもらえるのではないかと期待していたのだけれど。残念ながら満ちる周囲に満ちる狂気と憤怒は、理性などとおに投げ出しているようだ。
いくつもの推測と思惑を前に、今や女と判る姿を形作った影はゆらりと白く血の気のない腕を伸ばす。
「―――っ!!」
反射的に唱えた《ホーリーライト》の白い光‥‥リューの掌の上で生まれ急速に膨れ上がった光の壁が向けられた害意を弾き飛ばす様が、塗りつぶされる直前の視界を掠めた。
轟音と衝撃が世界を大きく揺るがせる。
「大丈夫か?」
「ええ。こちらは」
返事に息を落とし、日向は改めて影を眺めやる。
影は正面にいた日向と梶之助を飛び越えて、まっすぐにリューとセピアをめがけて攻撃してきた。――志乃とルンルンを狙っていたのかもしれないが、回避に優れるふたりに攻撃を当てるのは至難である。
「‥‥女の子を家に入れたくないのかもしれないね?」
「それはどういう――」
神の加護を得た光の外で再びゆらりと蠢きはじめた影に気づいて、日向は梶之助に向けた意識を改めて敵へと集中させた。
「何があったのかは知らないけど。話会う気はなさそうね」
巻きあげられた土砂と土埃に顔をしかめつつ、セピアは《黄金の枝》を土に挿す。あとは5分間の祈りを捧げれば‥‥
「この世の妄執、私が絶っちゃいます! ――シュリケーン!!」
パッと《アイスチャクラ》の経文を開いたルンルンの周囲に、淡い水精の光が集う。大気中より現れた氷の刃に併せ、志乃も銀の礫を投じた。
絶叫にも似た悲鳴があがる。
肌を泡立て落ち着かぬ気持ちにさせる壮絶な音色に奥歯を噛み締め、日向は強く地を蹴りつけて一足で影との間合いを詰めた。
●重陽
咲き誇る菊花は、《彼女》にとって幸せの象徴だったのかもしれない。
見る影もなく枯れ落ちた――それさえも幻だったのだろうか――鉢植えを前に、日向はただ立ち尽くす。
取り憑いた《妄執》とその負の磁場に取り込まれたいくつかの妖しを退治した後、改めて探索した屋敷の中で、冒険者たちはふたつの朽ちた遺骸を見つけた。
「彼は出て行ってなかったたんだ」
「‥‥出ていく所だったのかもしれないよ?」
男は家の外に新しい恋を見つけたのだと言う噂があった。あるいは、毎年、変わらぬ美しさを蘇らせる花とただ年を経て老いて行く己を比べ、被害妄想に囚われた狂気の果てであったのかもしれない。――いずれにしても、《彼女》はとても孤独だったのだ。
「絶っ対、あいつにはそんな想いさせねぇぞ‥っ」
静かにその誓いを噛みしめて、少年はたったひとつ花を残した鉢を見つけたと彼を呼ぶ声に応えて振り返る。
大切に供養しましょうと諭す声と、お供えのおはぎを買いに行こうと急かす声。
変わらぬ日常が戻ってきたような錯覚に囚に、ふと肩の力がぬけ笑みがこぼれた。――全てを終わらせたら、相撲の勝負を挑まなければ。